人はなぜ人を殺してはいけないのだろう?

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599ゆい脳
さて、こんばんは。 結論のほうから先にいきますね。 人は時に、「倫理的判断よりも、苦痛を避ける判断をする」ことが多い
だろうと思います。 理性というものは、肉体の苦痛には負けるものであるということかな。 話を戻します。
 実際に殺人をおかしてしまうと、職場を去らなければならなかったり村八分にされてしまって、実質的に生きてはいけない境遇に落とされる
だろうと思われますね。明示的(明文的)な法律なども理由になるけど、こういう不文律なしがらみにも縛られているというわけです。

宗教観などによっては、時に殺人や自殺さえも美化される(聖戦のために自爆したり、殺すべき人を殺すと)天国に行けるという世界観もあるわけ
ですから、そこでは「殺してはいけない」という決まりそのものがないわけですよ。

そして、殺人は、第三者的に見ていても気持ちのいいものではないし、楽しいものではない人が多いでしょう。
昔のギャング映画などでは、邪魔者だとされる人を第三者に殺させるでしょう。「消せ」などと命令して。
直接(実行犯)殺すと、気持ち悪かったり自分が汚れたり面倒だったりするから、楽な方法で殺すんでしょうね。

また、自分の心の中で、殺人は気持ち悪かったり、殺される人を多少かわいそうだと思っていても、殺さなければ自分が殺されるとか、
ご飯が食べれなくなるとか、あるいはすごい苦痛が加わるなどといった場合、殺すのは良くないと思っていても、苦痛を避ける方を
選択することもあろうかと思います。 間引きなどという風習? も、必要に迫られて行ってきた
過去もあるわけですし。だれもわが子を喜んで間引く人はいないでしょう。

 と考えると、人間は実に単純に、苦痛を避けながら生きるという生き物
ですね。
 法律のほうでは、法律で規定する事柄をイヤでも守らせるには、
「守らなければ法律が苦痛を与える」ようにしてあるはずです。

 さて、どのようなことを持って「心の苦痛に感じる」ように教育
すべきかというのは、哲学ではなく倫理の問題でしょうか。