どこからどこまでが自分の身体?

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1わしだ
自分のからだを少しずつ切り取っていったとすると
いつ、自分を切り取ることになるの?
きりとられた身体はじぶんなの?じぶんは複数存在するの?
2考える名無しさん:03/06/06 00:15
原始仏典でそんなのなかったっけ?
3考える名無しさん:03/06/06 00:18
今日、髪の毛が20本ほど、フケが2グラムほど落ちました
4考える名無しさん:03/06/06 00:18
全部あわせて自分でしょ。
切り取った体は自分の一部。
5考える名無しさん:03/06/06 00:20
排泄したウンコは?それも自分?
6わしだ:03/06/06 00:27
<<4
じゃあ、つめをきったら、きられたつめもじぶん?
そうすると、じぶんは複数存在するの?
<<5
うごかないし、動かせないし、自分でコントロールできないからクソはちがうとおもわれ
7考える名無しさん:03/06/06 00:34
自分と自分の体は別物
8?i´?μ?3/4:03/06/06 00:36
<<7
じゃあ、じぶんと、自分の身体との関係は?
9考える名無しさん:03/06/06 00:39
自分は意識があって自分。
体はその箱みたいなもん。
10ぴかぁ〜:03/06/06 00:41
切り取って出血多量で死ぬまでが自分
11考える名無しさん:03/06/06 00:42
意識と体は切り離せないと思う。
俺は今幽体離脱してるけど。。。
12どんきー:03/06/06 00:45
「唯物論とは、何かが存在するならそれは物理的であるとする理論である。たとえば、物理対象
だけが存在するという主張や、物理的出来事だけが存在するという主張も、ともに唯物論の
テーゼである。

唯物論は真であると思うのだが、観念論を打破することはできない。なぜなら、人間は主観
から抜け出すことができないからである。人間は主観から抜け出せないようにつくられている。
どんなに知恵を絞っても観念論を打破できない。一方、観念論者も、なぜ唯物論を打破できない
かというと、これも人間が主観から抜け出せないことによる。今後、唯物論者と観念論者が
どんなに知恵を絞りあっても、唯物論と観念論は生き続けるであろう。
13ぴかぁ〜:03/06/06 00:53
自分という意味には、フィジカルな自分と意識としてな自分の意味がある。
フィジカルな自分は切り取れるが、意識としての自分は切り取れない。
そしてフィジカルな自分は数えられずに、意識の自分は数えられる。

だから切り取るというときには、
フィジカルな自分なわけで切り取れるが、数えられない。
意識の自分は切り取られないが1と数えられる。

すなわち自分は切り取れれるが、自分は絶えず1なのだ。
14考える名無しさん:03/06/06 00:55
多重人格で分裂しまくったオレの本物の人格はどれでつか
15ぴかぁ〜:03/06/06 00:58
一人二役早着替えをするオレの本物の役はどれでつか
16考える名無しさん:03/06/06 00:59
全部自分ってことか
17ぴかぁ〜:03/06/06 01:01
たとえばナツメヤシの場合は変わってくるよ。
フィジカルなナツメヤシは切り取れるが、意識としてのナツメヤシはない。
そしてフィジカルなナツメヤシは数えらる。

すなわちナツメヤシは切り取れるし、ナツメヤシは切り取った数なのだ。
18考える名無しさん:03/06/06 01:01
それぞれの人格に選挙権を!
19玉大:03/06/06 01:03
そうーだろー?つまりはあー、ナツメヤシなあんだろうがよおっーー!
20ぴかぁ〜:03/06/06 01:03
多重人格者って、多重人格同士オンタイムコミュニケーションできんの?
21ぴかぁ〜:03/06/06 01:04
玉大はヒトデナシ
22考える名無しさん:03/06/06 01:04
>>20
ひみちゅ
23わしだ:03/06/06 01:12
乖離性多重人格障害が本当のなまえだっけ?わすれちゃった。
リアルタイムコミニュケーションができる人格とできない人格があったようなきが
けっきょく、どこからどこまでが自分の身体なのか、、わからず。
24ぴかぁ〜:03/06/06 01:15
意味わかんね。だから全部自分の体だろう。
なにひねってんの。
25玉大:03/06/06 01:17
なあんだとおおおお〜〜くおらあ〜〜〜っつ!!!!!!
ぴかちゅう、ごときがなまいだぞっ!こらこらあ。オヤジ野郎。
テメーは一人でカラオケ行って、およげ!たいやき君でもウタッテロっ!!!
26ぴかぁ〜:03/06/06 01:19
竿小って、まだ童貞?
27ぴかぁ〜:03/06/06 01:20
「自分のからだ」を少しずつ切り取っていったとすると
いつ、「自分の意識」を切り取ることになるの?
きりとられた「自分の身体」は「自分の意識」なの?「自分の意識」は複数存在するの?
そんなこと考えること自体が愚かしいことだって、荘子が言っているよ。
>>1
そんなこと考えること自体が愚かしいことだって、荘子が云っているよ。
30考える名無しさん:03/06/06 01:30
仏陀とソクラテス・プラトンと孔子は何て言ってる?
31考える名無しさん:03/06/06 01:33
スレタイと1は、微妙に意味がずれている。
32ぴかぁ〜:03/06/06 01:35
仏陀とソクラテス・プラトンと孔子なって、
PCも使えない輩に聞くより、医者に聞く方が早くねぇ。
33玉大:03/06/06 01:36
おいっ。ぴかちゅー。さおしょうってなんだよっ??
34ぴかぁ〜:03/06/06 01:38
竿小ってさ、実生活で人とコミュニケーション取るの下手そうだな。
35考える名無しさん:03/06/06 01:48
多重人格者は全部ひっくるめて「自分」。
田代まさしだって、盗撮する田代、覗く田代も全部田代。
36玉大:03/06/06 01:49
んだからっつ!さおしょうって、なんだっつ〜〜んだよっつ??
37ぴかぁ〜:03/06/06 02:06
竿小は普通にしゃべれっつ〜〜んだよっつ??
38サル並み:03/06/06 03:23
>>1
切り取って、意識(意思)のある方が、一部を切り取られた自分。
意識(意思)の無い方が、切り取られた自分の一部。
「自分の一部」は「自分」じゃない。
39考える名無しさん:03/06/06 04:13
竿長大
40考える名無しさん:03/06/06 04:58
>>38
一種のアトム論ですか。
不可分なもの=自分?
41サル並み:03/06/06 16:05
>>40
>不可分なもの=自分?
いってる意味がわからない。分けた状態って言う例とかあるの?

ボクはね、意識と肉体はひっくるめて考えてるんだ。
別で考える人ってのは、箱が変わっても中身は変わらないと思ってんのかな?
そうじゃなくて、容姿や肉体の機能によって、意識は変化するんじゃないかな。
それを含めて自分だよ。
42考える名無しさん:03/06/06 18:46
>>12
禿ドー
だがこのスレで何を言いたいのかわからん
43胡雨:03/06/06 18:49
鏡に映った顏は自分の顏ではない
誰も自分の力で自分の顏を見ることはできない
ペヤングは私ではない
ペヤングは焼きそばである
44考える名無しさん:03/06/07 00:29
>自分のからだを少しずつ切り取っていったとすると
>いつ、自分を切り取ることになるの?
>きりとられた身体はじぶんなの?じぶんは複数存在するの?

コノ考え方は、はじめから身体と自分をわけているね。二元論ってやつだね。
「自分の」という所有格の表現を用いることによって、身体を支配・所有
している「自分」ということが含意されている。だから、この考えだと
どこまで切り取っても自分の身体になる。
45考える名無しさん:03/06/08 21:27
ちぎれたいち部分を他人がもっています
46考える名無しさん:03/06/08 21:29
>>1
自分で定義すれば?
47AQUA:03/06/08 21:36
ある点を境に死ぬから、そのときが自分を切り取ったことになる。
48考える名無しさん:03/06/08 22:01
「へその緒」は母親の身体なのか、子供の身体なのか?
考えると眠れなくなっちゃう・・・。
49考える名無しさん:03/06/08 22:03
生まれたての嬰児を水の中に入れても溺れない
50考える名無しさん:03/06/08 22:18
「脳を動かすと、不可避的に一緒に動く部分」で、どう?
51考える名無しさん:03/06/08 22:22
>>50
意識的に動かせる部分ってこと?
52考える名無しさん:03/06/08 22:22
脳と、それ以外の肉体のすべて。
どちらが彼か?
53考える名無しさん:03/06/13 17:03
>>「脳を動かすと、不可避的に一緒に動く部分」で、どう?
この定義ではだめ。「随意ー不随意」という点が明確ではないから。

>>脳と、それ以外の肉体のすべて
この問題の立て方もまずい。脳の方に心性が含意され、
二元論的な議論を想定しているから。
54考える名無しさん:03/06/14 21:07
現象学の神降臨期待あげ
55:03/06/14 21:35
星を見ると感動する→星に影響を与えられている
うまいもの食うと楽しい→食い物に影響を与えている
以上の逆で、自分もすべての他者に影響を与えている
プラシーボ効果=精神は身体に影響する
よってすべての他者は自分の身体に影響する
自分はすべての他者に影響する
つまり、宇宙はオレだ。
56考える名無しさん:03/06/14 21:49
自分を自分って認識する野が脳にあるって聞いたことがあります。そこが破壊されると他の機能はそのままでも、自分はなくなるんだって。
ってことは、自分は自分って自分に思わされているってこと?
57考える名無しさん:03/06/14 22:04
ネットしながらバイト。けっこういいらしいよ。
http://f15.aaacafe.ne.jp/~storm/
5856:03/06/14 22:04
>>55
自分という認識が幻想だとすると、自他の境界も無意味なので、もってき方は全然違うけど、
宇宙はわたし!
59考える名無しさん:03/06/14 23:24
body と my body は違うよね。
60ジャック:03/06/15 00:09
ボクはジャックのがん細胞です
61考える名無しさん:03/06/15 00:12
手と体を切り離したら、体の方が自分だが
体を真っ二つに叩き斬って、どちらも個体として再生できなければ
どちらも自分ではない
62考える名無しさん:03/06/15 01:39
>自分はすべての他者に影響する
>つまり、宇宙はオレだ。
飛躍しすぎだろ。やっぱり神は降臨しなかったな。
結局、身体が物象化されすぎているのでしょうか?
神様…
63考える名無しさん:03/06/15 13:32
ちょっと、ここらで視点を換えてみませんか?
他人から見た自分ってどこからどこまでだと思います?または、ある人のどこからどこまでをその人自身と捉えているか。
クローン技術が発達したら、その人の切った爪までその人だ、とかね。
64考える名無しさん:03/06/15 14:41
もし全ての刺激が自分に入ってこなくなったら
目に像が映らない、映ったとしても電気信号が脳に伝わることがない
耳から入ってくる情報も同じく脳に伝わることがない
伝わっても脳が処理しない
心臓は動いている
何かを食べられる状況なのだろうか?
口は自動的に咀嚼し、エネルギーを摂取することができるのか?
最終的には脳死状態でパイプで栄養を送られるだけの、心臓が動いている
だけの人間
僕はどこにあるのだろうか
65考える名無しさん:03/06/15 16:56
全ての刺激が自分に入ってこなくなったら
僕という感覚は薄らいでいくだろうが、からだが残存
している限り、僕はあり続ける。
66考える名無しさん:03/06/15 17:02
>>1
全宇宙
67考える名無しさん:03/06/15 18:18
>>66
コノ低脳!!
説明しろ!!!
68考える名無しさん:03/06/15 18:29
>>5
ウンコについては簡単だ。

食い物も、ウンコも、自分ではない。
消化器官中の消化物が通過する穴は、「体の外」であって中ではない。

      口
      ↓
外┌─┐外┌─┐外
外│中|外│中|外
外|中|外|中|外
外└─┘外└─┘外
      ↑
     肛門
69考える名無しさん:03/06/15 18:35
私達は食べ物の栄養素からできてるじゃない?
だから自分は自分ではない
7066:03/06/15 18:57
>>67
身体と外界との境界をつけることは出来ないから
71考える名無しさん:03/06/15 19:17
自意識の核心部分には、別に自己同定する機能はついていないので、つまるところ、自己とは「位置」なのだと判明します。
72考える名無しさん:03/06/15 19:31
すべては身体性の問題に帰結する
73考える名無しさん:03/06/15 19:51
>>71
付け加えるとその「位置」は単なる数値的な計測じゃ測れないものだけどね
74考える名無しさん:03/06/15 20:03
削ぎとった後に残るのが「位置」なのだとすれば、
「位置」には匂いも性質も、振る舞いもないので、
全ての「位置」は無個性で、全く同一物であると見なしても構いません。


この「見なし同一性」ゆえに汎神論は完全に撤収できないし、
宇宙との一体感なんてところまで自我が飛躍する次第。
75考える名無しさん:03/06/15 20:32
分裂症だな
76考える名無しさん:03/06/15 20:39
>>74
興味深いレスだ
しかし「無個性であれば全く同一であると見なして構わない」
は論理が飛躍しすぎているね、そこをもっと詳しく論証してくれないか?

77考える名無しさん:03/06/15 22:57
>>69
高卒発見
78考える名無しさん:03/06/15 23:39
位置というのは交わることがない。同じ位置に違う二つのものが重なって存在するということはない。

そうであるなら、本来、位置は絶対的な「孤立」を意味するはずだ。

しかし、自意識の最終的な起点を辿って、絶対的孤絶を意味する「位置」にまで到達したとしたら、
そして、その「位置」が、自己を自己とする立脚点の最終地点でもあるのであれば、
その場所で自己を自己だと言い募っている意識たちの拠り所というか、根拠は、決して交わらないと同時に、非常に純度の高い同一性を表明してしまうのであった。
79考える名無しさん:03/06/15 23:46
>>78
究極的な孤立が究極的な同一化として現れる

ということに胴衣
何とかこの仮説を論証できないものだろうか?
8067:03/06/15 23:48
>>66
じゃあ、なんにもわからなくてっちまうじゃねーか低脳。
自己受容感覚はなんのためにあんだよ
8166:03/06/15 23:50
>>80
あらゆる感覚は内部感覚
82考える名無しさん:03/06/15 23:51
>>77 私は中卒です
83考える名無しさん:03/06/15 23:58
>>82
釣り?
8469:03/06/16 00:02
>>83 高校中退です
85考える名無しさん:03/06/16 00:05
♪めがねーは かーおーのー いちぶーです
  だかーらー とーきょーめがーねー
86考える名無しさん:03/06/16 00:17
複数の線(孤立)と交わった座標(同一化)
87考える名無しさん:03/06/16 00:30
>>86
無数の線が一点で交わることは可能だけというのは分かるが
何故線が1点で交わら「ねばならない」のかということの説明が欲しいところ

88考える名無しさん:03/06/16 00:43
一点でなく二点。そうすると出来上がるものは。
89_:03/06/16 00:45
90考える名無しさん:03/06/16 00:50
>>88
続きが尻たいぞ!
91考える名無しさん:03/06/16 00:53
一点が∞で二点が交差する輪か!
92考える名無しさん:03/06/16 00:58
同一が先で孤立が後かも?
93考える名無しさん:03/06/16 01:02
>>74が答えてるのか?
94考える名無しさん:03/06/16 01:03
違うよ。
95考える名無しさん:03/06/16 01:04
>>93
そんなことどうでもいいだろw
96考える名無しさん:03/06/16 01:06
>>92
点からの線の放射だね。
97考える名無しさん:03/06/16 01:08
同一化は点と輪の内とどっちが重要?
98考える名無しさん:03/06/16 01:09
      ____
     /∵∴∵∴\
    /∵∴/∴∵\\
   /∵∴<・>∴∴.<・>|
   |∵∵∵/ ●\∵|
   |∵∵ /三 | 三| |  / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
   |∵∵ |\_|_/| | <  はあ?
    \∵ | \__ノ .|/  \____________
   / \|___/\
  │ ∴∵━━○━∴│
99考える名無しさん:03/06/16 01:10
 
     ∫∫∫
      人
     (ミ . ) 
    (ミ ・∇・) <ミキタンいる?
100考える名無しさん:03/06/16 01:10
心地よいデムパが飛び交って参りました
101考える名無しさん:03/06/16 01:15
これは連想ゲームでつか?
102考える名無しさん:03/06/16 01:23
>>97
恐らく『輪』とは次元の境を意味すものと考えられ
その輪(次元)と輪(次元)の交点である『一点』に於いて無限が成立していると仮定出来る
『輪』が存在しなければ交点は規定できないので、空間規定に於ける『輪』の位置付けは『一点』より重要なものだと分かる
103考える名無しさん:03/06/16 01:25
>>102
で、それを踏まえて>>1の問いに対する答えは?
104考える名無しさん:03/06/16 01:34
輪がなくなれば存在自体がなくなる。
自分という輪ってところか。
105102:03/06/16 01:36
つまり『空間』とは次元の交差点の集合であり
三次元が二次元では比喩的にしか表せないという事実から分かるように、
異なる次元の多重複合体である『空間』は直接的に把握することが出来ないということ
故に身体というものを直接的に規定することは出来ないという結論になる
106102:03/06/16 01:39
>>104
あったまいいーその通り。
身体の規定こそが身体そのものだということ
107考える名無しさん:03/06/16 01:40
わかった!!
これすなわち「人間交差点」なり!!
108考える名無しさん:03/06/16 01:40
精神は空間で身体は空間でないからって事かな?
109102:03/06/16 01:42
つまり身体を直接的に規定することは出来ない
私達の意識が身体と規定したものが身体と規定できる
110102:03/06/16 01:44
>>108
身体は空間であるが、その空間は精神によってしか規定できないということ
111考える名無しさん:03/06/16 01:52
精神が空間とエネルギーを共有出来る範囲が
自分ってことでよろしいですかね。
112102:03/06/16 01:55
>>111
めっさ冴えてるねーその通り!
そしてそれはひょっとすると全宇宙かも知れないのだが
113考える名無しさん:03/06/16 01:58
      ____
     /∵∴∵∴\
    /∵∴/∴∵\\
   /∵∴<・>∴∴.<・>|
   |∵∵∵/ ●\∵|
   |∵∵ /三 | 三| |  / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
   |∵∵ |\_|_/| | <  はあ?
    \∵ | \__ノ .|/  \____________
   / \|___/\
  │ ∴∵━━○━∴│
114考える名無しさん:03/06/16 02:02
10206ってぴか〜?
115102:03/06/16 02:03
厳密に言うとエネルギーは無限の広がりを持つからね
例えば重力という万有のエネルギー
俺たち人間の重力もヒジョーに微弱ながら太陽にも影響を与えてるだろ?
これは宇宙科学の分野でも真面目に取り上げられている問題だよ

116考える名無しさん:03/06/16 02:06
そういう影響力って占星術的に
人の素質を作るんだろうな。
117考える名無しさん:03/06/16 02:09
いいや。
118102:03/06/16 02:13
>>116
そう。古来の学問を頭っから非科学的と決め付けるのは科学的とは言えない。
占星術も科学による裏づけが可能かも!?
119考える名無しさん:03/06/16 02:13
>>117
いきなり名無しか!
笑わすなよ。案外小心者だな(w
120考える名無しさん:03/06/16 02:16
悪循環だ
121考える名無しさん:03/06/16 02:18
地球からの波動も
地域、高度、時間により影響力が違うんだろな。
その波動の影響力の強弱により、より星々の影響も強くでるんであろう。
122102:03/06/16 02:23
>>121
実際地球の重力は緯度・高度によって多少の違いがある

重力の算出方法
http://vldb.gsi.go.jp/sokuchi/gravity/calc/gravity.pl
123考える名無しさん:03/06/16 02:26
一匹そろそろ寝るわ。おやすみ。
124考える名無しさん:03/06/16 02:29
今日は心地よいデムパだった
もやすみ>>ALL
125考える名無しさん:03/06/16 02:49
終わっちゃったのか―。おやすみ―。
126考える名無しさん:03/06/16 21:50
では、一次元の線が輪を結んだのだろうか?
127考える名無しさん:03/06/16 21:51
では、一次元の線が輪を結んだのだろうか?
けけけ。
129考える名無しさん:03/06/16 21:53
いや、一次元の線が膨らんだのかも?
130考える名無しさん:03/06/16 21:54
いやいや、多次元の一次元が重なったのだよ
131考える名無しさん:03/06/16 21:57
線を境界とした左右は果たして同じ空間なのか?
132考える名無しさん:03/06/16 22:53
形而下的に考えてみてよ、どこまでが「自分」なのかっては、興味がある。
簡単に言えば、自分の意志がどの部位にあるかってことですな。

昔、自分の体を実験台にして、自分の首を切り落としたとき、自分の視点は
どうなるかってのを試した人がいるってのを聞いたことがある。
首を切り落として、まばたきを何秒間しているのかで、試したらしい。
それによれば、人間は首を切り落としても、首だけで十秒ほどは生きられる
らしく、切り落とした瞬間、自分の視線が地面に落ちていくのが分かるんだと。
そうなると、自分という意思は首から上になるのでしょうかねぇ?
133考える名無しさん:03/06/16 22:56
ははは
134考える名無しさん:03/06/17 00:25
フィードバックが得られるところまでが私の身体であろう。
自意識だってフィードバックによって支えられ、自己言及、あるいは再帰性を欠いては、自己を構成できないからだ。
135考える名無しさん:03/06/17 00:56
>>132
その時、手足体の感覚があったのかが
重要じゃあないのかね?
事故で手足を失った人は、視覚で確認するまでは
「無い」事に気づかない。って事はだよ。
136サル並み:03/06/17 01:01
あのさあ・・・・
自分を左右に一刀両断したら、どっちに自分の意識があると思う?
もちろん生きていられたと仮定してね。
だって、右脳か左脳かを全損して生きてる人がいるんだよね?
137考える名無しさん:03/06/17 01:11
>>136
通常と変わらずと思うが。割れた空間にも痛みがあるだけで
「体」は感じているかと。
ただ左右に倒れた時の視覚は、地面に落ちていく風景では
ないだろうか。
138考える名無しさん:03/06/17 01:15
>>137
いや、別の意識をたどると思うぞ。
脳の構造上、真っ二つにされたら、左右の脳の間での信号伝達は
できなくなる訳だ。
そして、どちらの脳にも意識を持てるだけの機能が備わっている。
ということは、左右が独立すれば、意識も独立するのではないか?
だが、物体を立体視できなかったり、両方の脳の働きの違いから
動作に躊躇する事もあると思われ。
(あくまで、生きていられれば。)
139考える名無しさん:03/06/17 01:18
視点が遠くの一点を見ていたならば、左右の目が距離を
広げることにより、視点の角度も開き景色が近づいてくるような感じになるんではないだろか。
もしくは、通常限界以上の近くを見たような
風景を認識出来ない世界が見えるかと。
140考える名無しさん:03/06/17 01:21
視界も意識も制止画像だろ。
141考える名無しさん:03/06/17 01:22
ああ、どうしよう
自分が二つなんて怖い!!
142考える名無しさん:03/06/17 01:23
ベトちゃんドクちゃんは脳が二つなんだよね
双子ってなんなんだ・・・・
143考える名無しさん:03/06/17 01:28
首を切られる前の自分と切られた後の自分は違う自分
144はげ:03/06/17 01:31
確かに自己受容感覚と外受容感覚とのズレを意識することから
自我が発生してくるが、そこには同じ身体構造を有している
他者の存在が絶対必要であった。今あなたが動かしているからだを
「あなたのからだ」だと認識させ、教えてくれたのは他者
であった。この過程において、対他的な身体(二元論)と
主体的な身体(一元論)が生じるようになった。
どこまでが自分のからだか、という問いには実は、この二つの次元が
入り込んでいる。「『自分の』身体」というのが対他的身体をあらわし、
「自分の『身体』」というのが主体的身体、つまりあなたの存在自体を
表現している。だから、自分の身体を切りとり続ける限り、
主体としての「私」はいつまでも存在し続ける。だが同時に、
すべての身体を失った時点で主体は存在しなくなる。
これは物理的にも観念的にも…。
だけど、実際、脳は自己の存在を規定する重要な要件だな。
だけど自分を決めているのは脳ではないぞ。先にも行ったように、
身体に張り巡らされている内外の感覚や他者の存在という
さまざまな系が複雑に絡み合ってるから。


145考える名無しさん:03/06/17 01:42
>>144
ん?体も真っ二つになった上でのことなのか?
146考える名無しさん:03/06/17 01:43
>自分を左右に一刀両断したら、どっちに自分の意識があると思う?
>もちろん生きていられたと仮定してね。
仮に、仮にそれが可能だとして
どっちの半身にとっての自分の意識なんだ?
一刀両断された後では、切断される前の自分の意識から観た問題よりも、
切断された半身の自分にとって、
自分の意識が、切断される前の自分と連続しているかどうかが問題なのでは?
147考える名無しさん:03/06/17 01:49
俺は1秒前の自分とも断絶を感じる
148考える名無しさん:03/06/17 01:54
制止もしくはバグが起こる。これだね!
149サル並み:03/06/17 03:00
>>139
視界についてはさ、景色が離れるとか近づくとかは無いと思うよ。
だってそういうのは、右目で見た景色と左目で見た景色が両方認識できて、
初めて感じることができることでしょ。両断されるとそれは出来ないんだからさ。

ボクは、切られてから死ぬまでのわずかな間を言ってるんじゃなくて、
切られた後も生存できるものと仮定してのことを言ってるんだよ。
当然、現在の研究では、右半身は左脳がコントロールして、
左半身は右脳がコントロールしてるとかあるけど、そういうことはどうでもいいんだ。

左脳と右脳がそれぞれ独立して意識を持ちうるとしたら、
>>1が言ってるように、自分が複数存在することになるのか?あるいは、
それぞれが別の自分になるとしたら、それ以前の自分は死んだことになるのか?
その辺のところを問題提議してみたの。
150いまにえるしょーぺんはうあー:03/06/17 04:53
>>1
時間、空間も含めて宇宙全部が自分。切り取られた部分も自分。
151考える名無しさん:03/06/17 05:15
∂ρ/∂t + ▽・j = 0
152考える名無しさん:03/06/17 05:21
切られて痛いのが、自分の身体の範囲。
153考える名無しさん:03/06/17 05:31

ずっと以前の自分でも
ずっと以後の自分でも
切られて、今痛くないのは自分ではない。
154考える名無しさん:03/06/17 08:46
>>153
ずっと以前の自分や
ずっと以後の自分は
切ることができない

155考える名無しさん:03/06/17 09:36
神経
156考える名無しさん:03/06/17 10:24
神経接続
157考える名無しさん:03/06/17 10:43
フ−ン。全身麻酔うつと自分が自分でなくなるわけか
158考える名無しさん:03/06/17 10:49
実はこの問題、2千年以上前に既に解決されていたりする。
159考える名無しさん:03/06/17 10:50
実はもっと前だったりする。
160考える名無しさん:03/06/17 10:51
っんな、まっさかぁ〜  ハっハっハっハっ
161考える名無しさん:03/06/17 14:43
プラナリアの自我
162考える名無しさん:03/06/18 01:11
フィードバックと言うのは重要だよ。身体というのを考える際にもね。
フィードバックループがどこに構成されているのかを考えるのさ。
フィードバックによって生じるものは、例えばバブル。
もしくは金縛り。
あるいは、157で言っている麻酔。
歩行だってフィードバックがあるからこそ、まともに歩けるし、静止状態を保つのにも必要だ。
神経ループだけじゃなく、フィードバックを構成するあらゆるループを見つけることだ。


身体を切り刻むことで何かを・・・というのは分析的、解剖学的に毒された還元主義の手法だ。
そうじゃなくて、あらゆるところにループを見出し、ループの束を何かを構成するシステムの契機として捕らえる・・・。
神経系だけじゃないぞ。
人類のコミュニケーションネットワークが身体を築くのか築かないで終るのかもこのフィードバックシステムの行方に依存している。
163考える名無しさん:03/06/18 02:05
それは面白い
164考える名無しさん:03/06/18 02:31
ループ?
165考える名無しさん:03/06/18 02:37
フィードバックって・・・旧いなオイ
166考える名無しさん:03/06/18 02:59
鼻先の空気の中の酸素は?
肺の中の空気の酸素は?
動脈血中の酸素は?
筋肉中の酸素は?
蛋白質、DNA中の構成分子としての酸素は?
一体、どこからあんたの酸素?
167考える名無しさん:03/06/18 04:04
>162
フィードバック


動植物→食物→口→消化管→血液→細胞
↑                         ↓
土←ミミズ←菌←肛門←大便←肝臓←血液


大自然は私の身体である。
私は私で、あなたはあなただが、
切り離すことはできない。
168考える名無しさん:03/06/18 05:26
シュレーバーを読んで来い!
169考える名無しさん:03/06/18 05:31
>167
違う

昨日の私はウンコに過ぎない。
明日の自分は記憶を引き継いでいるが全くの他人である。
170考える名無しさん:03/06/19 23:11
自分の身体の境界を切り刻むことで考えるのはよした方がいい。
実がない。
むしろ、拡大し、侵犯する方向で考えよう。
なぜって、組織で仕事をすると、身につまされてそれが重要に思えてくるから。
つまり、何だかんだ言って、「身体」を使うことなんだな。
もはや、そこで問題になるのは単なる個体の肉体運動ではないよ。組織の肉体運動だ。
頭は個体を動かすためにあるんじゃないと身にしみて分かる。
そうして初めて個体レベルでは過剰だと意識されていた個体の脳の本当の役割、収まるべき処を得る。
組織と言う身体を活用して、単純な筋力トレーニングでなく、ボデイビルディングでもない「プレー」やら「パフォーマンス」を生み出すんだ。

オレはまともに身体を動かしているか?
オレの脳はどれぐらいの身体に相応しいのか?どれぐらいの身体を動かせるのか?

問題はそこにある。

171考える名無しさん:03/06/19 23:20
スーパードクターKとかランボーって
自分のからだを手術したりいじったり
していたけど、あれすごいよね。
自分のからだをいじるのって、
痛みが予測できるからすごい勇気が必要だと思う。
でも、他人のからだをいじるのも、痛みが予想できるよね。
自分と似ている姿形のものほど、その痛みが
伝わってくるね。なんでだろ〜♪
172考える名無しさん:03/06/19 23:42
身体を切り刻まず、拡大しする方向で

2人の人間を脳を含めて融合して1人の人間を作り出されたら、
もとの片方の自分自身はどこへいくの?
173考える名無しさん:03/06/20 03:05
私が精子と卵子だった場合、全人類は私になるのか?
174ガテンコ:03/06/20 06:49
>>173
単性生殖と変わんないね。平和がおとずれるの?か?

脳からの微弱信号をとらえて動作をサポートするパワードスーツが、既に開発されてるって。
これは自分?自分の脾臓より意識にのぼってくるけど。
使い方を学習していくと言う意味でフィードバックもあり?皮膚感覚あるわけじゃないから無し?
175The Great Metaphysician:03/06/20 07:07
不思議の国のアリス症候群。
176考える名無しさん:03/06/20 12:18
ココはカルト板?
怖いよココ
177考える名無しさん:03/06/20 19:03
問題が拡散しすぎている。
すこし1の問いを煮詰める方向にいきましょう。
@自分のからだを少しずつ切り取っていったとすると
 いつ、自分を切り取ることになるの?
Aきりとられた身体はじぶんなの?
B(仮にAの切り取られた身体が自分だとすると、
 じぶんは複数存在するの?
178考える名無しさん:03/06/21 00:39
するわけないだろ。
その「場所」に、意識を構成する仕組みが成り立てば、塵や床だって「自分」を主張し始める。
逆に、その仕組みがなければどんなに大きな肉体の部位だろうが、生物体の全身だろうが、「自分」などとほざくことはないよ。
つまり、自己言及する装置がビルトインされていれば、転がっている乾電池だって自我(個我)を発現する。
自意識とは自己言及’(フィードバック)装置の結束点に結ばれる「場所」の表明であってね。
179考える名無しさん:03/06/21 00:42
自分とは諸感覚と諸反省がコギトの場で統合される事だとすれば
自分の体が削られ諸感覚が減少する事は自己の減少を意味する
180考える名無しさん:03/06/21 00:46
>>178
せんせいわかりませーん。
一体として自分として機能するものが
自分なんだろうか??
181考える名無しさん:03/06/21 00:48
ちがうよ。自分、自分と言い出す「場所」がおそらくおれが感じているのと同じ「自分」のことを表明している「場所」なんだと推定されるだけだよ。
182考える名無しさん:03/06/21 00:57
自己意識というか個我は、閉じ込められた唯我独尊なんだよ。他に似た様なことをいう圧倒的な信号が外部から入ってくるから(コミュニケートできる他者が迫るから)、類推的に同質の感覚で存在しているやつがいると推量されるんだな。
だから、世界は意識の数だけあるん。
同時に、そんな独居房は肉体が意識を構成する体制を損なえば、簡単に壊れて消える宿命も確からしい。
自分を自分だと意識し続けることにおいて絶対なのは「場所」。
しかるに、自分を自分だと感じる感じ方は全く強度の差がなく同質っぽい。
183考える名無しさん:03/06/21 01:31
切られた腕には自分の身体であっても意識の座はないんだよ。でも「身体」であることには変わりないというんだろ。
だったら自分の脳でコントロールできるものは身体だよ。
こいつはオレの右腕ですっと言うじゃないか?

一方、意識のありかを探すと何か分かるか?
脳のどこを刺せば自己意識が消えるかなんて問題だろうか?

どこまでコンセントを抜けばテレビが消えるかなんて本質的な問題じゃないだろ?
184考える名無しさん:03/06/21 01:34
切られた腕は喋れないだけだよ。
185考える名無しさん:03/06/21 01:39
脳みそだってしゃべれはしない。しゃべれるか否かは意識と・・・いや、マジレスしそうになっちまった
186考える名無しさん:03/06/22 23:35
>>182
他我問題を類推説で解くやつを久々にはけん
187考える名無しさん:03/06/23 22:22
自意識を維持できる部分。SFの「ドーエル教授の首?」は可能か。
188考える名無しさん:03/06/23 23:35
>>186
最近はどうやって解いているの?
189悟り:03/06/24 00:02
それは、無我ですね。
190考える名無しさん:03/06/27 22:20
ロックやノージックは、自分の身体は自分のものという観念を
自己所有権と呼び、自己の身体は自分のものであるがゆえに、
自分の身体を使う労働にもとずいて生産された物は絶対不可侵に
自分の所有権に属すると説いた。現代のリバタリアニズムの
根本テーゼである。
これに対し、コミュニタリアニズムやこれに依拠する生命倫理学は
身体の自己所有権の観念に疑問を提起し、その倫理的制限を
主張している。
191ひかぁ〜:03/06/27 22:21
何言ってんだか
192考える名無しさん:03/06/27 22:29
自己意識をもって自分の身体とみなす自我説は、そもそもデカルトの
「我思う、ゆえに我在り」に起源を持つ西洋的自我中心主義。
最近の脳死議論で脳死法に根本的批判をした点でもある。
このスレをホントに議論したいなら、コミュニタリアンや生命倫理
の書物でも、ちっとはひもといてみたらどう?
193考える名無しさん:03/06/28 00:40
ひもとくから紹介してよ。>>192
194考える名無しさん:03/06/28 00:42
切り取られたチンポの皮は自分なのだろうか?
195考える名無しさん:03/06/29 01:55
いったらいいっぱなしのヤシが多いな、ここは…。
きられたちんぽの皮は、どっちなんだよ、え?
196考える名無しさん:03/06/29 02:45
自分じゃないよ
自分のチンポの皮だけど
自分じゃないよ
197青い人:03/06/29 04:21
ええと。

「どこからどこまでが自分の身体? 」と自問出来る方(部分)じゃない?

あとチンコの皮は皮なりに自問している可能性もいなめないンですが。
ま、切り「取られた」訳ですカラ。違うんじゃナイですかね。
>>194サン安心デきましたカ?
198考える名無しさん:03/06/29 06:35
「自分の身体」なんて言うと自分=身体と思いそうだが、
身体は自分(の感覚経験)を作り出してはいるが、自分の外にある。
199考える名無しさん:03/06/29 11:01
>>198
そう、正解。
身体はすでに自分じゃないな。
だから、逆に「自分の身体」っていうのは結構野放図に大きくとれるわけだ。
身体が国家にも、宇宙にもなれるんだ。
そこで必要になってくるのは、「中心点のような自分が鎮座している場所」から、(あるいは場所への)フィードバックループが成立するか?ということだ。
意識そのものが最も濃厚なフィードバックシステム
肉体的身体は神経系によってかなりリアルなフィードバックシステムを成立させている。
子育てや恋愛は鏡像関係を構成して、太いフィードバックシステムで、対象と自己との同一化を感覚経験させる。
感官や言語・非言語コミュニケーションによって成立する集団や、組織、社会、国家も自分の身体で、例えばスポーツもプレイヤー(=身体)の外延にサポーター(=身体)を構成する。
もっといこうか?
地球環境問題なんて健康問題と同列に気安く誰にでも議論される。
宇宙ゴミが問題になり、
ブラックホールの探索は肌にシミを見つける女性のようだ。
観測フィードバックの尽きるところ、宇宙は存在しないとされる。
200青い人:03/06/29 13:28
>>198サン いや話がズレてマスよ。

>「自分の身体」なんて言うと自分=身体と思いそうだが

ソレ言ったのは議題主でアり、これガお題目だとおもッたのでスが。
どこまで を 自分と定義出来るかではナくて
どこまで が 自分ト定義出来るか でハ?
201考える名無しさん:03/06/29 17:13
母親は生まれた赤ちゃんを自分の体の一部だと思う。
ドライバーは自動車の車体を拡大された自分の身体のように感じる。
202考える名無しさん:03/06/29 22:17
>>174
現代文明自体がすでに「パワードスーツ」。
203考える名無しさん:03/06/29 22:19
>>202

モヘンジョダロの遺跡などでは、
言語より土器などの模様や図形が文明の根幹をなしていたらしいということが推定される。
これが象徴的な文明じゃ。 (
204考える名無しさん:03/06/29 23:14
仮に身体と自分とを同一のものと考えたとき、
身体が宇宙と等号で結ばれるくらい拡大していく
のは、理解できるのだが、逆に縮小していくと方向では
身体を描くことは出来ないのでしょうか?
205考える名無しさん:03/06/29 23:15
わしは あらゆる透明な幽霊の複合体じゃ(賢治モード)
206考える名無しさん:03/06/29 23:47
股間以外
207考える名無しさん:03/06/30 00:20
>>204
身体は自分ではないという考え方は縮小方向。
自分の感覚経験のみが自分だと、自分を縮減することもできるし、自分の感覚経験を
作り出すもの全体(=宇宙)が自分(の身体)だと拡大することもできる。
208考える名無しさん:03/06/30 01:10
>>203
模様や図形が文明の根幹、というのはよく分かる。
意地になって隙間なく文様で埋め尽くしているような中国の青銅器。

空白恐怖症のようだ。
刺青でべったり覆い尽くされた身体とか・・・。
209考える名無しさん:03/06/30 01:25
「PICNIC」という映画がある。精神病院に強制的に収監された若者たちの短い物語。彼らが病院の塀を伝って旅に出る。塀の続く限り歩いて行く。
女と男がいて、女は世界は自分が生まれたときに始まったと信じている。終わるときは自分が死ぬときと一緒だ。
男は笑う。そんなはずがないじゃないかと。
結末。彼らは突き出た防波堤の先の灯台で行き止まる。
巡査から奪った拳銃で、男は世界を終わらせようと水平線に沈む太陽に向けて発砲する。世界は終わらない。
女はあんたのために世界を終わらせてあげると言って拳銃を自分のこめかみに当て引き金を引く。

 ここに描かれているのは男のフィードバックと女のフィードバックの顕著な違いである。
男は太陽をめがけて撃ち、女は自分の頭を撃ち抜く。男のフィードバックループは太陽へ向けて閉じられることない空しい弧を描き、女のそれはピストルの引き金に掛けられた指と銃口の当てられたこめかみの間にある。
210考える名無しさん:03/06/30 02:08
>>207
身体は自分ではないという考え方は縮小方向。

ここがいまいちわからない。切り取られ、対象化された
身体は、まさに自分ではないのか。
211青い人:03/06/30 02:29
多分。で良けれバ。薀蓄無いンで文面からの推測仮説デはあるけれども。

拡大方向→自分=すベテの中の触角器
=自分の感覚経験を作り出すもの全体(=宇宙)が自分(の身体)

縮小方向→自分=触覚器ヨリの情報を識別するモの
=身体的な苦痛快楽そノ他諸々全テも情報にすギず、識別コそが自分

とかナンとか分かったフウニ♪適当だケど。
詳シーもとい、正確なカイセツは他のカタにおまカせ。
212考える名無しさん:03/06/30 02:37
身体も自分と認めるのは物質の存在を無条件に認めてるようでいやだ。
俺は他者の存在は認めるが、「物質」や「身体」などと実体化したものは認められない。
213考える名無しさん:03/06/30 02:47
例えばさ・・・

あるところに「山田太郎」と言う人が居て(安直なネーミングスマソ
その人が記憶を失って、すべての持ち物も失ったとして、
全ての「山田太郎」と言う人物を構成している要素を失ってから
アメリカに流れついて「ジョン」と呼ばれていたとすれば、
そいつは「山田太郎」なのか?

やっぱり体だけでなく、自分の持ち物も「自分」を構成している一つなのではないだろうか。
214考える名無しさん:03/06/30 02:53
自己同一性の話やんけ
215考える名無しさん:03/06/30 02:57
記憶を失ったら持ち物なんて意味ないだろ。
そのたとえで思ったのは身体が失われなくても自分がもとの自分だという
認識がなくなった時点で(もとの)自分は消滅したと言えるわけだが、
反対に身体はすべて失われても自分の意識をコンピュータに移植できれば
身体はなくとも自分は存続していると言える。この2つの話を合わせると、
自分イコール自分の意識(のみ)ということになると思うが如何。
216青い人:03/06/30 03:00
>>213サン  
その(記憶を失って、すべての持ち物も失った人物が)山田太郎 だッた
という事実を認識する第三者ガいなイ場合は
その人物ハジョン意外のダれでも無イと私は思うのですガ。

自分ヲ他者に置き換えた上デ自分を認識すルのは無理かと思ウ。
217考える名無しさん:03/06/30 03:08
自分の意志や主体的思考などというものはなく、すべては外的条件同士
(自然環境&社会環境 ⇔ 身体&言語)が勝手に反応してるだけ。
218青い人:03/06/30 03:14
どこからどこまでが自分の身体?

1 :わしだ :03/06/06 00:12
自分のからだを少しずつ切り取っていったとすると
いつ、自分を切り取ることになるの?
きりとられた身体はじぶんなの?じぶんは複数存在するの?


トイう原点に一度カえったウエでコんな仮説。

眼球のみを視認可能な状態(神経繋がってても良いから)で肉体かラ離し、自身を見たトキ
(要約:カたつムりの眼状態で己を見れバ、と)
ドコまで切り取れソウな気がすルのだろう?

あア、原点に帰るドころか脇道だヨ。ナんだカ。
219青い人:03/06/30 03:16
>>217
つマりは自分でアるコトも現象に過ぎナいと?
220考える名無しさん:03/06/30 03:27
それはそうでしょう
事実ですし、イヤなら都合の良い解釈をすればいい
>>1への回答でもあり。
221青い人:03/06/30 03:40
>>220
むむム。といウ事ハ、
その理論に疑問ヲ持ち他のコたえ探す
というのモ、勿論起こりウル現象デすよネ?
完璧にコたえニナらない完璧なこタエですね。私的ニですが。
222考える名無しさん:03/06/30 03:50
カタカナ読みにくい
223青い人:03/06/30 03:54
>>218の質問に自分なリの答えが出タ人に追加問題。

そノ眼と己の距離ガ変わッてもその答えは変わらないハズですヨね?


たトえ途方も無く距離が離れて、繋がってハイようとモ
遠メガネ、あるいは映像越しにしか己を視認出来ないトしても?

答えはカワリマせんか?

仮説例エ話は仮説例エ話にスぎんケども。
224考える名無しさん:03/06/30 04:57
>>219
「自分という現象は幻である」という命題を証明するのが哲学の使命でしょう。
その場合「自分とは宇宙全体である」と「自分とは意識の一点のみである」と
考えるのではどちらが有効かというと、明らかに後者のほうだ。
前者の考え方だと「だからみんなに感謝して生活しましょう」みたいな安っぽい
宗教になってしまいがち。後者の、自己をぎりぎりまで縮減した上で、その自己が
そうなった理由を身体や言語を含む外部の働きで説明するのが科学的思考。
たとえば近代ヨーロッパ人は自然は人間の外部に独立したものと考えたがゆえに
自然界の性質(=科学的法則)を発見することができた。
しかし、この思考を究めると人間の生きる意志も外部として分析しなければ
ならないが、生きる意志を否定すると何も考える気がしなくなるという困難を
哲学は抱えている。
225考える名無しさん:03/06/30 11:17
厄介なのはメルロ=ポンティの交差配列だな。

AがBの手を握り、存在を知覚した瞬間に、AとBの手が交差し、
AはBの身体を合併する。そのとき、AとBは一つの間身体性器官である。

モダン以前の西洋哲学は人間の視線を常に中心に置きたがる
けど、その視線が対象から浴びせられるというプロセスを中心に
置くと、ややこしくなるね。
その間身体性器官をホラー映画みたいにぶったぎったらどうなるか、とか。
>>223
の非直接的な知覚も含めるともっと複雑になってわけわからん。

たとえば実況中継の戦争で死んでいく人間の身体はほんとうに
俺の身体と同じ事象であるか否か。
将来、VRが実用化されて、ホログラフィーと握手したら、俺と
ホログラフィーはひとつの間身体性器官であるのか!?

とりとめなくてすまそ。
226青い人:03/06/30 11:25
>>224サンありがトう

「自分とは宇宙全体である」と「自分とは意識の一点のみである」ト、どちらノ場合に
オいても共通すルのは「在る」とイウ事、つまリは必然で在リえる(アるいは在っタ)
事と解釈は出来ナいデシょうか?自分を含ム内的、外的要因が必然で在ル以上ドノ意思
が下ス答えも必然デ在りそれをヨり多く認識吸収すル方法ガ哲学ト…

書いテテ訳分かランくなってキた。コれじゃ哲学すル(していル)事まで
必然にナッちゃウよ。

>「自分という現象は幻である」という命題を証明するのが哲学の使命でしょう。


「自分という現象は幻でモ在る」 シなァ。ウーん…


227青い人:03/06/30 11:35
シぬ程シンプルに言えば「自分の」=「所有していると主張スる範囲」ナノかも
知れナイですね。コレだと各人で答エが違っテく… 

デモないなぁ。ムずかしイ。こんがらガってきたんでアタま冷やしてクる。
228考える名無しさん:03/06/30 17:36
しかし「人間に意志はなく全ては外的存在同士(環境⇔身体)が勝手に反応してるだけ」
という考え方も安易な傍観者的態度を生み出しそうではある。
229考える名無しさん:03/06/30 23:44
われわれは結局は傍観者なのではないか?

自己の領分を縄張りのように主張する一方、
そんな縄張りとは無関係に自己を抱えているのではないか?
よそよそしい何かは、すでに脳の中に棲んでいると思う。
強烈で印象的な夢見の中では、自己とは関係のない何かが客体として暴れまわって、予測不能な不如意な振る舞いをしないだろうか?
夢のシナリオを、私自身が書いているはずなのに、そんな感じは少しもない。勝手に誰かが書いているに違いない、紛れもない自分の夢にそんな驚きを感じることがしばしばだ。

つまり・・・・自己の縮減というが、最小自己の砦は、想像以上に驚くほど小さい。これが私の印象だ。
小さすぎて、実はいつ消失しても、私自身、がっかりすることもないくらい小さい。

その小ささ、極微的な姿は、それの反して大きな、このバブリーな自我とは釣り合わない。
ここに秘密があるような気がする。

バブリーに大きく、常にはみ出し、つねに宇宙大の領域を自己に包摂しようとする自我は、自己ではない。
本当の自己は自我なんぞではなく、ものすごく極微なものだ。改めて悟って自己滅却などしなくていいくらい、ミクロだ。



230考える名無しさん:03/07/01 01:50
俺がアンチ俺だと思った奴が他者
231考える名無しさん:03/07/01 03:48
今まで日本人はまじめすぎたから傍観者になるくらいがちょうどいいだろ。
しかし自分の意志も他者扱いすることで傍観者になったとたん、自分の意志の存在自体は
無条件に受け入れることになりそうだ(傍観者だから)。これはパラドックスだ。
「生命の意志」というものを受け入れたらそれを守るための「道徳」も受け入れることに
なるだろう。かくして一切の道徳を拒否した戦後民主主義は崩壊するのだ。
232考える名無しさん:03/07/01 04:07
 十猪図でそんなこと説いてたねー。
233或ル邑人:03/07/01 04:13
>>1
言葉の定義というものは、すべてが竹を割ったようにスパット定義されているものじゃないんだよ
だからどこまで身体なのかという事は
個々の認識にまかせるほかないんだよ
ここの認識にまかせるほかないということは
客観性がないということ
つまり哲学では語れない、またはそもそも語るもんではない問題なんだな
234考える名無しさん:03/07/01 04:49
一卵性双生児にとって「自分」とはもう片方との「差異」の部分だけではないか。
身体的には同一なのだから、それまで経験してきたことのみが
個性を持った自分として主張できる。

あと、ものまねタレントが別の芸能人そっくりにしゃべってみせるとき
(例:田原俊彦のまねをするコロッケ)そのまねされた人の唯一の存在としての価値が
なくなるようで妙な感じがするのはなぜかというと、個性などというものは本来存在しないからだ。
世の中には同じ遺伝子に支配されて同じ機械的反応を示す同じタイプの人間はゴマンといるのだが、
人間を個性的存在と信じたい願望が普段そういうふうには人間を見ないようにさせているのだ。
235考える名無しさん:03/07/01 04:52
願望がどこにあるんだって?
236考える名無しさん:03/07/01 05:40
たとえば人間はふつうアリの一匹一匹に個性があるなんて思わない。
あるいは日本人は黒人やイラン人はみんな同じに見えるし、
日本人同士でも年齢の離れた爺さん婆さんはみんな同じように見える。
つまり人間心理には自分が所属する集団のメンバーは個性的だと思うクセがある。
そういう認識は、自分にとって有益な人と有害な人を区別するために発生したと
思われるが、物語的世界に住むようになった文明段階以降の人間は、人生を
ドラマチックなものにするための手段として自分を含む人間に個性というものを
与えたのだ。これにより、本当は単にプログラムのちがいに過ぎない個人の行動差が
「個性」という実体的なものと解釈されるようになり、人生の意味や目的(例えば「愛」)
が捏造されることとなったのだ。
237考える名無しさん:03/07/01 12:53
ペルソナなのか、キャラなのか、絶えず変わりつづける感情の中に、我があるのだろうか。
剥いても剥いても芯が出てこない、たまねぎみたいなもののような。
238考える名無しさん:03/07/01 13:36
哲学はゲーデルの不完全性定理に陥っている

哲学は矛盾を含有した学問である

あきらかに空想哲学小説である
239考える名無しさん:03/07/01 18:23
例えば「あの人は性格が悪い」などとよく言うが、「性格」という言葉がすでに
「人間は完全に自由な存在である」ということを前提にしている。すべての人間が真っ白な
状態から行動を自由に選択できる場合のみ「性格」という言葉は使ってもいいが、
実際は人によって遺伝子にプログラムされた行動様式は異なると考えられるし、
遺伝子は同一でも親に刷り込まれた行動パターンも一種の遺伝(文化遺伝子=ミーム)
と考えられるから人間個人に選択の余地はほとんどないことがわかる。だから人間行動の個人差を
「性格」と読んで全責任を個人に負わせるのは明らかに人間の自由を拡大しすぎている。
そして今は、人間の自由なんか本当は全然ないという方向で考えたいと思う。
240考える名無しさん:03/07/01 23:46
人間に自由意志などというものはなく、すべては物質的に規定されたものにすぎない。
つまり人間といっても実は単なる野生動物にすぎないわけで、この考えを採用すれば
「人間や世界が根本的に変わる」という革命幻想を抱くこともなくなる。
人間が近い将来、私的所有や一切の争い事を放棄して高次の人間へ進化する、
という考えは人間が動物とは根本的に異なる精神的存在であることを前提としているが、
そんなことはありえない。人間は単なるサルの一種だから。
これをサル史観という(^_^)
241考える名無しさん:03/07/01 23:50
>>236
ちょっとオレは意見が違うな。
モノや対象の個性は人間が名前を与えれば際立ってしまうものだ。アリでもそうだと思う。

オレは茶碗のこと、歯ブラシのことを想定している。
日本では家族でも、個人所有の茶碗や歯ブラシがあって、家族の誰かが誤ってそれを使用すると気持ちが悪かろう?

もともと物自体には個性なんかないし、大差ないのだが、名称を与え、あるいは個人の所有を設定すると、それを侵犯した場合には、たちまち違和感を生ずる。
所有を設定していない食器では使いまわしてもどうってことはないのに。

よって、やはりドラマチック云々よりも、縄張りと境界設定、紐つけみたいなものが対象と自己との絡みで約束されると、他人事ではなく粘着すべき対象に昇格してしまうだけかと。

>>234
一卵性双生児も、クローンもそうだが、自己複製ではなく(=自分ではなく)、それらは単なる形式や器、入れ物の相似だろう。
クローンとて、全然似ていない他者(あるいは全然別種の生物)と同じで、決定的に隔絶し、絶対的に異なる場所で発生した別の宇宙の住民みたいなものだ。
意識を共有できはしないという意味では。
クローンで永遠の生命を得るなどというのは勘違いもはなはだしい。全くの他人が似た衣をまとうだけだ。


242236:03/07/02 00:56
>>241
いや、同じことでしょう。似たようなもの(生き物でも道具でも)がたくさんあるだけなら
特にどうということはないのに特定の対象に固有の名称(あるいは所有)を与えると
それは他のものとは交換不可能なかけがえのないものとなってしまう。こうしてそのモノは
「他人事ではなく粘着すべき対象に昇格」すると同時に人生をドラマ化するのだ。
アリだって一匹だけ飼っていれば愛着が湧いてくるかもしれないが、それは愛着が湧く以前の
多くの中の一匹と何らちがいはない。一匹のアリにかけがえのなさを感じるのが幻想なら
ひとりの人間を個性を持ったかけがえのない存在と感じるのも幻想だ。
243考える名無しさん:03/07/02 01:16
>意識を共有できはしないという意味では。

いや、一卵性双生児はある程度意識を共有していると思う。
といっても「共有」の意味がちょっと違うとは思うが、例えば「踊るさんま御殿」で
三倉マナ・カナ姉妹が司会者の言動にぴったり同じ反応をする。たぶんその時両者の
脳や身体内ではそっくり同じ過程が進行しているのだろう。そしてまったく同じ反応を
示した時、ふたりの精神状態も同じといっていいのではないかと思う。
もちろん生活経験にちがいがある以上厳密に同一ということはないが、利き酒で微妙な
ちがいを除外するくらいの同一体験をしているとは言えるだろう。
さてそうなると、私の体験とは世界に二人といないこの私だけの体験というより
単にある特定の身体的条件に規定された誰にでも起こることということにならないか。
ここにおいて「私」の唯一性は否定され、単なるパーツの組み合わせに還元されてしまうのだ。
244考える名無しさん:03/07/02 01:26
だからクローン人間がスキャンダルなんだよね。
すでに一卵性双生児は存在したが、それはあくまで他人事だった。
しかしクローンは誰のでも作れる。
そうなると、この俺の存在価値(唯一性)はどうなるんだ、ということになるのだ。
245考える名無しさん:03/07/03 00:40
いや、いや、振る舞いや行動、生起する感情や観念が似ていたり、同期していても、個体として分離された存在は別の場所にいるというだけで、似ていない他のものと同じくらい隔たっている。
かぶっている衣が似ていようがいまいが、そんなものは自己か非自己かの判別の基準ではないと思うな。
では何が衣で何が自己の本体か?
自己は異常に極微なのであれば、それはアリの頭にも収まるし、ゾウリムシの体にも入っちまうだろう。
点のように極微ではなく大きさがあるのか?
自己の大きさがあるのか?
ないんじゃないか?範囲を特定できないんじゃないのか?やっとこさ、体の膜のうち側で境界設定したりしても、大きな図体には大きな自己が居座っているのかいな?
つまり、意識の構成装置の方が逆に指定する場所が、自己なのであれば、一卵性双生児は意識の構成装置が同じではないので構成装置の存在場所の違い度合いは、他の任意の構成装置と同じ隔絶を体験する次第。
246考える名無しさん:03/07/03 02:28
たうたつだが「世界のきゃうだうしゃかんてきそんざいかうぞう」一巻を読むことをお勧めする。
247考える名無しさん:03/07/03 02:29
広松はバカなんだよ
248考える名無しさん:03/07/03 05:21
>>244
一卵生双生児のタレントとかいるが
あれだけ規定された売り出され方をしながらも
互いに性格は異なる
249考える名無しさん:03/07/03 05:56
>>248
それはそうだが俺が言いたいのは、一瞬でも同じ反応を示したらその反応は遺伝子に
プログラムされたものであり、その人だけの独自性はないことが一卵性双生児のケースに
よって証明され、それはほとんどの人間の行為や感じ方考え方についても言えるのではないか
ということなのだが。

そういう意味で人間を大きさを持たない「質点」と考えるのは面白い。
実際、理性のない人間を見ると、こいつは何も考えずに遺伝子のプログラムだけで
生きてるなと思う事は再々ある。先日もフジテレビの27時間テレビの深夜の漫才コーナーに
とても人間とは思えないようなヤツが出ていてびっくりした(茨城訛りのピン芸人)。
250249:03/07/03 15:25
「おぎやはぎ」だけは面白かった
孔子「我未だ生を知らず、いずくんぞ死を知らんや。」
俺「我未だ自を知らず、いずくんぞ他を知らんや。」
252考える名無しさん:03/07/03 15:33
>>251
あっ来ましたね。
>>252
なんで俺はこの板で人気者なんだ?
254考える名無しさん:03/07/03 15:34
「汝自身を知れ」か
>>254
俺「我未だ知を知らず、いずくんぞ無知を知らんや。」
256考える名無しさん:03/07/03 15:37
ヒャーッヒャッヒャッヒャはどこが本拠地なの?
すべては運命のなせる業だ・・是非に及ばず。
>>256
別にどこも。
259考える名無しさん:03/07/03 15:38
コスモポリタンですか・・・
260考える名無しさん:03/07/03 17:18
>>253
人気なんかねぇよ誰だ手前?
勘違いするな
261考える名無しさん:03/07/03 20:06
>>253
おめぇだれ?
広松でも読んでねろ、ヴぉけ
262直リン:03/07/03 20:07
263考える名無しさん:03/07/04 00:44
形式は重要です。
世に重要なのは、
位置
関係性
構造
の三つです。
形式の重要性は、伝播できる唯一のものだからでしょう。
遺伝子もそう。言語も。伝播できるものは非連続結合体系です。構造の一翼を担っておるです。
位置は伝播できません。
関係性も伝播できません。
非連続結合体系のみ、伝播する。そして、自己は位置に過ぎないのです。つまり、伝播し得ない。
264考える名無しさん:03/07/04 00:46
ややこしいけど「感性」とか入る余地があるのかな?
265考える名無しさん:03/07/04 00:56
感性ね。あまり重要じゃないな。感性は「おだ」みたいなもんです。
この位置から、
いろいろな夾雑物や衣を通して、
われが感得するものはこれだよと提出しているが、関係性構築のための枝葉。
感性は位置が構造的に看取して関係性を模索するための手がかり。
266考える名無しさん:03/07/05 21:01
思うのだけれど、宇宙というものは一つの生物みたいなものであり、
「人間」はその生物の中の「現象」の一つというだけなのではないだろうか。

例えば、ある人が学校に遅刻した。
何故遅刻したのかというと、チリが目に入って目を洗っていたからである。
何故チリが飛んだのかというと、道路を自動車が猛スピードで走っていたからである。
何故猛スピードを出さなければならなかったのかというと、運転手が寝坊したからである。
何故寝坊したのかというと・・・

このように、全ての行動はつながっていると考えるのです。
大げさに言うと、私が今手を振れば、何年後かロシアで自動車が事故を起こしたかもしれない。
桶屋が儲かったのは、一ヶ月前に一陣の風が吹いたせいかもしれないということです。

この考えによると、人の考えも過去から決められていたことになるのですよね。
>>264がカキコしたから、>>265がレスを返した。
美佳ちゃんは過去のトラウマが元で、ある行動を実行に移せなかった。
もしかすると、僕が西暦2003年7月5日に2chにこのカキコをすることは、縄文時代から決まっていたことなのかもしれない。

しかし、決まっているとしても、今あるコンピュータや人間の頭脳では、完璧に未来を見通すことはできませんけどね。
空気の1分子の動きや全人類の人生からシミュレートしなきゃなりませんから。
そんな計算は、今この時代にある全てのコンピュータを総動員してもできないでしょうね。
267考える名無しさん:03/07/06 02:20
おい「宇宙」電波くん、でてってくれ
268考える名無しさん:03/07/06 07:54
>>266
キホンです
269考える名無しさん:03/07/06 23:12
計算でどうにかなるものじゃないんだよ。
哲学は、今でこそ自我とか、神とか、主体性とか、追い込まれた挙句のどうでもいいテーマに偏しちゃいるが、


本来は、頭の使い方を正すためにある。
270考える名無しさん:03/07/12 13:34
最近、頭部がくっついている双子の手術があって、
切断手術したら片方の方がお亡くなりになった、
という事件があった。あの方達の身体というのは
どうなっているのだろう?どちらがコントロールの
主体を担っているのか?
271考える名無しさん:03/07/12 18:43
>>270
両方亡くなったんだよ
脳は別々のもので両方独立した意志があった
俺は寧ろくっついている部分を触ったらどちらが感覚するのだろうか
という事が疑問だ。もしかして二人とも感じるのか?
272270:03/07/12 23:11
>>271
情報さんきゅ。そうだったんだ…お二人ともか。
ご冥福をお祈りします。
一つのからだを二人で共有している、という状態なんですね。
移動の際に足を動かすのはどうやってんだろ。
両者が片足を分担しているのか?でも、それじゃあ、転んでしまう。
それでは、一人が統制しているとする。とすると、もう一人が
統制できる固有の部位というがあるのだろうか?もちろん、
首から上は動かせるだろう。
273考える名無しさん:03/07/12 23:46
テレビで見たけど頭骨がくっつき脳漿も共有しているだろうが、脳は別々。体も別々。
274考える名無しさん:03/07/13 00:25
内臓は共有、肛門は別々?
275274:03/07/13 00:26
腕も足も二本しかなかった。
身体自我というのは人それぞれじゃないのか?
276山崎 渉

 __∧_∧_
 |(  ^^ )| <寝るぽ(^^)
 |\⌒⌒⌒\
 \ |⌒⌒⌒~|         山崎渉
   ~ ̄ ̄ ̄ ̄