超越論的還元について質問

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381:03/03/28 02:13
>>31
ちょっと今文献を読み直しているので待って下さい。


391:03/03/28 02:13
>>33-37
>>1からを読んでくれれば分かると思いますが、
僕は、フッサールの志向した「本質」なるものが、
最終的にその「神秘的」なものではないか、と質問したわけです。
その上で、超越論的還元の、神秘哲学に対する不可能を言いました。
言語の介入という事態を通して。
>>5さんの言葉を借りれば、言語の還元不可能性です。

で、このスレでメルロポンティやデリダがそれを乗り越えようとした、
ということを学んだので、その方法論を考えようと思っているわけです。
僕の出発点は、まず現象学的還元の完全な純粋さに躓いたことであって、
自身が神秘哲学を志向しているわけではありません。

存在そのものへの帰一を神秘主義と定義するならば、
僕がそれに惹かれているという指摘は当たっているかもしれません。
サルトルや東洋哲学にしっくりくる、というのもそうかも。

401:03/03/28 02:14
しかし、「事象そのものへ」という標語自体、いわゆる「神秘主義」
と深く関わっているのではないですか?その可否は別として、
現象学を考える場合、存在そのものへの方法を神秘主義と一蹴してしまい、
「哲学」なるものと隔絶させてしまうことは、思考を妨げること以外の、
何ものでもないように思われます。

後期ハイデガーなどを意味も分からず読んでいると、
精密な西欧哲学的思考とともに、そういう神秘的なものを感じます。
↑どこかで聞いたようなことをぬかしましたが、
要は、個人的見解として、現象学を学ぶときには「神秘思想」も範疇に含めた
幅広い態度が有意義になると思うんですよ。重複文章すいません。



411:03/03/28 02:21
>>34
ヘーゲルのカント批判とは、この際どういう意味を持つんですかね?
フッサールの超越論的学問は、カントの純粋自我の発想から多大な
影響を受けているんですよね、確か。
自己同一性をめぐる、時間の問題もカントの思考と共通しているようです。

ヘーゲルについては加藤尚武先生の本をななめ読みした程度なんですけど、
もしかしたらこういう新カント派からの影響を考慮した場合、
彼のカント批判はフッサールを学ぶ場合に意味を持ってくるんでしょうか。

具体的に指摘していただけると嬉しいです。

421:03/03/28 02:25
>>26
特定されかねないので何も言えませんが、
とりあえずセンターがぼろくそで、前期日程落ちちゃいました。
>>28
理系はたとえ入りたくても入れませんねー
数3とってませんし。


今月末に下宿に引っ越すので、あと数日で一段落つけなければいけません。
何しろ、ADSLをひくのにかなり苦労しそうですから。
431:03/03/28 02:54
>>31
>その例からすれば、そういった本質はフッサールに求めることはできないと思うよ。

この指摘は、現象学的還元を考える際、僕がその方法の外側に立って
疑問を呈したことに対するもの、ですね?
つまり、「世界が在る」といった存在への確信は、
それ以上遡行して考えることが出来ないという意味で、必然的明証性であり、
これに逆らって「ありのままの存在」本質を問うということは、
つまり語り得ぬことを語っているのだ、ということか。

しかし、フッサールは晩年、この明証の構図を、どうやら「地平」とか
「世界」とかいう概念によって捉え直そうとしたように思えます。
(はっきり言って、ここらになるとフッサールが何を書いてるのかさっぱりですが)


>ここで示されるのは意味の生成であっても、ナマの経験の現前ではないと思うけど。
ここでの「意味」は、言語的な事態を指し示すものではなく、
同一性をめぐって全てが現象学的領域において記号となって現れた、
という事態を指す、広義の「意味」のことですね。

そう考えればまさにその通りで、現れるもの、ノエマは必然的に「意味」で
しかないわけです。「ナマ」云々は、先ほどの語り得ぬ領域なのでしょうか。


今、後期フッサールについて勉強しているので、また報告します。

「日常性」とやらの現象学の方法が、上の質問にどのように答えるものなのかが
今のところ目下の疑問なので、また指摘・批判あればよろしくお願いします。
441:03/03/28 02:56
今のところ、目下は同義反復ですね。
まずい文章で恥ずかしいです
45考える名無しさん:03/03/28 04:12
高校時代がしりたい>
46真の1:03/03/28 04:16
ソフィアタンでハァハァしてまつた
ソフィアタン・・・アア・・・デ・・・デルヨ~~~デル~~~〜!!
47考える名無しさん:03/03/28 04:31
>>46=ソフィア
48Sophia ◆8ADoZCl6.k :03/03/28 04:59
47 ちょっとやめてください!!
49考える名無しさん:03/03/28 09:30
正助かな。阪大合格したか。
50考える名無しさん:03/03/28 09:58
>>41
ヘーゲルの『エンチクロペディア』のカント批判なんかがこの場合まさに読むべき
ものなんだけど、まず第一に、フッサールはこの本を所有してて、書き込みもちょっとあった、らしい。
第二に、デリダが自分のフッサール批判はヘーゲルのカント批判と平行的な部分があると述べている。
具体的に言えば物自体や無限をめぐる問題。まあこの辺はヘーゲル解説書なら絶対にとりあげるところなので
ヘーゲル自身にあたらなくてもいいと思う。

ついでにもう一つ言っとくとフッサールはエックハルトに共感を寄せていた。
この辺の事をテーマにした論文が『媒体性の現象学』の中に入ってた記憶があるけど
誰のか忘れちゃった。今手元にないし。
まあ適当に調べてくれ。
511:03/03/28 11:35
>>49
一体、どういう書き込みから判断されたんですか?
すごいなー ビビッタ

実は、京大志望だったんですがセンターで受けられなくて、
(バンザイシステム泣きまくり)
しかも前期で落ちたというのが阪大なんですね。
いやー、情けないですねー

>>50
『エンチクロペディア』ですね。読んでみます。
>>43の、絶対的明証性からさらに遡行した領域というのが、
カントの物自体の議論とどこか共通している、と思っていましたが、
ヘーゲルとの関連は無理解でした。ご指摘ありがとうございます。

無限をめぐる問題について。レヴィナスを読むときに一度
カントを紐解きましたが、フッサールの問題と絡めたことはありませんでした。
僕はフッサールの根本問題である、時間についてよく考えたことがないので、
これが理解を妨げている要因かもしれません。

フッサールがカントの神話的、とも言える超越論的概念構成や、
デカルトの心理主義的すり替えから脱却するために切り拓いた道が、
おそらく生活世界の概念なのでしょう。
この概念と相関的な超越論的主観性が目指すところは、
カントのテーマである客観性の基礎とも深く関わっているような気がします。


エックハルトも、「媒体性の現象学」も、はじめて目にしました。
大学の図書館で調べてみます。
52あちょー:03/03/28 11:52
フッサールあまり知らないので恐縮ですが、
>>1
>理念的、普遍的な性格を持つ意味での本質なのでしょうか。
>それとも、個別的、唯一存在的(?)な本質を示すものなのでしょうか。

>本質直観とは理念的、普遍的本質を把握する操作なのでしょうか。

どちらの場合もあります。例えば「時間」の本質は普遍的で「東京都」の
本質は個別的という感じです。

>本質直観においては、言語は如何様に関わっているのでしょうか。

本質直観に対応する言語が連想されることがあります。
53あちょー:03/03/28 11:53
>>2
>一般定立を判断停止したときに、言語の働きまでカッコに括られているのですか?

そうなりますね。

>なぜなら、想像において、常に言語が関わっていると考えるからです。

それは何故でしょうか。
54あちょー:03/03/28 11:57
超越論的還元についてのいい例があります。言語を知らないあかちゃんが
超越論的還元によって言語を身につけることです。これを考えてみては?
55:03/03/28 12:20
>>52

>どちらの場合もあります。例えば「時間」の本質は普遍的で「東京都」の
>本質は個別的という感じです。

僕は、超越論的還元において明示される現象の「本質」を考えているわけですが、
超越論的現象野に現れる現象と、「時間」とは、根本的に次元を異にするのでは?
むしろ、そういう還元や、モノの「あらわれ」を可能にするようなものが、
「時間」であるはずです。もちろん、>>52はあくまで例えでしょうが、
こういう区別は重要ではないでしょうか。

また、「東京都」の本質こそ、まさに抽象的、言語的本質ではないですか。
これは僕の言葉足らずですが、存在そのもの、言語分割以前の、
「モノのありのまま」が、自らを開示してくるような事態が、
「個別的、唯一存在的」本質である、つもりです。

>本質直観に対応する言語が連想されることがあります。

直観によって看取された本質を、果たして言語によって記述しうるものでしょうか。
その本質が、言語以前の存在の開示であれば、なおさら記述不可能でしょう。
この記述不可能性を検討することを、今考えなければならないのではないですか?

>>53
>>なぜなら、想像において、常に言語が関わっていると考えるからです。

想像においてなされる変容とは、
「形式化」や、「類化」であるそうです。
こうした操作は、言語による存在の分節なくして不可能ではないでしょうか。

「机」とはこのようなものだ、という認識は、
すべからく「机」に対する言語的記述と不可分でしょう。
56:03/03/28 12:24
>>54
>超越論的還元についてのいい例があります。言語を知らないあかちゃんが
>超越論的還元によって言語を身につけることです。これを考えてみては?

すごく面白い問題提起だと思います。
しかし、赤ちゃんが「超越論的還元によって言語を身につける」とはどういうことでしょうか。
これは、言語を知らない以上、全ては純粋な意味での超越論的現象野において
あらわれる、ということでしょうか。

僕が思うに、赤ちゃんの言語学習は、身体的な次元にある気がします。
ちょうどピアジェとラカンの本を買っていたので、それを読んでみます。
ポンティの「行動の構造」「知覚の現象学」にもヒントがありそうですね。
57考える名無しさん:03/03/28 13:23
幼児の認知ならラカンやピアジェより発達心理学や認知心理学の本読みなさい。
58考える名無しさん:03/03/28 14:05
ピアジェなんてモロ、ヨーロッパ的発達観に支配されてるだろ。
59考える名無しさん:03/03/28 14:11
このやりとり、なんだこりゃあ ↓

49 名前:考える名無しさん :03/03/28 09:30
正助かな。阪大合格したか。

51 名前:1 :03/03/28 11:35
>>49
一体、どういう書き込みから判断されたんですか?
すごいなー ビビッタ

実は、京大志望だったんですがセンターで受けられなくて、
(バンザイシステム泣きまくり)
しかも前期で落ちたというのが阪大なんですね。
いやー、情けないですねー
60考える名無しさん:03/03/28 14:20
正助は二年ほど前、阿修羅を泣かしたコテハン
一部で人気(w
61考える名無しさん:03/03/28 14:32
>>51
待ったましたといわんばかりのおしゃべり。
62考える名無しさん:03/03/28 14:35
ピアジェって、どっちかいえば従来の発達観からぬけだそうとした人じゃない?ピアジェの弟子の論文読んだことある?
63考える名無しさん:03/03/28 14:43
誰だそれ
64考える名無しさん:03/03/28 14:49
発達心理学というのは、発達過程を分解してそれを学習過程に還元する
ことでしょ。
そういった類は多かれ少なかれピアジェの影響下にあるんじゃないの?
65考える名無しさん:03/03/28 14:51
49=51
66考える名無しさん:03/03/28 14:54
>>64
ラカンと西欧形而上学の知の枠組みの関係はどうよ
67考える名無しさん:03/03/28 15:03
私達IQ低いでしょ。
だからみんなで発達という信仰をぶちやぶりましょう。
IQが高いとか低いなんて発達信仰の価値観。
IQの彼岸で超人の価値観を獲得するのよ!


お?キャハ?今覚醒しましたわ。キャハキャハキャハ(^v^)
68考える名無しさん:03/03/28 15:08
>>67
正助かな。阪大合格したか。
69考える名無しさん:03/03/28 15:13
>>68
落ちたんだろ(ww
漏れ?漏れは京大(藁藁藁
70考える名無しさん:03/03/28 16:13
>>23
>事象が、その事象にふさわしく自己を現してくる、その方法において、
>判断中止しなければならないのは、言語の分節化機能であり、それによる
>抽象化、形相化ではないですか?たとえ、言語の完全な還元が不可能にしろ、
>目指されるべきは抽象的、普遍的本質ではないはずです。

フッサールの企図をこのように要約するのは正しいのですが、「言語の完全
な還元が不可能」というところに徹底してこだわったのがデリダ。
というのもデリダがつぶさに論証したのは 「言語の分節化機能」を「判断中
止」しようとするフッサールの企てが、おのれの企てを徹底させればさせる
ほど 「言語の完全な還元が不可能」であることをみずから露呈してしまうと
いう、そのような運動だからです。フッサールの企てが不完全だったから失
敗したのではなく、むしろ企ての遂行の完全な厳密性こそが、その厳密さゆ
えにかえっておのれの企てのネガとして 「言語の還元不可能性」を必然的に
浮き彫りにせざるをえない、そうした奇妙な運動がある。
デリダの書物については(『グラマトロジー』よりも)『声と現象』『幾何
学の起源』にとりくんでみてください。
71考える名無しさん:03/03/28 18:16
>>66
浅田彰の構造主義のリミットとしてのラカンでいいよ。
72考える名無しさん:03/03/29 04:04
1はラカンを読んで頭を抱えておる途中です
73あちょー:03/03/29 11:36
セクースさせることです
74考える名無しさん:03/03/29 11:39
>>55
>こういう区別は重要ではないでしょうか。

重要かもしれないけれど、関係あるのかな。

>また、「東京都」の本質こそ、まさに抽象的、言語的本質ではないですか。

東京都は固有名詞なので抽象的といわれても。
75あちょー:03/03/29 11:40
スマソ >>73は誤爆
76考える名無しさん:03/03/29 18:06
だからその「固有名詞」がなんで個別的存在になる?
というか、セクースってなに(゚Д゚;)
77考える名無しさん:03/03/29 18:33
>>52
「時間」の本質なんてどこにあるんだ?

http://www-miyakelab.mp.es.osaka-u.ac.jp/morita/philosophy/thema/time.html
>「時間」は実在するのか,単なる仮象に過ぎないのか,そして実在するならば,それは人間の主観を
>離れて実在するのか,また,主観のうちに実在するのか.古来,時間に関する議論はさまざまな立場
>からなされたが,未だにその答えは出ない.


78考える名無しさん:03/03/29 20:12
あちょー、現象学は難しいからやめとけ
79あちょー:03/03/29 20:57
>>77
本質と実在は違います。
80考える名無しさん:03/03/30 02:42
1は引っ越しますた
81考える名無しさん:03/03/30 19:39
あげ
82考える名無しさん:03/04/01 22:36
1ってチンポ太郎とか研究者とか名乗ってた人じゃないの
フッサール関係だし
83山崎渉:03/04/17 10:02
(^^)
84山崎渉:03/04/20 04:48
   ∧_∧
  (  ^^ )< ぬるぽ(^^)
85考える名無しさん:03/05/21 15:51
無理
86山崎渉:03/05/21 23:00
━―━―━―━―━―━―━―━―━[JR山崎駅(^^)]━―━―━―━―━―━―━―━―━―
87山崎渉
     ∧_∧
ピュ.ー (  ^^ ) <これからも僕を応援して下さいね(^^)。
  =〔~∪ ̄ ̄〕
  = ◎――◎                      山崎渉