幼稚なことしか言えませんけど素朴な疑問として聞いてみたいので・・ 世界はある方向にむかっている。つまり意思があると考えてみれば その意思を決定した何かがあって、それをひとまず神と呼ぶとします。 その神は全てをつかさどり、勿論人間もその中の含まれるわけですが そうなると人間のあらゆる活動は神に由来していることになります。 人間にその神を意識することなどできず、できるとしたらそれは神によって もたらされた意識に他ならず、どんなに人間が発展をとげ 知識を得たたとしてもその神を越えることなどできないわけです。 そして今私がこのようなことを考えているのも結局は神の意志によるものですし 又このように指摘するのも神にさせられているということになってしまいます。 こうなるとここでいう神について考えても仕方が無いのかと思えてきてしまうのですが 真理を追究する学問である哲学ではこれをどのように捕らえているのでしょうか? 意味がわからないというのならそういってください、説明に自信がありませんのでw
本読まないやつはバカです
3 :
考える名無しさん :03/02/21 16:19
アイデアとしては面白いけど、神という言葉はとりあえず別の言葉に取り替えておいたほうが良くないか? 神論議で大切なアイデア構造の議論がもみ消されるかもしれない。
無職と無題の弁証法ですね。
神について考えても仕方が無くはないんでない?
>>1 スピノザはそういう状態を「神の知的愛」と呼びます
人に知られたくない半角コレクションの保存はすべて「無題+シリアルナンバー」 で登録していますが。 おまえらもそうだよな?
8 :
考える名無しさん :03/02/22 12:08
age
タイトルで要点をまとめるくらいしろよな
何か批判でもよいので意見がもらえれば嬉しいです。
11 :
考える名無しさん :03/02/23 19:33
別に一神教的な一人の神とか神の意志を立てなくてもその議論はできるよね。
たとえば人間も物質にほかならない以上、人間の思考や意志も自然法則の一部でしかない。
この考えを極端まで押し進めれば、人間の自由とかを論じることは意味がなくなる。
つまり
>>1 が03/02/21 16:11に
>>1 のような質問をすることも(広い意味での)自然法則により決定されていたことになるし、
そもそもそういう疑問をもつことの法則によって予め決定されていたことであって、決して
>>1 が「自由」に決定したことではない(例え自分ではそう思っていたとしても)。
まあ、決定論の話だよね。哲学的問題としては古典的なものなんじゃないすか。
12 :
考える名無しさん :03/02/23 19:38
自己レス。
>>11 「そもそも〜」以下を書き換えます。誤字あるし。
そもそもそういう疑問をもつこと自体が法則によって予め決定されていたことであって、決して
>>1 が「自由」に自分の意志で決めたことではない
(たとえ自分ではそう思っていたとしても)。
まあ、決定論の話ですね。哲学的問題としては古典的です。たとえばスピノザの『エチカ』なんか読むとこういうことが延々論じられてます。
関係ないけど、イスラム教って徹底した決定論なんだっけ?
>>12 さん ここで使用している神とは宗教とは又別な意味で
記号として用いているに過ぎません。そして
>そもそもそういう疑問をもつこと自体が法則によって予め決定されていたことであって、決して
>>1 が「自由」に自分の意志で決めたことではない
>(たとえ自分ではそう思っていたとしても)。
ココの部分で指摘されているようなことも自覚があるわけですが
そうなるとどうしても、この神(適当な言葉が思いつかないので使ってしまいますけど)
を逃れる事ができない。だけどこの神にこそ真実が隠されていると感じるのです。
そこでなんとかならないものかと考えてみるのですがどうにもならないw。
今年大学生になるのでスピノザさん?の著書でも読んでみようかと考えています。
14 :
考える名無しさん :03/02/23 19:59
「起こることがあらかじめ全て決定している」と 「何者かによってあらかじめ決定されている」とでは 意味が違ってくるわけですが。
15 :
考える名無しさん :03/02/23 20:01
>この神にこそ真実が隠されていると感じる
隠されているっていうか、決定論を取るかぎりあなたの言う「神」は真実そのまんまじゃん。
>そこでなんとかならないものか
「なんとかならないものか」っていうのはつまりどうしたいわけ?
簡単に言っちゃうと、何かを認識するからにはそれに対して外部に立つ必要があるが、
>>1 のような立場にたつかぎり
「神」の外部には立てない。よって「神」は認識できないではないか、とそういうこと?
16 :
考える名無しさん :03/02/23 20:02
>>14 理神論か一神教か、ってことだよねつまり。
1さんへ とても面白い議題だと思います。 神秘主義についてお調べになってはいかがでしょう? 取っ掛かりとしては、岩波の文庫になっている「意識と本質」が お勧めですが。 読了されたなら、ぜひお話を伺いたく思います。
>>15 >「神」の外部には立てない。よって「神」は認識できないではないか、とそういうこと?
はい、そう言いたいのです。「神」(つまり私の全行動を決定しているなにか)
を認識したいと欲したところで
その意思も結局「神」によるものだということになってしまうと
永遠に「神」を認識することなどできない。
そこでただ漠然とどうにかならないのかと思ってしまう。
「神」に従う運命だと諦めるしかない、ただしこの意思も「神」が当然関与していることになる
皆さんは決定論的立場にたつというふうに言われますが、この立場は
絶対ではないのですか?
>>17 是非読んでみたいと思います。読めるか自信は有りませんがw
20 :
考える名無しさん :03/02/23 20:30
>>18 >この立場は絶対ではないのですか?
ってどういうこと?絶対に決定論を取らなきゃいけないんだ、って主張したいの?
決定論は絶対ではない、って言いたいの?
>永遠に「神」を認識することなどできない。
これって「有限な存在である人間が無限な存在である神をどうしたら認識できるか」とかいうかんじで、
キリスト教神学で延々やられてきたテーマだからね。まあいろいろ読んでみるといいと思うけど?
>>20 >ってどういうこと?絶対に決定論を取らなきゃいけないんだ、って主張したいの?
>決定論は絶対ではない、って言いたいの?
決定論とはは絶対的地位にあるのではないのか、是非を問わず人はその中に包囲され
ているのではないかということです。
23 :
考える名無しさん :03/02/23 21:02
>>23 未決定ってことですか?
決定論という論を正直把握しきっていないので詳しく知らないのですが
私が言っているのはあくまで私の活動を定めているなにか(これを神と表現したのですが)
に対してどう対峙すべきか、どう克服するのか(新たな認識の立場に立てるか)
ということです。
26 :
考える名無しさん :03/02/23 21:26
>>25 「私の活動を定めているなにか」が存在することは絶対的な前提なの?
1、がんがれ
>>26 はい、その前提で話を進めてきました。あたかも常識であるかのように
だからそれで理解しかねることがあったかと思われます。
常識だと安易に定めてしまった背景には宇宙は一方向に進んでいるというようなw
あやふやな知識や進化論についての独断的な解釈が背景にあったのかもしれません。
結局確かな知識は何一つとして持ち得ていないわけです。証明できなければ
前提にはできませんよね、仮定することはできるかもしれないけれど。
「私の活動を定めているなにか」それでもこれを信じてしまうのはどうしてなのでしょう。
証明する力はないけどそう確信してしまっている。だめだこりゃw
まぁ、決定論を「簡単に証明できる」って言う人はたぶんもぐりだよね
31 :
考える名無しさん :03/02/23 23:27
「乱数」ってあるよね。 あれってどうやって発生させるの?
完全に完全な乱数は生み出せないとか何とか
33 :
考える名無しさん :03/02/23 23:40
決定論を否定するためには 全く同じ状況から複数の結果が発生する可能性を 提示しなければならないかと。
ここは新手のSophiaスレですね。
35 :
考える名無しさん :03/02/24 00:49
ウンコ!ウンコ!ウンコ!(゚∀゚)
36 :
考える名無しさん :03/02/24 00:55
マンコー!マンコ!マンコ!マンコー!(゚∀゚)
38 :
考える名無しさん :03/02/24 03:17
肉便器キタ━━━━━━━━━(゚∀゚)━━━━━━━━━ !!!
39 :
肉便器キタ━━━━━━━━━(゚∀゚)━━━━━━━━━ !!! :03/02/24 03:20
806 :SusieQ ◆8ADoZCl6.k :03/02/23 05:42 ただいま。大自然の新鮮な空気を吸って清々しい気持ちのまま このくだらない会話をみてたら、それらはほんとにちっぽけにみえますね。 805 返答を期待してるの? 「状況証拠」?それはあなたの妄想が作り上げた虚構ね。 あんたね、さんざん私をこけ下ろしてるけど、あなたがこのスレで 能書きいってる時点で、あんた自分の事ことごとく否定してるんじゃないの? あと、私についてあんた達は誰かにあてはめて「信じきってる」けど、 それはね、あんた達の「想像力」の範囲でしか作り上げられなかったモノ なの。だから、あんた達がいくら他の真実を見てもソレを想像できなかったら 当然あんた達は信じられないもんね。それにあんた達が私に「こうだ!」って価値観を 押し付けるけどその価値観って随分言いがかりね。それに「あんた達がいかにくだらなくて 気色悪い」想像をする人か自分で証明してるしね。しかもそれを否定されると 「何が何でもむきになって信じる」しね。 私のせいで板に対して不満を言った人、それは責任転嫁ね。 このスレであんたにとってあんたが「荒らし」と認定する私に「あなたは 荒らし」と返答して、「荒らしに返答したらその人も荒らしになります」って 私に説教してくれてるけど、それって自分の「人のフリ見て我がフリ直せない」 人って自分でみとめてるね。自分で自己弁護できてないよね。 それと同じように、好き勝手に私の事を「独りよがり」 っていうけど、ホント自分をみれないよね、それって。あのね、私は別にこの2ch なんかで自分の存在を主張しなくても十分なの。 あと、このすれは私が立てたんじゃないよ。 ところで、あんた達の発言みてたらあんた達がいかに、「思い込みが激しくて」 「だれでもいいから人を見下してる人」かわかるね。
40 :
考える名無しさん :03/02/24 03:20
なんで必要性の話に行き着かないんだ?
41 :
考える名無しさん :03/02/24 03:22
不自然だとは思わんか?
42 :
考える名無しさん :03/02/24 03:25
所詮は学問板ってことか。 発想が貧しくないと不味いらしいな。
43 :
SusieQ ◆8ADoZCl6.k :03/02/24 03:27
1さんへ。 「オレの存在は必然的か、偶然的か。 」のスレで その決定論にまつわる興味深い意見があります。それもみてはどうでしょうか? 特に、「65」さんの発言は説得力があると思います。 あと、 関係無い話は無視して、自分に必要と思われる発言から話をすすめて いきましょうね。
39うざい!!しね!!このメスブタが!! キャハハ(^v^)
45 :
考える名無しさん :03/02/24 03:33
いかに必要の中にあるとしても流れがおかしい。 まるで何かにせき止められてでもいるかのようだ。
806 :SusieQ ◆8ADoZCl6.k :03/02/23 05:42 ただいま。大自然の新鮮な空気を吸って清々しい気持ちのまま このくだらない会話をみてたら、それらはほんとにちっぽけにみえますね。 805 返答を期待してるの? 「状況証拠」?それはあなたの妄想が作り上げた虚構ね。 あんたね、さんざん私をこけ下ろしてるけど、あなたがこのスレで 能書きいってる時点で、あんた自分の事ことごとく否定してるんじゃないの? あと、私についてあんた達は誰かにあてはめて「信じきってる」けど、 それはね、あんた達の「想像力」の範囲でしか作り上げられなかったモノ なの。だから、あんた達がいくら他の真実を見てもソレを想像できなかったら 当然あんた達は信じられないもんね。それにあんた達が私に「こうだ!」って価値観を 押し付けるけどその価値観って随分言いがかりね。それに「あんた達がいかにくだらなくて 気色悪い」想像をする人か自分で証明してるしね。しかもそれを否定されると 「何が何でもむきになって信じる」しね。 私のせいで板に対して不満を言った人、それは責任転嫁ね。 このスレであんたにとってあんたが「荒らし」と認定する私に「あなたは 荒らし」と返答して、「荒らしに返答したらその人も荒らしになります」って 私に説教してくれてるけど、それって自分の「人のフリ見て我がフリ直せない」 人って自分でみとめてるね。自分で自己弁護できてないよね。 それと同じように、好き勝手に私の事を「独りよがり」 っていうけど、ホント自分をみれないよね、それって。あのね、私は別にこの2ch なんかで自分の存在を主張しなくても十分なの。 あと、このすれは私が立てたんじゃないよ。 ところで、あんた達の発言みてたらあんた達がいかに、「思い込みが激しくて」 「だれでもいいから人を見下してる人」かわかるね。
806 :SusieQ ◆8ADoZCl6.k :03/02/23 05:42 ただいま。大自然の新鮮な空気を吸って清々しい気持ちのまま このくだらない会話をみてたら、それらはほんとにちっぽけにみえますね。 805 返答を期待してるの? 「状況証拠」?それはあなたの妄想が作り上げた虚構ね。 あんたね、さんざん私をこけ下ろしてるけど、あなたがこのスレで 能書きいってる時点で、あんた自分の事ことごとく否定してるんじゃないの? あと、私についてあんた達は誰かにあてはめて「信じきってる」けど、 それはね、あんた達の「想像力」の範囲でしか作り上げられなかったモノ なの。だから、あんた達がいくら他の真実を見てもソレを想像できなかったら 当然あんた達は信じられないもんね。それにあんた達が私に「こうだ!」って価値観を 押し付けるけどその価値観って随分言いがかりね。それに「あんた達がいかにくだらなくて 気色悪い」想像をする人か自分で証明してるしね。しかもそれを否定されると 「何が何でもむきになって信じる」しね。 私のせいで板に対して不満を言った人、それは責任転嫁ね。 このスレであんたにとってあんたが「荒らし」と認定する私に「あなたは 荒らし」と返答して、「荒らしに返答したらその人も荒らしになります」って 私に説教してくれてるけど、それって自分の「人のフリ見て我がフリ直せない」 人って自分でみとめてるね。自分で自己弁護できてないよね。 それと同じように、好き勝手に私の事を「独りよがり」 っていうけど、ホント自分をみれないよね、それって。あのね、私は別にこの2ch なんかで自分の存在を主張しなくても十分なの。 あと、このすれは私が立てたんじゃないよ。 ところで、あんた達の発言みてたらあんた達がいかに、「思い込みが激しくて」 「だれでもいいから人を見下してる人」かわかるね。
49 :
考える名無しさん :03/02/24 03:41
1の言っている神とは奴のことらしい。 問題とすべきはその存在よりも支配力ではないのか。
いつも通り良スレに肉便器が現れて荒れるのも、 神の意志なのでしょうか?
51 :
考える名無しさん :03/02/24 03:46
>50 必要なのさ。
51うざい!!しね!!このメスブタが!! キャハハ(^v^)
>SusieQ ◆8ADoZCl6.k=Sophia ◆M6R0eWkIpk 君もう死んでいいよ
54 :
考える名無しさん :03/02/24 04:01
>1 手段は自分で選び出せよ。 そこらのクソどもの様に後が無くなりかねんからな。
>>世界はある方向にむかっている その先っぽが背を指す
>>43 :SusieQ ◆8ADoZCl6.k
>あと、
>関係無い話は無視して、自分に必要と思われる発言から話をすすめて
>いきましょうね。
何でこいつはいつもこう偉そうなんだ?
57 :
考える名無しさん :03/02/24 04:23
>1 SusieQ ◆8ADoZCl6.k←こいつは無視しろ。 哲オタ向けのごっこスレも気にしなくていい。
Sophiaタソが近づくとこのようにスレが荒れます。 ご注意を。 Sophiaタソが2chに レポートの課題について議論したいとやって来たときには Sophiaタソを応援しようという気も起きたものだが。
>>43 「オレの存在は必然的か、偶然的か」このスレじっくりは読んでいませんが目は通してみました。
面白い議論だなと思いました。そこで自分が思っていることをぶつけてみたいのですが
自分が言う事に客観性を持たせる力が乏しいので、おかしいところ(穴だらけだと思いますのでw)
があれば指摘してください。
先ず、自分は過去は一つだと認識している。これを基に話を進めますが、過去が一つだとするなら
未来も必ず一つだということになる。勿論人間が未来を考えるような場合の意識上では確立を立てることができたり
限定的では有るが選択肢を持ちうることも可能かもしれないが、いずれにせよ未来は一つだけしかないと
考えている。私が決定論を信じているのはこのような考えからきていると思うのです。
(私事ですがネット環境がダイヤルアップ接続であるうえに親がうるさく、
ついでにレス制作するのも遅いのでレスに時間がかかってしまいますが宜しくお願いします)
はーい!! じゃ、ヒマな時にちょくちょく見させてもらいまーす。
62 :
考える名無しさん :03/02/25 23:35
age
>自分は過去は一つだと認識している これは経験的にそうだと思います。 >過去が一つだとするなら >未来も必ず一つだということになる これは経験的には実証できません。 そのうえ、理論的にも他に可能性があると思います。 あなたの意見のポイントはそこで、「未来は一つ」だと確信できるところだと 思います。 そのポイントを掘り進めて見ませんか?
過去が一つだといえるのならば、未来も一つでなければおかしいと考えるのは、 人間は時間の中に立ち、そこで過去、現在、未来の区別をつけて それを捉えるが結局一本の流れる時間しか人間は持ち得ないではないか 未来が複数あると言うのならば人間がその複数の時間の中に同時に立つ事ができなければ 未来が複数あるとはいえないではないかということです。
>過去が一つだといえるのならば、未来も一つでなければおかしいと これは私の考えですが、 未来は一つかどうかそれを知る術はあるのでしょうか? その上、私たちは過去現在未来の時間の感覚を持っていますが、 それはあくまで、「人の想定」だと思います。 それに、その想定の中では、私たちは「過去」しか確かに知り得ないと 思うのです。 私たちの時間の観念は必ずしも一本しか考えられないわけじゃないでしょう? >未来が複数あると言うのならば人間がその複数の時間の中に同時に立つ事ができなければ >未来が複数あるとはいえないではないかということです。 その複数ある中に同時に立つ必要はないと思います。 例えば、もしその因果の線が木のようにあちらこちらに枝分かれしていたと します。そこで、てんとう虫が地面からその木を登っていくとします。 そこで、そのてんとう虫君がその木の頂上まで登っていくのに、彼が必ずしも 全部の枝を隅々まで踏破していく必要はないでしょう?てんとう虫君が通って 来た道は一本で十分じゃないですか? ここで、もし私たちをそのてんとう君に当てはめると、そのてんとう君は下しか みれないのです。上下感覚はあるけど前はみれないのです。、、後ろ向きに登ってる のかな?とにかく、その木の幹の筋をみて方向を決めてる感じだと思いますよ? てんとう君は前が見えないから当然、一本の今まで通ってきた道しかわかんないよね? でも、その木が一本の棒か枝のある木かどうかは、わかんないよね? 、、、、ちょっとおかしな例えかもしれないけど、ポイントは外してないと 思うよ?
人は現在に在って未来を想定するわけですが、確かにその時に複数の未来の可能性を考えるのであって、 決してその時に絶対唯一の未来を確信することはないでしょう。 その視点から考えると人は複数の未来を持ちその中から選択しているかにみえます。 てんとう虫の例えで出てきた、木が枝が分かれしていることもこれを さしているのではないかと思われます。しかし、私はこれは人間の錯覚であり、 未来は複数あるわけではなく、あくまで一つしかないと思うのです。 つまり、未来を考えると複数の選択肢が確かに存在し、そのなかから選択しているかのように錯覚するが、 同時に複数の選択肢をとり得ない以上絶対唯一の未来を選択しているに過ぎないと考えるからです。
やっぱりスピノザだ
未来は1つで間違いないですよ
24時間経ったのに明日以外の日付になってしまうことはありませんよね
>>1 さんは
過去>未来という時間の流れと、
未来という一点において我々の為し得る行動の選択肢とを混同している恐れがあります
つまり、
選択肢が複数ある事を根拠に未来という時間も複数あるという推論を立てていませんか?
69 :
考える名無しさん :03/02/26 21:06
age
66 >私はこれは人間の錯覚であり、 >未来は複数あるわけではなく、あくまで一つしかないと思うのです まず、それが「錯覚」だと確実に言い切れる根拠を考えてみませんか? 68 >未来は1つで間違いないですよ >24時間経ったのに明日以外の日付になってしまうことはありませんよね 私には「未来が一つであるとか複数あるとか」を断定する事が錯覚に思えるのです。 24時間経って明日の日付になるのは当然といえば当然でしょう。だって 24時間という時間の尺度も日付という時間の尺度も同じ「時間」の尺度 で見ているのですから。でもそれだからって「未来は一つ」と言い切るのには強引 さがあるように思います。今現在の私たちの考える尺度と論理で、全ての事象が 確実に「一義的」に結果が生まれるとは言い切れないのではないでしょうか? 結局、それを断定する事はできないと思います。 ここで、何が言えるのかは、「一つの物事からそれ以上の選択肢が私たちの思考の 中に存在できる」事だと思います。 例えば、物理法則ですが、一つの物理現象はその法則に従って起こります。 しかし、その法則がどこまで精密に私たちに知りえるのかという事に問題があります。 確実に誤差が無いとは言い切れないのです。その上、その法則の法則たる由縁、 何故それが法則でありえるのかということは、論理的には説明できますが、それを 経験としては限られた中でしか説明できません。(私は理系分野に弱いので「オレの存在 は偶然か必然か」のスレの65さん?の発言をよんでくださいね。)
ちょっと言葉のあやがあったかもしれません。 「未来は1つで間違いないですよ 」これは 「私たちが経験できる未来は一つの結果として過去になってから 得られる」んじゃないかと思うよ?
禅と哲学ではえらく違うよ。
>>70 私が68で述べた事が私の意図した通りに伝わったかどうか心配です
可能性が複数ある事を根拠に未来が複数あると考えるのは
箱の中身を観察するまでは箱の中に生きている猫と死んでいる猫が半分づつ入っている、
と考える理論と似通った考え方に思えるわけですね、私には
うーん、、 その猫の話は「確実にはわかんないよ」っていってる気がします。 >可能性が複数ある事を根拠に未来が複数あると考えるのは >箱の中身を観察するまでは箱の中に生きている猫と死んでいる猫が半分づつ入っている、 >と考える理論 これはどう考えてみても未来が複数あるかもしれないとしてもそんな結論には 必ずしも行き着かないとおもいますよ? てんとう虫君がひとつの枝にいても他の枝にも体半分いなきゃいけない理屈は 無いわけですから。 あのね、私はこの問いには「わかんない部分がある」だから 決められない。というのが妥当だと思うの。 1可能性が複数ある。 2法則性が無いとはいいきれない。 3複数あるとは断言できない。 4一つだとも断言できない。 いま、私の中にはこの4つの考えがあります。
>>68 の(
>>1 さんは)のところ間違いですよね?
だけども言っているとはよくわかります。私が
>>66 で言いたいことです。
>まず、それが「錯覚」だと確実に言い切れる根拠を考えてみませんか?
説明が解りやすいと思うので
>>65 で使われた想定という言葉を使いますが、
人によって想定された未来と実際の未来とは区別されなければいけません。
というよりも厳密に言えば想定された未来は実際の未来ではないのです。
未来でないものを未来であるかのように誤認してしまうことを錯覚だと
言っているのです。
いい感じに話が進んでいますね。 そう。その「実際の未来」は一体どうやって特定するのでしょう? それを特定したとした時点でそれはまた想定の域を出られないのです。 だからこそ「錯覚」だともいいきれません。 >私はこれは人間の錯覚であり、 >未来は複数あるわけではなく、あくまで一つしかないと思うのです。 そこで「一つ」といいきるのも想定の域からは出られないのです。 あくまで私たちが言う「未来」とはその想定でしかないのです。 だから、74の3と4の事が言えると私はおもうのです。 だから、その実際と私たちの認識する想定の間にギャップがありえます。 そこに、1さんのいう神は人にはその存在を特定する事ができないと思います。
想定された未来と実際の未来との区別ができれば そこに神の存在を示唆する要素は無くなってきませんか?
つまり、 その個人にとって未来は「経験して」初めて一つになって、経験した時点で もうそれは未来ではなく、現在です。 それに経験してない時点では想定の域からは出られずに 結局「何も言えない」「何も実証できない」のではないでしょうか?
>それを特定したとした時点 で、それは未来ではなく現在になっているはずです 想定、ではなく現実に変化しているわけですね
81 :
考える名無しさん :03/02/27 00:35
「実際の未来」とは変な言い方ではないのか? そんなものはないでしょう。
>>81 不適切だったかもしれませんが言いまわしの問題です
想定された未来、だったものが時間の流れによって現在になったとき、
その「現在」を指して「実際の未来」と呼んだだけですね、ここでは。
>想定された未来と実際の未来との区別ができれば >そこに神の存在を示唆する要素は無くなってきませんか? その区別もつくかどうかわかんないよね。 あくまで、想定された未来という範囲を示唆してるだけで、「実際」という 概念を想定の中には全部をいれられないですし。 1さんのいう神はその法則、全てを司っているものとしてとらえられて いるとおもいます。私はそれに実際をみます。 実際は経験したその時に体験したもので、経験していない時に実際を体験 することはできないと思います。 、、、、、ところで、今私が話してるのは単なる「言葉遊び」かなぁ?
時間認識(ないしは歴史認識)はどのように可能になっているのか? この問題を避けて通ると、議論は平行線を辿りそうだな。
85 :
考える名無しさん :03/02/27 00:42
>>82 「想定された未来」は、想定する人の数だけあるわけでしょ?
>その区別もつくかどうか 何故わからないのでしょう?想定と現実との区別がつかないと困りますよ? >1さんのいう神はその法則、全てを司っているものとしてとらえられて >いるとおもいます。私はそれに実際をみます。 この部分、意味がわかりませんでした。
>>85 そのとおりです
しかし現実は1つしかない、従って想定と現実とは全くの別物である
これは間違ってますかね?
88 :
考える名無しさん :03/02/27 00:53
>>87 >しかし現実は1つしかない
そうか?
見方によって現実はいくつもあると思うけど。
例えば昨日の「現実」とは何だったのか。
昨日のニュースを見ても新聞によって取り上げているものは様々だ。
それらをすべて総合したものが昨日の「現実」なのか・・・
過去(歴史)を一つのものと思うのは 一つの特定の視点から、過去(歴史)を見ているからだよ。
85 私もそう思います。 8687その未来についての区別はその実際「絶対確実に来るもの」が 可能性でしか想定できない。もちろん可能性としては区別がつくでしょうね。 だから、可能性と確実なものの区別で確実に区別がわかるには現実にならないと わかんないよ。 そこで、みんな未来の事を確実にしる事ができないから困ってるんじゃないの? あのね、このスレの1さんの言っていた1さんの神というものの前提ね。 >世界はある方向にむかっている。つまり意思があると考えてみれば >その意思を決定した何かがあって、それをひとまず神と呼ぶとします。 >その神は全てをつかさどり、勿論人間もその中の含まれるわけですが >そうなると人間のあらゆる活動は神に由来していることになります。 その神の前提の上ではその「実際」は神なんじゃないの? >しかし現実は1つしかない、従って想定と現実とは全くの別物である >これは間違ってますかね? あってるとはいえないんじゃない? だって全くの別物ともいいきれないから。 要約すると、想定は実際の中の可能性の一部分なんじゃない? だから、想定は実際とは言い切れないし、実際は全部が想定じゃないし。 つまり、実際は特定できないと思うけど?
>90 そこで実際を特定する事ができない時点では 「全く別物」ともいいきれないと思うよ?
だから、「しかし現実は1つしかない、従って想定と現実とは全くの別物である」 これは「現在」になって初めてわかる事だよね。 これは未来に関しては解りえないと思います。
>>89 >一つの特定の視点から、過去(歴史)を見ているからだよ
果たしてそうでしょうか?
一つの特定の視点、を定めた時点で、他の別な視点から見るという行為を前提にしていますね
するとどうでしょう?歴史は1つではなく見方によって複数になる、事を了解したことになります
もっとニュートラルな立場で歴史を見たとき
初めて「歴史は一つなのだ」と言えるのではないでしょうか
J.F.ケネディは何者かの陰謀により暗殺されたのだ、ではなく
1963年11月22日、テキサス州ダラスでJ.F.ケネディが死亡した
このほうがニュートラルでただ1つの現実を表現できているのではないでしょうか
さて、的を外していないかどうか非常に不安です
94 :
考える名無しさん :03/02/27 01:17
>>1 神を考える人間の思考も神の意志によるものだから、考えても意味が無いとは言えない。
そのような循環は、循環を繰り返すことによって深まっていくという考え方もある。
あと、神は思索の対象であるというより、信仰の対象だと思うよ。
95 :
考える名無しさん :03/02/27 01:20
>>93 歴史認識において「ニュートラルな立場」というものが、ありうるのか。
例えば、共産主義者と資本主義者では歴史の見方が違いますよね。
あらゆる「主義」を完全に離れた人間というものがありうるの?
>>90 貴方が「実際」という言葉を使うとき、
それは「想定され得る未来のうち限りなく100%に近いもの」の意味のようですね
私の「実際」とは異なるようです
>>80 >>82
>>95 歴史上で実際におこった出来事に対して、
「共産主義者と資本主義者ではその解釈が違う」
しかし
「実際におこった出来事は1つだけなのである」
では不足ですか?
98 :
考える名無しさん :03/02/27 01:29
>>97 解釈が多数あるのに、
「実際におこった出来事は1つだけなのである」と断言できる根拠は?
ううん。ちがうよ。 今使ってる実際は真実と同義で使ってます。 >想定され得る未来のうち限りなく100%に近いもの あと、その実際も人の思考の中では想定としてしか受け入れられないと 思います。 例えば、今イスに座っているとします。そのイスは実際にあって本物だと 思っても、それは感覚によって得られる想定なのです。でもそれがいつでも 確実かどうかまではいいきれないじゃない?イスじゃないかもしれないし、 そもそもそれが夢かもしれないし、、。 だから、95さんのいうように「そう思う事」「主義」から離れて 認識する事はできないかもしれないと思いますよ?
>>98 根拠、ですか
わかりました、よく練ってから提示します
明日の夜でもよろしいですか?
今夜はこのあたりで休みたいと思います
解釈によっては乃木将軍がワシントンDCに上陸していた歴史があるかもしれない、
という主張を論破すればよさそうですね
…違いますか?
>98 >「実際におこった出来事は1つだけなのである」と断言できる根拠は? そう断言するのはあくまで認識の上ですね。 断言している以上他の事は否定してしまいます。 私たちは事実と認識した時点で他の事を事実と認識できないかもしれません。 93「ケネディが死亡した」といいますが、可能性としては奇跡的に生きてる かもしれないし、彼の替え玉だったかもしれないじゃない? 「月に人が行って帰ってきた」っていいきれるかもそれは何処まで 信じられる証拠がいくらあるのかにかかってて信じるかどうかはその信じる人 によるもので、究極的に絶対に真実とも言い切れるまでの証拠は どこまで必要なのかはわかんないんじゃない?
102 :
考える名無しさん :03/02/27 01:40
>>100 あらゆる「視点」を離れた歴史的「事実」はあり得ない、
というニーチェ的認識論を論破してください。
「解釈」を離れた「事実」というものが存在するのかどうか。
>>102 が至極まっとうでとっても良い問題提起をしたよ。
>>100 の返答が楽しみ。
論破難しいよ。ガムバレ。
>>77 >その「実際の未来」は一体どうやって特定するのでしょう?
人間の立場からはそれを特定することはできません。
私の
>>76 での>人によって想定された未来と実際の未来とは区別されなければいけません。
とは実際(唯一)の未来を現在から特定して想定された未来と区別すべきだなどと
言っているのではありません。唯一の未来を特定する事は不可能だと
>>66 でも言っています。
実際の未来などという誤解を招く表現を使ってしまったことがいけませんでした。
これは確実に踏む事になる唯一の未来を表すつもりでした。
それは想定された未来(厳密にはそれは未来ではない)とは違うと言いたかったのです。
>>78 上の説明の通りです。誤解を受けるような表現を使ってしまいました。
区別はできません、出来たなら貴方の言う通りだと思います。
>>79 私もそこに異議を唱えるつもりはありません。
>>81 想定された未来と混同して捉えられるような表現を使ってしまいました。
>>87 私は唯一の現実の中に想定する人間とその想定も含まれることになると考えますので
現実と対立する立場に想定はないと考えます。
>>94 この状態(
>>6 で「神の知的愛」という表現がありますが)の中にいて
私もただ単に無意味だといいたいわけでは在りません。ただどう足掻いても
この状態を抜け出せないことに対して葛藤が起きている。
ただし、それも全てこの状態の中で起こっていることに過ぎないのだなというジレンマがある。
結局、その中にいながらどういった立場に自分が位置すれば最善なのかと考えることぐらいしか私には許されていない。
>>98 私は解釈はいくらでもあります、けど現実の内にその解釈する人間も含まれる
わけですからやはり現実は一つだと考えます。
うん。そう思うよ。 その実際を特定できないから、そこから始まる事には断定できないですよね。 だから、複数とか一つとかは断言できないよね。 私がね、いままでいってきたのは、その一つといえない可能性を説明して 「それが決定されていた」となる論理を崩そうとしてきたのです。 でもだからといって未来が複数あるなんて言い切れないの。 で、今それらの考えと実際に起こることの関係について(想定と実際) で、私の意見では「想定は可能性の中の事」で「実際は真実の事」だと思ってます。 だから、その関係は 1想定と実際は確実に違うとは言い切れない 2だからといって想定は必ずしも実際と同じではない こんな感じじゃないかなと思ってます。
Sophiaさんの登場でまた論点がずれかけたような…
>現実は一つだと考えます ここでいう現実は真実の事でしょうか? 確かに私たち一人一人にとっては一つに解釈されます。 それはその人その人の視点によって成されていると思います。その視点に よる解釈も真実かどうかが問題になります。 そこで真実に一つなのかどうかを確証するには証拠が要ると思うのです。 そこで、「あらゆる視点を離れた歴史的事実はあり得ない」という見解を 覆す証拠がこのスレでは必要になってきてるようですね。
107もともとからの話のいきさつで復習しただけじゃん。 108で繋がってると思います。 じゃ102の質問のところからどうぞ。
>複数とか一つとかは断言できないよね。 >私がね、いままでいってきたのは、その一つといえない可能性を説明して >「それが決定されていた」となる論理を崩そうとしてきたのです。 >でもだからといって未来が複数あるなんて言い切れないの 人間の視点からはその認識は間違っているとは思いません。 >それらの考えと実際に起こることの関係について(想定と実際) >で、私の意見では「想定は可能性の中の事」で「実際は真実の事」だと思ってます。 私もほぼ同じような意味でその言葉を使っています。 >だから、その関係は ここでも人間の視点から二つの関係を論じている。 >1想定と実際は確実に違うとは言い切れない >2だからといって想定は必ずしも実際と同じではない そしてこういう結論を導いています。このように人間の視点から分析したならば こういった結論でも問題はないと思います。しかし、私が一貫して取り続けて きた立場は人間の視点からのみではなく、人間の視点をも含めた立場からだということを 理解してもらえれば私がこれまで主張してきたことも、どう考えるかは別としても 理解してもらえるのではないかと思います。
>人間の視点からはその認識は間違っているとは思いません。 あと、あっているとも思えないかもしれないよ? >私が一貫して取り続けて >きた立場は人間の視点からのみではなく、 >人間の視点をも含めた立場からだということを この立場が可能かどうかは私にはわかりません。 人間の視点からのみでなく、人間の視点もそれ以外の視点も含めた立場からの 視点というのはどこまでいっても結局、人間の視点の内にあるような気がします。 それこそ、102の「あらゆる「視点」を離れた」部分を提示しなくては いけないと思います。
>>105 で
>>98 に対するレスは的外れなこと(視点が違う)口出ししてしまったので無視してください、すいません。
>あと、あっているとも思えないかもしれないよ? そこは問題としていないということです。 >この立場が可能かどうかは私にはわかりません。 >人間の視点からのみでなく、人間の視点もそれ以外の視点も含めた立場からの >視点というのはどこまでいっても結局、人間の視点の内にあるような気がします。 それは私は人間なのですからどうしたって人間の視点になってしまいますよ。 ここで言う人間の視点とは人間を中心に据え世界を論じようとする(人間からの見える世界に過ぎない)立場 であり人間を世界の一部と見なして世界を捉えることのない立場のことを指しているつもりです。
あらそう? でもそこも問題じゃないでしょうか?あっているかどうかで論理が分かれますから。 その上。 >ここで言う人間の視点とは人間を中心に据え世界を論じようとする(人間からの見える世界に過ぎない)立場 >であり人間を世界の一部と見なして世界を捉えることのない立場のことを指しているつもりです。 「人間から見える世界に過ぎない立場」で、「人間を世界の一部と見なして 世界をとらえない」立場が可能なのかどうかわかりません。 そしてそれとそれ以外を含めた立場なのですから(110)さらに可能かどうか わかんないです。 しかもそれを前提としたとして世界の領域を論じるのなら、論じた時点で 前提を前提によって実証しようとしているから答えは出ないような気がします。 (その前提の中に世界に関する立場の前提を入れているから) このスレでもともとの問題提起について私は意味を見失ったかもしれません。 なにか完全に私はこのスレとは関係無い事をいっているのでしょうか? じゃ、このスレは止めます。 でも102の質問については興味があります。
115 :
考える名無しさん :03/02/27 13:50
116 :
考える名無しさん :03/02/27 14:51
スピノザの決定論は、論理的な破綻がないから、反駁は不可能。 しかし、経験的事実(人間的視点)からは遊離しており、 どこまで行っても形而上学的想定の域を出ず、 それが正しいとも間違っているとも言えない。 いわば一種の信仰に近いような決定論である。
117 :
考える名無しさん :03/02/27 14:58
しかし、
>>1 はあくまで一人の人間として
おのれが経験するこの世界のなかで生きなければならないのだから、
それが
>>1 にとっての現実のすべてであり、
仮にこの現実の外にこの現実を支配し見通す全知全能の神がいたとしても、
>>1 の現実には何の関係もないではないか。
これに満足できないのであれば、もはや
>>1 は積極的に信仰に身をゆだね、
神のなかで生きるしかない。
118 :
考える名無しさん :03/02/27 15:05
人間にとっての現実が一つか複数か? 「事実」は解釈(視座)を離れて存在するか? これはまた別の問題だ。
>>116-118 レス感謝します。簡潔で納得できるものでした。
とりあえず、スピノザの決定論を読んでみないと話にならないのでこれから
読もうと思います。他の哲学書もこれからどんどん読むことにして
勉強していこうと思っています。その時はまた聞いてもらいたいことが
出てくる思うので宜しくお願いします。
116 確かに。 ところで、何故スピノザの決定論なのですか?
>>120 簡単な入門書でもいいから、自分で調べてから聞きましょうね(笑
それとも、某スレの説明ぐらいでスピノザの決定論を理解できたのですか (^v^)
>>120 >>119 の1さんの姿勢を見習うべきですよ、あなたはね (^v^)
>とりあえず、スピノザの決定論を読んでみないと話にならないのでこれから
>読もうと思います。他の哲学書もこれからどんどん読むことにして
>勉強していこうと思っています。その時はまた聞いてもらいたいことが
>出てくる思うので宜しくお願いします。
なんかこのスレを見てるとかつての大森スレを見ているようだ。 真面目で勉強家の1が初心者で、電波で無意識のうちに スレを荒らしてしまうSophiaがカオル。 結局初心者はカオルに狂わされたが、 ここの1さんもそうならないか心配。良スレだから。 1さん頑張って下さいね。
124 :
考える名無しさん :03/02/27 20:58
>>102 >あらゆる「視点」を離れた歴史的「事実」はあり得ない、
>というニーチェ的認識論を論破してください。
>「解釈」を離れた「事実」というものが存在するのかどうか。
存在する。
「昨日僕は生きていた」。
これは「解釈」を離れた「事実」。
それを認めないならば、あなたは懐疑主義者。
125 :
考える名無しさん :03/02/27 22:10
>>124 ニーチェが懐疑主義者だからねー
懐疑主義者はダメって言ってもしょうがないよねー
しかしそれにしても、「昨日僕は生きていた」っていうのはどうして「事実」たりえるんでしょうかね。
そんなに記憶って確実なものですか?
しかも「昨日僕は生きていた」ことを事実として認めると、おそらく帰納的に「50年前僕は生きていた」(「ぼく」が50歳以上なら)も簡単に事実として認定できてしまいますが、それでいいんですか?
126 :
考える名無しさん :03/02/27 22:35
記憶は明らかに解釈ですね。
>>125 ニーチェが懐疑主義者かどうかはおいといて・・。
>懐疑主義者はダメって言ってもしょうがないよねー
そうですね。ただ「僕は昨日生きていた」すら認めない
懐疑主義者とは議論にはならないと言うことです。
>そんなに記憶って確実なものですか?
私は今21ですが、私が21年前の誕生日に本当に
生まれかどうかは疑えますが、私が(いつかはわからないが)
「生まれた」という「事実」は疑えないと考えています。
私は、「解釈できる事実」と「解釈できない事実」があると考えています。
もちろん懐疑主義者になってしまえば、全てをー「我思う故に我あり」さえもー
疑うことができます。ただ私にはそれが本当の意味での「哲学的態度」とは
到底思えませんがね。
>>127 >ただ「僕は昨日生きていた」すら認めない
>懐疑主義者とは議論にはならないと言うことです。
(以上のように、自分と立場が違うから、議論がおそらくすれ違うだろうから、)
というだけでその立場を退けてしまうような態度が「本当の意味での『哲学的態度』」
だとはとても思えません。じゃあなにが「本当の意味での『哲学的態度』」なのかと
言われても困りますが、少なくとも、対立する立場あるいは異なる立場の人との議論
を(それが平行線をたどることが予想されるものだとしても)拒絶してしまう態度は
あまり真摯でないと感じます。
>>109 あまり邪険にならないでください。
レスする相手によって言葉遣いが極端に変わってしまうのはSophiaさんのあまり
良くない癖だと(レポートのことについて聞きに来たときから見ていて、そう)思います。
そういった態度が多くの人の「煽り」を喚起していると感じています。
あの人には丁寧な言葉遣いで接するのに、私には……っていうのがあからさまだと、
あまりいい気はしないですよね?
いくら匿名掲示板だからといって、あまりに二枚舌的な対応が過ぎると、(全員では
ないにしても)不特定多数の人に良い印象は与えません。
で、その人たちが「荒らし」行為をするとすれば、その他の多くの人が迷惑に感じます。
「荒らし」は第一義的に「荒らし」行為を行う人が悪いといえますが、それにたいして
(特にその発端となった人が)反応してしまうと、「荒らし」を助長することにつながります。
そういう「荒らし」の性質を考慮して(誰かがどこかのスレでも言っていましたが)「明文化」
されたルールが「荒らしは放置」です。
ここにはまだ「荒らし」行為はありませんが、もし起きたらそのようにしてください。
このレスが「荒らし」だとあなたが判断するなら、このレスに対しても「放置」で結構です。
良スレに長文かつ本筋と離れたレス御免。
訂正 (特にその発端となった人が)→× (特にその発端となった人に限らず、「荒らし」以外の人が)→○
>>128 リベロさん
>以上のように、自分と立場が違うから、議論がおそらくすれ違うだろうから
何かを証明するときには、何か確実な根拠(原理)を
用いなくては証明はできません(数学でいう公理ですね)。
しかし、懐疑主義の立場に立てば、それすら疑うことができます。
つまり懐疑主義者は、証明に必要な道具を何一つ持っていない
わけです。彼らは彼らの懐疑主義すら証明できないでしょう。
そのような人と議論するのは無意味ではないですか?(自分の考えを
厳しくチェックするにはいいかもしれませんが)
実りある哲学議論をするつもりならば、なんにせよ、なにか
確実な基盤(原理)ーデカルトにとっては「我思う〜」ーが必要です。
そう考えれば、自分にとっての確実な基盤を定義することが
まず哲学議論をする上での前提でしょうか?
ところで、「昨日僕は生きていた」を疑った125さんにとっての確実な
基盤が何なのか教えて欲しいですね。議論はそれからでしょう(笑
>レスする相手によって言葉遣いが極端に変わってしまうのはSophiaさんのあまり
Sophiaさんが他人を不愉快にさせるのは「疑うことのできない」事実でしょうね(笑
>>130 訂正
>そのような人と議論するのは無意味ではないですか?
無意味は言い過ぎました。
本物の懐疑主義者(懐疑主義を説得力のある論として証明できる人)
とは非常に有益な議論ができますね。
132 :
考える名無しさん :03/02/28 01:07
その「無意味」はある意味正しい。
度々失礼します(汗 1さん、すみませんでした。 完全にスレ違いだったですね。 1さんの真摯な姿勢に好感を持っていますので 応援していますよ。
自らの拠って立つ「確実な基盤」は確定することができるのだろうか。 解釈学的基底(でいいのかな?)は、つねに変化する可能性を持つのではないか。 それは懐疑の対象ではなく、背景に引っ込んではいるが 必要に応じてアスペクト化することができる、というスタンスで、 ものごとを遠近法的に捉えるときに人間は思考しているように思うのですが。 つまり、疑いはしないが、前提とせずにはおけない状況が、まずあるんではないか。 って・・・自分の説明能力の低さにブチ切れそうですヽ(`Д´)ノ
>>130 >、「昨日僕は生きていた」を疑った125さんにとっての確実な
>基盤が何なのか教えて欲しいですね。議論はそれからでしょう
少なくとも議論が進む手がかりができたようなので私はとりあえず満足です(笑)
>>128 の前半は私の単なる感想だったので以下スルーしてください。
議論が始まればあまり関係ないでしょうから。
>Sophiaさんが他人を不愉快にさせるのは「疑うことのできない」事実でしょうね
こういうこともあまり言わないほうが良いと思います。
その理由については
>>128 をお読みいただければ理解していただけると思います。
とりあえず、これ以降は名無しか別HNで議論に参加したいと思いますのでよろしく。
>>1 さんがスレを立てた意図とは違うところで何度か書き込みをしてしまい、
申し訳ありませんでした。
実りのある議論になることを期待します。
>>134 >つまり、疑いはしないが、前提とせずにはおけない状況が、まずあるんではないか。
私もそう考えます。
それは「大多数の」人間に自然と現れる、これ以上疑うことに
無理のある「直観」だと思います。
「昨日僕は生きていた」とは大多数の人が信じずには生きて
いけない直観だと思います。その人間としての自然なそれに
あえて逆らう疑いを持つ人が逆に、その疑いの論拠の説明義務
があるのではないでしょうか?
詳しくは知りませんが、現象学はそういった直観を事実の根拠
としているのでしょうか?
>リベロさん
もうこの話題では書き込みませんが、どこかであったら宜しくお願いします。
またまた現れゴミンナサイ(アセ >1さん
私は懐疑主義的な見解は哲学のなかでは絶対に必要だと思うなー だってそのスタンスで問い続ける事によってその論理を深くまで 追求できると思うから。 それに、極めてはっきりとその見解の範囲を確認できると思うからね。 でも、懐疑主義的な見解は(少なくとも私の中ではね)全部が全部 全てを否定してるわけじゃないと思うんだけどどうかなー? ここでその見解の質の種類なんだけど、a posterioriな物と a prioriな物に分けられると思います。 全部の前提はa prioriを含めてa posterioriな性質をもってると思います。 でも全部のa posterioriな意見は全てa prioriな性質をもってるとはいえないと おもうの。でも懐疑主義でもa prioriな見解で承認されたものはそれ以上疑えない と思います。だから、懐疑主義は全てを否定してるものじゃないと思うよ? だからこそ、「懐疑主義者と議論しても議論にならない」とはいいきれないと 思うよ。 102さんの問いは、歴史的事実はa prioriなレベルには還元されないって示唆してる のかな? もしかして私はなにも解ってないかもしれないけど、どうなのかな?
無題っていうからなにが問題になっているのかと思ってみたら……
読み返してみると
>>1 さんは今年大学生になるんですね。
私が大学一年のときを思い出してみると
竹田青嗣の『自分を知るための哲学入門』筑摩書房
あたりが楽に読めると思います。(私は哲学に関しては門外漢)
批判もあろうかと思いますが、p137あたりからの話は
>>1 さんの問題関心と近いものがあるのではないでしょうか。
このスレの1で提起された問題ってのは私が小学生のころシムシティーで
散々遊んだあと、風呂の中で
「あー、もし、すんごい進化した科学技術を持った宇宙人だか未来人だかが
シムシティーの超進化版みたいな複雑なシミュレーションゲームをやっていた
として、私がそのゲームの中での存在だったとしても、そりゃ確かめられないよなぁ」
と、いう感覚に似たものだということでよいでしょうか。ここでの宇宙人や未来人、あるいは
シミュレートをしているコンピュータが
>>1 さんのいう神にあたると思います。
私が当時こんなことを考えたのは、SFC版のシムシティーの説明書に「シムはそれぞれの
考えを持って行動しています」みたいな記述があったからだと記憶しているのですが。
シムシティーについてはwww.nintendo.co.jp/n02/shvc/scあるいはwww.japan.ea.com/simcity4/
で、それについて哲学ではどう考えるのか?ってのが
>>1 の問題でしたよね。
私は先にも言ったように哲学は専門外なので、よく分かりませんが。
とりあえずここまで楽しく読まさせていただきました。
スレ違いsage
で、ざっと読んで来たわけですが、
>>137 さん
何を言いたいのかちょっと分かりかねます。
まず、5-8行目のところで「懐疑主義的な見解はアプリオリなものと
アポステリオリなものに分けることができる」と言っているのだと
思うのですが、ここの意味が良く分かりません。
さしあたって「懐疑主義的な見解」のうち「アプリオリな物」というのが
何を意味しているのか説明していただけると9行目以降も読めると思うので、
もう少し説明をしていただけるとありがたいです。
140 :
Sophia ◆8ADoZCl6.k :03/02/28 08:27
>139 うん。あのね、私の思うのはね、全部の前提はアポステリオリ、アプリオリな 見解に分けられると思うの。 で、たとえ懐疑主義的に物事の真実性を否定していっても、アプリオリな 前提は否定できないんじゃないかなー?何て思ってます。 例えば、「お父さんは男です。」「今日の天気は雨が降っているか、雨が降っていない かです」。とかね。これは疑いようの無い事でしょ? 前提として主語が述語を表しているから。そして、それは経験的にどう吟味しても 真実にしか成り得ないと思うの。アプリオリに真実と言えるものはどんな状況でも 真実といえる(だからアポステリオリでもありえる)と思うの。 でもアポステリオリな前提、例えば、「私は世界で一番可愛い」とか「太郎さんは 昨日生きていた」とかは実際に吟味して証拠をあつめてもそれが絶対的に真実だって 証明できないから、アプリオリにはなれないんじゃないかなぁ?なんて思ってます。 この知と真実の話はまだ私は取り組んだばかりだからなんともいえないけど そうじゃないかなぁと思います。 私の言おうとしてる事わかってもらえたかなぁ、、、?
141 :
Sophia ◆8ADoZCl6.k :03/02/28 08:36
>私は世界で一番可愛い >太郎さんは 昨日生きていた この二つは絶対的な真実ではないと反証できます。 例えば、「可愛い」と認識するのは人それぞれ違う感覚で 絶対的に同じ意味で全ての人に共通するとはいえない。 (その人の気持ちは他の人からは完全には理解できない) 「太郎さん」を含めてぜーんぶの人は実は今瞬間的にその記憶を 含めて作られたものだとしても、それを完全に否定できない。 それにこの世界が全て夢じゃないと厳密に証明できない。
>>140 >それにこの世界が全て夢じゃないと厳密に証明できない。
それを言うならば、
>太郎さんは 昨日生きていた
のみでなく、
> お父さんは男です
この分析命題が疑いえない事も証明できないのでは?
(デカルトのデーモンに騙されているかもしれない)
なぜ過去実在は疑えるのに、論理は疑いえないと言い切れるのか?
「なぜ」には原理的に答えられない。それが懐疑主義者の強み。
>142 私はそうは思いません。 何故なら、「お父さん」とは「男」と前提しているからです。 これは形而上に前提されてるからです。 たとえ夢でも「お父さん」という観念は間違いなく「男」でしょう。 「私の中の実際のお父さんは実際に男だ」という命題は疑えると 思いますけどね。(^v^)
144 :
考える名無しさん :03/02/28 11:59
たとえ土台の揺らぎを疑われても 土台に根ざすことなく造られた構造は揺らがないというわけね。
metaphisicalな意見ですね。
>>143 >何故なら、「お父さん」とは「男」と前提しているからです。
デカルトのデーモンがあなたにそう「思いこませた」としたら?
ふふふ(^v^)(^v^) そのデーモンでもその領域は踏み込めないとおもうなー だって、そのデーモン君は「現実」と「認識」の間にいてウソを 認識者に吹き込むものだから。もともと認識の中にある前提を 覆えす事はできないと思うよ?あと、「お父さん」と「男」はその言葉の意味 によって構成されてるものだから、その言葉の意味の認識違いは認められるかも しれないけどその論理事態は崩せないと思うよ?なにしろ その認識のみで形成されたものを疑うとなればその構成する論理そのものを 疑わないといけない。方法序説の一番最初にみんなは「真偽をわきまえる良識」 を持っていると前提してるよね、その良識は論理力だと思うのです。 その論理力の無い状態ではその前提を認識する事すらできないけど、だからこそ その論理力があるお陰で、出来上がった前提の中の論理はその前提によっては 覆せないと思うのです。
解り易くいうと、 6行目は、もしどこかの国の人が「お父さんとは女親をさす」と言う前提 をもってたらその人との関係では疑えるけど、 「お父さん」=「男で親」を前提してるから 「お父さん」=「男」は論理的には確実に真実だよね。 「お父さん」=「私の個人的にみるお父さん」なら デーモン君は私をだませるかもしれないけどね。 デーモン君のだましのテクニックは、「論理性の限界」を突きつけて 「反証する可能性」によって自分の存在を主張してるんでしょ? じゃ、その論理そのものは論理によっては疑えないよ。 この話は面白いから、もしかしたら私は新しくスレを立てて話し合うかも、、 その時はぜひともじっくり話しましょうね。(^v^)
デカルトは方法的懐疑では数学的認識の確実性をも疑ったんだがな。 今自分がいるのが夢のなかでも現実のなかでも、 数学的認識(たとえば1+1=2)の確実性は疑いえないのではないか、 いやそれでも、神ないしは悪霊が自分を欺いているかもしれないと考えて、、、
で、デカルトは神が自分を欺かないこと(神の誠実さ)を証明しなければいけないと考えた。 しかしその前に、そもそも神が存在することを証明しなければいけないと考えた。
うん。でもそれは「数学的認識が実際の現実社会で確実に厳密に通用 するかどうか」において疑ってたと思うな〜 その「数学」という一つの「コンセプト」の中で、1+1=2じゃないって いうのは彼は疑ってはいないと思う。 何故なら、それは1+1=2っていう数学の法則をそのまま前提としている から。その前提の中での懐疑は彼はしているのかな? 彼は「1つのりんごと1つのりんごを合わせたら2つのりんごになる」とは 疑ってるかもしれないけど、数式のみの世界で1+1=2っていうのは 疑ってないと思うな〜。岩波文庫の「方法序説」では何ページかな? 150 「神そのものが存在する事が証明できない」と仮定したら、 そこからの真偽は見極められないのかな? カントの「神の存在を証明する事は不可能」という考えについて だれか説明をもってる人いるー??
152 :
Sophia ◆8ADoZCl6.k :03/03/01 02:07
保全あげー キャハハ(^v^)
もしデカルトが「数学の論理の中で1+1=2っていう論理を 疑って否定した」とすれば、デカルトは間違ってるね。 まちがい無いね。
154 :
Hannibal ◆HPBRDkE86A :03/03/01 02:20
ここが君とゆっくり話せるスレッドなのかな、Sophia?
155 :
考える名無しさん :03/03/01 02:24
1+1=2は数学としても疑えるから疑ったんじゃないかな
まぁ、詳しくは知らないけど集合論とかだとかならずしも1+1=2とはならなさそうだな。 詳しくは知らないけど。
うーん。どこでも私に時間がる限りゆっくり話せるよ? 155 どうして疑えるの? あのね、今ちょっと方法序説もってるからその部分、教えて。 50ページあたりかな? 51の終わりから52のはじめのほうは、 「完全な存在者についての観念の検討に立ち戻ると、存在が観念に含まれて いる事をわたしは見出した〜〜〜存在する事は少なくとも、幾何学のどの証明にも 劣らず確実であるのをわたしは見出した。」 これなんだけど、「三角形の観念のなかに、三つの核の和は2直角に等しいこと が含まれて、、、」これはその数学的論理がアプリオリだと説明してると おもうんだけど、、。 この部分から、彼は実社会にそれが存在するのかどうかを疑ってると思う。 その観念の論理事態は疑ってないよ? もし、彼がそれを疑ってたら、私がそれのまちがいを指摘して大哲学者に なってるかもね。
>>157 これは神の存在証明の「存在論的証明」です。その証明とは
神は全能である→全能の中には存在も含まれる→ゆえに神は存在する (^v^)
159 :
考える名無しさん :03/03/01 02:52
>「三角形の観念のなかに、三つの核の和は2直角に等しいことが含まれて、、、」 そもそもこれがアプリオリじゃないじゃん
160 :
考える名無しさん :03/03/01 02:58
ごめん アプリオリに正しいわけじゃない に訂正 三角の和が二直角より大きい三角形や小さい三角形はあるよ
うーん A;神は全能である→B;全能の中には存在も含まれる→C;ゆえに神は存在する (^v^) AからBの時点でそれ以外の可能性も指摘できるよ? 例えば、「Aである→P;全能の中には無能も無存在も含まれる→Q;ゆえに 神は存在しないともいえる」 「全能」の定義で、制限を無視した、無限、有限を超越した観念があったとしたら それは「考えられる全て」になるから何とでもいえるもん。 ってね。 どう? AからB,Pに移行する時、どちらに移行するかは その人の選択によると私は思います。そこで、Dolaの言う「教義なしでは 瞑想の果てに神を見る事はありえないかもしれない」っていう意見が 出てくると思うな。
162 :
考える名無しさん :03/03/01 03:04
デカルトの神の存在証明は間違い あの時代だ、デカルトも自分の命が惜しかったんでないの?
160 えーマジでー? 三つの点を直線で結んだ、幾何学の授業でいう、ヘロンの公式とか 三角関数で使われてる三角形だよ? 三角形っていう言葉だけなら、曲線でも三角作れるけど、、、 そうなら160は正しいっていえるね。 もし違ったら、人工衛星の位置とかGPSシステムとかの位置計算って おかしくなるじゃん。で、おかしくなったら、あの機械ってホントに 「魔法」じゃん。そうなるとメルヘンになって楽しいけど、、。
164 :
考える名無しさん :03/03/01 03:22
>三角形っていう言葉だけなら、曲線でも三角作れるけど、、、 それがアプリオリを解く鍵だな 言葉だけなのかねぇ
165 :
考える名無しさん :03/03/01 03:24
ん?、ちょっと待て 人工衛星の位置はユークリッドでは求められないだろ Sophia間違ってるぞ
>>161 Sophiaさんはわたしより頭いいと思います。顔は普通でしょうが。神の存在論的証明
にはわたしの知らない何かがもっとあるのでしょうね。勉強してみます。とりあえず
「充足根拠率の4つの根」を精読してみます。
ううん。求められるよ? A点とB点の距離とその線を基軸としたA,B点からの人工衛星を見上げた 時の2つの角度でその高さが求められるでしょ? C点から同じように観測したら立体的にその位置がでるんじゃない? >164 じゃあ、そのデカルト君のいう三角形の注釈をします。 「直線で3点を結ぶ事によってできる三角形の全ての角の総和は 180度に間違い無い。 これはたとえ地球が逆に回っても間違い無い。絶対究極に間違い無い。」 です。(^v^) 166 そんなー、 いえいえ、それは言い切れませんよー。 でもお互いにきっと思う事を話し合って、お互いの考えを深め合って いけたら素晴らしいですね。 これからもよろしくお願いします。 (^v^)(^v^)(^v^)
164 これを補足すると、 「三角形で構成される四面体の形を求めるには、 三角形とその各点からの角度で残りの一点の場所が特定できる」です。
169 :
考える名無しさん :03/03/01 04:05
直線の定義が難しいということさ アプリオリに正しいと感じる直線だけが直線ではなかろうに それからSophiaはリーマンやガウスはちと苦手かな
リーマン、ガウスはふれた事がないです。 うん。確かに直線の定義には議論がありそうね。 点の集合とか点の観念からは踏み込めない部分があるかも、、 でももともと数学は形而上で基本原理から成り立つのものだと思う。 だから、前提の範囲から外れる見解には答えられないしね。 例えば、Xをゼロで割ったりしたりね。system inconsistant に陥るね。
>「充足根拠率の4つの根」を精読してみます。 それ読んだ事ないけど読み終える時点で このスレが無くなる可能性があるから議論できなくなっちゃうんじゃない? じゃあ。Have a good day!! (^v^)
数学って公理から演繹していくわけだけど、 その公理自体は何によって正当化されるかってことが 問題なわけ。(で、いいのかな?) ユークリッド以外の幾何学だってあるわけさ。
173 :
考える名無しさん :03/03/01 07:30
世界は非ユークリッド的に表される 地球や太陽のような質量の大きいもののまわりに付随する空間は非ユークリッド的だよん
ちょっと話にもどるけど、 三角形の定理なんだけど、結局これは疑えないの? その前提を意味する論理だから、もうアプリオリっていうのでいいよね。
ところで 「私は世界一可愛い」っていうのも アプリオリにいれちゃっていいかな〜?(ごめんなさい冗談です。(~v~))
私が書き込んだばっかりに、スレの主題からズレてきたようですね。 ここは匿名同士の議論スレというよりは、 1さんのためのスレだと思われます。 1さんが議論の中心になるようスレ進行しませんか?>all 1さんのような哲学初学者の方が自ら議論をリードしながら、 識者の人たちと共に考え、学んでいく。 こういったスレが増えて欲しいと私は思っています。 (かつての大森スレがそうであったように・・)
177 :
◆prDdJ8Ym5w :03/03/02 00:26
>174 結論から言うと疑える だけど今のSophiaはそれが正しいと思ってやってた方がいい 俺の予想だけどSophiaは哲学史を勉強中じゃないかな? 今、ちょうど近代に入ったところと見た とりあえずカントまでは習うことを薦める そしたら説明するよ
178 :
Hannibal ◆HPBRDkE86A :03/03/02 02:46
「お父さんは」の発話と「男である」の発話では数秒の開きがある。 その数秒の間にお父さんが女にすり替わっている可能性もあるな。 この話題がスレ違いだったらやめておくけど。
176 そうね。でもこの話もつながりがあるかも、、、 177 どうしてー? 疑えるとしたら反証があるんでしょ? じゃみせて? 178 148みてね。
180 :
◆prDdJ8Ym5w :03/03/02 04:37
>>179 球の表面に書いた三角形の内角の和は二直角より小さい
これがリーマン幾何学
君の考える幾何学はユークリッドの書いた『原論』に詳しく書いてある
幾何学の公理は全部で5つ
1任意の2点を通って直線を引ける
2有限の直線はある直線上を連続的に延長できる
3任意の中心、半径の円を描くことができる
4直角はみな等しい
5任意の点Pを通って任意の直線lに平行な直線がただ一本引ける(平行線定理)
1〜4は証明可能、5は証明不可能(と証明)
非ユークリッド幾何学が存在する、
181 :
◆prDdJ8Ym5w :03/03/02 04:41
続き 上はあくまで数学上の問題、形式的真理として非ユークリッド幾何学はありえるということ さらにアインシュタインの一般相対性理論で 現実世界を斉一に描き出すにはこの非ユークリッド幾何学を使用した方がうまく表現できることが判明 厳密な意味では世界は非ユークリッド的なんだよ それから反証は経験に関する言葉だけど 三角形は幾何学だよね? 幾何学を君は経験から学んだの?
182 :
◆prDdJ8Ym5w :03/03/02 04:46
>Sophia 言葉きつくなってごめん でも哲学に興味があるなら、簡単に自分が正しいと思っちゃだめだよ 相手の言葉を鵜呑みにするのもダメ、 何が確かで何が不確かなのか、なぜそう考えるのか、自分の中で考えを吟味する必要がある それには何より自分と異なる意見をよく読んでなぜそのような意見があるのか考えることだよ 誰だって間違ってると分かってることをわざわざ主張する馬鹿ではない 相手の論理をよく理解することは大事 Sophiaには素質があるからこういうことを言うんだ
183 :
◆prDdJ8Ym5w :03/03/02 04:58
カントはアプリオリ(先験的なもの)は常に正しいと言ってきたわけだけど 必ずしもそうとは言えないんだよ それが20世紀の科学の発展で分かってしまったということ
184 :
◆prDdJ8Ym5w :03/03/02 04:59
まーでもカント派の一人としてフォローすると 物自体がないとは言い切れないよ
うん。 5はわかんないね。 その何故ー?っていうのを考える時、にその反証を見つけときたかったの。 三角形のことは私は経験からまなんだとは思ってないなー、観念の中だからね。 その形式的真理についてはあとで調べてみます。 その何故?っていうのをね、正しく吟味するには私は「理由」をハッキリさせる 事が必要だと考えたの。 あくまで、自分が正しいとは言い切れないのは明らかだと思ってるよ。 別に言葉がきつくなってないから大丈夫だよ。(^v^) ここでね、私が何故アプリオリっていったかっていうのはね、 それが、現実世界に乗っ取っている事から離れた前提だからなの。 例えば、論理の上で、「父とは子供の親であり男である」と前提すると、 「父は男である」事はその中では真理でしょ? あくまで、その事では疑えないのよ、と示したかったの。 もし、万が一、現実社会に1秒間に一回性転換する子供の親が現実にいたら それは反証になるけど、少なくとも前提という観念の中には男であるのは 間違いなく真理だし、、ね。だから、観念(前提の中の論理)の世界では 少なくとも論理は存在すると思うの。その点で、完全懐疑主義は脆弱さ が残るよ、って言いたかったのです。 ともかく参考になる意見でしたね。
>アプリオリ(先験的なもの)は常に正しいと ふうん。
187 :
◆prDdJ8Ym5w :03/03/02 05:21
>Sophia >例えば、論理の上で、「父とは子供の親であり男である」と前提すると、 >「父は男である」事はその中では真理でしょ? でもね、A「君が父は男である」を真理とするために B「父とは子供の親であり男である」という前提を作り出したのかもしれない AとBのどちらが前提だかは判別しようがないんじゃないかな? 論理は論理、形式的真理は常に正しいとは思う、その点はSophiaと同感だ >もし、万が一、現実社会に1秒間に一回性転換する子供の親が現実にいたらそれは反証になるけど、 いや、ならないよ、形式的真理と経験的真理とは異なるものだよ それから、>正しく吟味するには私は「理由」をハッキリさせる事が必要だと考えたの。 これは多分、基礎付け主義と呼ばれる分類に属すると思うけど 現代では反基礎付け主義が主流なんだ、頑張って巻き返してくれ 最後にちょっとした意地悪をすると A∧Bを否定するとA∨Bになる、これは高校レベルの数学では正しいとされるけど これを成立しないとする論理もあるんだ このかつとまたはを説明する集合の図には外枠を描くよね その外枠を書く理由て何だと思う?
180 よく読んでみて思ったんだけど、 じゃ、それは「球面の上に書いた」が前提に必要なんだね。 そこで、「平面の上に3点を直線で結ぶことによってできる3角形の 角の和は2直角に等しい」といえるね。これはまだ真理じゃないのかなぁ?
189 :
◆prDdJ8Ym5w :03/03/02 05:28
>188 違うんだ 球面が平面(二次元)なんだ 表現としては平面が歪んでいるんだ ユークリッド幾何学は非ユークリッド幾何学の一部として表現可能なんだ 形式的真理とは論理的に真である関係と考えればいい あとあまり「真理」という言葉は使用しない方がいい
ふうん。 形式的真理と経験的真理とは異なるものだよ これには同感。 >A∧Bを否定するとA∨Bになる、これは高校レベルの数学では正しいとされるけど >これを成立しないとする論理もあるんだ うーん、、AもBも存在しない世界なら成立しない事もあるかもしれないけど、、 基礎付け主義、、、これは論理的には必要な気がする、でもそれが経験主義に 当てはまるかというのは、絶対とは言い切れないのは解る。
191 :
◆prDdJ8Ym5w :03/03/02 05:34
>190 いや、A、Bと書いている時点でA,Bを設定することになるからそれは無理 集合の外枠を疑うという方法があるんだ 数学の授業では図に描いて教えるけど その時に集合Aと集合B以外に外枠を必ず描く、その外枠を否定するという方法があるんだ
うーん難しいー!! 今ほんとに自分の想像力を膨らませないといけない。 少し考えます。 、、、つまり平面が平面だと定義するには立体的な視点からじゃないとダメ なのかなぁ、、 球面が平面、、、 考えます。
193 :
◆prDdJ8Ym5w :03/03/02 05:38
>190 >基礎付け主義 論理の公理となるものは3つ A≠notA not(A∧B)=A∨B not(notA)=A だったかな、論理学はかなり昔にやったきりだからあやふやだ、後で自分で調べて でこの3つの公理の基礎付けをさらに問うと・・・ ということをやった人もいる
うーん凄い考えね。 外枠を否定する事は何を意味するのでしょうか?
もうちょっとテキストよんでから 話するね。 ともかくどうもご親切に教えてくれてありがとー!! (^v^)(^v^)(^v^)
196 :
◆prDdJ8Ym5w :03/03/02 05:45
>192 あまり難しく考えないことだよ これは人間の認識能力の方に限界があるということなんだよ カントは認識における先験的な要請は4つありそれらは正しいかどうかを判断しようが無いと言った その4つは次の通り 無限、範疇(カテゴリー)、時間、実在 これらは知りようが無い(しかし正しい)というのがカントの立場 この非ユークリッド幾何学は発見した数学者が自分のことを狂人と思い込んだり 恥ずかしくて発表できなくて死後発表したりした代物だ 二次元の歪みはまだ理解できるかもしれないけど三次元の歪みはもはや想像の範疇を超えている 考えすぎないことさ
なんだか嫌な雰囲気・・・ お邪魔しました〜
198 :
◆prDdJ8Ym5w :03/03/02 05:49
>194 (勝手に脳が補っていた)世界に限界があるという枠組み、を否定すると言えるかもしれないね でもまぁ論理学の中では異端だ、 そういうのもあると知っておくに留めておくといい
199 :
◆prDdJ8Ym5w :03/03/02 05:57
>195 ああ、おやすみ、Sophiaの将来に期待してるよ
もし私が◆prDdJ8Ym5wさんを理解できたら それはもう素晴らしい事になるね。 ともかく今の段階ではそういうのもあると知っておくに留めといたほうが いいのね。 197 そんなことないですよー^^。
201 :
◆prDdJ8Ym5w :03/03/02 06:02
>200 哲学をやるのは哲学史をよく学んでおいた方がいい その時代に何が問題とされどのような解決を図ってきたかというのが分かるし 対立や論争、継承から考えがどのように変化してきたかが分かる それは哲学を学ぶにはとても役に立つことと思う Sophiaの受けている講義はしっかりしている内容ぽいからまずは講義をまじめに受けることを薦めるよ
◆prDdJ8Ym5w さん、出来れば頻繁に顔を出して下さい。 ROMしてるだけでもとても勉強になります。 さすがコテハン連中とはレベルが違いますね。
ア・プリオリな命題は科学によって帰納で証明できるという説もあるよ。
>202 君誰?ここって君のスレ?
202さんにとっても共感します。 ねー!! だれのスレでも構わないかも、、、 しっかりした説得力のある発言が価値を産むような気が、、、 信一くん、それはアプリオリな命題は科学的に正しいと証明できるという事で しょうか? それは、アプリオリな事象をアポステリオリなレベルで吟味するという事 でしょうか?(経験的、実証的に吟味する)
>>205 ア・プリオリな事象をア・ポステリオリに吟味し、進化論のように帰納的に
科学的な真理として確信できるようになるということです。
>>206 ア・プリオリな事象というのは間違いだね。【ア・プリオリな命題】
あ、そうだね。 ア・プリオリな命題、、、 205、それは「現実世界に照らし合わせる」という事だと思います。 そこに、ここ50回ほどの発言の要点があるような気がします。 ところで、少し初歩的な定義の問題ですが、 何を、どんな状態を「真実」としていけばいいのでしょうかねー? 一体どのようなアプローチで検証していけばいいのか、がポイントですね、か? この話は新しくスレにして立てたほうがいいかもしれません。。。
>>208 科学的に観察し実験し経験的に真となる命題を数多く蓄積する。そこから
命題論理で真なる命題を導き出す。これが帰納法による科学の真理ですね。
>>209 この帰納法によって形而上学の命題が真か偽か検証していけばいいわけですよ。
【おお!!偉大なる人間の知性(理性)の救済者、形而上学に未来よあれ!!】
わたしはショーペンハウアーの信徒です。
うん。 形而上な命題が形而下でも真である事を証明できなくて、 形而上な命題も全て現実ではパラドックスだという結論になって しまったら、私たちの中にある論理は全て妄想になってしまうかもしれない からかな?そうなると、人の知性ってなんの意味もなくなっちゃうしね。 ジョーペンハウアーかー。私哲学の知識はホントに浅はかだから きっとじっくり彼の著作をよんでみたいな。 哲学ってホント読む本いっぱいあるからしんどいね。
212 :
考える名無しさん :03/03/02 12:51
934 :Sophia ◆8ADoZCl6.k :03/03/02 11:31 うん。最近ちょっと落ち込んじゃって あんまり人と関わるのがつらいの。 ここ3ヶ月くらい、引きこもっちゃってるかな、、。 今、そういう転換期にきてるとおもうな。 私の気性の荒さが原因なってるかも、、
213 :
考える名無しさん :03/03/02 12:55
934 :Sophia ◆8ADoZCl6.k :03/03/02 11:31 うん。最近ちょっと落ち込んじゃって あんまり人と関わるのがつらいの。 ここ3ヶ月くらい、引きこもっちゃってるかな、、。 今、そういう転換期にきてるとおもうな。 私の気性の荒さが原因なってるかも、、
214 :
考える名無しさん :03/03/02 13:09
934 :Sophia ◆8ADoZCl6.k :03/03/02 11:31 うん。最近ちょっと落ち込んじゃって あんまり人と関わるのがつらいの。 ここ3ヶ月くらい、引きこもっちゃってるかな、、。 今、そういう転換期にきてるとおもうな。 私の気性の荒さが原因なってるかも、、
215 :
考える名無しさん :03/03/02 13:09
934 :Sophia ◆8ADoZCl6.k :03/03/02 11:31 うん。最近ちょっと落ち込んじゃって あんまり人と関わるのがつらいの。 ここ3ヶ月くらい、引きこもっちゃってるかな、、。 今、そういう転換期にきてるとおもうな。 私の気性の荒さが原因なってるかも、、
わたしうつ病になったことあるよ。苦しかった。しかしそれで熱中し たり調子にのってはだめだということを知った。 現代の見地からいって本当のことが書いてあるか間違いかはまだ 解らないけど、ショーペンハウアーの「根拠率の四つの根について」 を読むと凄く哲学全般のことが解るようになるよ。入手困難なら手 に入ったら送ってやってもいいよ。
うん。ありがと(^v^) それはお母さんに頼むと思う。 お母さん哲学の修士もってるから多分もってると思う。 ありがとね。
218 :
考える名無しさん :03/03/02 13:28
せっかくの良スレが・・・ こうなると思ったけど(泣
1さん可哀想(泣
220 :
考える名無しさん :03/03/02 13:36
自己防衛に必死ですなw 15 :Sophia ◆8ADoZCl6.k :03/02/28 12:59 わかんないことを聞くのはそんなにあなたの気に障るんでしょうか? だからわざわざ「恥ずかしくてきけない、、」スレに質問しました。 それにそれを聞く事によってそれが議論には必要です。はっきりさせときたい から。あと、今、私そんなに漢字とか調べられないの。 あなたには聞いてないのでどうか私の事はほっといてください。 >調べたり検索すればわかることをわざわざ じゃ2chなんていらないじゃん。 それとも何?2chって批判するところなの? 少なくとも、私はあんたの言う「教えてちゃん」の質問にもちゃんと 自分がわかる範囲でわかることは出来るだけ丁寧に説明します。 >他の人に迷惑画家からないし もうあなたは自分が迷惑だとは疑えないのでしょうね。 少なくとも、あなたは私が立てたスレ(自由の定義と、、+あのさ、てつがくの、、 +論文がそろそろ、、)(このスレは私がたてたものじゃないよ) をご丁寧に十分荒らしてくれましたね。
>>219 同意。
とりあえず彼の荒らしは出入り禁止!!
222 :
考える名無しさん :03/03/02 13:42
管理人さん、Sophiaを規制してください。
>>222 禿げ同
管理人さん、Sophia ◆8ADoZCl6.k のIP調べて見てくださいよ。
224 :
考える名無しさん :03/03/02 14:01
管理人さん、Sophiaを規制してください。
あーあ、結局これ化よ
この人も馬鹿だよ >◆prDdJ8Ym5w
227 :
考える名無しさん :03/03/02 14:12
管理人さん、Sophiaを規制してください。
Sophiaさん、2チャンネルはそのスレッドに関係ある話題しか書いては いけないんじゃないですか。厳密に。わたしはこれからそのようにします。
気づくのおせーよ、この馬鹿! >信一 いつまで経っても気付かねぇ馬鹿よりはいいけど(藁
230 :
考える名無しさん :03/03/02 15:18
1はAC3をやりなさい
231 :
Sophia ◆8ADoZCl6.k :03/03/02 15:44
228 うん。だから、これからは「sophiaとは」で書くといいかもね。 >229 気づいてない人
232 :
考える名無しさん :03/03/02 16:14
お互い罪をなすりつけ合ってやんの(藁 >Sophia、信一
カントは純粋理性批判で、この世界の存在する原因に三つあるのではないかと言ってるの ですが、私なりに解釈させてもらうと、 1)世界は偶然にできた。 2)世界は神の意志によってできた。 3)物質自体に意志があって、世界ができた。 というものです。ショーペンハウアーの学徒であるわたしにとって3)が真である ことは自明です。そしておそらく意志は善でも悪でもなく無記なのですが、悪の本質 的なものが強烈に目立つのでしょう。おそらく善とは「意志の否定」なのでしょう。
深い意見ですね。 1と2,3の違いは世界の存在理由の有無でしょうか? 2,3は理由が有るとした場合の解釈ですね。 これらは、解釈者によって最終的な真偽が決定されると思います。 神の定義にも関係しますね。 あと、善悪についても、それを決定する絶対的な尺度が確立できない という弱点があると思います。 その絶対的な尺度についてはどう思うのでしょうか?
235 :
考える名無しさん :03/03/02 16:44
おいおい、またこの電波二人組続けてるよ(藁 どこまでがんばれるか期待してよっと(藁
236 :
考える名無しさん :03/03/02 16:46
1さーん、また鬱とヒッキーの荒らしが戻ってきましたよー(藁
237 :
考える名無しさん :03/03/02 16:47
52 :Sophia ◆8ADoZCl6.k :03/03/02 16:09 だからさー自分で悪かったのはちゃんと 削除依頼したじゃん!!! あんたらホントバカね。 いちいちグダグダこういうときにしかレスしなくて、ちゃんと私が ちゃんとしたスレで議論してる時に何も議論についていえないくせに!! 騒動を起こしてるのは全部あんた達じゃん!! は?何様?だいたいさー「自分はいい子ちゃんです」みたいな態度で 人のことを叩いて。その根性がいやらしい!!最低!! 人としてのマナー以前に 生物としてのマナーがなってないよ。人のせいにしないでよ、このバカ!! 悪質ね。 そういう仕切りやさんだと、存分に荒らしていいと思ってる。あたまおかしいんじゃないの? 「あーあーぼくちゃんちゃんと悪い人を叩いてお利巧さんねー」とか言われたい訳? 甘甘!!はっきりいってきしょいよ。 そのきたないきしょい発言見るだけでどれだけの人が気分を悪くしたかわかってんの? は?どうせこのレスみて「こいつは全然わかってない」とかいうんでしょ? ばればれ。解ってないのはあんた達よ! 相変わらず全然反省してましぇーん(藁
238 :
考える名無しさん :03/03/02 16:48
お神さん、なくなっちゃいやだ〜。
1さんが可哀想・・ このスレ放棄して新スレ立てていいからね >1さん
240 :
考える名無しさん :03/03/02 16:58
決定論嫌いなんで頑張ります。全部のレスみたわけじゃないけど・・・ 世界は決定論的なつ法則によって支配されているのだろうか? だとすればわたしたちには自由というものは何を意味するのだろうか? これらの問題はソクラテス以前の哲学者達によって、西洋合理主義の出発点に おいて既に定式化され、今も私たちと共にあります。 だけど、近代においてのカオスや不安定性に関する物理学や数学の進歩はこれらの 問題に対して、新しい証明を当てて行くことになる。 唯物論者であるエピクロスは、決定論と自由との、そのジレンマにおいてメノイケウス に次のように書き送っている。 私達の意志は自律的であって他者から独立したものであるとされる。しかしこの ことには賞賛も不承認も与えれる。・・・実のところ、我々が自由を保持し続ける くのには、神(?)を信じていたほうが、自然学者が言う運命の奴隷になるよりは まだましだろう。前者は契りや生贄によって恩恵を受けて運命を逃れることがで きる望みを与えてくれる。しかし後者は願いも虚しく必然性をおしつけてくる。 自然学者ってのはたぶんストア派。エピクロスはジレンマから逃れるためにクリ ナーメンを発明する。今の言葉を使えば、それはカオスのような概念を盛り込ん だ物。原子はその重量により真空中を真っ直ぐ落下していくが、途中で不定な位 置、不定な時に進路を少しそらせる。といったもの。しかし、その機構について は全く記されていない。 しかし私達は本当に新らしさを必要としているのか? ヘラクレイトスは真理は自然の本質的発展、過程そのものにあるとし、 パルメニデスは、全き単一の連続体はこれまで・これから存在するのではなく、 現在存在している。とした。 続く
233 荒らしが来ていますが、ここで「議論に集中する事」がスレを守る為です。 その善悪の尺度についてどういう見解があるのでしょうか?
242 :
考える名無しさん :03/03/02 17:03
あーあ、だらだら書いてたら意味わかんない文章なっちまった。
決定論はその不確定な事象の見解に弱さがあると思います。 しかし、神の存在はその定義の上でその確実性と不確実性の両方を 受け入れることが出来ると思います。 しかし、その神そのものの存在を知るのは私には確立できないとおもいますね。
何故なら、その存在を知る事を確立すれば、その時点で神の存在は 「万能、全能」ではなく、私たちの「想像できる範囲」のモノに なってしまうからです。 「ほんのちょっとした」神の存在の証拠でもそれが、神の定義を制限 しかねないと思うのです。
245 :
考える名無しさん :03/03/02 17:16
>ここで「議論に集中する事」がスレを守る為です 自分の意地のために他人のスレを私物化ですか? >Sophia わずか一時間で前言撤回とはあなたらしいですね。
246 :
考える名無しさん :03/03/02 17:19
質問。 「不確定な事象」は本当に不確定なんですか?
247 :
考える名無しさん :03/03/02 17:19
>決定論はその不確定な事象の見解に弱さがあると思います。 弱さがどうこういうより、神も含めラプラスの魔物のような存在の想定を許 すことに問題があると思う。 >確実性と不確実性の両方を受け入れることができる なぜ?神は全知全能であれば不確実性はありえない。神を前提にすると、 ほんとは確実だが不確実性を感じさせるのは人間の知識が足りないから ということになるのでは?結局不確実性は否定される。物理のせかいで も現にそういう解釈になってる。 >その神そのものの存在を知るのは私には確立できないとおもいますね 同感
248 :
考える名無しさん :03/03/02 17:22
>Sophia 亀レスすまそでした
249 :
考える名無しさん :03/03/02 17:24
240 242 247 248であほなことぬかしてたものです。 ご飯の時間なのでさようなら 荒らしてごめんなさい
Sophiaたん必死ですな(w 他スレでも必死に書き込んでますな。 君、昨日の深夜から書き込んでますな? まさに朝から晩まで、、病気ですな(w
251 :
考える名無しさん :03/03/02 17:28
このスレの最初の方でもありましたが、 最近の物理の世界ではその不確定性も容認されてるみたいよ? >神は全知全能であれば不確実性はありえない そう、その時点で「神は不確実性を否定する」と神を制限してしまう 事に陥るのです。 「人間の知性が足りないから」、確実性も不確実性もどっちも決められない とおもうのです。 >249 荒らしてなんかないと思うよ? 楽しい会話をありがとう(^v^)
この人ほんと疲れるだろうな。。。
わたしは神様とか神のようなものを信じるのはいい事だと思う。教会やお寺 にも行かないよりはいったほうがいいと思う。宗教心は大切と思う。ただ哲 学における神などというの考察し表現するのは、哲学に害悪を撒き散らすだ けだ。本物の哲学とは世界、人間、自分の深い底の無い真理のことだ。
256 :
考える名無しさん :03/03/02 18:00
>254 しかし、カントも考えたのだし、その事を持ち出したのは 信一さん自身では?
>>256 いやショーペンハウアー。なぜかというと哲学的真理の探求を邪魔し
てしまうから。神は存在しないのに、何いつまでゴタゴタと結論ので
ないことを議論しなければならないの。現代哲学を言葉遊びにしてし
まったのも間接的にはヘーゲルが神を持ち出したからなんだよね。
つーか神はいてほしい。 この世からギャンブルがなくなるのはたえられん
Sophiaはサイコロ遊びでもしてろ
260 :
◆prDdJ8Ym5w :03/03/03 07:50
先では俺個人の意見を言わなかったから説得力があるように見えただけで
個人の見解を言うならば直感主義論理は論理にあらずだと思ってます
しかし個人の意見を深めるには様々な思考を知ることが重要だと思うので
その一例として非ユークリッド幾何学や直感主義論理を出して深く考える契機になればと思ったのです
で、自分の立場は非決定論、楽観主義、科学的実在主義です
>信一
>>209 >科学的に観察し実験し経験的に真となる命題を数多く蓄積する。そこから
>命題論理で真なる命題を導き出す。これが帰納法による科学の真理ですね。
デビッド・ヒュームは帰納法は信仰の粋を出ないものと言ってます
帰納法には前提として「未来は過去に似ている」という法則を前提としなければなりません
>この帰納法によって形而上学の命題が真か偽か検証していけばいいわけですよ。
帰納法によって検証可能な命題はすでに形而上学的命題から大きくはずれていると思います
・三角形の内角の和は常に二直角である
この命題はいかにして検証することができるのでしょうか?
261 :
◆prDdJ8Ym5w :03/03/03 07:57
で、ちょっと自分の考えを言うと 真一とは考えが正反対 >本物の哲学とは世界、人間、自分の深い底の無い真理のことだ。 >何いつまでゴタゴタと結論のでないことを議論しなければならないの この部分が根本的に真一と意見が異なる 真一はおそらく本物なんだろう 俺はにせものの哲学で十分だ 俺にとっての哲学とは本物にはなれない偽物の哲学なんだよ だからSophiaに発想は近い 真理はあるけど誰も知ることができない
私の発想では、 「真理の真偽はそのギリギリのところで、Dogmatism信仰に支えられている」 という所だと思います。 勿論、論理的にア・プリオリな前提も、「論理が存在する」というDogmatismの 上に実社会に存在してると思います。 このことは、「真理は存在しない」とも「真理は存在する」とも言っていません。 >本物の哲学とは世界、人間、自分の深い底の無い真理のことだ。 哲学は人の思考の領域からは出られないと思います。 そこで、人の思考の領域は無限なのか、どうなのか、が問題になりますが、 それは、無限という解釈を実社会に実証できないので、「無限だと言い切る」には 信仰に支えられないといけないと思います。
あと、その信仰の事で、 いいか悪いかは、私は完全に触れてないから、 そのどっちも否定したりはしないです。
「真実は知りえるか?」という命題について また「デカルトのデーモン」の話ですが、 デーモン=external world の存在を知る事はできないと思います。(知った時点でexternalじゃなくなるから) (知っている事が究極に全ての知識じゃないから) では、真実をしる事は完全に不可能なのでしょうか? 命題「AさんがBの存在を知る」という事は「AさんがBの存在を知るまでに、何物にも その認知を欺かれなかったのは絶対確実」だという証明が必要だそうです。(Classic skepticism)
265 :
Sophia ◆8ADoZCl6.k :03/03/03 16:24
面白い展開になってきましたねー(^v^)
1さん可哀想・・
荒らし(>262-265)がいなければ良スレなんだが。
>267 そういう問題じゃないと思われ
161 名前:Sophia ◆8ADoZCl6.k [sage] 投稿日:03/03/04 03:27 バカばっか
Sophia好きだよ。でもスレッド(1)について書いてね。
>Sophia
すごいね、それだけ書けるのはたいしたものだ、
僕が真理がただ一つだけあると主張する時、いつもその理由はSophiaの
>>262 を理由にする
Sophiaの主張
>>262 は全く間違いがないと思うよ
でも面白くない
まず僕は真偽と真偽の証明とは異なるものだと思う、
そして哲学にとって独断は避けるべきものだけど
独断をしてはならないとは思わない
間違ってもいいのだと思ってる
独断を克服する方法として沈黙ではなく吟味という方法があると思っている
ま−,これは僕が基礎付け主義を捨ててるからだけど
>>264 知るという行為を受動的ではなく能動的に解釈した人もいるよ
知るという行為は人間が形式を実体験に投影して成立するという感じ
でもその絶対に正しいと信じられてきた形式が非ユークリッド幾何学の出現などによって揺らいだという歴史があるんだけどね
272 :
Sophia ◆8ADoZCl6.k :03/03/05 15:16
271 ありがとうございます。 独断の危険性はうすうすわかってきてるような気がします。 前提の前にはまた前提が必要で、延々と続いていくような観じがします。 最終的には「論理がつうようする」くらいまで行き着いて、それからは理由を 特定できないかもしれないから。 とりあえずは私が本屋さんでであったラッセルのthe problems of philosophy の1章と2章の存在についてを読んでみようと思います。 この話の論点は、「その認識と実像の間の関係の不確かさと確かさの間に 最終的にはどういった解釈が生まれるのか」になります。 ところで、そのclassic skepticismなんですが、skepticismにはその後にも 論理が展開されているようですね。 それは後々私の勉強にそって話して行きたいと思います。
>>260 帰納法は論理的に真理ではありえない。自然科学というのもそんなものでしょう。
しかし、自然科学は嘘だという人は誰もいないでしょう。
>>260 三角形の内角は180度というのは、わたしはア・プリオリな真理と考えて
ますので、証明の必要はないと考えます。
275 :
考える名無しさん :03/03/05 20:25
いや、証明の必要はあるだろ。 まあ証明できるけど。
276 :
考える名無しさん :03/03/05 20:34
>>272 >前提の前にはまた前提が必要で、延々と続いていくような観じがします。
このことについてはハンス・アルバートて人が書いてたと思う
>最終的には「論理がつうようする」くらいまで行き着いて、それからは理由を特定できないかもしれないから。
うーん、そこまでたどりつけるかな、僕はそこまでたどり着けないと思う
論理は常に正しい関係(形式)だけど、それと認識の間には避け目があると思う
その裂け目(合理論と経験論の裂け目)を埋めようとしたのがカントなり(ラッセルも入るかな)論理実証主義なりなんだろうけど
ただラッセルもヒュームの懐疑論を超えてないように思える
(懐疑論ぐらい日本語でいこうよ、みんなが英語を得意なわけじゃないしさ)
>この話の論点は、「その認識と実像の間の関係の不確かさと確かさの間に
>最終的にはどういった解釈が生まれるのか」になります。
?! 実体を設定していいの?
Sophiaの立場だと実体があるかどうかも分からないという立場じゃないかな?
それとも、その誤解を回避するために実体でなく実像という言葉を使ったのかな
僕はカントマンセーだけど、Sophiaの問題意識にはカール・ライムント・ポパーて人が参考になると思う
この人は自称ヒュームの懐疑論を乗り越えたと触れ回っている(実際はちょっと微妙)
もしかしたらSophiaはもうK・R・P知ってるかもね
ちょっとかじったっぽい表現がする
>信一 >帰納法は論理的に真理ではありえない。自然科学というのもそんなものでしょう。 >しかし、自然科学は嘘だという人は誰もいないでしょう。 自然科学は嘘をついたことはなかったのだろうか 例えばニュートンは水星と太陽の間にヴァルカン星があることを予言したけど誰も発見していない おそらく今後も発見されないだろうね 現在の自然科学を嘘だと言う人はいないけど 昔の自然科学、例えばフロギストンの存在を熱弁したら誰もがその人を基地害だと思うんじゃないかな 今の自然科学が将来に嘘だと判明するかもしれない 現在の物理学を見れば稀有ながらアインシュタインの一般相対性理論は間違っていると主張している学者すらいる(ほんとに稀有) 将来、自然科学が長い歴史をかけてそれらの謎を解き明かす日が来るかもしれない でもそれには理論の転換が進歩であると言わねばならない 我々が進歩したかどうかを誰がどのように判断するというのか それこそ信一君が嫌う神の力を借りるぐらいしか方法はないのではないか
>274 >三角形の内角は180度というのは、わたしはア・プリオリな真理と考えてますので、証明の必要はないと考えます。 アプリオリな真とは論理的に真なる関係だけだと思います もちろん、三角形の内角の和が二直角であるというのはある条件の時には常に真でしょう しかし条件によっては偽となることもある、それは僕が前に説明した通りです ところで信一君は >この帰納法によって形而上学の命題が真か偽か検証していけばいいわけですよ。 と言っていますが 論理実証主義の線引きだと形而上学的命題とは検証不可能な命題であったりします 例えば古典的形而上学問題と言えば普遍論争、実念論対唯名論などがありますが この問題「植物の『花』はただの名前なのかそれとも花という実在的な形相があるのか」といった問題はどのように検証するのでしょうか? また、形而上学と揶揄されやすい道徳問題などはどうでしょう この板でも「なぜ人を殺してはいけないのか」といったスレがありますが 「人を殺してもよいかそれともいけないか」はどのように検証するのでしょうか?
277 その人はしらないです。 >?! 実体を設定していいの? >Sophiaの立場だと実体があるかどうかも分からないという立場じゃないかな? うんそう。 懐疑主義は実体の存在を確立できないと結論する論理だと思います。 ちょっとNon-skepticism反ー懐疑論?のテキストも後々勉強して 質問しますね。 返答ありがとうございます。
>279 たしかに検証不可能な命題ですね。 私はアプリオリな命題は全てアポステリオリに検証できると 思ってましたが、検証できない命題があるようですね。
282 :
考える名無しさん :03/03/06 10:37
age
>Sophia >懐疑主義は実体の存在を確立できないと結論する論理だと思います。 そうだね、僕も実体の存在を正当だてて証明することはできないと思う でも、「何も知りえない」だけを結論として受け入れることも抵抗がある 実体の存在を確立できないと結論する限り(確立できると結論しても)認識は誤謬にまみれている アポステリオリな検証に限界がある これは帰納法に限界があるということ、 懐疑論を徹底すると経験から得られる知識が疑わしいものになってしまう
(^^)
>283 私にはまったく新しい見解です。凄いですね。 >実体の存在を確立できないと結論する限り(確立できると結論しても)認識は誤謬にまみれている >アポステリオリな検証に限界がある >これは帰納法に限界があるということ、 >懐疑論を徹底すると経験から得られる知識が疑わしいものになってしまう この「経験から得られる知識」には限界があるようです。 それを検証していくと、いっぱい証拠が必要になりますが、 どんなに証拠を提示しても最終的には「絶対確実」には成り得ないみたいですね。 でも、そうなると「十分証拠はある状態」は在り得ない事になるし、 そうなると、「絶対確実」という言葉も現実には在り得ない事になってしまうので 十分な状態もなければ不十分な状態もなくなってしまうと思います。
>>285 >>283
>私にはまったく新しい見解です。凄いですね。
えっと・・・
自分の頭で考えたことないんですか?
(^^)
∧_∧ ( ^^ )< ぬるぽ(^^)
289 :
考える名無しさん :03/05/19 17:51
保守age
━―━―━―━―━―━―━―━―━[JR山崎駅(^^)]━―━―━―━―━―━―━―━―━―
∧_∧ ピュ.ー ( ^^ ) <これからも僕を応援して下さいね(^^)。 =〔~∪ ̄ ̄〕 = ◎――◎ 山崎渉
>>263 禿同
話変わるけど、携帯ゲーム機"プレイステーションポータブル(PSP)
このPSPは、新規格UMD(ユニバーサルメディアディスク)というディスクを利用しており、そのサイズは直径6cmととても小さい(CDの半分程度)。 容量は1.8GBとなっている。
画面は4.5インチのTFT液晶で、480px x 272px(16:9)。MPEG4の再生やポリゴンも表示可能。外部端子として、USB2.0とメモリースティックコネクタが用意されているという。
この際、スク・エニもGBAからPSPに乗り換えたらどうでしょう。スク・エニの場合、PSPの方が実力を出しやすいような気がするんですが。
任天堂が携帯ゲーム機で圧倒的なシェアをもってるなら、スク・エニがそれを崩してみるのもおもしろいですし。かつて、PS人気の引き金となったFF7のように。
294 :
考える名無しさん :03/07/04 13:58
全ては運命という名の神の手の中にある。
>>1 サン
神トいわず未来といえバ?
マ、神でアロうと未来デあろうト私は推測シか出来ませんガネ。
>幼稚なことしか言えませんけど素朴な疑問として聞いてみたいので・・
世界はある方向にむかっている。つまり意思があると考えてみれば
その意思を決定した何かがあって、それをひとまず未来と呼ぶとします。
その未来は全てをつかさどり、勿論人間もその中の含まれるわけですが
そうなると人間のあらゆる活動は未来に由来していることになります。
人間にその未来を意識することなどできず、できるとしたらそれは未来によって
もたらされた意識に他ならず、どんなに人間が発展をとげ
知識を得たたとしてもその未来を越えることなどできないわけです。
そして今私がこのようなことを考えているのも結局は未来の意志によるものですし
又このように指摘するのも未来にさせられているということになってしまいます。
こうなるとここでいう未について考えても仕方が無いのかと思えてきてしまうのですが
真理を追究する学問である哲学ではこれをどのように捕らえているのでしょうか?
意味がわからないというのならそういってください、説明に自信がありませんのでw
アア、未来の代わりに過去デも因果でモ代用利くかモシレませんね。ナントナく。
__∧_∧_ |( ^^ )| <寝るぽ(^^) |\⌒⌒⌒\ \ |⌒⌒⌒~| 山崎渉 ~ ̄ ̄ ̄ ̄
>二次元の歪みはまだ理解できるかもしれないけど三次元の歪みはもはや想像の範疇を超えている >考えすぎないことさ テンソル解析を勉強すべし。既に古典的じゃないの? 座標に頼らないテンソル代数と具体的な幾何学的対象上の現象との対応がつけられればもっとよい。
299 :
考える名無しさん :03/07/27 17:19
>「経験から得られる知識」には限界があるようです 当然でし。
300 :
考える名無しさん :03/07/27 18:16
>神トいわず未来といえバ? 私は絶対意思と呼んでいます
301 :
考える名無しさん :
03/08/17 15:09 因果律はない