人はなぜ人を殺してはいけないのだろう?

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594ゆい脳
 さて、私が前回「自然状態」と書いたのは、専門用語のつもりでした。 ホッブス以降の思想とか、法学、倫理学などではおなじみの言葉だろうと
思っていたわけです。 同じことを繰り返すわけですが、人が自然状態にあるということは、
その人が地球を丸ごと吹き飛ばす爆弾のスイッチが押せる状況におれば、 その選択肢も実行可能であるし、あらゆる選択肢が実行可能なのだと、前もって
定義(仮定)するよ、ということです。

 無意識下で禁止が働いているのであるなら、それを明示的に示すには、その状況を
破壊してみればわかると思う。ただちに姿を現す。
 たとえば、「なぜ人は人を殺してはいけないのか」明示的にわからなければ、
殺してみればいい。どんなことがおこるのか。起ったすべてはその解答になろう。

 また、法律や暗黙の圧力などが禁止するだけでなく、自分の内側からの禁止も
かかるだろうとおもう。
 >>80が解答とのことですが、「絶対的な理由は存在出来ない。ただ、(言語による)
話の説得性の大小の存在があるのみ」とは不十分です。
 人が、人を殺す(あるいは殺される)光景を見て、「心の真実としてこれほど
悲しいことが他にあろうか?」と思う人は多いと思う。言語などによらないし、
自分自身の中にその答えがある。

 というわけで、そもそも論理学の話題を展開したいのか、倫理学のお話として
展開したいのか、議論そのものを哲学的に深めたいのか、なんだかわからないという
感じがしたので、書込みした次第です。

 >>591に「そして私は勘違いをしていました。
私はヒトがヒトを殺すことの真理を問うているのかとおもっていたが、
実際はなぜ殺してはいけないと決まっているのかという問いだったのです。」
とあるが、このようなすれ違いが沢山出るのは、上に書いたように漠然としている
からなのでは?