議論「死刑制度に反対ですか賛成ですか?」Part6
でも、そういった被害者の主張が、なぜ、「行為可能性」という点で主張されるのかが、
よくわからないのですが。
「行為の可能性」としては「俺を殺せ」と主張することも、十分可能なわけでしょう。
なぜ、「可能性」が論点になるのか。
>>805 じゃあ、懲役刑も監禁を要素とするから、監禁がダメな理由について述べれば懲役刑を否定できるのか?
窃盗がダメなら罰金刑も否定できるのか?
違法な殺人と「死刑」とを故意に混同して相手を攪乱しようとするんじゃねぇよ。
どうしようもねぇバカだな。
>>796 >>被害者の不利益しか問題とならない。
なぜ??
>>ひとがそれをするのをやめさせようとする
ああ、自分を狙ってくる攻撃者を「妨害」したくなるってこと?
その「妨害」によって攻撃側に生じる不利益はどうしてくれんの?
>そういう書き込みは無意義ですよ。
それは理解できるのに、どうして
>>767後段が無意義だとは理解できないんですか?
>>809 >なぜ??
それが「事実だから」といっていると思います。
>>812 ええと、これだけでは解かりにくいので補足すると。
・物事を正しく考えるには事実にしたがって考えなければならない
・殺人においては「不利益は被害者が殺されるということだけである」という「事実」がある
・従って、殺人においては、被害者の不利益についてのみ考えなければならない
ということだと思います。
>>812 ごめんなさい。
>>796 さんじゃなくて毎度に聴きたかったんだ。すみません。
>>被害者の不利益しか問題とならない。
なぜ??
>>ひとがそれをするのをやめさせようとする
ああ、自分を狙ってくる攻撃者を「妨害」したくなるってこと?
その「妨害」によって攻撃側に生じる不利益はどうしてくれんの?
>>814 >ごめんなさい。
>>796 さんじゃなくて毎度に聴きたかったんだ。すみません。
いいえ、私のほうが横レスなので。
私の発言は御参考程度にお考えください。
>>806 殺人が可能的である点に争いが無いなら、加害者と被害者がある点を当然に理論的に前提することになります。
また、殺人に遭遇していないのに、殺人を知っているということは、部外者を前提できることになります。
被害者側・部外者から、殺人が可能的であるのと対照的に、主張(禁止の主張)が可能的である点は、前提できます。
なぜなら、言葉を発することは、殺人の原因となる行為と同じように、可能的だからです。
禁止の主張を支える理由があるかどうかが、殺人をしてはいけない理由が説得的かどうかの
問題ですが、
>>576 にあるような点を認めない主張は、説得的ではありません。
禁止は@可能であり、A説得的に支えられうる、という結論になります。
理由付けの問題はAの問題です。殺す側の問題は、
>>577 >>580
>>813 の要約してくれた論理は殺人じゃなくて如何なる不利益に対しても適用できるよね?
死刑制度を「害悪を要素とする制度」だとする毎度の根拠は、
>>14や
>>805や
>>818などから、
下記のようなものであると推定されます。
・ 「死刑」は、受刑者を「殺す」ことを要素として持つ。
・ 「無法な殺人」は、被害者を「殺す」ことを要素として持つ。
・ 「無法な殺人」は、アプリオリに「害悪」である。
・ 故に、何であれ「殺す」ことは「害悪」である。
・ よって、「死刑」の要素である「殺す」も「害悪」である。
・ つまり、「死刑」は「害悪を要素とする」。
もしこのような論理が成り立つならば、次のような論理も是認せねばなりません。
・ 「罰金刑」は、受刑者から「金銭を奪う」ことを要素として持つ。
・ 「無法な強盗」は、被害者から「金銭を奪う」ことを要素として持つ。
・ 「無法な強盗」は、アプリオリに「害悪」である。
・ 故に、何であれ「金銭を奪う」ことは「害悪」である。
・ よって、「罰金刑」の要素である「金銭を奪う」も「害悪」である。
・ つまり、「罰金刑」は「害悪を要素とする」。
>>812-813さん、フォローありがとうございます。助かりました。表現に少しスキがありますが、
内容的にはまったくその通りです。
>>816 >>殺人に遭遇していないのに、殺人を知っているということは、部外者を前提できることになります。
大嘘。殺人という行為の観念自体に論理的に部外者は要りません。
>>576 にあるような点を認めない主張は、説得的ではありません。
576の最終センテンスは無論「公理」ではないですよね??
私にはacceptableでないので是非、論証してください。
>>822 ということはつまり、毎度は次のような論理も是認せねばなりません。
・ 「建設的な議論」は、「書き込み」を要素として持つ。
・ 「コピペ荒らし」は、「書き込み」を要素として持つ。
・ 故に、何であれ「書き込み」は「害悪」である。
・ よって、「建設的な議論」の要素である「書き込み」も「害悪」である。
・ つまり、「建設的な議論」は「害悪を要素とする」。
>>823 論理的、とは言ってません。理論的に、です。
>>13 ←
>>15 >>14 殺人という行為をしていない状態で、殺人という行為を観念し、さらに議論できること自体が、
部外者の存在を前提できることを示しているでしょう。
公理云々は聞き飽きました。そんな主張は初めからしていない。
>>816
>>816 >>576 を読む限り、
「主張は常に可能である@から説得性Aだけを問題にすればいい」
という意味に読めますが。
>>824 荒らしと見なされるコピペは、書き込みのうちにありうる要素ですから、
荒らしと見なされるコピペがあることは、書き込みが常に害悪を要素とする点の根拠になりません。
>>826 あなたがどう誤読しようが、私の知ったことではありません。
>>822 その通りだというならば、
いつ「不利益」が「害悪」にすり変わったのですか??
そこらへんにアプリオリ臭を感じる。
「禁止」を「ひとがそれをするのをやめさせようとする」
とパラフレーズするのは、するってのは
自分を狙ってくる攻撃者を「妨害」したくなるってこと?
その「妨害」によって攻撃側に生じる不利益はどうしてくれんの?
>公理云々は聞き飽きました。
何回きかれても答えないから、さらに何回もきかれて聞き飽きるんですよ。
たまには致命的な質問に正面から答えてみればよろし。
>そんな主張は初めからしていない。
いくら本人が「していない」と言い張っても、実際に毎度がそのような
主張をしているということは、読者に与えられる情報です。
というか、見ればわかるのに何故そんなに言い張るのか、謎です。
816 名前:毎度 投稿日:03/02/11 18:53
>>806 殺人が可能的である点に争いが無いなら、加害者と被害者がある点を当然に理論的に前提することになります。
また、殺人に遭遇していないのに、殺人を知っているということは、部外者を前提できることになります。
被害者側・部外者から、殺人が可能的であるのと対照的に、主張(禁止の主張)が可能的である点は、前提できます。
なぜなら、言葉を発することは、殺人の原因となる行為と同じように、可能的だからです。
禁止の主張を支える理由があるかどうかが、殺人をしてはいけない理由が説得的かどうかの
問題ですが、
>>576 にあるような点を認めない主張は、説得的ではありません。
禁止は@可能であり、A説得的に支えられうる、という結論になります。
理由付けの問題はAの問題です。殺す側の問題は、
>>577 >>580 死刑存置・廃止論については、
>>703にまとめてあります。
このスレ・2ch哲学板の性質・状況・位置付けにつき、
>>740-741 >>214 >>279
>アプリオリ臭を感じる。
は?
>その「妨害」によって攻撃側に生じる不利益はどうしてくれんの?
不利益が生じるから、攻撃がわにとって生じる不利益を攻撃側が阻止しようとするでしょうね。
>>832 は、
>>829 へのレス。
>>830 「公理」については、
792 名前:毎度 sage 投稿日:03/02/11 18:28
>>785 「公理」でない点について
>>496 ←
>>501 が逃げだとしてリンクしてますが、そこがそのまま答えになっています。
殺人をしてはいけない理由を述べることを、死刑廃止論において殺人は害悪である、を、議論の前提としてよいと
書いた点につき、「死刑は害悪」→「殺人は現実に禁止」→「死刑は害悪」と図式化していますが、
殺人が現実に禁止される点を論じた
>>576 >>577-578 では、死刑が害悪だという点が前提とされていません。
746はどこいったんですかね。
>>795 威勢良かったくせに、最後は静かなもんでしたね。
>>828 >>576 >文章を書いているときに「この文章に理由がない」と言いますね。
>こういう場合、@理由のあるなしは、形式的に決定されます。
>実質的妥当性は問題とされません。 この意味では理由がない、などということは
>ありえません。例えば、
を読んで、
「理由がない、などということはありえません」=
「形式としての理由は、常につけることができる」=
「主張は常に可能である」
と解釈することがなぜ誤読なのですか?
誤読だとして、あなたの本意はどのような意味であったのですか?
つまり、あなたの主張における「、@形式的な問題」の位置づけは
どうなっているのですか?
>>824 (←
>>827)が、どういう論理的批判をする気なのか、全く予想もつきません。
バカバカしくて、泣けてきますね、ほんと。
>>812-813 さん、本当に助かりました。ありがとう。
うーん、「不利益」と「害悪」はどう関係するんでしょう。
というか、殺人における「不利益」は「被害者の不利益」として、
死刑問題における「不利益」と「害悪」は誰のものなんでしょう。
826 名前:考える名無しさん sage 投稿日:03/02/11 19:02
>>816 >>576 を読む限り、
「主張は常に可能である@から説得性Aだけを問題にすればいい」
という意味に読めますが。
主張が常に可能である事実の指摘をすると、なぜ、事実の指摘を問題にしない話になるんですか?
>>838 「事実の指摘を問題にしない」なんて話はしてませんが。
主張の行為可能性の話(
>>806 )です。
>>827 つまり、
>>822で毎度が認めていた毎度の論理を、毎度自身が否定してしまったわけですね。
毎度の主張である、「死刑制度は、害悪を要素とする制度だ」との「公理」が、根底から覆ったわけです。
>>838は、
>>835へのレス。
>>837 不利益があるということを、普通は害悪が有るとするし、するように用法を確定することが「可能」とか
そういう考えです。それから、死刑は殺人を要素としてますから、殺されるのは当然死刑囚です。
死刑囚にとっての害悪です。
816 名前:毎度 投稿日:03/02/11 18:53
>>806 殺人が可能的である点に争いが無いなら、加害者と被害者がある点を当然に理論的に前提することになります。
また、殺人に遭遇していないのに、殺人を知っているということは、部外者を前提できることになります。
被害者側・部外者から、殺人が可能的であるのと対照的に、主張(禁止の主張)が可能的である点は、前提できます。
なぜなら、言葉を発することは、殺人の原因となる行為と同じように、可能的だからです。
禁止の主張を支える理由があるかどうかが、殺人をしてはいけない理由が説得的かどうかの
問題ですが、
>>576 にあるような点を認めない主張は、説得的ではありません。
禁止は@可能であり、A説得的に支えられうる、という結論になります。
理由付けの問題はAの問題です。殺す側の問題は、
>>577 >>580 死刑存置・廃止論については、
>>703にまとめてあります。
このスレ・2ch哲学板の性質・状況・位置付けにつき、
>>740-741 >>214 >>279
>>840 824 名前:考える名無しさん sage 投稿日:03/02/11 19:02
>>822 ということはつまり、毎度は次のような論理も是認せねばなりません。
・ 「建設的な議論」は、「書き込み」を要素として持つ。
・ 「コピペ荒らし」は、「書き込み」を要素として持つ。
・ 故に、何であれ「書き込み」は「害悪」である。
・ よって、「建設的な議論」の要素である「書き込み」も「害悪」である。
・ つまり、「建設的な議論」は「害悪を要素とする」。
---
827 名前:毎度 投稿日:03/02/11 19:03
>>824 荒らしと見なされるコピペは、書き込みのうちにありうる要素ですから、
荒らしと見なされるコピペがあることは、書き込みが常に害悪を要素とする点の根拠になりません。
---
往生際が悪すぎです。
>>825 いえ、576の最終センテンスが定義文でないなら論証してみせてください、と
いっているだけですが。
>>832 で、「不利益」と「害悪」はどうやってすりかえるんですか?
「妨害」も「不利益」をにもたらすわけでしょ?
だから「妨害」も「害悪」(すりかえがうまくいけば)になっちゃうね。
とするとこいつもまた「現実に」「禁止される」わけだ。
838 名前:毎度 投稿日:03/02/11 19:15
826 名前:考える名無しさん sage 投稿日:03/02/11 19:02
>>816 >>576 を読む限り、
「主張は常に可能である@から説得性Aだけを問題にすればいい」
という意味に読めますが。
主張が常に可能である事実の指摘をすると、なぜ、事実の指摘を問題にしない話になるんですか?
---
839 名前:考える名無しさん sage 投稿日:03/02/11 19:16
>>838 「事実の指摘を問題にしない」なんて話はしてませんが。
主張の行為可能性の話(
>>806 )です。
---
すごいですね。あからさまな断片的引用っぷりに、あいた口が塞がりません。
>>843 >>576は、禁止に理由付けをつけられるという点の指摘以上のものではないです。
以前話したように、反論可能です。ただ、説得的ではないでしょう。
なぜなら、殺人の禁止を論じるときに、被害者の不利益を問題にしないで
加害者側の利益を論じることは、端的に論点外れであり
問題にするなら、禁止の正当化は容易だからです。少なくとも
個人的
↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑
○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○
↑
自分
↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑
個 人
_↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑
他 人
に正当化できることは、自明です。
>>845 ただ、説得的ではないでしょう → ただ、反論は説得的ではないでしょう
>>843 不利益と害悪の違いを説明してください。
816 名前:毎度 投稿日:03/02/11 18:53
>>806 殺人が可能的である点に争いが無いなら、加害者と被害者がある点を当然に理論的に前提することになります。
また、殺人に遭遇していないのに、殺人を知っているということは、部外者を前提できることになります。
被害者側・部外者から、殺人が可能的であるのと対照的に、主張(禁止の主張)が可能的である点は、前提できます。
なぜなら、言葉を発することは、殺人の原因となる行為と同じように、可能的だからです。
禁止の主張を支える理由があるかどうかが、殺人をしてはいけない理由が説得的かどうかの
問題ですが、
>>576 にあるような点を認めない主張は、説得的ではありません。
禁止は@可能であり、A説得的に支えられうる、という結論になります。
理由付けの問題はAの問題です。殺す側の問題は、
>>577 >>580 死刑存置・廃止論については、
>>703にまとめてあります。
このスレ・2ch哲学板の性質・状況・位置付けにつき、
>>740-741 >>214 >>279
>>845 この図式の意味はいつまでたっても理解不能。日本語で書いてください。
マジメなはなし、わかりにくすぎます。
>>817 >>819 によってあらゆる不利益をもたらす行為が禁止されるなら、だれも
他者に不利益とならない行動しかとれませんね。つまり、弱パレート改善行動
しかとれません。この時、リベラリズムは全く不可能になってしまいますが、
それはどうなの? あなたがおよそどんなに弱いリベラリズムを承認することも、
>>813がまとめてくれてあなたが他の不利益についても承認した論理とは矛盾するんです。
あなたはリベラリズムが全く不可能な世界に生きていますか?
>>850 >>845 は、個人主義の意味を正しく理解していれば当然に理解できる図式です。
禁止されるなら、とか言ってますが、私は禁止が可能だといったのであって、
必ず禁止されるとは言っていません。赤ん坊は殺人を禁止しません(できません)。
>>847 「害悪」は価値評価的(規範的)含意があり「不利益・負の効用」には
ありません。あなたの「害悪」という言葉に価値評価的(規範的)含意が
あるのは「正当」などと密接に結びついて使われていることから
明らかであると考えます。どこからこういう含意を持ってきたのですか?
他者に不利益とならない行動しか取れないなんてことはないことは、
私が貴方がたの詭弁だの断片的引用だのを指摘するために、
コピペできることから明らかです。
>>852 価値評価的含意とありますが、殺されることの害悪・不利益は、価値評価なる抽象概念で
統一的に理解されるというよりは、実際上の痛覚とか恐怖とか悲しみとかそういうものによって
理解されるものです。あなたの価値評価・不利益という抽象を、殺人現象の被害者について
対応させるときに見えてくるイメージは、重なり合っていないのですか?