742 名前:毎度 sage 投稿日:02/12/28 02:30
>>738 (609さん)
>ただ、氏は、自分の考えと食い違う書き込みをことごとく「悪意」「錯誤」「論点違い」と
>決め付け過ぎるような印象を受けた。それと、哲学は「常識を疑う」って意味で
>本質的に「危険」なものだ。それを「危険」だから駄目だと言われると、ちょっと辛いものがある。
■自分の考えと食い違う(=正しくないと考える)書き込みが、ことごとく現れた場合、
ことごとく 〜 決め付ける(結論を明示して批判する)ことは、議論をしているなら当然ありうることです。
論点が違うと言える理由を、いつも明示して論点違いと述べることは、正しい決め付け(結論の出し方)です。
□あなたの印象は、事実に反しています。なぜなら、私は、
>>62 ←
>>85 >>574-576 >>580-582 >>583 などのように、
論点外れであっても、きちんと書かれた意見に対しては、それなりの応対をしているからです。
□決め付けを行っているのは、あなたです。なぜなら、〜印象を受けた、と、印象で結論を出しているからです。
743 名前:毎度 sage 投稿日:02/12/28 02:31
■哲学は「常識を疑う」という意味で、本質的に危険と書いていますが、それは誤った考えです。
なぜなら、常識や、常識という扱いは、必ずしも危険でないわけではありませんし、
常識という扱いで納得せずに認識を批判的に吟味し、より強い認識とすること
− 合 理 的 な 疑いを持ち、論 理 的 に 考 え る こと − は、危険なことではないからです。
□哲学は、本質的に危険だったり安全だったりはしません。危険か安全かは、批判の対象とする内容如何と、
論者のその内容との関わり方によって決まります。事実上安全な位置から、危険な結論をかっこつけて述べる人間
などは、ざらにいます。
□あなたが哲学を危険だと考えるのは、合理的な規範を当面疑っている(否定的に考える)からに過ぎません。
■あなたは、疑うことを「否定してみる」意味に理解しているようですが、疑うことは、結論を定めないで考察すること
であって、現在とられている結論を否定してかかることではありません。あなたの疑いは、一見常識を疑うようでいて、
常識に反する「哲学的態度」を常識としているに過ぎません。哲学が危険なのではなくて、
不合理に反常識的な「哲学(=あなたの考え)」が危険であるに過ぎません。
何かの根拠の多面的な考察が、直ちに危険であるわけがありません。
■さらに、私は常識的な回答をした覚えはありません。道徳が手段と言う考えは、常識的ではありませんし、
>>80-82も、常識的ではありません。あなたは、結論が常識的だから、私の考えが常識だと決め付けています。