1 :
考える名無しさん:
ニーチェとカントには共通点が存在するって
大学の哲学の先生が言っていたんですが、
どのような部分に共通点があるのでしょうか?
文献を当たってみたんですが、
先生に日本ではまだこの研究に関する本は出ていないって
言われてしまいました。
もしこの問題について詳しい方がいたら教えてください。
2 :
考える名無しさん:03/01/24 22:19
観念論と実在論の中庸の立場に立って
現存在を探求した点だと思われる。
もしよければもっと詳しくお聞かせ願えませんか?
>>2 カントがそうなのはわかるけど、ニーチェがよくわかりません
教えてください
5 :
考える名無しさん:03/01/24 22:34
おもしろそう。カントって観念論と実在論のどちらの立場でもないという考え方もあるんですね。そういう感じもない訳もないですね
6 :
考える名無しさん:03/01/24 22:38
共通点:どちらもドイツ人である
カントはドイツ人って言えるのか?
ケーにヒスベルクは今のリトアニアだし、
ご先祖は元々スコットランドから移住してきたらしいし。
と、ネタにマジレスしてみる。
8 :
考える名無しさん:03/01/24 22:44
結婚歴がないのは共通してる。
哲学的側面においての共通点が分かる人はいませんか??
10 :
考える名無しさん:03/01/24 22:50
意志と表象。
この対概念を両者は(ショーペンハウエルを仲介として)共有している
11 :
考える名無しさん:03/01/24 23:00
ショーペンハウアーもヘーゲルも誰も抜きの
両者だけの共通点は?
12 :
考える名無しさん:03/01/24 23:01
わかんねぇ
13 :
考える名無しさん:03/01/24 23:03
抜いてどうする
ニヒリズムにおける共通点はどうでしょう?
哲学史上に論を絞ると、カント(Immanuel Kant, 1724-1804)やフィヒテ
(Johann Gottlieb Fichte,1762-1814)の世界構成的自我は肯定的な理念や
価値の解体をもたらすニヒリズムであると論じてヤコービ
(Friedrich Heinrich Jacobi,1743-1819)が1799年に批判的に使用したのが最初である。
つまり、ニヒリズムが哲学用語として最初に登場するのは、
カントから始まるドイツ観念論と深い関係を持っていることが言えるのである。
「批判の道だけがまだ残されている。読者が私と一緒にこの道を遍歴する
親切心と忍耐とを持ち合わせているとすれば、読者は今、次のことを判断していただきたい。
この小径を大道にするために自分なりの寄与を果たしたいとたとえ望んだとしても、
数世紀にわたってなし得なかったことが、つまり人間理性の知識欲がいつでも従事しながら、
しかしこれまで徒労に終わったこと、つまり、その人間理性を完全に満足させるということが、
果たして現世紀が過ぎ去らない前に達成されうるのかどうか。」
とカントは『純粋理性批判』(1786)の中で述べているが、
これはドイツ観念論という哲学史上大きな位置を占めた哲学運動が
決して単に理性の凱歌に終わるものではなく、
同時に理性の自己批判を思索の対象としていたことが明確に理解できる。
これは、理性や自己意識や主観性などとともに、
無(Nichts)もドイツ観念論の鍵となる概念であり、
この意味では、理性の自立化と全面化として辿られるドイツ観念論の展開も、
すでにニーチェに先立ってニヒリズムをいかに引き受けるかという問題との
苦悩の歴史として見ることも可能であろう。
15 :
考える名無しさん:03/01/24 23:05
↑どこからの転載ですか?
16 :
考える名無しさん:03/01/24 23:07
>>14 なんか、読んでてハイデッガーのニーチェ講義を思い出した。
18 :
考える名無しさん:03/01/24 23:12
>>17 フツーですね
たんにニヒリズムの歴史的流れというか
19 :
考える名無しさん:03/01/24 23:14
カント自身は信仰に余地を残せたと信じていたはずなんだが、、、
20 :
考える名無しさん:03/01/25 14:20
ニ−チェの偉大な点はニヒリズムの害悪を根本から
理解していたという点かな。言語学においては
絶対的表現という点においては妥協を余儀なくされているわけだから
ニヒリズムの終局点は『語り得ぬものには沈黙せねばならない』
となる。理性は感性を超えることができないことをいち早く察知
した点は賞賛に値する。
21 :
考える名無しさん:03/01/26 10:12
俺って現代哲学てあまり知らないんですがというか面白いと思わないので勉強しなければと思いながら
もなかなか読まないいんですが、ここに一つの疑問
「現代哲学やってる人で昔の哲学も詳しく勉強した人っているんですか?」
22 :
考える名無しさん:03/01/29 03:33
共通点
それは、「実践」的側面じゃないか?
あくまでも、可能性にむけて開かれているという。そして、それは「美」でもあるという
つまり、天上の世界を地に降ろしたという点で、両者は主題として、構造上同じ地点に立っているのじゃないのか?
23 :
Kurihara:03/01/29 05:25
カントとニーチェはヒュームによって
繋がっています。
24 :
考える名無しさん:03/01/29 11:43
同情に道徳的な価値を認めていないとか?
25 :
考える名無しさん:03/01/29 12:07
26 :
考える名無しさん:03/01/29 12:33
>>21 >「現代哲学やってる人で昔の哲学も詳しく勉強した人っているんですか?」
「現代哲学」が何を指すかによるけど、例えば、大陸系の哲学者なら、
過去の哲学の研究が基礎にあるから、多かれ少なかれ、みんな「昔の哲学を
詳しく勉強」していると思うけどね。
ラッセルやクワインも勉強してるよ。
日本の分析哲学者だって基本はおさえてる。
28 :
考える名無しさん:03/01/29 18:51
クリたん、スルーされちゃった。w
ヒュームだしてんのに。
29 :
考える名無しさん:03/01/29 19:13
あらゆる価値の価値転換とコペルニクス的転回
両者とも、近代(カント)と現代(ニーチェ)という2つの道を広げた。
30 :
考える名無しさん:03/01/29 19:17
カントの理性信仰を哲学をキリスト教から分離させようとした始原と見ることは出来るだろうか?
そうすればニーチェの神の死の宣言とつながるかも。
キリスト教世界においては、ニヒリズムはのっぴきならない問題として、常にあるし、とんでもなく長い時間を今でも費やしているのではないか?
。「原罪」という重石の処理に両者は、生涯心血を注いだが、見えざる批判と圧力に常に晒されとらわれていたのではないか?もし、カントが「ニヒリズム。それについては私が語るべきことは、既に全て語った。」と言ったとして、ニーチェ乃至あなたはなんと答えるのか?
32 :
考える名無しさん:03/01/29 22:17
>>1 古代・中世哲学と比較すればカントとニーチェは共通していると思うが。
どちらも神の存在や自然界の秩序と人間とか連続していないということを
前提にして思索を展開している。
33 :
考える名無しさん:03/01/29 22:26
>>26‐27
>>21の「詳しく」のレベルが物凄く高いんだと思うよ。
原書で読んでるだけじゃなくて、自分で校訂できるとかくらい。
カントの「人間は先見的なカテゴリーの枠内でしか認識できない。したがって
物自体は認識できない」と、
ニーチェの「事実などない。あるのは解釈だけだ」と
いうのはシロート的には同じことですが。
↑私は、ど変態のうえに、どシロートなので用語の間違いとかは指摘してください。
>>33 校訂はともかく、大陸系の職業的哲学者は、多かれ少なかれ、ある過去の
哲学者について一冊の研究書を書けるくらいの能力はあるのではないです
かね。ただ、分析系になると、イギリスとアメリカでは結構違うような
気もする。たぶん、クワインには『西洋哲学史』は書けないんじゃない
かなあ。
36 :
考える名無しさん:03/01/30 00:16
>>35 そんなもの、書くだけなら鷲田小彌太だってかけますがな
37 :
考える名無しさん:03/01/30 00:18
>>1 ドイツ人男性であること
全ての大哲学者はヨーロッパの男だ(イギリスは微妙)。
日本の哲学者もある程度評価されてるのは男だけ。
カントを読めばわかるけど。やっぱ女には哲学は無理
38 :
Kurihara:03/01/30 05:08
>>28 カントとニーチェがヒュームで繋がっている
ことを理解するためには、ドゥルーズの哲学
を見れば明らかですが、そのことにさえ気付かない
サルが多いということですね。不勉強も甚だしい。
39 :
考える名無しさん:03/01/30 05:19
>>38 あなたの意見は求められていません。
不用意に主観的な意見を述べますと他の方の迷惑になりますので
どうかご遠慮ください。
40 :
考える名無しさん:03/01/30 05:28
見苦しいね、この人(プ
放置か?おれは。
ど変態のうえにどシロートだからってサベツか!?え?
いーけどよー、別にいよー
42 :
考える名無しさん:03/01/30 21:34
ドゥルーズはそれで何と言っているのですか?
まあ、いいです。(W
44 :
考える名無しさん:03/01/31 03:04
45 :
考える名無しさん:03/01/31 05:42
47 :
考える名無しさん:03/01/31 05:53
>>45 空気を読め。
Kuriharaという記号が示す物は思いのほか大きい。
出版元の印刷会社不明のえせ論文を卒論に引用することが不適当であることに近い。
もうネタスレ化
こんなんばっかで(゚听)ツマンネ
49 :
考える名無しさん:03/02/03 01:17
既出かな?
ともに独身でした。
50 :
◆fObrVSxiyA :03/02/03 01:23
双方向性における逆転移型抽象表現の根本ですね
51 :
考える名無しさん:03/03/02 15:36
52 :
考える名無しさん:03/03/02 16:17
結局カントとニーチェの共通点ってなんだったの?
神の死を宣言したところか?
真理の主体性。
カントを弄ると液が出てニーチェニチャしてくる。
らしい。俺は仏に童貞を誓ったからよく知らん。
55 :
考える名無しさん:03/03/04 05:47
ずばり、二人ともひげをはやしている。
56 :
(´-ω-`):03/03/04 05:49
あぼーん
カントとニーチェの共通点。
ショーペンハウアーがカントの二元論をもとに組み立てたものを
ニーチェが継承した。
ハイデッガーの読解で有名だけど、彼の哲学史観、解釈とも
現在の研究から見たらかなり偏向的なので、
あまり充てになりません。(特にアリストテレスとプラトン)
>カントとニーチェがヒュームで繋がっている
>ことを理解するためには、ドゥルーズの哲学
>を見れば明らかですが、そのことにさえ気付かない
>サルが多いということですね。不勉強も甚だしい。
ヒューム、カント、ニーチェ、いずれの学会からも
見放されているドゥルーズの思弁的解釈を信じてしまうお前がイタいw
61 :
煽りではなく:03/03/05 18:39
>>60 哲学では、学会から見放されていることは、
哲学説の価値と結びついているのでしょうか?
例えば、それならば、ニーチェ自身は、どういう扱いになるのでしょうか?
63 :
考える名無しさん:03/03/05 19:51
ラカンで繋がる。
ふたりとも真理に客観性はなく
真理とは個人が選び取るものだといったのでは
カントは理性とは感性を説明するものに過ぎないといってるし
ニーチェは自分の感性自らが作り上げた真理に従うことがいいといってる
以上公務員試験で勉強した程度のレベルでの意見だす
>>60 ドゥルーズって、学会から見放されてるの?
足立和宏によると、ニーチェに関しては
フランスにおける学会の親玉的人物だっ
たという話だけど。
見放された理由とか、どうせガタリと組んだからとかいう、
政治的理由じゃないの?
カントは理性の限界を知っていた。
それをヘーゲルが絶対知などというものを持ち出して捻じ曲げたと言える。
ニーチェら実存主義者たちはある意味カントへの回帰だ。
(^^)
68 :
考える名無しさん:03/03/25 05:01
あげ
69 :
考える名無しさん:03/04/02 02:22
ヒュームって何?
(^^)
∧_∧
( ^^ )< ぬるぽ(^^)
ヒューム管
━―━―━―━―━―━―━―━―━[JR山崎駅(^^)]━―━―━―━―━―━―━―━―━―
∧_∧
ピュ.ー ( ^^ ) <これからも僕を応援して下さいね(^^)。
=〔~∪ ̄ ̄〕
= ◎――◎ 山崎渉
75 :
考える名無しさん:03/06/09 18:31
マスコミの盗聴、盗撮は許されるのか?
http://natto.2ch.net/mass/kako/974/974478132.html 489 名前: 文責:名無しさん 投稿日: 2001/04/11(水) 17:25
一般人なのに盗聴される、じゃなくて、「一般人だから盗聴される」んじゃないのかな?
基本的にネタ集めのためにやってんなら、有名人のネタを盗むと、有名人は告発できるし、
そんなことされても当たり前だと思われるので告発しても信じてもらえる。
そうでない人は、ここの途中の書き込みにもあったように「電波」扱いされるだけ。
ただで、ネタを仕入れるんなら、一般人に限るでしょう。
マスコミは自分らの無能さを恥じてほしいです。
ちなみに私が盗聴されはじめたのは、芸能人にストーカーされ始めてからでした。
そこからマスコミに広がって行った。
だから余計「妄想」とか思われそう。
友人に話したら完全に病気扱いされた。ストーカーって言葉がない時代だったしね。
書いておいておいた小説のネタが、他人の原作でドラマ化されたときにはきれまくっ
たなあ。(一度や二度のことじゃないけど)
======================================================================
やっぱりこのスレもレベル低い。
↓は文学板のニーチェスレだ。
http://book.2ch.net/test/read.cgi/book/1056203249/ 文学板>>>>>>>>>>>>>>>厨房板>>>>>哲学板
だから哲学板は文学板の人間にレベルが低いってバカにされるんだよ!!!
======================================================================
__∧_∧_
|( ^^ )| <寝るぽ(^^)
|\⌒⌒⌒\
\ |⌒⌒⌒~| 山崎渉
~ ̄ ̄ ̄ ̄
79 :
考える名無しさん:03/07/20 17:58
いばるな!
西尾幹二が禿げてるからって
>>29が正しいと思いますが、
ニーチェは第二純粋理性批判なんて呼ばれたりしますよ。
共通点:小難しいことを考えるのが大好き
>>80 正しいって何だよ。
学校のテストの答え合わせか?
アフォか。
だからおまいはダメなんだよ。
(⌒V⌒)
│ ^ ^ │<これからも僕を応援して下さいね(^^)。
⊂| |つ
(_)(_) 山崎パン
84 :
考える名無しさん:03/09/02 02:25
ちぃミーラバーかだー ッて山崎謂ってるzoo
カントの「人間は先見的なカテゴリーの枠内でしか認識できない。したがって
物自体は認識できない」と、
ニーチェの「事実などない。あるのは解釈だけだ」と
いうのは同じことです。
って、何度もいってんのに。
86 :
考える名無しさん:03/09/02 02:47
>>85 カントは神、不死、自由を考えるのは理性の越権である、と言ったが、それは
ニーチェの「真理とは、それなくしては特定種の生物が生きることができないかも
しれないような種類の誤謬である」と同じことですね。
88 :
考える名無しさん:03/09/02 02:57
東浩紀の「存在論的郵便的」のなかで、フロイトとハイデガーを比較する
とこがあって、結局かれはフロイトの方をとるんよね。つまり、深層がない
っつーか、浅いというか動物的欲望だけがある、というか・・リビドーとか
ね。そしてまた、ニーチェもそうで、「深層」に「力への意志」しか認めない。
というより、「無い」のかな。そーなってくると、深層から響く声ー存在の呼び声
ーなんか、聞こえない人、ということかな。
ましてユングなどまったくわかるまい。ニーチェ/フロイトラインは、生理的
欲望のラインでしか人間を語らないんだよね。それが、彼の批評の歪みの根本だよ。
89 :
考える名無しさん:03/09/02 05:33
泳げない。
>>87 やっぱりわかる人にはわかるんだな。
少し救われた気分。
91 :
考える名無しさん:03/09/06 01:25
野球が下手
僕は詩人で芸術家で思想家のひかるです。
お前らのようなくだらない哲学者ぶってる奴にも、
ニーチェを超えた僕の高貴な哲学理論(ひかる主義)を教えてやってもいい。
掲示板にどんどん書き込んでくれ。ただし、荒らし厳禁。馬鹿丸出しの糞AAも貼るな。
特に女性は歓迎します。携帯の番号教えてください。
『Cracker Terrorism 国際貴族主義連合』
URL「
http://www.geocities.jp/hikarurutakashi2000/framepage5.htm」
注:僕は気難しい。くれぐれも敬意を払って発言してくれ。キレる。
僕は統合失調症だから何をしても許されるエリート。それを忘れるなクズども。
93 :
考える名無しさん:03/10/04 21:08
>>92 おまえまだ、そんなこといってんのか?
5年くらい前からヤフーの哲カテでもそんな調子だったろ?
成長しねえな。
94 :
考える名無しさん:03/10/05 21:37
そんなに昔から?
95 :
考える名無しさん:03/10/22 09:12
だいたいカントもニーチェも両方読んだことのある人がいるのかね?
よんだよ
97 :
考える名無しさん:
脳内大丈夫か? と言ってみる