1 :
考える名無しさん:
初めに:
この文章はやや哲学的で、
難しいことを扱っている。
基本的にはヲレの思考を綴ったものである(@w荒
2 :
考える名無しさん:02/11/11 00:58
1.存在は時間に依存しているだけでなく、
時間は存在に依存している(@w荒
カントやバークレーは、時間を認識形式の一部としているが、
ハイデガーは存在時性という形で
時間を存在の本質としている。
ヲレの考えとしては、
時間は基本的に認識形式の一つであり、
存在そのものに時間が付随しているとは思わない。
だが、
時間が最も重要な認識形式の一つであることには
変わりない。
そういう意味で、存在は時間に依存しているが、
時間も存在に依存している。
存在無しに時間だけが独立して存在することはありえない(@w荒
3 :
考える名無しさん:02/11/11 00:59
2.存在は瞬間ごとの点滅である(@w荒
現在の量子論では、電子はその位置は特定できず、
電子雲の中に認識され(つまり光を当てられ)たときに
顕現するとされている。
4 :
考える名無しさん:02/11/11 00:59
3.持続的時間と瞬間は性質を異にする(@w荒
ベルグソンがいうような持続的時間は、
瞬間の連続ではあるが、
時間が認識の一形態である以上、
持続的時間は素な連続ではなく、
恣意的選択によって瞬間が選ばれているだけである。
瞬間は、
存在と世界の本質であるモナドに付随するものである。
5 :
考える名無しさん:02/11/11 00:59
4.時間は認識の一形態である(@w荒
前述(@w荒
6 :
考える名無しさん:02/11/11 00:59
5.存在の本質とはニーチェの言う力への意思であるが、
詳述すれば表象する力への意思である(@w荒
6.表象は模倣を意図するが、それが達成されるとは
限らない(@w荒
いわゆる認識の模倣論に対する回答(@w荒
7 :
考える名無しさん:02/11/11 01:00
7.ライプニッツのモナド論のうち、
相互因果関係性の不存在は疑問(@w荒
予定調和には『』つき(@w荒
モナド論を多世界解釈の枠で把握しなおせば、
相互不干渉性は納得できるな(@w荒
ただ、後に述べる世界面の接合における
他方世界の認識可能性の問題がある。
8 :
考える名無しさん:02/11/11 01:00
8.意思とは方向性である(@w荒
9 :
考える名無しさん:02/11/11 01:00
9.全ての創造は模倣の失敗品である(@w荒
10.時間は「流れるかのように見える」ことによって
全てを覆い隠す(@w荒
11.時間は流れていない(@w荒
12.幾つかのスナップ写真が選ばれているかのように、
瞬間が選び取られて
時間が流れているかのように見える
むちゃくちゃですな。
11 :
考える名無しさん:02/11/11 01:02
終わりに:
この文章はやや哲学的なみかけで、
大して難しくもないことを扱っている。
基本的にはどこかで言われていたことを寄せ集めたものである(@w荒
12 :
考える名無しさん:02/11/11 01:08
13.選び取った瞬間と並行して、無数の瞬間が存在し、
我々が選択したのと別の基準によってやはり選びとられている。
14.一旦は別れた支流が集まるように、
見かけ上一つの瞬間から分かれた幾つもの
(見かけ上の)時間の流れも、
ある一点で再び集まるように見えることがある。
これがいわゆる世界間の接合面の問題(@w荒
エネルギーが高い世界面が接合するとき、
見かけ上の時間の流れが
ある時空点で集まり、
他方世界と像を共有する可能性がある。
13 :
考える名無しさん:02/11/11 01:09
15.生死は一如である。
16.人間の精神は複合体である。
17.死ねば複合体は解かれる。
18.精神は自然と連続している。
19.人間の認識は宇宙の自己認識である。
人間が宇宙と同じものでできている以上、
人間は宇宙を内部に写像する。
だが宇宙そのものではなく、
全写像を意味する。
14 :
考える名無しさん:02/11/11 01:09
モナドは一瞬で無数の世界を生み、それらは更に無数の世界を生んでいく。
時間が人間の認識形式である以上、
真実の時間は存在せず、
全ての世界は既に生成済み。
15 :
考える名無しさん:02/11/11 01:20
モナドの集合が世界を作る。
諸世界は並行的に存在する(@w荒
各モナド及び各世界は諸世界をあわせた「存在」を写像する。
電子が飛び飛びのエネルギーしかとれないのは、
電子が我々の世界面(モナド面)と接触しているときの
エネルギー準位しか見せないから(@w荒
他の世界は我々の世界面からは認識できない。
各世界は、
一瞬で無数の世界を生み、それらは更に無数の世界を生んでいく。
モナドは自己写像と世界からの写像を反復することによって
このパラドクスを解決する(@w荒
16 :
考える名無しさん:02/11/11 01:20
だが、世界面と世界面の接合点が特異点となり、
向こう側の世界がほの見えるときがある。
特異点はモナドが構築する各世界の強力なエネルギー
を有する世界面が接合したときに生じる。
17 :
考える名無しさん:02/11/11 01:21
デカルトの「我思うゆえに我あり」(cogito ergo sumus)
という言葉は、
「思う」(cogitatio)についての一定の考察にもかかわらず、
存在(esse)に関する考察が欠ける。
存在は認識論的に言えば諸関係の束のように見えるが、
モナド的に言えば
写像であり、影である。
18 :
考える名無しさん:02/11/11 01:22
(Y⌒ヽ-ノ)
| ・ ...._ノ / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
| (,,゚∀゚) < バカの哲学ゴッコ!
| (ノ |) \________
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*、_,|,, ,,_,ノ
U"U
19 :
考える名無しさん:
∧ ∧ / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
⊂二\( ゚∀゚)/二つ < ラテン語もできない馬鹿ですか「我思うゆえに我あり」(cogito ergo sumus)?
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| 壷 |
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