1 :
Hannibal ◆HPBRDkE86A :
笑い。古来より数多の哲学者、文学者がその謎の解明に挑んではいるものの、
はかばかしい成果をあげていないことはご案内の通りである。
ここで性急に、笑いの究極理論を提出するつもりもないわけだが、まあ、
スレッドの一つぐらい立ててみるのも許されるかもしれない。
ところで、dat落ちした他スレにも書いたのだが、笑いについて、
私は「稀釈された恐怖」という定義をもっている。
2 :
Hannibal ◆HPBRDkE86A :03/06/13 19:48
ジェイソンやフレディの映画がシリーズ化され、ものものしい登場の仕方などが繰り返されて
ショックが稀釈されたとき、大阪名物パチパチパンチ状態となって笑いが起こる。
もちろん、パチパチパンチ自体が繰り返され稀釈されて、笑いすら起きないこともありうる。
言葉とは、人間の自己保存のために生まれたのではないだろうか。
確実に「AはA」であり「非Aは非A」であることが、生命の維持につながる。
確実に「毒キノコ」が「食用キノコ」と区別されないことが、死の恐怖にもつながる。
だが「囲い」と「恰好いい」が区別されなくても、さほど深刻な事態を招かない場合、
笑いが起きうる。
3 :
Hannibal ◆HPBRDkE86A :03/06/13 19:48
フロイトは、笑いを「余剰エネルギーの放出」と規定したが、これを私の
「稀釈された恐怖」云々に引きつけて説明すれば以下のようになる。
Aが同時に非Aであることは、とりあえず恐怖である。
恐怖に対処するために膨大な心的エネルギーが蓄積されるわけだが、
その恐怖がすみやかに稀釈されたとき、エネルギーは行場を失い、
笑いとなって噴出すると考えるのである。
諸兄のご賢察を乞う。
ベルクソンとか
笑いに関する学説というのは沢山あるけどフロイトのそれは一番滑稽だと思ふ。
エネルギーて。
エネルギー?
マジでエネルギー?
何のエネルギー?
どこに蓄えてあんの?
やっぱ食物から得られるわけ?
意味不明ですよ。
6 :
tohtoshi@message:03/06/13 20:38
諺にも「笑いは百薬の長」や「笑う門に福来たる」とか云われています。
このように人が生きるには明るい性格というのは必要なようです。
心は常に積極的に、そして明るく建設的に持つべきものです。
もしあなたの想念が、消極的に陰気くさく邪悪で破壊的な方向に傾いているならば、
心の法則からあなたの計画や行動は自然に破壊的な、消極的な、非建設的な傾向を
もってきますから、する事なす事、何事も失敗に終わるということになりがちです。
それは類は友を呼ぶとか、想いは創造に繋がると云う心の法則によることもあります。
この件に関する出典の説明がHP↓にあります。
ttp://www.d7.dion.ne.jp/~tohmatsu/
7 :
Hannibal ◆HPBRDkE86A :03/06/13 20:39
>>5 日常でも得られる「強い体験」と「弱い体験」の違いがどこから来るのか。
神経生理学に明るい方の知見も乞いたいところだね。
フロイトの「心的エネルギー」説は、なるほど非常に評判悪いようだ。
ひとまずは、参考意見ぐらいにお考えいただきたい。
8 :
Hannibal ◆HPBRDkE86A :03/06/13 20:49
まあ、あの、
>>6で仰っていることは間違っていないと思いますので、
貴重なご意見として頂戴しておきます。
9 :
考える名無しさん:03/06/13 20:55
笑いという表情は警戒だか威嚇だかの表情から進化したとかいう話をかつて聞いたようにおもう。
10 :
考える名無しさん:03/06/13 21:00
笑うしかない人間は笑われている
フロイトってやたらと無批判に受け入れられてるフシがあんだよね。
まあフロイトの説は置いといて。
>「囲い」と「恰好いい」が区別されなくても、さほど深刻な事態を招かない場合、
>笑いが起きうる。
恐怖の稀釈と言うからには、まず恐怖が起きなければならないわけで
隣の家に囲いが出来たってねー
カッコイイー
この会話の中のどのあたりに恐怖を感じるのか教えてホスィ。
つか、緊張と緩和の説とどう違うのか。
>>9 相手を威嚇する→相手びびる→優越感を感じる
コレが繰り返されるうちに威嚇後の表情が優越の表情になっていき、
それが笑顔になったとか何とか。
優越感、劣等感と笑いは確かに密接な関係があると思うニャー。
12 :
Hannibal ◆HPBRDkE86A :03/06/13 21:47
>笑いという表情は警戒だか威嚇だかの表情から進化したとかいう話をかつて聞いたようにおもう。
いいね。面白い。「恐怖の稀釈」説の傍証になるかもしれない。
>この会話の中のどのあたりに恐怖を感じるのか教えてホスィ。
たしかに、まずい例であるわけだけれども、
あまりにも繰り返されたために恐怖も笑いも起きなくなった
と言い訳することはできる。
あくまで、Aと非Aが混同されることが恐怖となるのである。
>つか、緊張と緩和の説とどう違うのか。
似てるんだな、これが。
13 :
Hannibal ◆HPBRDkE86A :03/06/13 22:29
古今の笑いに関する諸説は、以下のように大まかに分類できると思う。
1.短絡説(Aと非Aの)
メンデルスゾーン(完全と不完全)
レッシング(美と醜)
ショーペンハウエル(概念と実在)
2.優越説
ホッブス(突然の優越感)
ベルクソン(機械化された人間への優越。機械と人間の短絡とも考えられる?)
3.エネルギー説
フロイト
私の「恐怖の稀釈説」は1、あるいは1と3の混合になるだろうか。
>>12 >あくまで、Aと非Aが混同されることが恐怖となるのである。
「区別できない」と「混同する」は別の事柄だ。
そして「混同する」と「混同される」というのも別。
細かいと感じるかもしれないが意味を考える上でこういう間違いが重なると
後の議論が滅茶苦茶になってくる。
「区別ができない」が恐怖に繋がるというのは激しく疑問だ。
キノコしか食べる物がない時にキノコと毒キノコが区別できければ確かに
恐怖を感じるだろうが、それはあくまで「区別ができない」状況の一例に過ぎない。
「区別ができない」は普遍的に恐怖に繋がるだろうか?
俺はおすぎとピーコの顔と名前が一致しないが、別に恐怖は感じない。
ちょいと説明が足りないんじゃないか?
緊張と緩和にしても、相違点を挙げるなりしてくれ。
15 :
考える名無しさん:03/06/13 22:41
なんつうか、臨床の現場ではフロイトなんて完全にシカトされてるわけで。
ほそぼそと続いている精神分析も昨今ではプラセボ以上の効果はあげてないし。
だいたいフロイトなんか高校生が読んでもなんかいかがわしいし、精神分析はなんか秘教的度合いを強めてるし。フロイトさん自身女性患者をくいまくりだったらしいし。
こんな奴がいまだにリスペクトされてるのって、思想系の業界だけじゃない?
うーん、細かいねえ。しかし、レスをつけてくれるのはありがたいし、
後々の議論のことを考えてくれるのは、もっとありがたい。
応えやすいところから応えてみよう。
>緊張と緩和にしても、相違点を挙げるなりしてくれ。
心的エネルギーが蓄積されている状態→緊張
心的エネルギーが行き場を失った状態→緩和
つまり「恐怖の稀釈」説がフロイトを参照するとき、
「緊張と緩和」説に似てくる…たとえ胡散臭い学説であっても。
しかし「緊張と緩和」説は、突き詰めればエネルギー説になるしかないんじゃないか。
そして恐怖に、しかも死の恐怖という根源的なものに直結している点で、
私は「恐怖の稀釈」説を気に入っている。
私の念頭にあったのは、
>>2に書いたような言語発生説だ。
これは、はじめて海を見た原始人が「う〜み〜」とうなったというような
馬鹿げた話にもなりかねないわけだが、まあ、続けてみよう。
毒キノコをキノコから区別する言語の格子がなければ、A氏は中毒死しかねない。
強暴な山犬を従順な犬から区別する言語の格子がなければ、A氏は噛み殺されかねない。
高い波を高い丘から区別する言語の格子がなければ、A氏は溺死しかねない。
かくしてA氏が営々と築きあげてきた言語の格子が、いまや崩壊しようとするとき、
A氏は恐怖を感じるだろう。
おすぎとピー子が区別できなかったとしても、A氏が
それを「おすぎとピー子」という格子を通して眺めている以上は、
A氏が恐怖を感じることはないだろう。
18 :
Hannibal ◆HPBRDkE86A :03/06/14 01:18
>「区別できない」と「混同する」は別の事柄だ。
>そして「混同する」と「混同される」というのも別。
すまない。よくわからない。
>>17を読んで、適当に解釈してくれ。
たぶん「A氏が区別できていないことを、A氏自身がが自覚しているとき、
A氏にとっての恐怖になる」だろうし、
「A氏が混同している可能性があることを、A氏自身が自覚しているとき、
A氏にとっての恐怖になる」のだろうと思う。
19 :
Hannibal ◆HPBRDkE86A :03/06/14 02:22
「恐怖の稀釈説」と書くと、何か笑いが恐怖を稀釈するような誤解も与えかねないから
「稀釈された恐怖説」と書くことにしよう。
「稀釈された恐怖説」で他の説をバッタバッタと斬るなんてつもりはないし、
できもしないだろう。面白い説をいろいろ読んでみたいもんだ。
また、笑いに関するエピソードなども。
倭比売から日本武尊が授かった草那芸の剣を、年一回、移動させるという神事があるのだが
なぜか笑いながらおこなわれるのだという。
なぜだろう。よくわからないが、どこか面白い話なので憶えている。
言語の格子が危機にさらされた場合はすべからく恐怖を感じるのか?
つーか、まずは言語学を勉強しなされ。
感情の意味、役割について考えてみました。
「怒る」は身体を攻撃するという脅し、「脅える」は身体が負傷す
るという降伏の意味に使われ、身体的な優劣を表明することで余計
な暴力を振るう手間や、余計な身体のダメージをなくしています。
犬や猫などにも共通して通じます。
人間は精神が発達していて思想、信念に基づいて行動するので「怒
る」「脅える」だけでは不十分で、信念を否定する「笑う」、信念
を譲歩する「泣く」で、精神的な優劣を表明します。
「楽しい」は、何かを操り支配すること。「嬉しい」は、何かに操
られ服従すること。強弱をはっきりさせ、上下関係を作るときに使
われると思います。
22 :
Hannibal ◆HPBRDkE86A :03/06/14 11:05
>>20 君も「すべからく」の使い方を間違えているが。
もっと馬鹿馬鹿しい笑いだってあるでしょ
俺が思うのはルパン三世カリオストロの城の
カーチェイスシーン
あれは笑った
あと昔NHKでやってたニルスの不思議な旅と名犬ジョリイも
笑ったな〜
25 :
考える名無しさん:03/06/14 11:56
22>>
ハンニバルよ、ほんとうにそうか? 俺はそうとは思わんが。
26 :
考える名無しさん:03/06/14 12:01
言語について、ハンニバルさんは大きな見落としをしている。
それは、言語は、圧倒的に社会生活、つまり主張と要求のために使われているということだ。
それから、もうだいぶ前の話だが、ボノボというサルの一種、そのなかの一頭は、明らかに言語を理解していたという報告がある。
人の表情がまるで見えない条件下で、単語一つでない文章を理解したというものだった。例えば、バナナを水筒に入れなさいとか、普通でない命令にもその個体は従ったらしい。
キーボード様の機械を操って発言もしてたらしいし、彼がもし人間のような声帯を持っていたら彼は多分言葉を話すと思う。
なんか話がそれたな。すまん。
27 :
考える名無しさん:03/06/14 12:09
ついでに認知療法で分類された感情。
うつ
喪失感
不安
危険を感じる時
喜び
獲得感
怒り
被害感
参考までに
メール欄とかになんか書いておくべきだったニャー。
>>25 確かに間違った使い方。
「役不足」とか「確信犯」みたく、誤用の意味の方に変わってきてる。
>>25の言語の格子は危機に晒されているわけだ。
ある言葉が明らかに自分の知識と異なる意味で使われていた場合、
人はそれにどう対応するか?
そもそも言葉の意味はどうやって決められるのか?
29 :
ぷりぷりざえもん ◆iqrki9zZdU :03/06/14 14:46
>>11 >相手を威嚇する→相手びびる→優越感を感じる
>コレが繰り返されるうちに威嚇後の表情が優越の表情になっていき、
>それが笑顔になったとか何とか。
>優越感、劣等感と笑いは確かに密接な関係があると思うニャー。
これは面白いね。
自分にはウィットがあると思って笑う奴。
あまりにもバカバカしい事を見下して笑う奴。
ヤクザに脅されてせいぜいがんばって薄ら笑いを浮かべる奴。
いろんな笑いがこの論理で説明できそうだ。
>>23二ルス笑った。NHKでやってたアルフ知ってる?あれも笑った。
でもああいうのが笑えるのは、登場人物の暖かみとか寂しさもあって
感情移入できるからだと思う。
ごめん。これじゃわからないや。あらためて
認知療法では、感情を四つに区分する。
それは、
1、うつ:喪失感と結びついている。
2、不安:自分が危険な状態にある時に感じる。
3、喜び:獲得感と結びついている。
4、怒り:被害感と結びついている。
この分類を見たときはなんて乱暴なんだと思ったよ。
だけど、認知療法的にはこの区分で十分使えるんだよなぁ。
言葉は物事を便宜的に分類する道具だというのがよく分かる例だ。
32 :
Hannibal ◆HPBRDkE86A :03/06/15 02:11
>>26 家が建ち、ビルが建ち、橋が架けられ、
法が整備され、哲学が語られるというのは、
すべて人の自己保存の感情から発している気がするんだ。
とすれば、主張と要求も自己保存より発することになる。
まあ「気がする」というだけで、細かい論考を重ねたうえでの結論ではない。
>>31 この4つの区分の中では、やはり笑いは「喜び」ではなく「不安」に
親和的であるように思う。
>>21 もうちょっと続けていただきたいね。
「怒る」と「脅える」が根源的であり、
「笑う」「泣く」、さらに「楽しい」「嬉しい」は
そこから派生するということだろうか。
参考になるかわからんが…
------
病的な状態が終わりを告げるときには、そこにある種の健全な劣等感がともなわなければならない。そういう場合、ある点に達すると、三つのことしかかのうではなくなて、その一つはもとの悪魔的な自負心で押し通す事、もう一つは泣くこと、そしてもう一つは笑う事である。
G・K・チェスタトン『木曜の男』より。
34 :
Hannibal ◆HPBRDkE86A :03/06/15 02:21
>>24 梅原猛は価値の低いものと価値の高いものが短絡するとき笑いが生じると述べている。
と、まとめてしまうと、大したこと言ってないように感じられるかもしれないが、
もうちょっと細かい議論もしているので、興味のある方は原典にあたっていただきたい。
35 :
Hannibal ◆HPBRDkE86A :03/06/15 02:25
>>33 『木曜の男』は読んで面白かった記憶がある。
が、こんな箇所、憶えていなかった。
読み返さなくちゃいけないね。
>>32 根源的かどうか僕にもわかりません。
自分の思想が相手より優位なときに笑い、相手より弱いときに泣く
のだと思います。このような感情のルールは生命が進化する過程で
作られたのでしょう。
私もおすぎとピー子には恐怖を感じていない。まあ、かろうじて区別はできるが。
しかしそれは、おすぎとピー子を見慣れており、さほど危険ではないことを
充分に認知しているというのも原因ではないか。
キューブリック監督の「シャイニング」で、ホテルの廊下に双子の姉妹が登場する
シーンがあったが、あれはけっこう薄気味悪かったものだ。
似ているというのは、基本的に不気味なものだと思う。
その一方で、われわれはTVのモノマネ番組に大笑いしたりもする。
38 :
Hannibal ◆HPBRDkE86A :03/06/16 00:18
故ナンシー関の「記憶絵」が、あんなにおかしいのは何故だろう。
不器用な人間が懸命に絵を描く、その「こわばり」が想像できるからかもしれない。
だが、「自転車」や「鉄腕アトム」と指示されたその絵が、どこかに
「自転車」や「鉄腕アトム」を思わせるような形象を残しつつも、
結局、ブヨブヨした不気味な何ものかでしかないという点も重要ではないか。
笑いが不気味さに親和性をもつと考えるゆえんである。
>>36 あきらかに優位であるカントやフーコーを読んでも、泣けてこないな。
「緊張-緩和」の話って、
むかし、「花王名人劇場」で桂枝雀が説いた話だよね?
クリシンの「過剰−蕩尽」のパクリなのかもしれないけど。
その桂枝雀が鬱になって首吊り自殺したのはショッキングだった。
よく、大ヒット飛ばしてたギャグ漫画家が、その後、精神のバランス崩す、
って話をよく聞くけど、それってなんでなの?
40 :
Hannibal ◆HPBRDkE86A :03/06/16 01:51
>よく、大ヒット飛ばしてたギャグ漫画家が、その後、精神のバランス崩す、
>って話をよく聞くけど、それってなんでなの?
不気味なものに関わっているからだろう?
枝雀は、あまり私生活の話をしなかった人らしく、私もよく知らなかったが、
新刊の『笑わせて笑わせて桂枝雀』は、その辺をよく書いていて面白かった。
>クリシンの「過剰−蕩尽」のパクリなのかもしれないけど。
あれはクリシンがバタイユをパクッたんだな。
ぱくり、じゃなかった、パロディーの面白さについても絞殺してください。
絞殺じゃなかった、考察。
43 :
Hannibal ◆HPBRDkE86A :03/06/16 02:03
>>41 「記憶絵」と一緒じゃないかな。
つまり、元ネタと似ているが別物であるという。
また、元ネタが深刻であればあるほど笑える。
価値の低下という梅原流の解釈もできる。
44 :
考える名無しさん:03/06/16 02:05
笑えんスレだな。
45 :
Hannibal ◆HPBRDkE86A :03/06/16 02:10
>>44 お笑い小咄板か、理系全般板に行ってください。
>>38 > あきらかに優位であるカントやフーコーを読んでも、泣けてこないな。
自分より強い信念をみると感動して泣くことはあるでしょう。
ロジックとしてすぐれていることとは別なのではないかな。
>>39 ギャグ漫画家が笑いをとるには笑ってもらえるように変な精神を提示
しなければならないからかも。
最近、2ちゃんねるに飽きっぽくなってきた
私をいい感じで笑わせてください。
。。。こんな事可能かなぁ。。。
50 :
Hannibal ◆HPBRDkE86A :03/06/16 10:34
>最近、2ちゃんねるに飽きっぽくなってきた
いい傾向じゃないか。
私も、最近つまらんな、このまま2ちゃんねるも卒業できるな等と思いつつ、
ついつい、こんなスレッドを立ててしまった。
笑ってくれ。
あぼーん
あぼーん
あぼーん
>3恐怖に対処するために膨大な心的エネルギーが蓄積されるわけだが、
その恐怖がすみやかに稀釈されたとき、エネルギーは行場を失い、
笑いとなって噴出すると考えるのである。
世界に対して弱者である人間があらゆる心の動きによって恐怖心を
取り除こうとして取り除けない恐怖心が蓄積され、その心的エネルギーの放出が
「笑い」となるか(間違ってたら指摘してください)。
おもしろいですね。心的エネルギーが「笑い」の根本だとしたらそれは感情の
根本でもあり、哲学では扱えない部分のものであるのかもしれません
ベルクソンの『笑い』といえば奥井先生を思い出します。
>>54 どちらかといえば、突発的な異常事態に対して心的エネルギーが蓄積され、
大した事態ではないことがわかって笑う、といった方向で考えていた。
が、つねに強者である世界に人はストレスを感じているという前提も、
ひょっとしたら、あるのかもしれないね。
フロイトの心的エネルギー説は漠然としすぎていて、
現状ではトンデモ学説風に扱われてしまうけど、捨て去るには惜しい。
おそらくは、電気的なエネルギーだろうと予想されるけど。
あぼーん
58 :
考える名無しさん:03/06/16 12:15
ここはチショウくんがない知恵を振り絞って
一生懸命見栄をはり、読んだ事もない本の上っ面を嘘で塗り固めて
なんとかして偉そうに妄想を全開する場所ですか
59 :
Hannibal ◆HPBRDkE86A :03/06/16 12:19
>>58 残念ながら、それは別のスレッドだ。さようなら。
あぼーん
61 :
考える名無しさん:03/06/16 12:23
やっぱりまた嘘か。。。稀代まれに見る天下の人格障害者のなせるスレだもんな。。。
上祐さんも凌ぐという。。。
62 :
Hannibal ◆HPBRDkE86A :03/06/16 12:44
いちいち反応しない方がいいのかもしれないが。
君、何ヶ月も前から、私と誰かとを混同しているようだね。
>>61を読むと、何か大人物になったようで気分いいけど。
63 :
考える名無しさん:03/06/16 13:17
64 :
考える名無しさん:03/06/16 13:18
うーむ、、、Hannibalの言ってる事が全く意味不明なのだが。。。。
65 :
Hannibal ◆HPBRDkE86A :03/06/16 13:23
大人物ってだれだ?w
hannibalとかいう香具師は何か勘違いしてるんでねえの?
早く精神病院出てぇ〜(;_;)
68 :
考える名無しさん:03/06/16 13:27
なんだかスーパー知障がここにいますねwwww
69 :
考える名無しさん:03/06/16 13:29
>>68 それって子供の頃から「知障」っていう綽名で呼ばれてた香具師じゃないの?
家族一家で痴笑なひと。。。
あぼーん
あぼーん
あぼーん
あぼーん
あぼーん
あぼーん
またこのスレでも夫馬のキチガイ発作が止まらないw
なに荒らしてんだ?やめとけ。
一番ウザイのは「fuma」と「fuma叩き」。板にも社会にも何ら貢献していない。
ルサンチマン抱えた単なる役立たずだ。さっさと板から出ていって欲しい。
79 :
考える名無しさん:03/06/16 22:10
>56
フロイトの学説がどうあれ心的エネルギーがあるないはこれまた
あるといえばあってないといえばないものですからねー
>77
ふまって誰だ?どうでもいいが社会に貢献しているしてないってなに?
どういうふうに君が貢献していてどういうふうにふまくんは貢献してないの?
るさんちまんくん
夫馬って発作体質なんだね。
兄弟でそうなんだろうけれども、
家族ぐるみでそうなの?これは遺伝ですか?
だとしたらほんと
悲惨だね
81 :
考える名無しさん:03/06/16 22:41
「笑い」そのものの出所についてはわからないけども
人は笑うことによって意識の格子がはずれて世界との距離
が一気に取り払われることは非常に興味深いと思う。
人間が自分の身体の外にあるものから切り離されてその世界
に対して距離を感じている。これを意識が絶えず外側の世界
との距離を縮めたり離したりすることで自意識という海の
塩の満ち引きが自然なかたちで起こっている。
支配や服従もその自意識の働きによるものだろうと思う。
あいつは俺の下だ〜支配したい〜とかいってるやつみたいにw
笑いはこの距離が喪失して一体性のなかに我々を包み込んでしまう。
だから笑ったあとには爽快感のようなものが残り、回帰への衝動から
笑いを求めるのではないかと思うきょうこのごろ
あぼーん
83 :
考える名無しさん:03/06/16 23:12
知性の欠けらもない発言です。
まさしく「動物園のサル山の猿が餌がほしくてキーキー騒いで
観光客から哀れみの慰みに餌をもらおうとしている」ようです。
72−75さん、飼育員の人に仲良くしてくださいね。
私からみるとこのような人は本当に極めて低い感性と理性を持っていて
肥大した欲望によって自分を律する事ができていないようです。
低い感性を理性の為に欲望の方向が「狂って」しまっているようです。
死んでほしいのぉ? だぁ〜め!! いーや!!
残念ねー。じゃあ「また」お話しましょうね。キャハハ!!キャハハ!!(^v^)
効果の薄いパロディー
かわいい
>キャハハ!!キャハハ!!(^v^)
このキショい笑いが頭にこびり付いて離れないので困ってます。
88 :
考える名無しさん:03/06/16 23:37
卑ろあきのチンポが今たってますよ
ウワッ キショイ!きしょすぎるうううううう
誰かなんか笑い話しようぜ
卑ろあきが今、チンポむいてPCの前たって
そんでもってマウス持って、もう片方でしこってるぜ
ぎゃははははは(見るも壮絶な笑い話
フェティッシュについてでも話そうか
92 :
考えない名無しさん:03/06/16 23:44
わー八八八ははっはhっはっはーーーーーー!
93 :
考えない名無しさん:03/06/16 23:45
1は赤塚さんをどう思うの?
94 :
考える名無しさん:03/06/16 23:45
卑ろたんはAA見ただけでちんこたって、オナレルんだってさ
うわっ史上最悪のオタ的末路!
ぎゃははははあは(なんか笑い話
卑ろあきの話はもういいよ。
ちょっとごめん。事情があってテスト。
どうぞ、気になさらずに続けてください。
97 :
考える名無しさん:03/06/16 23:47
SOPHIA
という6文字のアルファベットを眺めているだけで
もうお汁がにじんでこれるそうです
ほんと。幸せなやつ。。。。
(こわすぎ)
さて、
離したいことがあるなら聴こうじゃないか
100 :
考える名無しさん:03/06/16 23:50
一番ウザイのは「fuma」と「fuma叩き」。板にも社会にも何ら貢献していない。
ルサンチマン抱えた単なる役立たずだ。さっさと板から出ていって欲しい。
あぼーん
>100
まあ、おちつけよ。その怒りの矛先を思考にもっていこうや
白痴には無理だよ
そりゃあ失礼しましたw
じゃあ、本当の白痴どうしのはなしをしよう。
105 :
Hannibal ◆HPBRDkE86A :03/06/17 00:02
私も、自分の考えを整理しつつ順次、書き込んでいきたいが、
>>81さんのご意見に、ほぼ近いかもしれない。
>>93 赤塚不二夫?
『天才バカボン』は、小学生のころの愛読書だった。
今でも実家に帰れば、ページの茶色くなったやつが残っていると思う。
あぼーん
107 :
考える名無しさん:03/06/17 01:13
age
108 :
考えない名無しさん:03/06/17 01:22
読んでますねえ。やっぱ笑いには漫画の影響も大きいよね。
) _ ______ |
| / _\___/ ) |
| // ヽ ー-、__ / | おれが
| | /`ヽ |^`ヽ < へ / 次元のAAだした時
)> ゝ(_| |_) ノ | |r |/ かいくんが
|,| く ~″ /ト_/ タ○コ板はどうしたって
|________________ノ /ヘ/ きいたよね?
ヽ =@ // || それで かいくんは
\ /~ |ヽ タ○コ板にもいってるのかーって
,―――-ヽ___イ______/ | \ ぐわいにな
/ / | ( ヽ | |\_______
/ |冫-く / | \
| || | / | \
_ _ .' , .. .
( ´_ゝ`) _ .- ― .= ̄  ̄`:, .∴ ' ( )
/ '' ̄ __ ヽ´=', ・,‘ r⌒> _/ /
/ /\ / ̄\-―  ̄ ̄  ̄"'" . ’ | y'⌒ ⌒\i
_| ̄ ̄ \ / ヽ \_ | / ノ | ←馬鹿
\ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ \__) , ー' /´ヾ_ノ
||\ \ / , ノ
||\|| ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄|| ̄ / / /
|| || ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄|| / / ,'
|| || || / /| |
!、_/ / 〉
111 :
考える名無しさん:03/06/17 01:32
255 名前:いおた :03/06/17 01:24
オラオララオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラ
ブォァァァァァァッァァッァァァ从从"、; 从
_ー ̄_ ̄从从’, 从"((; 从从")) 从))
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/ ノ  ̄ ̄=_ ` (:: ::人:::人从::::((:: ::人人)) )
/ , イ )  ̄=(("((; 从从")) ー' /´ヾ_ノ
/ _, \ (:: ::人:::/, ノ
| / \ `、 / / /
j / ヽ | / / ,'
/ ノ { | / /| |
/ / | (_ !、_/ / 〉
`、_〉 ー‐‐` |_/
112 :
考える名無しさん:03/06/17 01:37
34 名前:いおた :03/06/17 01:06
ごめんなさい 一さん
/∵∴∵∴\
/∵∴∵∴∵∴\
/∵∴<●>∴.<●>|
|∵∵∵/ ○\∵|
|∵∵ /三 | 三| | / ̄ ̄ ̄ ̄
|∵∵ | __|__ | |< ここの106何が書いてあったんだ?
\∵ | =|=|=_/ \____
/ ̄\_/ \
/ __|
ト1 smap |∴|
|∴| |∴|
(∵)ー――――(∵)
| (∴) |
|___∧____|
|∴∴ | |∴ |
|∵∵ | |∵ |
あほーん
あほーん
/ ̄ ̄ ̄ ̄\
/ <・> ヽ
/ / \ |
(∂| <・> < ・> | / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
ヽ| u "" 〉"" |< ここの あぼーん 何が書いてあったんだ?
| ___ | \__________________
\ /__/ /
/ ̄ ̄ ̄ ̄\
/ <・> ヽ
/ / \ |
(∂| <・> < ・> | / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
ヽ| u "" 〉"" |< ま、まじかよ あボーン全部?
| ___ | よっぽど ひどかったんだな
\ /__/ /
>>118 いゃぁ、本当に酷いもんだったよ。君、見なくてよかったなぁ。
で、何が書いてあったかというと・・・
/ ̄ ̄ ̄ ̄\
/ \ / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
/\ ,へ.__, ,_ノヽ| < そ、そんなにひどかったのか 一体何が・・・?
||||||| (・) (・)| \________________
(6-------◯⌒つ|
| _||||||||| |
\ / \_/ /
\____/ .
ニヤニヤ
ζ
/ ̄ ̄ ̄ ̄\
/ ヘ / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
|,へ.__, ,_ノヽ /ヘ < た、たのむ 教えてくれ 知りたくなってきたわい
|(・) (・) ||||||| もったいぶらずに さあ さあ
|⊂⌒◯-------9)
| |||||||||_ |
\ ヘ_/ \ /
\____/
また今度な。
ζ
/ ̄ ̄ ̄ ̄\
/ \ / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
/\ ,へ.__, ,_ノヽ| < たのむ たのむ たのむ・・・
||||||| (・) (・)| あまり もったいぶらんでおくれ・・・
(6-------◯⌒つ|
| _||||||||| |
\ / \_/ /
\____/ .
127 :
考える名無しさん:03/06/17 22:25
いつの時代にも、様々なものについて「答え」というものが存在する。
しかし、それらは全て何らかの定義、前提の上に成り立っている。
何らかの答えを持っている者は皆、それが成り立つ何らかの定義を、
信仰しているのである。
ゆえに、信仰のないものは、何ものをも知り得ず、
自分の意見というものを持ち得ないのである。
128 :
Hannibal ◆HPBRDkE86A :03/06/18 02:02
趙州和尚に、ある僧が尋ねた。
「如何なるか是れ祖師西来の意」
「庭前の柏樹子」
祖師西来の意とは、達磨が伝えた禅の極意のことだ。
「和尚よ、境(物)で示さないでください」
「境で示してなんかいない」
「如何なるか是れ祖師西来の意」
「庭前の柏樹子」
雲門和尚には、次のような問答がある。
「如何なるか是れ仏」
「乾いた一本糞だ」
価値の高いものと低いものとの短絡であり、笑える条件はそろっている。
実際に笑えるか笑えないかは、人それぞれだと思うが。
Hannibal師匠、「シュールな笑い」ってなんなんでしょう。
130 :
Hannibal ◆HPBRDkE86A :03/06/18 02:09
131 :
考える名無しさん:03/06/18 02:10
なかなか味わい深い言葉ですね
131はスカトロ
133 :
Hannibal ◆HPBRDkE86A :03/06/18 02:26
『臨済録』にある、シュールな笑いを紹介する。
入矢義高訳を参照しつつ、かいつまんで書こう。
ある日、普化が師の臨済を指していった。
「臨済は小僧っ子ながら、いっぱしの目をもった子だな」
「この悪党め!」と臨済。
普化は「悪党! 悪党!」と叫びながら僧堂を出て行った。
またある日、普化が僧堂で生の野菜を食べていた。
「まるで驢馬そっくりだな」と臨済。
普化は驢馬の鳴き声を立てた。
「この悪党め!」
「悪党! 悪党!」と叫びながら、普化は僧堂を出て行った。
最初にこれを読んだとき、マルクス兄弟を思い出した。
>>133 仲間内でそういう「罰ゲーム」よくやってます。
135 :
考える名無しさん:03/06/18 20:36
「笑いは緊張の緩和だ。」と桂枝雀さんは言ってました。
私たちは現実と付き合うために常に緊張をしています。
遅刻しないで会社にいけるかとか、
変な格好はしていないかとか、
今、この仕事をしている自分は間違っていないだろうかとか、
周りとうまくやっていくためには、その場の雰囲気に合わせて
気を使って緊張していないといけません。
そういう時に、その緊張を解放できる瞬間が突然やって来ます。
皆が真剣な話をしているときに、誰かが目の前ですべって転ぶとか・・・。
真面目に議論している場が崩れます。
緊張を強いられていた現実が一瞬崩れて、緊張が解放されます。
その時が笑う時です。
笑いは喜びの我慢できないやつです。
137 :
考える名無しさん:03/06/18 20:43
具体的に言うと?
<ネタふり→ボケ→ツッコミ→笑い>
この過程で、一体なにが起こってるのか教えてくれぃ!
>具体的に言うと?
これ以上具体的に言えないし、言う必要もない。
140 :
考える名無しさん:03/06/18 21:40
ネタフリが、ボケに常識から外れた言動をさせるために、
ボケがボケれるようなネタを振る。
それに乗ってボケは、ボケて常識から外れた言動をする。
常識の側にいる客は、常識を揺さぶられて緊張する。
客はそれはおかしいんじゃないか、間違っているぞと思った瞬間に
ツッコミが「おまえはあほか。おまえがまちがっとるんじゃ。」と
常識の側からボケを攻撃する。
その攻撃に客は安心して緊張が緩和する。それが笑いとなる。
バタイユの『非−知』に、笑いについての記述があるのを思い出した。
我々を笑わせる何かは、知られていない(未知)のではなく、
知りえない(不可知)のではないかとバタイユはいう。
それぞれの認識を安定させている言語の格子を取り外したとき、
そこに現れるのはブヨブヨした不定形の何ものかである。
その何ものかに我々は笑い、また恐怖するのだろう。
私(バタイユ)の哲学とは笑いの哲学であり、
「もし私が笑いとは何かを知ることができれば、私はいっさいを知り、
さまざまな哲学の問題は解決したことになるだろう」と
考えたことがあったとさえいっている。
142 :
Hannibal ◆HPBRDkE86A :03/06/18 23:32
あくまで「考えたことがあった」と述べているだけなのだが、
このスレッドを続ける勇気も湧こうというものである。
>>135 >>140 スレッドの最初から読んでいただけたら、ありがたい。
____
/∵∴∵∴\
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|<@>∵/ ●\∵|
|∴∵ / | | / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
|∵∵ |\__/| | < がんがれチショウくん・・・・・・・・・・
\∵ | \__ノ .|/ \____________
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│ ∴∵━━○━∴│
144 :
Hannibal ◆HPBRDkE86A :03/06/19 02:45
ある夜、薬山和尚は山に登り、雲の間から月が現れるのを見た。
和尚は大笑し、その声は十キロ四方にとどろいた。
翌朝、その声に驚き薬山に集まった村人に、弟子たちはいった。
「それはゆうべ、山で和尚が大笑いした声だ」
バタイユがしばしば語る「体験」とは、そのような体験ではなかったか。
145 :
考える名無しさん:03/06/19 03:35
/∵∴∵∴\
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|∵∵∴∵<<<<<<<@>>>
<<@>>/ \∵|
|∴∵ / ДД | | / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
|∵∵ |\__/| | < ゴキゲンヨウ!
\∵ | \__ノ .|/ \____________
\|___/
━━∞━
\∴∴/ チショウ!!
\ /  ̄ ̄ ̄ ̄∨ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
mドピュッ
C|.| /⌒⌒⌒ヽ/~ ̄ ̄ ̄ ̄ヽ
/⌒ヽ⌒ヽ___ | ∴ヽ 3 )
./ _ ゝ___)(9 (` ´) )
/ 丿ヽ___,.───|彡ヽ ―◎-◎-|
_/ ) ( Y ̄ ̄ ̄ ̄)
(__/ \____/
↑
藁わせてもらいましたw
147 :
考える名無しさん:03/06/19 21:01
人間以外の動物は笑わない。
人間だけが笑う。
わたしも藁いますw
149 :
Hannibal ◆HPBRDkE86A :03/06/19 21:11
不定形の何ものかがあって、天地に先立って生まれた。
「吾その名を知らず。これに字(あざな)して道という」
我々を笑わせるものを、老子のいう「道」と考えてみてはどうだろう。
『道徳経』の第41章には次のような言葉もある。
「下士は道を聞けば、大いにこれを笑う。笑わざれば以って道と為すに足らず」
>>149 言ってる事がなんだかさっぱり意味が分りませんw
151 :
Hannibal ◆HPBRDkE86A :03/06/19 21:16
>人間以外の動物は笑わない。
>人間だけが笑う。
人間だけが言語をもっているからだと思う。
ワハ〜ン?。
こいつにはほんとに藁えるw
/ ヽ |
/ ゙、 .|
,' , 、j i |
,' レ''/'/ jノVリ .|
| イ / l |
| ,' ● '、 |
! l .、、 > |
| i _、 ノ ちゅぱちゅぱ
| | ( ゛ゝ、へv-、|
,i 入 ├ー '´ ヽ、_,,ノ ゙〉 | fゝ、_
| / \|ト、 {ヽ__ノ /
| / `\ \ ノ
| j / ヽ i /
| ノ / i | |
155 :
考える名無しさん:03/06/19 21:37
しもネタか。
ギャップの笑いでもとろうっての?
156 :
考える名無しさん:03/06/19 23:12
人間だけが笑うのは、人間だけが自然から切り離されていて
自然から浮き上がっているからかな。
動物は本能のままに行動すればちゃんと生きていけるから、
あれこれ悩んだりする必要がない。
いわゆる、自然体で生きていくことができる。
しかし、人間は社会という共同幻想を作り上げ、
その共同幻想を受け入れて社会に参加するという形でしか生きていくことができない。
人間が生きていくと言う事は、なんだかよく分からない約束事をいっぱい守っていくこと。
人間は生きるためにいろいろと苦労を重ねなければならない。
人間が自然体ではなく、窮屈な約束事をいっぱい守りながらでないと生きていけない
という条件が、笑いを生むことになる。
157 :
考える名無しさん:03/06/19 23:30
笑いとは「逃げ」と江川達也が書いたの読んだけど。
ハンニバルの言う「希釈された恐怖」と同じかな。
私は恐怖からの逃げって無知の恐怖から逃げることだと思ってるけど。
馬鹿だから笑うのか馬鹿だから笑われるのか。
相手の無知が恐いのか自分の無知が恐いのか。
相手を馬鹿にしているときの自分の状態って賢いのだろうか。
余裕が有るのだろうか無いのだろうか。
なるほどぉ。
>>156 馬鹿馬鹿しいことに振り回される自分が馬鹿馬鹿しくて
笑わずにいられないというところかな。
なんかむなしさに似てる。ニーチェの笑いもそうかな。
世界と自分のどちらがお笑い種なのかなあ。
にしても、態度は笑いに限られないよね。
余裕があるから笑いを選ぶのか。余裕が無いから選ぶのか。
狂人の笑いって言うけど、夜中の笑い声は雷より恐い気がする。
159 :
Hannibal ◆HPBRDkE86A :03/06/20 01:34
>>156 共同幻想が大きく壊される状態が恐怖で、小さく壊される状態が笑いであると思う。
>>156さんの「共同幻想」を、
>>151では「言語」といってみた。とすれば、
>>157 笑いは恐怖からの「逃げ」ではなく、恐怖に、
「吾その名を知ら」ざる何ものかに一歩、近づいているのだ。
夜中、無人のはずの隣家から啜り泣きが…より
無人のはずの隣家から笑い声が、の方が恐いね。
160 :
考える名無しさん:03/06/20 01:36
赤ちゃんも笑うけど、赤ちゃんにも共同幻想があるの?
162 :
Hannibal ◆HPBRDkE86A :03/06/20 01:52
>>161 いい質問だ! 誰か答えてくれ。
「吾その名を知ら」ざる何ものかに触れて、笑っているとは思うんだが…。
163 :
考える名無しさん:03/06/20 22:02
教えてもらってばっかりで、スマナイけど、
冗談がスベッた時なんかに、聞き手が感じる「寒い」っていう感覚は、
笑いと直接関係あるんでしょうか?
あと、話して側としてスベッた時に感じる、
あの、いや〜な感覚、何とかならないでしょうか?
164 :
考える名無しさん:03/06/20 22:21
>>161-162 赤ん坊のときだけでなく、胎児も笑うそうです。
生理的な微笑であり、筋肉の緊張と弛緩とによるものと考えられています。
ヒトの親では、この子の微笑に対して微笑を返すことが多いようですが、
クロショウジョウでは、そういうことは起きないらしいです。
165 :
考える名無しさん:03/06/20 22:28
筋肉の緊張と弛緩が、笑いの「緊張と弛緩」の元型なんですね?
ってことは、人間以外の動物も笑うってことですか?
クロショウジョウてなに?
166 :
考える名無しさん:03/06/20 22:40
>>165 生理的微笑は、ふつうにいう微笑・笑いとは、基本的に関係なかったような記憶。
類人猿、サルあたりくらいしかできなかったような。
それに対して、微笑はオオカミなんかもしますよね。
笑いは、類人猿はしますが、他の動物がするかはちょっと解りません。
微笑は、劣位個体が自分より立場の高い個体に対して、こび・へつらいで出すものです。
笑いは、リラックスしたときのものですね。
ヒトの場合は、微笑と笑いとは、混在して区別できません。
クロショウジョウ = チンパンジー。
167 :
考える名無しさん:03/06/20 23:50
攻撃の意図はないという表明ですね。
>>166 しかし、人間において笑いは、攻撃足りえますね。
嘲笑、哄笑などがありますね。
それはそれとして、どうしようもないことほどおかしい気もします。
後から見れば苦しいことほど笑いの種でしょうか。
これは苦笑ですね。おかしい笑いに、自意識不在を感じます。
おかしいという言葉もおかしいですね。可笑と書くのは不思議な感じです。
笑いは人間に固有のものである、
というアリストテレスの言葉を素直に信じていた!
勉強はしなきゃいけないな。
169 :
Hannibal ◆HPBRDkE86A :03/06/21 00:23
ナイフや拳銃をもった人間が近づいても赤ん坊は恐がらないだろう
(笑うかもしれない)
また、赤ん坊が泣くのは恐いからではなく、不快だからと考えられる。
けっきょく、赤ん坊にとっては恐怖は存在しないのではないか。
名を知らざる「それ」に触れたとき、凡夫は恐怖し、
和尚と赤ん坊は笑うんだろう。
>>169 すまん。書き落とした。
童(ワラハ)は笑(ワラフ)と共通の語源をもっているらしい。
ところで、犬って笑うんだけど、どうして?
>>169 そうだね。人間の赤ん坊は身体的に未熟で身を守ることをしらない。
「怒る」「脅える」もない。
>163
「冗談じゃない」と置き換えても通じそう。
>>163 確かに笑いは攻撃となりうる。笑われることは屈辱的だ。
では、なぜスベッて笑われないことが屈辱的なのだろう。
笑いとは直接、関係ないのかもしれない。
175 :
Hannibal ◆HPBRDkE86A :03/06/22 00:07
バタイユの蕩尽理論じゃないけど、
共同幻想とは破壊されるためにつくられるのではないか。
しかし、その破壊の意味するところは恐怖であり、死である。
そこで小さく破壊することで笑い、快感を得る。
>>54さん、
>>156さんの仰るのは、そういうことだと解釈する。
赤ん坊が共同幻想もないのに笑うのは、単に快いからか?
「オーガズム」ってのは「小さな死」という意味らしい。
>>157 人間はいろんな約束事にしたがって生きている。
その約束事も時・場所・場合によっていろいろと違っている。
人間はその場その場でそういう約束事を守って、その場に合わせて行動している。
場に見合った行動をする為に、緊張もするし気も使う。
そうやって気を使ってその場に合わせているときに、場の約束事が破られ、
場が崩れる瞬間が来るときがある。
その瞬間、人間はそういう約束事を守る緊張感や気苦労から解放されて笑う。
・・・
こういう感じのことを書きたかったのよ。
桂枝雀さんの「緊張の緩和」説は、
「緊張」を「社会という共同幻想に付き合うための緊張」って意味に解すれば
結構あたってると思う。
>>159 共同幻想が崩された時の反応はそれぞれでしょう。
恐怖も不安も怒りも悲しみも笑いもあるでしょう。
共同幻想が崩れた結果、自我が不安定になった場合には否定的な反応をするでしょう。
例えば、自尊心が傷ついて自我が不安定になった場合などは怒りや悲しみになるでしょう。
共同幻想が崩れても、自我の安定が揺るぎない場合は笑いになるでしょう。
また、例えば、共同幻想が崩れた時に、
誰かが怪我をしたり骨折したりして別の緊張が生まれれば笑う事はできないでしょう。
179 :
考える名無しさん:03/06/22 01:10
>>161 >>164 観念ができてからの人間の笑いと、観念を持つ前の笑いや動物の笑いは
区別した方がいいんじゃないかと思う。
笑い自体は筋肉の弛緩した状態だろうと思うから、赤ちゃんも胎児も動物も
笑った顔になる事はあるだろう。
しかし、それが観念に従って「おもしろい」と思って笑うのとは意味が違うでしょ。
観念が関与しない「笑い」はここでいう「笑い」とは別のものでは。
(赤ちゃんは観念に基づいて笑う事はあるかもしれんが・・・。)
苦笑、嘲笑ではなくて開放の笑いですね。
緊張からの開放ですね。了解しました。誤読申し訳ない。
>>177
いえいえ。私のほうこそ言葉足りずですみません。
>>163 笑いは現実からの解放の笑いです。
冗談がすべる時、冗談を言った人は、
それによってその場の約束事を壊し、皆で現実からの開放感を味わおうとしたのです。
しかし、それに失敗した。その場の約束事を壊す事ができなかった。
そうなると、聞き手は現実と付き合うための労力を依然必要としているだけでなく、
解放の期待が裏切られ、スベルという新たな緊張まで引き受けなければならなくなります。
そのスベった緊張を投げ捨てるために、スベった人に対する非難を込めて
「寒ッ!」と言うのではないでしょうか。
笑顔は筋肉の弛緩した状態。
笑いは「現実からの解放」「緊張の緩和」。
現実から解放されるから、緊張が緩和されるから、筋肉が弛緩する。
挨拶などでの笑いは、「緊張が緩和した状態」であることを
相手に示すためのもの。
相手に対して、こちらが緊張していないことを伝えるためのもの。
つまり、
「敵意がありません。警戒していません。」ということを示している。
薄めるのは、近づき慣れ親しみたいからというわけかあ。
つまり、接近というわけだね。ホメオパシーに似てるな。
毒薬を薄めに薄めて薬に変えてしまうところがね。
確かにそれもあると思う。でも、逃げもあると思う。
小さくちぎってゴミ箱に入りやすくするという意味の恐怖の希釈ね。
それも自分好みの恐怖に近づくためだと言われたらそうかも。
つまり、逃走の真の目的は接近で、接近が逃走を抱いている。
ということ。それがハンニの唱える笑いに含まれる目的かな。
>>159
156さんのは「現実→解放」で、私のは「接近→恐怖」となり、
やや強調の置き方が違うのかな。
で、157さんのは「現実→逃げ→接近→恐怖」となるだろうか。
誤読だったら、すまない。
ハンニバルさんの「接近→恐怖」は「近づいたら恐かった」ではなく
「恐怖に近づく」という意味ですね?
どちらにしても、私のはこうかな。
「恐怖→逃げ→接近→現実」
なんかありがちですね。
で、ここまで眺めてみて
「緊張≒恐怖≒苦痛」→「笑い」→「希釈≒緩和」→「逃げ、接近、解放」
と思いました。どうでしょうか。
「希釈≒緩和」が「笑い」に一番欠かせないと思います。負の方向を向くと
「緊張≒恐怖≒苦痛」の強化ですね。
あと、笑いには「余裕」も欠かせないと思うのですが、どうでしょう。
ある意味、力の表明ですね。苦笑はその失敗。嘲笑哄笑はその軽視。
といったところです。動物は笑いで力を誇示することはあるのでしょうか。
188 :
考える名無しさん:03/06/23 22:21
大学は単位制高校同様に無学年であり途中留年はなく
途中留年は違法である
途中留年経験者は大学に1回に付き200万円の損害賠償を請求できる
大学は謝罪して慰謝料と学費下宿代を加えて計300万円返還せよ
189 :
Hannibal ◆HPBRDkE86A :03/06/23 22:59
>>187 私は、どちらかといえば
「日常≒緊張」≠「恐怖≒笑い≒名づけえぬもの(真理?)」
といった線で考えていた。
いや、この式でもうまく云い表せていない。
ゆっくり考えながら、レスをしよう。
恐怖はもちろん緊張だから、上の式はうまくない。
私の「稀釈された恐怖」説は「緊張の緩和」説に似ていると思ったが、
実は、うまく嵌めこむことができないのかもしれない。
>ハンニバルさんの「接近→恐怖」は「近づいたら恐かった」ではなく
>「恐怖に近づく」という意味ですね?
その通り。私の書き方が悪かった。
>>156さんは「現実=緊張」に強勢を置き、日常的な緊張を問題にしているようだ。
私の方は主に「恐怖に出会ったときの緊張」を問題にしている。
>>157さんは、どちらだろう。
「現実≠恐怖」なのか、「現実≒緊張≒恐怖」なのか。
ひとまず自説を補足するために、「緊張の緩和」説から少し離れてみる。
禅語に「竿頭進歩」というものがある。
百尺の竿の先にじっと坐っていられたとしても、まだまだ本物ではない。
その竿の先からさらに一歩を進めて、十方世界に自己を現ずべし。
これについて道元は述べる。
イカニモ、百尺ノ竿頭ニ上ッテ、足ヲ放タバ、死ヌベシト思フテ、
ツヨクトリツク心ノアルナリ。
竿頭から一歩を進めるならば、あとは墜落するしかない。
五体は地に打ち当たり、言語の格子は粉々に砕け散るだろう。
それに恐怖し、我々は「言語」やら「共同幻想」やらにしがみついている。
思ヒキリ、身心トモニ放下スベシ。
竿頭の一歩先に、我々は死の世界を想像してしまいがちだが、
実は、
>>144に見るような薬山和尚の笑いの世界が広がっているのだ。
193 :
Hannibal ◆HPBRDkE86A :03/06/24 02:42
薬山和尚が笑うからには、何ものかが恐怖を稀釈しているのだ。
その何ものかとは、文字通りの「覚悟」なのだろう。
>>187 >あと、笑いには「余裕」も欠かせないと思うのですが、どうでしょう。
もちろん余裕がなければ、単なる恐怖になってしまう。
薬山和尚の場合なら、余裕を生むものは「覚悟」だろうと思う。
「現実≠恐怖」の態度は理想ですね。つまり、笑いを通じてその理想形
に近づく。それが「恐怖から現実へ」の趣旨です。で、ハンニバルさん
の「恐怖≒笑い」が、笑いと恐怖が限りなく近づいた状態なら理想形
だと思います。つまり、「恐怖≒笑い→現実」「現実=恐怖→幻想」
という感じですね。たいていは「現実≒苦痛≒恐怖≒緊張」だから、
距離をとって余裕を回復する笑いが一般的だと思います。
それに比べるとハンニバルさんの笑いは、かなり大人の理想的な笑い
であると思います。「恐怖→笑い→余裕」→「恐怖≒笑い≒余裕」
という感じですかね。移行には、かなり修行が必要な感じがしますね。
過去の恐怖が笑い話ということは、一般的によくあります。まあ、
時間がかかるということでしょうか。
希釈というのは時間を経て間隔が縮まる(薄まる)ことかもしれませんね。
ある意味希釈とは修行ですね。繰り返せば近づくということでしょうか。
>>193
親愛の情をあらわしたい時や相手に対して敵意がないことを示すとき、笑顔をつくりますよねえ。
相手に“笑い”に伴う心の状態(=リラックス)を想起させるためでは?
笑いとリラックスが基本的なセットで、緊張や恐怖の緩和、ズレの修正、記号としての笑顔などは、
効用かと。
リラックスしたい場面や、相手よりリラックスしている様に見せかけたい場面で笑う。
場面は文化によって異なるかと。大雑把すぎ?
例えば文化によって、先に相手を笑った人のほうが上位に立つルールだったり、
面白いほうがえらいという価値観のなかでは、「寒い」と宣告したほうが上位だったり。
そして、自分の理解能力の無さを棚に上げて、「さむ〜い」って言う人は本当にやだ。
>>195 私としては、とくに「大人の理想的な笑い」を考察したかったわけではなく、
リラックスする笑い、苦笑、嘲笑なども192-193のような笑いから
説明できないだろうか、などと目論んでいる。
もちろん、いまのところ説明不足、考察不足なのは認めなくてはならない。
ただ、非常に馬鹿々々しいナンセンスな笑いというのは、
意外に192-193の笑いと近いところにあるのではないだろうか。
どちらかといえば私は、非日常的な恐怖体験がいわゆる「悟り」の契機となる、
つまりは「日常≠恐怖」という文脈で考えていたのだけれど、
恐怖の種は日常に転がっており、いいかえれば悟りの契機も日常にいくらでも
転がっていることになる。
「日常≠恐怖」とするのは極論、というより誤りであると考え直している。
いま思いついた思いつきを書けば、笑いとは「死の練習問題」であり、
「悟りの練習問題」なのではないだろうか。
>>196 といったわけで、私はいまだに「笑いと恐怖」を基本セットとして考えている。
200 :
Hannibal ◆HPBRDkE86A :03/06/30 10:46
さりげなく、200をgetしてみる。
201 :
考える名無しさん:03/06/30 11:57
鶴瓶 生放送中にモロ出し
28日午後6時から生放送されたフジテレビの「FNS27時間テレビ」で、
29日午前2時18分ごろ、笑福亭鶴瓶(51)が、自分の局部を露出してしまうというハプニングが起きた。
当時、番組は「さんま&中居の今夜も眠れない」と題したコーナーの最中。
その途中、長崎県の飛島(とびしま)を訪問していた鶴瓶とココリコに中継をつないだ。
だが、鶴瓶は島民との交流会で酒を飲んだ後で、熟睡。スタジオの明石家さんま(47)と中居正広(30)が、
鶴瓶に向かって「起きて!」と懸命に呼びかけたため、目を覚ましたものの、寝ぼけており、
ビキニのパンツを下げたままカメラの前に立ってしまった。
映像は瞬時にスタジオに切り替えられたが、中居も、さんまもぼう然。同3時37分には高島彩アナ(24)が画面に登場し、
“不適切な映像”について謝罪。同局広報部も「ハプニングとはいえ、視聴者に不快な映像が流れてしまい、心からおわびします」と平謝り。
同局への抗議電話は150本以上に達したという。
当の鶴瓶はその後も画面に登場したが、深く反省したためか、それとも自己嫌悪からか、終始しょんぼり。
番組のエンディングでは、ロケ先で周囲の出演者たちが缶ビールを手に盛り上がる中、一人だけオレンジジュースを手に苦笑いを浮かべていた。
鶴瓶は1975年にも東京12チャンネル(現テレビ東京)で局部を露出してしまった“前歴”がある。
なんとなく落ち着いてしまいましたが。
ハンニバルさんは恐怖の正体をそのまま笑いだと捉えているのでしょうか。
もしくは、ほかのものとして捉えていますか。よろしければ。
「恐怖とは何か」に対する現在の見解を聞かせてください。
>>200
現在の見解もなにも、あまり変わっていない。コテは変えたんだけどね。
恐怖と笑いが、程度の違い(?)だとしたら、
その境目ってのはどういう風に決まるんですか?
205 :
大伴清麿 ◆HPBRDkE86A :03/07/12 00:01
笑いが稀釈された恐怖なら、恐怖は濃縮された笑いである。
もちろん「恐怖」の方を定義しなければ、何もいったことにはならない。
恐怖の延長上には、やはり「死」があると思う。
206 :
大伴清麿 ◆HPBRDkE86A :03/07/12 00:04
>>204 難しいね。それぞれの境涯によるのでは?
人それぞれの、許容量、致死量、ってとこですかね?
用法・容量によっては、毒にも薬にもなるとか。。。
209 :
大伴清麿 ◆HPBRDkE86A :03/07/12 00:08
致死量! いいね、この呼び方。
210 :
考える名無しさん:03/07/12 00:51
211 :
考える名無しさん:03/07/12 01:11
それらの違いというのは例えば
大雑把に関東、関西で笑いのセンスに差異があることから分かるように、
個々人の文化的環境に依存してるものとも考えられるね。
それぞれが作り上げてきたそれぞれの雑多な観念の体系によるということだから、
要するに笑うかどうかは個々人の持つ観念体系がそれらを恐怖の対象であると捉えられるか否かということか
212 :
考える名無しさん:03/07/12 01:27
それにしても、
ちょっとこのスレの主旨からはズレちゃうかもしれないけども、
笑いにとって欠かせない、いわゆる「間(ま)」とは
いったいどのように点在するものなんだろうか?
「寒い」の種としては、実際にやったことが面白くもなんとも無い場合と、
やったことに関わらず、「間」が極めて悪い場合に大別できるのではと思う。
また「笑い」が「恐怖の希釈」「緊張の緩和」であることに当てはまるとしても、それは必要条件に過ぎず
重大事が避けられたときの「安堵感」や、好奇心などの高まりから単なる「拍子抜け」に終わるなどして
その重要度に関わらず、必ずしも恐怖がやわらいだり、緊張が緩和したりすることが、
「笑い」につながるとは限らないというのも、ある意味ではこの「間」が関係しているという気がするのだが、
どうだろうか。
変=可笑しい
214 :
大伴清麿 ◆HPBRDkE86A :03/07/12 02:22
間=魔
をかし 犯し 侵し 冒し
いやあ。日本語は可笑しい。しかし、ソクラテス流にいえば
恐怖とは無知ということになります。実際は、知っていることによる恐怖。
知らないことによる恐怖があり。知も無知も知らないとすら分からない
状態なら、たぶん恐怖は無いでしょう。赤子のときや寝ているときに
殺されかかっても、多分恐怖はありません。認識から言えば、
そのこと自体が恐いことかも知れませんが。さて、死が恐いのは
それを知るがゆえか、知らぬがゆえか、知り得ぬがゆえか。
どちらにしろ、死が恐いという情報が既に存在するのは解せないことです。
今年はこの番号が流行りませんように。
217 :
考える名無しさん:03/07/12 10:07
間を意識するのは日本固有かな。
218 :
考える名無しさん:03/07/13 05:21
コンピューター対戦の将棋やってるんだが勝てない。
219 :
考える名無しさん:03/07/14 10:42
恐怖とは無知でありそれは笑いに価する。
とまとめてみても、脳内のことで釈然とせんところがある。
知れば知るほど恐くなるなら、脳内以外の問題だろう。
その仕組みを把握してもそのまま支配できるわけではないからな。
しかし、ドロンボーを笑うことができても、長崎事件は笑えない。
後者を心の底から笑えるならニーチェを軽く飛び越してるだろう。
220 :
考える名無しさん:03/07/14 10:43
けろんえろんけろんえろん
赤ちゃんって泣くことで人に相手にされなくなると笑うようになるらしいけど。
これって笑いの謎を解く鍵にならんかな。
時々大爆笑してる赤ちゃんとかいるよね・・・
確かに深い謎がありそうだ。
そういえばサカキバラも幼少時、かんしゃく笑いを発したそうだ。
触れてはいけない恐いものがそこにありそうだ。
>>221
223 :
考える名無しさん:03/07/14 23:55
アパートに住んでいるのですが、二階の人の爆発音のようなオナラの音が聞こえます。
__∧_∧_
|( ^^ )| <寝るぽ(^^)
|\⌒⌒⌒\
\ |⌒⌒⌒~| 山崎渉
~ ̄ ̄ ̄ ̄
225 :
大伴清麿 ◆HPBRDkE86A :03/07/16 02:17
保守age
226 :
考える名無しさん:03/07/18 23:49
笑いとは言わば不確実で分かりえないことと、当然で何でもないことの中和点ではないか。
その点を逸脱することで恐怖を感じ、及ばないことでつまらないと感じる。
ゆえにその点は微妙で安定性がなく、個人によって異なり、場によって異なったりもする。
ホラーよりコメディーのほうが制作上、高度であるというのもその変動性の問題ではないか。
当然、なんでもない話を語るのが簡単なのは言うまでも無い。
とすれば、長崎事件を笑い飛ばせる段階で超人的なのかもしれないが、
ごくごくありふれたことだと気にも留めない人間こそ恐ろしい。
227 :
考える名無しさん:03/07/18 23:55
チャップリンが自伝で、
「悲劇がかえって笑いの精神を刺激する。その理由は、笑いとは反抗精神であるからである」
と『黄金狂時代』について言及してた。
確かに、この映画は現実にあった悲惨な話を笑いに転換しているが、いかがなものでしょう?
ぢつは恐怖とエクスタシーは同根で、
だからそこで笑うというのはどうでしかね
229 :
考える名無しさん:03/07/19 00:45
気が触れたヒトが、例えば、
「ケタケタ」とか「グフフ」とかいう風に「笑う」のはなぜだろう。
こりゃ死ぬなと瞬間的に思った大事故を起こしたことは有るが笑っていなかったと思う。
あれは恐怖じゃないのかな。ある物質で絶望的な地獄のどん底のような体験もあるが
笑えなかった。
231 :
大伴清麿 ◆HPBRDkE86A :03/07/19 01:28
232 :
考える名無しさん:03/07/25 23:48
変な顔や体格で笑う。
他人が本気で痛がっているのを見て笑う。
他人の不幸が痛快。
精神異常の言動を見て笑う。
自分の失敗を思い出して笑う。
自分や他人の頭の悪さに笑う。
う〜ん・・・ベルクソン・・・
234 :
考える名無しさん:03/07/26 00:22
ご長寿クイズを見て笑う。
中高年が綾小路きみまろの漫談で笑う。
起源は動物の本能で、身を守るために相手を威嚇する行為だって聞いた
ことがあるけど。確かに人に反抗するより、あいそ笑いしてた方が
安全な気がする。
237 :
考える名無しさん:03/07/26 00:30
>232さんへ
うん。
そういう心理って絶対だれのなかにもあるよっ。
だって昔はそれを公に笑いものにしてたよねっ。
だからひとまとめで言う教育があるんよね。
238 :
考える名無しさん:03/07/26 00:57
ユーモアというものはどこからくるか
それは俺たちの内にある”よいもの”が
いつでもどこでも飛び出してくるってことだろう
俺たちはその中で落ち着いて座っていることだってできる
>>237 笑いものにしてたと言うと人を小馬鹿にしてるようで感じ悪い。でも笑っちゃう。
お笑い芸人や喜劇役者が変人を演じたり、作られた変な顔は笑えるのに
リアルにオカシクてリアルに変な顔は笑っちゃいけないような道徳に反するような
罪悪感。ガキの頃近所の知的障害者とよく遊んだ。意味不明の、天才的な
ギャグを連発するのが面白くってしょうがなかった。その子が地面に書く絵も
天才的で独創的創造性に富んだ、何を書いているのか分からないものが
多かった。その絵は何?と聞いた時に帰ってくる説明も面白かった。今彼は何やってるんだろう。
それから近所に住むシャブ中のおばちゃんを見てよく笑った。ハエが手をこすり合わせてる
ような動きをしながら玄関前に立って何かぶつくさ言ってた。
天然と虚構
240 :
考える名無しさん:03/07/27 01:05
道徳的な価値観と笑いはまったく無関係で、別の座標軸だ。
道徳的座標軸で笑いを捉えれば、
心暖まるユーモアは認められ、
非モラルな笑いは否定されるという、ただそれだけ。
笑いは道徳性に囚われず、
ただ「変なもの」に対して発動するだけだ。
道徳に著しく反しているがために笑えないギャグがあるのは、
予想されるであろう反発から起こる恐怖によって、
笑いの中和点を恐怖側へ超えてしまうがためだ。
あれはタブーという名の恐怖。
つか、まぁ、ここではどうでもいいじゃんということが言いたい。
241 :
考える名無しさん:03/07/27 01:18
無関係と言っている割には、道徳と笑えないギャグの関連性を説いているな。
242 :
考える名無しさん:03/07/27 01:34
赤ん坊はなぜ爆笑しながら生まれてこないのか?
生理的に無理なような気がする。
244 :
考える名無しさん:03/07/27 01:56
「死が恐い」というのは「ヤリタイ」と同格で扱える代物で、
根源的には本能としてその地盤が築かれているものであり、
その上へ、現実に様々な死の状況から負のイメージが折り重なっていき、
今日の人間のやや複雑となった「死が恐い」という感情を抱かせているのではないか。
高いところに目隠しで連れてこられて、
いきなりはるか下方を見せられたら、誰だって足がすくむ。
ナイフを持った変質者にバッタリ出会ったら身震いがする。
痛い云々の前に「死ぬかもしれない」と感じさせるような一瞬を提供されると
我々は自動的に恐怖を感じる仕組みになっているのだ。
つまり、それらは根源的に体が知ってる恐怖であり、認識を超えたもので
おそらく、知ってる、知らない恐怖には分類不可なものだ。
また恐怖の理由として、上乗せしてきた様々な死に対するイメージそれ自身に
恐怖を感じる面もあるので、ある意味ではそれは「知らない恐怖」にもなりうる。
つまり、死は体験した上で死の恐るるべき点を知り、「死を恐れる」ことはできないのであるから、
(「死にかけた」では全く異なってしまう)
あくまでそれらは根源的な恐怖を除けばイメージに過ぎない。
つまり「知らない」のだ。
状況によっては死のためらいのない人間、「武士」なんかは死よりも恥を恐れて生きた人々だから、
根源的な恐怖を上乗せのイメージで覆い隠したうえで、実際に腹を切ることができたわけで。
勿論、彼らにとっても、恐れることの程度として、いくらかの死にたいする恐怖はあっただろうけども、
いずれにせよ上乗せしたイメージによる恐怖というのは可変的であくまでイメージ。
いや、しかし「知っている」と思い込んでいる場合には、
それはひょっとすると「知っている恐怖」になるんだろうか?
245 :
考える名無しさん:03/07/27 02:01
>>244 根源的という言葉をなくすとこの文は読みやすくなる。
「死が恐い」というのは「ヤリタイ」と同じように
本能に基づくものであり、
とか、だめ?
恐怖を笑いについてという名のスレッドで哲学することの面白さを認めて下さいませ。
>>246 そういうスレッドです。
でも、いつの間にか良スレ?
____
/∵∴∵∴\
/∵∴∵∴∵∴\
/∵∴/ヘニヾ ノヘ|
|∵/ ''=・=',i i.'=・=''| / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
(6 ./ | |`ヽ | < ・・・涙、か・・・
| / rl_.| ヽ| \_________
\ ,r-ー-、 /
\ _ ¬
↑ほかのスレで見つけたAAですが、笑ってしまいました。こんなくだらないもので笑える人と
笑えない人と何が違うんでしょうか。
250 :
考える名無しさん:03/08/06 22:18
こう考えてみたらどうだろう。
どのようにすれば効果的に人を恐がらせることができるか。
笑いに通じるものがあると思う。
251 :
考える名無しさん:03/08/06 22:22
>>244を受けて言うと、
どのようにイメージの上乗せをするかということだね。
でもそれってイジメではないかな。
>>250
252 :
大伴清麿 ◆HPBRDkE86A :03/08/06 23:41
>>250 うん。これは追求したいね。
板違いかもしれないけど、笑える小説というのは中々ない。
ジョーゼフ・ヘラーの『キャッチ-22』が思いつくくらい。
怖い小説というのもけっこう少ない。
シャーリイ・ジャクスン『山荘綺談』と岡本綺堂くらいか。
まあ、ハードルを低くすれば、いくらでもあるかしれんけど。
笑える小説と怖い小説には、長編では成功しにくいという共通点もある。
254 :
大伴清麿 ◆HPBRDkE86A :03/08/07 04:43
>>253 ホリケンとか香取慎吾って、つまらんのよね。
はじめから非常識、シュールを狙ってくるから。
>254
そうなんですよ。前提となる共通了解事項めいたものがないと
何がどうゆう作用でおもしろくなったか解らないんですよね。
やはりそれは常識だと思うんですけど。
>>38 失敗とかそういう間抜けなものって笑えるやん?
間抜けってなんなのかよく分からんが。
どうして笑い話が笑い話足りえるのか?
その話の中に悲劇があるから Byはらたいら
笑いの構造も恐怖を感じる構造も、似通ってるもんな〜
常識が非常識によって破壊されたり、解体されたり。
しかしそう考えると人間の喜怒哀楽すべて、常識からの逸脱、跳躍
から発せられてるように思えてくる。人間にとって恐怖が感情の中で一番
根源的と思うが、他の感情はそこからどういう順番で派生してきたんだろう?
今の日本が笑えない状況なのも、軸となる常識が崩れてるためにそこからの
逸脱、跳躍ができず、感情のコントラストがみえにくくなってしまい
虚無的になってしまったんじゃなかろうか。
261 :
考える名無しさん:03/08/07 23:09
ギャグが常識になってる。現実に悪代官がいるんじゃねえ・・・。
これってただの逆だなあ。
262 :
考える名無しさん:03/08/07 23:34
俺は全く笑わない。なぜなら、笑いというのは、人を見下した行為だからだ。
それ以外の笑い、があるのなら俺に教えて欲しい。
このスレの話題はほとんど「それ以外の笑い」だと思うんですけど・・・。
264 :
考える名無しさん:03/08/07 23:42
265 :
考える名無しさん:03/08/08 02:33
しかし、実際にホリケンの笑いに全く需要がなければ
彼は我々が知るところの人とはならなかったハズなわけで。
真の問題は受け手でしょ。あれらで爆笑できる人がたくさん居てるということ。
>>262 笑いは人、個人を見下すのではなく思想、精神を見下すものじゃないかな。
267 :
考える名無しさん:03/08/08 02:44
「冗談だよ」というセリフは、それを言った結果の面白さの度合いははともかく
その前にどんな話をしていようとも「落ち」として基本的に有効であると思う。
それはつまり、相手を喜ばせたり、怒らせたり、哀しませたり、楽しませたり
という話をした後、「冗談だよ」を付け加えることによってすべてが笑いになりうるということ。
だから思うんだけど、笑いの手前にあるのは「通常」であり、
笑いの向こう側にあるのはあくまで「非常」なのであって、
喜怒哀楽それぞれの方向に対する「非常」でもそれは構わないのだから、
これは「恐怖」に限った話ではないと思う。
「緊張」のほうが当てはまりやすいかな。
まぁ、「喜び」も厳密には「恐怖」が根本にあるといわれてしまえばそれまでだが。
268 :
マルクス・レーニスト◇Bo1uo7f09c:03/08/08 02:44
:
>267
なるほど、よく解ります。と言う事はその笑いの手前にある「通常」
の感覚が強固だった昔の方が、「非常」になった時の落ち度がでかい為に
喜怒哀楽の陰影がはっきりしますね。こうなると、現代において
笑いに携わってる人間はかなり厳しい状況にいる事になるな〜
腹筋トレーニングして笑いが止まりません。助けて
>>262君はあれか?ダウンタウンの浜ちゃんの突っ込み(頭をはたく)に対して
うわー、殴るなんてありえねえ、、、、モラルのかけらもないなあって思う人?
272 :
大伴清麿 ◆HPBRDkE86A :03/08/09 01:38
>>269 ちょっとした疑問。
「常識」「通常」は潜在化し、より強固になっている、という可能性はないだろうか。
>>267 ちょっとした疑問。
「冗談ゆうとる場合か、馬鹿!」と怒られてしまう場面は、頻繁にあると思いますが。
>272
う〜ん・・・その「常識」「通常」が潜在化しすぎているような
気がするんだが。完全にそれが無くなったとは思わないが
情報の高度化によって、その当たり前の前提が揺さぶられていると言うか
見えにくくなっている気がする。どういう見識でより強固になってる
と思われるんですか?
少なくとも「通常」の感覚はあまり共有されてない。
現にホリケンを面白くないと言う人がいる。
275 :
大伴清麿 ◆HPBRDkE86A :03/08/09 03:07
>>273 「どういう理由で」「どういう見識で」という質問は当然、予想してたけど、
その答えは「そんな気がしたから」。
もし潜在的かつ強固な「通常」があったとしても、潜在的であるので
私は気づかない。で、より見識のある人に確認してみたかった。
もし、そんな「通常」があるとしたら…。
>>274 「TV番組出演者にとっての通常」というのがあって、ホリケンはそれを引っくり返している。
そこに浅さを感じて「面白くない」という人間はいるだろう。
それに対し、松本人志などは潜在的な通常を、深いところから掘り返しているように感じる。
指圧の心は母心、押せば命の泉わく
うゎっはっはっは
笑いとは敵の弱点を発見したことを仲間に知らせるためだと思います。
こうすれば芸人コンビが男のときは笑えてなぜ女では笑えないのかも説明できるからです。
一人でテレビ見てても笑うときがあるのはなぜだかわかりません。
279 :
考える名無しさん:03/08/14 14:37
>272
>「冗談ゆうとる場合か、馬鹿!」と怒られてしまう場面は、頻繁にあると思いますが。
だから、そこで言っていたことは、「面白さの度合いはともかく」ですよ。
つまり、「冗談だよ」と言った結果、「通常よりになるか、緊張よりになるかはともかく」ってことです。
いや、だから単に、「笑い」は「通常」と「恐怖」にだけ挟まれるものではないって言いたかっただけです。
「冗談だよ」の例はそれを示すため、つまり「希釈された恐怖説」の反例の一つとしてあげただけで。
要するに別の「非常」においても「笑いになりうる」ということが言いたかったんですね。
だから当然、場合によっては、「笑い」を越えて「緊張」よりの結果になってしまい、
「冗談ゆうてる場合か!」って怒られてしまうことだってあるでしょうね。
冗談だよという意味を知らん場合は?
281 :
名無しさん:03/08/14 18:56
笑いなんて哲学の話じゃないだろ。
生物学じゃないのか?
不思議でもなんでもないし。
生物の先生にでも聞きなさい。
松本人志は、お笑い界の哲学者です。
283 :
大伴清麿 ◆HPBRDkE86A :03/08/14 19:24
>>279 喜びの根本に恐怖があるかどうかは、よく考えてみないとわからないけど、
緊張の根本には恐怖があるんじゃないか?
「非常」でパッと思いつくものを挙げてみると、まず死。
火事、大震災、交通事故、嘘の暴露と、それに伴う人間関係の破壊…。
だいたい「恐怖」に結びつくものばかりが思い浮かぶ。
恐怖とは無関係な「非常」というのは…たとえば、突然のプレゼントとか?
284 :
考える名無しさん:03/08/16 21:14
>283
んー。表現したかった「緊張」、「非常」というのは、
人が、いわゆる「喜怒哀楽」のそれぞれになっている状態をもです。勿論、恐怖も含め。
ですから、そうですね。突然のプレゼントもそうです。
なんて言えばいいですかね?確かに「緊張」では「恐怖」と結びつけられてしまいそうだし。
ですから、やっぱり「非常」の方が適当ですね。
「なんであれ普通ではないこと」=「非常」ということで、定義すればよいでしょう。
その「非常」と「通常」に挟まれた領域に存在するのが「笑い」であると。
「非日常」と「日常」の方がしっくりくる。
286 :
大伴清麿 ◆HPBRDkE86A :
>>284-285 言葉のアヤの問題ではないか?
つまり、同じソレを「恐怖」と呼ぶか、「非常」と呼ぶかの問題。
どっちでもいいけど、私としては「恐怖」の方が好ましいかな、といった感じ。
それはともかく「笑い」を考察する際、「喜怒哀楽」という言葉が登場すると、
どうもすわりが悪く感じられる。「恐怖」についても、同じ。
「怒」や「哀」に近い笑いもあるし、
「武者ぶるい」などは「喜」に近い恐怖であるように思う。
喜怒哀楽を「東西南北」に例えると、恐怖や笑いは、全く別の方向を指し示している
のではないか。たとえば「上と下」のような。