上のBは、稀だけれども、存在しないわけじゃない。特に「利益」については、
「いや、存在しない。殺人が利益になることは、究極的には、有り得ない。」
という主張もあるだろう。「殺人犯は、例外なしに自責の念に苛まれ、後悔する
ことになる」というような話だ。俺は、そういう話に全く根拠がないとは思わないが、
百%そうだと断定するのは「道徳的神話」に過ぎないんじゃなかろうか。誰でも
「殺される」のはいやだが、「殺す」ことは、絶対的にいやだとは限らないんだ。
で、特定の個人にとってBが圧倒的に大きくなってくれば、「特定の個人を殺す」
って選択をすることが、有り得ないわけじゃない。で、俺は、この選択をするか
しないかは、最終的には「個人の自由」だと思う。俺自身が、将来どうしても
特定の誰かを殺したくなったとしたら、やるかどうかは俺が決める。他の誰かに
決められるいわれは、最終的には、ない。
ただし、これは、あくまでも「社会的には」悪い・いけない・許されない行為だ。
だから当然禁止・処罰の対象になるし、やる側もそれはわかっている。
つまり、「人を殺してはいけない」という原則の例外には、ならない。
問題は、個人的にではなく、社会的にも、BがAより優先される場合が、現実にある、
ってことだ。簡単に言えば「死刑」と「戦争」だ。この二つに関して言えば、
社会の過半数の人々が、AよりもBを優先することが、少なくとも歴史上は
たくさんあったし、現にあるし、今後もあるだろう。例えば、小学生殺しの宅間
みたいな凶悪犯は「さっさと死刑にしろ」って声の方が強い。もしも北朝鮮が
テポドンを撃ち込んできて多数の死傷者が出たとしたら、憲法九条があろうと
なかろうと「報復攻撃しろ」って声が恐らく強くなるだろう。こういう場合は、
社会的にも「人を殺してはいけない」って規範自体が、捨てられるわけだ。
毎度氏は、
>>639で、
>社会の側から殺人を行う戦争という事実があります。あなたの議論によるなら、社会が要求するなら
>殺しは行われる、と追認するだけになりかねません。
って言っているが、俺としては、「追認する」ことになっても仕方がない場合
もあるだろう(というか、追認するかどうかは個人の自由)としか、答えようがない。
もちろん、いくら俺が馬鹿でも、死刑や戦争の是非について議論があること
くらいは知っている。あるいは、毎度氏は死刑にも戦争にも絶対反対のお考え
なのかもしれない。氏が「人を殺してはいけない理由」として挙げているのは、
基本的には相手が凶悪犯でも敵国民でも当てはまることだから。氏は、AとBを
比較考量すること自体を拒否しているように、俺には思える。ただ、もしそうなら、
その根拠としては、
>>81や
>>98では、不充分だ。
>>80にならって言えば、説得力がない。
その辺を明らかにするためにも、氏が「死刑」についての質問に答えるのを避けて
いる(ように見える)のは、やや誠実さを欠いているように思えるが、どうだろうか。
(俺は死刑や戦争の是非自体を論じたいわけではないので、念のため。)
知らない間にスレが立ってて、こんなにレスがすすんでる・・・・
>>1&ALL
誰にとっての「いけない」の理由を話してるのれすか?
以前のスレで、「まいど」ちゃん(同一人物なら)の主張は、ぼくが簡単に要約したでしょ?
学校の授業中、優等生と騒いでる不良の会話。
優等生 「授業中にさわいではいけないよ。」
不良 「何でさわいじゃいけないんだよぉ。」
優等生 「勉強したい人の邪魔になるからだよ。」
って言うのとおんなじなんれしょ?
どうせなら、ぼくはその先が聞きたいんだよな。
不良 「何で俺がお前らの勉強の邪魔しちゃいけないんだよぉ。」
の先だ〜よ。
>>738 (609さん)
>ただ、氏は、自分の考えと食い違う書き込みをことごとく「悪意」「錯誤」「論点違い」と
>決め付け過ぎるような印象を受けた。それと、哲学は「常識を疑う」って意味で
>本質的に「危険」なものだ。それを「危険」だから駄目だと言われると、ちょっと辛いものがある。
■自分の考えと食い違う(=正しくないと考える)書き込みが、ことごとく現れた場合、
ことごとく 〜 決め付ける(結論を明示して批判する)ことは、議論をしているなら当然ありうることです。
論点が違うと言える理由を、いつも明示して論点違いと述べることは、正しい決め付け(結論の出し方)です。
□あなたの印象は、事実に反しています。なぜなら、私は、
>>62 ←
>>85 >>574-576 >>580-582 >>583 などのように、
論点外れであっても、きちんと書かれた意見に対しては、それなりの応対をしているからです。
□決め付けを行っているのは、あなたです。なぜなら、〜印象を受けた、と、印象で結論を出しているからです。
■哲学は「常識を疑う」という意味で、本質的に危険と書いていますが、それは誤った考えです。
なぜなら、常識や、常識という扱いは、必ずしも危険でないわけではありませんし、
常識という扱いで納得せずに認識を批判的に吟味し、より強い認識とすること
− 合 理 的 な 疑いを持ち、論 理 的 に 考 え る こと − は、危険なことではないからです。
□哲学は、本質的に危険だったり安全だったりはしません。危険か安全かは、批判の対象とする内容如何と、
論者のその内容との関わり方によって決まります。事実上安全な位置から、危険な結論をかっこつけて述べる人間
などは、ざらにいます。
□あなたが哲学を危険だと考えるのは、合理的な規範を当面疑っている(否定的に考える)からに過ぎません。
■あなたは、疑うことを「否定してみる」意味に理解しているようですが、疑うことは、結論を定めないで考察すること
であって、現在とられている結論を否定してかかることではありません。あなたの疑いは、一見常識を疑うようでいて、
常識に反する「哲学的態度」を常識としているに過ぎません。哲学が危険なのではなくて、
不合理に反常識的な「哲学(=あなたの考え)」が危険であるに過ぎません。
何かの根拠の多面的な考察が、直ちに危険であるわけがありません。
■さらに、私は常識的な回答をした覚えはありません。道徳が手段と言う考えは、常識的ではありませんし、
>>80-82も、常識的ではありません。あなたは、結論が常識的だから、私の考えが常識だと決め付けています。
>>
>>639 社会の側からいけないとは、言っていないからです。
>>殺される側が、殺されることをどう解するかの点に限定される、と、何回も繰り返しました。
>「いけない」として禁止する主体は、あくまで「社会」だと俺は思う。「個人」の側から見れば、
> A.他人から殺されたくないという欲求。殺されることによる不利益
> B.他人を殺したいという欲求。殺すことによる利益(の見込み) の両面がある。
>毎度氏は、
>>81その他で、「Bの存在はAとは無関係」という 意味の主張をしている。
>その通りだけど、これは相互的なんじゃなかろうか。
>逆に言うと、Aの存在もBとは無関係なんだ。「殺される側」にとって「殺す側」の事情なんて知ったこと
>じゃないのと同じく、殺す側にとっては殺される側の事情なんて知ったことじゃないとも言えるわけだ。
■私は、
>>81で、殺しを正当化出来るとは述べていません。
>>81()内で示した利益を正当化し、殺すことになる、と、
はっきり述べています。この点は、金目的で殺しを行ったが、金が得られなかった場合や、復讐目的で殺しを行った
とき人違いだった場合を考えれば、容易に理解できます。
□また、両方が「知ったこっちゃない」のであれば、Aが出す結論もBが出す結論も両方成立する、ということにしか
なりません。これは、Aだけを重視しろ、ではなくて、Aの結論もBの結論も出るから、Aの結論が出ないとは
いえない、という主張です。結論は、禁止の理由があり禁止は成立させられるかが、禁止は破られうる、であって、
禁止が成立しない、ではありません。
>>609さんは、論理的思考が出来ないと言わざるを得ません。
>>744 後ろから2行目、禁止は成立させられるかが → 禁止は成立させられるが
■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□
>>739 >「道徳的神話」に過ぎないんじゃなかろうか。誰でも「殺される」のはいやだが、「殺す」ことは、
>絶対的にいやだとは限らないんだ。
■私は誰でも殺されるのはイヤだから道徳とは無関係にイヤだと言うし、それにより禁止は支えられる、
道徳により支えられると考える必然性は全くない、と、はっきり述べています
>>134 >>181-182。
■殺すことはイヤだとは限らない点は、禁止が破られうる点であって、禁止が成立しない話ではありません
>>81。
>特定の個人にとってBが圧倒的に大きくなってくれば、「特定の個人を殺す」って選択をすることが、
>有り得ないわけじゃない。で、俺は、この選択をするかしないかは、最終的には「個人の自由」だと思う。
>俺自身が、将来どうしても特定の誰かを殺したくなったとしたら、やるかどうかは俺が決める。他の誰かに
>決められるいわれは、最終的には、ない。
■これも、禁止が破られうる話です。個人の自由については、あなたの自由の概念は間違っています。
>>268 >>450-452 ←
>>453-454(
>>461で修正)
>>455-456 >>457-458 決定が当然に結果するように構成している
からです。決定が当然に結果しない場合、私達はそれを自由とは言いません。あなたの選択が自由である可能性は
ありません。また、一般的に自由と言う用語には、論者がよい意味を与えつつ論じることが通例ですから、ここで
自由と言う用語を用いるのは、不当な正当化です。
>ただし、これは、あくまでも「社会的には」悪い・いけない・許されない行為だ。
>だから当然禁止・処罰の対象になるし、やる側もそれはわかっている。
>つまり、「人を殺してはいけない」という原則の例外には、ならない。
■社会的な「禁止」・処罰は、
>>80-82 >>98 >>392 ←
>>396-399 のように、個人レベルで禁止の主張が
成立することを前提として、結果的に行われた・行われることです。
■禁止は、禁止の理由・要請ゆえに、許されないからなされるのであり、社会がいけないとするから許されないのでは
ありません。
□多くの場合、禁止の範囲内でなんとなく行動する人が殆どなので、問題はおきませんが、禁止をするだけでは、
禁止が破られる可能性を十分に減らせなかったり、破らないように気をつける点で徹底がされなかったりするから、
処罰などの、
>>98末尾@の観点に働きかけて実効性を確保しようとするのです。
■社会は、禁止の実効性を考える上で考察されるべき要素であって、禁止の成立を考える上では要求しなくても
よい要素です。むしろ、社会を前提しなければ禁止が行えないという主張は、禁止に限らず、なす「べき」配慮に
関する個人の意思を不当に狭める概念設定といえます。
■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□
>>740 >問題は、個人的にではなく、社会的にも、BがAより優先される場合が、現実にある、ってことだ。
>簡単に言えば「死刑」と「戦争」だ。この二つに関して言えば、社会の過半数の人々が、AよりもBを
>優先することが、少なくとも歴史上はたくさんあったし、現にあるし、今後もあるだろう。
■これらの点は、以前論じました。
□過半数の人が自動的に死刑肯定論で戦争推進論者であり、かつ同時にそこで行われる殺人を正当化すると
いえる、統計的根拠はありません。
□死刑肯定論者は、殺される人間にとって死刑が悪くないとは主張しません。死の結果を凶悪な犯人に
もたらすという方法をとることによって、被害者の報復感情を満たすであるとか、一般予防をはかるであるとか、
そういう点を正当化しているに過ぎません。つまり殺してはいけない点を認めた上で、あえてその方法を例外的に
とる例を認める場合があることを主張しているのです。609さん以外にもあてはまることですが、なぜか行われる
ことは、常に正しいと考える、という不可解な前提で考えている人がいます。そんな考えに合理的な根拠はありません。
□戦争についても同じです。戦争をする目的(例えば国境の「防衛」、拉致された人の救助)を正当化しているのであって、
戦争において殺された人にとって、殺しが正しいかどうかを問題にしてその点を正当化してはいません。
>毎度氏は、
>>639で、
>>社会の側から殺人を行う戦争という事実があります。あなたの議論によるなら、社会が要求するなら
>>殺しは行われる、と追認するだけになりかねません。
>って言っているが、俺としては、「追認する」ことになっても仕方がない場合もあるだろう
>(というか、追認するかどうかは個人の自由)としか、答えようがない。
■ここは、殺しの是非を論じた箇所であって、制度の追認の是非を論じた箇所ではありません。
社会が要求するなら、殺しは行われるとし、「殺しの是非を問題にしない(=追認するだけ)」か、
「社会が要求するから」殺しも正しいとすることになりかねない(=追認するだけ)とした箇所です。
結論の追認ではなくて、社会を理由付けに使う点を批判しているのです。
>もちろん、いくら俺が馬鹿でも、死刑や戦争の是非について議論があることくらいは知っている。
>あるいは、毎度氏は死刑にも戦争にも絶対反対のお考えなのかもしれない。
絶対反対の「お」考え、というような文章は、悪意がある文章だと取られても仕方がない書き方です。
決め付けを問題にしておきながら、指摘されるような文章を書くのは稚拙と言わざるを得ません。
■私は、戦争については、殺人・破壊の不利益を念頭におき、否定的・制限的に考える方向をとります。
戦争という事象全体を肯定するか否定するか、については、問題の立て方が誤りであると主張します。
戦争を防ぐ、経済的・思想的・言語的・政治的・制度的条件の検討に議論を集中させるべき、と考えます。
■死刑については、理論的・統計的には正当化できない制度と考えてます。しかし、死刑制度を考える際には、
刑罰システムに対する一般人の信頼も考慮に入れなくてはならないと考えます。死刑制度を維持しなければ、
刑罰システムに対する信頼が弱まる事情があるならば、死刑制度は維持しなくてはならないかもしれません。
>氏が「人を殺してはいけない理由」として挙げているのは、
>基本的には相手が凶悪犯でも敵国民でも当てはまることだから。
>氏は、AとBを 比較考量すること自体を拒否しているように、俺には思える。
>ただ、もしそうなら、その根拠としては、
>>81や
>>98では、不充分だ。
>>80にならって言えば、説得力がない。
>その辺を明らかにするためにも、氏が「死刑」についての質問に答えるのを避けている(ように見える)のは、
>やや誠実さを欠いているように思えるが、どうだろうか。
>(俺は死刑や戦争の是非自体を論じたいわけではないので、念のため。)
■AとBを比較考量することと、AとBの要請がどちらも成立することは、端的に論理的関連がないから、
分けて考えたまでです。比較考量することを拒否するとは、どこにも書いていません。
■死刑を是認するかどうかは、殺しを禁止するかどうかとは論理的に関連しないから、わざわざ触れないだけです。
質問に答えるのを避けていると書いているが、避けた箇所がどこか明示してください。
□理由も述べずに、勝手に誤解した論に対して、説得力がないとし「やや」誠実さを欠いている「ように思える」が
「どうだろうか」などと、ごまかして主張するのは、姑息です。
>>741 >不良 「何で俺がお前らの勉強の邪魔しちゃいけないんだよぉ。」 の先
優等生他が、勉強の邪魔であると困る理由をあげられるなら、それが答えになります。
答えられなければ、その場では不良に言い負かされるかもしれませんね。
あーまいったね。これから外出するんで、簡単に。
まずどうでもいいことだけど「お考え」って書いたのは、純粋に敬意を払った
んで、嫌味のつもりなんか全くなかった。俺は毎度氏に敵意なんか全くない。
ただ、論の立て方(結論じゃない)に納得できない部分があるから書いただけだ。
で、
>>747が一番わからない。
>■禁止は、禁止の理由・要請ゆえに、許されないからなされるのであり、
社会がいけないとするから許されないのではありません。
>■社会は、禁止の実効性を考える上で考察されるべき要素であって、
禁止の成立を考える上では要求しなくてもよい要素です。
俺の考えでは、これは「禁止」じゃなく「拒絶」の話じゃないかな。
もし世界に人間が2人しかいないなら、「禁止」ってのは意味がないと思うね。
「許されないから」っていっても「許す」主体は自分と相手しかいないんだから。
要は、どっちからみても、殺されるのはいやだが(利害得失を計算した上で)
殺したくなったら(稀だろうけど)殺す、ってだけのことだ。拒絶=禁止、
だとすると、実行=解禁、ってことになってしまわないかね。
>>744にならって言うと
A「(殺されることの)拒絶の理由はあり拒絶は成立させられるが、拒絶は無視され得る」
B「(殺すことの)実行の理由はあり実行は成立させられるが、実行は拒絶され得る」
ってだけで。毎度氏は「拒絶=禁止=不当化」と言っているように俺には
読めるんだけど、もしそうなら「実行=解禁=正当化」とも言えるんじゃない
かな。で、それは毎度氏が断固として否定する論理だ。俺も間違ってると思う。
誰かが人を殺しても、それは「個人的実行」であって「正当化」じゃない。
俺は「禁止=不当化」というのはあくまでも社会的(もっと言うと政治的)
な概念でしか有り得ないと思う。要するに、一般論として誰にとっても
A(殺されないこと)の方がB(殺すこと)より比較にならないくらい重要だから、
「人を殺してはいけない」って「社会的な禁止」(道徳と呼んでも同じだと思うが)
が要請される、ってこと。だからこそ、死刑や戦争のような社会的要請による
「解禁・正当化」もあり得るんだ。「やむを得ず」でも何でも、死刑を肯定することは、
その限りで「人を殺してもいい例がある」と認めることだと俺は思うけど。
というか、刑罰は「受ける人にとって悪い(イヤな)こと」だからこそ意味がある
んであって、毎度氏の論で行くと、刑罰はすべて「悪い・いけないこと」になって
しまうと思うんだけど。死刑囚が「殺されるのはイヤだ」って言ったって、死刑が
「いけない」という根拠にはならないんじゃなかろうか。
756 :
考える名無しさん:02/12/28 17:03
>>毎度氏の論で行くと、刑罰はすべて「悪い・いけないこと」になってしまうと思うんだけど。
>禁止は、禁止の理由・要請ゆえに、許されないからなされるのであり、
我ながら芸の無い反論だな。
書き忘れ。
>もし世界に人間が2人しかいないなら、「禁止」ってのは意味がないと思うね。
一人でも意味はありますが?
>>751 疑問に思ったのですが。
>>不良 「何で俺がお前らの勉強の邪魔しちゃいけないんだよぉ。」 の先
>
>優等生他が、勉強の邪魔であると困る理由をあげられるなら、それが答えになります。
>答えられなければ、その場では不良に言い負かされるかもしれませんね。
この論でいくと、例えば優等生が「Aなので勉強の邪魔になると困る」と答えたとき、
不良はなおも「じゃあ何でAなら駄目なのか」と言い返すことができると思います。
つまり不良は常に反撃可能であり、これでは優等生が不良を説得することは
不可能なのではないでしょうか?
「人が人を殺してはいけない世界」に住んでいる僕たちが
人が人を殺してはいけないか、どうかなんてなかなか解らないと思います。
この世界が突然「人が人を殺してもいい世界」になったとすると、
人々はやはり再び「人が人を殺してはいけない世界」に戻そうとするのではないでしょうか。
そもそも「人はなぜ人を殺してはいけないのだろう?」という議題にはおかしい点があるような気がします。
あたかも自分は殺されないという「安全」の上で問いかけているような・・・
戦争の未経験者が戦争映画に憧れる気持ちと似ている?
760 :
考える名無しさん:02/12/28 20:10
>>758みたいな考え方をしてると、
規則・罰則がなければ殺人も構わないなんて発想が生まれてくるんだろうなあ。
>>760 (゚Д゚)ハァ? 私がいつそのような書き込みをしましたか?
762 :
考える名無しさん:02/12/28 21:09
>>761 普通にその時点で持っている情報を整理して会話を続ければ説得可能。
それでも説得できないと言うのは、
不良が「おまえの都合なんて知るか」と言う暴論を吐いた場合、
もしくは「Aなら駄目と言う絶対の決まりなんかない」と言う厨房意見を述べた場合でしかない。
前者なら泣き寝入りか、罰則を与える以外に解決策は無いし、
後者は罰則がないなら殺人を犯しても構わないと考える。
「じゃあなんで殺しては駄目なのか?」
「殺されるのはかくかくしかじかで私に取って非常に堪え難い事だから」
「じゃあなんで堪え難ければ駄目なのか?」
>>726 ●了解したところ
「Aが駄目なのはBだからだ」→「ではBは何故駄目なのか」→「それはCだからだ」
→「ではCは何故駄目なのか」→……という思考実験は詭弁でしかない
●了解できないところ
>もしくは「Aなら駄目と言う絶対の決まりなんかない」と言う厨房意見を述べた場合でしかない。
こうした事態が発生するのは、罰則がないならAしても構わないと考えるからではなく
単にAなら駄目という価値観が受け入れられなかったからではないだろうか?つまり、
行為の対象に対して共感を持てなかったとき、禁止の論理はその行為者にとって説得性を持たない。
だからこそ、普通の人(普通に他者に共感できる人)であれば普通に殺人の禁止を納得するのだし。
あと、断っておきますが、私は不良の考え方をしているわけではなく、むしろ優等生として
どのように不良を説得していけばいいかを考えています。その上で、優等生側がきちんと
整理された理由を述べてもなお、不良が暴論や厨房意見を吐いてしまう可能性は残念ながら
ある、ではその場合どうするのかという話です。
764 :
考える名無しさん:02/12/28 22:56
>>763 自らの所為を神の不在に責任転嫁してしまえる連中には、
個人モラルを持たない点を批判する以外には思いつきません。
>単にAなら駄目という価値観が受け入れられなかったからではないだろうか?
それは「なんでAなら駄目なのか」とは違う話しだと思いますが。
あと説得は会話している両者の内、どちらの了解を欠いても成り立つ物ではないので、
「共感できたから」なんて理由で説得(?)されても困るんですよ。
>>764 あなたが何を言いたいのかわからない。
私の頭では限界。共感できない。
766 :
くろしろ ◆Mi0a.9Ms2A :02/12/28 23:11
断見教ではダメだとしとります。
>>765 被害者の価値観とやらが無視された上でも説得は可能です。
と言うより価値観云々で論ずるべきではないのです。
>>751 >優等生他が、勉強の邪魔であると困る理由をあげられるなら、それが答えになります。
>答えられなければ、その場では不良に言い負かされるかもしれませんね。
困る理由と言うのは、だれにとっての? 優等生?不良?
言い負かされると言うのは、さわぐ行為に対して否定ができないと言う事?
それと、時々出てくるんだけどさ、
「人を殺してもいけない事はない。ただ、罰則があるだけ。」って言う発言があるでしょ。
これはさ、「代償を払えば人を殺してもいい。」ってことなの?
それとも、「殺してはいけないから刑罰を設けている。」ってことなの?
設定が変。サル並というよりあえてそういうわけわからん設問で混乱させようと
してるんか
こんばんは。
>>758(712さん)
その部分に疑問を感じられたのは、必ずしもおかしなことではないです。
(当然ながら、私は
>>760さんのおっしゃりたいことは非常によく分かりますし、そうあるべきだとは思いますが)
答えは、不良を説得できるかどうかは、禁止の要請があるかどうかとは関係がない、ということになります。
私は、サル並みさんの質問「先」を答えましたが、その過程が禁止の成立であるとは考えていません。
邪魔だからさわぐな、と言った時点で禁止は成立しています。
>>756-757さん、
>>756は、一つ目の禁止を「刑罰」と読み替えて、反論されたのですね。
そういう理解であれば、正しいと思います。
>>757は、609氏が2人しかいないなら、とモデルを提示したことは、(まあ意味がない設定だから)
ひとまずおいて、禁止の要請自体は一人でも意味がある、と答えたということで、OKでしょうか。
いずれにしても、レスありがとうございます。
>>759 >人が人を殺してはいけないか、どうかなんてなかなか解らないと思います。
そんなことはありません。
>>80-82 >>98をご覧ください。全体の趣旨には、同意します。
>>762=
>>764=
>>767 さんでしょうか?
価値観云々で論じるべきでない、とは、不利益に着眼して禁止を論じるべき、の意味でしょうか?
そういう意味であれば、私は全く同じ考えです。
>>764 「それは、なんでAなら駄目なのか」とは違う話し、は、
>>98末尾@(説得)と
>>98末尾A(要請)とを分ける観点から出てくる理解ですよね?
>>766 くろしろさん、書き込みありがとうございます。
>>768(サル並みさん)
困る主体は、とりあえず優等生他です。不良については、理論的には困る面があると主張するか、
不良の主観で困るかどうかを決めるかによって、帰結が変わります。
いずれにしても、優等生他が主張する限り、禁止は成立します。
言い負かされるとは、禁止の要請がなく禁止が成立しないこと、ではなくて、
禁止の要請を説明できないこと、です。騒ぐ行為の否定は、
>>771に示したとおり、可能です。
・人を殺してもいけないことはない。ただ、罰則があるだけ。について
この点については、
>>80-82。禁止の理由=殺しによる不利益があることをもっていけない、と言えます
>>134。
罰則がある点は、禁止の成立を前提として、社会レベルにおいて禁止の実効性を確保するために
設けられた手段の一つです。
>>98末尾@
>>181-182
■内容的には、
>>742-750 で、すでに終わってることが、以上のレスを読めばお分かりいただけると思います。
また、
>>609氏が、相手が書いた文章のうち、都合の悪いところを無視して議論する人間であることも、分かります。
□例えば、
>>639 「〜自分や自分の大切な人が殺された場合、そんだけのことだろ。と、言いますか?」は、
無視されました(
>>739-740 あくまで一例)。過去ログ参照は、
>>626のツールが便利です
■
>>738-740 へのレスの前半、
>>742-743 で、
>>609氏の、「決め付け」や「哲学」の基本的態度のおかしさに
ついて指摘しています。
>>609氏は、哲学に限らず学問をする上で致命的な誤りを犯していることが、この部分から
明らかです。疑うことや、危険の理解
>>759、「決め付けだ」とする、議論に中途半端な自信がある者が
よく使ってくるレトリックに対する対処など、参考になるかもしれません。興味ある人は読んでみてください。
□
>>746は、禁止の成立条件を問題にしていますが、この部分を明らかに恣意的に無視しています(後述)。
□「お考え」が純粋に敬意を払ったものでないことは、
>>740 ←
>>749 を見れば分かります。
「絶対反対」は、思考停止したかのような印象を与える言い方です。
■以下は、あくまで
>>742-750 で批判済みの内容です。言葉をいろいろ弄っているだけで、609氏は
意味のある議論を展開していません。
■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□
>>754 >俺の考えでは、これは「禁止」じゃなく「拒絶」の話じゃないかな。
>もし世界に人間が2人しかいないなら、「禁止」ってのは意味がないと思うね。
>「許されないから」っていっても「許す」主体は自分と相手しかいないんだから。
■世界に人間が2人しかいないという想定を、持ち出す理由が示されていません。
そんな想定を下に議論すること自体意味がありません。
□私が個人による主張で足りるとしたのは、不利益に関する主張が個人の範囲で正当に主張されるという点に
かかっている
>>392 ←
>>396-399 だけです。社会構成がどうかという問題を扱ったのではありません
>>747。
私は、2人だけの世界でも禁止に意味があると主張したのではありません。そんな世界を問題にしてはいません。
□禁止の理由は何かとは、禁止して守る利益・防ぐべき不利益が何かの問題です。
守る利益・防ぐべき不利益があるなら、禁止はなしえます
>>8さんのレス
>>134 >>98末尾A
禁止に意味がある=実効性がある かどうかは、
>>98末尾@の問題であって、
>>98末尾Aの問題ではありません。
それを拒絶と呼びかえる理由が示されていません。また、拒絶は、通常、要求や依頼を断ることであり、
不利益を防ぐ意思表示と言う意味では、用いられません。
>要は、どっちからみても、殺されるのはいやだが(利害得失を計算した上で)
>殺したくなったら(稀だろうけど)殺す、ってだけのことだ。拒絶=禁止だとすると、
>実行=解禁、ってことになってしまわないかね。
■殺されるのがイヤだから禁止する(禁止が成立する)と、はっきり述べた箇所を無視して同じ見解を
繰り返すのはやめてください
>>746。いい加減にしてください。実行=解禁でないことは、
禁止した点を否定できるわけでないことから、明らかです。解禁とみなす背景には、
>>746■3で指摘した、
殺す側に限定して禁止を考え、殺す決定が当然に結果するという間違った想定があります。
殺されそうなとき、必死に抵抗すること、殺される者の意思を考えるなら、禁止が成立していることは
明らかでしょう。
>毎度氏は「拒絶=禁止=不当化」と言っているように俺には 読めるんだけど、
>もしそうなら「実行=解禁=正当化」とも言えるんじゃないかな。
■実行は禁止に反しようとすることです。実行の際に正当化するとしても、正当化できる点は
>>81()内の事柄だと
何回も指摘しています
>>744 >>746(>744で、わざわざ例まであげて考察を促しているのに、無視されました)。
■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□
>>755 >A「(殺されることの)拒絶の理由はあり拒絶は成立させられるが、拒絶は無視され得る」
>B「(殺すことの)実行の理由はあり実行は成立させられるが、実行は拒絶され得る」
■Aは、前述の通り、禁止の理由
>>80 はあり禁止は成立させられるが、禁止は破られうる
>>81 (無視されても禁止の理由・禁止はなくなりません
>>80 >>82)
Bは、実行の理由
>>81 がある場合があるが、その理由は A側の不利益とは無関係な論点の正当化である。
実行は成立させられ「う」る(∵実行される側の抵抗がある)です。
(禁止は、禁止の不利益・意思さえ指摘できれば成立しますが、殺人は死の結果がなければ成立しません)
>「拒絶=禁止=不当化」と言っているように俺には読めるんだけど、もしそうなら
>「実行=解禁=正当化」とも言えるんじゃないかな。で、それは毎度氏が断固として否定する論理だ。
>俺も間違ってると思う
■だから、何回も
>>80-82 >>81 を引用して、「拒絶=禁止=不当化」は、それを主張する側の不利益に
かかることなので、そのまま成立するが、「実行=解禁=正当化」にはなりえない、なぜなら、
実行側の利益を正当化しているのであり、拒絶側禁止側不利益を被る側の正当化にはならないからだ、
と、何回も何回も書いています
>>744-746。いい加減にこちらの主張を主張どおりに受け取ってもらえませんか?
勝手にあなたの側で類比してこちらが主張していない内容を示して、それを批判してこちらの意見を批判した
ことにするのは、やめてください。
■社会的な禁止については、
>>747(
>>755は、
>>747を受けて書かれていません)。
■死刑について、
>>81の正当化
>>749 >刑罰 (毎度注:死刑制度とそれ以外に分けてください) は
>「受ける人にとって悪い(イヤな)こと」だからこそ意味があるんであって、
>毎度氏の論で行くと、刑罰はすべて「悪い・いけないこと」になってしまうと思うんだけど。
>死刑囚が「殺されるのはイヤだ」って言ったって、死刑が「いけない」という根拠にはならないんじゃなかろうか。
死刑制度;
■受ける人にとって、イヤなら(殺されることが不利益なら)禁止の理由があるというのが、論理的帰結です
>>80-82。
刑罰制度;
■上に書いた論理的帰結
>>80-82 から、制度を正当化できないとして、死刑制度・刑罰制度を廃止するまたは、
廃止することが理論的には正しいと主張する人間がいます。
■また、廃止を主張せずとも「刑(事)法は劇薬である」という例えが一致して受け入れられているからです。
つまり、刑事法それ自体は、好ましいものとして理解されてはいません。また、理解されるべきでもないのです。
なぜなら、刑事法が当然に手段として含む刑罰それ自体は、害悪だからです。刑事法は、禁止の実効性を確保する
ことで得られる利益によって許容・必要とされる制度なのであって、刑罰それ自体が正しいとされているわけでは
ありません(この点については、刑法の教科書を参照してください)。
□刑罰は、受ける人にとって悪いものだから、刑罰制度の意味(意義・実効性)がある、という点と、刑罰
(このスレであれば、殺し)が悪いかどうかは、別問題です。刑罰自体は「悪い」ことです。
(上では、混乱をさけるため、刑罰の教育的側面を捨象して論じています)
>>782 また、廃止を主張せずとも〜例えが一致して受け入れられているからです。
↓
また、廃止を主張せずとも〜例えが一致して受け入れられています。
失礼しました。
>>769さんも、レスありがとうございます。そうですね、
>>768の設定は変だと私も思いますよ。
一般的には、
>>769さんの対応で全く問題ないはずなのにね・・・
>>785 だからさ、何処が変だっていってんの?
>それと、時々出てくるんだけどさ、
>「人を殺してもいけない事はない。ただ、罰則があるだけ。」って言う発言があるでしょ。
>これはさ、「代償を払えば人を殺してもいい。」ってことなの?
>それとも、「殺してはいけないから刑罰を設けている。」ってことなの?
この部分か?うん。確かに文章としてちょっとおかしい。反省・・・
「人を殺してもいけない事はない。ただ、罰則があるだけ。」みたいな事を言う人に聞きたい。
「刑罰を覚悟するなら人を殺してもいい。」ってことなの?
「殺してはいけないから刑罰を設けている。」ってことではないの?
ってことを言いたかったんだけど、これならわかる?
>>776 優等生にとってさわいでる不良が迷惑だから「さわぐな」って言えるってことは、
おおむねわかってると思うんだよね、みんな。
それに、不良がどんな屁理屈こねようと、
優等生にとって迷惑だと言う事実を否定できないって言ってんでしょ。それは解るよ。
そりゃあそうだ、刑罰についてだって、騒いでる不良を迷惑だと感じるかどうかと、
不良がそのために停学になるかどうかとは別だろうからさ。
だけど、以前のスレでも言ったけど、ボクがその先って言ってるのは、
優等生にとって迷惑だと言う理由だけでは、不良を説得できないでしょってこと。
まいどちゃんは、このスレの答えには、その事は語る必要がないって言ってんだよね。
ボクにはね、他の人たちが言ってることは、
不良 「何で俺がお前らの勉強の邪魔しちゃいけないんだよぉ。」
優等生「勉強できないと私が損するからだよ。」
不良 「なんでお前が損しないようにって、俺が我慢しなきゃいけないんだ?」
って言う部分だと思うんだ。違うかな?
>>786 いや、どちらもですよ、正確には。よりおかしいのは、
>>786で選ばれた方ですけど。
優等生の話は、無関係。単純に
>>80-82読めば分かるだろ。混乱させるな。
ってことだと思いますよ。実際
>>80-82 >>98 で分からない人は、論理的に考えられないだけですし。
>>787 >優等生にとってさわいでる不良が迷惑だから「さわぐな」って言えるってことは、
>おおむねわかってると思うんだよね、みんな。
少なくとも
>>609氏は分かってないみたいですよ。他にも数名いました。
>優等生にとって迷惑だと言う理由だけでは、不良を説得できないでしょってこと。
>まいどちゃんは、このスレの答えには、その事は語る必要がないって言ってんだよね。
そうです。このスレの答えには。禁止は説得や共感とは無関係ですから。
説得・共感は、
>>98末尾@の話です。具体的にぐだぐだ述べると
>>370-371 みたいな話ですね。
あとは論理性身に付けることとか、教育とかいろいろですね。
>不良 「なんでお前が損しないようにって、俺が我慢しなきゃいけないんだ?」
そもそも不良が前提されてるのが変だってのが一つですね。あと授業中騒ぐことと殺人は、全然違いますよ。
やる人間の数とか相手の抵抗とか。だから類比としてここで持ち出すのは、かなり誤解を招きますよ。
前スレのように、禁止が端的に主張できる例として持ち出すなら、いい例なんですけど。