哲学とは

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1フィロソフォス
哲学とはいったいなに?からはじめたいと思います
2考える名無しさん:03/03/27 11:51
国語辞典見ればわかるでしょ
3考える名無しさん:03/03/27 12:08
でも、今の哲学って、病気みたいでしょ。
普通に仕事してる人が、よりよく生きるために、
世界をよりよくとらえるために、あえて哲学的懐疑をするって
感じじゃないじゃん。
哲学的懐疑嗜好症っていうか、哲学的懐疑肥大症というか、
さかさまの印象があるな。
4考える名無しさん:03/03/27 12:24
オムツ
気が狂うのをふせぐための
5フィロソフォス:03/03/27 12:35
国語辞典にかかれている哲学の定義が果たして正しいものだろうか

6考える名無しさん:03/03/27 12:37
とりあえず正しいそうだよ
7フィロソフォス:03/03/27 12:41
なんてかかれてある?
8考える名無しさん:03/03/27 12:47
1.世界や人間についての知恵・原理を探究する学問
2.人生観
9フィロソフォス:03/03/27 12:49
俺が思うのはいっぱんてきに哲学の定義があいまいで
人によって解釈がちがってたりするから
それがまた哲学の混乱を招いているのではないかと
だから哲学の定義を正しく理解する必要があると思う
10フィロソフォス:03/03/27 12:52
それで哲学の全てを定義できてるかな?どうおもう?
11考える名無しさん:03/03/27 12:55
あと
【哲学的】
物事を根本的に考えるさま
12考える名無しさん:03/03/27 12:57
>>10
ダメかもね
13フィロソフォス:03/03/27 12:57
哲学の研究対象って人間や世界だけじゃないよね?
14考える名無しさん:03/03/27 12:58
でも最終的にはそこらへんに向かいそうだね。
15フィロソフォス:03/03/27 13:06
考えるななしさんは正しい哲学の定義は何だとおもう?
16考える名無しさん:03/03/27 13:18
自分に辞書以上の定義ができるとは思えない。。
17考える名無しさん:03/03/27 13:25
哲学辞典に、哲学の定義ってでてるの? 自己言及だからでてないか。
18フィロソフォス:03/03/27 13:56
自分がおもうには、真理を探究する学問。研究対象はありとあらゆる物事の全て。
で全て言い当てているのではないかと。絶対に正しいことのたんきゅう。そうだと
哲学が物事を異常なまでに深く掘り下げて考察するのも説明できるし、
あまりの広さに混乱が生じやすいのも説明できる気がするのです。いぎがあれば
歓迎です
19考える名無しさん:03/03/27 14:38
今の段階で俺には具体的な哲学的諸問題があるだけで、そういうのにかかわ
る営みを包括して「哲学とはなにか?」という問うことに何の切迫性も感じ
ないな。
「哲学とはなにか?」という問いは、不勉強からくる不安の現われだと思う。
実際俺も、難解な哲学書で立ち往生している時なんか、ふと「哲学とはなに
か?」という問いが頭を過ぎることはある。
言い分けの誘惑は誰にもあることだ。
「哲学とはなにか?」という問い自体が駄目な問いということではないが、
引きずられてはいけないタイプの問題だと思うな。
20考える名無しさん:03/03/27 14:40
「哲学」なんて流動的なものだし、あまり細かく定義しても仕方ないと思うよ。
曖昧に(この言葉が嫌ならマクロに)捉えておけばいいと思う。

過去に哲学であったものが分家して別の科学の名で呼ばれることは珍しいことじゃないし、
逆に、哲学の守備範囲が広がる事もある。
だから、哲学はこうでなければならない!って思い込んでると、
哲学の変化についていけなくなるし、何より視野が狭くなってしまう。

まぁ、別に定義してもいいけど、それは2003年3月27日の「哲学」であって、
普遍的なものではないよね。と。
21考える名無しさん:03/03/27 15:00
>>20
>「哲学」なんて流動的なものだし、あまり細かく定義しても仕方ないと思うよ。
>曖昧に(この言葉が嫌ならマクロに)捉えておけばいいと思う。
私もそうだと思います。
何かを深く(曖昧な言葉ですが)考えること、
何かについて一生懸命考えること、
これがその人の「哲学」だと思います。
「主観と客観」とか「存在と時間」とか、
いわゆる哲学的問題のようなものについて考えることだけが、
「哲学」ではないと思います。
人それぞれの「哲学」があるということです。
「内容」がどうであれ。

2221:03/03/27 15:17
ちなみに、
ヘーゲルは「小論理学」の中で、
「哲学はまず一般的に言って、対象を思惟によって考察することと定義されうる」
(第二節)
さらに
「哲学は、思惟の一つの独自の様式、すなわちそれによって思惟が認識となり概念的認識となるような様式であるから、・・・」
(第二節)
と言っています。
ヘーゲルは表象→観念→概念という考えだから、
最終的には、概念に関する思考が「哲学」ということになるのでしょうか。

間違っていたらご指摘お願いします。
23フィロソフォス:03/03/27 15:28
ここで話しているのは哲学とはなにか?ととうことはどうなのか?ではなく
哲学とは何か?です。少し話がそれるかもしれませんが自分もそれについて
考えると哲学を正しく定義しないのにどうして哲学という学問を正しく研究
できるというのでしょうか?あいまいな定義の哲学ではそれこそその哲学は
あいまいなものになると思います。また定義することが普遍的でないならば
いったい何をさして私たちは哲学と呼べばいいのでしょうか?むかしからいま
まである哲学という学問は哲学という学問の本質が変わらずに存在するから
その学問を哲学と呼んでいるのではないですか?
24考える名無しさん:03/03/27 15:32
人それぞれの「哲学」?
それって、人それぞれの「考え」みたいなニュアンスじゃないの?
「ものの見方」「思っていること」とかでもいい。
哲学は一応は学問を標榜しているわけでしょ。
だとしたら、「人それぞれの経済学」「人それぞれの医学」ということが
ありえないということは明白だと思います。
学問とは個人に依存するものではないからです。
学問とは普遍でなければならないからです。
「人それぞれの哲学」という表現に違和感を感じないとしたら、
哲学とは残念ながら、真に学問とは言えない何かであるはずなのです。
僕は哲学が発展していくためには常に学問としての意識が必要だと思います。
ですから、哲学は「人それぞれの哲学」という事態から脱出して、
普遍の領域へと展開しなければならない。
でなければ、哲学という分野に信頼を置くことはできません。
結論として、哲学はさらに狭義に定義されるべきだと思うのです。
25(´-ω-`):03/03/27 15:33
26考える名無しさん:03/03/27 16:38
>>24
>人それぞれの「哲学」?
>それって、人それぞれの「考え」みたいなニュアンスじゃないの?

そうです。
アリストテレスの「哲学」、
デカルトの「哲学」・・・。
要するに、それぞれの人の「考え」でしょ?

私は「哲学」というのは、
「何かについて一生懸命考えること」
だと考えてます。
つまり、私の中では「哲学」というのは、
一部の人間だけが携わることのできるものではなく、
人間なら誰もができるものだと思っています。
ただ、それは嗜好としての「哲学」になってしまいますが。

「人それぞれの医学」というのがありえないのは、
医学という科学が、
まさに諸知識の集積というものだからではないでしょうか。
「哲学」は単なる知識の集積ではないですから。
27考える名無しさん:03/03/27 17:36
>>23
>哲学を正しく定義しないのにどうして哲学という学問を正しく研究できるというのでしょうか?
>>24
>結論として、哲学はさらに狭義に定義されるべきだと思うのです。

哲学という大見出しでは定義しなくても、
例えば、現象学という小見出しで定義するという手があるじゃない。
逆に言えば、哲学なんて大きすぎる括りを「厳密に」定義したところで、
実際のところは、哲学のことなんか何も分からないのと同じなんじゃないかな。
28考える名無しさん:03/03/27 18:55
>>26
すると、「哲学」と「考え」の違いってないんですか?同一である、と。
しかしながら、そんなことはないでしょうね。どこかに違いはある。
で、どこが違うんでしょうか。まさか、「程度の差」ということはないでしょう。
より真面目に考えているのがやがて哲学になる、ということはないでしょう。
そしたら、職安に通っている人なんかすごい哲学者ですよね。w
29考える名無しさん:03/03/27 19:01
職安に通っている人は哲学者じゃないの?
30考える名無しさん:03/03/27 19:05
janai
31考える名無しさん:03/03/28 09:14
心理学や社会学や政治学も哲学
32考える名無しさん:03/03/28 09:27
哲学においては
33考える名無しさん:03/03/28 09:52
哲学永遠 ← てつがく・とわ
34考える名無しさん:03/03/28 10:31
職安に通ってる人は哲学書読んでる人多いと思うよ。
失業してる人とか精神的、社会的に不安定な人って、
心の拠り所を求めて、哲学、宗教に傾倒しやすい。
35考える名無しさん:03/03/28 10:43
でもさ
がっこ行ったら、まず哲学勉強すべきだよね。社会科学の場合は特に。
まじそう思うよ。最近

なんかやってっと学問ってものが信じられなくなってくるところがイイ。
ほんといい年こいて学問盲信してるヤシはまじでいたい。
盲信してんのか、ひけらかしたいのかはわからんけど。

やっぱ根っこにあるよね。哲学ってさ。
36考える名無しさん:03/03/28 11:47
そうだね。哲学そのものは懐疑にさらされることないし、カントさえ知ってれば
大抵の奴は馬鹿にできるし。
37考える名無しさん:03/03/28 12:16
所有するだけなら簡単。
38考える名無しさん:03/03/28 12:41
所有と存在
39考える名無しさん:03/03/28 12:57
G,マルセル
40考える名無しさん:03/03/28 13:25
E,フロム
41考える名無しさん:03/03/28 14:11
えーーと、エリクソン?
42考える名無しさん:03/03/28 14:12
>>28
「哲学」と「考え」はある部分では同じだと思います。
デカルトの「哲学」は、デカルトの「考えたこと」です。
でも、「考えること」と「考えたこと」は違う。
「哲学」とは「考えること」、つまり「思考」の学問で、
「考えたこと」の学問ではないと思います。
たとえば、デカルトの著作を読む、勉強するというのは、
デカルトの思考を追考するということです。
それは「哲学」ではなく、「デカルト『哲学』の勉強」です。
言葉の使い方の問題かもしれません。

>より真面目に考えているのがやがて哲学になる、ということはないでしょう。
>そしたら、職安に通っている人なんかすごい哲学者ですよね。w

職安に通っている人は、どうしてすごい哲学者なんですか。
まさか、>>34のように、哲学書を読んでいる人が多いからという理由ではないですよね。

ところで、
>すると、「哲学」と「考え」の違いってないんですか?同一である、と。
>しかしながら、そんなことはないでしょうね。どこかに違いはある。
>で、どこが違うんでしょうか。まさか、「程度の差」ということはないでしょう。

ということは、「哲学」と「考え」に違いがあると思っているんですよね。
違いがないと思っている人間に、
違いがあるから教えてくださいという質問はおかしいですよ。
それで、どのような違いがあるとお考えですか。
教えてください。
43(。・_・。):03/03/28 14:15
イラクの人はここ見てます
http://www.k-514.com
              ,.-、
           /.n l  /⌒ヽ
             | l l | ,' /7 ,'
        , '' ` ー ' '-' /
       /  、_,       `ヽ  
         l   , .-. 、`´    l
         ヽ  ヽ ̄フ     /
        丶、 ̄____,/
         /  ,. - 、  )
      (( ( n ([N],ハ_う
         ゝ)ノ  ̄   ヽ
            /   _   l ))
            〈__ノ´   `(_ノ
44考える名無しさん:03/03/28 14:18
哲学と考えには違いがある
何よりも名前が違う

私の考えと彼の考えは異なっても問題ないが
私の哲学と彼の哲学が異なるのは「哲学」という一つの言葉に異なるものが与えられることになる
「哲学」という枠組みは無限の領域を持ちはしない
もし「哲学」という語が無限の領域を持つとしたら、科学も文学も社会学も哲学と呼んで構わないからである
これは「哲学」という言葉の事実上の意味の喪失である
それは哲学と非哲学の間に何らかの境界があることを意味する
少なからず「哲学」という言葉は何らかの領域を表し、
ある哲学がそれに対し何らかの異なるものをその領域から排除するように作用する土俵であると言える
45考える名無しさん:03/03/28 18:45
>>44
>私の考えと彼の考えは異なっても問題ないが
>私の哲学と彼の哲学が異なるのは「哲学」という一つの言葉に異なるものが与えられることになる

では、ニーチェの「哲学」とヘーゲルの「哲学」が異なるのは何故ですか。
「一つの言葉に異なるものが与えられる」とは、
「一つの言葉に異なる『意味』が与えられる」ということですか。

>もし「哲学」という語が無限の領域を持つとしたら、科学も文学も社会学も哲学と呼んで構わないからである

科学も文学も社会学も、根本には哲学があるのです。
>>31の人と同じです。
諸科学は「哲学」という大きな木の枝なのです。
だから、哲学と諸科学は、
全体で一つであり、また、一つで全体なのです。

>少なからず「哲学」という言葉は何らかの領域を表し、
>ある哲学がそれに対し何らかの異なるものをその領域から排除するように作用する土俵であると言える

すみません。
読解力がないので、言われていることの意味が理解できません。
「それに対し」の「それ」は「何らかの領域」ですか。
「ある哲学」ということは、その他の哲学があるということですよね。
ということは、
>私の哲学と彼の哲学が異なるのは「哲学」という一つの言葉に異なるものが与えられることになる
ということと矛盾しませんか。

「言葉の事実上の意味の喪失」
言葉の意味は長い歴史の中で変化いていくものではありませんか。
あるいは、その言葉があらわすものを的確に表現できていなかったのかもしれません。
46考える名無しさん:03/03/28 20:22
【正直、文系と話すと疲れる】
http://science.2ch.net/test/read.cgi?bbs=rikei&key=1045137717

↑こいつらに哲学のすばらしさ教えてやろうや!
4728:03/03/29 02:04
>>42
>職安に通っている人なんかすごい哲学者ですよね。w

これは皮肉です。私は職安に通っている人が哲学者だとは全く思っていません。
もし、「哲学」が「考え(ること)」だと同義だとしたら、
職安に通って、今の自分を嘆き、その状況に思い悩み、身の振り方を考えている人は
言うまでもなく、切実に「考え(ること)」を実践しているのでしょう。
でも、このことがすなわち「哲学」でしょうか?
私達が普段関わっている「哲学」という学問に相当するものなのでしょうか?

違うと思います。
これは、「哲学」と単に「考え(ること)」の違いによると思います。
「哲学」は学問です。(学問であるか否か、いった類の議論はおいておく)
学問であるならば、その学問の取り扱うターゲットが策定されなければならない。
大体の学問において、「○○学」の○○がその学問のターゲットになります。
すると、「哲学」はこの時点で不透明な看板をかかげているのですが、
今日では哲学の中でも様々な分野が存在しています。
論理学、科学哲学、宗教哲学、現象学、実存哲学、歴史哲学、倫理学、美学、などなど、
いろいろな名称を与えられて、哲学の一派として展開しているわけです。
同時に、このそれぞれの一派の総合を称して「哲学」と呼ぶにすぎないのでは、と思います。

ですから、その「考え(ること)」が「哲学」に値するには、
その「考え(ること)」がどこかの一派に属していなければなりません。
これらは単なる「考え(ること)」にとどまらず、「普遍性」を獲得しているからこそ、
学問として成立しているわけです。
学問として考究するに値しているわけです。

「哲学」と「考え(ること)」の違いは「学問性」を有しているかだと思うのです。
48考える名無しさん:03/03/29 02:09
ディシプリンてどんなプリンですか?
49フィロソフォス:03/03/29 12:53
たとえていいましょう。ある人たちがAについて話し合ってるとします。あるひとは
Aの言葉の意味をaだとおもい、ある人はAの言葉の意味をbだと思っています。
このようなもとでAについて正しくはなしあえるでしょうか?考えてる事柄が
違うのですから話がまとまるはずはないでしょう。まずその事柄について論ずる前に
その事柄を明確に定義しなければならないとは思いませんか?

50考える名無しさん:03/03/29 13:03
>>49
何の話してるの?
51考える名無しさん:03/03/29 13:15
哲学とは人が生きる為の技術。
52考える名無しさん:03/03/29 13:17
53フィロソフォス:03/03/29 13:25
>>49たとえです

54フィロソフォス:03/03/29 13:27
>>52
・・・・


>>18   
>自分がおもうには、真理を探究する学問。

それが哲学であるとすると、哲学は〈真理の存在〉を前提する;presuppose 学問だというコトになる。
そこで、ピラトのように問う:「真理となにか」。
56フィロソフォス:03/03/29 14:20
>>55
私的な表現で恐縮ですが、真理とは単に正しい理、知識のことだとおもいます
>>56
そうすると、〈正しい理〉や〈正しい知識〉を探求る学問が、哲学であるわけだ。
しかし、科学も、そうした学問だろう。ならば、哲学は、科学の一種だろうか。
また、〈理の正しさ〉や〈知識の正しさ〉は、哲学にあっては、どう探求されえるのか。
58考える名無しさん:03/03/29 23:02
>45
>では、ニーチェの「哲学」とヘーゲルの「哲学」が異なるのは何故ですか。
そう、ニーチェの哲学とヘーゲルの哲学は断じて同じではない、ニーチェはアンチヘーゲルとして有名だ

>「一つの言葉に異なるものが与えられる」とは、「一つの言葉に異なる『意味』が与えられる」ということですか。
ニーチェの哲学とヘーゲルの哲学は異なるにも関わらずどちらも「哲学」と名乗り
そしてニーチェ哲学はヘーゲル哲学を排斥する
「哲学」という一つの記号に異なる意味がのせられていると見れる

>科学も文学も社会学も、根本には哲学があるのです。
私もそう思うが、科学も文学も社会学も哲学とは異なるものである
同じなら異なる単語を使用する必要すらないのだから

>諸科学は「哲学」という大きな木の枝なのです。
>だから、哲学と諸科学は、全体で一つであり、また、一つで全体なのです。
真理を語らぬ体系に興味はなし

>「それに対し」の「それ」は「何らかの領域」ですか。
>「ある哲学」ということは、その他の哲学があるということですよね。
それ、とはある哲学のこと
実在論に対する観念論、カントに対するフィヒテ、フィヒテに対するヘーゲル
ヘーゲルに対するショーペンハウアー、ニーチェ、キルケゴールなど
ある哲学とは異なる哲学があり、どちらも哲学である
しかしながら、それらはある何らかを巡って争う関係にある
それが「哲学」と「考え」の違いである

>言葉の意味は長い歴史の中で変化いていくものではありませんか。
何でもその言葉で表現できるならば、それは言葉の事実上の意味の喪失だ
スピノザが何にでも神を見出す時、もはや神という語は何も語ってないのと同じように
いかなるものにでも「哲学」という冠が被せられるのだとしたら「哲学」という言葉には何の意味もない
言明は言明の排除する内容がその言明の内容如何を問う
59考える名無しさん:03/03/30 05:51
>>47>>58

いろいろ言いたいことがあるのですが、
自分自身、簡潔に言えないので、一つずついきたいと思います。

>学問であるならば、その学問の取り扱うターゲットが策定されなければならない。
>大体の学問において、「○○学」の○○がその学問のターゲットになります。
>すると、「哲学」はこの時点で不透明な看板を掲げているのですが、

「不透明な看板」というのは、どういう意味ですか。
「『哲』の学」とは意味がわからないということですか。
「哲」という漢字には、「しる。明らかに知る」という意味があります。
つまり、「哲学」は、
「(何かを)知る(ということについての)学問(あるいは、学ぶこと)」
「(何かを)知る(ということについて)学(ぶこと)」
であるということになります。

>今日では哲学の中でも様々な分野が存在しています。
>論理学、科学哲学、宗教哲学、現象学、実存哲学、歴史哲学、倫理学、美学、などなど、
>いろいろな名称を与えられて、哲学の一派として展開しているわけです。
>同時に、このそれぞれの一派の総合を称して「哲学」と呼ぶにすきないのでは、と思います。

これは、あなたの「哲学とはいったいなに?」(>>1)に対する答えなのでしょうか。
つまり、「論理学や科学哲学などの部門を持つ学問」が「哲学」ということですよね。
ということは、これは、>>8のように、辞書に載っている説明でしかありません。
6059のつづき:03/03/30 05:52

そもそも、「〜とは何か」という問いに対する答えって何なんでしょう。
辞書に載っている説明がそうなのですか。・
途中で、「哲学の定義」という言葉が出てきていますが、
「哲学とは何か」の答えは「哲学の定義」なのでしょうか。
「哲学の定義」とは、「『哲学』が指し示す内容」のことです。
だとすれば、「哲学とは何か」という問いに対しては、
「『哲学』が指し示す内容」、
つまり「哲学の内容」を答えるべきではないのでしょうか。
61考える名無しさん:03/03/30 05:58
47と58は別人
62考える名無しさん:03/03/30 13:01
哲学は、真理を追究するのは、2500年前にもうやめたんだじゃ無かったっけか?


世の中の原理 ないしは、思考方法の"原理" を提供するのであって、

真理の追究を提供するものではないはずなんだがな、哲学は
63ヨーコ:03/03/30 13:31
哲学とは、みち
64考える名無しさん:03/03/30 13:37
ヨーコさん。 あんた極めたね!

悟りを開くのは宗教だろ
65ヨーコ:03/03/30 13:40
やったね!
66考える名無しさん:03/03/30 18:14
哲学とは様々な事に対して自分なりの答えを考えることである。

なんてどうよ?
67フィロソフォス:03/03/30 20:02
>>57
真理を探究する学問だけではまるで不完全ですね。他の学問も真理を探求しているわけ
ですからね。
>>62
なるほど。哲学は思考の原理を探求する学問てことですか?
68考える名無しさん:03/03/30 21:12
62だが
>>67
いや、絶対そうでしょう。
いったいどこのだれの哲学者が"真理"なるものを提供しやがりましたか?
69フィロソフォス:03/03/30 21:22
例えいまだに真理が提供されてなくても真理を探究する学問としては
矛盾しないと思いますが。
70考える名無しさん:03/03/31 01:27
いや。矛盾する。

"真理"というのは、ものごとの"信仰"を提供するものであって
これは反論・反証をゆるさない。
キリスト教の天地創造説の"真理"はそれに絶対性を求めることで反論を
ゆるさず、それ以外の論理を全部破棄してしまうニダ・・

絶対的な「真理」はない。ただし人間には了解ができる「普遍性」がある
a.哲学は真理の提供ではなく、誰もが納得できる「普遍性」の提供
b.哲学はあくまでも、"考える"
c.自分自身。これと自分自身と他者との関係を了解するための「思考方法」。

これが一般的な哲学。 またこれが弱点だとしてよく攻撃されるゆえん
だったりもしなくもない・・
この思考方法の一部は、自然科学と数学とに別れた
71考える名無しさん:03/03/31 02:16
>>61
>>47>>58の人は同じでしょう。


>>58
>ニーチェはアンチヘーゲルとして有名だ
それはわかっています。
その上で、ニーチェの「哲学」とヘーゲルの「哲学」が異なるのは何故ですか、
と尋ねているのです。
>私の考えと彼の考えは異なっても問題ないが
>私の哲学と彼の哲学が異なるのは「哲学」という一つの言葉に異なるものが与えられることになる
と発言されている(>>44)。
二行目の発言を、私は、
「・・・「哲学」という一つの言葉に異なるものが与えられることになる(からであり、
それは問題である。なぜなら、「哲学」という言葉が表すものは一つだからである。)」
と、( )の部分を補って読んだ。
つまり、二者間の「考え」は異なっても問題はないが、
二者間の「哲学」が異なると問題である、と解釈したのです。
そしてさらに、「一つの言葉に異なるものが与えられる」という発言の、
「もの」という曖昧な言葉が表しているものは何かと尋ねているのです。
私は「意味」と解釈しましたが、それでよろしいのですか、と。
ですから、>>58の一段目は答えになってません。
>>44で異なると問題だと言ったのに、
どうして同じでない(異なる)と言えるのですか。

>「哲学」という一つの記号に異なる意味がのせられていると見れる
という発言は、「もの」が「意味」に置き換わった代わりに、
「言葉」が「記号」に置き換わってます。
なぜ、「言葉」を「記号」に置き換えたのでしょうか。
7271のつづき:03/03/31 02:18
>私もそう思うが、科学も文学も社会学も哲学とは異なるものである
「私もそう思うが」の「が」はどういう意味でついているのですか。
科学も文学も社会学も哲学も同じであるとは、私は一度も言っていませんが。

>真理を語らぬ体系に興味はなし
「哲学」は古代ギリシアでは学問一般を意味していたのです。
その後、諸科学が分化していったのです。
だから、全体で一つであり、また、一つで全体なのだと言ったのです。
逆に、これのどこが、「真理を語らぬ体系」なのでしょうか。

>ある哲学とは異なる哲学があり、どちらも哲学である
これは>>44でおっしゃったことと、
明らかに矛盾していませんか。

>しかしながら、それらはある何らかを巡って争う関係にある
>それが「哲学」と「考え」の違いである
「それが」とは何を指すのですか。
「それらはある何らかを巡って争う関係にある」ことが、
「哲学」と「考え」の違いなのですか。
どういうことをおっしゃろうとしておられるのですか。

最後の段ですが、おっしゃるとおりです。
私は「哲学」という言葉だけが歴史の中で意味を変化させていくと言ったのではありません。
「言葉」全般に対して言ったのです。
国語辞書が改訂されていくのも、そのためでもあるでしょう。
73考える名無しさん:03/03/31 02:22
哲学は真理は語らず。  "原理"を語るのみ  つまり思考方法
74考える名無しさん:03/03/31 02:31
フィロソフォスさんは、
>>60について、
どうお考えなんですか。
7528:03/03/31 04:39
>>47>>58は別です。>>47が僕です。ただ、>>44>>58は同一人物かもね。
76考える名無しさん:03/03/31 05:04
フィロソフィーとは
かつてフィロソフィーであったものの残骸
7758:03/03/31 09:32
>>61
>>47>>58の人は同じでしょう。
異なります

>その上で、ニーチェの「哲学」とヘーゲルの「哲学」が異なるのは何故ですか、と尋ねているのです。
ニーチェの「哲学」とヘーゲルの「哲学」が異なる→事実
「事実はなぜですか?」という質問は無意味

>二行目の発言を、私は、
>「・・・「哲学」という一つの言葉に異なるものが与えられることになる(からであり、
>それは問題である。なぜなら、「哲学」という言葉が表すものは一つだからである。)」と、( )の部分を補って読んだ。
「哲学」という言葉が表すものがひとつなのではない、哲学という場が一つなのだ

>つまり、二者間の「考え」は異なっても問題はないが、
>二者間の「哲学」が異なると問題である、と解釈したのです。
その解釈は私の意図通りだ、もし問題でないならばニーチェはアンチヘーゲルになる必要がないのだから

>そしてさらに、「一つの言葉に異なるものが与えられる」という発言の、
>「もの」という曖昧な言葉が表しているものは何かと尋ねているのです。
>私は「意味」と解釈しましたが、それでよろしいのですか、と。
よろしくない、「もの」とは「哲学」という名をつけられた実体だ

>>44で異なると問題だと言ったのに、
>どうして同じでない(異なる)と言えるのですか。
異なると問題となるが、異なるという事実はあってもおかしくない
事実と当為は別物だ

チャンピオンが二人いることは問題となるが、チャンピオンを名乗る者が二人いることはあってもおかしくない
そして、これこそが真理という哲学が問題にするものの性質の一部だ
7858:03/03/31 09:44
>72
>「私もそう思うが」の「が」はどういう意味でついているのですか。
>科学も文学も社会学も哲学も同じであるとは、私は一度も言っていませんが。
ならば君のレスは答えになってないということだ

>逆に、これのどこが、「真理を語らぬ体系」なのでしょうか。
「哲学が問題にするのは真理を産み出す体系ではなく、真理そのものだ」とはヘーゲル弁証法に対する有名な批判
弁証法などというものは、「真理はない、これこそ真理だ」という低レベルな言葉のつなぎ合わせ

>これは>>44でおっしゃったことと、
>明らかに矛盾していませんか。
矛盾するように解釈すれば矛盾するだろう
しかし、ヘーゲルの哲学もニーチェの哲学も相反するにも関わらず、どちらも「哲学」である
だが「どちらも哲学」という言葉はニーチェ、ヘーゲルのどちらの哲学でもない

>「それが」とは何を指すのですか。
>「それらはある何らかを巡って争う関係にある」ことが、「哲学」と「考え」の違いなのですか。
>どういうことをおっしゃろうとしておられるのですか。
哲学が問題とするものについて語ろうとしている
哲学が考えと違うのはそれが真理を問題とするものだということ
つまり「真理」の性質について語ろうとしている

>「言葉」が「記号」に置き換わってます。
>なぜ、「言葉」を「記号」に置き換えたのでしょうか。
実体ではないものに焦点を当てたかったから
「哲学」のかわりに別の言葉を使用したとしても、それが真理を問題とする限りその性質は哲学とかわらない
ゆえに「記号」という言葉を用いた
7958:03/03/31 09:49
>"真理"というのは、ものごとの"信仰"を提供するものであって これは反論・反証をゆるさない。
NO、信仰を提供するのは「真理」ではない
まさに70のような発想が信仰の元凶なのだ

真理は反証を許すか、いや許さない
しかし反証を許すものはイデオロギーだけなのだ

真理は反証を許さないが、反証可能性は許す
そして反証された時、それは真理ではなくなる

反証を許すもの、それはすなわち反証可能性を許さないものである
間違えても正しいものは「絶対に間違えないもの」だけである
それすなわちイデオロギーである
80超真剣です!!!聞いてください!!!:03/03/31 14:41
当然全然、関係ないレスすいません。私は下記の事件の一部は2ちゃんからコピーしたものでこの内容を書いた人は無関係です。
これはあの有名な1989年に起きたコンクリート詰め事件の一部です。
私はこれを読み、涙がとまりませんでした。そして色々考えた末、人生深く考え
させられ、得るものがとてもおおきかった。です。hh:
これは人間や人生を考える上でも無駄ではありません。たとえみなさんの邪魔をしてでも、
長い目でみれば、決して人生や人間考える上でも無駄にはならないと思い恨まれるんも覚悟
当然全然、関係ないレスすいません。
これはあの有名な1989年に起きたコンクリート詰め事件の一部です。
私はこれを読み、涙がとまりませんでした。そして色々考えた末、人生深く考え
させられ、得るものがとてもおおきかった。です。
これは人間や人生を考える上でも無駄ではありません。みなさんの邪魔をしてでも、
長い目でみれば、決して人生や人間考える上でも無駄にはなりない、又彼女の超悲惨な殺され方を絶対無駄にしてたまるかと思い、恨まれるんも覚悟でやらせていただきます。この事件は絶対忘れてはならない事件です。
81超真剣です!!!聞いてください!!!:03/03/31 14:44
何年か前、女子高生をドラム缶にコンクリ詰めにした少年グループの犯罪がありまし
たよね。よく遊ぶ友人の家族が警察関係に勤めておられまして、その方からの当時のお
話です。jhg
 その方が警官になるときの教官がこの事件の取り調べをなさった方で、被害者が監禁
されていた部屋を見てただの青少年の犯罪とは思えなかったとおっしゃったそうです。
床・壁はもちろん天井にまで犠牲者の血が飛び散っていたのです。私がそこを聞き流す
様子を見て、「でもね、いっとくけどね。人を殴って天井に血はつかないよ。もう、だ
らだら血を流している人間の顎を更に殴り上げるようなことをなんべんもくり返したん
だよ」と。「さらってきた女の子相手に、いわゆるやくざや過激派のリンチ顔負けだよ
」。

★聞くところによると、ドラム缶の中から出てきた遺体には頭髪が残っていなかった
そうです。なぶられ続けたストレスで、生きている間に全部抜けてしまっていたんです
ね。kkk
40日間、100人ぐらいにまわされ、超暴力と超陵辱された。膣を灰皿代わりにされ、ライターで火あぶり、その他むちゃくちゃ。(生きてるか死んでるかわからないが)ゴキブリも食わされたそうだ。
死体の顔は目の位置がわからないほど、変形し、親でも誰かわからず、原型をとどめてないほどで、性器のほうは顔よりもっとひどく完全に破壊されていた。死体の膣にオロナミンC2本はいっていた。
82考えるサル:03/03/31 21:43
>>28>>47は28さんの、
>>44>>58は58さんの発言ということですね。
>>24は28さんなんですか。違うのでしょうか。

>>77
>ニーチェの「哲学」とヘーゲルの「哲学」が異なる→事実
ニーチェの「哲学」とヘーゲルの「哲学」が異なるのは事実だということもわかっています。

>「哲学」という言葉が表すものがひとつなのではない、哲学という場が一つなのだ
あなたが>>44で「『哲学』という一つの言葉」とおっしゃっているから、
私は「言葉」という言葉を使って補いながら読んだのです。

>よろしくない、「もの」とは「哲学」という名をつけられた実体だ
でも「異なる意味がのせられている」(>>58)と「意味」という言葉になっていますが。

結局のところ、>>44でおっしゃったことは、

「私の考えと彼の考えが異なるのは問題ないが、
私の哲学と彼の哲学が異なるのは問題である。
なぜなら、「哲学」という一つの記号に異なる実体がのせられていることになるからだ。
つまり、「哲学」という名をつけられた実体が二つあることになるからだ。
「哲学」の実体とは何か。「真理を問題とする学問」であるということだ。
真理を問題とする学問が二つあることは問題である。
「学問」という領域、あるいは場は、同じ対象を問題とするなら、
それはただ一つだからだ。

となるわけですか。いかがでしょうか。
83考える名無しさん:03/04/01 02:39
哲学は、いっさい "真理" を説いてはいません。。

みんな、だまされるな。
84タレス:03/04/01 02:40
「万物の "原理" は水である。。」

                      タレス
85考える名無しさん:03/04/01 16:20
>>82
>「私の考えと彼の考えが異なるのは問題ないが、
>私の哲学と彼の哲学が異なるのは問題である。
>なぜなら、「哲学」という一つの記号に異なる実体がのせられていることになるからだ。
>つまり、「哲学」という名をつけられた実体が二つあることになるからだ。
>「哲学」の実体とは何か。「真理を問題とする学問」であるということだ。
>真理を問題とする学問が二つあることは問題である。
>「学問」という領域、あるいは場は、同じ対象を問題とするなら、
>それはただ一つだからだ。

数箇所違う

>「哲学」の実体とは何か。「真理を問題とする学問」であるということだ。
それは実体なのではない、あくまでも実体のない形式に過ぎないものだ

>真理を問題とする学問が二つあることは問題である。
真理を問題とする学問が二つあることは問題ではない
真理が二つあることが問題なのである

>「学問」という領域、あるいは場は、同じ対象を問題とするなら、
「真理」は同じ対象を問題とするなら、

そして、この長い文章は次の一言で要約できる
・真理はただ一つだけである
そして哲学は「真理」を探究する学問であるということだ←これは結論であって定義ではない
86考える名無しさん:03/04/01 16:22
追記

すなわち、形式と実体とに分類している、古典的言い方をするなら形相と質料だ
そして真理の性質とはその形式にあると説いている
87考える名無しさん:03/04/01 20:55
真理はただ一つではないし。 真理は追究はしていない

■哲学原理 デカルト 桂 寿一 訳
・青613-3・体裁=文庫判

近代哲学の祖デカルトが,狭義の哲学のみならず自然学をも含めた自己
の広義の哲学大系を最も系統的に叙述した著作.
 本文庫版は原著の全四部のうち,第一部の形而上学と,物体の運動法則
を説明した第二部の物理学的自然学の部分を収めた.綜合的「学」として
のデカルト哲学の根本思想がここに
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4003361334/qid=1049198096/sr=1-12/ref=sr_1_2_12/250-5072585-8389851

○デカルトの哲学原理・附 形而上学的思想
著者名 :スピノザ [スピノザ]
出版社 :岩波書店 [岩波書店]
ジャンル 宗教・哲学 [哲学]
88考える名無しさん:03/04/01 20:58
>87
真理はつねにただ一つだし
真理をつねに哲学は探求してきた
もっともデカルトは真理ではないものを真理と思いこんでいるけどね
89考える名無しさん:03/04/01 21:18
哲学は「考える」ことですぜ。アニキ。

真理は求まったら、それで終わり? 以後は反証も検討もなし??
真理はハイこれに決まりました! って提供するわけ?

それだと思考停止   ですわよねえ....
90考える名無しさん:03/04/01 21:26
>89
哲学は常に真理を問題とし、真理を探究してきた
ただいかなる思想も真理に到達していないだけなのである

もちろん、検討とは反証ではなく、反証可能性である
反証可能性を問うとは他ならぬ真理を問うているのである

>真理は求まったら、それで終わり? 以後は反証も検討もなし??
さて、ここに真理という概念の誤謬が見られる
これが近代デカルトにはじまった誤謬だ
91考える名無しさん:03/04/01 21:28
ごめん、問うているのは反証されるかどうかだ
検討できるということが意味するものは、それが反証をされるかどうかではなく、反証可能性を持つかどうか
ということ
上のレスは間違い
92考える名無しさん:03/04/01 21:29
反証を問うとは、すなわち、反証可能性を持つことであり
それは真理を問う、すなわち真理を問題としているということである

これが修正後の文章
93考える名無しさん:03/04/01 21:40

オウム○○教

イスラム教○○主義

市場○○主義

原理と真理は大きく違う。  詳細は、広辞苑でもぐぐれ
94考えるサル:03/04/01 22:11
>>85
>そして、この長い文章は次の一言で要約できる
>・真理はただ一つだけである
>そして哲学は「真理」を探究する学問であるということだ←これは結論であって定義ではない
ということは、
あなたは、「真理はただ一つだけであり、その真理を探究する学問が、『哲学』である」
と言いたいわけですね。

もう一度お聞きしたいのですが、
ニーチェの哲学とヘーゲルの哲学が異なるのは何故ですか?
一つの真理を探究する学問である「哲学」が、
ニーチェの哲学とヘーゲルの哲学と二つあるのは何故ですか?
それぞれの哲学が「真理」としているものが、
「真理」ではないということですか。
では、何故、ニーチェの「哲学」、ヘーゲルの「哲学」と、
「哲学」という同じ「言葉」を用いるのですか。
ニーチェの哲学とヘーゲルの哲学が異なっているのは「事実」です。
その事実に対して、どうお考えですか。
95考える名無しさん:03/04/01 22:20
>94
ニーチェもヘーゲルも、どちらも、真理を探究する学問であり
真理は常に一つである
しかし、・・・

真理を探究すること と 真理に到達することは異なるということである
「真理」という実体を我々は知っていないし、また、知りえない、というだけだのだ
従って、「真理」の性質とはその形式にあるのだ

命題Pニーチェの哲学とヘーゲルの哲学のどちらも正しい
命題Pは間違っている
つまり、ニーチェとヘーゲルのどちらかが間違っているか、あるいは、両方が間違っているのである
これが哲学が問題とする「真理」の性質なのだ
96考える名無しさん:03/04/01 22:29
なんだ。 ただのバカじゃん。
97考える名無しさん:03/04/01 22:38
続けようか?
哲学が「真理」を問題とするということは
哲学からある思想を排除するということだ
それが、プラトンからはじまりアリストテレスを経て、近代哲学にもつながる一つの思考なのだ
98考える名無しさん:03/04/01 22:39
岩波ジュニア文庫の

○哲学ってなんだ―自分と社会を知る 岩波ジュニア新書
竹田 青嗣 (著) 格:¥740tp://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4005004156/ref=pd_ecc_rvi_1/250-5072585-8389851

がとりあえずの入門書としてよかろう。
竹田流、哲学思考の原理が説明されちょる。
ゆれる青年期の生活術としてどぞ (゜д゜)/旦~
99考える名無しさん:03/04/01 22:41
>>77
まあそう暑くでたらめを語りなさんな・・
まま。お茶でも どぞー (゜д゜)/旦~
100考える名無しさん:03/04/01 22:46
哲板のレスの長さとデタラメ度は比例する〜
101考える名無しさん:03/04/01 22:51
>99
別にヘーゲルやニーチェについて説明することもできるよ
近代哲学ならしっかり読み込んでるから
102考えるサル:03/04/02 01:32
>>95
あなたのおっしゃってることを整理したいので、
以下の質問に「はい」か「いいえ」でお答えください。
答えが「いいえ」の場合、間違っているところを教えてください。

@「哲学」は「真理を探究する学問」である。
A「哲学とはいったいなに?」という>>1の質問に対する答えは、
 「真理を探究する学問である」である。
Bニーチェの「哲学」とヘーゲルの「哲学」が異なるのは、
 「真理」という出口にたどり着くまでの「行き方」(探求の仕方)が異なる、
 という意味で異なるのである。
103超真剣です!!!聞いてください!!!:03/04/02 03:59
日本最大超残忍事件!!!!!(絶対忘れてはならない事件です)
女の子が40日間監禁され、計100人ぐらいに強姦、朝から晩まで超暴力と超陵辱された。
膣を灰皿代わりにされ、自慰(オナニー)を強制され、
真冬に裸で外(ベランダ)に出され、裸で踊らされ、膣やお尻の穴に鉄の棒を突っ込まれ、20キロの鉄アレイで殴られ、瞼にろうそくをたらされ、
膣にマッチ棒を入れられ、膣や裸体をライターで火あぶり、精液を大量に飲まされ、500ccの尿を飲まされ、基礎の他むちゃくちゃ。(生きてるか死んでるかわからないが)ゴキブリも食わされたそうだ。
殺された彼女の親友が言うには、監禁され殺される一日前、幽霊となって「助けて!」と親友に助けを求めたが、親友はどうすることもできず、泣きじゃくった。
「狂宴犯罪」は 一ヶ月以上 続いた 。
そして殺された。

死体の顔は目の位置がわからないほど、変形し、親でも誰かわからず、原型をとどめてないほどで、性器のほうは顔よりもっとひどく完全に破壊されていた。

死体の膣(マンコ)にはオロナミンC2本、入っていた。

「裁判記録」は死ぬほどエグイ内容であった。「コンクリート詰め事件」で検索すればわかる。

104考える名無しさん:03/04/02 04:05
哲学とは
各々が自分勝手に構築した世界が認められれば勝ち、認められなければ負け。
105考える名無しさん:03/04/02 04:29
哲学とは
各々が自分勝手に構築した世界が意味不明で、長すぎて読まれなければ負け。
106考える名無しさん:03/04/02 06:20
科学に基礎を置かない哲学は無意味だ。
     科学が発見し、哲学がそれを解釈する

                     −アルバート・アインシュタイン−
107ヘーゲルの弟子:03/04/02 16:05
ヘーゲル博士に言わせれば、最終的に勝つのは"普遍性"らしい。



否定につぐ否定の弁証法的思考で、絶対知に近づくわけだ
108考える名無しさん:03/04/03 11:36
>>102
基本的に全部Yesでいいんだけど
俺は哲学を説明するために「真理を探究する学問」としたわけじゃないよ
哲学と考えを区別するためにそう位置付けたわけで
それは定義でも哲学の本質でもなく、
「哲学は考えと一緒なんだ」という安易な考えを否定するためのものなんだ
哲学が考えと違うのは、それが真理を問題とするということ
つまり、「何でも哲学となりうるけど、何でも哲学であるわけではない」
要は「真理はない」とする相対主義の態度の否定
これが俺の主張
109考えるサル:03/04/03 14:27
>>108
>「哲学は考えと一緒なんだ」という安易な考えを否定するためのものなんだ
私は、安易な考えで「哲学とは考えることである」と言ったわけではありません。
「真理を探究する」ということは、
「真理とは何かについて考える」ことではないですか。
だから、>>44でおっしゃったことに疑問をもったのです。
もちろん「考える」ということが、
何でも「哲学」であるとは思っていません。
「考える」ということは、「哲学」であるための必要条件です。
「真理を探究する学問」というのも、
「哲学」であるための必要条件です。
ただ、「考える」ということは、
より哲学の内容に近いと思ったのです。

そもそも「哲学とはいったいなに?」(>>1)という問いが、
どのような答えを求めているのかはわかっていません。
どのような答えが求められているとお考えですか。
もっと突っ込んで、
「〜とは何か」という問いに対する答えって何だとお考えですか。

ヘーゲル哲学のわかりやすい解説書と
ヘーゲル弁証法、あるいは弁証法に関するわかりやすい解説書を
ご存知でしたら教えてください。
110適当にレスするオッサン:03/04/03 14:31
解釈以外の何物でもない。
各々の解釈が異なるのはもちろんのこと
現実のあり様が異なれば、また解釈も異なる。
111考える名無しさん:03/04/03 14:41
>>109
俺が思うへーげる解説で良かったのは、丸山なんたらとかいう人
でも多分ヘーゲル解説としては異色
112考えるサル:03/04/03 14:52
>>111
丸山眞男?
113考える名無しさん:03/04/03 14:55
>>109
「ヘーゲル for Beginners」 

「ヘーゲル入門」

「歴史哲学講義」 ヘーゲル
114考えるサル:03/04/03 14:59
>>113
ヘーゲル for Beginnersは現代書館のやつでしょ?
ヘーゲル入門は誰の著作?
115考える名無しさん:03/04/03 15:51
107>
でも、最終的って、いつが最終なのかよくわからない・・。
116考える名無しさん:03/04/03 15:59
哲学とは、耐えることなり。
117考える名無しさん:03/04/03 16:01
哲学とは死ぬことと見つけたり
118考える名無しさん:03/04/03 17:55
カントさん曰く、「哲学の義務は、誤解によって生じた幻想を除去することにある」と。
やっぱり哲学は「真を見据える学問」でいいんじゃないすかね?
真理とは唯そこにあるものであり、物事の成り立ち方の論理だと思います。
「意味」とも言い換えられ、どこにでもある(人か解釈しさえすればどこからでも生まれることができる)ものであり、
 またどこにも無い(人が解釈しなければどこにも生まれていないといえる)ものだと思うんですが如何か。
人によって語り方が違うのは、「言葉は意味そのものではない(語っているものは同じでも語り方は違う)」ということか、
 もしくは別々の物事の成り立ちを述べているからじゃないでしょうか?
119考える名無しさん:03/04/03 18:31
佐野之人「ヘーゲル『大論理学』元初論研究、AB版の比較検討を通じて」
はどない?
120考える名無しさん:03/04/03 18:39
それより田島正樹のヘーゲルの鳥モチ読んだ?
121考える名無しさん:03/04/03 19:02
リオタールの『現象学』は名著。
すぐ買え!!
122考えるサル:03/04/04 15:21
>>118
「真理」が「意味」と言い換えられるの?

>>120
鳥モチ?

123考える名無しさん:03/04/04 15:24
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124考える名無しさん:03/04/04 16:07
○現代哲学がわかる。 アエラムック (76)
朝日新聞社 (編さん)

<jpg> 価格:¥1,200
ユーズドストア価格: ¥600より
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125ヘーゲルの弟子:03/04/04 18:37

○プラトン入門  竹田    筑摩書房
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ヨーロッパ哲学の絶対的な「真理」主義の起源をなす人物として、ポストモダン思想家から最悪の評価を与えられている人、プラトン・・

 真理の追求は、近代合理主義から激しく遊離しているからなあ・・
126超真剣です!!!マジで聞いてください!!!:03/04/04 18:39
ほんとの話です!!!!
女の子が40日間渡って監禁され、計100人ぐらいに強姦、朝から晩まで超暴力と超陵辱された。ヤクザ顔負けのリンチで、天井に血が飛び散っていた。(深くかかわったのは5,6人)
膣を灰皿代わりにされ、自慰(オナニー)を強制され、
真冬に裸で外(ベランダ)に出され、裸で踊らされ、手足を押さえつけられ、膣やお尻の穴に鉄の棒を突っ込まれ、お尻の穴に花火を入れ爆発させ、20キロの鉄アレイを身体(裸体)になんども落とされ、瞼(まぶた)に熱いろうそくをたらされ、
手足を押さえつけて、膣にマッチ棒を入れられ燃やされ、膣の中のや裸体をライターで火あぶり、精液を大量に飲まされ、500ccの尿を飲まされ、基礎の他むちゃくちゃ。(生きてるか死んでるかわからないが)ゴキブリも食わされたそうだ。
女の声だが、人間とは思えない叫び声(悲鳴)(絶叫)を上げ続けた!苦しさのあまり何度も気絶した。
殺された彼女の親友が言うには、監禁され殺される一日前、幽霊(生霊)となって「助けて!」と親友に助けを求めたが、親友はどうすることもできず、泣きじゃくった。
「狂宴犯罪」は 一ヶ月以上 続いた 。
そして(失禁して)死んだ。(殺された)i78i78i78i
専門家によると自死(あまりのつらさに耐え切れず、脳が死ぬことを選択した。(命令した。)らしい。(死体にの脳は溶けていたらしい)
死体の顔は目の位置がわからないほど、変形し、親でも誰かわからず、原型をとどめてないほどで、性器のほうは顔よりもっとひどく完全に破壊されていた。死体には髪がなくなっていた。
40日間の監禁で極度のストレスのあまり全部髪が抜け落ちた
死体の膣(マンコ)にはオロナミンC2本、入っていた。
         grdfgdsfgadgf
「裁判記録」は死ぬほどエグイ内容であった。「コンクリート詰め事件」で検索すればわかる。
(俺は何時間も涙が止まらず、夜も何日も眠れなかった。たとえ99.9%の人が幸せでも残る0.01%の人が(超)不幸なら、そんな世の中、絶対承認しない!!!!!そんな世界いらない!!!!!絶対、絶対いらない!!!!!絶対認めない!!!!!)
l;ok;l(私の心の底からの叫びでした。)

zczxc
127118:03/04/04 20:19
>>122
>「真理」が「意味」と言い換えられるの?
物質的なものは除いた、
あくまで概念的なものについてに限った場合のものでやすね。
128考えるサル:03/04/07 00:28
>>127
ということは、
「真理」には、
「物資的」なものと「概念的」なものがあるということ?
129考える名無しさん:03/04/07 01:53
W・バトリーは天才ですね
130デカルト:03/04/07 02:13
哲学はどんなことについても、もっともらしく語り、
学識の劣る人に自分を賞賛させる手だてを授ける。
131118:03/04/07 18:25
そうかもしれませんが、
ここで「物質的なものと概念的なものがある」と言っているのは「真理」ではなく「存在」についてでやす。
「物質的なものについての意味」と、「概念的なものについての意味」ですね。
132考えるサル:03/04/08 13:26
>>131
例えば、「時間」というものに対する意味は、
それぞれの人によって異なるけれど、
「鉛筆」というものに対する意味は、
人によって異なることはない。
ということですか。
そして、「意味」とは、つまり「解釈」と置き換えられる、と。
133118:03/04/08 14:19
>>132
確かに意味とは解釈かもしれませんが、私が言った場合のものは、
「それが表しているもの」、というものでの「意味」という言葉です。
「時間というものが表しているもの、意味していること」は「(時間についての)意味」であり、「(時間についての)真理である」と言えませんか?
「鉛筆というものが表しているもの、意味していること」が「鉛筆そのもの」であるなら、
物質的なものについても、その意味は真理だと言えるかも知れないです。
そしてそれらの意味での「意味」も、
「解釈」、「認識」を被らなければ生まれていないと言える属性のものかも知れないっす。
何故なら意味とは解釈、認識そのものであるから?でしょうか。
134考えるサル:03/04/08 17:20
>>133
なるほど。
つまり、「概念」が「真理」と一致するということですか。
正直な話、「真理」って何?というところがあるので、
何ともいえないのですが・・・。

例えば、「鉛筆というものが表しているもの、意味していること」
というのは、どんなものが挙げられるのでしょうか。
「書くためのもの」とかですか。
135118:03/04/08 22:02
>>134
>>133の訂正。意味は解釈、認識そのものじゃないですね。それなら誤解も真理だということになっちまう。申し訳ないです。
「書ける鉛筆」が表していることの一つは「書ける」ということであり、
木と黒鉛で主に出来ている鉛筆が表していることの一つは「木と黒鉛で主に出来ている」ということでしょうが、
「鉛筆」が表しているもので、一番「確実」なのは、鉛筆自体、鉛筆そのものだと思います。

再度カントさんの言葉を借りますが、誤解によって生じた幻想を取り払おうとするのが哲学であり、
幻想を取り払った先にあるものが真理だと。
それ(真理)は現実であり、事実であり、あるがままそこにあるものだと思います。
136考えるサル:03/04/09 13:54
>>135
つまり、「意味」とは、
「apple」の意味は「りんご」だ、
という時の「意味」と同じということでしょうか。

「書ける鉛筆」や「木と黒鉛で主に出来ている鉛筆」ではなくて、
「鉛筆」が表しているものは何なのですか。
「書ける」や「木と黒鉛で主に出来ている」などあって、
一番確かなのが、「鉛筆そのもの」であるということである。
「鉛筆」に対してはいろいろな解釈ができるが、
「鉛筆」が「鉛筆」であることは解釈の余地がない。
ということでしょうか。
137118:03/04/10 01:46
>つまり、「意味」とは、
>「apple」の意味は「りんご」だ、
>という時の「意味」と同じということでしょうか。

多分、そうだと。
勿論英語と日本語は違うものだし、言葉と物質は違うものですが、
そういった意味で言っておられるのでなければ。

>「書ける鉛筆」や「木と黒鉛で主に出来ている鉛筆」ではなくて、
>「鉛筆」が表しているものは何なのですか。
>「書ける」や「木と黒鉛で主に出来ている」などあって、
>一番確かなのが、「鉛筆そのもの」であるということである。
>「鉛筆」に対してはいろいろな解釈ができるが、
>「鉛筆」が「鉛筆」であることは解釈の余地がない。
>ということでしょうか。

多分、その通りです。
それに対して違う解釈をするのが「誤解」、何じゃないかと。
138考えるサル:03/04/10 16:17
>>137
英語にせよ、フランス語にせよ、「りんご」は「りんご」である、
という意味です。

ということは、例えば、
「りんご」が「りんご」であることを探求する学問が哲学である、
ということですか。
139考えるサル:03/04/11 15:06
何だかはっきりしないままに、
ここは消えていくようだ。
すっきりしないなぁ・・・。
140118:03/04/11 16:29
>>139
申し訳ないっす(苦笑)。
否定形でなく真を表すことは私にとっては難しいんすよ。
「りんご」が「りんご」、「哲学」が「哲学」、
「対象」が「その対象」であることを探求する学問が哲学・・・・・・かな?
そうかもしれないですね。
141考えるサル:03/04/11 19:24
118さん、誤解しないでください。
ここで話をした「考える名無しさん」と
「フィロソフォス」さんに言ってるんですよ。
何だか中途半端に終わってしまった感じがするのです。
142考える名無しさん:03/04/11 23:56
考えるってことだろ。
143山崎渉:03/04/17 09:46
(^^)
144考えるサル:03/04/17 18:26
どんどん下がっていきます。
145山崎渉:03/04/20 04:56
   ∧_∧
  (  ^^ )< ぬるぽ(^^)
146考える名無しさん:03/04/21 10:33
てすと
147フィロソフォス:03/04/21 10:51
レスが遅くなり申し訳ありませんでした。
「哲学とは何か?」の問いに対する答えは何か?という問いですが、
「〜とは何か?」に対する答えはその対象を確定する概念を言い表したものが答えであると思われます。
ゆえに
「哲学とは何か?」という問いに対する答えとは何かといえば、
哲学を確定する概念を言い表わしたものであると思われます。
148考えるサル:03/04/21 13:10
>>147
「その対象を確定する概念」ですか。
なるほど。

フィロソフォスさんは、
「哲学とは何か?」という問いに対しては、
どうお考えなのですか。
149考える名無しさん:03/04/22 02:17
文章の密度が高すぎてスクロールさせるだけで
ピカチュウ現象おこして失神しそうだ。

         ∧_∧
         ( ´_ゝ`)
        /   \
          /     / ̄ ̄ ̄ ̄/    
        (.∬.つ /  FMV  /     兄者は哲学板こなくていいよ。
      .|\旦\/____/\      ∧_∧
     /\.\.          \ _   (´<_` )
   /   \| ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄| \ /ノ  (⌒つ
   \    / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄\ \    | |
     \   /.              \ >―. し
       .ソ_____ニ_____ン
150考える名無しさん:03/04/22 02:18
しかし、飛ばし飛ばしに読んでいて、ひとつ分かったことがある。

         ∧_∧
         ( ´_ゝ`)
        /   \
        /    / ̄ ̄ ̄ ̄/   ほう。   
      _(__ニつ/  FMV  /      ∧_∧
      .|\  \/____/\    (´<_` )
     /\.\          \ ___ノ   ⌒i
   /   \| ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄| \    | |
   \    / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄\ \ と ̄ )
     \  /.             \  >  ̄ ̄
       .ソ_____ニ_____ン
151考える名無しさん:03/04/22 02:18
コイツらは論理にしたがってのみ話を進めているッ!!

         ∧_∧
         (#´_ゝ`)
        /   \
        /    / ̄ ̄ ̄ ̄/    兄者は相対主義者だったのか。
      _(__ニつ/  FMV  /      ∧_∧
      .|\  \/____/\    (´<_`;)
     /\.\          \ ___ノ   ⌒i
   /   \| ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄| \    | |
   \    / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄\ \ と ̄ )
     \  /.             \  >  ̄ ̄
       .ソ_____ニ_____ン
152フィロソフォス:03/04/22 13:34
>148
>>18,>>67をみてください。でもこれは正しいかはわかりません。
ところで、哲学は学問です。これは間違いありません。学問はその
研究対象が異なるから学問が異なるわけですよね。社会は社会の現象を、医学は人体
について?という風に。では哲学は何を研究対象にしているのでしょうか。
ふと思いついたのですが、科学も同様に何が研究対象なんでしょうか?
自然科学と自然哲学の違いは何なんでしょうかね?
>133
遅れながら、それは真義のことを言っているのではないかと思います。
153考える名無しさん:03/04/22 13:37
数字で表現するのが数学。
同じ事を言葉で表現するのが哲学。
154考えるサル:03/04/22 16:31
>>152
>>18では、「真理を探究する学問」とおっしゃっていますが、
>>67では、「真理を探究する学問だけではまるで不完全ですね」とおっしゃっているから、
>>148で、どうお考えですかとたずねたのです。

つまり、「哲学という学問」を確定する概念は、
哲学の研究対象にあるということですか。

自然科学と自然哲学の違いですか・・・。
私は、自然科学は、機械的対象として「自然」をみて、
自然哲学は、有機的対象として「自然」をみていると考えています。
もともとこの二つは一つであったのが、
19世紀の科学革命で二つに分裂したというようなことを、
どこかで読んだ覚えがあります。
155考える名無しさん:03/04/22 20:24
>35-36
あんたら本末転倒だよ
馬鹿にするあんた自身が見えてないよ
全然哲学的じゃないよ
そういう態度は
156フィロソフォス:03/04/23 02:19
>>154
なぜ不完全かといえば、私は「真理」を絶対に間違いの無い理屈=正しい理屈と理解しています。
そうなると別の学問も正しい理屈を求めてい研究しているわけですから、
哲学は「真理を探求する学問」という集合の一部になってしまうわけです。つまり、
哲学=真理を探求する学問ではなく哲学<真理を探求する学問となってしまうからです。
またここでは哲学とそれ以外の学問は別という事を前提にしています。
しかし、これは間違った前提かもしれません。
157フィロソフォス:03/04/23 02:27
>>156上の不等号の記号は適切でないかも。集合の記号はどうだったかな?
158考える名無しさん:03/04/23 02:29
>>152
ニュートン『プリンキピア』とカント『純粋理性批判』を比べると、
前者が自然哲学っぽくなくて、後者が自然哲学っぽ。
経験的なレベルに留まらない、認識論的な側面を持つのが、自然哲学。
ヘーゲルがニュートン自然哲学を哲学として認めようとしない理由がそれ。
『プリンキピア』の方法論の部分を見ると、その経験的・実証的正確は一目瞭然。
無機的自然・有機的自然というのは、あんまり関係ないと思うけど。
159考える名無しさん:03/04/23 05:42
>>157
哲学∈真理を探求する学問
だろ。

         ∧_∧
         ( ´_ゝ`)
        /   \             「真理を探求する学問というのは、哲学の
          /     / ̄ ̄ ̄ ̄/    必要条件ではあるが必要十分条件ではない」
        (.∬.つ /  FMV  /     の方が適切な表現だと思うがね。
      .|\旦\/____/\      ∧_∧
     /\.\.          \ _   (´<_` )
   /   \| ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄| \ /ノ  (⌒つ
   \    / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄\ \    | |
     \   /.              \ >―. し
       .ソ_____ニ_____ン


160考えない名無しさん:03/04/23 07:38
ぬばたまの ものそれ自体 カントさん
161フィロソスォス:03/04/23 11:19
>>159
なるほど。
162bloom:03/04/23 11:20
163考えるサル:03/04/23 19:08
>>158
なるほど。そうかもしれませんね。
勉強になりました。ありがとうございます。

>>156
>>45で書いたのですが、
哲学以外の学問には、根本に哲学があるのです。
諸学問は「哲学」という大きな木の枝なのです。
だから、哲学と諸学問は、
全体で一つであり、また、一つで全体なのです。
と考えるのはどうでしょうか。
164考える名無しさん:03/04/23 19:12
デカルトはそのような樹を夢見たんですよね。
そのような合理論的夢をカントが批判して
それ以降哲学は無力化して今に至る。
165考える名無しさん:03/04/23 19:16
>>160

もの自体 目を凝らせども いちめんの霧
166フィロソフォス:03/04/24 02:27
>>163
言っている事はなんとなくわかります。しかし、少しわからないことがあるので質問したいのですが
サルさんの考えは「大きな木」の根っこの部分が哲学なのですか?それとも
根っこから幹、枝を含めたすべてがつまり、「大きな木」それ自体が哲学なのですか?
167考える名無しさん:03/04/24 02:41
>>163
イルカの生態調べたりすんのも根底には哲学があるんでつか。
168考える名無しさん:03/04/24 03:13
イルカの方が、人間よりはるかに賢そうだと思わん?

地球の将来は、かれらにあげたい。人類、逝ってヨシ!
169bloom:03/04/24 03:20
170考えるサル:03/04/24 23:21
>>164
カントの批判が書かれている著書の題名、分かりますか。
教えてください。

>>166
学問という大きな木があって、幹の部分に哲学があり、
枝の部分に諸学問がある、という感じです。
体系をイメージしやすくするために「木」という表現を用いただけで、
言いたいことは、
「哲学と諸学問は全体で一つであり、また、一つで全体だ」
ということです。

>>167
あると思います。
171考える名無しさん:03/04/24 23:23
OSみたいなもんですか?
172考える名無しさん:03/04/24 23:33
>>170
>あると思います

なんだこりゃ?
もうどう突っ込んだらいいのかわからん。
まさかとは思うが、昔マリーアントワネットってコテハン使ってなかったか?
173考える名無しさん:03/04/24 23:36
>>172
「根拠なしかよ!」って突っ込めばいいじゃん。
174考える名無しさん:03/04/24 23:37
>>171
そうDOS。
175フィロソフォス:03/04/25 01:27
>>170
気づいたでしょうか?あなたが根本に哲学がある、つまり根(または幹)の部分が哲学と表現した事と、次の行では
「哲学」という大きな木とつまり、木(全体)が哲学と表現した事が矛盾していることを指摘したかったのです。
議論は厳密で正確に行うべきだと思うので。170で訂正されてるので問題はありません。
 さて、「全体で一つ」というのは理解できるのですが、「一つで全体」というのが
あまり理解できないので、「一つで全体」というのはどういう事か説明してもらえないでしょうか?
またなぜ「一つで全体」なのですか?
176名無しに非ず:03/04/25 01:36
>>175
私はご本人じゃありませんので、本来の意図までは汲めませんが、
恐らく
「全体で一つ」とは、「学問」を「外側」から「統一」しようとした「イメージ」の表現であり、
「一つで全体」とは、「学問」を「内側」から「統一」しようとした「イメージ」の表現ではないか、
と思われます。

正確なものは、>>170さんのご説明を待たねばならないと思います。
177フィロソフォス:03/04/25 01:54
>>176
ん〜、外側、内側とはどういうことでしょう?
178フィロソフォス:03/04/25 01:57
>>176
またここでは「学問」のことではなく、「哲学」のことを言っているのではないのですか?
179フィロソフォス:03/04/25 02:02
>>178
質問を撤回します。哲学と諸学問といっていますね
180考える名無しさん:03/04/25 02:02
別に「哲学一つで学問全体」と言おうとしてるのではないとおもう。
ま、本人に聞かないとわかんないけど。
181考える名無しさん:03/04/25 02:04
なんだ撤回したのか。
じゃ、180も撤回。
182考える名無しさん:03/04/25 17:25
学問としての学者が追求する哲学と、普通の人間が生き方について考える哲学
どちらについて論じるのか、まず明確にしてかかる必要があるのでは。
183ネットdeDVD:03/04/25 17:27
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184考えるサル:03/04/26 15:34
>>172
哲学の問いとはある種「なぜ?」という単純な問いかけだと思います。
その「なぜ?」という問いについて考えること、さらに言えば、
その問いの答えを出すことが哲学に求められていることだと思います。
「なぜ?」という問いに答えることを、箱を開けて中身をみる行為と喩えれば、
哲学とは、まさに箱を開ける行為であると言えます。
しかし、現在、科学の進歩によって、
その箱を開けるために様々な「道具」を用いることができます。
例えば、「なぜ空は青いのか?」という問いの箱があるとします。
その箱に対し、私たちは「物理学」という「道具」を用いて、
箱を開けることができます。
つまり、「青のスペクトルが目に届くから」と。
しかし、箱の中には、
「なぜ青のスペクトルが目に届くと、青に見えるのか?」という箱が入っています。
その箱に対し、今度は「生理学」という「道具」を用いることができます。
つまり、「網膜が可視光線を生体内電気信号に変えて脳に届けるから」と。
こうして開けていくと、
いつかは「道具」では開けることのできない箱が出てきます。
この箱が、「主観と客観」や「時間」、「存在」などの、
いわゆる「哲学の問題」とされるものです。

「イルカの生態を調べること」も同じです。
例えば、イルカの生態を調べていく内に、
「こういう鳴き方をすると、これは求愛しているということだ」
ということが分かれば、これによって箱が開けられ、
中から新しい箱が出てきます。
例えば、「なぜこの鳴き方が求愛だと分かるのか」であるなど。
そして、いつかは道具では開けることのできない箱が出てきます。
185考えるサル:03/04/26 15:36
(184の続き)
過去、哲学によって扱われていたものが、
科学の進歩によって、まさに科学的に細分化され、
哲学によって解明されていた物事も、
まさに科学的に解明されているということです。
しかし、「なぜ?」という問いに、科学的に答えることができても、
「なぜ?」という問いについて考えること、答えを出すことが哲学であれば、
諸科学の根底には哲学があるといえる。


>>175
「学問という大きな木」と言いましたが、もしかすると、
哲学や科学の成果によって、私たちの世界が拡がるので、
「世界という大きな木」と言う方がいいかもしれません。

一つで全体というのは、それぞれの学問は、
それ自体で全体だということです。
例えば、「物理学」と一口に言っても、
熱について、電気についてなど、
いろいろ細分化されています。
それらを統一する学問として、
物理学は物理学として全体だということです。
186考える名無しさん:03/04/26 19:39
>174 哲学をそのような観点から捉えることもできるとは思うが、
あまりにも哲学を実証的な学問としてとらえてしまっていないだろうか。
現代が渇望している哲学は、大きな岐路に立っている人類に指針を与える学問だと思う。
実証科学の尻ぬぐいをしていくような哲学ではない。
今、語られるべきことは、哲学とはどういう学問かではなく、哲学は何をなすべきか
だと思うが・・・・

187考えるサル:03/04/26 20:37
>>186
>>184に対しての返事ですよね?
私は、ここのテーマである「哲学とは」
という問いについて、
私は哲学とはこうだという意見を述べているだけです。
「哲学は何をなすべきか」というのは、
ここのテーマとはちょっと違うと思います。
それとも「哲学のなすべきこと」から、
「哲学とは」を考えるべきだということでしょうか。

>>172
忘れていました。
そんな名前は使ったことはありません。
私と意見と似ているのですか。
188考える理系さん:03/04/27 12:37
ロジック+自然=自然科学
ロジック+人生=哲学

自然は客観的な存在だからロジックと相性がいいけど、
人生は主観的な存在だからロジックの適用が難しいよ。

189考える名無しさん:03/05/03 04:28
哲学などといふものはない、
そこには無知がある(存在する)だけだ。
                 小林 秀哲
190考える名無しさん:03/05/03 06:31
哲学は何かを作り出したり、何かをなすべきだというものではない。
あくまでも哲学的真理の知的探究だ。そうでないとしちめんどくさく
なる。
191考える名無しさん:03/05/03 13:37
『哲学』
    明日も風さへ吹きすぎる
      赤い林檎も吹き飛ばせ
     おお!哲学よ!
192考える名無しさん:03/05/03 17:14
昔「僕の顔をお食べ」が口癖のヒーローがいましたが彼の主題歌の中に
何が君の幸せ?
何をして喜ぶ?
答えられないまま終わる
そんなのは嫌だ
というフレーズが有ります。やはり哲学はある意味で幸せ探しと言い切れるんではないでしょうか?
193考える名無しさん:03/05/03 21:39

哲学:無知なくせに説教を垂れようとすること。
194考える名無しさん:03/05/04 00:42


  痴のカオス
195考える名無しさん:03/05/04 02:40

思い込みを思索と取り違えることだろう。
196升田幸三:03/05/04 02:52
「ウム」
197考える名無しさん:03/05/05 19:24
>>193
同意
198考える名無しさん:03/05/21 23:32
>>195

そのとおりです
199山崎渉:03/05/28 15:35
     ∧_∧
ピュ.ー (  ^^ ) <これからも僕を応援して下さいね(^^)。
  =〔~∪ ̄ ̄〕
  = ◎――◎                      山崎渉
200考える名無しさん:03/06/04 23:13
で、結局、哲学とは何なの?
201muji 2:03/06/04 23:26
本当の価値を探求する学問。
でもそこにたどり着ける人はあんまりいない。
202鈍乱 ◆4mrA3dfYFg :03/06/05 00:58
>>200何らかの真理を一生懸命考えることです。
2ちゃんでは、ひろゆきを考えることです。
203考える名無しさん:03/06/05 01:16
哲学とは他人が理解できないように難しく示す事である。
故に自己マン。
204胡雨:03/06/05 01:18
哲学の半分は優しさで出来ています!
205考える名無しさん:03/06/06 01:04
>>204
後の半分は?
206考える名無しさん:03/06/06 16:20
193 :考える名無しさん :03/05/03 21:39

哲学:無知なくせに説教を垂れようとすること。



194 :考える名無しさん :03/05/04 00:42


  痴のカオス


195 :考える名無しさん :03/05/04 02:40

思い込みを思索と取り違えることだろう。



207アダルトDVD:03/06/06 16:22
あれっ!昨日頼んだのにもう来てる本当に安かったのでびっくりしました


http://ime.nu/ime.nu/ime.nu/www.net-de-dvd.com/

208考える名無しさん:03/06/21 01:05
ふぅん
209考える名無しさん:03/06/26 20:38
灘=日本一
灘=日本一
灘=日本一
灘=日本一
灘=日本一
210考える名無しさん:03/06/26 20:39
入学おめでとう!
211考える名無しさん:03/06/27 00:22
まじでおめでてーなww
212考える名無しさん:03/06/28 23:16
どこも大体、ワーッと議論が盛り上がって、
スッとつまらなくなるね。
そんなもんなの?
213考える名無しさん:03/07/06 03:37
193 :考える名無しさん :03/05/03 21:39

哲学:無知なくせに説教を垂れようとすること。



194 :考える名無しさん :03/05/04 00:42


  痴のカオス


195 :考える名無しさん :03/05/04 02:40

思い込みを思索と取り違えることだろう。

214考える名無しさん:03/07/09 22:04
こういう馬鹿が淘汰されない
とんでもない似非学問です



61 :考える名無しさん :03/07/07 18:25

数学基礎論ではたして数学はとらえきれるものだろうか?


215考える名無しさん:03/07/09 22:06
数学者は数学信仰者であることを認識できない。
216考える名無しさん:03/07/09 23:07
>>215
十分認識してるんじゃねーの?
哲学みたいなくだらん似非学問に比べりゃ幾分ましだろ(w
217マジうんざり:03/07/09 23:53
>216  プラトンが幾何学にこだわりつづけていたことくらい知っとけよ。。。

218考える名無しさん:03/07/11 04:55
>>217
いつの話をしてるんだww

時間がストップしている人々の学問なんで砂、哲学はw
相手も自分と同じ感覚だと思うなよ
219かい:03/07/11 05:08
まさか!
同じタイプ・・・!
同じタイプのスタンド!?
220ブラックモエティー:03/07/11 05:13
タコすけ  
221かい:03/07/11 05:20
いかまる
222考える名無しさん:03/07/11 23:01
27 :考える名無しさん :03/07/11 05:10

という根拠はあるのかね?

という問いを永遠に続けて

己の無能さを隠すのが

最大の特徴です


28 :考える名無しさん :03/07/11 19:16
>>27
という根拠は?
あるのですか?wwww



29 :旧二十円金貨 :03/07/11 20:12
哲学とは劣性遺伝者のオナニーである。
223考える名無しさん:03/07/12 04:57
哲学とは劣性遺伝者のオナニーである
224考える名無しさん:03/07/13 19:01
劣性遺伝の意味を勝手に解釈している阿呆がおります
225考える名無しさん:03/07/13 19:21
それにしても、暇人が多いな
哲学が似非学問だと思ってるなら、こんなところで荒らしてないで
自然科学系、社会科学系の学術本の一冊でも読んでればいいのに・・
226考える名無しさん:03/07/15 04:24
哲学とは。

何らかの命題について考える場合、前提の真偽を確定することによって
命題のの真偽を確定することができるが、前提そのものが「真理として」
真か偽かを問うことはできない。そのため現状では「○○を真と仮定した場合」
という条件をはずすことができない。
しかし仮に何か「真理として」真である前提がひとつでも定まれば、そこから
論理的に様々な「真理として」真であることがらを導き出すことができる。

そのために、確実な、疑う余地のない、「真理として」真である前提(命題?)を追究するのが哲学。
哲学がちゃんとそういう真である前提見つけてくれないと、世の中の学問全ての
真偽が確定できない、という意味では哲学はあらゆる学問の基礎なのかな、と。

ついでに、数学ってのは真である前提を自ら作り出して(数とか)そこから論理的
に様々な真であることを導き出していってるのかと。

そう勝手に思っとります。
ちなみに用語とかは適当なので多分不正確。

227山崎 渉:03/07/15 12:29

 __∧_∧_
 |(  ^^ )| <寝るぽ(^^)
 |\⌒⌒⌒\
 \ |⌒⌒⌒~|         山崎渉
   ~ ̄ ̄ ̄ ̄
228考える名無しさん:03/07/17 09:27


nerupo toha?
229考える名無しさん:03/07/17 10:57
>>1
自由に考え自由に語ること。
もちろんこれは私の定義ですが。
230考える名無しさん:03/07/17 12:19
   アノネ
    ひとのことじゃ
     ないんだよ
   
   じぶんのことだよ
   
231考える名無しさん:03/07/17 12:28
自己のパラダイム化
232考える名無しさん:03/07/17 12:28
おまいら、哲学書一冊でもマスターした本あるの?
233考える名無しさん:03/07/17 13:37
   アノネ
   人間にとって
    一番大事な
     ものはなにか?
      そこを原点として
       考えてゆけば
  
   あとは自然とわかってくるよ
234考える名無しさん:03/07/17 13:38
認識は最終的に何を認識するかを模索する学問。
ヘーゲルが明らかにしたのは認識の仕組み。
235考える名無しさん:03/07/17 13:45
>>233
コモンセンスのことですね。
236考える名無しさん:03/07/18 06:53
>>232 プッ
237考える名無しさん:03/07/19 21:50
58 :考える名無しさん :03/07/12 19:16
(問)ラッセル卿、哲学とは何ですか?

(答)哲学者ごとに答えは違うと思います。私はといえば・・・、
哲学とは、正確な知識を云々することの "まだ" できない事柄に
ついての思弁、ということでしょうか。(From: B. Russell Speaks His Mind,1960.)

ともかく、思想においても、善悪を忘れて事実だけを知ろう求める人たち
のほうが、世界を自分の望みという歪んだ媒介物を通して眺める人たち
よりも、より善を実現する見込みが多いようである。

238考える名無しさん:03/08/13 18:06

Yes VOuvou
239M様日記文:03/08/30 03:12
オススメの本メールください

http://www3.diary.ne.jp/user/345331/
読んでみてください始まりの方も、明日から研究するつもりです。
240リヤル厨学生 :03/08/30 03:35
大人になると悩みが増えるのですね
241考える名無しさん:03/08/30 03:36
>>239
海辺のカフカ
242考える名無しさん:03/08/30 21:57
58 :考える名無しさん :03/07/12 19:16
(問)ラッセル卿、哲学とは何ですか?

(答)哲学者ごとに答えは違うと思います。私はといえば・・・、
哲学とは、正確な知識を云々することの "まだ" できない事柄に
ついての思弁、ということでしょうか。(From: B. Russell Speaks His Mind,1960.)

ともかく、思想においても、善悪を忘れて事実だけを知ろう求める人たち
のほうが、世界を自分の望みという歪んだ媒介物を通して眺める人たち
よりも、より善を実現する見込みが多いようである。

243考える名無しさん:03/09/13 03:44
heeee
244考える名無しさん:03/10/05 11:44
27 :考える名無しさん :03/07/11 05:10

という根拠はあるのかね?

という問いを永遠に続けて

己の無能さを隠すのが

最大の特徴です


28 :考える名無しさん :03/07/11 19:16
>>27
という根拠は?
あるのですか?wwww

245考える名無しさん:03/10/05 11:48
ラッセルは哲学者なのだろうか?
246考える名無しさん:03/10/05 11:56
>>245
哲学者でしょう
247考える名無しさん:03/10/05 12:09
>>246
そうですか。功利主義者、懐疑主義者、数学者、哲学評論家だとばかり
思っていました。
248考える名無しさん:03/10/05 14:50
>>247
さいでっか。今や哲学が評論であり、その先駆者だと思っていました。
249考える名無しさん
he-he-he-