●○● Aquirax: 浅田彰 part9●○●

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84考える名無しさん
プレイアード版ジュネ戯曲全集  02*12*24

ジャン・ジュネの戯曲全集がプレイアード叢書に加わった。
同性愛の泥棒作家も、ついに栄光ある文学の星座に迎え入れられたというわけだ。
ジュネと言えば小説が有名だが、戯曲もまた重要な位置を占めることは、日本でも
渡辺守章らによって強調されてきた通りであり、まず戯曲全集が出たというのは、
その意味でも注目に値するだろう。
ここには、ジュネのすべての戯曲が異なるヴァージョンも含めて収められているほか、
豊富な関連資料、そして渡辺守章演出の『バルコン』を含む様々な舞台写真も収録されている。
その中でも、読み直してみて面白かったのは、『屏風』をめぐるフランス議会での論争の記録である。
鵜飼哲との対談「裏切りとしての愛」(浅田彰『20世紀文化の臨界』青土社)でも触れたように、
『屏風』が1966年にパリのオデオン座で上演されたとき、アルジェリア戦争の文脈で反フランス的と
見られたこの作品に抗議して、右翼のデモ隊(若き日のジャン=マリー・ル・ペンを含む)が
劇場の内外で騒ぎを起こした(1968年の5月革命でオデオン座が占拠されたことを思うと、これは
5月革命を先取りする事件だったとも言えよう)。
この問題は議会でも取り上げられ、国費の助成を受ける劇場で反国家的な作品が上演されることへの
批判が展開された。
ジュネとはまったく違う立場(ド・ゴール政権の文化大臣!)にありながら
それに堂々と反論したのがアンドレ・マルローである。
「この作品を読んだ者は誰であれ、それが反フランス的でないことを
よく知っております。それは反人間的である。すべてに反対しているのです。」
こう断ずるマルローは、「ゴヤが反スペイン的でないように、ジュネは
反フランス的でない」と念を押した後、ジュネの作品における「腐敗」
という問題に論を進め、ジュネに「腐敗」があるならボードレールにも
「腐敗」があると論じて、『腐屍』の末尾を暗誦する。
「『腐屍』、これは検事総長の気に入るタイトルではありませんでした、
『ボヴァリー夫人』のことは言うまでもなく。」
むろん、この詩を含むボードレールの『悪の華』とフロベールの『ボヴァリー夫人』が
検閲の対象になったことを仄めかしているのだ。
85考える名無しさん:02/12/31 20:23
「私はジュネ氏がボードレールであると言うつもりはいささかもありません。
彼がボードレールだったとしたら、我々にはそのことがわからないでしょう。その証拠に、
ボードレールが天才だとは誰も知らなかったのです(笑)。」
こうしてイロニーをちりばめながらあくまで検閲を拒否するマルローは、
「自由は常にきれいな手をしているわけではありませんが、自由を選ばなければならないのです」
という結論で演説をしめくくる。
さすがにブリリアントと言うほかない。
もっとも、記録を読み直すと、右翼の反対論も単純ではないことがわかる。
われわれも表現の自由は重視している、だが、それを盾にとって反社会的な
言説が氾濫しているのを一体どうするのか。
われわれが求めるのは検閲ではない、このような作品を上演する劇場への
国費助成の削減に過ぎないのだ……。
こういう事実上の「検閲」こそ、現在も支配的なものにほかならない。
そのような意味でも、この論争は改めて読み直す価値のあるものだと思う。
もちろん、これはあくまで付録のひとつに過ぎない。
1400頁を越える本書を折に触れてひもとき、ジュネならではの華麗な言葉たちが
きらめきながら燃え尽きてゆくのを眩しく見つめながら、冬の夜々を過ごしたいと思う。