科学哲学の勉強部屋

このエントリーをはてなブックマークに追加
90猫電波:03/06/12 21:31
ごめん、余計なこと言いましたね。
ちゃんと読まずにレスしてすみません。
91考える名無しさん:03/06/12 21:35
XYZおつ。
92猫タソ:03/06/12 21:43
>>91

XYZさん、おひさしぶり。
で、今日の講義の題目は?
93猫タソ:03/06/12 21:46
ぜひ、量子力学の不確定性原理をお願いしたいのですが。
94猫タソ:03/06/12 22:18
本人ですか?
その節はお世話になりました。
95muji 2:03/06/12 23:10
>>46の続き
で,なぜソクラテスは,
具体的経験の世界と抽象的理論の世界を切り離し,
後者を追求していったかといういうと,
科学においては,
人間の感覚経験を通して得られた答えしか得られないから,
つまり,目とか数字とか実際にあるものを対象にしたものにしか
答えを出すことができないからです。
それでは,とりあえずの問いにしか答えることしかできず,
人間の持つ本質的な問いに答えることができません。
科学によって,この問いに答えるために
「現代科学の転回」が必要だったのではないでしょうか。
96muji 2:03/06/12 23:26
>>57
>近代哲学は精神と物質の対立から出発したので,この二つの結合には苦しんだが,
最初にこの二つを切り離したのはソクラテスで,
(抽象的理論の世界と具体的経験の世界として)
>ギリシャ哲学はこの苦しみを知らない。
というのはソクラテス以前は,
この二つは切り離されずにいたわけだし,
ソクラテスは,はじめから切り離して考えていたから
「苦しみを知らない。」ということなんだろうな。
97考える名無しさん:03/06/12 23:41
>>87、85です。
私もアインシュタインの主張とかを読んで、ミクロな現象が人間に観測不能なだけで、
因果律自体の否定にはならないと思ってましたが、
電子の位置が確率的に記述されることにはもっと意味があるそうです。
まだ波動関数を習っている所で、よく分からないし、間違っているかもしれませんが。
98muji 2:03/06/12 23:51
科学の話は難しいですね。
そもそも,科学と哲学って相反するものの思えてきたけど,
科学哲学って存在可能なのだろうか。
99通りすがりの鉄人:03/06/13 00:06
>>97
確率解釈は因果律の否定なんてしてませんよ。
100muji 2:03/06/13 00:13
そして,理系の板でも,同じスレッドを立てたら
論点からの議論がどのように進むのか。
ワクワク。
101考える名無しさん:03/06/13 00:19
>>99俺にも否定してるようには見えないけど
とりあえず、もっと勉強するまで待ってください。今は分かりません。
ただ、全てが必然でないというのは、直感で勝手にそう思いました。
無理にまだ理解してない量子力学を持ってきて、ごめんね。
102考える名無しさん:03/06/13 00:28
世界の調和とかと、未来が決定されてるのとは
違うと言いたかっただけです。
ほんと不勉強なのに、科学の話持ち出してごめん。
103猫タソ:03/06/13 10:10
このスレのテキスト「科学哲学」でも量子力学の哲学の章が
設けられているけれども、何か論理学的に扱ってるみたい。
最初の論理記号でつまづいて意味がわからんかった。
正直、量子力学はやった記憶があるが全く忘れている。

因果律の問題は昔からあって。例えば、キリスト教では、
預言の成就とか、神の計画とかの表現があるので決定論的
世界観をもっている。が、罪を自由意志を基礎として定め
ている。

デカルトの「哲学原理」もこれに触れている。
 四一(いかにして我々の自由意志と、神の予定とは一つに結合されるか)
だが我々はそうした難問からは、次のことを想起すれば免れるであろう。
即ち、我々の精神は有限であるのに対して、神の能力はあらゆる一切を、
永遠いらい予知していたのみならず、これを意志しかつ予定していたから
無限である。

→要するに、因果性があったとしても、どうなるかは知ることは出来ない。
ということなのだろうか?
量子力学で言ってることも同じではなかろうか。 


104猫タソ:03/06/13 12:32
こうしてみると、人間の自由意志は、有限である人間の無知に
よって成り立っているように思える。
無知であるゆえに自由、こんな感じ。愚かという意味ではなく。
知った瞬間、確定してしまうから。しかし、それは無限に否定
を繰り返せる。考える、これは人間が自動機械では出来ないこ
とであろう。考えることが出来るのは、自由であるからである。
知っていることを考えるとは、考えるとは言えない。

「パンセ」より引用すれば、
一四六
人間は明らかに考えるために作られている。それが彼の尊厳、
彼のすべての価値である。そして彼のすべての義務は、正しく
考えることである。





105通りすがりの鉄人:03/06/13 16:52
>>103
>→要するに、因果性があったとしても、どうなるかは知ることは出来ない。
>ということなのだろうか?
>量子力学で言ってることも同じではなかろうか。 
うーん。同じことなのかな?
そのような気もするし、違う気もする。

いま、「因果律」と「決定論」って言葉がでてきているけど、
その意味するところを明確にしておきたいのですが。
僕の中で「因果律」とは、
何か結果があれば、それには必ず原因がある。
原因と結果が前後することはない。
という規則だと思っています。ついでに言えば、
原因と結果が一対一に対応している必要はない、とも思っています。
「決定論」は、
原因に対し結果が一対一に対応している。
と言う考えだと思っています。
みなさんも同じですか?
106猫タソ:03/06/13 20:22
自然物と動物、そして人間。
これらは同じ方法で考察出来るのか?
本質的な違いがあるとすれば何なのか。
今のところ、その程度におさえた方が
よいのかも知れない。
107考える名無しさん:03/06/13 20:31
>>105
なるほど。
108猫タソ:03/06/16 20:11
忙しくて量子力学まで手がまわらない。
が、知ることが出来ないものがある、という事は認めてよいと思う。

「パンセ」の書かれた時代に既に、理性の限界は認識されていた。
まー、ネタだけど。

 二六七
 理性の最後の歩みは、理性を超えるものが無限にあるということを
認めることにある。 それを知るところまで行かなければ、理性は
弱いものでしかない。
 自然的な事物が理性を超えているならば、超自然的な事物について
は、何と言ったらいいのだろう。

超自然的な事物→最大のものは「人間」だろう。
ちと、意味がわかんねのは、理性はよわいものでしかないつうところ。
何か意味深。
109猫タソ:03/06/17 08:51
しょうねえ、量子力学でもやるか。

第1章 量子的な性質
1−1 原子の力学

<要 約>
電子は波動性と粒子性の両方の性質がある。
こうした小さなスケールのものの性質は、
直接的な経験や直観を適用して理解できず、
ある程度抽象的、あるいは創造的な形での
理解の仕方が要求される。
110猫タソ:03/06/17 09:06
>>109に量子力学の困難さがある。
パスカルの「パンセ」より、
  二六六
 望遠鏡は、昔の哲学者にとっては存在しなかった、
いかに多くの存在を発見してくれたことだろう。
・・・・・・

 地上には草がある。われわれにはそれが見える。
月からは、それは見えないだろう。
そして、それらの草の上には繊毛があり、それらの
繊毛の中には小さな動物がいる。だが、そのさきは、
もう何もない。 −なんていい気な人だろう
−合成物は諸元素からなるが、諸元素はそうではない。
・・・・・ここに微妙な一線がある。−見えないものが
存在するなどと言うべきではないか。
111猫タソ:03/06/17 09:16
>ここに微妙な一線がある。−見えないものが
存在するなどと言うべきではないか。

ざっと、350年前の人物がこのことを予感していた
とは驚きである。
112猫タソ:03/06/17 17:41
あのねえ、量子力学を少し入り口
程度でもやろうという人はおらんの?
113プルパギ:03/06/17 17:49
量子力学専攻してます。
これまでの流れを読んでいないのでなんともいえませんが、一緒に考えてみたく思います。
まず、テキストにしてる本をさがしてみよう。

問題点を簡単にまとめてもらえると助かります。
114考える名無しさん:03/06/17 18:09
量子力学でダミー関数を使うのはなぜ?
115高校生:03/06/17 18:27
>>114
便利だから
116猫タソ:03/06/17 18:35
岩波のファインマン物理学X量子力学を
テキストにして読んでいます。
この本の1−6 電子を監視する
の真ん中あたりまで来ました。


>>114
>>113氏に聞いて下さい。
ぜーん、ぜんわかりません。

117小学生:03/06/17 18:52
中学受験の算数でわからない問題があります。
鶴亀算なんですが全然わかりません。
面積図と方程式、両方の解き方でお願いします(方程式は中学受験生
の範囲を超えているから使うなと先生に言われてますが、一応)。

〔問題〕
ある動物園にいる鶴・亀・蛇を合わせた数(個体総数)はちょうど100です。
鶴と亀の足の数の和は340ありました。
また、鶴の頭数は蛇の頭数の2倍以上3倍未満です。
これらの条件から亀と蛇は何匹いることになるでしょうか?
118猫タソ:03/06/17 19:02
1−6 電子を観測する

ここでは、電子銃から電子を放出させ、2つの穴のある
壁を通過させる。そして、光の散乱を利用してどちらの
穴を電子が通過したかを確認し、同時に壁の後ろに置い
た検出器で電子の到達する確率の分布を調べるという実
験を行ったとする。

この実験から、不確定性原理が導かれる。
すなわち、電子がどちらの穴を通ったかを識別でき、同時
に電子の分布を示す干渉模様を乱さないように装置を設計
することは不可能であり、これが自然の基本的性質である。
119猫タソ:03/06/17 19:06
<問題点>
ポパーの科学哲学では、反証可能性(実験)
のないものは科学の対象外だそうだが、
量子力学が科学であるというのはどうした
訳か?
というか、こうした疑問は的はずれだとは
思うが、はっきりさせたい。
120猫タソ:03/06/17 21:33
お〜い、独りにせんといて。
121ネオクラムボン:03/06/17 21:38
    ___
    /     \     ________
   /   ∧ ∧ \  /
  |  fエ:エi  fエエ)|<  小学生の質問に答えてやれよ おめーら
  |     )●(  |  \________
  \     ー   ノ
    \____/
122プルパギ:03/06/17 21:38
どうもです。

量子力学についいてですが、上の問題点を見ると量子力学とはなにかその基準が論点であるように思います。量子力学をつかって何かするという位相でなければ工学屋は役に立てないかも・・・。

さっき図書館で「科学哲学」を見つけてきました。
今から読んでみようと思います。
123猫タソ:03/06/17 22:11
あのさあ、夜9時に開いてる図書館ってあんの?
124通りすがりの鉄人:03/06/17 22:18
>>110
えっと、ちょっと話が分からないです。

> 地上には草がある。われわれにはそれが見える。
>月からは、それは見えないだろう。
>そして、それらの草の上には繊毛があり、それらの
>繊毛の中には小さな動物がいる。
はい。
>だが、そのさきは、もう何もない。
え?
> −なんていい気な人だろう
?昔の哲学者には知り得なかったことだから、そんなものはないってことにできたから?
>−合成物は諸元素からなるが、諸元素はそうではない。
そうではないって言うのは、諸元素にはそれを構成するより小さな存在がないってこと?これは昔の哲学者の視点?それとも現在?
>・・・・・ここに微妙な一線がある。
ってことは、諸元素の話は現在の哲学者の視点なんだよね?
>−見えないものが存在するなどと言うべきではないか。
?今は見えてないだけで、なにかもっと小さいもの(基本的なもの)が存在するかもしれないじゃいか、ってことが言いたいの?
125スマイルα:03/06/17 22:21
126考える名無しさん:03/06/17 22:25
いつの時代にも、様々なものについて「答え」というものが存在する。
しかし、それらは全て何らかの定義、前提の上に成り立っている。
何らかの答えを持っている者は皆、それが成り立つ何らかの定義を、
信仰しているのである。

ゆえに、信仰のないものは、何ものをも知り得ず、
自分の意見というものを持ち得ないのである。

 
127猫タソ:03/06/17 22:30
>>124
あれはパンセの本文の翻訳だから、現在の視点では
ないにしろ、現在に通ずるものはあると思うが。
だいたいが、キリスト教弁証法を著すためのメモ書き
なんで、ヒラメキで書いてる。
だから、細かいことは分からない。
おおざっぱに言って、自然は無限の細かさと無限の大きさ
があるということが言いたいんだと思う。
128通りすがりの鉄人:03/06/17 22:41
>>127
レスありがとう。
>おおざっぱに言って、自然は無限の細かさと無限の大きさ
>があるということが言いたいんだと思う。
なるほど。

ところで、
>ポパーの科学哲学では、反証可能性(実験)
>のないものは科学の対象外だそうだが、
>量子力学が科学であるというのはどうした訳か?
とありますが、量子力学は実検できるので科学でいいのでは?
129猫タソ:03/06/17 22:46
電子が粒子なのか、波動なのか、その本質を問うことは
科学の範囲外ということ。
この問いは非科学的問いになる。
で、本質のわからない存在に対して論じている。
神様みたいなもん。
130通りすがりの鉄人:03/06/17 23:13
>電子が粒子なのか、波動なのか、その本質を問うことは
>科学の範囲外ということ。
んと、電子は粒子であり波動でもあるというのが本質なんだと思う。
だから、粒子なのか波動なのかを問うことは、
科学の範囲外といえば、範囲外だけど・・・、ん、よく分からなくなった。

変なたとえだけど、Aさん(♂)がいたとします。
このAさんが人間なのか男なのかを問われたら、
人間であり男でもあるとしか答えられないのと同じ感じだと思う。

ただ日常的な世界では、粒子性と波動性ははっきりと区別できるので、
量子力学の世界でも、その類推をそのまま当てはめてしまうとおかしな感じがしてしまうんだと思います。
131猫タソ:03/06/17 23:23
だから、直感できないということ。
132通りすがりの鉄人:03/06/17 23:35
直感できることだけが本質的とはいえないですよね。
>110
であったのにちょっと似てるかもしれませんね。
133猫タソ:03/06/17 23:45
頭の中でイメージ出来ない。
>>121
     ____
    /∵∴∵∴\
   /∵∴∵∴∵∴\
  /∵∴∴,(・)(・)∴|
  |∵∵/   ○ \|
  |∵ /  三 | 三 |  / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
  |∵ |   __|__  | < うるせー馬鹿!おまいが答えろよ
   \|   \_/ /  \_____
     \____/
135猫タソ:03/06/18 17:12
数学板に逝ってみたら、こんな解答を得た。
数字がでないところをみると、やっぱ問題自体が問題。

私は面積図なんていうものは知らない。
ここで訊くなら、面積図というものが何なのかを説明して欲しい。
とりあえず私の解答を載せるのだが。
鶴の数をxとおくと、(340-2x)/4が亀の頭数になり、100-x-(340-2x)/4=15-x/2が蛇の頭数になる。
もちろんxは偶数になる。2(15-x/2)<=x<3(15-x/2)より、x>=15とx<18が云えるから、x=16となる。
よって亀は??匹で、蛇は??匹になる。


136xx○○:03/06/18 19:22
>>135わからん解き方だな。数学板は馬鹿か?
題意に沿って式を立てるのよ。
鶴亀蛇のそれぞれの頭数をx,y,zとおいて式をたててみよう。
>ある動物園にいる鶴・亀・蛇を合わせた数(個体総数)はちょうど100です。
x+y+z=100…@
>鶴と亀の足の数の和は340ありました。
2x+4y=340…A
>また、鶴の頭数は蛇の頭数の2倍以上3倍未満です。
2z≦x<3z…B
@Aより、x=30−2z…C
CをBに代入すると、2z≦30−2z<3z
∴6<z≦15/2
zは整数だから、z=7
C@より、x=16、y=77

面積図は忘れたけど、かなり面倒なことになると思われ。
137考える名無しさん:03/06/18 19:37
>>130
>ただ日常的な世界では、粒子性と波動性ははっきりと区別できるので、
>量子力学の世界でも、その類推をそのまま当てはめてしまうとおかしな感じ
>がしてしまうんだと思います。

日常言語の概念でも、古典物理の概念でも、波なら粒子ではなく、粒子なら波
ではない。にもかかわらず、量子は、古典物理の波と共通の性質(干渉性と
か)を持ち、かつ古典物理の粒子と共通の性質も持つ。そのために、一方では
波でありかつ粒子であるといいたくなり、他方では波であり粒子であるのはお
かしいといいたくなる。
が、量子は日常言語の概念やや古典物理の概念でいう波でも粒子でもない、
ただしそれら双方が各々有するある性質の両方を共有した波でも粒子でもない
存在形態の存在者と考えればなんの問題もないでしょう。粒子の相補性のパラ
ドクシカルな問題なんて。
138考える名無しさん:03/07/14 22:22
量子力学は、一つの誤謬を含んでいる。

139山崎 渉

 __∧_∧_
 |(  ^^ )| <寝るぽ(^^)
 |\⌒⌒⌒\
 \ |⌒⌒⌒~|         山崎渉
   ~ ̄ ̄ ̄ ̄