ニーチェの永劫回帰って??

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523考える名無しさん
> 超人というのはある規範があるのではなくて、程度の問題であると思うのですよ。
> ある超人という人間のタイプがあるのではなくて、それぞれのタイプに十人十色
> の超人がありうるように考える

これはもちろん。ドゥルーズ的には個を有機体として捉えずに、木から落ちた猿が
手-枝という接続から手-道具あるいはジャングルの喧噪から草原に出て
のど袋が声帯になり、口腔粘膜が裏返って唇になり、繊細な音が出せるようになり
言葉を獲得、みたいな身体論があって、詰まるところ人間の道徳を破壊したあと超人の
倫理が浮かび上がるっていうのはこうした良い出会いを作れる大まかな
にして可変的な規範をその場その場で作っていくということであって。
凄く緩いし、一人一人違う。それでも、これっていうのは凄くエネルギーがいるわけですよね。
自分の周囲との繋がりを、きちんと把握して、これからどうすればいいのかって
考えるのは、決して馬鹿や弱者には出来ない。
「ツァラトゥストラ」の最後にライオンが出てくるのを取り上げて、結局ツァラトゥストラには
破壊することしかできなかったと言ったのは、ハイデガーだったかドゥルーズだったか。