(^^)
24 :
考える名無しさん:03/03/14 00:32
私は1と似た理由で物理を始めた。根元的欲求がその動機である。何故私が哲学ではなく物理を選んだのか。それは、その問題を哲学では解決できそうになかったから。非科学的な哲学で結論が出るとは思えなかった。宇宙の始まりに全ての解が隠されている気がした。
<数学がこの世界を表せる理由>
曖昧な境界記号想定論によると、
数学という方法で境界を想定し、
記号化することにより認識しようとするのが科学的手法である。
私たちが持ち得た認識方法としては、このような科学的手法の他には、
同じく境界を想定する言葉による言語的手法、
境界が不明確な動物的叫びや視覚に訴える原始的手法、
その他音楽、絵、詩などの芸術的手法がある。
なぜ同じ論理性を元にして、数学を元にした物理学は、
言葉を元にした哲学よりも、この世界の状態をより正確に
描き得たのだろう。
たとえば数学の概念の「1」は、言葉の概念より、
境界も、記号も曖昧さが少なく、かつ
私と他者との曖昧さが同じとする可能性がある。
ただ、数学の大きな欠落は、物質のみしか
描けないことである。
26 :
考える名無しさん:03/03/14 00:44
それは誤解だ。
27 :
考える名無しさん :03/03/14 00:49
また田中洸人でつか。
>25 数学的手法が言語的手法より正確に自然を記述できる理由は、主体と客体を分化しているから。また、数学が巧く記述できるのは、「自然の冥利だから」という解釈と「人間が発明した数学なので理解できる事しか記述出来ない」という解釈がある。
29 :
考える名無しさん:03/03/14 01:13
>25 科学は人文学にもその領域を広げつつある。脳の研究がその典型。しかし、DNAを全て解読し、脳の物質的機構を完全に解明しても、人間に対する科学的な完全な理解は得られないと言われている。科学万能ではない一例。
31 :
考える名無しさん:03/03/14 01:19
>>28 数学については「」と「」の境界ギリギリに在る気がする
>数学的手法が言語的手法より正確に自然を記述できる理由は、主体と客体を分化しているから。
ん〜、そうなのか。。。
1つの石を、半分に割ると1/2でもあるが、2つともいう。
1つの漬け物石を、半分に割ると1/2の石だが、2つにはならない。
これはものへの主観的認識の分割に依存している。
数字には、主体が含まれているということ。
数字は言葉なわけか。
数学では、1を2つに割るといつも1/2。
主観的認識が切り離されてるからか。
なるほど。
>科学は人文学にもその領域を広げつつある。脳の研究がその典型。しかし、DNAを全て解読し、脳の物質的機構を完全に解明しても、人間に対する科学的な完全な理解は得られないと言われている。科学万能ではない一例。
ってか、脳を研究しても抽象的概念は数学では表せないよね。
科学、人文学、領域、研究、典型、万能
34 :
考える名無しさん:03/03/14 01:43
何か、バカの高等解釈みたいななるほど
物理学では、数字は物を表している訳だ。
ってことは、主体が含まれないのか。
主観的認識が切り離されてる数字を使って、物の現象を表す。
物理学では、石を半分に割ると1/2で、2つにはならないということか。
この時に欠落した主体が、世界を物理学で示すときの
矛盾としてとしてあらわれないのか。。。
今日はねるべ。
36 :
考える名無しさん:03/03/14 01:48
1つの木を叩くための石を、半分に割り2つした。
この場合、
1/2の認識は、石という物体で
2つになったのは叩くという石の機能?
>言い切れるかな?
言い切れないかな。
物理学ではものの機能は想定していない。
1つの石だろうが、1つの漬け物石だろうが、
物体としてしかみない。
この時に欠落した主体が、世界を物理学で示すときの
矛盾としてとしてあらわれないのか。。。
今日はねるべ。
一つの石を割って二つにしましたの、物理学的記述は?
数学ったってそんな万能じゃないよ
「1」の話が出てたけど、この「1」だけでも十分哲学的考察の対象になるし
「1」とはなんなのか、といわれたらなんて答える?
ちなみに「1個」とか「単位」のついてないただの「1」だよ。「単位」がついたのは「1が解釈されたもの」で「1」じゃないからね。
こうなるとそういった「1」が実在するのかも問題になってくるけど
数学(特に数学基礎論)やってると哲学的な考察は絶対必要
普通の数学だってその式の意味するところを探ったりするわけだから、その解釈においては哲学的な考察が出てくるし
これは物理学だって同じはず
そも、均等2分割?
どうもこういう設問になると、ぴかぁ〜の馬脚は一層派手に晒される。
数学系、苦手そうね?
設問自体が下手と言う意味です
>32 私の言う数学は「物理数学」であって、純粋数学ではない。数学の3と物理学の3は異なる。物理学の場合は次元を持ち、例えば3m、3kg。従って、物理系と初期条件を与えれば運動が決定する。観測者が主体になるが、物理法則は客観的な体系である。
>39 例を挙げます。クルミを割る為に御影石を使うか、漬物石を使うかを考えます。体積の等しい物を用意します。後は、質量・弾性係数を調べば良い。質量が大きければ、クルミに与える力積も大きくなり、クルミが割れやすい。試す前に結果を知る事が出来ます。
観測が物理法則に影響を及ぼす時もがあります。その際は量子力学が必要で、主体(観測者)の存在が物理法則に表れます。また、相対性原理より、主体を一義的に決定出来ません。絶対座標・絶対時間は存在しません。
うぅぅぅぅ
>数学ったってそんな万能じゃないよ
>「1」の話が出てたけど、この「1」だけでも十分哲学的考察の対象になるし
>「1」とはなんなのか、といわれたらなんて答える?
>ちなみに「1個」とか「単位」のついてないただの「1」だよ。「単位」がついたのは「1が解釈されたもの」で「1」じゃないからね。
>こうなるとそういった「1」が実在するのかも問題になってくるけど
これおもしろいね。
1の起源は、ものの認識と同種の認識じゃないかなあ。
2があっての1じゃないかな。
>49 背理法ですね。 化学は物理学に、物理学は数学に、数学は哲学に近いと言われます。哲学は心理学に近いのでしょうか?
CP
背理法
「その命題が成り立たないと仮定して矛盾が生じることを示す証明法を背理法という」
つまり,背理法とはPの否定が偽であることを示すことにより,Pが真であるこどを導く(間接的)証明法のことである.
しかし,背理法は排中律から導かれる定理であり,背理法が正しいことをきちんと証明しておくこどが必要である.
背理法は強力な方法で,これを用いないと証明できない定理も多くある(最近証明されたフェルマーの定理など).
直感的には,背理法とはPの否定という質の悪いウィルスを数学的理論の中に注入して,ガン(矛盾)の発生を
観察するようなものと考えることができる,ガンができたのは注入したウィルスが悪性だったからである.
52 :
考える名無しさん:03/03/24 17:44
あげてみる
(^^)
∧_∧
( ^^ )< ぬるぽ(^^)
━―━―━―━―━―━―━―━―━[JR山崎駅(^^)]━―━―━―━―━―━―━―━―━―
∧_∧
ピュ.ー ( ^^ ) <これからも僕を応援して下さいね(^^)。
=〔~∪ ̄ ̄〕
= ◎――◎ 山崎渉
連続カキコですか? よほど悔しかったようだな(w
58 :
考える名無しさん:03/07/10 03:33
つうか、大成功している物理学を沈滞哲学の板に持ち込めば、無視して逃げる
(放置とか粋がったところで)しかDQNにはないのじゃろう。
何をほざこうが、量子力学無しにはPCもNETあり得ない。世界の解明もおぼつ
かない。
世界を解明するのは論理学と情報科学
60 :
考える名無しさん:03/07/10 12:33
哲学と物理に数学も選択肢に加えちゃダメなの?
61 :
考える名無しさん:03/07/10 12:41
62 :
考える名無しさん:03/07/10 20:32
63 :
考える名無しさん:03/07/10 20:51
哲学も物理学も数学も生物学も分子生物学も論理学も記号学も文学も音楽もぜんぶ必要だから、全部やれ。忙しいぞ!
64 :
考える名無しさん:03/07/10 23:32
てか、科学(物理学)なんて
現象として重要な点よりも質量中心の点の挙動を追う事に
忙しくなるから、現象を追いたいのなら物理は邪魔。
65 :
考える名無しさん:03/07/11 05:03
>>64 yareyare
mata
kodaijinndotoujouka
(w
66 :
考える名無しさん:03/07/11 15:26
>>65 正直、政治経済文化の質が伴っていない科学なんて、
古代人より質が悪いと思う。
67 :
考える名無しさん:03/07/11 19:13
>>66 書いてあること自体は否定しにくいことだが・・・
科学に疎いくせにそおいう物言いで現在の科学を蔑むような連中は、
どこかの孤島に移り住んで、現在の科学の恩恵をいっさい受けられない状態から、
立派な社会でも築いてくれ。
偉そうなことを言うのはそれからにしろ。
68 :
考える名無しさん:03/07/11 19:27
58 :考える名無しさん :03/07/10 03:33
つうか、大成功している物理学を沈滞哲学の板に持ち込めば、無視して逃げる
(放置とか粋がったところで)しかDQNにはないのじゃろう。
何をほざこうが、量子力学無しにはPCもNETあり得ない。世界の解明もおぼつ
かない。
>>68 人間の日常的な直感や感性ではとらえることができない微視的世界において、
事物は形式によってのみ認識される。ということであれば、
量子力学と現代−近代哲学はとても近いのではないかと思う。
70 :
考える名無しさん:03/07/12 17:41
量子力学と近代哲学より量子力学と古代仏教の方が近しいと思う
71 :
考える名無しさん:03/07/12 17:52
>>67 蔑むのはよくない。でも批判は必要だよね。
科学を享受しているからこそ、考えるべきことは考えんと。
科学哲学って科学者にそんなヒマはないから代わりに考えんてんかな?
そういうんだったらオレもかじってみたいんだが。
__∧_∧_
|( ^^ )| <寝るぽ(^^)
|\⌒⌒⌒\
\ |⌒⌒⌒~| 山崎渉
~ ̄ ̄ ̄ ̄