人工知能4

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797考える名無しさん
目的-手段図式は、目的/手段の適切な組み合わせという点から
諸可能性を整除するために用いられていると言ってよい。
我々は、目的に即して手段を絞り込むこともできるが、
手段に即して目的を絞り込むこともできる。
貧困救済のために諸政策を絞り込むこともできるが、
予算の点から行う施策を絞り込むこともある。

これと、上位/下位のヒエラルヒー図式を組み合わせて
目的-手段を階層化することも可能だ。
その場合でも、ある下位レベルで手段に即して目的を絞り込んだ結果、
上位レベルの目的もまた変動していくことはある。

いずれにせよ、目的-手段図式で問題になっているのは、
目的と手段の適切な組み合わせという点から諸可能性を整除することであって、
別に所与の目的(これ自体、宗教的世界観の衰退以降信憑性を失っている)に即して
手段を絞り込むことだけが問題になっているわけではない。

したがって、当然、目的-手段図式以外の期待図式もまた存在する。
原因-結果、上位-下位、入力-出力、一般的-特殊的・・・など。
これらのうちどれが用いられるかは定かではないが。

古代ギリシア以来、世界は善き目的への寄与という点から
目的-手段図式を用いて整除されてきた(物が落ちるのは母なる大地を目指すからであり、
また、人々は階層的に整除され、上位の人々はよりよく世界の目的に近いとみなされる)。
17世紀には、すでに目的-手段図式は物質の運動に関しては信憑性を失う。
このことが示すように、目的-手段図式は別に思考の唯一の図式というわけではない。
「最終的な目的」なる概念は、今日ではすでに時代遅れになっている。