>>71 マッハはスレのテーマとは殆んど無関係だが、行きがかり上少しだけ脱線。
>認識に先行する外在的な要因を否定
マッハ曰く
「色、音、熱、圧、空間、時間等々は、多岐多様な仕方で結合しあって
おり、さまざまな気分や感情や意志がそれに結びついている。この綾
織物から、相対的に固定的・恒常的なものが立現れてきて、記憶に
刻まれ、言語で表現される。(中略)そして、物体と呼ばれる。」
(マッハ『感覚の分析』(須藤/廣松訳、法政大学出版会)p.4)
認識(この場合知覚)に先行する要因として心理的・内在的な感覚要素
だけが挙げられており、物理的・外在的な要因は否定されていますね。
>>71(つづき)
>物自体が個物として認識に先行して確定的にあるという命題を否定
「あれこれの構成分が脱落しても目立った変化をしない漠然とした像は、
一見、何かしらそれ自体で存在するもののようにみえる。(中略)
こうして、極く自然のなりゆきで、初めは畏敬されたが後には奇怪だ
とされるようになった(それの「現象」とは別な、不可知な)物自体
の哲学思想が成立する。」(同上、p.7)
「通俗の思考法や話術では、現実に仮象を対立させるのが常である。鉛筆
を空中で見ると真直ぐに見える。ところが、この鉛筆を斜めにして水中
に突込むと曲って見える。この場合、人びとは次のように言う。鉛筆
は曲って見えるが、実際には真直ぐである、と。(中略)こういう場合
に、仮象を云々することは唯実用的な意味をもつにすぎず、学問的には
無意味である。世界は果たして現実に存在するのか、それともわれわれ
は世界を夢想しているにすぎないのか、という屡々立てられる問題も、
これまた、何ら学問的な意味を持たない。」(同上、p.10)
物自体のみならず、世界の現実性・確定性すら否定されていますね。