青木孝平『コミュニタリアニズムへ』

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590物象化批判→共同体主義という飛躍
568さんが肩こりのために日和った作業を身体強健なオイラがやるよ。
『学校が自由になる日』(柏書房)
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4876721041/ref%3Dpd%5Fsim%5Fb%5Fdp%5F1%5F2/t/249-1962808-6919553
の292ページから293ページ(内藤朝雄発言)だったよね。
わけのわからん哲学呪文(おそらく論理は穴だらけ)よりも、こういうわかりやすいまっすぐな論理がいい。
「 こういう人たちは特定の絆、とくに共同体の絆をもって絆全般を僭称してますね。
さまざまにあり得る絆ユニットの一つのタイプにすぎない共同体的関係性が、何かそれが関係性のすべてだとでもいうふうに玉座を僭称するのは、滑稽です。
多種多様な絆ユニットの生態学的な布置を考えれば、こういう考えがでたらめだということは一目瞭然になります。
さまざまな絆ユニットがせめぎあうダイナミズムのなかで、その布置が変わるだけのことを、彼らは絆全般に対する冒涜と考えているようです。
しめったコケ類が後退したところに、タンポポが咲き乱れている生態学的遷移を、植物の否定と呼ぶような誤謬です。
絆ユニットという広い概念の地位を共同体という何か狭いものが僭称する。
あるいは関係性という広い概念を、「自己決定によって損なわれる」特殊なタイプにすり替えています。
 絆ユニットや関係性そのものを、共同体主義もリベラリズムも衰退させることはできないですよ。
それはもう原爆で人類が破滅しないと衰退しません。絆ユニットとか関係性なんていうものは、どんな社会にも、どんな人間にもあるから。」
(続く)