●○● Aquirax: 浅田彰 part9●○●
ドン・デリーロの口語ミニマリズム 02*12*31
現代のアメリカ口語でたとえばカフカのような文章を書くことが可能だろうか。
むろん、そんなことは不可能だ。
しかし、ドン・デリーロは、今回邦訳(新潮社)の出た新作「ボディ・アーティスト」
において、ぎりぎりまで無駄を削ぎ落とした簡潔な文章により、それを別の形で
実現してみせたと言ってもいいだろう。
前作「アンダーワールド」(邦訳:新潮社)のようにむしろマキシマルな
長篇小説で知られるデリーロがこんな作品も書けるというのは、ちょっとした驚きだった。
突然夫に自殺された女性(身体を使ったパフォーマンスを行なうアーティスト)は、
家の中に潜んでいた不思議な男(だが、それは実在の人物か、彼女の空想か)を見つける。
彼は時間の経過を認識することができないらしく、言葉の断片を奇妙な時制で
口にしてみせるばかりだ。
この男との会話とも言えぬ会話の中で、やがて女性も非現実的な次元へと滑り込んでいく。
このあたりは大変微妙に書かれており、翻訳も特に悪くないとはいえ、やはり原語で
読んでみるべきだろう――時間をかけて正確に。
そう、最初にこの小説を読んだとき、私はそれをローリー・アンダーソンの朗読で
聞いてみたいと思ったものだ。
彼女のパフォーマンスがベケットの劇でないのと同様、デリーロの小説もカフカの小説ではない。
しかし、デリーロが、ありふれたアメリカ口語を使いながら、その簡潔さと正確さ
によって詩的とさえ言える表現に到達したことを、それはそれとして評価しておきたいと思う。
ちなみに、これとほぼ反対の性格をもつ作品に触れておこう。
ジョン・アップダイクの新作「Seek My Face」(Knopf)だ。
ここでは、ホープという78歳の女性アーティストが27歳の女性インタヴュアーに応えて
饒舌に過去を語り続ける。
ホープの最初の夫だったザック・マッコイはジャクソン・ポロック、ホープ自身は
リー・クラズナー(但し後半生はやや現実と離れる)をモデルにしており、他にも
バーニー・ノヴァことバーネット・ニューマンをはじめ、戦後アメリカ美術の旗手
たちが次々に登場して、ホープのざっくばらんな回想の対象になる。
アップダイクの筆は達者そのものだし、美術批評も書くだけに美術史についての
知識も的確で、女たちのおしゃべりを楽しみながら戦後アメリカ美術の裏面史を
知ることができるというわけだ。
もちろん、そこに人生や美術に関する本質的な洞察を求めても裏切られるだけだが、
その饒舌は、抽象表現主義が熱く燃えていた頃のアーティストたちのエネルギーを、
間接的にではあれ伝えてくれるように思われる。