人はなぜ人を殺してはいけないのだろう? (2)

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4毎度
理由はそもそも会話・記述といった、「行為」の上で示されるものであり、
「行為」によって「理由」を述べる「行為」を無視することは、常に可能なので
「絶対的な理由」は、原理的にありえません。

理由があるかどうかとは、まず、@形式的な問題であり、次に、A説得性の問題です。
説得性は、「その理由は説得的でない」といった台詞で無視することができるので、
「絶対的な説得性」も、原理的にありえません。 馬鹿には何を言っても通用しないのです。


文章を書いているときに「この文章に理由がない」と言いますね。
こういう場合、@理由のあるなしは、形式的に決定されます。
実質的妥当性は問題とされません。 この意味では理由がない、などということは
ありえません。例えば、

・人(任意のB)を殺してはいけない。なぜなら、秋刀魚を食べられなくなるから。

この文章の理由は、実質的に結論を支えませんが、形式的に理由を述べたことになります。
「理由がない」のではありません。「理由はある」。しかし、説得的でないだけです。

・人(任意のB)を殺してはいけない。なぜなら、殺される人は、殺されることで非常に大きな不利益を負うから。
 殺す側、殺されない側は、殺されることによって生じる直接的な不利益を受けないが、
 そのことは、殺される人が負う不利益を解消する原因・理由にはならない。

付された理由が説得的かどうかは、人によるでしょうが、殺されること一般に付随する不利益を
無視することは、かなり説得的でない立場でしょう。
5毎度:02/12/29 19:53

AがBを殺すときには、
・Bが殺される事実以外の事実を考えているか(利得目的)、
・Bが殺される事実自体を目的としているか(復讐)、
・Bが殺される事実が判断に入っていないか(心神喪失)、
・Bが殺される事実を、何らかの事情で引き起こしてしまった(過失)から、
殺すことになります。

Aにとっての、()内の要因に対する評価(利益)は、
Bが殺される事実に対する評価(不利益)とは、無関係です。
Bが殺される事実に対する評価はそれ自体主張可能である以上、
これを示すことができれば、日常的に問題が生じない程度の意味で
「人を殺してはいけない」理由を答えたことになります。
6毎度:02/12/29 19:53
重要な補足です。
理由は、理論的には矛盾していても、現実的には並立して存在可能です。
主張という行為は並立して存在するからです。

あと、人を殺してはいけない理由と、人を殺すことを抑止できる要因は違います。
これを混同して論じている人が多いですが、きちんと区別しないとまずいです。