778 :
考える名無しさん:
連載15 死に方上手 ―夢の安楽死病院― 週間新潮8月14・21日号
死因の第一位としての癌がなくなれば、日本人の平均寿命はさらに延び、男で87歳、
女で93歳になるだろうと、新聞に出ていた。別の日にはニュースで、政府は今後十年間で
癌の撲滅を実行すると発表した、と言っていた。
いったいどうするつもりなのだろう。という感想が、嘆息とともに率直には出てくる。平均
寿命を延ばすために、癌の撲滅を図るわけではなかろうけれども、平均寿命をこれより
延ばして、それで、どうするつもりなのだろう。日本人の平均寿命が今年もまた延びました
と聞いて、率直に喜べる人が、はたして今でもいるものだろうか。
かつて長寿がめでたいことだったのは、端的に、それが珍しいことだったからである。
平均寿命50の時に、80まで生きる人は珍しい。おおこれはすごいということで、それは
めでたいということになったのである。鶴亀である。めでたがれる当人にしても、周囲から
めでたがれることの自覚があったから、それにふさわしい振るまいをしただろう。つまり
隠居なり翁なりとして、後進に範を垂れる知恵者だったのである。老人とは、すんわち
賢人のことだったのである。
しかし、現代においては、後進に尊敬されるような賢い老人は稀である。老人はいくら
でもいる。五人に一人は老人である。しかしそんな人は稀である。
これはなぜかというと、老いること自体を否定的に捉える時代風潮のせいである。
老いるということは、精力がなくなる、美しくなくなる、人生の快楽を享受できなくなる、
つまり敗北なのである。ゆえに、人生の価値を快楽にあると思っている人には、これを
恐れる。恐れて、若さという価値しか知らずに老いた人は、したがって、語るべき知恵を
持っていない。ただ歳をとっただけの無内容な人、文字通りの敗北者である。当然、
周囲からは尊敬されずに疎まれる。それで人は、老いることをいよいよ恐れるようになる
という悪循環である。
779 :
考える名無しさん:03/08/07 13:24
それでも人は老いることをとにかく恐れて、各種健康法に勤しんでいる。その一方で、
あんまり長生きしたくないとも思っている。適当に遊んだら、適当なところでポックリ死に
たい。これでは、人が人生の価値や、老いや死の意味について、じっくり考えて賢くなる
ことなど、なくなるのは当然である。老いるのが嫌で、若さこそが人生だと思っているなら、
癌などほうっておけばよいではないか。ポックリ死に憧れずとも、確実に数年以内には
死ねるではないか。
でもそれはそれで、死ぬのもやっぱり嫌だから、ということになる。現代人の人生観は
完全にとっちらかっている。もし自分の人生を、納得して全うしたいと思うなら、遅かれ
早かれどこかで人は、覚悟を決めなければならないのである。
個人の覚悟は、その意味で明快だけれども、超高齢化社会に突入する近未来、われ
われの社会はどうするのか。
安楽死病院の創設を、私は是非とも提案したい。長生きが必ずしもめでたいことでは
なくなっているのは、他でもない、介護への不安である。若さを失い、そのうえ介護されて
まで長生きしたくないと、人はそれを恐れているのである。それなら、触れ合いの助け合い
社会、死なせてくれと助けを求める人を助けてあげるのが、筋というものであろう。
助けを求める前にボケてしまうのではないかという不安もある。確かにこれも怖い。
だからあらかじめ国と約束しておくのである。要介護になったら、年金で安楽に死なせて
くれ。
命を粗末にしているのではない。逆である。考えているのである。命の価値について考え
ている人は、自殺は後生が悪いと知っている。命とは何か、最期まで考えぬこうとする
だろう。したがって、こういう人はボケない。後進に尊敬される老賢者となる。安楽死は不要
である。われわれの社会は、実によい循環に入るではないか。