殺すことの正否を論じる前に、なぜ生きるのかを知る必要があります。
ヒトに関わらず、なぜ生命は種ごとに生きて、増えようとするのでしょう。
自然界は食物連鎖によって成り立っています。しかしながらどの種も他種の生命をエサとしたり、或いは寄生したり共生したりしています。
他種の生命を殺し、自種の生存のために子孫を出来るだけ多く残そうとします。
それは自分たちの種が如何にしてこの過酷な自然界で生き延びるかという生存競争であり、またその生存戦略です。
全ての生命が種ごとにあらゆる生存戦略を駆使しています。
霊長類の生存戦略は脳を発達させ、物を掴み道具を使い社会性を発達させ、ヒトにおいては火を使用する事でした。
生命であるということは、自分たちの種族が如何に生き残るかということが命題となります。
ヒトがヒトを殺すということは、ヒトが生存していく上で最も不利な戦略ということになります。
生命の進化の過程で全ての生命に共通する、同種は殺さないという最適な生存戦略が本能的に残っていることから道徳が生まれ、法律が生まれたのではないでしょうか。
しかし時としてヒトは戦争をして大量に同種を殺すし、自己の利益のために同種を殺すこともあります。オランウータンやライオンも時として同種を殺します。
ではなぜ生きるために殺すのでしょうか。そしてなぜ生命は発生し、なぜ必死に生きようとするのでしょうか。私はそちらのほうが知りたい。
>殺すことの正否を論じる前に、なぜ生きるのかを知る必要があります。
理由がありません。
>ヒトに関わらず、なぜ生命は種ごとに生きて、増えようとするのでしょう。
種ごとに生きて、の意味を説明してください。増えようとすることは、個体の意思であるか、
増えることに関わる生殖の知識は、先天的に獲得されるかについて、答えてください。
デタラメを言うのは、いい加減にしましょう。
>自然界は食物連鎖によって成り立っています。しかしながらどの種も他種の生命をエサとしたり、
>或いは寄生したり共生したりしています。
>他種の生命を殺し、自種の生存のために子孫を出来るだけ多く残そうとします。
用語が一般的な説明に対応しているだけで、概念内容が正しくありません。
こういう怪しげな進化論を振り回すのはやめましょう。ある種の個体が、個体の生存に結果的につながる
行動をとり、それが種レベルでも好ましい行動であった場合、結果的に種の生存が結果するのです。
目的的に種の保存を図るわけではありません。これは、生殖に関する知識が先天的に把握されないこと、
人間が生殖を当然に目的としたりしないことから、明らかです。
>それは自分たちの種が如何にしてこの過酷な自然界で生き延びるかという生存競争であり、
>またその生存戦略です。 全ての生命が種ごとにあらゆる生存戦略を駆使しています。
>霊長類の生存戦略は脳を発達させ、物を掴み道具を使い社会性を発達させ、ヒトにおいては火を
>使用する事でした。
>生命であるということは、自分たちの種族が如何に生き残るかということが命題となります。
>ヒトがヒトを殺すということは、ヒトが生存していく上で最も不利な戦略ということになります。
結論だけぐだぐだ述べ、「戦略」という語を使ってそれっぽく見せているだけで、ちっとも理論的では
ありません。タームばかりに頼るのはやめましょう。
脳を「戦略的に発達させる」ことが出来ないことは、周知の事実です。脳が発達する循環に入ったから、
脳が発達したのです。物を掴み道具を使うことも火を使うことも、発達させようとして、できるように
なったわけでは、ありません。目的意識を持つことは、人間の知性がかなり発達した後にできるように
なったことです。その思考様式に沿って進化を理解するのは、誤りです。
>生命の進化の過程で全ての生命に共通する、同種は殺さないという最適な生存戦略が本能的に
>残っていることから道徳が生まれ、法律が生まれたのではないでしょうか。
戦略が痛覚であると解するなら、痛覚は道徳が生まれる原因の一つではあったでしょう。
しかし、それだけで道徳・法律が生まれたとは考えられません。なぜなら、言葉が必要だからであり、
それは、殺さないという戦略を表現するために、戦略的に獲得されたものでないことは、明らかだからです。
言葉はまず何かを指し示すことであったはずであり、いきなり死の概念を理解したなどという想定は
成り立たないでしょう。
>しかし時としてヒトは戦争をして大量に同種を殺すし、自己の利益のために同種を殺すこともあります。
>オランウータンやライオンも時として同種を殺します。 ではなぜ生きるために殺すのでしょうか。
ヘンな一般化はやめてください。殺すことと生きることがトレードオフになっているケースは、
食べ物(程度あり)と戦争(戦場で戦闘している兵士に限る)の場合であって、
「自己の利益一般」は当てはまりません。
>そしてなぜ生命は発生し、なぜ必死に生きようとするのでしょうか。私はそちらのほうが知りたい。
論点外れです。
すみません、もう一回引用しました。最後のリンクは、
>>584 ←
>>586-588 に関連します。
>>584は「戦略」という、闘争的なニュアンスを持つ語を多用し、「種」概念を濫用することで、
個体レベルの要求を、科学的にも規範的にも無視した世界解釈を読み手に
印象付けたがっているようなので、批判しました。
584です。
批判感謝します。非常に鋭いご指摘でした。
私は諸学説に基づいた文章を作成した積もりだったのですが、どうやら伝わらなかったようです。
理由は私の想定する内容の解答と全く異なる解答であったからです。毎度さんのご指摘がどこから来るのか、全く理解できませんでした。
それは毎度さんの文章読解能力でも作成能力でもなく、私の文章作成能力と読解能力の低さが多く原因であるでしょう。
そして私は勘違いをしていました。
私はヒトがヒトを殺すことの真理を問うているのかとおもっていたが、実際はなぜ殺してはいけないと決まっているのかという問いだったのです。
我々がこの世に生まれてきたときには既に、あらゆる物事には規則が設けられていました。
なぜ規則が設けられているのか?
私には私なりの答えがあるが、論じる価値がない。失礼した。