人の世は陰陽は五行の形態をとって現われる。
天の太陽、地の炎
気化する水、流れる水の様を示しているのがカンと離。
中フと小過は実態が違う、概念の火と水。
既済と未済って、並んでいるのが不自然な感じがする。
綜卦がつがいで並んでて、上下同じ場合は裏卦で並んでんじゃねえんかな
そういうことではなくて?
しくしくしく。。。
どうでもいいんだけど
>>231は
私がやっぱり他人の為に占をとるべきではなかったという
強力なツッコミでしょうか?
すんません、もうやっちゃてるので手遅れです。
いやいや、人の名前がよくまあ辞占で出ているなと思って。
ああ、なるほど。
私の本名覚えている?師匠は私に出会う前に
「縁のある人間」という占的で卦を立てて
中フの初九を得ていたそうです。
天人地を上中下と読み、上卦巽を柔木として・・・
「木下」という予測を立てていたよ。
はずれだけど、聞いた時はびびった。
「八卦の意味分類」に関して、
抽象的 天 地 水 火
↓ ↓ ↓ ↓
現実的 風 山 沢 雷
という分別も可能であることに気づいた。
「水と沢の区別があいまいでよく分からない」とは易に触れ
始めたころから思っていたが、
・易における疑問点は、どんな馬鹿馬鹿しいものであっても
とにかく究明することに命をかけると必ず収穫がある
ことがなんとなく分かり始めたので考えていたら思い付いた。
これは一体、何を表しているのだろう。上と下で陰卦、陽卦が
変わってしまうがコウ変化にも規則性があるし、この分類に気づい
てから改めて象名を見ると象名を作った人は多分、この対応を確実
に念頭に置いているっぽい。
陰陽で上下対応しなければ干支にもなれない。
合とっきしつう出来ないからね。
初めの頃、水は流水、沢は止水と認識していた。
八純卦の卦名は抽象→現実そのものだね
244 :
考える名無しさん:03/01/24 16:22
はぁ?
>>240 関係ないけど潜龍嫌い?
みたこともないし興味も無いからコメントもないか。
ある意味易鬼にものすごく似ていて、ものすごく違う。
>>243 全然関係ないや、無視してください。
あまりに当然の事として体に入り込んでいたから意識していなかった。
木は、動、振動
火は、熱い、冷たい 熱
金は、物質
水は、流れる
土は、包括
これは一霊四魂。
「八卦の意味分類」に関して、
抽象的 天 地 水 火
↓ ↓ ↓ ↓
現実的 風 山 沢 雷
かなりずれるけど。
天庚 地己 水癸 火丙
↓ ↓ ↓ ↓
風乙 雷甲 艮戊 沢辛
五行は干合で八卦を捻じれさせ現実のものとして存在している。
丁は陽中の陰
壬は陰中の陽として天地水火(四正)にはなれず
合してになるのは雷
振動する不思議な魂、生命を示す雷が生まれる。
これが八卦体系と五行体系のつなぎ目になるのではないでしょうか。
五行体系のなかの抽象的象意は
現実の中にある「抽象」のみに限られてしまう不自由があるけれどね。
五行に土はないと先に書きました。上記から考えると
五行の中心になっているのは木になる。
陽中の陰と陰中の陽から生まれた、振動する命が中心になる。
五行の生まれる順番
水1 火2 木3 金4 土5
易の数象
天 「沢 火」 「雷 風」 「水 山」 地
陽 水 木 火 陰
干合「沢辛 火丙」=水
「水癸 山戊」=火
これは環境を作り、現実の暦にもなる人の意思が働かないもの
「雷甲 風乙」は
丁は陽中の陰
壬は陰中の陽
天地水火(四正)にはなれないが、直接陰陽に結びつく
「捻じれ」をもった命。
五行からみた八卦体系の結びつきはこんな感じではないでしょうか。
だから、ここは哲板なの。
お願いだから易板に帰ってくれませんか?
てゆうかむしろ、帰れ。
>>250 今話してるのは明らかに東洋「哲学」だろうが。
占の世界自体、世界認識の問題と深く関わっており、東洋哲学というのは
個人の運命と世界存在や時間論を統一的に解する以上、ある程度根本的な
会話は哲学性を帯びる。この辺をそれなりに分かっているようでありながら、
その邪魔ばかりする書き込みは何だ。
上のほうのうざい書き込みと同じやつぽいが、おまえのような奴を2ちゃんねるでは「粘着厨」というんだぞ。
何がどうあっても、貴様の書き込みのような理由にならん理由で去るつもりはない。
それでもそう思うならどうぞご自由に削除依頼しろ。相手にされんだろうがな。
ネット掲示板というのはスレッドのテーマに「議論的な」興味がある場合に書き込むんだぞ。
そのくらいわきまえろ糞ばか野郎 二度とくるな
天庚 地己 水癸 火丙
↓ ↓ ↓ ↓
風乙 雷甲 艮戊 沢辛
これ、なに?
これは四柱の干合の法則。
わかりにくくてごめんね。
庚+乙=金(乾)
己+甲=土(坤)
癸+戊=火(離)
丙+辛=水(カン)
四正(よっつの正しい気)
壬+丁=木(雷)
陰中の陽(壬)陽中の陰(丁)を持つ命。
五行土に該当する四正の雑種が命。
言葉が入れ替わっているだけなんだけど、わかりにくいかな。
五行では現実にあるものを象徴するから
最大の陽は太陽の丙
最大の陰は癸の海になる。
易の乾坤は全てに含まれていて
純粋な陰陽はない。
庚+乙=金(乾)
己+甲=土(坤)
これは単純に心と体
生命があってもなくても、すべてが持つ魂魄
易の乾坤を含むものは、必ず木(命)がある
↑木が絡む
陽(火)中の陰 丁
陰(水)中の陽 壬
乾坤の魂魄を持ち、陰陽(水火)の極まらない、
捻じれた形で存在している木が命である。
ゆえに五行では「木」が中心になる。
土は生まれる・死ぬ「姿」のみで全く意味はない
それを八卦に対応させると
天 「沢 火」 「雷 風」 「水 山」 地
陽 水 木 火 陰
こうなる。
八卦体系と五行体系の結びつき、
五行から八卦を見た場合はこうなると、私は思う。
天 「沢 火」 「雷 風」 「水 山」 地
陽 水 木 火 陰
八卦の天と風 地と雷が干合するのは
五行が循環するための「捻じれ」
捻じれたところで生命(木)が存在するのは面白い
こんなこと書いてる本ないから
独覚といわれそう。
五行は腑におちた。易に戻ろう。
「八卦の意味分類」に関して、
抽象的 天 地 水 火
↓ ↓ ↓ ↓
現実的 風 山 沢 雷
抽象と現実の間にあるものは
太極?陰陽?どちらのイメージをもっている?>易鬼
太極なら螺旋。陰陽なら輪のイメージにならないかな?
天 「沢 火」 「雷 風」 「水 山」 地
陽 水 木 火 陰
__ __ 陰
_____
九五 丙 太陽
__ __
九四 六三 乾坤の魂魄を持ち陰陽の極まらない捻じれて存在している木(命)
_____
__ __ 六二 辛 海
_____ 陽
易で水火既済が定位となるのは明らかに
五行理論を意識しているよね。
>>123-124 124の
・1−6こう 2−5こう 3−4こう に文構造の相似が見られること
これは上記陰陽五行の「応」を意識しているのではないか?
1−6の応、2−5の応、3−4の応。
うーむいまいちよくわかんないな
なにがよくわからないのかもわからない
すこしかんがえてみよう
抽象と現実の間にあるものは
太極?陰陽?どちらのイメージをもっている?>易鬼
太極なら螺旋。陰陽なら輪のイメージにならないかな?
最後の一行はよくわからない。
少なくとも体用の関係にはなっているだろう。
象徴的火→現実的火
離火→震雷
だろう。
きせいの応のところ、よくわからない。
卦変と卦構造にかんして、
陰卦と陽卦の構造や変コウの本質については徐々に明確な視点を
持てるようになってきているが、またコウ位と応比そのものについても
やや分かってきたが、
正、不正について
これがよく分からない。なんでこういうものが卦構造に内在しているのか、
内在しうるのかが全く分からない。
RGKと俺は、
「わかった」
という言葉の意味するものが
少しずれているのかもしれない
そこがまたいいんだが
陰陽バランス取れた地天泰ではなく水火既済と定位とするのは何故?
易鬼はどう解釈する?
>>267 お互いずれているのを無理にすり合わせようとしないのもいいね。
陰陽のせめぎあいが易だ。
>>263 ・1−6こう 2−5こう 3−4こう に文構造の相似が見られること
これは上記陰陽五行の「応」を意識しているのではないか?
1−6の応、2−5の応、3−4の応。
これは並びの違う「天人地」ではないでしょうか。
1−6 姿のない龍 天
2−5 姿の現れる龍。「大人」という人と龍が重なる場所 地
3−4 龍が完全な人に成った姿 人
だから3−4に「龍」の辞はかけられず、人を象徴しているのでは?
「君子」は人。「踊りて」は足をじたばたさせる様。
このコウ辞が示すのは、人位の人を意識して書かれている。
龍を省いたのは、龍ではない「人」を示すためではないでしょうか?
>>45 吉兆星って推命で聞いたことないんですけど、
誰の本に出てました?
>>86 5052さん。
易鬼との面白い話題の所、乱入してすみません。
>掌を上に向けるか、下に向けるか、というようなことでも、中国人は陰、陽、という言葉を使うそうです。
相撲取りが組む前に、掌を下に両手を広げ、広げきったところで上に向ける。
地の気と天の気を集めて手を打つ。
手を打つのは天地を合わせて人を意味しています。
手を打ち足を踏み「音」で人を示す。易の震雷が生まれる様子ですね。
私は五行について書いていましたが、5052さんの感性からすると
どのような感覚がするのかを聞いてみたいです。
ああ、そうか。
土俵をイメージすれば五行が解りやすいかも。
土俵の上、東西南北に青白赤黒の房がある。
木金火水で対極をあらわし空間を作る。
これが干合
土俵は四角で地を表し、縄は丸く天を表す。
四行の中に含まれた乾坤。
易の乾坤(陰陽)は土俵の外を作っている。
易の乾坤と五行の土金の違い、解るかな?
力士が手を打ち鳴らし足を踏み鳴らし雷と成る。
>>268 変コウの本質論で
陰変化、陽変化を分析した結果、陰陽の変化について導き出される一般原則
は、次のようにあらわせられそうだ。
「陰と陽はいかに混合しても絶対に混ざらないが(陰は陰、陽は陽で在りつづけるが
、各々が極まると内部から他方が生成する」
>>273 では水火既済の一卦のみを定位として扱うのはおかしい。
全ての卦は乾為天と坤為地の二卦のみから成る。
そこに定位の概念はない。
水火既済の定位とは、五行に姿を現すための踏み台に成るものと
捕らえているのかな?
>>274 まるで教えて厨でした。
無視してください。
既済については、それが非常に理想的な形態であろうということは思う。
つまり、陰陽の下部構造において、
陰陽陰陽陰陽陰陽・・・・・・・・・・・・
というふうに陰陽が無限に分裂し、一切の偏りがなければそこから変化は
過去永劫、未来永劫起こりえず、それのみで完全性を保持した閉じた形態に
なるであろうからだ。
ただ、極小の一個所でも陽陽、と偏りが生じたとたん、上部に既済は現わ
れ得なくなる。
実際のものとしての卦においては、上記のイデアルな既済では
なく妥協としての既済が現れるのであろうから、卦辞の成就感とコウ辞の危
殆感に分裂が生じているのであろう。
しかし、このイメージにおいては正を得たものが既済であって未済でないこと
の説明が全くできていない。
5コウの君子位、心位における陽の座、というイメージは勿論理解できるが
、卦を疑似社会化、擬人化するというあまりにイメージ的な説明の脆さには
自分は納得感を持ち得ないし、卦要素の説明も「構造的に」行うことが完全に
できるのではないかと思う。ゆえに、「なぜ人に当てれば心で、社会構造に当
てれば天子の位になり得るのか」ということが明らかにされねばならない。
要は、3コウと5コウを差異化することによって卦に上下を作り出して、
階層内の卦内における矢の方向性を決めることにポイントがあるのだろうと思うが。
「コウ卦には変コウはなく(変じてしまっており)、ただ最上位の本卦にの
み未分なるものとしての変コウが残っている」ということで、コウ構造の網目に
おける階層同士の上と下の矢の方向性が決められるところに変コウの意味がある
のであった。
この辺と整合的に理解されねばならないと思っている。
我々素人は「爻」の字で代用しちゃって何とも思わないんだけど、
ここで熱くなってる易者の皆さんは、一体どういう字を使いたくて
「こう」「コウ」って使い続けてるわけ?
>>276-278 了解。
混乱させてしまったのは、
私があくまでも「五行理論からみた八卦体系」へのアプローチをしていたからでしょう。
閉じた形態の水火既済が既に在り、五行が存在しているよという話しを
していた。
だから、私の話は狭く本来の陰陽感を制限してしまっている。
易に戻るよ。
やっぱりなんか申し訳ない気分なので引きます。
あうあうあー
283 :
考える名無しさん:03/02/13 01:33
あげ
ここで私が散々考えていた事は五行大義に結構載っているじゃん
ちっくしょー、くやすい。。
285 :
通り過がりの者:
火水未済. 火水(神)とも読みます. 万物は流転する.