1 :
考える名無しさん:
『死に至る病』
岩波文庫 本体560円+税
キェルケゴール著 斎藤信治訳
デンマーク語→ドイツ語→日本語
2 :
考える名無しさん:03/01/17 01:15
>1
卒論に苦しんでるのか?
理由なき絶望でつか?
哲学科行きたかったけど、哲学科じゃないんです。
哲学科行ってたら、きっとこの世にはいなかったでしょうね・・
おもしろくもない経済勉強して、卒論も提出済み。
で、時間ができたからゆっくり哲学書読みたいんです。
今は、第一篇の2、「この病(絶望)の普遍性」ってとこまで読みました。
案の定、難しい本だし、誰かと一緒に読んでいきたいんです。
私は哲学的センスもそんなにないって思うし、それでも哲学っておもしろいから。
ちなみに、中島義道さんの本が好き。
これまで、純粋理性批判読んだけどさっぱりって感じ。
ちょっと語弊があったかもしれないので訂正します。
中島さんの本は数冊読みました。カイン、孤独について、哲学の道場、私が嫌いな10の言葉。
で、中島さんとは関係なく、カントの純粋理性批判を読んだってことです。
文才なくてごめんなさい
6 :
考える名無しさん:03/01/17 02:27
自分も岩波から出てる死に至る病を読んでいます。
っていっても、まだ2,3ページしか読んでないんだけど。
個人的に第一篇の1のAとBが最初のヤマだと思います。
1ページ読むのに、すごく時間かけました。
何度も読み直したし。
一緒に頑張って読破しましょう
>哲学科行きたかったけど、哲学科じゃないんです。
>哲学科行ってたら、きっとこの世にはいなかったでしょうね・・
なんで?
>>8さん
哲学科を選んでたら自分が一番興味ある独我論を専門に勉強していたと思うんです。
独我論は論破不可能だと考えてるし、したがって他人の実在証明も不可能と考えていて、
この世ってのは結局は自分の主観だって考えているんです。
そう考えるといつでも死ねるような気がして。
ヴィトゲンシュタインの本とか読むと独我論がしばらく頭から離れない。
幸い、自分の知識が浅いだけに、死なずにすんでいるような気がしてます。
答えになってないですね、ゴメンなさい。
10 :
苦しんでる人:03/01/17 02:42
>8
んな野暮な事聞くもんじゃねぇ
>>10さん
哲学者の親戚とかには自殺者が多いような気がするんですよね・・・
キルケゴールの従兄弟やヴィトゲンシュタインの兄、さらには中島義道さんの哲学仲間などなど。
苦しんでる人が多いんですね、哲学やってる人って。
哲学科出たけど、死にたいと思ったこともないし、
独我論者でもないんですよ。
たしかに野暮なのかもな。
>>12さん
ソクラテスのように賢くないので「無知の知」って言葉を使うのは不適切かもしれませんが、
あなたの読んだ本とか教えていただけませんか?
この無知な私には哲学書は宇宙みたいなもので、難しく、かつ無限だと思うんです。
今はとりあえず死に至る病を読んで、実存主義について少しわかった気になりたいんです。
この本読み終えたら、方法叙説でも読んでみようと思うんですが。
だけど、デカルトもなんか適当みたいな気がしちゃうんですよね。
それで踏み切れない。
しぶしぶ神の存在認めちゃったみたいだし。
私は優秀な学生じゃなかったんで、あまり参考にならないと思いますが、
実存主義については、『死に至る病』の後、
実存主義についての解説書(一般向けか初学者向け)、
それと意外に、『存在と時間』(解説書に助けをかりながら)よむと
もっとわかった気になれると思います。
(^^)
16 :
考える名無しさん:03/01/19 03:01
age
17 :
絶望より絶壁:03/01/19 06:15
本はいつまでに読み終わるべきですか?
18 :
考える名無しさん:03/01/20 01:00
みんな読んでる?
19 :
考える名無しさん:03/01/20 01:37
>>14 『死に至る病』→『存在と時間』は木田元が通ったコースだけど、
木田元が言う通り『存在と時間』は哲学科の学生じゃないと読むのは解説書の助け
を借りても読み通すのはかなりきついんじゃないかと思うのですが、
どうでしょう?
20 :
考える名無しさん:03/01/20 01:47
私も昨日から『死に至る病』読んでます、がんばりませう
色々な本読みながら、読んでいるので、
中々進みそうにないな〜。
>1
僕も大学4年社会学部です。『死に至る』は大学入りたてに一編まで読んで
「絶望は罪である」は読みませんでした。あのときはノートに要約やフレーズ
を書き出しながら読んでいたのですが難しいですね。確か「死」とは
実際的な死ではなくて、キリスト教の教義における「死」でしたよね。
序文読まないと次進みませんから序文から要約してきましょうか?
では読んでいきます。また
23 :
考える名無しさん:03/01/21 12:20
鳥肌が立ちました・・・
24 :
考える名無しさん:03/01/21 18:11
(´∀`)マアマア ミンナ オパーイモモウヨ
25 :
考える名無しさん:03/01/21 23:50
『絶望は本書全体を通じて病として理解されているので、薬として理解されているのではないということを
ここではっきりと注意しておきたいのである。絶望はそれほど弁証法的なものなのである。
同じように死もまたキリスト教の用語では精神的な悲惨の絶頂を示す言葉なのであるが、
しかも救済はまさに死ぬことにおいて、往生において、成立するのである』
序。13ページ。
これは本文を読んでいく上での注意だと思う。
それをふまえて本文を読んでいってほしい、みたいな。
ここでなぜ『絶望はそれほど弁証法的なものである』という等式が成り立つのか。
それをまず解説していただきたい。
27 :
考える名無しさん:03/01/24 17:00
今第二編。もっかい始めから読み直そうかなぁ。
28 :
考える名無しさん:03/01/24 18:50
可能性の絶望が必然性の欠如なんだよ
29 :
考える名無しさん:03/01/25 00:04
30 :
考える名無しさん:03/01/25 00:33
>絶望はそれほど弁証法的なものである
神の救済が必要という前提がキルケゴールにはあったから。
31 :
考える名無しさん:03/01/25 00:37
>>30 死に至る病はキリスト教を勉強したことを前提に読むべきでしょうか?
32 :
考える名無しさん:03/01/25 00:49
勿論聖書の知識はあった方がいいけれど前提とまで言わないよ。
オレは読んだ当時は前提知識ほぼゼロだったし。
隣人愛がキルケゴールにとっては重要だったように思う。
「あれかこれか」「愛の業」も読んでみて。
33 :
考える名無しさん:03/01/25 00:56
自分の場合はソクラテスのイロニーの話でいまいち分からなくなってしまいました。
プラトンを先に読んだ方がいいのかなと思って岩波文庫で読んでます。
34 :
考える名無しさん:03/01/25 01:00
「可能性の絶望」=「必然性の欠如」ということ。
キルケゴールは「死に至る病」の中で「人間は可能性がなくては生きていけない」
と言っている。つまり可能性は人間に必然のものということになる。
その必然である可能性に絶望するということは可能性という必然性が欠如しているということと同義。
35 :
考える名無しさん:03/01/25 01:07
とりあえず、解説者の皆様方、序の部分の解説をお願いできますか?
36 :
考える名無しさん:03/01/25 01:13
可能性というのはもっと卑近な言い方をすると未来志向ができるということじゃないかな。
子供が未来志向で老人が過去志向と言うけれどそれは人生を客観的な時間だけで考えるから。
子供であろうが老人であろうが必要なのは未来志向。残された時間の量ではなくて。
そういう志向性がなければ未来に対する漠然とした不安から生きることが苦痛になる。
キルケゴールはそういう意味で可能性が必然だと言ったんだと思う。
>>35 あれは全体としてヘーゲル(哲学は教化的であってはならない)に対して
キルケゴール(哲学は教化的であるべき)が批判しているものだよ。
またヘーゲルのように思弁だけで多数の中のひとりとして人間を把握するのではなくて
ひとりの単独の人間として把握できるということが言いたいんだと思う。
キルケゴールの実存主義はヘーゲルの思弁哲学に対する批判から生まれたものだから。
哲学史を概観すると前の思想の批判によって次の新しい思想が生まれてるでしょ?
39 :
考える名無しさん:03/01/25 12:52
へーゲルキリスト教って何?
キルケ キリスト者の行動をしよう
40 :
考える名無しさん:03/01/25 13:42
よく解らないけど「死にいたる病」ってうつ病じゃないの
41 :
考える名無しさん:03/01/26 01:14
ヘーゲルの哲学ってすぐに衰退したんだよね
科学の発達って運が悪かったな
42 :
考える名無しさん:03/01/27 01:51
age
43 :
考える名無しさん:03/01/29 19:21
精神医学の祖はよく、フロイトで決まりと言われますが。心理学の基礎を築いたのは、
このキルケゴールです。
今日的な意味での心理学とは違うんじゃない?
寧ろキェルケゴールの心理学は人間学に近いかと。
45 :
シュムパラネクローメノイ:03/02/13 01:19
ブラント・ブランシャード氏の有名らしい論文「Kierkegaard on the Faith」が
どうやったら入手できるか御存知の人居ませんか??
キルケ研究してる教授に聞く
47 :
シュムパラネクローメノイ:03/02/14 01:51
教授はこのスレの中に居る。絶対居る。
いや、いないでしょ?
そもそも「2ちゃん」ってそういう人はあんま見ないと思うけど。
49 :
考える名無しさん:03/02/14 08:26
>>45 キルケ研究してるわけじゃないが。
タイトルは Kierkegaard on faith (the はつかない)じゃない?
著者名: Brand BLANSHARD
タイトル: Kierkegaard on faith
雑誌名・巻号・刊行年:
Personalist. Vol.49, Nr.1 [1969]
(University of South California, ISSN: 00315621)
学生なら、図書館の相互利用で他大学からコピーを頼む。
次のページで、国内の所蔵がわかる。
http://webcat.nii.ac.jp/cgi-bin/shsproc?id=AA00336958 ただし、Vol.49 のあるところ。例えば、上であがってるところで言えば、
九大、阪市大、天理図、法大はこの巻の所蔵なし。
学生じゃなくても、公立図書館などで同様のことはできるはず。
51 :
シュムパラネクローメノイ:03/02/16 23:00
≫49
情報本当に感謝します。タイトルの誤り然りです……
53 :
考える名無しさん:03/02/20 00:52
死すべくして死ねぬ病
実存と言う言葉自体が不思議な響きを持っていますね
「市にいたる病」とは絶望のことだ。
それをいろんな角度から、階段を登りつめるようにその深刻さの度合い
の過程を分析してる。
要するにそういう絶望の過程をキルケゴールも歩んだはずだし、
それでそういう経験を詳細に分析したわけだ。恐るべし。。。。。
そこから「神への信仰」にジャンプすることで、絶望を乗り切る
最後の、しかも最高の架け橋としてるわけだけど、そのときの
「自己」の状態の定式があったよな。。。忘れたけど。。。「自己に関係する
自己が。。。何とか。。。」
要するに有神論の実存主義者。
サルトルは無神論の実存主義者だったけど。
56 :
考える名無しさん:03/02/24 11:10
市に至ってもなあ
自己とは自己自身に関係するところの関係である。だったっけか。
ナイスな日本語さね。
実存主義哲学には,無神論も有神論もあること手をお忘れなく・・・・・・・
一度通して読んだことがありますが,もう一度読み返してみたいと思ってい
ます。
60 :
キルケガード:03/03/09 20:24
このスレッドかげながら応援してます。
61 :
シュムパラネクローメノイ:03/03/09 20:45
皆さんは、自分のことが好きですか、嫌いですか?
或は自分が好きであるという自分が嫌いですか? その逆ですか?
或はそういうことを全然気にしませんか?
62 :
考える名無しさん:03/03/10 00:06
ちくま学芸文庫から出てる「死にいたる病」ってダメですか?
スレ違いだったらスマソ。
個人的に・・私は以前自分が嫌いであるということが少し好きでした。
でもそのうち自分のことが嫌いになりすぎてそんな自分も嫌いになって、
自分を好きになりたいと思いました。
今は今の自分が好きな自分が割と気に入っています。
>>62 ちくまのがいいYO!
解説詳しいしね。岩波のは訳が古い。
桝田がよろしいかと。
65 :
考える名無しさん:03/03/10 11:35
>>65 レスありがと〜。
そうそう、ちくまって解説詳しいんですよね、ちょっと高いけど。
岩波のほうは、安くて、手に入りやすいから有名なのかな。でも活字がちょっと見辛い……。
66 :
シュムパラネクローメノイ:03/03/11 12:33
》63
自分が嫌いな自分、というのが好きな状態であれば
そんな自分が嫌になって でも嫌う自分が好き みたいな
循環に陥りますよね。よく脱出しましたね…
67 :
考える名無しさん:03/03/11 17:50
読 ん で ま す か ー ?
(^^)
英語ならもうちっと解りやすいか
とペンギンで呼んでみたが難解。
岩波のはアイロニーとか皮肉とか
面白く読めますた。あとハイデッガーは
つらかったら木村敏なんかどうでつか。
>>65 レス遅れました、すんません(−−)(__)
岩波の邦訳は評価高いのかな?内容理解に関してはちくまがいいかと。
そういえば同じ訳者がショウペンハウエルの『自殺について』も岩波で翻訳してるよね。
なんか書名だけなら似てる・・・。
因みに中央公論社の「世界の名著キルケゴール」の中の『死に至る病』も桝田でした。
ちくまとは違う解説付きでしたよ。けどボリューム的にも内容的にもちくまがいいかと。
ところでちくまと言えば『誘惑者の日記』、『誘惑者の日記』と言えば『あれかこれか』、
あれかこれかは読んだ?俺今読んでるんだけど俺にとっては難しいよ〜(涙)
因みに未知谷版で読んでます。
「恋愛の最初の時期より美しいものは決してない。」
キルケゴールの目指した愛はこんなものではなかったんだよね。
けど溺れる(笑)こういう本能的な愛に・・・
美男子版とセムシ版の
キルケゴールAAだれか
うぷして!
73 :
考える名無しさん:03/03/14 14:17
このように下がっているということもまた
絶望の一形態なのでageてみる。
>>64 結局、ちくまの「死にいたる病」を買ったんですけど、読み始めてみたら、ちくまで良かったー、と思いました。
訳注・解説(150ページ! 気合い入ってますねー)と本文を交互に読んでいけば、なんとか理解できそうです。
岩波だったら、ちんぷんかんぷんだったかも。
特に、冒頭の「その関係それ自身に関係する関係である」とか、
「その関係に関係するのであり、その関係においてその関係に関係するのである」とか、普通、わかりません(笑)
「誘惑者の日記」も「あれかこれか」もまだ読んでないです。「死に〜」が初キルケゴールなので。
>>74 そうそう
冒頭の「関係」連発のとこはわかりにくいよね〜
内容が分かってから読むと分かるんだけど初めて読むには難しいよね。
ちくまの桝田訳は文法的な解説とか他の訳との比較もあるし必要な背景知識が
無駄と思える程あるとこが個人的にはかなり好きです。
岩波は「古典を安価に」という目的らしいから解説のボリュームとかは仕方ないのかも。
桝田訳岩波文庫刊の「反復」を復刊してほしぃー
>>75 「反復」は古本屋にゴロゴロ転がってるよ。
77 :
三島の由起夫君:03/03/16 02:21
あんたらの『肉体』そのものが『死に至る病』なのです。
脳が腐敗する課程を『老成』と言います。
私はそれを耐える『鈍感さ』を獲得できなかった。
いや、敢えて獲得することを拒否したのです。
5歳からもう老化は始まっているし、誰もそれを止めた人類は居ない。
老人が支配する国家などに何の意味がある?
三島は「絶望して
自己自身であろうと
しない絶望」じゃん。
おととい本屋で「死にいたる病」岩波文庫と「存在と時間」岩波文庫を買いました。
そしたらぜんぜんわからん。
ご多分に漏れず関係のところで難渋しました。
そして半分諦めかけていた時に見つけたのがこのスレです。
おかげで希望が見えてきました。ここはひそかに良スレですね。
とりあえずチクマ文庫版「死に至る病」を買いに行ってきまーす。
>>79さん
たまにこのスレに遊びに来てください。
自分はもっとキルケについて語り合いたいので。
周りには先ず、いませんから。トホホ・・・
81 :
考える名無しさん:03/03/24 04:37
>>25 まず弁証法的という用語の意味ですが、ちくまの訳注によれば
「キルケゴールにおける弁証法という用語は、およそ、相反すること、あるいは
互いに矛盾することが、一つのものについて同時に言われる時に用いられる。」(訳注10)
となっています。つまり、ここでの「弁証法的」という用語の意味は、
絶望が病であると同時に薬である、ということでしょう。
従って、こう考えられると思います。キルケゴールはこの箇所において、
絶望ということに関して、何が弁証法的であると言っているのか。彼は、
「絶望が病として理解されており、薬として理解されてはいない」
ということが弁証法的である、と言っているのではない。
「絶望が病として理解されており、薬として理解されてはいない」
ということをはっきり注意しておく必要があるほどに、絶望という概念が
弁証法的である、と言っている。
言い換えれば、彼が言いたいのは
「絶望は、病であると同時に薬であるようなものなのであるが、本書においては、
あくまでも絶望を病として理解(解釈?)し、その上でそれについて論じていく
つもりである。」
ということではないでしょうか。
>>81 同意です。
キルケゴールの弁証法は神と人間を峻別する質的弁証法。
人間は主体的な存在であるという意味で絶望は「病」。
何故なら人間が人間自身を尺度として自己を把握しようとしても
それは人間という枠内に収まってしまうから。
但し神の前に単独者として立った時、絶望は「薬」となる。
何故なら尺度が神となることで人間は永遠の可能性を手に入れるから。
「あれかこれか」の選択しかないということは「主体的真理」を表している。
「あれもこれも」という「客観的真理」など存在しないという考えだから。
人間という枠内で収まるなら「病」でしかなく、
神と単独者としての関係を結ぶなら「薬」となる。
「あれかこれか」
つまり代替可能な一個の人間に納まるか、神と単独者の関係を結ぶか
それによって絶望は「病」で終わりもすれば「薬」ともなる。
83 :
考える名無しさん:03/03/24 13:19
キルケゴール論で必読の文献といったら何がありますか?
アドルノなんかどうですか?
84 :
ここまでのまとめ:03/03/28 06:26
85 :
考える名無しさん:03/03/29 02:44
ああ、このサイトの本文のほうにも解説が少しあった。
わかりやすいかも。
「存在と時間」の要約もある。
87 :
考える名無しさん:03/03/29 16:53
なんか最近、キルケゴールの研究もアメリカが進んでるって話を
聞いたけど、ほんと?
デンマーク語は必修にしても、その他の言語では、
一時期のようにドイツ語ではなく、英語をやっといたほうがいいとか。
88 :
考える名無しさん:03/03/29 17:25
デンマーク→日本語の訳がある。
89 :
考える名無しさん:03/03/30 20:22
キルケゴールって、若い人たちにいまも人気あるんだろうか。
90 :
考える名無しさん:03/03/30 20:52
ヘーゲル先生はさすがに、まだ死んでないかと思われ
マルクスの唯物史観がへばってくると、なおさら(^^;
ようやく筑摩版の「死にいたる病」をゲットしますた。
新宿ならたいていあるだろうと思って余裕かましてたら見つからなくて、
青山ブックセンターでようやく見つけました。
紀伊国屋にもないなんて恐ろしい・・・。
ちなみに現在まだ表紙も開けてません。
キリケゴールって、シェリングの反ヘーゲル論の講義に
出席していたんですね
93 :
キルケガード:03/04/02 15:15
「死に至る病」の「至る」が、無駄におもく感じませんか?「死に至る病」を、
「死を意味する病」あるいは「ほんとうの死」という意味と想定して読むと
わかりやすいことが多いと思いました。「死に至る病は絶望である」というとき、
従って「本当の死とは絶望である」。やりすぎですか。
94 :
考える名無しさん:03/04/02 15:23
シルヴィアーヌ・アガサンスキーってひとのキルケゴール論誰か知ってる?(仏語)
>>91 意外とないよね。
読んでて分からないこととかあったら書き込んでくれ。
答えられる自身はないけどw
みんなで考えたいところダナ。
96 :
考える名無しさん:03/04/04 18:50
第2部第3章なんですが、罪が積極的だというときの、
「積極的」の含みがいまいちわかんないす。
97 :
考える名無しさん:03/04/04 18:55
64>
ちくま学芸文庫、岩波文庫よりよさそうですね、確かに。
>>96 キルケゴールにとって、罪とは「積極的」なもの。
何故なら人間は神に比べて無知で無力な存在であり
その人間と神の間にはあまりにも大きな断絶が存在し
人間はその差を埋めようとする為に罪を「積極的」なものとせざるを得ないから。
人間は神を越えることはできず、それ故に罪は先験的に「積極的」なものとなる。
しかしヘーゲルにとって、罪は「消極的」なもの。
何故ならヘーゲルは神を思弁によって概念的に把握できるとし、
神と人間の間を思弁によって繋ぐことができるとするから。
これはヘーゲルがそもそも罪を「消極的」なものと考えていることの証左。
その消極的な罪を否定することによって罪を「積極的」なものとしている
ヘーゲルの罪に対する積極性は実は「消極的」なものでしかないということ。
何故ならそれは既に罪を「消極的」なものとした上でそれを否定しただけに過ぎないから。
「否定の否定は肯定」「二重否定は肯定」「マイナス×マイナス=プラス」という論理でしかない。
キルケゴールは罪は「信仰」によってのみ把握できるとする。
ヘーゲルは罪は「概念的に」把握できるとする。
キルケゴールは神と人間の越えられない断絶をソクラテスの「無知の知」に喩える。
人間が如何に無知であるかを知ること。それこそまさに神と人間の間の断絶を知ることと同義。
そうであればこそ罪が「積極的」なものとなる、ならざるを得ない。
思弁教義学はヘーゲルやマーテンセンのことを示唆していて
人間と神の和解が思弁によってなされるとする。
そこには人間の神に対する畏敬が存在せず
思弁という呪術によって把握する「消極的」なものとなる。
キルケゴールはヘーゲルの近代合理主義的な人間の思弁に対する絶対的な信頼ではなく
あくまで信仰によってのみ神を把握できると考えた。
だからここでいう「積極的」というのは「人間の神に対する畏敬」という隠された前提によって意味を持つ。
100 :
考える名無しさん:03/04/05 07:01
とりあえず、
罪が信仰において把握されることを積極的とよび、
罪が思弁で把握されることを消極的とよぶ
というところでしょうか。
101 :
考える名無しさん:03/04/05 07:15
積極と消極は相対概念だから、「罪は積極的なものである」
とだけいってもほとんどなにもいっていないのとおなじなんだよね。
「山は積極的である」とか「鍋は積極的である」というのが、それだけでは
なんのことかわからないのと同じように。
だから、積極的ということばの意味するところこそが問題であって。
で、もちろん、積極的なものが何かを考えるとき、同時に消極的な
ものを考えないと、本質をとらえそこなう、と。
102 :
監禁コンクリート殺人事件の真実!!!!:03/04/05 09:52
ほんとの話です!!!!!!
女の子が40日間渡って監禁され、計100人ぐらいに強姦、朝から晩まで超暴力と超陵辱された。ヤクザ顔負けのリンチで、天井に血が飛び散っていた。(深くかかわったのは5,6人)
膣を灰皿代わりにされ、自慰(オナニー)を強制され、jfghjgfjgf
真冬に裸で外(ベランダ)に出され、裸で踊らされ、手足を押さえつけられ、膣やお尻の穴に鉄の棒を突っ込まれ、膣やお尻の穴に花火を入れ爆発させ、20キロの鉄アレイを身体(裸体)になんども落とされ、瞼(まぶた)に熱いろうそくをたらされ、
手足を押さえつけて、膣にマッチ棒を入れられ燃やされ、膣の中のや裸体をライターで火あぶり、精液を大量に飲まされ、500ccの尿を飲まされ、基礎の他むちゃくちゃ。(生きてるか死んでるかわからないが)ゴキブリも食わされたそうだ。
女の声だが、人間とは思えない叫び声(悲鳴)(絶叫)を上げ続けた!苦しさのあまり何度も気絶した。
殺された彼女の親友が言うには、監禁され殺される一日前、幽霊(生霊)となって「助けて!」と親友に助けを求めたが、親友はどうすることもできず、泣きじゃくった。
「狂宴犯罪」は 一ヶ月以上 続いた 。
そして(失禁して)死んだ。(殺された)i78i78i78i
専門家によると自死(あまりのつらさに耐え切れず、脳が死ぬことを選択した。(命令した。)らしい。(死体にの脳は溶けていたらしい)
死体の顔は目の位置がわからないほど、変形し、親でも誰かわからず、原型をとどめてないほどで、性器のほうは顔よりもっとひどく完全に破壊されていた。死体には髪がなくなっていた。
40日間の監禁で極度のストレスのあまり全部髪が抜け落ちた
死体の膣(マンコ)にはオロナミンC2本、入っていた。
「裁判記録」は死ぬほどエグイ内容であった。「コンクリート詰め事件」で検索すればわかる。
(俺は何時間も涙が止まらず、夜も何日も眠れなかった。たとえ99.9%の人が幸せでも残る0.01%の人が(超)不幸なら、そんな世の中、絶対承認しない!!!!!そんな世界いらない!!!!!絶対、絶対いらない!!!!!絶対認めない!!!!!)
l;ok;l(私の心の底からの叫びでした。)
もし心にきた方は過去ログ26に俺の思いが書いてあるので読んでください!!!
DSFDSFASDSADADADAD
つぶやきでも発言しましょう。つまんないよー。
104 :
考える名無しさん:03/04/05 22:45
誘惑者の日記はおもしろいね。
>>100さん&101さん
そんなとこだと自分も思います。
書いてるうちに長くなってしまいました。
すいません(−−)(__)
書いてて思ったのですが
ヘーゲルが完成させた近代哲学から
僕達はまだ脱しきれていないように思います。
そういった意味でもキルケゴールの人間に対する哲学的思索の意味は
今日においても有意義であると思っています。
それがたとえ「信仰」を必要とする意味で受け入れられなくても、です。
>>93 「至る」には絶望が段階的なものであることを明示する為の訳出じゃないかな?
キルケゴール自身、絶望に様々な段階を想定してるでしょ?
段階と言うと語弊があるかもしれないけれど適当な言葉が見つからないので・・・。
「絶望=死を意味する病orほんとうの死」は確かに分かり易いと思うんだけど
それだと死と病がそのまま同じように感じられない?
自分は死に至る病の「死」が「精神的な死」であることが大切だと思う。
だからあくまで「精神的な死」に至る病が絶望であって、
だからこそ「人間は精神である」という緒言があるのだと思います。
「罪は積極的なものである」の部分でキルケゴールが言いたかったのは
ヘーゲルのような神と人間の思弁による和解は不可能で
神と人間には深い溝があるぞ、ということが言いたかったのだと思います。
結果として「思弁」を否定して「信仰」を主張しているという感じだと思います。
108 :
考える名無しさん:03/04/06 19:40
みんなどうしてキルケゴールをよもうとおもったの?
>>9 独我論は論破不可能だし、したがって他人の実在証明も不可能だけど、
他人の不在証明も不可能だよ♥
110 :
考える名無しさん:03/04/06 20:21
月並みな言い方だが、人間に対する深い洞察の存在を感じたから。>108
111 :
考える名無しさん:03/04/06 23:33
死に至る病を読んだあと、著者が言うところの絶望的な人の例を
いたるところに見ます。たとえば、顔が不細工なのを絶望と思いこみ、
整形で顔をなおして絶望から解放されたと思うのは、まさに絶望。
絶望であることを知らない絶望ですね。
112 :
考える名無しさん:03/04/07 02:15
ニーチェ読んだら?
>>90 ヘーゲルがその後の哲学から批判的にとられるということは
それだけ大きな問題を提出してくれたということだと思います。
ヘーゲルはそれ以前の哲学に対する批判を多く含んでいるということでもあると思いますし。
マルクスの哲学も現実に共産主義の欠陥が明らかになったからといって
価値が全くなくなるものでもないと思う。
そこには資本主義の矛盾に対する批判精神が含まれているし
それが現実に現在解決されたとも思えないですし。
哲学が提出した問題が歴史に残るとしたら
そこに何か新しい問いと人間の思想の発展の形跡があるからだと思います。
114 :
考える名無しさん:03/04/08 22:24
一編のCのBのb(自分が絶望であることを自覚している絶望)まで読み終えました。
一編のAとBは難しかったけど、「絶望の諸形態」からだんだん頭に入ってくるようになって、面白くなってきました。
とはいえ、それでも難しいことには変わりないんですが。
それにしても、岩波じゃここまで辿り着けなかったw
訳はやっぱりちくま学芸文庫がいいですね。訳注が詳しいのも嬉しい。
115 :
考える名無しさん:03/04/08 22:28
みんな「死に至る病」で好きな記述ある?
俺は・・・
「一般に、孤独への要求は、人間のうちに精神があるということのしるしであり、
またそこにある精神を測る尺度である。」
独りでいるの好きです。
でも孤独とかよくないとか思ったことないんで、なんか安心。
117 :
考える名無しさん:03/04/09 21:13
>>116 わたしも孤独がすきですが、キルケは(仮名著者にたくして)
修道院的に世間の片隅に隠れているというのはうそくさいというような
ことをいっています(『あとがき』)。
むしろ、世の中にふつうに生きていながら心では隠れているという
incognitoのほうがうそくさくないんですね。
118 :
考える名無しさん:03/04/09 21:15
ところでわたしがキルケで好きな節は、というより、自分との一致をみざるをえない
と思い、キルケゴールにとりくまないと生きていけないと思ったのは、
絶望して自分であろうとするという、絶望の最終段階に位置する絶望を
語るくだりです。悪魔的な絶望というやつです。
http://www.89yashiki.com/hige_11.htm こちらの2000.11.10. にかかれている、自殺した高野氏も似た絶望のなかに
あったように思います。だれの手をも借りることができないという意味で。
わたしもこれに陥っていると思う。
といっても僕は野球とはまったく関係ないのですが。
119 :
考える名無しさん:03/04/09 21:22
次は『反復』ですね。
120 :
考える名無しさん:03/04/10 07:56
>>117 そうそう、キルケゴールは教会みたいな教団のキリスト教批判してるよね。
神の前にたった一人で立つ単独者という関係とは矛盾するからだろうけど。
キルケゴールの言う孤独は常に単独者概念と関係しているように思います。
キリストは生きている間は勝利を得たのではなく、
むしろ彼の生涯は卑賤かつ悲惨そのものでした。キリストと同時代の人にとっては
キリストを信ずることは大いにつまずきでした。なぜならこんな卑賤な男を
神と信じなければいけないのだから。またキリストを信仰することは命がけ
でした。既存の枠をはみ出した教えだったのだから。
ところが後世の人々は、キリストの輝かしい面しかみず、なんのつまずきも
なく(うまれながら)キリスト者になっている。
同時代として生まれたとしても、つまずきをのりこえ、
信じることができるのが本当のキリスト者だ、というのが
キルケゴールのキリスト教会批判の趣旨です。(『キリスト教の修練』など)
参考になさってください。
ぼくら東洋の人は、ヨーロッパ人のようにどっぷりと教会的キリスト教に
そまっていないから、キリスト者となるかならないかは一人一人の選択
として迫ってきますので、もしかしたら僕らのほうが
(キルケゴールのいうところの)本当のキリスト者になる条件に
めぐまれているのかもしれません。むろんキリスト教が気になりはじめた
人にとってですが。
>>108 高校の時カミュで名前を知って読み散らかし、
最近になって木村敏を経てニーチェと共に
再読しています。ところで『あれかこれか』に
モーツァルトが出てくるけどキルケゴールが
ベートーヴェンを論じていたら面白いと思う。
>>122 (゚д゚)「異教徒」と一括され、百年早い、
往ってよし……てなことを言われそう。
キルケゴールに向かってオマエモナとは返せない……。
キルケで実存の源流をおさえたら構造のソシュールでも読もうか知らん
125 :
考える名無しさん:03/04/14 21:30
>>123 カミュってどこでキルケに言及してるの?
「キルケゴール」じゃなくて「キェルケゴール」だろうが。
127 :
考える名無しさん:03/04/14 22:50
キルケゴールの短い人生での生涯最大の課題は、「これが絶対である」
と彼が信じれるものをつかむことにあった。彼を読み解く最大のキーポイント
はここにあり、この視点からスタートすれば、理解が早いのではないか。
あえて「絶対」といって「神」と言わないのは、キリスト教徒ではあるが、
思弁哲学者でもある彼にとって「絶対的なもの」と「神」を究極において
同一と考えられなかったのだろうか。それとも、絶対的なもの=神は、
人間には到達不可能なものと思考し、絶望したのか。
とにかく、絶対的なものへのあこがれ(憧憬)が、普通人の何倍も
の感受性豊かな人間であったのでだろう。
非キリスト教徒であり、哲学者でもない我々でも、死ぬまでに「これが
絶対である」と言える信念のようなものをこの手でつかんでみたいとは
感受性の豊かな人間ならば誰でも一度くらい、抱くのではないか。
まあ、座禅でも組み、悟りを開けばそれに近い境地が得られるかも
知れぬが。何か話がだんだんそれてしまった。
(^^)
∧_∧
( ^^ )< ぬるぽ(^^)
131 :
考える名無しさん:03/04/20 10:28
みんな「死に至る病」は読み終わったのかな?
質問なくなったし。
次は「不安の概念」でも読んで語りませんか?
132 :
考える名無しさん:03/04/22 09:01
>131
読みたいなぁと思いつつ私に理解できるかと不安で
買うのを躊躇してました。
でもここ来て、いろいろ書き込みを見てるうちに挑戦してみる気になりました。
明日、ちくま書房の方、買って来ます。
133 :
考える名無しさん:03/04/22 10:49
>>132 是非一緒に読んで語ろ〜
キルケの中でも『死に〜』は読み易い方だから大丈夫だよ。
134 :
bloom:03/04/22 10:50
135 :
考える名無しさん:03/04/22 14:36
>133
ありがトン。
がんばって読みます。
136 :
考える名無しさん:03/04/22 16:56
不安の概念持ってますけど、まだ読んでない。
死にと比べてどうですか>131さん
137 :
考える名無しさん:03/04/23 01:18
>>136 “形式的には”『死に〜』に近いです。
『あれかこれか』とか『反復』みたいな文学的なものではないので。
自分は『死に〜』を先に読んだのですが『不安の〜』を先に読むのもよいかもしれません。
キルケらしいヘーゲル批判(笑)とそこから生じる実存の思想の源泉みたいなものがあるので。
キルケの思想にとって人間の「不安」が実存の源泉であったように思います。
138 :
考える名無しさん:03/04/23 09:25
我ながら愚問だと思うのですが
絶望の諸相はDSM-IVで分類すると
どれがどれに相当するのでしょう。
弱い(女性的)絶望は回避性人格障害だとか
強情な(絶望して自己自身であろうとする)絶望は
なんたら人格障害だとか……。どうも
月とスッポンのようですけれど。精神科医って
フロイドやヤスパースはともかくキルケゴールを
読んでいるんでしょうか?
139 :
動画直リン:03/04/23 09:27
140 :
通行人A ◆GX28RG1p/Y :03/04/23 11:44
141 :
考える名無しさん:03/04/23 14:02
142 :
あろえ ◆MDoGd06DxE :03/04/23 21:38
人間が神の御前においては単独者なのは確かだけど、
それを教会批判にするあたりはやはりプロテスタントですね^^
143 :
考える名無しさん:03/04/24 01:32
>>138 そういう考察は面白いNE!
ところで精神科医はヤスパースを読むものなんですか?
無知ですいません・・・
おもしろくないよ。
絶望は人格障害ではない。
145 :
考える名無しさん:03/04/24 01:35
2ch常習荒らしは、死に至る病的に言うとどうなるかな?
147 :
考える名無しさん:03/04/24 01:37
144>
と、一言で言い切ってしまえるのかな?
148 :
考える名無しさん:03/04/24 01:40
>>145 絶望すら出来ないかもしれない。なぜなら・・・
「人間は自己であり、精神であるからこそ、絶望することができる」
(キルケゴール)
149 :
考える名無しさん:03/04/24 01:46
いやあ、2ch常習荒らしも人間である以上は、精神であるはずだが。
>148
キリストはツールです。
個人の資質です。
日本の性質は、生息分布に近いと思います。
無意味です
151 :
考える名無しさん:03/04/24 03:23
確かに、無意味だね。これも精神の謎のひとつ・・・。
>>145 パスカルの言う「気を紛らわす」人、
ハイデッガーの言う「世人」etc.の
中でも飛び切りの屑が荒らし連中。
>>147 DSMはもっぱら症状の分類に徹していて
病理なんかマトモに扱っていない。
せいぜい薬物依存性に拠るとか
器質的欠損に拠るとか、……「自己」が
「自己」とどのように不仲なのかなんて
記述を求めても無駄。逆に個体の内面の
「関係の不調」なんか考えんでも
ホイホイと病名が付けられるから
アフォな医者には便利なんだろうね。
153 :
考える名無しさん:03/04/25 09:24
俺の友達の大学で卒論に「死に至る病」を取り上げて
死を肉体的な死と誤読して、批判的な文章を書いて教授を怒らせたらしい
>>152 「気晴らし」も「世人」も道徳的に劣った在り方ではないよ。
人間である限り、この状態から逃れられる人はいないんだよ。
自分の都合のいいように解釈するのは止めましょう。
156 :
考える名無しさん:03/04/25 09:40
( ´,_ゝ`)プッ
154 名前:考える名無しさん :03/04/25 09:28
>>152 「気晴らし」も「世人」も道徳的に劣った在り方ではないよ。
人間である限り、この状態から逃れられる人はいないんだよ。
自分の都合のいいように解釈するのは止めましょう。
155 名前:考える名無しさん :03/04/25 09:35
>>154 劣った在り方です。
156 名前:考える名無しさん :03/04/25 09:40
( ´,_ゝ`)プッ
158 :
考える名無しさん:03/04/25 11:08
>>1 私は大学で哲学を専攻したんですが、大学時代はプラグマティズムや論理実証主義などを勉強してました。
数学基礎論とか記号論理学も修めました。今の職業はソフトウェアエンジニアなので役に立っています。
学生時代にキルケゴールのレポートを要求されたんですが、解説書だけ読んで直接文献にはあたりませんでした。
しかし、社会に出てから思うところあって、クリスチャンになり、初めて本気でキルケゴールなどを読みました。
『死に至る病』等はクリスチャンだとある種の切実さとかなりの具体性をもって理解することができます。
もともとキルケゴールは哲学書としては平易な方だとされていると思いますが、クリスチャンからすると全く難解ではないです。
哲学で理性の憩いを求めた後はキリスト教で肩の荷を下ろしてください。
159 :
考える名無しさん:03/04/25 11:14
ハイドンやモーツァルトの
ディベルティメントは好きですが何か?
岩波文庫で読み終わった俺様は偉い。読み終わった事でキルケゴールは私の中で、俺以下の存在になるのだ。俺様偉い。
タイトルに「死」「病」なんて、縁起が悪いから読まない。
164 :
考える名無しさん:03/05/05 00:41
>>163 それはいいことだ♪
読まないにこしたことはない。
果てしない実行力のなさー♪
最後のあたりのキリスト教に関する記述がさっぱり理解できません。
もし物好きなクリスチャンがいるなら私に教えてくださいませんか。
167 :
DECKS, EFX & 909@ひろゆさ ◆CUNTj.p1hk :03/05/06 21:05
(;‘仝‘)ノ<高校生の時買ってみたけど、
/(ヘ ω )ヘ意味解らなかった。
今度また読んでみます。
168 :
考える名無しさん:03/05/06 21:20
さあ、哲学板のインテリ賢者のみなさん、この私を納得させてごらんなさい。
納得させられなかったらそれは知の欺瞞よ。
私の腑を落してくださるのはどの殿方かしら?
わくわくしますわ。
さあ、インテリ賢者同士しのぎを削って私のハートを射止めるのよ。
キリシタンよ。
キリシタンはおらんのか。
171 :
考える名無しさん:03/05/07 02:22
>>ぬm88
質問に具体性を持たせてくれぃ
172 :
考える名無しさん:03/05/07 02:23
>>ぬm88
どこまで分かってどこから分からないのかを、だよ。
173 :
キリシタン:03/05/07 02:29
お呼びですか?
174 :
お代官さま:03/05/07 02:48
火あぶりじゃ!
175 :
考える名無しさん:03/05/07 02:51
お前もワルのよう
そう言うお殿さまも、山吹色にはぞっこんでございましょう?
又八はおらんかえ?
178 :
モンティ・パイソニアン:03/05/07 10:07
止め〜い! どんどん下らなく
なっている。次、「信仰と実存」!
ああ、実存は信仰に先立つ〜♪
起こったことは全て神の御技〜♪
>174 火あぶりじゃ!
「お代官さま」→「大審問官」の方が
良かったんじゃない?
181 :
考える名無しさん:03/05/07 14:29
まさかの時にスペイン宗教裁判!
日本は恥の文化で、欧米国家は罪の文化だそうですね。
じゃあ「罪」を「周囲の目」に置き換えても、問題はありませんね。
お客様は神様です。
183 :
考える名無しさん:03/05/08 01:17
問題あります。
>182
韓国は怨の文化で、日本は恥の文化だそうですね。
じゃあ「恥」を「怨」に置き換えても、問題は
大有りじゃないか! 一緒くたにするなよ〜。
キリスト教の神の概念がさっぱり理解できない故に焦って見ました。
友人らと馬鹿笑いしている学生時代の友人は「死ぬがよい」
俺様を被害妄想に引きずり込む笑い声をする人間どもだ「死ぬがよい」
その少し前だ、少しだけ前だった。その頃なら甘んじて救いを受け入れた。しかし私は弱かった。
学校が変わっただけで友達が作れなくなった。昔の友達は同じクラス。でも他の大多数の知らない人間達の中じゃ、私は全然話せない。
だって人間皆平等に接しないといけないじゃないですか。どうしてそう極端なんだ。
いまじゃもう固まってしまった。もう戻らない。私は友達をもてない、と言う事を前提にして生きていくしかないんだろう。
どんなに楽しそうに笑う友人を見ても「本能的な人間どもめ、私はもう苦笑うことしかできない、もうとてもあの馬鹿の輪に入る事はできない」
キルケゴールの問題。
これなんだ。
187 :
考える名無しさん:03/05/08 22:33
「信仰と実存」とりあえず、「信仰」から
んー、まず信じなきゃ始まらないのか・・・
困ったね。
188 :
考える名無しさん:03/05/08 23:44
>>187 信仰というが必ずしも宗教的信仰ではないよ。
189 :
考える名無しさん:03/05/08 23:45
>キルケゴールの問題。
>これなんだ。
本気で?アニメだけ見てれば良いんだよ、君は。
嫌ったなーこの俺を嫌ったなー俺を馬鹿にするのに俺を愛さないのか矛盾している
私はもしかして哲学している自分に酔ってはいませんか。
192 :
考える名無しさん:03/05/09 20:07
>>191 せめて「自分がある」ということはどういう事か考えてくれ
離人症ではないということか
ところでキルケゴールの言った「詩人は自分に絶望している」ってどういうつもりでしょうか。
詩人は愚鈍な大衆を新しい絶望に引き上げることができるかもしれませんが、詩人は何も変わりません。
詩人は中途半端な絶望の中で自分に浸ってるだけじゃないですか。
195 :
考える名無しさん:03/05/13 21:46
132さん、読んでますか?
196 :
あぶらハム:03/05/13 23:41
「おそれとおののき」がお薦めです。
この中に絶望が積極的である所以が描かれている。
調律だけでも読んでみて
197 :
考える名無しさん:03/05/15 00:05
「おそれ〜」は、白水社の?
「後書」も欲しいけど、キルケの本って、手に入りにくい。。。
図書館で借りるしかないか。。。
198 :
考える名無しさん:03/05/15 13:01
お初です。
最近荒れ気味なカンジですな。
挫折→再読中です。
なんか面白い話題、振りたいなぁ。
199 :
考える名無しさん:03/05/15 13:05
詩人はその機能のために使われている、神の道具である。>194
200 :
考える名無しさん:03/05/15 16:29
キルケゴールは何故レギーネとの婚約を破棄したのか?
201 :
考える名無しさん:03/05/15 16:44
@キルケゴール個人の性的な問題
Aソープランド通い
B愛するが故に突き放した
@キルケゴールの猫背は幼い頃に痛めた腰の影響とされているので。
Aキルケゴールはレギーネと会うまでは放蕩な生活をしていて、
その時遊んだ女性達との間に子供が出来ているかもしれないという不安があった。
B審美的段階から倫理的段階へと深まろうとすればする程結婚が審美的なものでしかないと考え、
愛するが故にその段階までレギーネを道連れにする訳にはいかなかった。
202 :
num88:03/05/15 22:07
人間は平等じゃないのー
203 :
考える名無しさん:03/05/16 08:29
まだ始めの方なんですが、ちょっと「関係」=「自己」ってのがよく判らない。
自己っていうのは、関係項の状態(均衡が取れているとかいないとか)やそれに対する態度ってモンでしょうか?
すると、本来的/非本来的というのはあくまで状態のコトであって、「自己」としては本質的には同じモノ?
204 :
考える名無しさん:03/05/17 00:42
>>203 ぼくもそう考えました。
先ず、キルケゴールの求める本当の関係とは神との関係です。
ただその前に「関係それ自身に関係するところの関係」があり、
その中に様々な絶望の諸形態があることを第一篇で著しています。
そしてさらに第二篇では神との関係を著すのです。
キルケの言う自己というのは「関係それ自身に関係するところの関係」の過程において
内面的・主体的・積極的行為を取る。ということだと思います。
そういう意味で非本来的な関係が内面的でも主体的でも積極的でもないことから
結局本来的な関係へと還元される意味で「関係それ自身に関係するところの関係」は
ひとつしかない、つまり自己としては同じ種類のもだと思います。
「自己としては同じ種類」というのは神との関係に対して、という意味で共通しています。
何故なら「関係それ自身に関係するところの関係」における自己が
「絶望して自己自身であろうとしない絶望」ではなく「絶望して自己自身であろうとする絶望」に
「非本来的な自己」ではなく「本来的な自己」に還元されますが
そのような「自己自身であろうとする・本来的な自己」自体が絶望だからです。
そうではなくてキルケはその絶望の源泉が神との関係にあると言いたいのだと思います。
205 :
考える名無しさん:03/05/17 00:58
つまりここでは3つの関係が考えられます。
@「絶望して自己自身であろうとしない関係」「非本来的な関係」
これは「他者」依存した関係です。受動的で観照的な態度です。
A「絶望して自己自身であろうとする関係」「本来的な関係」
これは「自己」に依存した関係です。能動的で行動的な態度です。
B「神との関係」
これが神に依存した関係でキルケの目指す関係だと思います。
(「依存」というと語弊があるかも…でもイイ言葉が思いつきません…。)
@はAに還元されAはBによって絶望を克服するという過程だと思います。
それ以降はまた読んでから書き込んで話し合いませう。
206 :
考える名無しさん:03/05/17 20:30
キルケは家に籠もって何を考えてんだ。
207 :
考える名無しさん:03/05/20 07:31
キルケゴールを読むならよぉ!!
哲学とか実存の勉強の前に!!聖書を!暗記しろ!聖書を!理解しろ!!
そうだろそうだろそんなことやってらんねぇだろ!毎日聖書を朗読して見ろほらみろ やってらんねぇぜ!!ははははははははっはははははは!!!!ははははははははっはははははは!!!!ははははははははっはははははは!!!!
ははははははははっはははははは!!!!ははははははははっはははははは!!!!ははははははははっはははははは!!!!ははははははははっはははははは!!!!v
ははははははははっはははははは!!!!ははははははははっはははははは!!!!ははははははははっはははははは!!!!
ははははははははっはははははは!!!!ははははははははっはははははは!!!!
ははははははははっはははははは!!!!ははははははははっはははははは!!!!
ははは!!!!ははは!!!!ははは!!!!ははは!!!!ははは!!!!ははは!!!!ははは!!!!
ははは!!!!ははは!!!!ははは!!!!ははは!!!!
ははは!!!!ははは!!!!ははは!!!!ははは!!!!ははは!!!!ははは!!!!
ははは!!!!ははは!!!!ははは!!!!
ははは!!!!ははは!!!!ははは!!!!ははは!!!!
208 :
考える名無しさん:03/05/20 22:30
必要なのは聖書の暗記ではない。キリスト者として生きることの自覚だ。
━―━―━―━―━―━―━―━―━[JR山崎駅(^^)]━―━―━―━―━―━―━―━―━―
210 :
考える名無しさん:03/05/21 22:00
やっぱり西洋哲学無理だ。神が理解できない。
日本人なら多神教です。神様はいっぱいです。ご飯粒にも三匹の神が居るのです。
お前さんも死んだら神様にはなれませんが、輪廻の輪から外れたら神です。
日本は日本です。異文化コミュニケーションはいけませんね。
小学校の時に外人さんのクラスメイトが居ました。舌足らずな訛りが子供っぽく、実にかわいらしい。
そういえば中国出身の日本のアイドルは舌足らずが可愛らしい。しかし考えている事は子供ではない。
しかし声が第一印象となり、その外人は子供っぽい奴だと思われる。いつも子ども扱い。真面目にいっても聞いてくれない。
思えばあの時酷い事をした。異文化コミュニケーションはイヤだ。だからキルケゴールも理解できないんだ。外人は所詮外人なんだ。
━―━―━―━―━―━―━―━―━[JR山崎駅(^^)]━―━―━―━―━―━―━―━―━―
213 :
考える名無しさん:03/05/22 15:34
死にいたる病とはすなわち絶望であるなら、ゴキブリホイホイの中で
身動きできずにストレスで死んだゴキブリは絶望という死に至る病にかかったわけですな?
214 :
考える名無しさん:03/05/22 15:37
ゴキブリに、自己に関係する自己、精神が存在するならばね・・・。
215 :
考える名無しさん:03/05/22 15:40
虫だって絶望ぐらいするんじゃなかろうかと思うんだが。
217 :
考える名無しさん:03/05/22 15:45
それは虫を擬人化していると思う。あなたがもし虫だったという
思考実験なのでは?
218 :
考える名無しさん:03/05/22 16:01
ストレスで死ぬってことは、絶望だろう。
虫にだって、その程度の単純な感情ぐらいあるはずだと思うよ。
ロボットじゃないんだから。
219 :
考える名無しさん:03/05/22 16:06
絶望ということばは色々に使用できる。あなたが使用している
のは、キルケゴールとはまったく関係のない「絶望」、まったく
平準化して理解されたかぎりの「絶望」ですね。
220 :
考える名無しさん:03/05/22 21:20
とりあえず君らは絶望してないから安心するがいいよ。
221 :
考える名無しさん:03/05/22 21:49
キルケゴールも神は理解などできていないし
できるとも思ってないよ。
222 :
考える名無しさん:03/05/22 22:34
キルケはすばらし・・・?
223 :
考える名無しさん:03/05/23 19:47
キルケゴールの言葉を曲解しているかも知れない私が、一言いわせていただきます。
「この世の真理に近づくものは一部の人間だけでもいいのだ」
そんな事をキルケゴールが言っているように思えて仕方ない。
キルケゴールも抑圧された精神の部分が多かったようですから、弱者の言い分として考えたいと思いますー。
ニーチェvsキルケゴールで絶望者のキルケゴールが負けですか?
224 :
考える名無しさん:03/05/23 19:58
キルケゴールは家に篭っていたのに違いない。あるいは出不精だったに違いない。
家に縛られると自分というモノに対して認識が強くなる。自分はここに居る、そんな事を考えるようになる。
アンネの日記を読んだ事がありますか?ところでこのレスはイカレた人間のたわごとだと思わないで欲しい。
アンネの日記を読んだ事がありますか?自分という存在を強く感じるようになると、あんな風になるんです。自意識過剰とも。
アンネの日記を読め。読みなさい。なんの為にキルケゴールを読んだのか言ってください。
交流が大事です大事。なんの為にキルケゴールな事態になったのか解決してください。
ノミは己の力を誇示するために、刺し跡に赤い斑点を記念碑的に残しました。
ああそうか、それでプライドの高いイギリス人はノミ一匹やっつけるにも、
ベッドに火を放ったんだな。
226 :
考える名無しさん:03/05/24 08:24
その例えの意図がわからん
>>223 ニーチェ:トンコツ醤油ラーメン(家系)
キルケゴール:トンコツラーメン(桂花)
勝ち負けではなく好みの問題ではなかろうか。
コペンハーゲンのセムシ男VS脳梅毒狂人の決闘……
見たくねえやそんなもんヽ(`Д´)ノ
反復かったよ、場末の古本屋で百円。
∧_∧
ピュ.ー ( ^^ ) <これからも僕を応援して下さいね(^^)。
=〔~∪ ̄ ̄〕
= ◎――◎ 山崎渉
230 :
考える名無しさん:03/05/28 20:58
>>228 いいなぁ〜
俺は神田の古本屋で400円くらいしたというのに・・・
ただ「反復」は試作という感じだよね
頑張ってください、陰ながら応援します。この本は読むに値する数少ない書物の一つです。
旧約聖書も読んでください。じゃーね、ばいばい。
232 :
考える名無しさん:03/05/29 20:33
今日から読み始めました。
何を質問したらいいか分からないほど、分からないことだらけです。
このスレ、参考にさせていただきたいので、
今後もどうぞ続けていってください。
233 :
考える名無しさん:03/05/29 20:36
>223
良いか悪いかとかいう問題ではない.
結局アフォはアフォでしかないのが真理.
234 :
考える名無しさん:03/05/29 22:35
>>232 今まで哲学書読んだことある人ですか?
哲学の場合はじっくり読むのがいいですよ。
曖昧なまま読むと余計分からなくなるんで。
このスレ続けてほしかったらどんどん書き込んでくだされぃ。
>>234 一応、哲学科出身です。
というのは、
・サークルとバイト中心で不勉強
・しかも、要領が悪くて2年留年
・挙句の果てに、インチキ卒論で卒業
こんな感じだからです。
「実存主義」という思想の内容と、その流れを詳しく知りたいと思い、
この本を読むことにしました。
この本を読んで理解していくために、
最低限、どんな知識が必要ですか?
とりあえずキリスト教の知識が必要なのはわかりましたが、
その他で何かあったら教えてください。
>>235は、名前を間違えました。
232でした。すまんです。。。
>>235 訂正
3行目 というのは→「一応」というのは
以後、ちゃんと推敲します。。。(汗
238 :
考える名無しさん:03/05/30 23:57
有神論
239 :
20歳 男 社会人:03/05/31 11:13
自分がコこのスレに場違いなヤシかもしれませんが
哲学・思想の必要性は重々感じています。
自分の身内が早くになくなっているので、人間の死とか、絶望というものを考える必要性に迫られています。
キルケっちゅうひとは確か、両親を早くになくしたんじゃなかったですかね?
自分の身内が突然なくなるという、体験を通じて
これまで、自分なりに「死」というものを、真剣に考えて生きてきました。
ときには頭が狂いそうになることもありました。でも結局、「死の恐怖を乗り越えることは出来ない」という考えに落ち着いています。
でも、人間は死に直面しないと、本当の自分には出会えないという、死に直面してこそ人間は実存に目覚めるとか・・・(ヤスパースでしたっけ?)
高校のときの倫理の教科書に載ってましたし、そういう思想にいくらか助けられたこともあります。
学生時代から倫理・哲学の授業だけは好きでした。
しかし、教科書おの哲学は面白いが、実際に本を読んでみるとその難解さに圧倒され、結局読みきることが出来ません。
みなさんどういう本からスタートしたんですか?
240 :
ジョン・ケイジ:03/05/31 11:26
学生時代にキルケゴールの『死に至る病』を読んだけど、やっぱりキリスト
教と哲学の知識が無いとわからない部分が多いと思う。ただ、私が何故この本
を読んだのかという理由は、当時、若者らしい(?)悩みを持っていたため、
それを解決したいという単純な動機だったと思う。なぜか理由はわからないけ
ど絶望したり、自殺を考えたりしていたから。だからキルケゴールの言葉で、
好きな部分を勝手に解釈して、勝手に助かった気になってます。こういう動機
や利用法は、哲学好きな人やキリスト教信者からは邪道なのかもしれないけど、
私という個人にとっては、とても大事なことだった。
ちなみに、彼の言葉で好きなものを、ここに書きたいと思います。
「死が最大の危険であるとき、人は生を願う。彼がさらに怖るべき危険を学び知るに至る
とき、彼は死を願う。死が希望の対象となるほどに危険が増大した場合、絶望とは死に
うるという希望さえも失われているそのことである」
キェルケゴール『死に至る病』
当時、なぜか自殺願望が強く、なぜ、そんな感覚になるかを知りたかった。
社会学者デュルケームの『自殺論』を読んだりして、それなりの理由を見つけたかった。
今は自殺願望なんて、ほとんど無いけどね。
241 :
ジョン・ケイジ:03/05/31 11:36
あと、学生時代に引きこもりのような状態になっていたので、次のような
文章は個人的にシビレました。きっと哲学的には間違った解釈なんだろうけど、
自分のことを言ってるみたいで、勝手に慰められました。
「さて可能性が必然性を放棄し、その結果自己が可能性のなかで自己自身から離れ去って
再びそこにもどり来るべきなんらの必然性なるものをもたない場合、これが可能性の
絶望である。自己は抽象的な可能性となる。−自己は可能性のなかでもがき廻って疲れ果てる
だけであって、その場所から外に動きだすこともまたどこかほかの場所にゆきつくこと
も共にできない。」
「彼は自分の自己を空想的に可能性の鏡のなかに映して見ることによって、自己自身を
喪失したのである」
「可能性というのは、子供が何かの遊戯に加わるように誘われている場合に似ている。
子供はいつだって加わりたがっている。ところで問題は、両親がそれを許すかどうかで
ある。この両親がちょうど必然性にあたるのである。」
「ところで、最後に、自分のなかに閉じこもっている人間−彼は閉鎖性のなかで足踏み
している−の内部をもう一度ばかりのぞいてみることにしよう。この閉鎖性が絶対的に
保たれている場合には、あらゆる点において絶対的に完全に保たれている場合には、彼に
尤も近く迫っている危険は自殺である」
キェルケゴール『死に至る病』
242 :
考える名無しさん:03/06/02 00:05
自殺の話かぁ。
印象としては「誘惑者の日記(だっけ?)」と「若きウエルテルの悩み」に感じる、似て非なる部分なのかなぁ、って。
ま、女性に対して抱く感情が違うから、比較するのはおかしいと思うけどサ。
243 :
考える名無しさん:03/06/02 00:10
本でだらだら読んでると分かりづらいけど、
ジョン・ケイジさんみたいにポイントを抜き出したものを読むと、
結構分かりやすいかも。。。
244 :
考える名無しさん:03/06/02 06:38
あれっ?
死≠生命の終りじゃなかったっけ?
245 :
考える名無しさん:03/06/02 10:20
キルケゴール曰く
キリスト教的な意味では、死は一切のものの最後ではなく、
無限に多くの希望が、死のうちにあるのである。
246 :
考える名無しさん:03/06/03 10:48
死は一つの通過点に過ぎない。
247 :
trtrr:03/06/03 12:06
ははは笑わせるな
どうも理解以前にちゃんと読んだことあるのかって書き込みがちらほら
よくわかる哲学といったような本読んで語っていない?ひょっとして
ノウンコ)〜〜 プゥ〜ンかまってかまってかまって
(;;;;;;;;;;;;;;;)〜〜〜〜 プゥ〜ンかまってかまってかまって
(;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;ヽ〜〜〜〜 プゥ〜ンかまってかまってかまって
/:::::::::::::::::::::::::::::::ヽ 〜〜〜〜 プゥ〜ンかまってかまってかまって
人;;;;;;;;;;;;チンカス;;;;;;;;;;;;;;;)クサイ クサイ
。 川|川/珍∴米\ b〜 プゥ〜ン
。‖|‖.゚◎---◎゚|〜 ゚プゥ〜ン / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
川川‖∵∴゚。3∵゚ヽ〜。゚ 。 。 <俺は絶対ビッグになって、女の子にモテモテになるぞー
川川∴゚∵∴)д(∴)〜゚ 〆⌒\。 \______________
。川川∵∴゚∵馬鹿・%〜。 (c人゚∴3
川川‖o∴゚〜∵。/。 ゚|゜#。゚。゚b。カユイ カユイ←自フェラしていて感染
川川川川売国奴‰U d゚。o∵。|゚ プゥ〜ン (黴だらけ)
U 〆∵゚‥。 ゚o゚ o\_ 。(・∀・。)プゥ〜ン
。 / \゚。∵糞∴o∴つ (c‥∵゚)゚
o |∴\ '''''゚''''''''''''つ U d;∵|:∴|゚。←無職、童貞、DQN、ヒキコモリ、ヲタク
%。゚。。‰∴。∵゚∴o゚ o (::c(∴゚)。o。。
|o∵o。。| ̄ ̄
250 :
>>241:03/06/03 13:15
。・゚・(ノД`)・゚・。
251 :
考える名無しさん:03/06/03 18:24
ニーチェ房にキルケゴール房か。。。
253 :
ひきこもり:03/06/05 17:19
どうもーーーーーーーーーちくま文庫の死に至る病買いましたーーーー、
これから読み始めますーーーー、うわぜんぜんわかんねーよ、どうしよーーー
あれかこれかと迷っているうちにキルケに辿り着きました
256 :
ひきこもり:03/06/05 19:51
流し読みしてみたけど、あんまりおもしろそうじゃないかも・・・
430Pも使うほどかねぇという・・・
>>256 ひきこもりくん
キルケゴールのおもしろさが和歌欄なんて
君は不幸だ!
258 :
考える名無しさん:03/06/09 18:27
マスコミの盗聴、盗撮は許されるのか?
http://natto.2ch.net/mass/kako/974/974478132.html 489 名前: 文責:名無しさん 投稿日: 2001/04/11(水) 17:25
一般人なのに盗聴される、じゃなくて、「一般人だから盗聴される」んじゃないのかな?
基本的にネタ集めのためにやってんなら、有名人のネタを盗むと、有名人は告発できるし、
そんなことされても当たり前だと思われるので告発しても信じてもらえる。
そうでない人は、ここの途中の書き込みにもあったように「電波」扱いされるだけ。
ただで、ネタを仕入れるんなら、一般人に限るでしょう。
マスコミは自分らの無能さを恥じてほしいです。
ちなみに私が盗聴されはじめたのは、芸能人にストーカーされ始めてからでした。
そこからマスコミに広がって行った。
だから余計「妄想」とか思われそう。
友人に話したら完全に病気扱いされた。ストーカーって言葉がない時代だったしね。
書いておいておいた小説のネタが、他人の原作でドラマ化されたときにはきれまくっ
たなあ。(一度や二度のことじゃないけど)
マスコミの「盗聴、盗撮」は許されるのか?その8
http://natto.2ch.net/mass/kako/1011/10115/1011522150.html 263 名前: 文責:名無しさん 投稿日: 02/02/13 13:06 ID:8IjuyxoA
262続き
被盗聴・盗撮者の様子を盗撮カメラで窺い知っているのをいいことに、
例えば被害者が風呂上りのときなどにちょうど生放送が行われていた場合、
しかも渡りに船といわんばかりに被害者がその番組を見ていたり聞いていたりすると
出演者たちがテレビ・ラジオのオンエアでその被盗聴者の個人情報を
(カメラ・音声から窺い知れるもの。あらかじめ知識として得ていた被盗聴者の欠点
・羞恥に触れることなど)を手を変え人を代え、タイミングを見計らいほのめかしては、
それに対して被盗聴者が狼狽したり、怒ったり、騒ぎ出したりしたら大成功!
そのヒットの程を盗聴・盗撮によって確認次第、
なんと臨時収入のお手当てがあるというのです。
(それに類する書き込みをこの一連のスレッドでも確認しました。)
ある日のテレビ生放送番組
A「なぁ、Bよ、体格がガッチリしてる女ってどお?」
B「そりゃ選ぶ余地ってもんがあるときゃなーんか嫌だけど、
でも顔次第ってーのもアリだよな」
A「じゃあ、ガッチリあんど顔がゴリゴリだったらってぇ、
まんまそれじゃゴリラじゃん!」
B「オェーッ!、絶対やだー」
A「しかも頭にタイル巻いていたりして。オェーッ!」
B「しかも今お風呂上りなのぉーなーんて、気持ちワリー」
A「目がぁ、目が腐るぅ」
B「ウォー、○○子(私の名前)」
・・と、オーバーアクションで目蓋をを擦りつづけるA
その側で乱暴なゴリラのマネのような素振りをしているB・・
(”猿”を使った物造りが異常に多かったのはどうもこの私への
仄めかしの為のようなのです。何も疑うこともなくメディアの情報を
消費している方たちに、申し訳ない思いがします。)
467 名前: まとめ 投稿日: 02/02/26 12:29 ID:DUfBoTIy
彼らの意図は、ひとえに対象者へのダメージ効果を狙ってる
ということに尽きるのではないか。
追い込みをかけるということだ。
盗聴内容をテレビ番組や漫画に使うのも、
面白いものを作りたいのは二の次で、
それを目にした対象者への心理的ダメージ効果を狙ってる
と考えるほうが妥当だ。
その前段階で、対象者がどんなテレビ番組や漫画を目にしてるか、
どんなタレントを好むのかなどは情報収集によってリサーチ済み
なのは言うまでもない。
その情報収集手段としての盗聴盗撮がここで問題視されてるわけだが、
もっと原始的な手法として、知人友人を通しての情報収集もある。
また、隣人や上下階の住人による集音器の盗聴が挙げられる。
この場合深刻なのは、一挙手一投足が筒抜けなので、
直接的にダメージを与えることができる。
つまり就寝起床時や入浴時など、本来寛げる筈の時間に、
騒音などで効果的にダメージを与えることが可能になる。
マスコミの「盗聴、盗撮」は許されるのか?その8
http://natto.2ch.net/mass/kako/1011/10115/1011522150.html
470 名前: 文責:名無しさん 投稿日: 02/02/26 21:23 ID:Zn9ZMKQ4
>>466 >彼らの意図は、ひとえに対象者へのダメージ効果を狙ってる
マスコミの関係する盗聴・盗撮は、そこら辺のストーカー集団が
趣味でしているそれとは違う。対象者へのダメージというのは、
あくまでも手段の範疇で、最終的な目的ではない。この盗聴を止めない
理由には、もちろん被盗聴者に対しての何らかの感情が含まれているが、
(それがどんな感情なのかは、個々の被盗聴者によって異なっている
ものと思う)でもそれはあくまでも動機でしかない。それだけでは
国外にまで及ぶ大規模なものにはならない。
これらの盗聴・盗撮には、口外を防ぐための暗黙の協定のようなものが
しかれている。必要に応じて、被盗聴者についての対応を、
足並みをそろえて実行に移してゆく。それに呼応した創作を行ない、
横並びの見解から外れない発言をし、被盗聴者へのほのめかしを兼ねて、
あらゆる媒体を通してそれらを一般世論に流すことができる。
471 名前: 文責:名無しさん 投稿日: 02/02/26 21:24 ID:Zn9ZMKQ4
470続き
一つの盗聴・盗撮をさまざまな情報として加工した上、それを一般人に
消費させることができる立場にあるマスコミ人が盗聴者であるところに、
これらの大規模な盗聴・盗撮の旨味がある。
この盗聴の推進者にとって、被盗聴者の動向そのものが必要である
以上に、数多くの情報提供者がその様子を覗い聴いていることの
効用こそが、重要なのではないか。
そうやって出来上がっていった世情を揺るがしかねない装置が、
面識も認識も、これといった取り決めもないままに国外にまで及んで、
複数にも重層にも利権を絡み合わせている。
動機についても、目的についても、推進者についても、
これらの盗聴・盗撮はまったくもって一枚岩ではない。
マスコミの「盗聴、盗撮」は許されるのか?その8
http://natto.2ch.net/mass/kako/1011/10115/1011522150.html 583 名前: 文責:名無しさん 投稿日: 02/03/05 15:33 ID:A9o87Nml
フジテレビの10時からの番組は、この一つ前の
『どうなってるの』の時からして最悪。私の個人情報を使って、
丸一本「恐怖のサイテー女」とかいった特集を組みやがった。
素人投稿を騙っては、そのもの自体は必ずしも私とは
言いかねるようなものに、同じ名前、同じイニシャルを当てはめたり、
盗聴・盗撮をしているから分かるのであろう様子のほのめかしを
所どころに散りばめては、出演者総出で「サイテー、サイテー」を
連呼していた。
あざとさ極まったことをしながらも、司会者のY・Tと掛け合って、
私の個人情報をボロクソにこけ落としながら大笑いしていた
局アナのN・K(かな?)のけたたましい声が今でも耳から離れない。
仕事だから仕方がないのかも知れないけれど、
ここに出ている者はサイテー最悪の盗聴者。
でもここでの書き込みが筒抜けだからか、
最近は一頃の悪意に満ちたほのめかしが少なくなっている。
しかも明日の項目は「心の〜」だって。
この枠での私への盗聴ほのめかしは、とりあえずのところ
「許せない、とんだ賠償請求」みたいな感じの特集が最後となっている。
賠償を意識せざるを得ないほどに、本当はヤバい盗聴・盗撮と、
そこから得られる個人情報の悪用ですものね。
263 :
考える名無しさん:03/06/11 23:38
>>235 遅レス失礼です。
やっぱりヘーゲルだと思います。
ヘーゲルとの対比の中でキルケゴールの位置が見やすくなるので。
ただそれよりキルケゴールの著作活動の中で『死に至る病』が
どういう位置において書かれたのかということの方が有益だと思います。
今までの発言無意味になるけど・・・
個人的にはそんなに前提知識は必要ないと思いますよ。
ちくま学芸文庫だったら必要な解説は盛り込まれていますし。
264 :
考える名無しさん:03/06/11 23:47
つまり『あれかこれか』に始まる左手著作(エロス的著作)とは異なり
『死に至る病』が右手著作(宗教的著作)だということを念頭に置くことが大切です。
じゃあどうして左手著作を書くに至ったのか?
それはエロス的なものをキリスト教が拒絶するからです。
キルケゴールの考えるキリスト教においては神との和解はできないのです。
あくまで人間が精神的なものであるからこそ、獣とは違うからこそ
ロマンティシズムに安易に耽溺する訳にはいかないのです。
>>263 ありがとうございます。ためになります。
ヘーゲルですか。『小論理学』の途中までしか読んだこと無いです。。。
いまは、急にプラトンに興味が出てきてしまい、
キュルケゴールを保留にしてプラトンばかり読んでいます。
もうちょっと哲学史をおさらいしてから再開したいと思っています。
266 :
考える名無しさん:03/06/11 23:55
267 :
考える名無しさん:03/06/11 23:59
>>266 プラトン、いいですよね〜
というかソクラテスも含めてですけど(笑)
また読もうと思ったら書き込みにきてくださいね。
一緒に語りましょう。でわでわ。
しつこく書き込み(笑)
キルケゴールはニーチェと違ってソクラテス好きなので
良い前提知識になると思いますよ。
上のHPにも書いてあるので参考に覗いてみるとよいかも。
あ、264の3行目は“右手著作”の間違いでした・・・
失礼しました(−−)(__)
>>266-268 ありがとうございます。助かります。
ていうか、そのホーム・ページ、
「西洋思想史」「キルケゴール」「ソクラテス」って、
あまりにも今の私の興味にジャストミートなんでビックリしました。
デザインもかっこよくて、最高です!!
>>239 講談社から出てる文庫の
『哲学のすすめ』(岩崎武雄著)がおすすめですよ。
自然科学がどんなに進歩しても哲学の必要性がなくなることはないのが解ります。
薄いし、読みやすいので最初に読んでみる本としてはいいと思いますよ。
あと、実際に哲学者の書いた哲学書を読むなら先ず最初に
哲学史を知っておいた方がいいですよ。
時代とその文化によって思想は影響されやすいですし、
哲学は基本的に前の思想を乗り越えようとして新しい哲学が生み出されますから。
同じ岩崎武雄の『西洋哲学史』はおすすめです。
もう大分前に亡くなった人だから現代哲学が載ってないんですけどね・・・。
>>270 ですよね〜
インターネットにあんなまともなサイトがあるとは知りませんでしたよ!
勝手に37のレスで2ちゃん住人に知らせたのは僕なんですが(笑)
ホントにいいサイトなので敬意を表して、です。
273 :
20歳社会人1年生:03/06/15 19:23
>271 どーもです。
「自然科学がどんなに進歩しても哲学の必要性がなくなることはない」
そうですよね。禿働です。
「哲学史を知っておいた方がいいですよ。
時代とその文化によって思想は影響されやすいですし・・・」
あと、この部分ですけど、
簡単に言うと現代はどういう時代なんですかね、
自分の考えでは、
「科学的なもの、理屈で説明のつくものが全てを支配している、特に宗教になじみの薄い日本では、
だから白装束の集団などが出たときには、全国ニュースになり、少しでも奇妙な集団だという雰囲気が出れば、全力で非難される」
こんな考えなんですけど、
>>273 すご〜く難しい質問ですね(笑)
現代の日本を僕のようなアホが論じるのは畏れ多いのですが
あの白装束集団に見られるカルト教に傾倒する人間というのは
自己に対する認識の不明確な人に多いと思います。
自己に対して内省的になる人は(日本人であれば先ず)
宗教を必要としないと思うのですが白装束集団のような人達は
他者(ここでは宗教)に自己を投影することで自己を把握しようとします。
自己に対する厳しい認識ではなく他者に真理を求めるのです。
何故他者に真理を求めるのかと言えば現代が「中心の喪失」の時代だからだと思います。
ヨーロッパでは中世は主にキリスト教が、近代では合理的思考が「中心」となりました。
でも現代にはそういった「中心」が存在しないのです。
貧しい時代であればそれを考えずとも豊かさという二義的なものを「中心」として
すげかえることで生きていくことに苦悩することもありませんが現代は違います。
団塊の世代のおじさんが「最近の若いモンは・・・」と言うのは時代錯誤だと思います。
彼らは逞しかったというより外から「中心」を与えられていたに過ぎません。
現代は“外から”「中心」を与えられるような時代ではないと思います。
>>273 カルト教に傾倒する人には高学歴や理系の人が多いそうです。
高学歴の人というのは所謂エリートでおそらく殆ど挫折をしたことがない人達です。
つまり生きることではなく“如何に生きるか”ということに
殆ど疑問を持ったことがない人達です。
理系の人は勿論、合理的で実証的なものの考え方をします。
ただそれは同時に理性では把握できないものを軽視しがちです。
そういう人達だからこそ一度外から大きな力で「真理」のようなものを与えられると
簡単に傾倒してしまいうのだと思います。
それまで合理的に説明できなかったものが非合理的な合理性によって現れるのです。
そうしたらあとは坂を下りるように転げ落ちます。
そう考えると決して白装束集団を奇異な存在として虐げればいいものではないと思われます。
確かに彼等には内省的なものが欠けていたかもしれませんが「中心」が存在しないのは事実です。
彼等はカルト教に傾倒しましたが現代はこういう人間で溢れていると思います。
>>274 いいこと言っているが中心ってのはおかしい表現だと思う。
自己の中心はあくまでも自己自身でありこれは不変であると思う。
あなたが「中心」として説明しているのはそれは依代や拠り所といった方が適切だろう
全世界でハリーポッターが人気があることも関係しているだろう
人々は神秘的なものに救いを求めていると言える
米国のネオコンも経済的な支配が失敗した為、強いアメリカを求めたもの
だろうが、ネオコンはキリスト教的なものだから神秘的なものも含まれて
いるかも知れないな。
278 :
考える名無しさん:03/06/24 13:21
>>276 レスどーもです。
中心というのは随分と抽象的な表現ですが自分でもあえて曖昧さを残しました。
というのは時代によってそれが変わってくるものだからです。
貧しい時代には豊かさが中心になり得るのが現実だし
ヨーロッパでは中世にキリスト教が中心をなしたようにです。
>自己の中心はあくまでも自己自身でありこれは不変であると思う。
これは全く同意です。本当はこれが核心にくるべきです。
ただ人によってはこれを必要としないで生きていく人達がいます。
高度成長期には豊かさが常に先にあったから「生きること」に悩まなくても
「如何に生きるか」という疑問は必要とされませんでした。
そういう人達までも中心を意識せざるを得ないのが現代であると思います。
つまり代替されていたものがようやく露わになった。そういう時代だと。
本来的な意味で自己は中心ですが、それを大衆が意識するには
時代や環境も含めた時間の経過が必要だと思うのです。それが今の現代だと。
280 :
考える名無しさん:03/06/30 22:23
岩波版は既に持っていたが、
死に至る病 現代批判 白水社 買った。
原文と池澤夏樹の解説が付いてて、
尚且つ大きい本で読みやすい。
中古で安かった。
今邦訳で読める「死に至る病」は・・・
岩波文庫→斉藤訳(但しドイツ語訳)
ちくま学芸文庫→桝田訳
中公クラシックス→桝田訳 ※「現代の批判」含む
白水社→? ※「現代の批判」含む
といったところですかな。
282 :
考える名無しさん:03/07/03 05:56
haidega-
283 :
考える名無しさん:03/07/03 06:03
284 :
考える名無しさん:03/07/04 03:12
>>281 白水社のは、松浪信三郎と飯島宗享訳 です。
でも白水社のは、もしかしたらもう出してないかも。
285 :
@@@@@:03/07/04 13:04
>>284 あ、古本だったんですよね。
けどこないだ某大型本屋にありましたよ。
もう刷ってないかもですけど・・・。
287 :
考える名無しさん:03/07/09 05:31
初恋も買いました。
死に至る病をもう少し読んでから、
読み始めたいと思います。
皆さん死に至る病読み進みましたか?
288 :
考える名無しさん:03/07/10 19:00
キルケゴールの生涯を綴ったHPってありますか?
289 :
考える名無しさん:03/07/11 00:08
290 :
考える名無しさん:03/07/11 00:08
291 :
考える名無しさん:03/07/13 15:59
いいですね。キルケゴール。
私は今まで、絶望・死・病などの単語から、
これって太宰治?かと思って敬遠してたのですが。。
実はソクラテス寄りで、人間に内在するのだろう
宗教的善性に根ざしていない生活の問題点を指摘
している。でも、ネチッコクないし。
ソクラテスファンの私には、なかなか良かったです。
292 :
考える名無しさん:03/07/14 00:48
>>287 「初恋」読む前に「美しき人生観」を読んでみては?
「あれかこれか」の中で単独の読み物になりそうなのは
「誘惑者の日記」くらいかもしれないよ。
A(審美的人物)とB(倫理的人物)の対比で述べられてるから。
誘惑者の日記はほとんどAな感じだけどね。ただちょっと中間的。
それにしてもドン・ジュアン賛美は冗長だなぁ〜(笑)
__∧_∧_
|( ^^ )| <寝るぽ(^^)
|\⌒⌒⌒\
\ |⌒⌒⌒~| 山崎渉
~ ̄ ̄ ̄ ̄
294 :
考える名無しさん:03/07/17 23:02
全集高いよほ・・・
295 :
◆XzQ2d3UHLY :03/07/21 00:19
保守。
ID議論トリップ出してしまった……鬱。
297 :
考える名無しさん:03/07/21 02:35
「もし君が絶望して生きていたとしたら
たといその他の点で何を得、何を失ったとしても、
君にとっては全てが失われたのだ。
永遠は君を知らないという。
永遠は君を、金輪際、知らないのだ。
だが、もっとも悪い事には、永遠は君を知っている。
君が知られているとおりに知っている。
永遠は君の自己を通して、君を絶望の中に釘付けにしているのだ」
よくわからないです・・誰かここんとこ解説希望
298 :
考える名無しさん:03/07/21 19:24
有限の中に居て、永遠の光(闇)に照らされて、
立ち止まり、調和を獲ろうとしても、有限な得失は
ゼロに等しい。
永遠からは働きかけが無い。
が、君が自己を確立する正にその中に永遠は
有限と永遠という調和の絶望として現前する。
ってな意味かな?!
ぷううっ
300 :
考える名無しさん:03/07/22 14:08
>>297 >「もし君が絶望して生きていたとしたら
>たといその他の点で何を得、何を失ったとしても、
>君にとっては全てが失われたのだ。
人間にとって可能性は呼吸のように必然的なもの。
絶望とはそれが失われた状態なのだからすべてが失われたのに等しい。
>永遠は君を知らないという。
>永遠は君を、金輪際、知らないのだ。
>だが、もっとも悪い事には、永遠は君を知っている。
>君が知られているとおりに知っている。
一見、永遠は自己と無関係であるように思える。
俗っぽい絶望者はそう思う。親友が死んだ時は親友が絶望の源泉であるように思える。
でも実はその時こそその親友の死の先に人間は永遠を見ている。
それは人間に永遠を求める精神が本来あることの証拠。
その精神によって人間は神話や宗教で永遠の世界を物語ってきたように。
>永遠は君の自己を通して、君を絶望の中に釘付けにしているのだ」
自己は有限と無限の総合。それは有限な自己にもかかわらず永遠を求めるという矛盾。
その矛盾ゆえに人間は絶望せざるを得ない。絶望に魅せられる。
301 :
考える名無しさん:03/07/23 23:59
生まれたからには生きてやれ!
302 :
考える名無しさん:03/07/24 01:16
岩波文庫版で読んでて「躓き」が読めなかったヤツはいるか?
>>302 躓きっていうのは神学的には重要なタームらしいので、
読めないとまずいのかな?
なかなか読み進めません。
>303
遠藤周作『沈黙』は「躓き」の解釈の
試みとして読めると思う。
305 :
考える名無しさん:03/08/03 10:56
「ひきこもり」ってキルケゴールの「絶望して自己自身であろうとする絶望」のように
思えてならないんだけどみんなさんどう思いますか?
「彼は待たされたのである、今となってはもう間に合わないのだ、今では、今では、彼はむしろあらゆるものに向かって荒れ狂いたいのだ。
彼は全世界から、全人世から不当な扱いを受けた者でありたいのである。
彼には苦しみを自分の手許に持っていて誰にも奪われることのないように心がけることこそ重大なのである
―だって、そうでなければ、彼は自分の正しいことを証明することも、自分自身に納得させることもできないわけではないか。」
「今ここに絶望して自己自身であろうと欲する絶望者というのは、それを欲しない絶望者のことなのである。
彼はこの肉体の刺が抜き取れないほど深く刺さっているものと固く信じているので、彼はそれをいわば永遠にわが身に引き受けようと欲するのである。
(中略)刺にもかかわらず、刺のない自己自身であろうとは欲しない。
否、彼は刺にもかかわらず、全人世に反抗して、刺を備えた自己自身であろうと欲し、
自分の苦悩を誇るばかりにしながら、刺をになってゆこうと欲するのである。」
/⌒ヽ
/ ´_ゝ`)すいません、通りますよ・・・
| /
| /| | 目的地はどうやら哲学板ではなかったようです
// | |
U .U
307 :
考える名無しさん:03/08/16 10:04
絶望と逃亡は違うからね
ひきこもりはただの現実からの逃亡だろう
>>307 ひきこもりって自己愛が強いから強過ぎてひきこもるんじゃないかと思うんですよ。
精神病だったら自己愛が足りな過ぎるからだと思うんですけど。
とするとひきこもりは病気じゃないし、むしろまともな自己愛を持った人だとしか思えないんです。
ひっきーには社会に出たいと思いながらも出れないという葛藤がありますけど、
それは現実からの逃亡というよりも社会の同調圧力に耐えられないってことじゃないですか?
彼等は自己愛を安全に保てないからひきこもっているように思うんです。
むしろ逃げるだけなら適当に遊んで生きることの方が逃亡と言えるんじゃないですかね?
絶望しても尚自己自身であろうとすることにこだわっているのがひっきーだと思うんです。
だから社会との折り合いがつかずにひきこもっているんじゃないかと思います。
>>308 自閉症は器質的なものだと思いますけど。
ひっきーに気質的な問題はありませんよ。
310 :
考える名無しさん:03/08/20 12:35
ひきこもりこそ「地上的なるものないし地上的なる或るものにかんする絶望」だと思うがな
まあ一概には言えないが
絶望して自己自身であろうとするのは何でですか?
自己自身であろうとしないっていうのは、なんとなく分かりますけど。
何か具体的な例とかあったら教えてください。
>>311 んが?27のオッサンに判る様に質問してくれ
313 :
考える名無しさん:03/08/31 00:09
芋虫が変態して蝶に成る。>311
>>312 絶望すると、自分自身に嫌気がさすのは分かるんですが、絶望しても自分でいたいのは、どんな時ですか?
>>313 芋虫も絶望するんですか? とマジレス。
315 :
考える名無しさん:03/08/31 16:36
>>311 それは絶対者(神)の観念なしにはありえない。(だから、自己自身であろうとする絶望は悪魔
の絶望と言われている。悪魔は神観念を持っているし、神に反抗しているからだ。)
恐らく無神論者である
>>311は自己自身と自己との関わりしか持っていないから、その自己を
投げ捨てるかどうかという選択肢しかない。
ところが、絶対者の観念を持ってるならば、自己が関わるのは自分自身だけでなく、絶対者
にも関わることになる。絶望して、神へと反抗する時、絶望者は、自己自身であろうと欲して
いる。
カミュの反抗やニーチェの神の死の宣言などがこれにあたるだろう。
>>315 サンクス!よくわかりました。
なんか仏教の「我執」みたいですね。
317 :
考える名無しさん:03/09/01 22:09
神の観念というか神的なものと言っていいと思うが。
要は絶望してもその絶望を失うと自己自身でなくなってしまうということでしょ。
自己言及に必要だから苦しいけれど自己自身でいようとする。
『罪と罰』のマルメラードフみたいなもんで。
言いたいことは同じだが。別に一神教徒である必要はない。
芋虫にも欲望が有るから絶望もするのじゃない?>314
逆に欲望が無い存在とかは絶望もしないのじゃない?
>>318 芋虫のは欲望というか本能なのでは?したいのではなく、勝手に動くというか。
欲望がないから絶望もしないというのは、僕もそう思います。
本能に自己防衛欲求てのが有ると思うけど?>314
>>316 安易にそういう結び付けをするのは誤謬の元だよ
>>320 でも、人間は絶望するから、動物よりも優れている・・・じゃなかったっけ?
だから、絶望は短所であると同時に長所である。
>>314 芋虫にあるのは「欲望」じゃなくて「欲求」だと思いますよ。
絶望は人間しかしないし、できません。
何故なら人間には今ここにいる自分だけじゃなくて、
これからのあるべき姿という観念を持つ動物だからです。
カッシーラの言うシンボルというのはそういうこと。
だからこそ人間には精神病があるわけです。
「こうあるべき」という自我理想の観念を描くけれど、
それに満たない現実の自分に苦しんで回避しようとしたものが症状になるのです。
器質的には動物と比較した人間の前頭葉の発達がその証拠です。
だから動物には“その場限り”の「欲求」しかないと思いますよ。
キルケゴールの言う「永遠」の理解は「哲学的断片」読むといいね
無限に時間が流れるということでは無いことはわかった
欲求>知能>欲望の発達て論か?>323
人=神として捉えれば323の理に傾くが、
人=芋虫として捉え直せば俺の論のが正しい。
即ち、欲求>欲望>知能の発達である。
人は知能が発達する前に絶望する。
芋虫は知能の発達により絶望を超え蝶に成る。
326 :
考える名無しさん:03/09/08 17:30
>>313 知能というかそもそも観念的なものを持ち得るのが人間だけということです。
チンパンジーは木の枝を使って蟻の巣に突っ込んで枝にくっついてきた蟻を
食べますが、それを蓄えておこうとはしません。
だから必要以上に獲物も獲ろうとはしないし、動物は戦争をしません。
そういうその場限りの「欲望」しか持たない動物は蓄えておくべき食糧の不足に
不安になることもありません。そこが人間との一番の違いです。
「人間は精神である」というのはそういうことだと思います。
「発達」というより人が観念を持つが故に欲望もするということです。
芋虫は絶望を超えるというより絶望自体しないように思います。
今ここにある欲求しかない芋虫にどうしても知能があるとは思えないのですが
芋虫に知能があるというのはどういうことですか?
327 :
考える名無しさん:03/09/08 19:05
具体的な事実として、日本人サラリーマンはもう観念的に実存主義を
やってるような余裕も何もなくなく、「明日は我が身」5年連続自殺者
3万人超えという本当に実存を生きなければならない現実ととなりあわ
せで生きている・・・
328 :
考える名無しさん:03/09/08 19:15
リストラされて自殺する奴がいれば、いい年こいて引きこもって
2ちゃんねるやってる馬鹿もいるということで、いろいろだよねwww
329 :
考える名無しさん:03/09/08 19:26
◎関係者
tesutesu
「信仰」によって「絶望」から抜け出せる。キルケゴールの言う「信仰」と日本人の考える「信仰」
って、やっぱり違うんでしょうか?
333 :
考える名無しさん:03/09/10 19:31
仏教とは、少し違うみたい。
仏教徒の人に、神の存在について、
「我信仰する故に我あり」て言ったら、仏教は違うと言われた。
神は神のレベルで人は人のレベルで芋虫は芋虫のレベルで絶望する。
人が神のレベルで絶望しない様に芋虫も人のレベルで絶望はしない。
人のレベルで絶望する芋虫は既に芋虫じゃない。
もし神のレベルで絶望する人が存在するなら、その人は人と呼べない。>326
もし猿のレベルで絶望する人が存在するなら、その人も人と呼べない(笑)。
335 :
むずかしい・・・:03/09/14 12:50
はじめまして。私は全然哲学とは関係ない学部の2年生なんですが、
教養科目として哲学の授業があります。
で、前期に「死にいたる病」やってて、わからないながらに
聞いてはいたんですが・・
夏の課題がこの本についてなんです。
いろいろキルケゴールについての解説本?みたいなものとか読んではみたものの
・・って感じです。
みなさんはキルケゴールはなんでキリスト教の立場でこの本をかいたかはわかりますか??
ほんと、低レベルでもうしわけありません。伝道したかったからでしょうか?
キルケゴール自身は、真のキリスト教だったのでしょうか??
つまり絶望してなかったのかってことです。
それと、聖書のなかで、キリスト教だと死の先があるってゆうか、
死の先に希望がみえるんだってことをかいてる部分として引用するのに
いい部分とかないでしょうか??
ほんとうにすみません・・なにかわかるかた、
アドバイスでもいいんでください!!
>>335 キルケゴールの生涯を見ればわかると思う
あと内容解説なんかは読まずに自分の所感で書いた方がいい。例え誤謬をしても
>>335 俺もキルケゴールが宿題です。ただ、俺の場合は自分で選んだんだけど。
難しいですねー。伝道したかったのかなぁ?キルケゴールはアンチ・クリスマスってPNなんだから、
キリスト教は、嫌いなんじゃないの?彼が言う「信仰」の対象となる「神」ってのも「イエス・キリスト」なのかな?
俺もよくわかりませーん。
339 :
考える名無しさん:03/09/16 13:29
キェルケゴールの意図は、伝道ではありません。もっとセンセーショナルなものです。
彼の言葉で言えば、「キリスト教界にキリスト教を導入する」ということです。
つまり、既成のキリスト教は本当のキリスト教ではないという主張です。そこで、真の
キリスト教を再発見しようということです。
当時、既成のキリスト教は特にヘーゲル哲学の影響で、本来性を喪失していました。。
ひとことで言うと、実存を喪失していたということです。ですから、キリスト教に実存を回
復させることがキェルケゴールの意図したことです。
しかし、実存を失っていたのは、宗教だけではありませんでした。社会全体がそれを喪失して
いたのです。そこで、サルトルやらが、宗教以外の世界でも実存を回復させようとしたわけ
です。こうして、キリスト教的実存主義の立場と無神論的実存主義の立場が生まれることに
なります。
340 :
むずかしい・・・:03/09/17 22:59
みなさんありがとうございました。ちょっと頑張ってみようとおもいます。
試験がない授業なんでかなりこわいですが・・できたらまたかきます!!
341 :
考える名無しさん:03/09/17 23:02
基本的に、「神ー俺」なんだよ。だからヘーゲルや教会なんかが余計な
こと言うんじゃねえってことだろ。
はなはだすれ違いなことではありますが、
このスレの皆さんのやさしさに甘えて、
私にもに一つ教えてもらいことがあります。
教えてもらいたいことというのは、2ちゃん上ではなく、
実際に読書会をするとき、どのように行ったらよいのかということです。
これから読書会をやろうと思っているのですが、
経験がないので、私にはよく分からないのです。
読書会を行うにあたっての必要な条件、会の進め方、準備作業等々、
他にもどんなことでも教えていただけると大変助かります。
どのようなことでも今の私にとっては大きな参考になると思います。
勝手を言って申し訳ありません。
迷惑でしたらスルーしてください。
343 :
考える名無しさん:03/09/19 22:20
読書会より茶会が良いんじゃないかな?>342
344 :
考える名無しさん:03/09/20 10:47
合コンにすれば、なお良い。
345 :
考える名無しさん:03/09/20 11:39
一番大事なのは、男の数と女の数を同じにすること。
それから、可愛い子は競争率が高いから、地味だが磨けば光りそうな子
を狙うことかな。
346 :
考える名無しさん:03/09/20 11:45
妄想の世界だね(ワラ
347 :
考える名無しさん:03/09/20 12:12
>>342 読書会を開く場合。
1:内容
2:メンバー
3:毎回の役割。ローテンションでリーダーを決めるのかなど
4:リーダーになった人物は毎回読書会前にレジュメを配ること。
5:リーダーは参加者の質問疑問点の解消の為、百時間ぐらい準備すること。
(リーダーの責任は重要)
6:次回の為の準備。(リーダーを決めるなど)
7:前回の反省、問題点の解消(前回リーダーの仕事)など。
348 :
考える名無しさん:03/09/23 15:13
>313
返事が遅れてしまいました、すいません。
レスどーもです。
そこの峻別は僕も同じ認識です。
「信仰とは飛躍である」というのは近代が人間に視点を移したにもかかわらず、
結局人間は神を把握することができないし、勿論神にもなれないということだからです。
フォイエルバッハの言うように神が人間の類概念だとするなら、
確かに人間にキェルケゴールの言う「精神」は存在するとは思いますが、
存在するにもかかわらず決して人間は神を把握できない。
そういう自己矛盾の中にいるのが人間だと思うのであって、
決して人間=神だとは思っていません。
ただ自分はその「精神」を持ってしまう人間の悲哀だけは
否定できないという考えです。
その自己矛盾を人間=神と認識すれば313さんの言うことはもっともです。
ただキェルケゴールの言うように自分は人間がそういう矛盾をかかえたものだと
考えているし、それが「近代」の問題提起だと思うのです。
>>335さん&338さん
分からないところがあったら一緒に考えようよ。
という訳でどんどん書き込もう。
「読まれること」を考えて書くことは大切だけれど、
「恥」を気にし過ぎないで書き込んでくらはい。
匿名だし。
350 :
考える名無しさん:03/09/23 18:09
前期の授業で、確かこの本の簡単なまとめとして、
要するに視点を変えれば違った世界が見えてくる、
視点を変えて見た世界もひとつの現実なんだ、みたいな感じの講義をされた
ような記憶があるのですが、(ノート紛失かなり曖昧)
これってどうなんでしょうか?
>339
>当時、既成のキリスト教は特にヘーゲル哲学の影響で、本来性を喪失していました。。
ひとことで言うと、実存を喪失していたということです。
なるほどそういう時代であったのですね
ヘーゲル哲学の影響というと簡単に言うとどんなことでしょうか
いや勉強になりますw
つまり実存を喪失していたということは・・・
ヘーゲル哲学はキリスト教会の否定に影響があったと
いうことですね
実はこの辺不勉強でしてコメントしていただけるとありがたい
353 :
考える名無しさん:03/09/23 21:07
キルケゴールといえば「逆説の弁証法」でつな。。。
354 :
考える名無しさん:03/09/24 02:13
ドイツ観念論
「ボクは苦しいよ、お母さぁん」
大人になれよ。。。
自立しろよ。。。
ばかじゃん。。。
>>352 ヘーゲルは神を思弁によって把握しようとしていたので、
そういう意味ではキリスト教を理論的に擁護することになりました。
まさに神学の目的がそれです。
しかし、キェルケゴールの言うキリスト教というのはあくまで、
原始キリスト教のことであって当時(今も)のキリスト教会は、
本来的なものではなかったのです。
それで後期のキェルケゴールはデンマークの国教会批判を繰り返したのだと思います。
357 :
考える名無しさん:03/09/24 17:56
宗教改革の反復
358 :
考える名無しさん:03/09/24 18:24
キェルケゴール『死に至る病』 単独訳 1990. 6. 19
創言社(福岡)、198頁
キェルケゴールの主著である『死に至る病』の翻訳。最新の英訳をも参考に
し、これまでの研究史を咀嚼した注釈、解説を施している。デンマーク語か
らの直訳。原典訳記念版キェルケゴール著作全集第12巻。
359 :
ごめんなさい。。。ビッグバン宇宙論は大間違いでした。:03/09/24 18:36
科学者よ、恥を知れ!!!
ビッグバン宇宙論は完全に間違いだった!
科学の原則を無視した、デタラメのインチキ理論だったのだ。
そして、そのビッグバン宇宙論の世界的な浸透は
アメリカ、ユダヤ・キリスト教勢力による世界支配のための思想戦略なのだ!
また、ビッグバン宇宙論の思想によって戦争が起こり、
貧富の差がひらき、終末的な絶望感が世界に蔓延しているのだ。
ビッグバン宇宙論は世界の平和を揺るがす、悪の元凶となっているのだ。
ビッグバン宇宙論とは、
「宇宙は『無』からビッグバン(大爆発)によって誕生した」という理論である。
この理論は、ユダヤ・キリスト教の創造神話(神が天地を創造した)そのものである。
ビッグバン宇宙論の実態は、科学理論ではなく宗教思想なのである。
「真空」には時間も空間も存在していて『無』ではない。
『無』は文字通り、存在するものではないのだ。だから、
『無』は科学的に証明できるものではない。
そして、『無からの誕生』も科学で証明できるものではないのだ。
だから、ビッグバン宇宙論が仮説である可能性は、0%なのだ。
ビッグバン論は完全に間違いであり、宇宙は時間も空間も無限なのである。
ビッグバン宇宙論が科学の正統であるという思想を、世界中の人々に
浸透させる戦略が成功したことにより、ユダヤ・キリスト教勢力の
世界における優位性が確立されていったのだ。(20世紀に)
そして、その思想的支配の最たるものが、アメリカやイギリスによる
イラク戦争なのだ。
ビッグバン宇宙論の浸透により、世界中に終末思想(世界の終わり)が蔓延してしまっている。
そのことにより、自己中心的、せつな的、短絡的な考え方が社会に広がっている。
科学的に間違っているビッグバン宇宙論から脱却しなければならない。
そして、宇宙は空間的にも時間的にも無限だということを理解しなければならない。
人間は本当の宇宙観、世界観を構築し、新しい時代に進んでいかなければならないのだ。
ビッグバン宇宙論が世界を支配している限り、平和な世界にはならないのだ。
そのことを科学者は重く受けとめるべきである。
ビッグバン宇宙論崩壊!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!
キルケゴール哲学=マズロー心理学で良いじゃん>348
>>313 313さんは人間をどう定義しますか?
自分はキェルケゴールと同じで矛盾した存在と考えています。
313さんが人間と動物の相違に関して言及した中から考えました。
>人=芋虫として捉え直せば俺の論のが正しい。
というのはどういう意味で同等性が認められるんでしょうか?
というのは、
>もし猿のレベルで絶望する人が存在するなら、その人も人と呼べない(笑)
のようにレベルに関しては峻別する考えのようなので。
人=芋虫てのは、人=神とか言う人達に対するアンチです。
神のレベルの絶望てのは、人の身の俺に理解するの難しい。
人のレベルの絶望なら俺にも理解出来る。
猿のレベルの絶望なら俺は超越出来る(笑)。
人の定義については自分に似た存在を仲間と見なす。
ただ、相手から仲間と見なされ無い場合も多々有るかも?>362
364 :
考える名無しさん:03/09/29 03:43
ここは「死に至る病」スレなので、人=精神=自己で論を再出発↓
>>363 成程。
根本的には近い考えのように思いました。
というのは人間≠神という認識に関しては313さんに同意だからです。
表現の仕方に違いがあるかもしれませんけれど。
>人の定義については自分に似た存在を仲間と見なす。
これは分からない自己を認識する為に、
似たような他者によってそれと違う自己を把握するということですか?
だとしたらこれはキェルケゴールの「関係存在」に近い考え方のように思います。
で、自分がキェルケゴールに同意する「人間は矛盾した存在である」というのは、
人間が「自分のことは自分にしか分からない」という観念的な部分を持っていながらも、
結局はそれを自分ひとりでは確かめられないという矛盾です。
だからこそ「自己とは関係自身に関係する関係である」と言ったのだろうとも、です。
つまり、「人間」に関する認識はかなり近いと自分は思いました。
質問です。
第一編 1−B最後のところで、
「絶望することはいうことは精神の領域において起こることであり、
人間のうちなる永遠者に関係することであるからである。」
の「永遠者」って何なのでしょう?
そこから1−Bの終わりまで「永遠者」が何度も出てきて
( ゚д゚) … って感じです。
「永遠者」を投げ出すと絶望?
「永遠者」は投げ出しても瞬間的に戻ってくる?
367 :
考える名無しさん:03/10/03 20:35
>>366 永遠者とは自己のこと。
キェルケゴールにとって自己は永遠の存在だ。これは、キリスト教的というよりむしろ
ソクラテス的な意味で永遠と考えられている。
自己が永遠であるということは、自己自身であろうとする絶望でも、自己自身であろう
としない絶望でも、その絶望の度合いを一層強めることになる。
何故なら、自己が永遠でないなら、その自己であろとしようがしまいが、それは、一時
的なものに過ぎず、決定的な意味を持たないからだ。
永遠の自己が絶望しているという点で、絶望の度合いは無限に深まることになる。
キルケゴール ハンサム
>>366 >>367 永遠者は神です。自己である場合「者」はいりません。
「人間のうちなる永遠者」をキリスト教風に言い換えると、「人間は神の子である」です。
370 :
考える名無しさん:03/10/03 21:38
>>369 勝手な脳内の解釈ではなく、「死に至る病」でキェルケゴールがどう逝っているか
をきちんと考えろよ。
彼が、自己を言い換えて「永遠者」と逝っているのは事実。
>>368 あれは後世に美化されているだけ。実際の彼は醜かったよ。(せむしだったという説
もある。)
だから、彼の肖像画は極端に醜い写実的なものと極端に美しく描かれて美化された
もののどちらかに分かれるようだ。
ん〜とチョト違う>365
自分自身を測るのに他の人を利用すると云うより、
他の人を測るのに自分自身を利用してるて感じかな。
只、この二つの認識は相互補完してるので切り離せ無い。
片目だと視野が狭まるし距離感も狂う。やはり両目で見るのが大事。
天才な人達は第三の目が有るらしい(笑)。
だから芋虫やて言うてんじゃん>370
>>370 そうなんですよね、でも僕
両方 好きなんですよね 背中曲がったヨレヨレも
ベートーベン な方も。 理屈も勿論
>>370 あなたは、私のレスの意味がわかっていない。
私は哲学的にはあなたを否定していない。国語の問題です。
375 :
考える名無しさん:03/10/03 22:11
>>374 そうだったのか。だとすれば悪かったな。ま、気にしないでくれ。
367さんの指摘のように
「永遠者」が「自己」のことならば、
なぜここでわざわざ「永遠者」と言葉を変える必要があるのですか?
で、369さんの指摘のように、「神」という意味合いを重ね合わせる意図があるのだろうか
なんて思ってしまうわけですが・・
377 :
考える名無しさん:03/10/03 23:43
>>366 永遠とは、やっぱ自己でしょう。
しかし、内側で神と関わっている。
自己の中に2つの自己がいると考えられる。
宗教やってるヤツで、神が導いてる自己と
神なしで自己が自己を形成した自己があったりする。
これと同じか?
>>376 神道風に言えば、魂は自分のものだが神様のものでもあり永遠だ。
仏教風にいえば、人間は無常だが仏心があり永遠だ。
普通、自己と言った場合、有限の存在を意味します。
それぞれの宗教、哲学によって表現の仕方が違います。
無神論、相対主義などでは、永遠の自己を否定します。
要するに、「人間のうちなる永遠者」の場合は、神様のほうが良いと言っているだけで、
永遠の自己でもかまいません。
キルケゴール自身に聞くのが良いと思う(笑)。>366
380 :
考える名無しさん:03/10/04 00:59
>>376 ここで扱っているのが、ただの自己ではなく、永遠の自己だからだろう。
死に至る病のそれまでの議論では、永遠の自己意識についてそれほど
注意が払われていないが、議論が進み、度が強まった絶望に言及するに
従って、自己の度も強められ、永遠者としての自己に注意が払われるよう
になる。
言い換えれば、度の低い絶望では、自己が永遠者であることが考慮される
必要がないということだろう。自己意識が高まり、永遠者として自己が意識
される時、絶望の度は最大限に高められる。
その時、もう一人の永遠者である神に対して、反抗するのかそれとも帰依す
るのかという、あれかこれかの選択肢に立たされることになる。
381 :
?D?c?M??E:03/10/04 01:56
test
キルケゴールのいう永遠とは「神の受肉」のこと
「哲学的断片」より抜粋するのでおのおの考えてくらはい
「ところで事態が一転するとすれば、時間のうち現われる瞬間こそ決定的な重みをおびてこざるをえないのだ。
すなわち、それまでは存在しなかった永遠が、この瞬間とともに存在を開始したがゆえに、私はこの瞬間を、
時間の世でも永遠の世でも、一瞬たりとも忘れることができなくなるであろう。」
んー、深いなぁ
また疑問がわいたら質問します。
ありがとうございました。
>>379 それ言っちゃうと
全てキェルケゴールの (・∀・)ジサクジエンデジタ
で話がついちゃうでしょ
∧_∧
( ´Д`) | | ガッ
と ) | |
Y /ノ 人
/ ) < >__Λ∩
_/し' //. V´∀`)/ ←379
(_フ彡 /
保守
質問です。
第一編 3−B 冒頭
「悪魔の絶望は最強度の絶望である、なぜというに悪魔は精神だけであり、
その限り絶対に透明な意識であって、情状酌量に役立つべき無意識性を持っていないから、
−−その故に悪魔の絶望は絶対の強情である。」
ここでの「悪魔」とはどんなものなのですか?
霊魂みたいなものが絶望するのですか?
神の絶望てのは解る?>385
387 :
考える名無しさん:03/10/11 00:40
>>385 人間は本当の意味で絶望することが出来ない。それは、人間が純然たる精神=自己で
はなく、もっとあいまいなものだからだ。絶望して自己自身であろうとする絶望も実は人間
社会では極めて稀なものだ。詩人の作品の中やニーチェやカミュなどの傑出した人物に
かすかに見られる程度だ。
ところが、純然たる精神を想定してみると、絶望はもっとわかりやすく把握出来るようになる。
キリスト教では悪魔は実在するものだが、キリスト教を信じていなくとも、純然たる精神と
して悪魔を考えることは出来るだろう。そのような悪魔の絶望には、人間のようなあいまい
さはない。常に目覚めて自己自身でありつづけようとする透明な自我だからだ。
絶望の度合いが最高度に高められるともはやそれは人間社会には極めて稀にしか見受け
られないものとなる。そこで、キェルケゴールは、純然たる精神である悪魔を引き合いに出し
て最高度の絶望を説明しているわけだ。
388 :
考える名無しさん:03/10/11 02:29
俺が、ある奴をなぐるとする。(俺よりめちゃ弱い奴を)
そんな時、そいつは「お前は俺の肉体を痛めつけることは出来るかも知れないが、
精神には指一本触れることが出来ない」とへらず口をたたく、あるいは内心思う。
精神とはそういうものだ。
389 :
考える名無しさん:03/10/11 03:02
つまり・・・
精神とは、人間が自分を害する力を持つあるものに対する抵抗力としてのみ
現われるのではないか? この事はよくよく考えてみる必要がある。
390 :
考える名無しさん:03/10/11 03:05
しかも、それは無限の抵抗力と言われたりするのだ。
基本知識として
悪魔=堕落した天使
キルケゴールは他の書物も読まないと、神、罪、原罪あたりの言葉は惑わされるよ。
とりあえず「不安の概念」くらいは読んだほうがいい
神=光・知恵として使う事多いから、悪魔は其の逆意で良い。
ルシファーは悪魔て言うより、神に非常に近い位置での絶望だと思う。
ただし未だ超越出来て無い。超越出来たら彼が新しい神に成ると思う。
もしかしたら神に成る事を嫌って未だ悪魔王なのかも(笑)。
神以外は感情が知恵に勝るから。
ありがとうございます。また質問です。
第一編 3−B−a 終わりあたり
「そこからしてまた異教徒が自殺(ここではこれを単に一つの例として引合いに出すだけ
であるが、実はこれは同時に我々の研究全体に対してより深い関係を持っているのである)
というものをきわめて気軽に考えていたいなそれを賞賛さえもした」
という部分、「異教徒」とは何を想定したものでしょうか?
キリスト教でもイスラム教でも自殺は禁止されているはずですが。
394 :
考える名無しさん:03/10/13 03:43
ズバリ答えを書くと
異教徒=ストア学派
岩波はこういう解説無いのが辛いな。そのぶん安いが
おぉ。
ありがとうございました。
396 :
考える名無しさん:03/10/15 01:45
確かに
>異教徒=ストア学派
で、基本的に正解だろう。
ただ、キェルケゴールが念頭に置いているのは、ソクラテスを頂点とする
ギリシャ思想だから、彼が言う宗教性B全般を指していると考えても間違
いではないだろう。
質問です。
第一編 最後のところ
著作家と書き損じの喩えで、書き損じが
「いや、おれは抹消されることを欲しない、おれはお前を反駁する承認として、
お前がへぼ著作家であることの証人として、ここに立っているのだ。」
と叫ぶわけですが、
この書き損じはキェルケゴールで著作家が神と見てよろしいのでしょうか?
398 :
考える名無しさん:03/10/15 23:17
>>397 正解です。ただし、彼は、そのように絶望して自己自身であろうとする絶望
の誘惑に駆られながら、それを信仰によって克服しようと苦闘していたわけ
だから、直接的に著作家=キェルケゴールということではなく、そのようにな
る危険性と対峙していたということでしょう。
この引用されている箇所は非常に重要です。彼が定式化した絶望の諸形態
は、結局は彼自身の経験していた絶望を分析して出来上がったものであるこ
とがこの箇所からわかるからです。彼は自分自身の絶望を、哲学的に表現し
たと言って良いのでしょう。
399 :
考える名無しさん:03/10/15 23:30
昔読んでくわしいこと忘れちゃったけどさ、絶望の分析はなるほどスルドイって
思ったが、結局、希望=信仰ってことで宗教の勧誘なんだよね。
400 :
考える名無しさん:03/10/15 23:34
もしかしたら本当にそうなのかもしれないよ。
信仰=くだらない,不要 というのも先入観かもしんない。
信仰はいいんだけど、一神教は
多くの日本人にとって違和感あるね。
402 :
考える名無しさん:03/10/15 23:40
それはそのとおり。
でも正解は一神教なのかもしんない。
つまり何がいいたいのか、というと、
403 :
考える名無しさん:03/10/15 23:46
キルケゴールにしろパスカルにしろ、人間の悲惨の分析はたしかに肯けるんだよね。
それで救いは神しかないって結論も肯ける。でも香具師らが言ってるのは
キリスト教の神だからね。聖書を一度でも読んでみたら、穴だらけで、とてもとても
信者なんかなれるもんじゃない。
404 :
考える名無しさん:03/10/15 23:51
聖書はね。特に新約はしょーもないのでうんざりする。
コーランにいたっては読みとおすのがしんどいほどつまらない。
しかし、神が本当にいないのかどうか、
いや、つまり何がいいたいのかというと、自分も神なんて居ない、と確信してますが、それでも、神というものの可能性から考えていってもいかな、と、
405 :
考える名無しさん:03/10/15 23:53
まともな知性を持っている人間は10人が10人ともそういうものはしょーもない、としか思っていない。
そういうときほど、「逆やってみたい」っていう、それだけのことです。
ゲームみたいな感じで、逆をまじめにやってみるのも面白いかな、と。
ちょっと思ったの。
406 :
考える名無しさん:03/10/15 23:55
神なんて居っこねえですよ、そりゃ。そう思う思いますです。
>404
いや、神自体というものの可能性は否定も肯定もできないっしょ。
ただ、そこでいう神は啓示宗教が説くような神とは違って、人間の
歴史に介入していない神、人間の救いを説いていない神だから、
仮にそういうものが存在すると仮定しても、キルケゴールが希望を見出してる
ような救いには繋がらないだろうって言いたかっただけっす。
>>398さん ありがとうございます。
ただ、気になるのは
「書き損じ」をするような神でも信仰され得る
のか? ということですね。
それでも信仰するしかないとキェルケゴールは考えていたのでしょうか?
409 :
考える名無しさん:03/10/16 03:44
>>408 書き損じをするような神は神ではありません。
しかし、絶望者は、自分が絶望している原因が自分にあるのではなく、
神にあると主張することで、神に反抗し、自己自身であろうとする絶望を、
それこそ絶望的に突き進んでいるわけです。
キェルケゴールは、自分自身が時代の例外者であることを自覚していま
した。しかも、それが神によってそのようにさせられていることを意識して
いました。
そこで、自分がそのような例外者であることは、何か神の計画の一部だろ
うと信仰を持って受け入れるか、単なる神の「書き損じ」に過ぎないとして
神を信じないかのいずれかを選ばなければなりません。
実際には、彼はその時代の例外者として、時代に全く受け入れられません
でしたが、後の時代に絶大な影響を与えたわけですから、それは神の計画
だったのだと言えるわけですが、そのような結果を見ていない段階では、
何と言えません。
ここの彼の信仰のあれかこれかの葛藤があったわけです。
410 :
考える名無しさん:03/10/16 03:51
ここの → ここに
>>394 異教徒はストア哲学というよりギリシャ哲学と言った方がいいよ。
基本的にキェルケゴールの念頭にあったのは俗物化したキリスト教に対する批判で、
そうなってしまったのはヘレニズム的なものの影響なんだし。
キェルケゴールが批判したくなるのは原始キリスト教から離れてしまったから。
そうしてしまったのがギリシャ的なものなんだから。
イスラムでもユダヤでもないよ。
412 :
考える名無しさん:03/10/18 17:39
新しい神てのは、そんなものでしかないやろね。>409
質問です。
第二編 B-c 初めのあたり
「我々が罪を人間と神との戦いとして把捉するとき・・・」
ではじまる段落についてですが、
ここでの「罪」は人間についてまわるものなのですか?
それともひとりでに動き出すものなのですか?
「人間と神との間の戦い」という、静的な「罪」が後半で
「逃げはしない」とか「攻撃を始める」と書いてあるので混乱してます。
今書くことはないが保守
スレ違いならすみません。
誰かキェルケゴールのいうユーモアについて教えてください。
何かよい本をご存じなら紹介してくれたらありがたいです。
418 :
考える名無しさん:03/11/12 17:08
>>417 キェルケゴールはアイロニーだろ。
ユーモアは椎名麟三だ。
椎名麟三は、キェルケゴールのアイロニーの概念を発展させて神のユーモアを
説いた。
とりあえず、キェルケゴールの「アイロニーの概念」を嫁。
419 :
考える名無しさん:03/11/13 03:48
キェルケゴールは「ユーモア」語ってるよ。
訳では、「フモール」とか、「諧謔」とかなってるはずだけど。
主に『後書』ね。
2ちゃんねるって一つの自己と見なすと観念論的だよね
神は博打が好きやと思う。全知全能なんて面白くも無いだろから。
痴呆化でもしなきゃ死にたく成るだろね(笑)。
423 :
考える名無しさん:03/12/01 14:12
神の存在と退屈が結びついていると言ったヤシに対して、キルケゴールは「死に至る病」
の中で「そんなヤシは逝ってよし」と言っていたぞ。知ってるか。前半部分だったと記憶し
ているが。
424 :
考える名無しさん:03/12/01 14:15
425 :
考える名無しさん:03/12/02 00:57
しまったなあ。こんなちゃんとしたスレがあったんだ。
哲板って、厨たちが立てるゴミスレがなくなると結構いいのかもしれないな。
426 :
考える名無しさん:03/12/02 00:58
死に至る病の本ははっきり言ってつまらん。
427 :
考える名無しさん:03/12/02 01:42
おれは面白いと思ったよ。
428 :
考える名無しさん:03/12/02 22:46
>>426 その場合、本当に本自体がつまらん場合と、
理解力がなくて面白さがわからん場合の2種類があるので
気をつけたほうがよろしいかと。
俺はキリスト教徒で無くアニミズム徒だから(笑)。
君等はキルケ教徒でありますか?>423・424
宇宙の因果律として万物流転だから神は常に変化を望んでるのかと。
でなきゃ時間停止してると俺は思う。
430 :
考える名無しさん:03/12/09 05:22
絶望するのは目的とするものに必然性がないからだ。
可能性から現実性への移動は必然性によってなされるべきだ。
読みはじめて数時間だがこんな感じか?
ようは必然性のないものはいくら成し遂げたところで絶望から抜け出ることは
できませんよ、って言ってるのかな。まあ、このへんまではわかるように思う。
じゃあ、必然性ってなんだ?と思って読みすすめるといきないr神様が出てきて
目眩がした。ちょっと時間おかないと、、いままでもちゃんと読めてるかどうか
わからんし。
神様を金とか資本主義とかに読み替えると非常に読みやすいのだが
背筋がサムくなるのも事実。。。
いまの日本人に神レベルに抽象性の高いものって金以外にあるのかな。
音楽とか芸術かなぁ。。
うーん。。
愛、、じゃないよな。。。
とある学者は神を世界と読みかえたし、このスレでは光という人もいたね。
キルケゴールにとっての神との関係が、自分にとっては何との関係いうことを考えよう
434 :
考える名無しさん:03/12/09 23:46
平和。平和が一番。はい。
435 :
考える名無しさん:03/12/10 00:24
神=お母さん
すまんかった。ここ良スレ
437 :
考える名無しさん:03/12/10 04:25
そもそもおいどんがこの世に生を受けたこと自体必然であったのかどうかも疑わしい。
たんに酔ったオトンが無理矢理中だしした結果がこのおいどんだとしたら。。
殺意がわいてきたので寝ます。
神を抽象性によって語るのでは埒が明かないし、しかも金を対置させ
るのはいささかナンセンスに過ぎると思います。
個的実存を弁証法神学において獲得しようとしたキルケゴールの目論
見、主眼は、目的が孕む(べき)必然性の証明というよりも、むしろ
その目的に向かうことの必然性を証明するための前提条件としての神
の描出にあった、と私は考えます。
プロジェクトX・・・その時歴史が動いた!>437
440 :
考える名無しさん:03/12/14 14:20
441 :
考える名無しさん:03/12/14 14:49
キルケゴールなんてずらずらと
絶望すると人は死ぬと書き綴った
時間の使い方を知らないセンチメ
ンタルな人です
442 :
考える名無しさん:03/12/15 01:13
>>414 キリスト教的に考えれば人間はそもそも罪な存在なので、
そういう意味では罪は人間に必然のものだと言えると思います。
最初の罪は神を絶対的なものとしているもので、キリスト教を真として把握します。
その為神と人間との戦いは逃避的に行われます。絶対者に対して人間は無力なので。
しかし、徐々に罪はその源泉を神から離れて自己自身の中へと移っていき、
人間は自らを神を越えた存在にまで高めるようになり、
キリスト教は虚偽として把握され、戦いは攻勢に転じます。
しかしキリスト教を虚偽として、神に対して攻撃的になることは躓きの可能性を高めます。
何故なら神を人間の類概念とする考えは神と人間との質的な差異を認めないことであり、
それはキリスト教的な罪ではなくむしろキェルケゴールの言う「異教徒」の罪になってしまうからです。
そもそもキリスト教は生きていること自体が罪であり、
生きている間はその罪を償う為のものでしかないという認識がありますが、
それは神と人間の間の越えられない断絶を示すものでそうであるからこそ、です。
躓きからの救済は神にはできないのです。
443 :
考える名無しさん:03/12/24 13:18
上げ
444 :
考える名無しさん:03/12/30 02:24
スレ違いだけど個人的には神道の考え方が好きです
罪や穢れは後天的な物で禊なんかで清められるって事と
神と人間は元々共存していて黄泉の国はこの世の延長とみなされている点
こーゆー思想は世界でも珍しいって聞いたけどホント?
キルケゴールの思想は面白いけど
余りにもネガティブ過ぎないか?
「神様がいなきゃ生きていけない」って感じでしょ?
詳しくは読んでないけど…
445 :
考える名無しさん:03/12/30 02:32
ちゃんと読め
ボカァァッ! ,,----、,,,,,,,,,、、
/ ,,-‐―、ヽヽヽヽ
l⌒)OOo ,,-‐―― 、/ //ヽ))))ヾ
∩___∩ { ) )
>>444 /。○ ヽヽξ
| ノ ヽ | ::::::/ i!Ξ/' ,,,,、、 ,,,,,,ヽ
/ ● ● | / ::::| , レ;:;::;:;)=-.ヽ,==- ヽ
| ( _●_) ミ/ ) ,,・_ , (/ ;:;:;ノ'、,(_,、)( "",,ノ
彡、 |∪| / / ̄ ’,∴ ・ ¨ l ;::)‐=‐^ン:/
/ __ ヽノ / / 、・∵ ’ ヽ. ;:丿..:::::...::::::/
(___) / / (ヽ、__,.ゝ、 ::::::::::::::_ノ
448 :
考える名無しさん:04/01/06 18:20
ボカァァッ! ,,----、,,,,,,,,,、、
/ ,,-‐―、ヽヽヽヽ
l⌒)OOo ,,-‐―― 、/ //ヽ))))ヾ
∩___∩ { ) )
>>446 /。○ ヽヽξ
| ノ ヽ | ::::::/ i!Ξ/' ,,,,、、 ,,,,,,ヽ
/ ● ● | / ::::| , レ;:;::;:;)=-.ヽ,==- ヽ
| ( _●_) ミ/ ) ,,・_ , (/ ;:;:;ノ'、,(_,、)( "",,ノ
彡、 |∪| / / ̄ ’,∴ ・ ¨ l ;::)‐=‐^ン:/
/ __ ヽノ / / 、・∵ ’ ヽ. ;:丿..:::::...::::::/
(___) / / (ヽ、__,.ゝ、 ::::::::::::::_ノ
449 :
考える名無しさん:04/01/06 18:29
ボカァァッ! ,,----、,,,,,,,,,、、
/ ,,-‐―、ヽヽヽヽ
l⌒)OOo ,,-‐―― 、/ //ヽ))))ヾ
∩___∩ { ) )
>>442 /。○ ヽヽξ
| ノ ヽ | ::::::/ i!Ξ/' ,,,,、、 ,,,,,,ヽ
/ ● ● | / ::::| , レ;:;::;:;)=-.ヽ,==- ヽ
| ( _●_) ミ/ ) ,,・_ , (/ ;:;:;ノ'、,(_,、)( "",,ノ
彡、 |∪| / / ̄ ’,∴ ・ ¨ l ;::)‐=‐^ン:/
/ __ ヽノ / / 、・∵ ’ ヽ. ;:丿..:::::...::::::/
(___) / / (ヽ、__,.ゝ、 ::::::::::::::_ノ
450 :
考える名無しさん:04/01/06 18:33
ボカァァッ! ,,----、,,,,,,,,,、、
/ ,,-‐―、ヽヽヽヽ
l⌒)OOo ,,-‐―― 、/ //ヽ))))ヾ
∩___∩ { ) )
>>1 /。○ ヽヽξ
| ノ ヽ | ::::::/ i!Ξ/' ,,,,、、 ,,,,,,ヽ
/ ● ● | / ::::| , レ;:;::;:;)=-.ヽ,==- ヽ
| ( _●_) ミ/ ) ,,・_ , (/ ;:;:;ノ'、,(_,、)( "",,ノ
彡、 |∪| / / ̄ ’,∴ ・ ¨ l ;::)‐=‐^ン:/
/ __ ヽノ / / 、・∵ ’ ヽ. ;:丿..:::::...::::::/
(___) / / (ヽ、__,.ゝ、 ::::::::::::::_ノ
世界はエゴに満ちている様だ・・・
452 :
考える名無しさん:04/01/09 12:50
キルケゴールは理解できない・・・つーか理解したくないだけなのかも?誰か親切なお方・・・解説してたもー
素質のない人には、ゼッタイに無理です・・・
今まで自殺するくらい悩んだことがあるなら理解できる
自殺する→自殺したい
スマソ
456 :
考える名無しさん:04/01/11 09:39
>>453 そういうタイプにはむしろショーペンハウエルが合うような気もする。
457 :
考える名無しさん:04/01/11 17:40
ショーペンハウエルはだめぽ。本当に自殺してしまうからね。
シャレにならん。
キルケゴールなら、うじうじと絶望して引きこもれるので、グット。
458 :
考える名無しさん:04/01/11 22:32
ショーペンハウエル、キルケゴールと来たら
ラ ・ ロ シ ュ フ ー コ ー も 忘 れ る な
あと、ウナムーノとかも
みんな真っ暗だぞ
女はキルケゴールなんて読まない方がいいぞ
エロくなるぞ。あ、別にいいのか。
つーかキルケゴールなんて読んでもわかんないなら読むな
そんなもん読むより男に抱かれた方がいい。同じことだが
だからマズローで良いて・・・>452
>>460 人間と動物を区別するための便宜上の定義だと思うがな>欲求段階説
欲求そのものに格というか、ランキングをつけるのはあまり意味のないことだと思うが
スレ違いsage
最近色々な本をチャンポンで読んでいるのだが、ちと気になることが。
キルケゴールの言う「分裂」は、精神医学関係の用語となんぞ関係があるのか?
直接的にはないとしても、何かしら関わりがあるような気がしてならない。
ちくま文芸の「死と狂気」という本に精神分裂病についての記述があったのだが、
そこではサルトルの「即自」と「対自」のようなことが書かれていた。
「ものにいく」とか。
「死と狂気」とはかなり違うが、参考 ↓
ttp://member.nifty.ne.jp/windyfield/s.html 現代精神医学の根本にあるのは実存主義?
463 :
考える名無しさん:04/01/21 22:52
>>462 まあ、あながち間違ってはいないと思う。
キェルケゴールは自分の哲学を心理学的と考えていたし、
キェルケゴールを学的に引き継いだヤスパースは、
世界観の心理学から出発したし。
精神病理学原論も書いたし。
メルロポンティの知覚の現象学なんて、心理学だし。
フランクルなんて、実存分析だし。
464 :
考える名無しさん:04/02/01 21:10
キェルケゴールを理解するためにはやはり絶対者(神?)の存在の認識が前提になるのかな?
465 :
考える名無しさん:04/02/17 15:24
466 :
考える名無しさん:04/02/17 20:32
>>464 ま、あれだよな。日本人としてはこのあたりが気になるところだ罠。
キルケゴールが言っていることの内、絶対者以外のところは、その
通りなんだが、と思っているヤシは多いだろう。
しかしだ。絶対者に対する感覚が欠如しているところが、日本人の
形而上学的センスのないところだったりする。真の実在=絶対者
なのだから、哲学はどれも絶対者を問題にして来たと言っていいだ
ろう。
仏教的な感覚ならあるんだけどな。梵我一如とか。
手塚治虫の「ブッダ」とか読んでたんで。
精神医学についてはよく知らないが、正常と異常という
観点から人はどのように「社会生活を正常におこなることができるか」
っていうところが医学なわけでそれに即して考えられているわけだけど
キルケゴールの場合、キリスト教理に即して人が生れながらにして
意識に絶望を抱えるその根本を取り扱っている。
だから医学では良し悪しは関係なく社会性ということが目的になるのに
対してキリストの教理は完全に良し悪しが問題になっていくる。
悪い奴でも労働に従事しルールを守っていればいい。そのために
人間性とか生い立ちはあまり立ち入らない意識がしっかり統覚されて
いればいいわけで教理はあるべき在り方がある
ただどちらも人間精神の深淵に迫っていくというところでいくつか共通
しているところは必ずあるだろうし興味深いとこだね。
多重人格とは分裂病とか躁鬱、ボーダーとの領域でたぶんいくつか
キルケゴールが参考になってくるところがあるかもしれない。
ハイデガーの現存在を参考にしているビンスワンガ―の現存在分析
も精神医学のひとつだし、カントの悟性と理性なんかは意識の原理
を扱っているわけでこれと分裂病とか多重人格とはどのうように
関係しているのかってのも考えられないことじゃないし、だれか
精神医学精通している人がいたら是非こういった哲学者と心理学者
などの功績がどういうふうに反映されているか聞きたいもんだ
469 :
考える名無しさん:04/02/17 22:53
青臭い精神科医が無理やりこじつけしてるだけです
470 :
考える名無しさん:04/02/22 22:11
イカ臭い産婦人科医よりマシと思われ
471 :
考える名無しさん:04/02/23 02:57
>>458 ウナムーノとはしぶい所をついてきましたな。
って、読んだことないけど。
472 :
考える名無しさん:04/02/23 03:31
ウナコーワに似ているが、かゆみ止めではない
473 :
☆キキ+キ゚Д゚♪ ◆qpmo.OOqAo :04/02/23 03:42
474 :
考える名無しさん:04/02/23 13:41
↑かなーり、強力にウザイよ
475 :
考える名無しさん:04/02/23 15:03
キルケゴールの『死に至る病』を読んで、のたうちまわるほどの感動を得た者です。
自分なりのキルケゴール解釈を述べてみると、
「絶望は、世界と自己とのあらゆる意味における『関係』の喪失である」
「絶望は、反復する自意識の終わることなき増殖である」
「すべての絶望は、最終的には自己の内に向かう(それが怒りを伴うものでも)」
などが挙げられます。反論があればお願いします。
キルケゴールが本書の冒頭で「絶望は弁証法的なものである」とわざわざ断ったのは、
「絶望」が本書においては人生における重要な契機として扱われていて、
読者が「絶望は必要なものである」と解してしまうことへの牽制であるかと思われます。
つまり、キルケゴールにおいては、確かに絶望は一つの重要な契機であるけれども、
それは最終的には否定的に止揚されるべきものとしてであり、
あくまでも絶望は「否定弁証法の対象となりうる限りにおいて」重要なのであり、絶望そのものは純粋に独立して取り沙汰されるべきものではない、と。
キルケゴールは信仰との連関において絶望を考察したという意味では、
厳密な意味での「哲学者」ではなく、さらには「宗教学者」でもなく、
やはり「神学者」であった、ということになると思います。
にもかかわらず彼がニーチェなどとと並んで現代実存哲学の先駆者として扱われるのは、
彼の拓いた思想がいかに普遍的なものであったかということを示しているのでしょう。
人間が近代に入り「世界の背後に隠された(すなわち形而上の)体系」を喪失したことを、
ニーチェは「神は死んだ」と言い、キルケゴールは「絶望」と名付けたのです。
これがかなり乱暴な位置づけであることは承知していますが、キルケゴールがニーチェと違って発狂しなかったのは、
キルケゴールには最終的には「神がいた」からではないでしょうか。(そのことを彼の強さというか、
弱さと言うかは個人の勝手ですが)。
しかしキルケゴールの「強さ」(絶望の果てに信仰を選択しえたものとしての)は、
私にはとても眩しいものとして映ります。
477 :
考える名無しさん:04/02/23 15:29
キルケゴールの弁証法がもっとも先鋭化するのは神の贖罪においてだと
思われます。
>>477 「神の贖罪」とは、「人間の、神への贖罪」と解していいですか?
私はキルケゴールの『不安の概念』を非常に難解に感じてしまった人間なので、
解説していただけるとありがたいです。
心理学て言うよりアンチ宗教哲学。>469
仏教・キリスト教も本来はアンチ宗教哲学な筈なのに宗教化するのは何でだろ?
480 :
考える名無しさん:04/03/06 11:05
>>475-476 レス乙だが、「神学者」にはちょっと違和感を感じた。
「宗教的哲学者」でいいのではなかろうか?
宗教的哲学、ってのもなんか変な言い方だな。
482 :
考える名無しさん:04/03/06 12:32
てすと
483 :
考える名無しさん:04/03/06 12:40
>>460 マズローか・・・。最近、コリン・ウィルソンの「至高体験」いうたら本買ったが
内容は、マズロー、マンセーだったぼ。。。。
484 :
考える名無しさん:04/03/23 21:11
mazuro-
何も書く事無いけど・・・
THE SHOW MUST GO ON♪byフレディー・マーキュリー
486 :
考える名無しさん:04/03/25 23:20
屁ー蹴る
>>480 宗教者、かつ哲学者。という感じでしょうね。
2年前に「死に至る病」を買ったのですが、最近ようやく読めるように
なってきました。
キルケゴールにおける「弁証法的」とは、基本的に「対立物との関係で
変動するもの」と考えればよいでしょうか。(天秤の右と左のように、片方に
振れれば片方はあがる、のような)
どうもヘーゲル弁証法でいう「対立物の相互浸透」や「否定の否定」
のようなものは考えなくてもよさそうな気がするんですよね。
あくまで「死に至る病」を読んだだけでの感想なので、違ってたらご指摘
ください。
これから他の著作も読んでみます。
このスレ消えないといいなあ。
>>475 >あくまでも絶望は「否定弁証法の対象となりうる限りにおいて」重要なのであり、絶望そのものは純粋に独立して取り沙汰されるべきものではない、と。
同意です。
>これがかなり乱暴な位置づけであることは承知していますが、キルケゴールがニーチェと違って発狂しなかったのは、
キルケゴールには最終的には「神がいた」からではないでしょうか。(そのことを彼の強さというか、
弱さと言うかは個人の勝手ですが)。
ここに関してはちょっとわかりません。
キルケゴールには最終的には「神がいた」からだ、ということは
475氏はキルケゴールは絶望ではなく「信仰に至った」と考えるの
ですよね。
でも果たしてそうでしょうか。
キルケゴールは信仰に至ることができたのか。疑問なのです。
キルケゴールはドン-ジョバンニのどこがよかったのでしょうか?
490 :
考える名無しさん:04/04/12 00:42
よいとは思ってないでしょ。
むしろ反証として使ってるだけ。
491 :
考える名無しさん:04/04/26 05:15
キルケゴールは自身の葛藤と誠実に向き合った人。
そういやネットでキルケゴール研究?とかいう論文集が公開されてるよ。
キェルケゴール研究だったかな?すまん、思い出せない・・・
私的感想。
古本屋で一番見かける岩波文庫──『死に至る病』
>>475 誤字の訂正です。
下から3行目。
>否定的に止揚されるべきものとしてであり
止揚→使用
495 :
考える名無しさん:04/05/08 01:43
>>492 検索してもよく分からないので
urlとか詳しく知りたいのですけど、お願いできませんでしょうか
私の回想は永久に新鮮で流れる河の如く私の生涯の荒野をうねり進み、
常に同じ事を囁き語り、語り囁き、憂慮を和げ、招き誘って、回想を源泉まで遡り、
少年時代の暗い思い出から湧き出ている所まで随いて行かせる。
今読み始めたよ
早速 関係 関係 関係 関係 関係関係関係
関係関係関係くぁwせdrftgyふじこlp;
もうだめぽ(´・ω・`)