1 :
考える名無しさん :
03/05/01 20:34 自分の言葉とはいかなるものか? それは、存在するといえるのか?
2 :
考える名無しさん :03/05/01 20:36
同感です(^^) 今でこそ細かな使い勝手では定評のある・・・(略)
自分の伝えたいことを言葉で表現するためで、 しかも相手に伝えたい内容が伝われば、 それが丸々他人の言葉を引っ張ってきたものでも、 「自分の言葉で言えよ」とは思わない。 権威主義的な人や宗教の狂信者みたいに自分の外にある何かを過信してる人と、 バイトの店員とかお役所みたいに、マニュアルどおりにやっときゃいいでしょ的な人には、 「自分の言葉で言えよ」と思う。
4 :
考える名無しさん :03/05/01 21:05
英語でいえば My words あるいは、I have my words。 「I」は「私」であり「My」は「私の」である。 もしこの「I」と「My」 が他の誰かであったら 「彼は自分の言葉を持っている」や 「私は彼女の言葉を持っている」となってしまう。 よって「私は自分の言葉を持っている」を証明する上で 「I」と「My」に厳密なまま扱わなければならない。 つまり「私」とは何かを証明し 次に「私の」とは何かを証明しなければならない
5 :
考える名無しさん :03/05/02 02:31
面白そうなテーマだと思うんだけど、レスつかないねぇ。
>>1 もっと盛り上げてよ。
その「証明」にゃ、おしまいが無いんじゃない? 更には、「真」と思えた筈の「命題」でも、 一瞬間後、「偽」に堕ちてしまう可能性は、 いつまでも残る。
ほほう。 まさしく「求道」そのものですな。
わかんねー!
12 :
考える名無しさん :03/05/02 11:51
もし、I と My が異なるなら、それは 私 から 私の につなげられるのか。 もし、I と My という二種の語が同時に同じ意味をもつのなら矛盾である。 矛盾は実在的根拠をもたない。 私 ほど確実なものはないから 私の は適当な表現であるか問われる。
13 :
考える名無しさん :03/05/02 12:00
俺様の言葉と威張っていてはうまく書けんもんよ。 どこかしら言葉任せかもな。
14 :
ロラン・バルト :03/05/02 12:07
言語活動は立法権であり、言語はそれに由来する法典である。 われわれは、言語のうちにある権力に気づかない。というのも、 およそ言語というものはすべて分類に基づき、分類というも のはすべて圧制的である、ということを忘れているからである。
15 :
考える名無しさん :03/05/02 12:10
I という言葉を使うには、どんな条件が必要か。 ・ロボットに言葉を覚えさせ、ロボットが「I am robot」と言った。 おおよそ、これは言葉を理解して使われてないといわれる。 なぜなら、ロボットには自己意識がない。 I とは自分のみが所有する語ではない。他者もまた I を所有している。 You are 西村博之. I am 削除人. 他者なくして自己意識はなく、I という言葉を理解したとはいえない。 もし、自分の言葉というものが独立した主観性であると言い張るなら それは I という語を理解したとはいえない。
問1 あるハゲの男性Aがいたとして、Aはハゲの生活を体験している。 Aが育毛のために医者をたずねて、その医者がフサフサであった場合、 その医者はハゲについて理解していないといえるのか。
17 :
考える名無しさん :03/05/03 05:21
自分はいかなる存在であるかという問いは、同一性によって答える。 事物の自己同一性が問題となるのは、意識の同一性に関してのみである。 知識において認識が選択という行為である。 もし、自己選択性があるならば意識の自己同一性を説明する。 よって、あるならすべてにあり、ないならすべてにない。 おしまい。
究極的には個別のオリジナリティーなどというものは存在し得ない。 駄菓子かし、究極的オリジナリティーはただ一つだけ存在し得る。
もし、対象を使いこなせているかで自分の言葉を持っているといえるのなら 剣道の X が、他人Y の刀を自分の刀と同じように使いこなしたら Y の刀は X のものになるのか。 もとより X は Y を所有していない。X が Y の刀 を使いこなせたのは X が 自分とは関係なしに共通した技術を持っていたからである。 よって、X は Y を持っているというのは適切ではない。X は 技術を持っている。 それと同様に、自分の言葉とは、言葉を持っているとはいわない。 自分の言葉とは(自称所持者がこの呼び方を守るのであらば)存在しない。
21 :
考える名無しさん :03/05/04 12:44
それは達人の域に達したヒトだよ。 「弘法筆を選ばず」
自分の言葉なんてないんだな。
形容と概念を区別しようの巻
おまえがしれ
25 :
考える名無しさん :03/05/06 06:01
自分の言葉は東北弁です。
27 :
考える名無しさん :03/05/06 18:21
おもにアイデンティティが稀薄なものが自分の言葉とやらを拠り所にする。 きみがトマトジュースを所有していて、 それを海に流し均等に混ざりあったとしたら、その海はお前のものになるのか? もし、持つことができなければ、なにものであるということもいえない。
自分と言葉が結びついて持つという言葉で表現されるのには誤用がある。 なぜなら、そうした過程は所有されるのではなく、ただ経験されうるのみだからである。 よって「私は自分の言葉を持っている」とはいえない。
そうか。私は私を持っているとはいえるが、 私の言葉を持っているとはいえないわけか。 それは所有するものではないから。 しかし、言葉は私を持つことはできる、と。
私は私を持っているとはいってないだろ。 二行目からは同意。
31 :
考える名無しさん :03/05/10 16:04
「自分たちの言葉」ってのはある?
ないな
自分の言葉とは、しばしば病をアイデンティティとする患者と似ている。 たとえば、不眠症は肉体的感覚ではなく、眠ることができないという精神の状態である。 もし私が「眠ることができない」と言わずに「不眠症を持つ」ことについて語ったとすれば 私は眠りを妨げる心配、不安、緊張の経験を棚上げして、精神的現象を肉体的徴候であるかのごとく扱いたい、という願望を露呈することになる。 ( Erich Fromm : TO HAVE OR BE? 1976)
34 :
考える名無しさん :03/05/12 23:19
まったくだ
>>33 いろんなものをひっくるめて「言葉」として扱ってしまってるってこと?
難しいんで、もう少し分かり易くおしえてください。
36 :
考える名無しさん :03/05/18 22:25
良スレ
>36 君も酷い男だ。
他者の言葉です
━―━―━―━―━―━―━―━―━[JR山崎駅(^^)]━―━―━―━―━―━―━―━―━―
結論「自分の言葉など"ない"」
∧_∧ ピュ.ー ( ^^ ) <これからも僕を応援して下さいね(^^)。 =〔~∪ ̄ ̄〕 = ◎――◎ 山崎渉
携帯ゲーム機"プレイステーションポータブル(PSP) このPSPは、新規格UMD(ユニバーサルメディアディスク)というディスクを利用しており、そのサイズは直径6cmととても小さい(CDの半分程度)。 容量は1.8GBとなっている。 画面は4.5インチのTFT液晶で、480px x 272px(16:9)。MPEG4の再生やポリゴンも表示可能。外部端子として、USB2.0とメモリースティックコネクタが用意されているという。 この際、スク・エニもGBAからPSPに乗り換えたらどうでしょう。スク・エニの場合、PSPの方が実力を出しやすいような気がするんですが。 任天堂が携帯ゲーム機で圧倒的なシェアをもってるなら、スク・エニがそれを崩してみるのもおもしろいですし。かつて、PS人気の引き金となったFF7のように。
43 :
考える名無しさん :03/06/26 02:29
44 :
考える名無しさん :03/06/26 05:33
45 :
考える名無しさん :03/06/26 07:53
46 :
考える名無しさん :03/06/26 08:30
それは気持ちが入ってるかどうかの問題になるな。常識的には。哲学的には分からん。
47 :
考える名無しさん :03/06/26 11:34
>>17 > もし、自己選択性があるならば意識の自己同一性を説明する。
感動した。
∧_∧ ピュ.ー ( ~ºшº~)<犯罪のない日本は世界の奇跡dies(~ºшº~)。 =〔~∪ ̄ ̄〕 = ◎――◎ ポン人
__∧_∧_ |( ^^ )| <寝るぽ(^^) |\⌒⌒⌒\ \ |⌒⌒⌒~| 山崎渉 ~ ̄ ̄ ̄ ̄
因果応報に気づけば自分の言葉も出てくるかもな。
(⌒V⌒) │ ^ ^ │<これからも僕を応援して下さいね(^^)。 ⊂| |つ (_)(_) 山崎パン