1 :
考える名無しさん:
物を格して良知を致す、実践哲学「陽明学」を語りましょう。
朱子学とどう違うの?
3 :
考える名無しさん:03/03/23 01:20
王陽明、伝習録を知らないという方も
格物致知、知行合一を聞いたことないという方も
興味があるならどんどん書き込んで語り合いましょう。
>>2 朱子学は性即理、陽明学は心即理。
まあようするに、観念化しすぎた朱子学のアンチテーゼとして
考察対象に「心」という即物性の高いものをおいて実戦倫理にひきもどしたのさ。
本質は同じだと思う。
5 :
考える名無しさん:03/03/23 01:23
格物致知の解釈の仕方で分けることができるのですが
朱子学は物をきわめて知にいたると解釈してきたのですが
王陽明はこれを物をただして知をいたすという新たな解釈を提示したわけです。
つまり朱子学は絶対的真理を聖典や事物の中に求めるのですが
陽明学は己の心=良知にあると教えるのです。
ただ、本来の実践哲学としての蜜月は長くは続かなかったね。
儒教本道が漢帝国を飲み込んでしまったのに比べ、落差がある。
陽明の人間的な圧力がそこまででなかったのだな。
8 :
考える名無しさん:03/03/23 01:34
しかし日本にその実践哲学が伝わり
中江藤樹、佐藤一斎、大塩さんに松陰さんに西郷さんと
日本のある時期の時代を動かす原動力になりましたね。
ただ、中江藤樹なんかのものを見ると誤解(それも字句解釈の誤解)がはなはだ多く、
朱子学と陽明学の線引きもできていないね。
その当時の気風が結晶化する媒体となったのは確かだが、陽明学の内容自体から
それがきているかは厳密な検討を用するだろう。
10 :
考える名無しさん:03/03/23 01:47
>陽明学の内容自体からそれがきているかは厳密な検討
これは興味深い話です。
ただ当時の気風というか日本の文武両道という倫理観が
陽明学と合致したというのは聞く話ですね。
>>12 国の秩序維持の為に国教として取り込まれた。
家康が朱子学を奨励したのも同じ。
翻って陽明学は自己の心を第一と捉える革命思想
とうぜん中央集権国家の中華で受け入れられるものではない。
13はわかった。そういう「言い換え」はできる。それをする意味があるかは別として。
14は隙だらけだろう。
キリスト教や仏教も国教化したが、個人性というか個人信仰としての
実存性が本質的に非常に高いことは疑い得ないと思う。
16 :
考える名無しさん:03/03/23 02:39
佛教・キリスト教も個人性をおびるものだとして
しかしそれらは宗教であり、宗教を政治が取り込むの歴史的事実。
陽明学は宗教でなく思想であり、一神教として神を奉るものではない。
まさに個の良心を信奉し実行するというものであり
国家に取り込まれる性質の物ではない。
仏教は一神教か?神概念があるか?
仏教の「仏」と儒教、もちろん陽明学も持つ「聖人」概念にどれほど
思想的間隔がある?
キリスト教はユダヤ的ヒエラルヒーと抑圧的ローマ支配に対して
「個人の良心を信奉し実行する」という形でのアンチテーゼとして始まった面がなかったか?
きさまのあまりに外観的な定義によると、思想と宗教の線引きはどこになるのだ。
どうも言ってることが検討不足だ。
18 :
考える名無しさん:03/03/23 02:57
>キリスト教はユダヤ的ヒエラルヒーと抑圧的ローマ支配に対して
>「個人の良心を信奉し実行する」という形でのアンチテーゼとして始まった面
出発点ではなく結果。
思想は個人の行動規範
宗教は超越的絶対者への帰依・信奉
>仏教の「仏」と儒教、もちろん陽明学も持つ「聖人」概念にどれほど
>思想的間隔がある?
陽明学に死後の世界など触れられていない
これも一つ佛教との違いである。
そもそも陽明学でいう聖人とはつまり自己の良知であるから
仏や神などと全く異なる。
19 :
Hannibal ◆HPBRDkE86A :03/03/23 02:59
面白そうなスレッドだね。しばらくROMらせてもらおう。
>思想は個人の行動規範
>宗教は超越的絶対者への帰依・信奉
こんなふうに一義的に割り切れるわけないだろアホ。
伝習録でも読んでみればいくらでも「天」への絶対帰依や
実在的「聖人」への信仰が出てくるだろうが。
>陽明学に死後の世界など触れられていない
>これも一つ佛教との違いである。
仏教てのは「死後の世界」としての輪廻を否定した思想だろうが。
死後の観念が出てくるのは土着型宗教と混交したり三世紀大乗仏教成立以後バラモン教観念が
逆輸入されてからで、すくなくとも最初に国教化した段階ではそういう混交は一切
起こってない段階だろうが。
ウソをつくな、ウソを。
スッタニパータやダンマパダ(初期阿含経典)には一切「死後の世界」
なんて観念はでてこないぞ。
安易に低次元な印象論でものを語るなよ。
22 :
考える名無しさん:03/03/23 03:14
>天」への絶対帰依や
>実在的「聖人」への信仰が出てくるだろうが。
伝習録を読まれているのなら
天が神を意味するものでは無いことが分かるはず。
天とは真理であり真理とはすなわち良知であると
それが心即理である。
また顔子などを例に挙げるのはその心即理を実践した例として
挙げているだけであり聖人信仰など陽明学と全く相反する話である。
>最初に国教化した段階ではそういう混交は一切
>起こってない段階だろうが
この辺りはなるほどよく分かってないと思う。
申し訳ない。
伝習録は斜め読みしかしていないので知識的に各論に入れない。
不備ある言説でこちらこそ申し訳ない。
今度はもう少し整合的な論を展開できるように努力します。
24 :
考える名無しさん:03/03/23 03:25
あ〜
こちらこそ哲学史を幅広く知らねばと思いました。
またお会いしましょう。
25 :
考える名無しさん:03/03/23 04:06
仏教は一度たりとも、輪廻を否定したことなど無いぞWW。誰の書いた仏教史を読んだか、
見え透くようだがww。大きな誤りを鵜呑みにして乱暴な口を利くのはもうやめにしてはどうか?
ここは「陽明学入門」スレだから、ここまでにしよう。
もう二度と来るな。
>>25 おいおい、それは端的なまちがいだぞ。
どう言えば納得する?
人間、危機に際しては、これ、陽明学ですな。
わはははは
・・・・なにか入門書おせーて
28 :
考える名無しさん:03/03/23 14:59
>>26 しつこいぞ。仏教スレにでもいって、たたかれてこい。
29 :
考える名無しさん:03/03/23 15:18
31 :
Hannibal ◆HPBRDkE86A :03/03/24 00:25
>>27 三島由紀夫の「革命哲学としての陽明学」がおもしろかった。
文春文庫『行動学入門』に収められている。
32 :
考える名無しさん:03/03/24 00:51
>>31 三島の陽明学論、とても興味あります。
ありがとう、読んでみます。
33 :
Hannibal ◆HPBRDkE86A :03/03/24 01:00
真っ先に挙げなければいけなかったのが、島田虔次『朱子学と陽明学』岩波新書。
島田虔次はいい。いま手元にないので、このスレッドへの参加がためらわれる。
34 :
白鑞金 ◆XQOqpD8gDY :03/03/24 01:22
「知行合一」。
知識と実践とは一にして二にあらず。行いつつ知る。知るということは是つま
り行うということに他ならず。行為と知とは机上の空論であってはならない。
知るためには実践ありき。実践なきところに知識なし。
35 :
考える名無しさん:03/03/24 01:25
大塩平八郎、とかだっけか
37 :
考える名無しさん:03/03/24 02:17
2ちゃねらーの知行合体の目標
──万年半角より一度の性体験──
38 :
考える名無しさん:03/03/24 22:39
心が信じるに足る理由をおしえてくれ
39 :
Hannibal ◆HPBRDkE86A :03/03/25 02:55
下がってしまったから書こう。
>>38 われわれの心は聖賢の心と異なるものではないから。
心とは太虚であり、そのまま理であるから。
40 :
考える名無しさん:03/03/25 23:09
>>39 お答えどうも。
なぜ何故聖賢の心と一般の人の心が同じなのですか?
全にして一、一にして全・・・てことじゃないのお?
43 :
Hannibal ◆HPBRDkE86A :03/03/25 23:31
>>40 心が虚であるなら善なく悪なく、聖賢も愚夫婦(=一般人)もない。
>>43 はあ・・・うーむ・・・なんかいだ・・・
ちなみに
西洋哲学・東洋哲学のどちらの観点からでも結構なのですが
性善説のつまり性が善たる所以はどこにあるですか?
性即理の性や心即理の心って、西洋の一神教における存在者、第一原因に近い様な気がするんですが・・・勘違い?
46 :
Hannibal ◆HPBRDkE86A :03/03/26 00:06
>>45 もう少しバイアスかけて、たとえばベーメの「無底」に近いものではないか
などと愚考する。あるいは、仏教の如来蔵思想なども連想させる。
万人に聖人の心つまり良知があり
であるならただ良知を行うのみとするのが陽明学
万人に聖人の心あるも
意の動つまり心を発動するに際し欲望によって
人はままとして過ちを犯すので
事物や聖人・聖典に学びその後行えとするのが朱子学
ではなぜ万人に聖人の心があるのか。
聖人の心とは天理である。
天理を心が認識しなければ
天理は天理という言葉だけの存在となる。
天理を天理と価値づけ感知するは人の心であり
その人の心こそが天理だとも言える。
万物が一体であることを示すものである。
・・・と私は理解しています。
age
まずは司馬の峠をよめや。
>万人に聖人の心つまり良知があり
>であるならただ良知を行うのみとするのが陽明学
その前に、心の中の良知を致すために修行しなきゃならないのが陽明学右派。
いまの自分の心がそのまま理だから、心のままに振る舞えばよいのが左派。
50 :
考える名無しさん:03/03/29 19:58
>>49 四句説ですね。
うえの司馬遼太郎の峠の
河井継之介の修行のエピソードは
四無説をもって陽明学を分かり易く(単層的でありますが)
描かれていますね。
心とは天与のものですから、そのまま理です。
今あなたが持っている心は、そのまま天理です。
あなたは、生まれながらにして聖人なのです。
だから、あなたの心の命ずるままに振る舞いなさい。
それが天理に叶った行動なのです。
age
naze
ageage
体用一源
55 :
考える名無しさん:03/04/15 00:16
西洋哲学でいう良心とどうちがうのでしょうか?
>西洋哲学でいう良心
一体どれのことだ?
心とは天与のものですから、そのまま理です。
今サダムが持っている心は、そのまま天理です。
サダムは、生まれながらにして聖人なのです。
だから、サダムの心の命ずるままに振る舞いなさい。
それが天理に叶った行動なのです。
(^^)
あぼーん
保全
>>57 まずは困知勉行から。
殀寿もて弐にせず 身を修めて以て待つ
62 :
考える名無しさん:03/05/03 01:00
『仏教と陽明学』荒木見悟(レグルス文庫)1979
これを読んでみ。
64 :
Hannibal ◆HPBRDkE86A :03/05/03 02:28
>>62 うん! 面白かった!
面白かったということしか憶えていない。
65 :
考える名無しさん:03/05/08 11:31
━―━―━―━―━―━―━―━―━[JR山崎駅(^^)]━―━―━―━―━―━―━―━―━―
あぼーん
68 :
考える名無しさん:03/06/12 22:01
陽明学の復権。
age
70 :
考える名無しさん:03/06/26 20:43
陽明学とは、革命思想である。
どっかの帯の文句を書く暇があったら
伝習録をまず嫁。
はい。
続き)しまもとです。
あぼーん
age
あぼーん
78 :
考える名無しさん:03/07/21 15:16
ss
age
age
あぼーん
age
伝習録は、どの出版社の本が良いですか?
中国における近代思惟の挫折はどうですか?
>>84 近代思惟の挫折っていうのはどういう意味?
めんどくさがらず教えて下さい。
>>85 島田虔次氏の著書のことです。
最近、平凡社の東洋文庫から復刊されました。
今、読んでいる途中なので読了後に感想を書きます。
あぼーん
あぼーん
あぼーん
91 :
考える名無しさん:03/09/29 22:33
age
age
94 :
考える名無しさん:03/11/30 12:30
平岡公威あげ
>>44 >性善説のつまり性が善たる所以はどこにあるですか?
文献的には『孟子』公孫丑上の孺子入井の話・四端説あたりとかがおおもとになると思う。
てか基本的に儒家は性善説で殆ど自明のことのように扱われてるけどね。
>>95 横レスで恐縮なのですが
つまり西洋では性が善であることは自明ではないということなのでしょうか?
もしくは善の質が西洋と東洋(儒教)では異なるということなのでしょうか?
>>96 申し訳ありませんが、西洋のことは知りません。東洋のことも勉強中の身です。
ですが、善の質が異なるのは殆ど疑う余地が無いと思います。
異なるとする理由については善よりも悪を比較したほうがよく分かると思います。
儒学で言う悪とは基本的に無秩序を指します。
富谷至氏の『韓非子』でも読んでみてください。参考になると思います。
「自明のこと」と言ったのは儒学が整備された頃から
性善説を取らない学者が殆どいないからです。
「なぜ性が善なのか」という議論はされず
「善である」ところから話が進むことのが多いです。
スレタイの人物はどうだったかな?陽明学は全然知らない…
>>97 >儒学で言う悪とは基本的に無秩序
なるほど、
まさに法家たる韓非子の考え方だなと思うのですが
儒教全体でもそのような考え方になるのでしょうか?
私は東洋哲学についても無知であるので
偉そうな事はいえないのですが・・・
ただ
>異なるとする理由については善よりも悪を比較したほうがよく分かる
というのは大変興味深い話しだなと思いまして
今後意識して読解していきたいと思います。
陽明学は確か心即理で性善説ですよね
ただ生来善である心が朱子学的なアプローチでは阻害されるという立場だったかと
陽明学の入門書でよい本を、どなたか教えてください。
>>99 禿しく既出。
おまいは100レスにも満たないスレを読み通すこともできない池沼か?
ま、個人的には島田虔次氏がダントツでいい、とオススメしといてやる。
因みに中国思想関係はこの板で聞くより
古漢板で聞いたほうが的確な答えが返ってくるぞ。
>>99 間違っても 陽明学 回天の思想 には手を出すな
>>103 日本経済社出版から出ているということからも分かるとおり
サラリーマン向けの、それゆえある種の定型から脱しえない
つまらない読み物だという印象を受けたからです。
しかしそれゆえにまさに入門書に最適ともいえるのかもしれないけれど、
しかし陽明学への興味を萎えさせる恐れもあるかと・・・
真説・陽明学入門は心学としてよりパーソナルな側面から
陽明学について書かれていて、なおかつ
陽明の生涯の略歴や日本の陽明学の系譜なども記載されていて
もう私の真説・陽明学入門は読み過ぎてすっごくくたびれてて・・・
それぐらいとっても良作なのです。
hage
age
107 :
考える名無しさん:04/01/03 16:16
実は陽明学の入門書はよく考えて選ぶべき。なぜならば、
1 「陽明学にかこつけた」ビジネスマン向け啓発書
決断と実行!を推奨する人生論タイプ
2 陽明学に「近代」を読み込む(読み込んでしまう)タイプ
西欧に比してアジアは遅れている、という戦後思想に反発するもの
「陽明学は西欧近代思想にひけをとらない」…島田虔次はこれだろう
3 2に対する反論
「やっぱり前近代思想」…守本順一郎、溝口雄三など
結局、読み手が「読み込んでしまう」わけだが、それをある程度わかったうえで
読まないと、「呑み込まれてしまう」おそれあり。
age
109 :
考える名無しさん:04/01/18 22:16
抜本塞源論
110 :
考える名無しさん:04/01/18 22:33
>>107 2,3についてはその通りだな。
とはいえ、個人的には島田虔次氏の著作には大きく影響された。
叙述のスタイルが魅力的だった(学問的でありながら対象への著者
の情熱が強く感じられる)。
他方、李卓吾の徹底的な分析で島田説を批判した溝口雄三氏の著作
も興味深かった。特に明・清期の思想的な繋がりが、島田氏のように
明代思想の「挫折」ではなく、「屈折と展開」というかたちで捉えて
いる点、更にそれらの伝統思想が中国近代の思想(孫文・毛沢東)に
まで影響を及ぼしている点の指摘などは、ダイナミックな思想史理解
として感銘を受けた。
それにしても島田虔次氏の著作、東洋文庫に入ったんだ。
まあ名著だから当然か。
111 :
考える名無しさん:04/01/19 00:11
陽明学だけ取り出してアレコレ論じてもダメだろう。
朱子学との関係が理解できなければ、陽明学も判らない。
ただ日本人には、朱子学的な形而上学(理気論・性即理)よりも、
陽明学の心即理的なテーゼのほうが親しみやすいかも。
age
あぼーん
age
age
age
ほしゅ
良知というのがよく分からない・・・
神秘主義者の啓示のようなものなのか?
だらか答えてくれ
age
朱子学とはなんであるのか?
陽明学を理解しようと思えば避けて通れないない道であるが、むずかしすぎる。
wakaran
あぼーん
123 :
考える名無しさん:04/05/11 19:26
放送大学のテキスト、『朱子学と陽明学』(小島毅)はよかった!
>>123 それは、テキストのみで理解できるものですか?(講義は聴かなくても理解可能ですか?)
age
126 :
考える名無しさん:04/06/07 17:26
ぺりかんの日本思想史辞典て使える?岩波の哲学思想辞典のほかに日本思想の使えるじてんとかないですか?
w
age
130 :
名無しさん@そうだ選挙に行こう:04/07/11 18:24
岩波の伝習録、絶版なんだよなぁ。
どうにかならないものか
131 :
考える名無しさん:04/07/27 14:14
中庸?
132 :
◆42.195kmAM :04/07/29 06:55
133 :
考える名無しさん:04/08/31 00:33
保守
134 :
考える名無しさん:04/09/18 01:21:58
あげ
135 :
考える名無しさん:04/09/18 14:33:26
王陽明、陽明学と英語では何て呼ばれてるのか教えてください。
まじで、おねがい。
Wang Yang Ming school
137 :
考える名無しさん:04/10/05 11:33:15
age
138 :
考える名無しさん:04/10/06 00:04:03
岩波文庫の伝習録は全訳なんですか。
そんなもの抄訳しても仕方がないと思うが。
age
岡田武彦氏 崩御
合掌