無題

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252Sophia ◆8ADoZCl6.k :03/03/02 17:32
このスレの最初の方でもありましたが、
最近の物理の世界ではその不確定性も容認されてるみたいよ?
>神は全知全能であれば不確実性はありえない
そう、その時点で「神は不確実性を否定する」と神を制限してしまう
事に陥るのです。
「人間の知性が足りないから」、確実性も不確実性もどっちも決められない
とおもうのです。
>249
荒らしてなんかないと思うよ?
楽しい会話をありがとう(^v^)
253考える名無しさん:03/03/02 17:45
この人ほんと疲れるだろうな。。。
254信一:03/03/02 17:55
わたしは神様とか神のようなものを信じるのはいい事だと思う。教会やお寺
にも行かないよりはいったほうがいいと思う。宗教心は大切と思う。ただ哲
学における神などというの考察し表現するのは、哲学に害悪を撒き散らすだ
けだ。本物の哲学とは世界、人間、自分の深い底の無い真理のことだ。
255考える名無しさん:03/03/02 17:59
>>253
見てて痛々しい時は確かにあるね
256考える名無しさん:03/03/02 18:00
>254
しかし、カントも考えたのだし、その事を持ち出したのは
信一さん自身では?
257信一:03/03/02 18:49
>>256
いやショーペンハウアー。なぜかというと哲学的真理の探求を邪魔し
てしまうから。神は存在しないのに、何いつまでゴタゴタと結論ので
ないことを議論しなければならないの。現代哲学を言葉遊びにしてし
まったのも間接的にはヘーゲルが神を持ち出したからなんだよね。
258考える名無しさん:03/03/02 19:12
つーか神はいてほしい。
この世からギャンブルがなくなるのはたえられん
259考える名無しさん:03/03/02 21:53
Sophiaはサイコロ遊びでもしてろ
260 ◆prDdJ8Ym5w :03/03/03 07:50
先では俺個人の意見を言わなかったから説得力があるように見えただけで
個人の見解を言うならば直感主義論理は論理にあらずだと思ってます
しかし個人の意見を深めるには様々な思考を知ることが重要だと思うので
その一例として非ユークリッド幾何学や直感主義論理を出して深く考える契機になればと思ったのです

で、自分の立場は非決定論、楽観主義、科学的実在主義です
>信一
>>209
>科学的に観察し実験し経験的に真となる命題を数多く蓄積する。そこから
>命題論理で真なる命題を導き出す。これが帰納法による科学の真理ですね。
デビッド・ヒュームは帰納法は信仰の粋を出ないものと言ってます
帰納法には前提として「未来は過去に似ている」という法則を前提としなければなりません

>この帰納法によって形而上学の命題が真か偽か検証していけばいいわけですよ。
帰納法によって検証可能な命題はすでに形而上学的命題から大きくはずれていると思います

・三角形の内角の和は常に二直角である
この命題はいかにして検証することができるのでしょうか?
261 ◆prDdJ8Ym5w :03/03/03 07:57
で、ちょっと自分の考えを言うと
真一とは考えが正反対

>本物の哲学とは世界、人間、自分の深い底の無い真理のことだ。
>何いつまでゴタゴタと結論のでないことを議論しなければならないの

この部分が根本的に真一と意見が異なる
真一はおそらく本物なんだろう
俺はにせものの哲学で十分だ
俺にとっての哲学とは本物にはなれない偽物の哲学なんだよ

だからSophiaに発想は近い
真理はあるけど誰も知ることができない
262Sophia ◆8ADoZCl6.k :03/03/03 13:15
私の発想では、
「真理の真偽はそのギリギリのところで、Dogmatism信仰に支えられている」
という所だと思います。
勿論、論理的にア・プリオリな前提も、「論理が存在する」というDogmatismの
上に実社会に存在してると思います。

このことは、「真理は存在しない」とも「真理は存在する」とも言っていません。
>本物の哲学とは世界、人間、自分の深い底の無い真理のことだ。
哲学は人の思考の領域からは出られないと思います。
そこで、人の思考の領域は無限なのか、どうなのか、が問題になりますが、
それは、無限という解釈を実社会に実証できないので、「無限だと言い切る」には
信仰に支えられないといけないと思います。
263Sophia ◆8ADoZCl6.k :03/03/03 13:32
あと、その信仰の事で、
いいか悪いかは、私は完全に触れてないから、
そのどっちも否定したりはしないです。
264Sophia ◆8ADoZCl6.k :03/03/03 15:14
「真実は知りえるか?」という命題について
また「デカルトのデーモン」の話ですが、
デーモン=external world
の存在を知る事はできないと思います。(知った時点でexternalじゃなくなるから)
(知っている事が究極に全ての知識じゃないから)
では、真実をしる事は完全に不可能なのでしょうか?
命題「AさんがBの存在を知る」という事は「AさんがBの存在を知るまでに、何物にも
その認知を欺かれなかったのは絶対確実」だという証明が必要だそうです。(Classic skepticism)
265Sophia ◆8ADoZCl6.k :03/03/03 16:24
面白い展開になってきましたねー(^v^)
266考える名無しさん:03/03/03 16:58
1さん可哀想・・
267考える名無しさん:03/03/03 18:36
荒らし(>262-265)がいなければ良スレなんだが。
268考える名無しさん:03/03/04 06:41
>267
そういう問題じゃないと思われ
269考える名無しさん:03/03/04 10:18
161 名前:Sophia ◆8ADoZCl6.k [sage] 投稿日:03/03/04 03:27
バカばっか
270信一:03/03/04 16:17
Sophia好きだよ。でもスレッド(1)について書いてね。
271 ◆prDdJ8Ym5w :03/03/05 09:08
>Sophia
すごいね、それだけ書けるのはたいしたものだ、
僕が真理がただ一つだけあると主張する時、いつもその理由はSophiaの>>262を理由にする
Sophiaの主張>>262は全く間違いがないと思うよ
でも面白くない

まず僕は真偽と真偽の証明とは異なるものだと思う、
そして哲学にとって独断は避けるべきものだけど
独断をしてはならないとは思わない
間違ってもいいのだと思ってる
独断を克服する方法として沈黙ではなく吟味という方法があると思っている
ま−,これは僕が基礎付け主義を捨ててるからだけど

>>264
知るという行為を受動的ではなく能動的に解釈した人もいるよ
知るという行為は人間が形式を実体験に投影して成立するという感じ
でもその絶対に正しいと信じられてきた形式が非ユークリッド幾何学の出現などによって揺らいだという歴史があるんだけどね
272Sophia ◆8ADoZCl6.k :03/03/05 15:16
271
ありがとうございます。
独断の危険性はうすうすわかってきてるような気がします。
前提の前にはまた前提が必要で、延々と続いていくような観じがします。
最終的には「論理がつうようする」くらいまで行き着いて、それからは理由を
特定できないかもしれないから。
とりあえずは私が本屋さんでであったラッセルのthe problems of philosophy
の1章と2章の存在についてを読んでみようと思います。
この話の論点は、「その認識と実像の間の関係の不確かさと確かさの間に
最終的にはどういった解釈が生まれるのか」になります。

ところで、そのclassic skepticismなんですが、skepticismにはその後にも
論理が展開されているようですね。
それは後々私の勉強にそって話して行きたいと思います。
273信一:03/03/05 19:58
>>260
帰納法は論理的に真理ではありえない。自然科学というのもそんなものでしょう。
しかし、自然科学は嘘だという人は誰もいないでしょう。
274信一:03/03/05 20:05
>>260
三角形の内角は180度というのは、わたしはア・プリオリな真理と考えて
ますので、証明の必要はないと考えます。
275考える名無しさん:03/03/05 20:25
いや、証明の必要はあるだろ。
まあ証明できるけど。
276考える名無しさん:03/03/05 20:34
>>274
270°ってこともあるんですがね?
277 ◆prDdJ8Ym5w :03/03/06 08:57
>>272
>前提の前にはまた前提が必要で、延々と続いていくような観じがします。
このことについてはハンス・アルバートて人が書いてたと思う

>最終的には「論理がつうようする」くらいまで行き着いて、それからは理由を特定できないかもしれないから。
うーん、そこまでたどりつけるかな、僕はそこまでたどり着けないと思う
論理は常に正しい関係(形式)だけど、それと認識の間には避け目があると思う
その裂け目(合理論と経験論の裂け目)を埋めようとしたのがカントなり(ラッセルも入るかな)論理実証主義なりなんだろうけど

ただラッセルもヒュームの懐疑論を超えてないように思える
(懐疑論ぐらい日本語でいこうよ、みんなが英語を得意なわけじゃないしさ)

>この話の論点は、「その認識と実像の間の関係の不確かさと確かさの間に
>最終的にはどういった解釈が生まれるのか」になります。
?! 実体を設定していいの?
Sophiaの立場だと実体があるかどうかも分からないという立場じゃないかな?
それとも、その誤解を回避するために実体でなく実像という言葉を使ったのかな

僕はカントマンセーだけど、Sophiaの問題意識にはカール・ライムント・ポパーて人が参考になると思う
この人は自称ヒュームの懐疑論を乗り越えたと触れ回っている(実際はちょっと微妙)
もしかしたらSophiaはもうK・R・P知ってるかもね
ちょっとかじったっぽい表現がする
278 ◆prDdJ8Ym5w :03/03/06 09:27
>信一
>帰納法は論理的に真理ではありえない。自然科学というのもそんなものでしょう。
>しかし、自然科学は嘘だという人は誰もいないでしょう。

自然科学は嘘をついたことはなかったのだろうか
例えばニュートンは水星と太陽の間にヴァルカン星があることを予言したけど誰も発見していない
おそらく今後も発見されないだろうね

現在の自然科学を嘘だと言う人はいないけど
昔の自然科学、例えばフロギストンの存在を熱弁したら誰もがその人を基地害だと思うんじゃないかな
今の自然科学が将来に嘘だと判明するかもしれない
現在の物理学を見れば稀有ながらアインシュタインの一般相対性理論は間違っていると主張している学者すらいる(ほんとに稀有)

将来、自然科学が長い歴史をかけてそれらの謎を解き明かす日が来るかもしれない
でもそれには理論の転換が進歩であると言わねばならない
我々が進歩したかどうかを誰がどのように判断するというのか
それこそ信一君が嫌う神の力を借りるぐらいしか方法はないのではないか
279 ◆prDdJ8Ym5w :03/03/06 09:29
>274
>三角形の内角は180度というのは、わたしはア・プリオリな真理と考えてますので、証明の必要はないと考えます。
アプリオリな真とは論理的に真なる関係だけだと思います
もちろん、三角形の内角の和が二直角であるというのはある条件の時には常に真でしょう
しかし条件によっては偽となることもある、それは僕が前に説明した通りです

ところで信一君は
>この帰納法によって形而上学の命題が真か偽か検証していけばいいわけですよ。
と言っていますが
論理実証主義の線引きだと形而上学的命題とは検証不可能な命題であったりします

例えば古典的形而上学問題と言えば普遍論争、実念論対唯名論などがありますが
この問題「植物の『花』はただの名前なのかそれとも花という実在的な形相があるのか」といった問題はどのように検証するのでしょうか?

また、形而上学と揶揄されやすい道徳問題などはどうでしょう
この板でも「なぜ人を殺してはいけないのか」といったスレがありますが
「人を殺してもよいかそれともいけないか」はどのように検証するのでしょうか?
280Sophia ◆8ADoZCl6.k :03/03/06 10:27
277 その人はしらないです。
>?! 実体を設定していいの?
>Sophiaの立場だと実体があるかどうかも分からないという立場じゃないかな?
うんそう。
懐疑主義は実体の存在を確立できないと結論する論理だと思います。

ちょっとNon-skepticism反ー懐疑論?のテキストも後々勉強して
質問しますね。
返答ありがとうございます。
281Sophia ◆8ADoZCl6.k :03/03/06 10:35
>279
たしかに検証不可能な命題ですね。
私はアプリオリな命題は全てアポステリオリに検証できると
思ってましたが、検証できない命題があるようですね。
282考える名無しさん:03/03/06 10:37
age
283 ◆prDdJ8Ym5w :03/03/07 23:28
>Sophia
>懐疑主義は実体の存在を確立できないと結論する論理だと思います。
そうだね、僕も実体の存在を正当だてて証明することはできないと思う
でも、「何も知りえない」だけを結論として受け入れることも抵抗がある

実体の存在を確立できないと結論する限り(確立できると結論しても)認識は誤謬にまみれている
アポステリオリな検証に限界がある
これは帰納法に限界があるということ、
懐疑論を徹底すると経験から得られる知識が疑わしいものになってしまう
284山崎渉:03/03/13 12:55
(^^)
285Sophia:03/03/14 17:44
>283
私にはまったく新しい見解です。凄いですね。

>実体の存在を確立できないと結論する限り(確立できると結論しても)認識は誤謬にまみれている
>アポステリオリな検証に限界がある
>これは帰納法に限界があるということ、
>懐疑論を徹底すると経験から得られる知識が疑わしいものになってしまう

この「経験から得られる知識」には限界があるようです。
それを検証していくと、いっぱい証拠が必要になりますが、
どんなに証拠を提示しても最終的には「絶対確実」には成り得ないみたいですね。
でも、そうなると「十分証拠はある状態」は在り得ない事になるし、
そうなると、「絶対確実」という言葉も現実には在り得ない事になってしまうので
十分な状態もなければ不十分な状態もなくなってしまうと思います。
286考える名無しさん:03/03/23 18:41
>>285

>>283
>私にはまったく新しい見解です。凄いですね。

えっと・・・
自分の頭で考えたことないんですか?
287山崎渉:03/04/17 10:15
(^^)
288山崎渉:03/04/20 04:42
   ∧_∧
  (  ^^ )< ぬるぽ(^^)
289考える名無しさん:03/05/19 17:51
保守age
290山崎渉:03/05/22 00:58
━―━―━―━―━―━―━―━―━[JR山崎駅(^^)]━―━―━―━―━―━―━―━―━―
291山崎渉:03/05/28 15:23
     ∧_∧
ピュ.ー (  ^^ ) <これからも僕を応援して下さいね(^^)。
  =〔~∪ ̄ ̄〕
  = ◎――◎                      山崎渉
29273:03/06/21 17:51
>>263
禿同

話変わるけど、携帯ゲーム機"プレイステーションポータブル(PSP)

 このPSPは、新規格UMD(ユニバーサルメディアディスク)というディスクを利用しており、そのサイズは直径6cmととても小さい(CDの半分程度)。 容量は1.8GBとなっている。
画面は4.5インチのTFT液晶で、480px x 272px(16:9)。MPEG4の再生やポリゴンも表示可能。外部端子として、USB2.0とメモリースティックコネクタが用意されているという。

この際、スク・エニもGBAからPSPに乗り換えたらどうでしょう。スク・エニの場合、PSPの方が実力を出しやすいような気がするんですが。
任天堂が携帯ゲーム機で圧倒的なシェアをもってるなら、スク・エニがそれを崩してみるのもおもしろいですし。かつて、PS人気の引き金となったFF7のように。
293考える名無しさん:03/07/02 17:03
294考える名無しさん:03/07/04 13:58
全ては運命という名の神の手の中にある。
295青い人:03/07/04 14:32
>>1サン
神トいわず未来といえバ?
マ、神でアロうと未来デあろうト私は推測シか出来ませんガネ。

>幼稚なことしか言えませんけど素朴な疑問として聞いてみたいので・・
世界はある方向にむかっている。つまり意思があると考えてみれば
その意思を決定した何かがあって、それをひとまず未来と呼ぶとします。
その未来は全てをつかさどり、勿論人間もその中の含まれるわけですが
そうなると人間のあらゆる活動は未来に由来していることになります。
人間にその未来を意識することなどできず、できるとしたらそれは未来によって
もたらされた意識に他ならず、どんなに人間が発展をとげ
知識を得たたとしてもその未来を越えることなどできないわけです。
そして今私がこのようなことを考えているのも結局は未来の意志によるものですし
又このように指摘するのも未来にさせられているということになってしまいます。
こうなるとここでいう未について考えても仕方が無いのかと思えてきてしまうのですが
真理を追究する学問である哲学ではこれをどのように捕らえているのでしょうか?
意味がわからないというのならそういってください、説明に自信がありませんのでw
296青い人:03/07/04 14:37
アア、未来の代わりに過去デも因果でモ代用利くかモシレませんね。ナントナく。
297山崎 渉:03/07/15 12:43

 __∧_∧_
 |(  ^^ )| <寝るぽ(^^)
 |\⌒⌒⌒\
 \ |⌒⌒⌒~|         山崎渉
   ~ ̄ ̄ ̄ ̄
298考える名無しさん:03/07/27 03:32
>二次元の歪みはまだ理解できるかもしれないけど三次元の歪みはもはや想像の範疇を超えている
>考えすぎないことさ

テンソル解析を勉強すべし。既に古典的じゃないの?
座標に頼らないテンソル代数と具体的な幾何学的対象上の現象との対応がつけられればもっとよい。
299考える名無しさん:03/07/27 17:19
>「経験から得られる知識」には限界があるようです

当然でし。
300考える名無しさん:03/07/27 18:16
>神トいわず未来といえバ?
私は絶対意思と呼んでいます

301考える名無しさん
因果律はない