205 :
Sophia ◆8ADoZCl6.k :
204 たしかにそうですね。
私は高校生の頃、カントの純粋理性批判に挑戦しようとして
ほんの最初の数ページで挫折しました。一方、アランとかランボーの
詩集とか老子、荘子とかははまりましたけど。。
だから、カントには私は因縁があるのです。ほとんどアレルギーです。
「感性から切り離された理性。カントの純粋理性とはそのようなこと。」。。。
。。。私はこれは読んでないからかもしれないけれどどうもそのカントの純粋理性とは
どうもありえないような気がします。
>徹底的議論空間内で、論者が同時に交通整理をしなくてはならない
>ことは、理性と感性と欲望の分離を困難にする
確かに。さっき私がいったのは、考えも気持ちも望みも、話すには必ず
入っているものなのに、どれか一方のみに分離されて解釈されるのも
また、他のものと一緒に解釈されるのも、時として誤解を招くことが ありますね。
人それぞれ、感性も理性も欲望もまた違うものですからそのなかで共通する事を
みつけることは楽しいですが時間や経験を必要とするみたいです。