焼け焦げた藁屑が舞う、夜の濡れた路上にて

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1木彫りの炎馬 ◆taZqHR8ods
新しき暁の光を待ちわびて、濡れ細った外套の奥で
黒光りした眼を覗かせている柔肌の若き青年。
果てもなければ当てもない思索の旅に身を窶し、
闇から闇へ手に当たるなにものかを求めて病み、
ふと重い目蓋で寒空に湧き去る黒雲を見上げたとき、
混沌とした不条理を覆う一匹の魔物がいた。
2木彫りの炎馬 ◆taZqHR8ods :03/02/28 20:57
幾本かの太刀の突き刺さった青光りした翼から
彼は焼け爛れた真理を紡ぎ出すように紫掛かった錆びついた大地に
海を覆うほどの血を吹き出した。
真理が怒っているのか、真理とは如何なるものか、
AからXを導き出す論理にて、みずからを謎に負い込んだ哲学への復讐か。
己の足元を掬い、無に転ばせたあの悪しき思想への復讐か。
3木彫りの炎馬 ◆taZqHR8ods :03/02/28 21:14
一体何処に行けばあの壮大な悪魔に遭遇できるのだろう。
私を肉体ごと掻っ攫うようなあの引力に?
この地上のあらゆる物総ては、概して無意味である。
しかし、ものとものとの関係性のなかには
それらのひ弱で無力で意味のない生を解き放つ電力、爆発が
時として起っている、に違いない。
私はそのなかへ入り、一体となり、そのためにこそ生きてみたいと思った。
4考える名無しさん:03/02/28 21:14
うんこ
5ぴかぁ〜:03/02/28 21:15
>木彫りの炎馬 ◆taZqHR8ods

ヒッキーの臭いがする。
6木彫りの炎馬 ◆taZqHR8ods :03/02/28 21:21
こうして、私の当て所もない旅は始まった。
いや、とうの昔からこの地へ立とうと奮闘してきたのだ。
たったいま私の立っているこの出発点へ。
しかし一体この「関係性」という獏とした、そして無限の荒野なかを、
どの道をどのような方向へ向えばいいのか?
私は降り返る。道は大きく二手に分かれていた。
ひとつは既存のパラダイムであり、もうひとつはまったく未知の
雑草の生い茂った道なき道であった。

7木彫りの炎馬 ◆taZqHR8ods :03/02/28 21:24
>>5
よく分かったな。
8ぴかぁ〜:03/02/28 21:26
>よく分かったな。

やっぱりかよ!この板に長くいるとヒッキーの書く文章がにおえるようになってきた。
そして、木彫りの炎馬 ◆taZqHR8odsのヒッキー歴がかなり長いこともわかる。
9考える名無しさん:03/02/28 21:26
かんじがむずかしくておもたいです
10考える名無しさん:03/02/28 21:31
かちゅーしゃ無しじゃ過去ログ読めなくなったみたいだ
11木彫りの炎馬 ◆taZqHR8ods :03/02/28 21:33
わたしは、およそ「納得」「理解」といったような知的快楽の領域には
真理、つまりわたしが目指す地平には辿りつく事ができないことを直観した。
解体と結合が、爆発と収縮が、無と有が並存する不可思議な領域。
可視的空間と不可視な空間とが重なり合い、くっ付いていると思っていたものが離れていて
澄んだ淀みの流れが果てもなく停滞し、まるで何ものも存在できないかのようにある
不思議な領域。
12考える名無しさん:03/02/28 21:33
ちんこ
13木彫りの炎馬 ◆taZqHR8ods :03/02/28 21:36
>>8
長いってどれぐらい?今年で3年目だけど。
14ぴかぁ〜:03/02/28 21:37
>長いってどれぐらい?今年で3年目だけど。

最低でも5年。
15考える名無しさん:03/02/28 21:38
>>14
ぴかぁ〜は何年?
16木彫りの炎馬 ◆taZqHR8ods :03/02/28 21:47
人?人との関係のなかにそれはあるのだろうか?
いや、それはあるかないかも分からない謎の杭にロープを縛り付け
底無しの谷にぶら下がるに等しい。人間は総て移り気で確証されたなにものも
持ち合わせてはいないのだ。それは私とて同じこと。
私や他人を関係性の一端にしていては土台、確かな真実が表象される可能性は
期待できないのではないか、ではなにに??
雲のように次々とかたちを変える私を含めた人間を理解し、
その関係性のなかで何かが生まれたからとてそれがなんであろうか?
まるで雲と雲とのあいだの類似を眺めて悦にいるようなものではなかろうか?
17考える名無しさん:03/02/28 21:47
無言って事はかなり長いということと解釈しましょう。
18転がる石墨:03/02/28 21:49
揺らぐ水辺を供に、呼び交わす樹々の声の軌跡をたどって、先生の家まで。
はたはたと炎が落ちる笑顔は昔のままで、水を連れてきてよかったと、ぼくは思った。
「十七年ぶりに答えが出たかね」
先生はほとんど歯がないくせに、意外にしっかり発音する。
いきなり本題かよ。そう思いながら背中で櫂を漕ぐのはやめない。危なかったらすかさず、水のうえを逃げるのだ。
19ぴかぁ〜:03/02/28 21:50
>ぴかぁ〜は何年?

わしは海外出張帰りのしがないリーマンです。
20木彫りの炎馬 ◆taZqHR8ods :03/02/28 21:56
こうして、わたしは悟った。

既存のもののなかに真理を呼び起こすようなものはひとつとしてない。

どんな高尚な仏典だろうが、優れた哲学書だろうが、愛する恋人であろうが、
また自己であろうが。それが存在するかぎり、存在していたかぎり
わたしの求める悪魔を呼び起こす関係性の一端にはなり得ない。
なぜなら、既存のものは総て移り変わるものであり、塗り変わり、消え去るものであるから。
では、そうでないものとはなんであろうか。
わたしの言うそうでないものとはつまり、そうであるかないかという
相対項のなかから飛び出したようなものであろう。
そうでないものとは、そうでないものとしてあるのだから。
21転がる石墨:03/02/28 21:58
贈り物の石碑に書いてあった。
「問いのすべてに答えがあるわけではない。おなじように、失われた問いを捜し求める答えもある」
ひところ、父の遺言として人口に膾炙した言葉だ。
むらむらと湧き上がるものを、素早くふたつみっつ定義できたときには、いつも石を使うのが、父の流儀だった。
たしか、あのときもそうだった。〈落下する大聖堂〉で二度目の結婚をし、四十四度目の定義をしたときも。
いつも、狡猾に、石を身近に置いておくのだあのひとは。
22ぴかぁ〜:03/02/28 21:59
>木彫りの炎馬 ◆taZqHR8ods

それをより論理的にしたのが、「生命思想」論やで。
きみにこれを超えられるかな。

「生命思想」論
・生命の進化そのものが、思想を宿している。それを「生命思想」と呼ぶ。
・人は生まれたときから、「生命思想」をもっている。
・「生命思想」の第一定理は境界を想定し、個体として認識することである。
・第一定理は、植物から動物の進化した段階、および雌雄が発生した段階で明確に生命内に宿った。
・「生命思想」を解脱した「私」とは、境界をもちえず、「私」は「あなた」であり、「私」は「この世界」となる。
・「死」とは、境界があってはじめて存在し得る概念である。
・「生命思想」を解脱した「私」は「死」なない。

キャッチコピー「私はあなたであり、私はこの世界であり、私は死なない。」
23考える名無しさん:03/02/28 22:04
まんこ
24木彫りの炎馬 ◆taZqHR8ods :03/02/28 22:05
「未だ無いもの」。それがつまりわたしの感ずるところ、悪魔の一端であろう。
しかし、それは空想し得たもの、または構想し得たもの、
つまるところ頭の中に浮かんだものでは有り得ない。
空想もいわば存在の一形式である。思考もまたそうだ。
頭に浮かんだ瞬間、それは既存のものとして消え去っていくものに
カテゴライズされる。いや、存在という風に吹きさらわれてしまうのだ。
絶対的な未来のなかに、縄の一端を揺るぎなきように括り付け、
表象の電子銃に飛ばされぬようにせねばならない。
25考える名無しさん:03/02/28 22:07
>>19
どこの国へ逝ってたの?
26ぴかぁ〜:03/02/28 22:08
>どこの国へ逝ってたの?

やりまくれる国。
27木彫りの炎馬 ◆taZqHR8ods :03/02/28 22:09
>>22
>20や>24を読めば分かると思うが、そういうものではないです。
28考える名無しさん:03/02/28 22:10
・・・かなり、長いみたいだな。
29考える名無しさん:03/02/28 22:12
>>27
つまり、ちんちん電車は痴漢電車ではない、恥を知れ恥を?
ということですね? それは確かに優れた見識です。恐れ入りました。
30考える名無しさん:03/02/28 22:14
ぴかぁ〜やSophia、この板のコテハンは強烈なのが多いですね。
31木彫りの炎馬 ◆taZqHR8ods :03/02/28 22:14
さて、縄の一端が絶対的な未来にあることがこれではっきりした。
しかし、もう一端はどこだろうか。未来だろうか?
もし未来なら、わたしというものとまるきり関係が無くなってしまい、
それは現実的ではない、何故ならわたしというものと関係がなくなれば
それは「わたしの未来」ではないことになり、欺瞞に陥るからだ。
どうあがいても、わたしは私自身からは逃れられないのだ。
しかし、どう見たところでわたし自信は消滅し、過ぎ去って行くもので
確かなものなどないのだ。
32考える名無しさん:03/02/28 22:23
タイピングはなかなか。
33木彫りの炎馬 ◆taZqHR8ods :03/02/28 22:23
わたしの確かさというものはなんであろう。
それがみつかれば、その一点において縄の一端になり得る。
わたしのなかの永遠と、未来のなかの既存でないもの=表象にのぼらないもの=
つまり絶対的な未来、を結びつけることができれば、
その関係性は永遠性を帯びるだろう。(その証明は後に譲る)
わたしのなかの永遠性、思考=身体の永遠性、
それはそれ自体が消滅する可能性=死に他ならない。
わたしの確たるものといえば、これを除いてほかにはあるまい。
34木彫りの炎馬 ◆taZqHR8ods :03/02/28 22:30
わたしの死の可能性と、表象にのぼらぬ未来(=いまだ〜ない)。
これはイコールでは結ばれない。
死、それ自体は未来でもすでにはっきりした可能性であり、
頻繁に表象に登ってわたし自信を脅かすからだ。

表象に登らぬ未来のことをもう少し詳しく考察する必要がありそうだ。
35木彫りの炎馬 ◆taZqHR8ods :03/02/28 22:36
表象に登らぬということは、つまり私自身にとって全く表象の可能性が断たれた
可能性、つまり絶対に把握することができない未来の可能性、
もっといえば、その関係性を把握した後もその関係性の一端が
(つまり私の死の可能性に対する、別の未来の可能性のなにものかが)
一体なんであるのか全く表象できないような可能性のことである。
36ぴかぁ〜:03/02/28 22:54
過去ログどうやってみたらええの
37考える名無しさん:03/02/28 22:58
ペコちゃん飴(知っていれば)金太郎飴でもよいが、
切り口が(未来の可能性
38木彫りの炎馬 ◆taZqHR8ods :03/03/01 12:59
>>36
みれないのか?
>>37
ん、どういうこと?
39木彫りの炎馬 ◆taZqHR8ods :03/03/01 13:12
以上の考え方はしかし、曖昧な考察の上にたっている。
「未来」という蓋然性の寄りかかった
奇妙な臆見を含んでいる。
というのは、現実の表象に引きおろされぬ未来という蓋然性は
「いまだ〜ない」という特性を極端に強調した、(いや、むしろ利用したというべきだろう)
机上の空論であり、いわばまだ表象されぬ事をいいことに
変容を先延ばしにしてとらえているに過ぎない。

40木彫りの炎馬 ◆taZqHR8ods :03/03/01 13:17
そして、死なるものの確実性も経験則の域を出ることがなく、
ただ死にゆくものの姿を目の当たりにした臆測を
自己のそれに拡大解釈しているに過ぎない。
己の死の確実性は移り行き、過ぎ去ってゆくことをその本性とする
経験則の範疇に属し、他の表象となんら違いはない。
41木彫りの炎馬 ◆taZqHR8ods :03/03/01 13:25
以上によってひとつの奇妙な命題がはっきりと浮かび上がった。
つまり、

表象という形式をとるなにものも確実性を有しない。

ということだ。それが我々の意識に浮かび上がるや否や、
たちどころに不確実な「消えゆくもの」としての属性を帯びてしまう。
42木彫りの炎馬 ◆taZqHR8ods :03/03/01 13:42
意識上の死は確実ではない。わたしが死にゆく存在であるということは
なんら確実なことではないのだ。(それは、経験則を通して表象されたものだから)
わたしは決して死の確実性を「体験」することはできないし、また「臆測」することもできない。
できたとしても、それは本来の死とはまるでかけ離れた異質なものであるだろう。
たとえば、悟りは無=死とよく似ているが、(仏教でいう無は有に対する無ではなく、
有、無という相対項を超越した無という点で、わたしがここで述べている死と似ている)
それは無=死を体現するものではなく、
いわば無=死という臆測に自分自身を当てはめて擬似体験しているにすぎず、
無=死それ自体とはなんの関係もない。つまり、それは観念上の遊戯にすぎず、
表象という形式によって経験されるかぎり、有なのである。
43木彫りの炎馬 ◆taZqHR8ods :03/03/01 13:52
わたしの肉体が滅び、精神が朽ち果てるであろうところの「死」それ自体は
確実性を有するだろうか。
死がそのようなものであるのならば、死それ自体は決して表象されず、
経験もされないので確実性を有するだろう。何故なら、確実性とは
移り変わる要素がないもの=永遠性を有するもの、に他ならないのだから。
44木彫りの炎馬 ◆taZqHR8ods :03/03/01 14:11
「表象という形式をとることのできないわたしの死それ自体」は確実だといえる。
先に述べた未来、つまり「表象されることのない、つまり意識にのぼらず経験もされない
わたしの可能性=未来それ自体」はどうであろう。
それらはわたしの死によって消えうせるという点で、
確実性を有するものとは言い難いのではないか?

45木彫りの炎馬 ◆taZqHR8ods :03/03/01 14:28
>>41
表象そのものは確実である。それが虚偽であろうと、
夢であろうと、そういうものとしてあるということは確実である。
表象の内容はあるかないかもわからない不確実なものだが、
とにかく「そのようなものとして表象されている」という事実だけは
動かしようがないのでは?
46考える名無しさん:03/03/01 14:31

きbりさん。独り言ですかい。
47考える名無しさん:03/03/01 14:40

>>45
名前欄消し忘れタコ、キャハハハハ
なに自作自演やってるんだよ(ぷっ
48木彫りの炎馬 ◆taZqHR8ods :03/03/01 14:41
>>46
思索をしているのだが、いきづまった。
確実なもの、永遠性を有するものを探して、永遠性と永遠性の間の関係を
考察しようということをやっているわけだが、
まず、候補にあがったのが
1、死それ自体
2、表象それ自体
3、表象にのぼらぬ未来
の3つなのだが、2や3は1によって消滅するから、
永遠性を有しないんじゃないかと。
49木彫りの炎馬 ◆taZqHR8ods :03/03/01 14:44
>>47
50考える名無しさん:03/03/01 14:47
土曜日ふさわしくないキモいものを見てしまった…
>>49
プッ
52考える名無しさん:03/03/01 15:00
見苦しいのでsageでお願いします
53山崎渉:03/03/13 13:08
(^^)
54山崎渉:03/04/17 10:17
(^^)
55山崎渉:03/04/20 04:41
   ∧_∧
  (  ^^ )< ぬるぽ(^^)
真・スレッドストッパー。。。( ̄ー ̄)ニヤリッ