前提を疑ってかかる。時にはそういう発想が必要。
焚書坑儒
3 :
考える名無しさん:02/12/19 23:40
>>1 マルクスの有名な言葉だね。
常に、だけど。
4 :
考える名無しさん:02/12/20 00:27
>>1 その人の本を読んでみようかと思ってたとこなんだけど、
どうして哲学版?
5 :
考える名無しさん:02/12/20 01:12
「カミとヒトの解剖学」は大変、参考にさせて頂きますた。
>>4 著者は「考えるということについて、考える」人であり、
本当に自分で考えている希有な人。
この本の冒頭にも出てきます。
日本には各論の専門家は多数だが総論をやれない状況があると
いう説明があります。
たとえば解剖の専門家だったら、前提とするものを
受け入れた上での専門であるわけなので「解剖とは、何か?」
という設問は立てない。それは解剖ではなく、哲学だといわれてしまう
のだそう。この場合の哲学とは、軽い非難の意味が含まれるとも。
そんなこんながあって、哲学板にやてきました。
昔唯脳論を読んで議論した時は、ニフティーの fshiso だったなぁ。
実際養老さんの本は哲学書のコーナーに並んでいるので
そこで買いましたし。
一応脱線だけど、自然科学は哲学の分科の一つでしかなかった
という事がこの本の冒頭で出てきます。
日本が明治維新に科学だけ輸入したけども神学を輸入しなかったので、
総論を引き受ける部分がなくなったんだとも。
ならば神学を始めるべきかということになるが、日本ではならない。
科学が倫理の領域で苦しんだりする状況を哲学がなんとかしよう
ということを熊本の大学の先生が言ってたりしたよ。
その後哲学が盛り返したという状況はないみたいだけど。
>>10 素早い攻撃!! というか、時間があり余ってる?
>>12 擦れ違い指摘あじがと!
クッキー焼却でie6.0なら書けるようになった。
かちゅは使えない。
最近、やたらクッキー画面が出まくりだなぁ。なすて?
15 :
考える名無しさん:02/12/20 16:33
問題は養老氏の「唯脳論」を肯定的な論説と受け止めるか、批判的な論説と
受け止めるかってことじゃない? 氏が「唯脳論」で言いたかったのは、真に
実在するのは脳だけであるってことじゃなくて、世の人々は少々頭デッカチで
あるってことだと思う(藁
>>15 その前に、「この板の皆さんは唯脳論をどう読んだのか」聞いてみたいですね。
この問いかけについての答えを点検する場合、「ある立場に立って解釈しなければならない」
という前提の存在を肯定する必要があるけども。
唯脳論は、上の点検で出てくるであろう「前提」すべての、どの立場にもたっていない
と思われ。
確かに「世の人々は少々頭でっかちである」という主張があったようにも読める立場が
あるかと思うが、そう読めるであろう立場を取りたがるのは、脳の持っている特徴(機能)の
典型の一つであると、その指摘はなされていた。
今度の人間科学ではさらに詳細にそのことが分析されている。
唯物論、物理科学、客観、さらには心身問題についてもサクッと記述されていて面白いです。
17 :
考える名無しさん:02/12/20 23:14
唯物論,唯脳論の世界観
さむい
唯物論,唯脳論の世界観
照れる
19 :
考える名無しさん:02/12/20 23:36
唯物論,唯脳論の世界観
ポップス
20 :
考える名無しさん:02/12/20 23:43
スイッチの塊でしかない神経細胞の集まりから、
世界を美しいと認識する意識が生まれると考えるのは
ファンタジー。
>>20 自意識とは掘り下げていくとどのようなことであるのか考察されていて
現在ではファンタジーかもしれないけどそのうち解決されるであろうという
見通しが示されています。差異と同一性の話は面白いです。
美などについても、クオリア問題に触れ、養老さんの意見も示されています。
末梢感覚器官から脳への入力に対して、意識は全てをカバーしていないという
指摘は面白かったです。
22 :
考える名無しさん:02/12/21 00:02
運動神経も脳にあるというのは、目の覚めるような指摘ですな。
体育会の連中は頭に筋肉がつまっているなどといって
「能なし(脳なし?)」を揶揄した話があったけど、1450gの脳髄のほとんど
は運動に関する役割を担ってるんですよね。
頭の働きの悪い人? が、運動出来るわけないのだ。
意識に関る部分は表面のほんの少しだけかも。
>>6 養老さんの思索は一貫しているので、「ものの見方」「形を読む」とか以前のも
のから順に読んでいくと、よくわかる気がします。
ていうか、その本を理解したければ、一つ前に出た本を読破しとかないとむずかしいかも。
その意味で、毎回楽しみにしています。
>>23 そだ、以前の本に「中枢は末梢の奴隷」というはなしが出てきます。
それ読めば意識の座を局在論的に捉えるのは間違いなのかなって思えて
きますけど、どうなんでしょ。
25 :
考える名無しさん:02/12/21 00:54
話、変わるけど、「考える」って感覚は身体的なものだと思う?
>>25 立花隆さんが本の中で
”もめ事の大半は、同じ言葉をお互いが違う定義で使っていることに気がつかないから
起きている”といっています。
哲学板の皆さんは「考える」ということをどう定義しているんでしょうか?
思考するというのは、自意識が、ということなのかな? コギト?
私的には
”「考える」って感覚”は、脳が身体に含まれる以上、身体的なものだと思います。
身体は考えるものであるわけですが、たとえば、食べ物を食べると、口から喉を
通り食道、胃へ向かいます。嚥下といいますが、嚥下するには複数の筋肉の
連係プレーが必要です。これを考えてやってるかどうかはさておき、腸が
蠕(ぜん)動運動を起こしてお尻から出すまでの間、「内蔵は考えてやっている」
としか思えませんよね。蠕動が早すぎればゲリだし、遅ければ便秘だし。柔らかい
ものも固い物も消化のいい・悪いにかかわらず、一定の時間で運び出すわけだから。
時には体に悪そうな酸を感じて嘔吐したりします。これは体が「考えている」ととるか
ただの反応に過ぎないととるかは定義次第だと思います。
単細胞生物だってあやしい酸からは逃げるし、糖があれば寄っていって取り込もうと
するでしょう。
生き物が反応を示すということは、意識を持っているとみなして不都合はなさそう
ですが、ならば、考えてやってるのだという「言い方」をしても、何か不都合が
あるか? ということになりませんでしょうか?
それとも、考えるということには何か厳密に(たとえば人間の意識以外にあてはめ
られないとか。人間以外は物であるという宗教観などの理由とか)定義があるのか?
という疑問がわきます。
そーねー。
末梢神経のインパルス(例えば痛み刺激とか)をこころや意識じゃない、とは言い切りにくいなー。
でもそれを思考である、とはさらに言い難い。
左脳がものを考えてる間、右脳はなにをしているのか?
恐竜の副脳はなにかを考えていたのか?
28 :
考える名無しさん:02/12/21 16:56
勘帰る
観帰る
感帰る
・
・
・
29 :
考える名無しさん:02/12/21 17:00
(現在の)コンピュータの中の電流パルスが、計算や情報処理でないのと、
同様な意味で、末梢(?)神経のインパルスはこころや意識じゃないだろうね。
>>29 いや、わからんぞ。
計算機の基底にあるのは要するに電子的なスイッチのオン・オフ。
それを計算ではない・情報処理ではないと言い得る理由が考えつかない。
31 :
考える名無しさん:02/12/21 17:27
>>30 じゃあ逆に、
電子的なスイッチのオン・オフでなければ、計算でない、情報処理でない、
といえる?
電子的なスイッチのオン・オフ「も」、計算である情報処理である
・・・とは言えるんじゃないかな。
つぅーか、般教の情報処理でそんなことを習った記憶がある。
電灯のスイッチも記憶装置といえる、とか言ってた。
(オンのときは電灯がついている状態を記憶しており、オフの時はその逆)
33 :
考える名無しさん:02/12/21 17:43
>>32 もちろん、電灯のスイッチも、そろばんの玉も、下足札も記憶装置だね。
そうすると、電灯スイッチやそろばんの玉の移動と静止や(作用反作用と摩擦))などの
物理現象「も」、計算であり、情報処理ということになる。
また、電子的なスイッチのON/OFFの基底にある、クォークレベルの
物理現象「も」、計算であり、情報処理ということになるね。
>>33 う〜む・・・。
「作用反作用と摩擦」や原子・素粒子レベルの物理現象も
記憶装置や情報処理手段として利用できるなら、もちろんそれも
記憶であり情報処理である、と言えるんじゃいのかねえ・・・。
情報処理装置と情報は別物として考えないと。
ほとんどあらゆるものが情報処理装置に使えるから。
ああこりゃ失礼。
もともとは、痛み刺激のような末梢神経インパルスも「こころ」を
直接的に成り立たせている物理現象といえるのではないか、ということを書いた積もり。
でも「思考」とまではいかないんでは、と。
37 :
考える名無しさん:02/12/21 18:42
「情報」と「情報処理装置」が別物であるとして、
「情報処理」と、「情報処理装置」は同じと考えていいのだろうか?
「電子的なスイッチのON/OFF = 情報処理」というのは、
どちらかというと、そういう事だと思うんだけれど。
38 :
考える名無しさん:02/12/21 18:51
「電子的なスイッチのON/OFF」は「装置」ではなく「現象」だね。
電子装置的な現象かつ情報処理という現象。
39 :
考える名無しさん:02/12/21 19:09
そして、「電子的なスイッチのON/OFF」という現象の基底となる、
クォークレベルの現象も、「情報処理」という現象であると。
どうして理解できない人がいるのか、よくわからんのだが・・・。
こう考えてみたらどうだろうか。
「電子的なオン/オフ」はそれが直接的に情報処理の符号として利用されているており、ゆえにそこには電子的物理現象と情報処理という現象とが重ね合われている。
しかし作用・反作用とか摩擦とか、クォークとかは、情報処理手段そのものとしては利用されていない。もちろん、利用することは可能だろう。ゆえに(上に挙げられた例においては)「情報処理」とは言い難い。
41 :
考える名無しさん:02/12/21 20:45
でも、「電子的なオン/オフ」が「情報処理」であると
「いえるならば」、
同じように、
「電子的なオン/オフ」に「直接利用されている物理現象」は、
少なくとも、「電子的なオン/オフ」であるとはいえるんじゃないの?
電子的on/offはそれが直接に符号に変換され得るのに対し、
クォーク云々はそれだけでは電子の運動に変換されない。
一階層下の出来事・現象なんでは。
スレの本筋からかなり外れてしまった。この件はもういいだろ。
43 :
考える名無しさん:02/12/22 12:16
>>42 「クォーク云々」と「電子の運動」の関係と対比するのならば、
「電子的な on/off」 と「符号」ではなく、「電子的な on/off」 と「情報処理」とすべきだろう。
私はちゃんと、
>でも、「電子的なオン/オフ」が「情報処理」であると
>「いえるならば」、
~~~~~~~~~~~~~~
といっている。
ここで、「情報処理」と「符号」をすり替えてしまっては議論は成立しない。
「情報処理」と「符号」についても、「クォーク云々」と「電子の運動」と同様の階層関係が存在するんだからね。
>一階層下の出来事・現象なんでは。
「電子的なオン/オフ」あるいは、それに恣意的に対応付けられた「符号」は、「情報処理」の一階層下の出来事、現象ではないの?
そのような「電子的なオン/オフ」が「情報処理である」といえるのに、
(つまり、ここでは一階層下の事柄は、上の階層の事柄それ自体であるといっているのに)
なぜ、「電子的なオン/オフ」の一階層下の出来事である「クォーク云々」に
「限っては」
一階層上の現象である「電子的なオン/オフ」「では無い」ことになるの?
>スレの本筋からかなり外れてしまった。この件はもういいだろ。
いや、この問題は、末梢神経のインパルス、外部環境その他と、こころや精神の関係の捉え方にかかわる問題だと思うんだが。
末梢神経のインパルスがこころ自体であると
「いえるならば」、
「クォーク云々」も「電子的なon/off」といえるんじゃないの?
>>42 「電灯のスイッチ」のところでも述べたが、電子的on/offはそれだけで情報処理の最小単位を形成している、と考えられる。どうもそれすら理解されてないようなので、「符号に置き換えられる」云々の表現を使った。
だから、
>「電子的なオン/オフ」あるいは、それに恣意的に対応付けられた「符号」は、「情報処理」の一階層下の出来事、 現象ではないの?
これは違う。
クォークの運動はどこまでいってもクォークの運動それだけであり、電子の運動(電子的on/off)の一単位ではない。
>>スレの本筋からかなり外れてしまった。この件はもういいだろ。
>いや、この問題は、末梢神経のインパルス、外部環境その他と、こころや精神の関係の捉え方にかかわる問題だと思うんだが。
余り思わない。正直、この質疑応答はこれで終わりにしたい。
いまごろ気づいたが、クォークは陽子を含むハドロンの一階層下の素粒子であって、電子とは関係ないそうだ。
47 :
考える名無しさん:02/12/22 13:50
>>44 >クォークの運動はどこまでいってもクォークの運動それだけであり、電子の運動(電子的on/off)の一単位ではない。
つまり、電子の運動は、それより下位の物理現象には絶対に分解できないと?
>余り思わない。正直、この質疑応答はこれで終わりにしたい。
終わりにしたいとあなたが望むのは勝手だが、
>末梢神経のインパルス(例えば痛み刺激とか)をこころや意識じゃない、とは言い切りにくいなー。
というあなたの主張、つまり、
「下位の階層の出来事は、そのまま上位の階層の出来事である」
という主張の根拠については、結局、説明できないままだね。
つまり、説明できないから、終わりにしたいと理解していいのかね?
>>46 だから、私は、「クォークレベルの現象」としかいってないが。
>つまり、電子の運動は、それより下位の物理現象には絶対に分解できないと?
さあ? それはよくわからない。ともかく、クォークは電子運動の下位の物理現象ではないそうだ。
>>末梢神経のインパルス(例えば痛み刺激とか)をこころや意識じゃない、とは言い切りにくいなー。
>というあなたの主張、つまり、
>「下位の階層の出来事は、そのまま上位の階層の出来事である」
>という主張の根拠については、結局、説明できないままだね。
???
なぜ、「末梢神経のインパルス(例えば痛み刺激とか)をこころや意識じゃない、とは言い切りにくい」ということが、「下位の階層の出来事は、そのまま上位の階層の出来事である」 になるのだろうか?
まったく理解できない。
「下位の階層の出来事は、そのまま上位の階層の出来事である」と主張した覚えもない。
>だから、私は、「クォークレベルの現象」としかいってないが
え〜と、君が間違ったとはいってないんだが。議論の流れをみて勘違いしそうな人がいるかもしれないから、
>>46を書いた。
理解を得るために書いたことが、逆に誤解を招いてしまったかもしれない。
もう一度まとめておこう。
「電子的なon/off」は情報処理の最小単位である。実際1ビットはこの情報処理過程で生まれた情報量の、最小の一単位である。
そろばんをパチパチ弾いて計算することも(そろばんの玉が上下するという物理現象も)、そろばん計算という情報処理の、最低のワン・ストロークであると考えられる。
それに対してそろばん玉の物理的な作用反作用、摩擦といった物理現象は、別にそれが情報処理をこなしているわけでない。情報処理の存在を物理的に支えてはいるが、情報処理プロセスの一単位であるとはいえない。
そろばん玉の上下も物理的現象ではあるが、「作用反作用・摩擦」がそろばん玉上下の物理現象の下にあるからといって、それもまた「情報処理過程の一部である」とはいえないと思う。
こんばんは。
議論が続いているようで、嬉しいです。2ちゃんは
書込みが途絶えるとすぐにdatしちゃうから。
養老先生の本は「ものの見方」を主に扱っていて、そのもの自体のお話
には立ち入らないという風にも読めます。
あまり論じる人のいない「情報論」ということで、最近このスレで議論されている
情報処理などについては出てきますよ。
計算をするという行為には、どうしても記憶の能力が必要です。その
こと自体を詳細にやるよりは、もっと全体の話をした方が今は面白いかも。
情報処理といっていることの具体的な内容は、たいがい翻訳だったり
すると思います。これは情報の変換ということですが、「いくら変換を
繰り返しても、内容は普遍」というのが、情報の特徴です。トルシエ監督
のセリフを日本語変換する人がいて、「内容が違っていないか? フランス
語のわかるやつ出てこい」などという騒ぎがありましたが、内容が変ってしまう
のは変換ではないわけです。
記憶に関しても、意味と記号との対応は無条件に決定されていて、論理が
存在していなくてもいいというのが情報論の本質なんだそうです。
遺伝子のように、ある分子にどんな意味が書込まれているかの法則
に論理がなくてもいいわけだけども、内容を持たせることができるし、
それを別な形に翻訳することもできます。
そろばんの玉の物理的な状態と、ある内容とを対応させてもかまわない
し、その内容を保持したまま別な形に変換することもできます。
物理状態が保持されるならば、記憶に応用することができます。
人間の持っている情報は、さまざまな外部記憶装置にため込む
ことが出来ます。
情報処理というと何かおおげさなことをしているような気がしますが、
単に翻訳でしょうね。
心の動きみたいなことは、もっと突っ込んで考えることができる気がします。
51 :
考える名無しさん:02/12/23 02:49
唯脳論って、現象学からみると心理主義に該当しない?
>>51 「現象とは本質の外化である」といった考え方を追求して一つの筋道を付ける
のも意味があることだと思います。
それにはたとえば「本質」が存在していることを前提にしていたりと
あれこれあるので話がややこしいわけです。
人間は(ヒトは)、「脳の中にあることだけしか知りえない」んだと
一度思い直して総べてを考えると、わかりやすくなるし整理出来るのではないか?
という「見方」を提示しているものだと思われ。
見方であって、新しい哲学の提唱ではないと思う。
53 :
考える名無しさん:02/12/23 10:02
>52
でもそれって結局「いけない行為」という概念の上でのカテゴリの
定義しだいじゃないか。例えば人に苦痛をあたえることをその定義にするならば
確かに殺人(の特定の範囲)はいけない行為になるかもしれない。
だけど「自分が不愉快ではない事」がいけない行為の定義とするならば、例えば9.11の
テロやネオ麦茶の悪ふざけは全くいけなくはない。、それどころか面白い、刺激
的な有益さすらある。
>>53 ひょっとして
http://academy.2ch.net/test/read.cgi/philo/1036118981/ から流れていらっしゃったのかな? それであるならば、このスレで言っている本やそれを基礎ずける過去の書籍で指摘があります。テロや麦茶などの行為が出てくる現代人とは、「情報の中だけで生きている」からそうなるのだと。人は
常に変化しつづける生き物であり、情報に触れて変化する自分というものが核にあるはずだが、「形を変えることのない情報」にあわせて自分も変らないフリをし続けていると、全部が他人事のようにして生きていられるようになっちゃうなどという言葉で。
自分に関係のない情報の操作だから、人を轢き殺して遊ぶテレビゲームで「楽しめる」人が出てきてもフシギではないと。
人は脳の中のことしか知りえないし、外界に発見する規則はすべて脳の中に備わった規則を再発見している作業だという指摘もあるわけだけど、
だから直ちに心理主義か? といわずに、もうすこしこの方の「ものの見方」を学んでも楽しいかもしれないと思っている今日このごろです。
さて、お出かけの時間だ。
>>55 キモさ加減はお前もいい勝負だけどな、ゆい脳と。
>>56 ゆい脳氏がキモい点と、私が向こうで論じた見解の内容が正しい点に
争いが無いのであれば、私がキモいとかいうことは、お好きなように
書き連ねてくださって結構です。徹底した抵抗なり批判なりということが、
多少なりとも「キモくない」ためしは、ありませんので。
なにしろ、キモいという言葉があてはめられる用例は、とてつもなく広いですからね。
用例→対象
59 :
考える名無しさん:02/12/23 18:48
>>48 >なぜ、「末梢神経のインパルス(例えば痛み刺激とか)をこころや意識じゃない、とは言い切りにくい」ということが、「下位の階層の出来事は、そのまま上位の階層の出来事である」 になるのだろうか?
>まったく理解できない。
>「下位の階層の出来事は、そのまま上位の階層の出来事である」と主張した覚えもない。
「下位の階層の出来事は、そのまま上位の階層の出来事」でないのなら、
なぜ、「末梢神経のインパルス(例えば痛み刺激とか)をこころや意識じゃない、とは言い切りにくい」
といえるの?
60 :
考える名無しさん:02/12/23 19:11
>>49 だから、私の聞いているのはこういうことだ。
情報処理←そろばんの玉の動き←摩擦等の物理現象
という階層構造において、
「情報処理←そろばんの玉の動き」においては、「情報処理=そろばんの玉の動き」
である(とあなたは主張している)のに、
なぜ、
「そろばんの玉の動き←摩擦等の物理現象」においては、「そろばんの玉の動き=摩擦等の物理現象」
でないのかということだ。
この問題とこのスレの問題の関係を整理すると、
・上位下位の関係を持つ事柄について、下位のものが上位のもの自体であると、
常にいえるのであろうか?常にいえないのであろうか?いえる場合もいえない場合もあるのだろうか?
・いえる場合といえない場合があるとしたら、その違いは何だろうか?
・「末梢神経のインパルス(例えば痛み刺激とか)」と「こころ」の関係は、「いえる場合」の条件を満たしているだろうか?
>「下位の階層の出来事は、そのまま上位の階層の出来事」でないのなら、なぜ、「末梢神経のインパルス(例えば痛み刺激とか)をこころや意識じゃない、とは言い切りにくい」といえるの?
「下位の階層の出来事は、そのまま上位の階層の出来事」という考え方と、「末梢神経のインパルス(例えば痛み刺激とか)をこころや意識じゃない、とは言い切りにくい」という語句を、きみがどうして関連づけるのか、またしても説明がないので、なんとも言い様がない。
意識の物理的側面はニューロンの発火やシナプス間の情報伝達が担っていると考えられているようだ。これはいわば、意識の(物理面での)最小単位と言えそうだ。
一般にこれらの神経情報伝達は脳内、それも大脳内のそれ(のみ)をイメージして語られることが多いようだが、実際には脳内の情報伝達には上行性・下行性の経路も多く、ということは末梢神経からの入力も大きいわけだ。
生理学的に見ると(大)脳は(大)脳それだけ取り出して見るよりも、脳−神経系という風にひとつのトータルなネットワーク・システムとして見た方がよい。末梢神経からの電気化学的反応もこころの形成になんらか参与をしているという推測が成り立つ。
これは「こころの座」(こころの局在)をどこに置くかという問題でもある。
>>36で
>痛み刺激のような末梢神経インパルスも「こころ」を直接的に成り立たせている物理現象といえるのではないか、ということを書いた積もり。
とも書いたが、これを詳しく説明すると以上のような理由による。
最初から、何かと何かは上だ下だという話とは、あまり関係ない。
(あえていえば脳は末梢神経より「上」にあるが、これは位置的な問題だ)。
>>60 >だから、私の聞いているのはこういうことだ。
きみは一体何を聞いているのだろうか。わたしにはさっぱりわからない。
60できみの聞いていることへの解答は、
>>49に、ほぼそっくりそのまま書いてある。
そろばん玉の上下運動は、ちょうど電子のオンオフ同様、ひとつの情報処理プロセスになっている。上に上がっていれば1(ある値が有),下に下がっていれば0(ある値が無)(符号化)。
上にあるか下にあるかでその値(またはアドレス)の状態を保持している(記憶)。
わたしたちはそうしたそろばん玉の上下移動を見て情報として受け取り、また操作する(入出力)。 それに対してそろばん玉の摩擦はこうしたプロセスをなんら持ってない。わたしたちはそろばんの摩擦を直接に情報処理プロセスとして活用しているわけではない。
水分子(H2O)は水の最小単位だ。水として化学反応を起こす最小単位だからだ。HやOは水分子を構成しているが、水とはいえない。
冬厨でしょ、このバカっぷりは。
まじめに相手する方もどうかと思うよ。
64 :
考える名無しさん:02/12/24 19:49
>>61 >「下位の階層の出来事は、そのまま上位の階層の出来事」という考え方と、
>「末梢神経のインパルス(例えば痛み刺激とか)をこころや意識じゃない、とは言い切りにくい」という語句を、
>きみがどうして関連づけるのか、またしても説明がないので、なんとも言い様がない。
その関連があなたにわからない理由がよくわからないが。
もしかすると、次のような前提を私が抱いたのが、予断だったのかもしれない。
「抹消神経のインパルスという事柄は、こころという事柄の下位の階層の出来事である。」
私は、以上の前提から、
「末梢神経のインパルス(例えば痛み刺激とか)をこころや意識じゃない、とは言い切りにくい」
を、
「末梢神経のインパルス(=下位の事柄)をこころや意識(上位の事柄)じゃない、とは言い切りにくい」
というように読み取ったのだが。
あなたは、「末梢神経のインパルス」と、「こころや意識」の関係を、
「抹消神経のインパルスという事柄は、こころという事柄の下位の階層の出来事である。」
とは考えていないということだろうか?
だとすると、あなたは、
あなたは、「末梢神経のインパルス」と、「こころや意識」の間には、
(階層的な上下関係以外の)どのような関係があると考えているのだろうか?
65 :
考える名無しさん:02/12/24 20:03
>>62 >60できみの聞いていることへの解答は、
>>49に、ほぼそっくりそのまま書いてある。
いや、あなたこそ、人の質問をちゃんと読んでいるのだろうか?
あなたが、
>>49 で説明しているのは、「情報処理≠摩擦等の物理現象」の説明だろう。
私が、
>>60 で聞いているのは 、最終的には、「そろばんの玉の動き≠摩擦等の物理現象」の説明だ。
「情報処理←そろばんの玉の動き←摩擦等の物理現象」において、
「情報処理=そろばんの玉の動き」であると主張しているのに、
「そろばんの玉の動き≠摩擦等の物理現象」であるとするのはなぜか?
ということを聞いているのだ。
「情報処理←そろばんの玉の動き」と
「そろばんの玉の動き←摩擦等の物理現象」(「情報処理←摩擦等の物理現象」ではなく)の間には、
どのような違いがあって、上位と下位の階層の現象の関係を異なったものにしているのか?
マジデスかこのスレは?
お笑いニューウェーブですか?
67 :
考える名無しさん:02/12/24 20:24
>>62 ちょっと冷静になって読みなおして欲しいんだが。
あなたは私の質問を誤解していると思う。
私の聞いている内容は、
>>41 から変わってない。
つまり、
---------
情報処理←1つ下位の現象←2つ下位の現象
において、
「情報処理←1つ下位の現象」で「情報処理=2つ下位の現象」といえるなら、
「1つ下位の現象←2つ下位の現象」で「1つ下位の現象=2つ下位の現象」
といえるのではないか?
----------
ということだ、
「「情報処理=2つ下位の現象」でないのはなぜか」
では無い。
~~~~~~~~~~
どうも、あなたはそのように誤解しているように思う。
>>42 以降のあなたの答えは、
---
「情報処理←1つ下位の現象」という関係があるから、「情報処理=1つ下位の現象」といえるが、
「情報処理←2つ下位の現象」という関係が無いから、「情報処理=2つ下位の現象」とはいえない、
という無関係な主張をくりかえしてるだけだ。
----
という内容の繰り返しで、私の質問とかみ合っていない。
もういちど、
>>65 ないしは、
>>60 だけでもいいから、落ち着いて読み直して欲しい。
どうでも良いが「スキゾエヴァンゲリオン」か「パラノエヴァンゲリオン」
とかいうハイセンス過ぎるネーミングの本で庵野とかの座談会が収録されてて
養老持ち上げてるコメントを見たとき爆笑したのを思い出したな。
基本が出来てないんだよ、オマエ等も。
69 :
考える名無しさん:02/12/24 21:12
>>67 スマソ、一番肝心なところで間違い。
>つまり、
>---------
>情報処理←1つ下位の現象←2つ下位の現象
>
>において、
>
>「情報処理←1つ下位の現象」で「情報処理=2つ下位の現象」といえるなら、
>「1つ下位の現象←2つ下位の現象」で「1つ下位の現象=2つ下位の現象」
>といえるのではないか?
で、
×「情報処理←1つ下位の現象」で「情報処理=2つ下位の現象」といえるなら、
○「情報処理←1つ下位の現象」で「情報処理=1つ下位の現象」といえるなら、
です。
>>64 >もしかすると、次のような前提を私が抱いたのが、予断だったのかもしれない。>「抹消神経のインパルスという事柄は、こころという事柄の下位の階層の出来事である。」
結局そういうことだろう。
繰り返すが、末梢神経が「下」でこころが「上」だとかいう類の話は、わたしは最初から、全く、していない。
>あなたは、「末梢神経のインパルス」と、「こころや意識」の間には、
>(階層的な上下関係以外の)どのような関係があると考えているのだろうか?
末梢神経からの電気化学的入力はあくまで生化学的現象であり、「こころ」という本来は認識論的対象であるものとは、最初からフィールドが違っており、媒介なしに上下関係などというものを云々はできない。
これも繰り返しになるが、
>>36、
>>61で述べたとおり、こころや意識を物理的側面から見た場合、末梢神経インパルスもそれを形成する一単位なのだろう、と考えているだけだ。ちょうど電子的オンオフが「情報処理の最低の一単位」であるように。
「末梢神経インパルスもこころや意識の一部であるかもしれない」といったら分かりやすいだろうか。
>>65 >あなたが、
>>49で説明しているのは、「情報処理≠摩擦等の物理現象」の説明だろう。
もうそこからして間違っている。きみは本当にわたしの説明を読んでいるのだろうか(苦笑)。
>>49、
>>62等で説明しているのは「情報処理≠摩擦」だけではない。わたしは「情報処理←そろばん玉の動き」という階層構造も否定している。
何度も何度も述べているように、電子のオンオフやそろばん玉の上下は、符号化・記憶・入出力等々のフェイズを持つ、それがひとつの情報処理プロセスなのであり、ゆえに情報処理の一単位と言えるだろう。
電子のオンオフとかそろばん玉の上下とかは、それ自体はただの物理的現象であり、「情報処理」という行為・概念と上下関係にはない。
>>38で述べたように、
>「電子的なスイッチのON/OFF」は「装置」ではなく「現象」だね。
>電子装置的な現象かつ情報処理という現象。
と言うことは出来るかもしれない。つまり、なんとかイコールで結びつけることができるような関係とはいえそうだ。
>>44では、
>「電灯のスイッチ」のところでも述べたが、電子的on/offはそれだけで情報処
>理の最小単位を形成している、と考えられる。どうもそれすら理解されてない
>ようなので、「符号に置き換えられる」云々の表現を使った。
>
>だから、
>
>「電子的なオン/オフ」あるいは、それに恣意的に対応付けられた「符号」
>は、「情報処理」の一階層下の出来事、 現象ではないの?
>
>これは違う。
と、わざわざ述べているのだが、きみはこの文章を読んだのだろうか?
>>62で
>水分子(H2O)は水の最小単位だ。水として化学反応を起こす最小単位だからだ。
>HやOは水分子を構成しているが、水とはいえない。
と述べた。
これで説明すると、水分子は水の最小単位だが、水という概念を物理的に下位の構成素子として支えているわけではない。水と水分子の間には、水分子と水素原子・酸素原子の間にあるような、物理的構成の階層は存在しない。
情報処理とそろばん玉上下の間に、そろばん玉上下とそろばん玉摩擦のような物理的階層秩序は無いし、また、「摩擦」は「情報処理」ではない。
ゆえに、
>「そろばんの玉の動き≠摩擦等の物理現象」であるとするのはなぜか?
という問いには再度、こう答えるしかない。
それは「(物理的に)一階層下の出来事・現象」(
>>42)だからだ。
「そろばん玉上下」が「情報処理」より物理的現象として下位にあるという間違った(わたしの主張していない、それどころか否定している)前提から始まったきみが、話が噛み合ってない、と思うのは当然だ。しかしそれはきみがいう意味で噛み合っていないのではない。
もういちどはじめから全部、落ち着いて読み直して欲しい。
どのスレかわからなくなったけど、スキゾなんとかとか駅ぞなんとかとかいう面白い名前の人たちが
対談していて養老先生を持ち上げるけど噴飯ものだったという話が出ていた。
「だいたい基礎が出来てねーんだよ」
ということだったけども、二ついいたいことがある。
1 哲学にしろ心理学にしろ「学」の世界って、排他的な雰囲気つよ過ぎ。
自分が理解出来ないと相手をバカ扱いするし、なにかにつけ過去の定説に
あてはめて納得してしまっていて、新しいものを産み出さないサロン的雰囲気。
2 養老さんは、哲学より広い。
広いということは、
集合論的に養老さんの話題は哲学を含む、ということではない気もする。
次元、あるいはフェーズが違っていてしかも広い、ということ。
哲学な人が「基礎がなってなくて、何言ってるか意味不明」というのは勝手だが、
そーゆー石頭はなんとかしる! という感じ。
この件について、何か?
養老っつーかイーガンスレだな。これじゃ。
76 :
考える名無しさん:03/01/05 06:44
まだ途中!
77 :
考える名無しさん:03/01/10 17:42
だれか東大医学部発行の雑誌についておしえていただけないでしょうか
78 :
考える名無しさん:03/01/10 18:11
確かに難しいが、混乱した論点を整理すれば、
それこそ養老さんなら三言くらいで済ますんで内科?
例えば、胎児はいつから人権を持つのか、受精の
瞬間か、出産からか、世間に認知されてからか、
この解釈が違う人間同士の議論は無意味である。
なんてな。
しかし、上記のテーマも人間科学の本になかったか。
ちゃんと嫁。
(^^)