>1
>絵の価値は、絵その物ではなく、サインや箱書きだと判明しました。
この考え自体1さんが価値そのものの基準をお金で換算している。
428 :
考える名無しさん:03/02/22 02:12
芸術って誰が評価してんの?
各個人でしょう。それぞれが違う価値観を持っているから市場が成り立ち、それに便乗して芸術とは無縁の投資家がでてくる。常に今ふく風に敏感でなければいけないのは、芸術家ではなく投資家でしょう。
430 :
世直し一揆:03/02/26 15:43
<血液型A型の一般的な特徴>(見せかけの優しさ・もっともらしさ(偽善)に騙され
るな!!)
●とにかく気が小さい(神経質、臆病、二言目には「世間」、了見が狭い)
●他人に異常に干渉し、しかも好戦的でファイト満々(キモイ、自己中心、硬直的でデリカシーがない)
●妙にプライドが高く、自分が馬鹿にされると怒るくせに平気で他人を馬鹿にしようと
する(ただし、相手を表面的・形式的にしか判断できず(早合点・誤解の名人)、実際に
はたいてい、内面的・実質的に負けている)
●本音は、ものすごく幼稚で倫理意識が異常に低い(人にばれさえしなければOK!)
●「常識、常識」と口うるさいが、実はA型の常識はピントがズレまくっている(日本
の常識は世界の非常識)
●権力、強者(警察、暴走族…etc)に弱く、弱者には威張り散らす(強い者にはへつらい、弱い者に対してはいじめる)
●あら探しだけは名人級でウザイ(例え10の長所があってもほめることをせず、たった1つの短所を見つけてはけなす)
●基本的に悲観主義でマイナス思考に支配されているため性格がうっとうしい(根暗)
●単独では何もできない(群れでしか行動できないヘタレ)
●少数派の異質、異文化を排斥する(差別主義者、狭量)
●集団によるいじめのパイオニア&天才(陰湿&陰険)
●悪口、陰口が大好き(A型が3人寄れば他人の悪口、裏表が激しい)
●他人からどう見られているか、人の目を異常に気にする(「〜みたい」とよく言う、
世間体命)
●自分の感情をうまく表現できず、コミュニケーション能力に乏しい(同じことを何度
も言ってキモイ)
●表面上協調・意気投合しているようでも、腹は各自バラバラで融通が利かず、頑固(本当は個性・アク強い)
●人を信じられず、疑い深い(自分自身裏表が激しいため、他人に対してもそう思う)
●自ら好んでストイックな生活をしストレスを溜めておきながら、他人に猛烈に嫉妬
する(不合理な馬鹿)
●執念深く、粘着でしつこい(「一生恨みます」タイプ)
●自分に甘く他人に厳しい(自分のことは棚に上げてまず他人を責める。包容力がなく冷酷)
●男は、女々しいあるいは女の腐ったみたいな考えのやつが多い(例:「俺のほうが男
前やのに、なんでや!(あの野郎の足を引っ張ってやる!!)」)
431 :
ハイクラスの常識、私書箱:03/02/26 15:49
432 :
考える名無しさん:03/03/02 00:11
>わしは、この世で一番すばらしいものは芸術だとおもっちょる。
>>185 >ただ社会的にゴッホの絵が価値あるものと決め付けられているため
>>426 この芸術は素晴らしいものだという暗黙のうちに前提されているところが気に入らない。
芸術はタブーが多すぎる。もっとメスを入れろ!!
>>425 まだ?早くしてよ。。
433 :
連発している人:03/03/02 00:22
ごめんなさい。脊髄反応のレスしかできません。それでもよければ…。
434 :
考える名無しさん:03/03/02 00:33
>>433 お願いします。
やっぱりディスクールというのは違う気がする。。
435 :
考える名無しさん:03/03/02 01:00
>>433 ちょっと美術鑑賞板を覗いてきたんですが、そっちにもいってます?
436 :
連発している人:03/03/02 01:00
ちょっとだけ書きます。
美学芸術学のスレッドがありますけど、私はあっちがつまんなくて、
こっちに書きこみ始めたんです。
つまり美や芸術が「暗黙のうちに前提されているところが気に入らない」。
図書館や大型書店にいくと、まずカント・ヘーゲルの総論が最初にあって、
次にアングル論・クールベ論という各論という順に本が置かれている。
しかしカント・ヘーゲルってアングルやクールベの所に突っ込んじゃって
いいんじゃないか? 19世紀の「ディスクール」じゃないかと思うわけです。
ディスクールでまずければ「制度」「装置」「物語」か何かでもいいんですが。
しかし、自分の中では「ディスクール」が一番しっくり来ますね。
言表群が重層的に、ある政治的な何物かを組織しようとする点で。
>>416や
>>433の答えにはなっていないんですが。
437 :
連発している人:03/03/02 01:02
438 :
考える名無しさん:03/03/02 01:41
>>436-437 なんかうまくかわされてるてる気がする。ずっと。w
>>390で、ロマン主義からだと思っていた。と書きましたが、
やはりロマン主義はカントの影響が強いですか?それが芸術の始まりだと?
だとしたら、その辺を解り易くくだいてお願いします。
ディスクールって、簡単に言えば、
言葉にしても、暗黙でも、強制的でも、どちらにしても、
その力関係のことをディスクールと呼ぶんじゃないんですか?
よく政治のディスクール、恋愛のディスクールと言いますが、それならしっくりくる感じがする。
だから、芸術はディスクール。ではなくて、芸術のディスクールを説明してください。
>あっちにもいかないんです。
なんか似たレスがあったので・・。まぁ、そんなことはどっちでもいいんですが。w
439 :
考える名無しさん:03/03/02 01:59
>芸術は素晴らしいものだという暗黙のうちに前提されているところが気に入らない。
なんで哲学書のカバーに絵が使われることが多いの?なんで哲学者は例えに絵を使うんだろう?
崇高つながり?
440 :
考える名無しさん:03/03/02 04:46
不勉強と論理のアラを探されないようにかわし続けてもいたのですがw
もう一つは、やはり質問の内容を把握しきれていないようにも思います。
>芸術のディスクールを説明してください。
芸術のディスクールの意図なり方向性なりを挙げるのであれば、
1)芸術が最近の発明品であることを隠蔽し、
古代ギリシャから続く一貫した歴史を書くこと。
2)自律的芸術なる概念を捏造し、生活世界から隔絶させること。
まあ、これでは繰り返しだし、もうちょっと細かく説明しろって
ことじゃないかと思うんですが。
>やはりロマン主義はカントの影響が強いですか?それが芸術の始まりだと?
有用性や道徳性とは無縁のところで、関心なく対象を眺めるとき、われわれは
美を感じる、とカントはいっています。
この「無関心性」は、少しあとの自律的芸術なる概念の形成に
大きく役だっているはずです。
>長谷川等伯
日常的に画集などを鑑賞する環境にないというだけです。
たまに見るといいなあと思うのですが、雪舟と比べても断然というほど熱烈ではないです。
>ジョルジュ・モランディ
恥ずかしながら、よく知りませんでした。
>ヴォルフガング・ライプ
色がきれいですね。しかし、う〜ん、絵のほうが好きです。
>そこにドラクロワもいれて突っ込んで説明してもらえたら嬉しい。
ディスクール(なり何なり)を、個々の画家の筆使いに読み取るのは難しい。
近代社会は、過去と未来の両方向に引き裂かれつつ歩んできたように思います。
これは近代と反近代に引き裂かれつつ…とも言い換えられますし、
モダンはそもそもポスト・モダンであったなんて表現もできるでしょう。
1)人間にとっても知全体にとっても、歴史は基底的なものである。
ゆえに我々は過去を見つめていなければならない。
2)生物は進化し社会も進化する。産業も発達していくはずだし、
発達させなければならない。ゆえに我々は未来に目を向けねばならない。
この両方向の緩衝材として働いたのが芸術です。
大革命の際に、芸術はなぜ旧体制の遺物として破壊されなっかったのか。
人間にとっても知全体にとっても歴史は基底的なものになりつつありました。
それ自体が最近の発明である人間。その歴史を補完するべく歴史的記念物、
つまりは芸術の歴史もまた書かれなくてはならなかったからです。
446 :
連発している人:03/03/03 18:02
一方、整いつつあった産業社会の中で芸術は扱いづらいものでしかなかった。
こんな何の役にも立たないものが、市民の日常に入りこむのは迷惑この上ない。
かくして芸術は、美術館の壁と「芸術のための芸術」という標語によって、
市民の日常生活からは隔絶される。
週日は「生産する個人」「労働する個人」としての生活を送りながら、
まあ、月に一回ぐらいは美術館で芸術作品を鑑賞しましょうよ、
といったような「人間性」回復の巡礼が始まるわけです。
ゴッホが6000万円で売買されることの違和感というのは、
本来、日常生活から隔絶されていたはずの芸術が、
思いっきり日常に入りこんだことの違和感ではないでしょうか。
ソ連時代のポスターにははっきりいってそそられるものがある
448 :
連発している人:03/03/03 19:28
>ゴッホが6000万円で売買されることの違和感というのは、
>本来、日常生活から隔絶されていたはずの芸術が、
>思いっきり日常に入りこんだことの違和感ではないでしょうか。
つまんないことしか言ってないですね、我ながら。
説明しきれてないでしょうから突っ込んでみてください。
しかし、お手やわらかにお願いします。
ゴッホが6000万円で売買されることの違和感というのは、
日常生活での金銭感覚が染みついているためである。
例えば、車。一般車は数百万という感覚がある。
しかしたとえばすべて特注の車を発注した場合には、
一般車並の機能でもその値段は数億円となろう。
日常生活の金銭感覚とは、大量生産システムにもとずいた
ものである。
絵というのは、しごく日常感覚を想起する商品である。
そこに錯覚が起こるのである。
おいおい特注しても数億はいかないだろう。ナイトライダーで
も買うのか?
451 :
簡単WEBアルバイト募集:03/03/03 19:56
ねじから特注や
453 :
考える名無しさん:03/03/03 22:13
>>441 >芸術が最近の発明品であることを隠蔽し、古代ギリシャから続く一貫した歴史を書くこと。
その理由は意外に簡単だと思う。そこに金の問題が絡んでくるからだ。
美術史家は、芸術をできるだけ純粋な美の世界において見ようとするため、近代以降のそういう話には触れたがらない。
フランス革命後、ブルジョアジーが登場し万事金の世の中になる。美を純粋化して独立化するのは近代の意識である。
したがって、絵画市場が一般化してくる近代のそういう話は、あいまいにしか扱われない。
>芸術家はアカデミーに保護を受け、金の心配をせずに、ひたすら純粋に芸術に集中するようになった。
>>418 この考えが広まってしまって、美術史家はそれを順守して、芸術と金の話を避けてきた。
この国家保護はどうも、印象派の時まで、芸術家の自発的な営業活動を抑制してしまったようだ。
オーブリー・メネンの「芸術と金」は、1980年の本でも、副題に「ある不遜なる歴史」としている。
まだこの時代でも、そんなおことわりを入れなければならなかったみたい。僕は読んでないけどさ。w
455 :
考える名無しさん:03/03/04 09:16
>>442 その位は読んだことがある。もう少し突っ込んでもらっていいですよ。
そこで一番知りたいのは、新古典主義やロマン主義に支持を与え鼓舞しただけなのか、
モロ影響を与えたのか、極端に言えば近代の美意識はカントから始まったものなのか、ということ。
>カント・ヘーゲルってアングルやクールベの所に突っ込んじゃっていいんじゃないか?
余計なツッコミ入れて話を変えちゃったかもしれないけど、もともとはどういうことを書こうとしてたんですか?
>ヴォルフガング・ライプ
こういうのを、ゴミ+付加価値って言うだと思った。w
ネットで見ると、空間としてきれいに見えるけど、ただビンに花粉を入れて見せられてもなにも感じねーし。
説明を読んで、フ〜ンと思うぐらい。w
456 :
考える名無しさん:03/03/04 10:43
457 :
考える名無しさん:03/03/04 13:42
test
458 :
連発している人:03/03/04 23:29
>その位は読んだことがある。もう少し突っ込んでもらっていいですよ。
そうだよなぁ。定石だよなぁ。
>カント・ヘーゲルってアングルやクールベの所に突っ込んじゃっていいんじゃないか?
図書館や本屋の棚を見ての、単なる思いつきです。
比喩、もしくは座興とお考えください。
>ヴォルフガング・ライプ
うん。不覚にも色を見てドキッとしてしまいました。こりゃ釣られたかたちだねw
うちのニュートンが書いたりんごの絵があるんだけど、
いくらで売れるかなあ。。。
うちに
461 :
考える名無しさん:03/03/05 22:50
462 :
連発している人:03/03/06 01:05
>これも、「芸術が最近の発明品であることを隠蔽し、古代ギリシャから続く一貫した歴史を書くこと」?
かもしれない。少なくとも、面白い喩え話以上のものにはならないのではないか?
しかし、まあ、2chなんだから面白くってもいいのかもしれない。
喩え話でいえば、千利休も面白い。あれは400年前のデュシャンでしょうか。
あるいは、元祖ゴミ+附加価値?
463 :
考える名無しさん:03/03/06 01:16
見立て。
茶道、華道、禅。>>>>>デュシャン。
>かもしれない。少なくとも、面白い喩え話以上のものにはならないのではないか?
うん。ちょっと言ってみただけ。w
>>連発している人
わかりやすく言えば、これでいいんじゃないかと思う。。
389 :ぴかぁ〜 :03/02/17 01:16
そだなあ。芸術ってお金にならないから、
まあ言えば贅沢品。で、結局、権力層に囲われてなんぼの世界だったなあ。
結局、いまのステイタスの象徴か。
補足させてもらえば、ルネサンスでは贅沢ではなくて、「豪華」ということだと思う。
それはある意味、王侯貴族が示さなければならない義務のようなものであったのだと思う。
派手に飾って栄光を見せなければならないし、豪華を誇示するためには、破産するほどの借金もするから。
で、近代以降は億万長者の「贅沢」であって、義務ではない。破産するほど蒐集に注ぎ込みはしないし。
>大革命の際に、芸術はなぜ旧体制の遺物として破壊されなっかったのか。
ブルジョア社会になれば、金でなんでも買えるから、突然人々は古物・美術品を漁りはじめた。
これは、「未来の文化・芸術ために貯蓄をする」というブルジョアジーのステイタスを上げるための手段であると思う。
もちろん金にもなるしね。w
466 :
考える名無しさん:03/03/08 19:59
面白い例え話を挙げれば、「石油王ゲッティ」がいい例だと思う。
彼は石油株の投資で億万長者になった。そして美術蒐集をはじめた。
それはなによりもまず、文化人として社会的認知を求める
彼の野心を満足させるための手段であった。
第二に、コレクションは後世の好意をとりつける手段にもなる。
世界の貴族階級の名士と対等の地位は金では手に入らなくても、
彼らが好む美術品を蒐集することで彼らに認めてもらうことはできた。
また、専門家のすすめに従い評価の安定した名作を集めることで、
貴族や金持ちや学者たちとの付き合いができるのも関心があったようだ。
後世の好意を得られたかは知らないが、
ともかくステイタスを上げるために美術品を集めたようにしか思えない。
コレクションがたまり、美術館をつくったが、彼は自分の美術館を見ることはなかったし、
そこに収められた美術品の多くを見たこともなかった。
彼は本当に美術が好きだったのだろうか。結局、いまのステイタスの象徴か。
467 :
考える名無しさん:03/03/08 21:01
今さらだけど、美術品の価格がここまで上がったのは、
・アメリカが美術の世界市場を成立させ、世界共通の美をつくったこと。
・意図してないにしても、ブランド戦略がうまくはまったこと。
これでほとんどは説明ができるんじゃないかと思う。
美術のブランド戦略を歴史的・哲学的(?)に議論してきた感じがする。
468 :
考える名無しさん:03/03/08 22:07
美術品の価格は、社会が決めるのか、個人(本人)が決めるのか。
人間の価格は、社会が決めるのか、個人(本人)が決めるのか。
469 :
考える名無しさん:03/03/12 02:06
>絵(芸術)の価値はお金という私達の経済的観念による価値感によって
置きかえられ換算できるというものではない
そのとおり。自分がよい絵だと思う絵が一番なのだ。
でも中々、自信が持てないのも事実。
人が、ブランドのバックを持ってる。自分は自分が最高と思う無名のバック。
アルマーニのスーツばかりの中で、青木のスーツで演説。
その他、学歴もそう。容姿もそう。
人は自信が無いから、名前やブランドに縋る。
470 :
考える名無しさん:03/03/12 02:07
文芸春秋、今月号でも話題に。
「六六〇〇万円「ゴッホ」の値打ち」 伊勢英子
472 :
考える名無しさん:03/03/12 02:42
100円でポテトチップは買えるけど、ポテトチップで100円は買えない。
でも美術作品の場合、「ゴッホ」で6600万円が買えてしまったりするのだろう。
などと冷めた目で見てしまうほど、あの作品はつまらないものでありんす。資料的価値しかないのでは。
(^^)
474 :
考える名無しさん:03/03/13 13:01
山崎渉が実は有名人だったと分かったとたん、うざい!から、歓迎!に。
475 :
考える名無しさん:03/03/13 13:03
有名人なの? あらしまくってるジャン。
476 :
考える名無しさん: