なぜ私っていないといけない?

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1考える名無しさん
私って、なぜ私がいないといけないと思っているのだろう?
私って、ただ身体が要求を突きつけてくる代表なのでは?
私は一体誰なんだ?って言う疑問も、私があると言う前提で
問われる物だよね。
2考える名無しさん:02/11/09 21:57
消えろ
31:02/11/09 21:59
デカルトも「われ思う。ゆえにわれ有り。」
って言うけど、これも「われ」ってのがある
事が前提になってるよね。「思う」って事が
あるのは分かるけど。
4考える名無しさん:02/11/09 22:02
魂がぬけるまでは、今の体と死ぬまで仲良くしていかなくちゃね
5私は誰:02/11/09 22:35
原始共同体では、ひとりひとりの人間は
いわしの集団の中の一匹のいわしみたいに無私な存在であった。
私有財産の発生とともに、それぞれの自我(私)が
大きく前面に張り出してくる。
そして、他人のものを勝手に盗んだりしてはいけないという
約束・責任が課される存在となる。
ここに、責任を担いうる個人(私)という存在がそれぞれの
人体には必然的に付随すると仮定された。
単に仮定された存在が
いまや疑うべきもない実在と信じられている。
けれども、ある種の病気になると、そもそも
「私」は共同体によってでっちあげられた存在にすぎない
ことが暴露される。
「私」は社会が欲したから現れた幽霊なのだ。
6考える名無しさん:02/11/09 22:43
人間って快を得る事意外に存在理由なんてあるのだろうか・・・
7考える名無しさん:02/11/09 22:44
歓喜!歓喜!神々の火花
81:02/11/09 22:48
>>5
うむ、、。そしたら今思っているのは一体何なのだろう?
>>5を書いた思いと今>>7を書いてる思いが一つでないのは
何故だろう?
9考える名無しさん:02/11/09 22:52
女の子みたいだから教えてあげる。
この世界はミラーワールドなんですよ。
我と認識するものは、そこに映ったものなんです。
正確には脳みそがそう認識するわけですが、
正確には、自分の瞳にうつったものなんですが、
そこに他人が写るとそれを自分とは違う他と認識するわけです。
当たり前ですが、
ですからホントは、
「われ映る、ゆえにあなたあり」
なんですよ。
ほんとにおんなこだったら、もっとむずかしいこと解説してあげたいな。

10考える名無しさん:02/11/09 22:55
「われ思う」の「われ」というのは、それじたいすでにエクリチュール
を纏った表現であらざるを得ない。表現である「われ」という
自己言及はエクリチュールによって、それを聞く主体「ゆえにわれあり」
と切断されてしまう。エクリチュールをまとう以前の「われ」という
思念は、表現されようもない。つまり「われ」というのは表現か否か
という命題しか残されていないわけだが、表現でないならばそれは
命題にもならない。「われ思う」の「われ」はどう前提されている
のか、と問うこと自体がすでに表現であるために、答えを出すために
は表現を捨てなければならない。つまり「問う」こと自体をやめなけれ
ばならない。
11考える名無しさん:02/11/09 23:14
親がいるから、あなたがいる。
121:02/11/09 23:14
>>9
鏡に映った身体をわたしだと思ったり、あなただと思ったり
区別できるのは何故だろう?僕は男の子です!

>>10
デカルトは「われ」って書いたことをやっぱり
そんなに意識してなかったってこと?もしくは
言語表現なされる前の直観の対象であるって事?
と言うことは、その直観は何を元にされたんだろう?
13考える名無しさん:02/11/09 23:23
矛盾があなたを思わせている。
14考える名無しさん:02/11/09 23:27
わたしはどうやって指を動かしているんだろう!
考えても動かない
考えなくても動く
たぶんそれぞれの指・・・あわせて二十本か。
これらには一つづつ神様が宿ってる。
<だから金縛りにあうんだよ>
で、宗教によっては、それがバステト神だったりヴェスタだったり・・・
親指が一番なんだよ。
で家族が海面で交わる。
そこから、色んな色が生まれたり・・・
15考える名無しさん:02/11/09 23:39
>>2-14

釣れた。釣れた!
165:02/11/09 23:44
で、5の続きだが
社会が個々の人体を、責任のある個人(私)へと改造する装置が
言語なわけだ。たとえば、個々の日本人は、日本社会から日本語を分配されて
この共通の装置を通して、日本社会の一員として家畜化される。言語というのは
人間を家畜化するために開発された装置なのである。
171:02/11/09 23:53
そう言えば日本語を喋るデープスペクターとかは
外国人離れしてますね。

しかし言語中枢とかがやられてる人は、私と言う
概念も薄いのでしょうか?
181:02/11/10 00:04
脳みそ自体はどうやって言語表現なされる前の思考を
処理しているのでしょうね。

脳みその働きが物理的現象だとしたら、それが編み出す
考えも物「理」に叶っていなくては処理出来ないはず
なんですけどね。うーん。
191:02/11/10 00:11
あー、脳の物理的現象の生成器官自体が、
錯覚を起こしてしまう構造なのかな。

そう言えば遠近法を使った騙し絵とかは、
脳はそれが向こうに向いてるかこっちに
向いてるかどちらかの方向にどうしても
選びたがっていますよね。
20考える名無しさん:02/11/10 00:16
>16
家畜や装置といった安易な比喩は一気に論理を陳腐化させると思うから止めたほうがいいよ
21おおざっぱ=ウソ:02/11/10 00:16
まず大雑把にいうと、おもに右脳が外界の物理現象を分節して
物理的な世界像を個人の中に作り上げる。
右脳の作り出す一次的な世界像をさらに言語的に分節して
左脳が言語的世界像を作り出す。
われわれはまともに世界そのものを見るより
言語的に改変された世界を見ていることが多いので、
しょっちゅう間違いをおかす。
「個人」というのは、間違いなく単語の「I」とか「おれ」などという
一人称主格の周辺で形作られている。
新しい言語をマスターするのが困難なのは、
新しい人格を形成することが困難であることに対応する。
22考える名無しさん:02/11/10 00:20
もう、男の子でもかわいいからサービスだよ。
じつはね、君も僕も、ほんとはいっしょなの。
ちがいはないの。
考えることもね、大して変わらないの。

「ひとりだとさみしいでしょ。」

だから自分以外の他が必要なの。
そのために他と自を認識する必要があるの。
そして君の質問、なぜわたしはいないといけないと思うのか、
それは

「君がいないと他の誰かがさみしがるからなの」

わかったでしょ。
ホントサービスだよ。
女の子だったらもっといろんなことおしえてあげるのに
23>>20:02/11/10 00:23
おまえのように他人の言うことをくさすしか能のないやつは
いちばんカスだ。自分の考えを書け。
24考える名無しさん:02/11/10 00:23
>19
錯覚ってのは、事実と異なるように知覚することだろ?
自分がいるということが否定できていないんだし。
あと、言語はそれほどまでには大きな意味はもっていないと思う。
たしかに視覚・聴覚は大きいんだと思うけど・・
25考える名無しさん:02/11/10 00:28
>>23
君は他人の考えをくさしてないのかな?
ソフィストを批判したソクラテスもカスなんだ?
まぁどーでもいいが。
26>>25:02/11/10 00:45
だから、おまえの考えはないのか?能無し君。
271:02/11/10 00:51
>>22
わかりたいのですが、、、

「さびしい」と言うのは私と言う概念と、独りという概念
が思考で結びつかされ、それに基づいてそれなりの感情が起こる
物だと思うのですが、つまりそれは「私」が存在するという
前提から成り立っている事ではないのですか?

もし私と言う概念を持たなくて、思考を介さずただ「さびしい」
と言う感情を認識するのなら、やはり私はいるのでしょうが、
感情がそんな思考がする様な事が出来るのでしょうか?
28考える名無しさん:02/11/10 01:00
日本語だとさびしい
英語だとI am lonlyだよね。
あと、関係ないが、英語では(たしか)「あなたたち」にあたる単語はそれとしては無いよね。
29考える名無しさん:02/11/10 01:07
ごめん。
いないといけない≠ニいう表現になんだか驚いた。
いない≠ニいけない≠ニいう言葉が連続していて、
視覚的にまず混乱した。
どうしてこういう表現を選んだのですか?

30考える名無しさん:02/11/10 01:14
たんなる日本語上のできごとだろ
311:02/11/10 01:23
>>29
なぜ私っていなければならない?
とか分かり易すぎる表現は、日常の誤謬の
中から「私」を取りだす力が薄いからです。
もちろん嘘です。

あっ、と言うことは私は言語障害なんだ。
だから「私」の概念が薄く、こんな問いを
しようとしているのかな。寝ます。
32考える名無しさん:02/11/10 01:41
もう、しょうがないなぁー、
男の子でも、結構いい思考するからわかりやすくおしえてあげる。
コンピュターがいくらさみしい、さみしい、と画面の上で文字を書いたとしても、
ちっとも、そのコンピューターはさみしくないわけね。
さみしくならないの。わかるでしょ。
別に、他のコンピューターをもとめないの
いっぽう、小さな子供、言葉を覚えていないぐらいの子供は、
ひとりでいると泣くよね。
それは、言葉ではなく、細胞がさみしさを知っているからなの。
直接、細胞に聞いたことはないけどね。
言葉とは、それを、
「さみしい」と称するだけ、
これを
「私」と称する、
あれを
「あなた」と称するだけなんだよ。
わかるでしょ。
これ以上は女の子じゃないとおしえてあ・げ・な・い・ッ。

33考える名無しさん:02/11/10 02:13
>>32
勉強になりますわ!
34考える名無しさん:02/11/10 11:13
「何故に《わたし》なる概念が設定されなければならなかったのか」
という方がスレタイとしてよくないか。
なんかもっとどうしようもなく陳腐な内容のスレかと思っちゃったよ。
35暇人:02/11/10 11:16
おそらく、
「何故<私>という概念が設定されたか」ではなく
「何故<私>という概念が生じたか」
と、問うこと方が実際に即していると思われる。

ま、日常的なリアリティの中では「私」なる概念はほとんど不可避に登場せざるを得ないだろ。
36 :02/11/10 20:55
駄スレageてみる。
37月夜のダンス:02/11/10 23:10
>>36
おまえ、哲学板でダスレでないのなんかあるんか、間抜け。
381:02/11/11 01:21
>>32
うーん細胞に聞く前に、赤ちゃんに本当にさびしくて
泣いてるのか聞かなければ分からないです、、。

たぶん私という概念は介さず、本能的欲求をバラバラに
感じているだけでも泣くと思います。ネコの赤ちゃんが
泣いているように。
39光車:02/11/11 01:36
物心が付いた瞬間の記憶がある人の証言が欲しいところだ。
40考える名無しさん:02/11/11 01:40
どーでもえーやん、そんなん。
今を生きよ。
411:02/11/11 01:51
私はサイケ系のリーガルドラッグをやった事があるのですが、
その量が多すぎると、私の意志と関係なく、勝手に思考が
気が狂った様に猛烈なスピードで働くのです。

まるで思考が「私」を無視している様で「私」には認めがたい
現象です。「私」は思考の服従なしにはなりたたないからの
様です。それは「私」という概念との戦いになる訳です。

私は社会から形作られているだけだとしても、生きてる理由さえ
「私」に負っていたのです。そして「私」がいなくなる事が
「死」だと思い、それを恐れていた様に思えます。

ついに精神分裂寸前の様な状態になって、私は「私」を守るために
頑張るのですが、最後には「もう死んでも良いや」と思って諦めます。

すると、「私」という概念は消え去って、しかし死は訪れず、
代わりにそれを介さない世界、思考がありました。

一応、参考で書いておきました。
42考える名無しさん:02/11/11 01:53
 
 
 
 
  なぜ哲学板には、薬の経験を自慢げに書き込む馬鹿が多いのか?
 
 
 
43考える名無しさん:02/11/11 01:55
「私」は何になりたいの?
44ルルアンタ:02/11/11 01:56
>>41
参考になりました。
451:02/11/11 02:00
>>40
人間一度「私」を意識してしまうと戻れないですよ。
後はもっと包括的な意識を持つ他ないのでしょうね。

>>39
自我が芽生えた瞬間の記憶がある人の話しは聞きました。
461:02/11/11 02:04
>>42
必然ですねそれは。やってみて下さい。
目から鱗が落ちますよ。だって心理実験でも
例外を起こして調べる事が多いですし。

>>43
「私」はひたすら「私」のままでいたい様に
想像しますが。

寝ます。
47考える名無しさん:02/11/11 02:09
他人を見たら、もう「私」がいる。
48考える名無しさん:02/11/11 02:10
他人がいれば「私」がいる
49考える名無しさん:02/11/11 02:33
「なぜ私っていないといけない?」や「自己の価値とは?」という類は設問不可。
例えば「自己が嫌い」と表面的に考えるとき、同時に不可避的に
そのように考えることは正しいとしてしまっているため、
自己嫌悪・自己憐憫という類の自己陶酔に過ぎないのと同様に、
それを設問するとき既に常に「いけない」とは考えていない/考えられない。
「どうやって生きるか」というような類の設問は誤謬だ。「自己が嫌い」としているときに、
既に常にそのように考えることは正しいとしてしまうように、
どのように既に常に生きつつあるのか、生きられているのかならば問い得る。
前者の設問は、既に常に生きられている自己を自明化し忘却化し、
そのくせ「どう生きるか」とばかり問う。
50考える名無しさん:02/11/11 03:29
ここの1は最初の印象よりかなり深い人間だ。
それにくらべてこの49は。
5149:02/11/11 06:39
50、「自己について対象的に問うのはまずい」ということ。分かるか?
52考える名無しさん:02/11/11 09:11
>>51
おまえら、そういう屁理屈を先に立ててからものごとを考えてもダメだって。
自分の感性の指す方向を見つめている1のような考え方だけだけが正しい。
もちろん、これは天才だけに許される方法なんだが、それしかない。
53考える名無しさん:02/11/11 09:41
「なぜ私っていないといけない?」という問いがドラッグの幻覚症状
から発せられた問いだとすれば、ドラッグをやる「私」、幻覚症状で
分裂気味な「私」、その結果哲学板にスレッドを立てる「私」という
ような社会学的論及の必要とされる板にいかなくてはならない。
もちろん哲学者にも実践行為論と超越的主体との交錯を書いている
人はいるけれども「なぜ私っていないといけない?」というまるで
真剣10代しゃべり場のような問いに対して、とりあえず基本的な事柄を
述べていると「脳に対する実存のあり方」のようなことをレスして
いたので、それならば臨床医学の本を読めばいいことだと思ったが、
とにかく1は「自分の存在を自分で認識しているのはなぜか?」という
問いをするべきであって「なぜ私っていないといけない?」などと
問うべきではなかったのだ。つまり自分の中の疑問が、
「疑問」であったはずの「私」の存在と直結していることを「問い」
としているこの循環構造に目を向けるべきだ。ということで。
54考える名無しさん:02/11/11 09:43
>>53
だからてめえの言ってるのはただの屁理屈だ。
55考える名無しさん:02/11/11 09:46
1の問いに対する答えではないよ。
56 :02/11/11 15:54
1はいなくてもいいよ
57考える名無しさん:02/11/11 16:21
「いけない」ってなに?
58考える名無しさん:02/11/11 16:29
1の存在は許されない。
591:02/11/11 23:14
>>53
そうするとやっぱりデカルトに戻って来ちゃうん
です。「自分の中の疑問」って書かれた時点で、
「自分」って言う概念を前提にしてしまってる
と思います。

スレタイトルは、何故私に対して私が疑問を
起こすのかな?って言う、「私」に対しての意識が
始まった人の不思議な気持ちを表現してみました。
嘘です。

ちなみに、ドラッグ板の幻覚体験者方は、その幻覚を
感覚で捉えてしまうんです。勿体ないと思いました。
と言うか当初からリクレーション目的でやってるから
仕方ないのですが。
60考える名無しさん:02/11/11 23:19
>「自分の中の疑問」って書かれた時点で、
>「自分」って言う概念を前提にしてしまってる
>と思います

   体があるじゃん。
61考える名無しさん:02/11/11 23:19
1は官能小説からの抜粋ですか?
62考える名無しさん:02/11/11 23:20
「まったりと生きろ」って言っちゃうぞ
63考える名無しさん:02/11/11 23:20
主体の後に誰が来るか
64考える名無しさん:02/11/11 23:22
哲学は心身ともに健康な人間にしかできない。
651:02/11/11 23:48
>>60
やっぱり体か。
66考える名無しさん:02/11/12 00:52
1の解釈
>私って、なぜ私がいないといけないと思っているのだろう?
 人間便器として異性に汚されている。
>私って、ただ身体が要求を突きつけてくる代表なのでは?
 肉体関係では誰にも負けないわ。・・けどちょっと空しいかもね。
>私は一体誰なんだ?って言う疑問も、私があると言う前提で
問われる物だよね。
 私は人間便器として誇りを持って生きていくわ。




67頭の体操:02/11/12 01:10
「私」っていないといけないの?という問いの根本的な部分で
「いないといけない」とか「いなくてもいい」ということの意味が
問われてる。その時点でそこに存在があることを前提としてますよね。
コギト エルゴ スムは確認されてるわけで、存在があることが前提
としてあるならその存在が価値を創りだして「私がいる」→良いor悪い
という問いになってます。しかし、あくまで価値は元々あるものではなく
存在者が創りだしたものなので「私がいる」の良し悪しはどちらでもいい。
どちらでもお気に召すままに良し悪しを決めればいい。ということで
話は終わり。話の流れとは関係ないのでさげで
68闇の中のオレンジ:02/11/12 01:21
>>1
私は「私」として感じられるものと、同じものです。
と、伝えてくれるのは脳です。
視覚、聴覚をはじめとする認知情報はそれぞれ空間化されていますが、
処理する領野は別々ですから空間をひとつに重ねるために、架空の中心を創造します。
と言うか、それぞれの空間の中心を一致させて、世界として統合するわけです。
そして脳はあなたに、あなたの「私」はここ(中心)にいますよ、と教えてくれるのです。
大雑把な表現ですが、長くなったのでこの辺にしときます。
69考える名無しさん:02/11/12 01:38
>>67
存在というのが「私」でなくて思考自体
でも、それが「私」という概念を必要と
したから「私」という概念があるのであって、
必要でないとしたらない。と言う事ですか?

>>68
それは感覚、つまり体的作用ですね。
70考える名無しさん:02/11/12 01:46
>69
思考をしてる時点で存在証明になってのではないですか?
存在があることを1は前提としていってるので、「私」が必要でない
というのは存在論の問題ではなく、価値の問題と単にいってるだけです
71ぴかぁ〜:02/11/12 01:50
>私って、なぜ私がいないといけないと思っているのだろう?

私がいないとすべては存在せず、始まりも終わりがない。
でも私はこの統計的世界の1点であり、もしかりに私がいなければ、
誰かであっただけの話である。
私がいないといけないと思っている私は、
私がいないとすべては存在せず、始まりも終わりがない私だから。
72ぴかぁ〜:02/11/12 01:55
>私って、なぜ私がいないといけないと思っているのだろう?

要約すると、「私」さんは自己中だから、そう思っているということです。
73ぴかぁ〜:02/11/12 01:59
>私って、なぜ私がいないといけないと思っているのだろう?

ちなみに、私の元彼女はよく
「私なんかいてもいなくても一緒なんでしょ!」と発言されるとても謙虚な方でした。
741:02/11/12 02:15
>>70
す、す、すんません、、。69は1です、、。

しかし「私」が価値の問題か、本質的な存在なのか、
言語が持つユーモアの一つなのか、まだ確信はないのです。

>>71
誰かというのは他の「私」ですよね。その「私」
の存在もやはり本質的な物と前提されていますよね。

つまり「私」、「他者」という分け方自体が、
前提されていませんでしょうか?

確かに「私」がいないといけないと思っているのは
「私」ですが、「私」はいなくてもいいではないのか?
と疑問した思考は、「私」と言う概念の外にいるので、
それからは幾分前者よりも自由になり始めていると思います。

頭回ってません。寝ます。

75(・ω・):02/11/12 02:22
レスあんま読んでないけど。
「居なきゃいけない」なんて積極的に考えてる奴は少ないっぽ。
頭の体操タンじゃないけど、
大概は自分が居る事を暗黙の前提にしてるよねぇ。
ただ、そこには「自分は必要とされている」とかいう
実感を常に欲求してるともいえそう。ただそれは飽くまで
「欲求」だと思うよぅ?その限りでの答えは簡単
「人間心理の法則でつ」
76ぴかぁ〜:02/11/12 09:17
>誰かというのは他の「私」ですよね。その「私」
>の存在もやはり本質的な物と前提されていますよね。
>つまり「私」、「他者」という分け方自体が、
>前提されていませんでしょうか?

マジレスだったんですね。言っている意味がよくわかりませんが、
>>70が言っているように、存在は前提とした設問だという認識ですね。

私がいてはじめてこの世界を認識でき、「私」いなければ、この世界は存在しないという価値観と
この世界はあくまで統計的世界であり、「私」は正規分布の1点しかない。そしてその1点が
存在することありきで、それが私であろうが、誰かであるが、関係ないという価値観。
対極的にその二つの価値観が考えられるとして、「私」さんはその設問から、前者の価値観をもっておられる。
「おれ」なんかは、「なぜおれは存在するのか」と考えたことはあっても、
「なぜおれっていないといけない?」なんて傲慢な考えもったこともなく、
おれの元彼女のように「私なんかいてもいなくても一緒なんでしょ!」と発言される
もっと謙虚な方もおられる。
他のレスからみても、きみは哲学偏向の自意識過剰の自己中な性格ですね。
社会に適応できていますか。ということです。
77考える名無しさん:02/11/12 09:49
>私なんかいてもいなくても一緒なんでしょ!

なんか、懐かしいせりふだな、
78考える名無しさん:02/11/12 10:13
1さんへ。

『存在論的』より抜粋。

『声と現象』のデリダが「声」のモデルに疑義を唱えるのは、経験的自我と
超越論的自我とのその同時性、言い換えれば近さは厳密には保障されないと
彼が考えるからである。その批判はきわめて単純な着想に基づいている。
彼はまず、「私は考える」がひとつの「表現expression,Ausdruck」である
ことに注目する。表現は必ずある支持材、つまり音や文字などに刻まれねば
ならない。しかし音や文字といった物質は「私」に対し外在的(ex-,aus-)
であるはずだから、表現「私は考える」それ自体は定義上、発話者である
「私」の生死とは無関係に存在しうる。つまり表現「私は考える」はある物質
性を持つのであり、そのことで「私は考える」はつねに、それを瞬時に回収し
「私は考える」へと連結するはずの「自分が話すのを聞く」装置から逸脱して
しまう。デリダはこの物質性を「エクリチュール」と名付けた。意識あるいは
主体を「今ここ」へと中心化する作用と、そこから逸脱するエクリチュールの
流れ。声/エクリチュール、あるいはパロール/エクリチュールという隠喩対立
から、前期デリダの多くの仕事が導かれる。(『存在論的、郵便的』p,157)
79考える名無しさん:02/11/12 17:36
はっきりいってあほしか来てないな。このあとはsageでよろしく。
80考える名無しさん:02/11/12 17:54
こんなんにマジレスつけんなよ。
811:02/11/12 20:17
>>75
>>76
すんません。たぶん陳腐なスレタイの為に
問いを勘違いされてる様ですね。
>>34さんや>>35さんがちゃんとしたのを
考えてくれました。

>>77
抜粋ありがとうございます。
しかしデリダも超越論的領野に本当の自我が
ある事を前提とされてますよね。

このスレタイではたぶん今後も誤解を招くだけ
なのでしょうね。失礼しました。そろそろお暇します。

82考える名無しさん:02/11/12 20:25
クスリまでやって悩んでるみたいだから、男の子でもおせーてあげる。
多重人格って知ってるでしょ。
つまり、「 私 」という存在が消えて、違う他の「 誰か 」
が登場する、あれ。
なぜあのようになるのかは知らないけど、
ぼくらは、「 私 」を縛りつけてるの。
私は、こうだ、
私は、ああだ、とかね。
それが「 私 」という存在なの。

いっぽう、「 あなた 」という存在は、「私」では縛れないの。
だって、「あなた」は、他人だから。
縛ることも、制御することも、できないの。

だから君が、わたしは、いなければいけない、
と思うのは、君が、そうして、自分を縛っているからなの。
いなくてもいい、とわかっていながら、また同時に、
いなけれいけないと思うのは、実は、
「私」を縛っている綱を、ほどいているつもりなのに、
「私である」という綱にいまだ縛られているからなの。

だからクスリで、「私から」いっときの解放を味わったことを、
あなたは、言う必要もないのに、いったの。
−−そう、にせものの解放のことをね−−
これ以上は、おんな・・・・・・君ってホントは女の子なんでしょ。
83考える名無しさん:02/11/12 20:37
君は、僕の心の隙間を埋めるワンピースだ!

・・・などと言ってみる。
84考える名無しさん:02/11/12 21:15
いなくてもいいよ?>>1
8535:02/11/12 21:52
>>1
お褒めいただきありがとう。

あなたの言うことがけっこう面白いのはわかったけれども、
やはりなかなか一般には共有しにくい問題意識だね。
俺もそこまではよくわからん。ドラッグやったことないし。

それに、
>確かに「私」がいないといけないと思っているのは
>「私」ですが、「私」はいなくてもいいではないのか?
という形で「いないといけない」「いなくてもいい」という問い方だと
やっぱり何か当為論のような形で「〜であるべきか否か」みたいな議論になっちゃいそうなので
「別の在りようでありえたのではないか」とかにしてはいかがか。

とりあえずドラッグ以外の日常の中でそういった疑問の発生するような経験を
例示してくれないことには今ひとつ議論に加わりにくい。
経験的自我と超越論的自我の話以上には理解がおよびませんわい。
86考える名無しさん:02/11/12 22:05
い〜まか〜らいっしょに〜
これからいっしょに〜
なぐりに〜いこうか〜♪ 1を。
87考える名無しさん:02/11/12 23:17
だれもいないのか
私はだれだ
ココハどこだ
私は世界でひとりぼっちになってしまったのか
もうきみはいないのか
だれもいないのに、
わたしは、わたしでありえるのか
もうわたしはだれのためになにもできないし、、
誰も私を知ることさえができない。
みんなどこへ
それともわたしがと遠ざかってしまったのか。
そしてわたしは誰だ
わたしでないとしたら、わたしは誰だ
だれかでありえるのか
目覚めればそこにいるはずのわたしは、
どこへいったのだ
そうだ、もはや、わたしはわたしではないのだ
その誰でもない私が、いや違う、
その誰でもない誰かが、
きみを探しているんだ
そして、であったときこそ
誰かが、私になり、
そして誰かがきみ自身になれるんだ。

ほんとはおんなのこ、でつか
88考える名無しさん:02/12/07 23:48
自分がない ということについて話せるスレはどこですか?

本買いはビョーキだ病気!何とかならんか!
http://academy.2ch.net/test/read.cgi/philo/1036262540/

↑ここの125辺りを読んで来ました。
89考える名無しさん:02/12/08 00:35
私=私
私が分からない=馬鹿か天才
90考える名無しさん
SDSF