495 :
考える名無しさん:
ところで前前から思ってたんだけど、いけなかったらなんなんだろうね。
殺す奴は殺すし、殺される奴は殺されるでしょ?不毛だな(ワラ
>>489 (ここまで拝見さん)
>「(戦争などで)人は人を殺す・殺した」、ってな事例があったとしても、それが
>「人が人を殺してもよい、という理由」にはならない、ってことか。
その通りです。例えば、約束を破る・破られることが可能だったとしても、
自分か他人のいずれかが、約束を破られると困るなら、困らないことにはならない、ということです。
約束の場合は、破っても破られても大して困らない場合もあるでしょうが、殺人の場合はそうは言えない
だろう、ということです。自分が破ったり、殺したりした瞬間にイメージを限定して、その範囲で自由だの
何ら困ることは無いと言ってる馬鹿(繰り返しますが、言い過ぎではありません)が、永井氏や氏に同意する人たちです。
>「Aさんが、●を食べた」という事例から、
>「●を食べてもよい(全ての人に、許可されます)」
>「●を食べることは、いいことだ(全ての人に、好ましいことです)」
>「全ての人は、常に●を食べたがっている」
>と、言うことはできない。これ、合ってます?
>>98最後の@の観点からいえば、●が毒かも知れませんし、おいしくないかもしれませんし、
●は他の人の分だから盗ってはいけないと思って、B〜さんは、食べてはいけないと思うかもしれませんね。
だから、合っています(ただ、
>>98最後のAの、禁止の話をする際に上のような発言をするなら、論点外れです)。
※
>>450-452 ←
>>453-454(
>>461で修正)
>>455-456 >>457-458 430氏へ・・・
>>460 >>469-470 ←
>>472-478 で使われていた●とは、違う意味で使われています >読んでる人
>>488 ←
>>490のレスについては;
■自然のこと、については、自然の意味がまず明らかでない、と書くと、とりあえず論理性が強まります
(ただ、これ「だけ」だと、オウム返ししているのと区別がつきませんし、常識的な判断を踏まえていなければ、
言いがかりをつけているようにしか見えませんが…)。
ですから、例えば痛覚より、「人」が「生命活動を終わらせる」という抽象的認識の方が、「自然でない」ことは
明らかだ、とでも言っておけば、良いでしょう。
つまり、痛覚と対比されることがあるとするなら、腕を振り回すとか、暴れるとかいうことが「自然」ですね。
対象をの生命活動の終了を目指す認識より、自分が痛いと思う方が明らかに先です。暴れた結果、暴れられた
対象は障害物で、壊れるかもしれませんし、逆に痛い目にあうかもしれませんし、対象が人で、生命活動が終了
してしまったりする場合もあるかもしれませんが、最後の場合を意図的に志向することが、「自然」ではありえないことは、
以上の説明で明らかだと思います。ナイフやピストルを使うのは「自然」ではないのです。情報を後天的に獲得
しなければ、用途も用法も分かりません。
■>コロしたら人間が作ったルールでのぺナルティがあるだけです。
>この物言いが説得力を持つのは、「人間(社会)/ルールが効力を持つ範囲外」に立っている存在が発した場合〜
ここは、まずかったです。ペナルティがあることは、
>>98@の殺さない話であり、
>>98Aの話ではありませんから、
常に説得的でないからです。
▼以下の部分はとても良かったと思います。
□ルールの趣旨・形成過程(不利益の存在、不利益に基づく禁止の主張、主張の認識、認識に従った取り決め)に遡って、
不利益の存在を無視して、ルールをただの取り決めのように理解する立場が、自身の不利益を除外して論ずる
欺瞞的な立場であることを明らかにしている。
□殺したいかどうかの話にずらされずに、「(殺す・殺したい側の)理由と「殺してもよい」というものとは
別物じゃないのか」「それによって「殺してもよい」という結論が導き出されるわけでもないだろ」と
指摘して終わっているところ(終わり方はとても大事です)。
>>492 ■
>>492の「自然状態」は、「自然」な「状態」ではありません。
「自然状態」というモデルのおかしさは、
・「自然」なら、禁止が無いから(←
>>80 批判)、
・禁止で制限されている事柄も全て端的に決定可能である、と認識したうえで、
・直ちに暴力的な行為が選択され(理由なし)、
・ある決定が結果する(殺人が結果する ←
>>458 >>475 批判)
と、論理的・事実認識的に、飛躍される点にあります。
実際には、自然な状態にあるなら、能力や主体の行動が及ぶ限界は、かなり大きいです。
■第一に、物理的な行動範囲が狭いため、自然に殺しを継続することなど不可能です。周囲にそんなに人間はいないからです。
(現在の人口を前提として自然状態を考えるのは、本末転倒です。現在の人口に達した要因には、禁止が結果的に
守られた事実があり、この事実はすでにあなたの解釈における「自然」にはあたらないからです)
■第二に、人数が少ない集団でそんなことを行えば、日常生活を行うこと、共同して何らかの作業をすることすら、
ろくにできなくなるため、暴力的な選択にメリットはありません。
■そもそも知識が無さ過ぎて、生まれたばかりの仲間がすぐ死んだり、病気で死んだケースが圧倒的に多いでしょう。
わざわざ殺すまでもなく、死亡率が高いため、むしろ死なれると困るのが状態だったと考えられます。
■こうした状態では、ある程度互助的な行動があったと仮定しなければ、個体レベル+αでは、すぐ全滅したのでは
ないかと思われるくらい、人間は弱い生命体です。少なくとも、赤ん坊の段階ではそうです。赤ん坊から成長したら、
とたんに殺しをしだす理由は、想像できませんし、そんな事実はありません。
■自然状態においては、生きること自体が大変だったので、とりあえず、なんとなく協力が結果している限りでは、
その結果をもたらしている周りの何かを傷つけようという発想は、浮かばなかったでしょう。
あるいは、浮かぶというような、抽象的な認識なしに、危害を加える行動パターンが身についた一団が、ある地方・時期に
存在したかもしれませんが、そうした選択を行った集団は、淘汰されたでしょう。
■知識・選好や関係による限界や差異は「主観的な主体や客体の区別なしに」個体ごとの差異としてそのまま作用した
でしょう。観念によって共通の傾向をもつことは、自然状態にある人間にとって、殆ど不可能に近かったはずです。
暴力的な行動を、「暴力」として抽象可能であったとは、到底考えられません。言葉がそこまで高度に抽象化されて
いなかったからです。
■単に痛覚を及ぼしてきたり、体を動かすのが快感なので、いろいろしているうちに、ボクシングになっていたり、
器物損壊になっていたり、サッカーになっていたり、太鼓叩きになっていたり、踊りになってたり、していただけ
でしょう。いろいろな行為が結果していくうち、何らかのきっかけで殺しが結果されただろう、程度の理解が、
自然的です。
■最初は、殺しが起きたことがどういうことなのかすら、ろくに理解できないような状態だったでしょうが、
殺しが痛かったり、それが腐ったり、笑わなくなったりすることで、つまらない・臭い・いないから困っている
というような感覚があったため、それを恐れるようになり、それが記号なり慣習なりで表現されていくうちに、
「自然」な状態から脱し、現在の社会状態に少し近づいた状態になったと考える方が「自然」であり
「観念的」「規範的」でない考えと言えます。
(規範が無いから自由である、と認識する人間は、近代的な人間そのものではありませんか?)
現在禁止されるような選択が、多数の人間によって「何らかの理由で」選択されなかったから、
現在のような社会構成が結果したのです。禁止の正しさは、禁止する者が想定する利益に反するかどうかによって
決めることができます。この要求は、感覚的なものから根拠付け可能である限り、「自然状態」であろうが、
そうでなかろうが、変わらず妥当します。ただ、禁止の実効性が、主体的な意思形成のみによっては、
期待できないだけに過ぎないのです。
禁止が実効性を持つためには、
・禁止を破る可能性のある個体が、禁止とかかわりあいがないところに存在するか、
・個体が禁止の範囲内でたまたま行動するか、
・禁止に反しようとする個体に物理的な抵抗を行うか、
・個体が禁止を認めるか、
・禁止に反しようとする個体に対して、禁止自体に含まれない事実を制度的に付与して不利益を科すことで
禁止をまっとうさせようとするか、
いずれかの方法によらねばならないわけですが、
後半に示した認識・手段が、確立されるためには、そもそも禁止が目的とする「利益」が、
各自の感覚的なレベルにおいて受け入れられるものでなければ、現在のような社会状態にはならなかったはずです。
「自然状態」を唱えた人に悪意が無かったことは、よく知られています。このことは、社会契約を理論的に肯定する際に、
「村長さん<という一人の人間>」が「決めた〜ただそれだけのこと」と、矮小化することがなかったこと、
全ての個人に対して通用力があるものとして、禁止の範囲に行動を制限するものとして、位置付けが行われたことから、
明らかです。「自然状態」は、可能的であることを肯定的に捉えるための概念ではなくて、
あくまで否定的に捉えられるものとして、設定されたのです。
>>492は、政治理論の概念から、政治的意義を捨象して
永井氏などと同様の思想的傾向を受け入れさせるための道具として、使っています。
>>495 あなたがいう意味での不毛さがないことは、
・
>>368 ←
>>369-371 >>62 ←
>>85 >>280 ←
>>336、
・見解を変えた、167さんがいらしたこと、
・禁止を破ることは可能だから、禁止が成立するかどうかは、どうでもいいとして
実効性を問題にしない暴論がおよぶ範囲は、殺しに限られていないわけですが、
殺しに関して、禁止を設定する側から考える視点を持つことは、
上の暴論に対する一般的な批判を行うための基礎となるため、一般的意義をもつこと、
などから、明らかです。 不毛に見えるのは、あなたのような馬鹿がいるせいでしょう。
>>495 つまり、「いけない」という「規範それ自体」は、
「殺す奴が殺さないようにするため」のものでも、
「殺される奴が殺されないようにするため」のものでもないということだろう。
>>504 それに一般的意義があることは「いけない」と言う言葉の意味が
あれば十分だろうから解るんだけどね。
でもそれって結局「いけない行為」という概念の上でのカテゴリの
定義しだいじゃないか。例えば人に苦痛をあたえることをその定義にするならば
確かに殺人(の特定の範囲)はいけない行為になるかもしれない。
だけど「自分が不愉快ではない事」がいけない行為の定義とするならば、例えば9.11の
テロやネオ麦茶の悪ふざけは全くいけなくはない。、それどころか面白い、刺激
的な有益さすらある。
それに「殺す事がいけないからと言っても殺す事が出来る。というのは
暴論以前に単なる事実でしょう?
そんな言いかたをすると、いけない行為というものが然としてあるよう
に錯覚させるんじゃないかな。
多分、「なんで人を殺しちゃいけないの?」と質問するような人たちは
殺人そのものを行いたいわけではないでしょう?
そう質問した時に「ルールだから」という回答がくることくらいは解っ
ていて、そのルールという回答に疑問を持っている人が多いんじゃないかな。
これはあくまで個人的な経験からの推論だけどね。
でも結局それが規範に関する問題である以上、「ルールだから」「定義だから」
以上の回答はないだろうと思うんだよ。これは言葉遊びになんだけど
「いけない行為をするのはなんでいけないの?」というのは「いけないから」でしょう。
511 :
509の訂正:02/12/21 15:24
だけど「自分が不愉快ではない事」がいけない行為の定義とするならば
↓
だけど「自分が不愉快な事」がいけない行為の定義とするならば
>>509 (
>>495)
>>504 つまると、相手のレスに形式的に応じないで、手前勝手に一般論を展開して正当化をはかる奴ばかりですね。
もう慣れましたが・・・。
>でもそれって結局「いけない行為」という概念の上でのカテゴリの定義しだいじゃないか。
>例えば人に苦痛をあたえることをその定義にするならば 確かに殺人(の特定の範囲)は
>いけない行為になるかもしれない。
>だけど「自分が不愉快ではない事」がいけない行為の定義とするならば、例えば9.11の テロや
>ネオ麦茶の悪ふざけは全くいけなくはない。、それどころか面白い、刺激的な有益さすらある。
毎度他○→→→●
>>495他 ■→→→x□
このスレの質問の言葉をその言葉の用法どおりに解釈するなら、扱われている問題は、
上図左にいる人間が構成する概念の選択可能性の話ではなくて、右図の現象に対する評価であることは
明らかです。「いけない行為」などの、●が抱く概念の話をしているのではなくて、
□が受ける不利益x□の話をしているのです。その不利益が、質問者が言葉で示した対象・構成に関する
一般的に、正しい解答であると論じているのです。
言葉の使い方を●が勝手に定義できるから意味が変わる、●が楽しめると言ったところで、
私が論じた点へ x□ と、それを正しく認識して考える ○○○○○○○○○○○○○○○○○○…への
正しい反論になりません。単に私が論じた際に基づいた事実を、●が無視しただけに過ぎないでしょう。
>それに「殺す事がいけないからと言っても殺す事が出来る。というのは 暴論以前に単なる事実でしょう?
>そんな言いかたをすると、いけない行為というものが然としてあるように錯覚させるんじゃないかな。
あなたや錯覚した人間が、私が書いた意見
>>80-82 >>98 を読んでいないから、「錯覚」するだけです。
この「錯覚」に関しては、私に責任はありません。「〜はいけない」は評価・禁止する行為をさし、
禁止される行為は、悪いと言う評価を、世界の中で並立する多くの行為によって受ける、受けたから
禁止される行為を実力的に禁圧する制度もつくられる、と、論じてきています。
あなたは、殺すことができるというとき、□の抵抗を無視しており、■の決定を結果時点でのみ判定する
という誤りも犯しています。「可能」「できる」点だけを指示することで、その傾向に反する傾向が
一般的であるか、強いものでないのか、そちらの傾向をとる要請はないのか、を一切無視しています。
あなたは、単なる事実を記号上記しているが、その事実の受けての解釈が、事実以上のものになりがちであることを
知らないはずはないですよね。
>>495 「殺す奴は殺すし、殺される奴は殺されるでしょ?不毛だな(ワラ 」
>>513 >あなたは、単なる事実を記号上記しているが、その事実の受けての解釈が、事実以上のものになりがちであることを
>知らないはずはないですよね。
>
>>495 「殺す奴は殺すし、殺される奴は殺されるでしょ?不毛だな(ワラ 」
↓
>あなたは、単なる事実を(記号上)記していると言うが、その「事実の表現」に対する受け手の解釈が、
>事実以上のものになりがちであること、事実以上の傾向を期待して
>>495の立場にある人間が
>行う場合があることを、知らないわけでは、ないですよね。
>
>>495 「殺す奴は殺すし、殺される奴は殺されるでしょ?不毛だな(ワラ 」
>>512-513 過去ログは面倒なので読んでいないよ。「殺す奴は殺すし、殺される奴は殺
されるでしょ?不毛だな(ワラ 」別に何ら変わらないそのままだけど。あなた
の言う「いけない行為」の説明が一般的な意義を持つことができるのは。
あなたの言うような錯覚があるからでしょう?
それに一般論というけれど、重要なんじゃないかな。「殺し」や「いけない」
という概念や定義が使う場合に違ってしまえば、あなたが言う「いけない理由」が
誰かに通用しなくなるわけだろうし、「いかけない」や「殺し」が持っている概念の
意味そのものが違うわけだからね。
それに□(個人名?)の抵抗を無視する、というけれど。定義によってはそんなものは
カテゴリの範囲外になるんじゃないかな。さっきも言ったけど、「自分が不愉快にならないこと」ならば
テロが起きても、ネオ麦茶がバスの中でどんな行為をしようとも、それで何処かの誰かが
苦痛を受けても、ね。
また間違えた、「自分が不愉快になになること」だった
書いてて思ったんですけど、これって質問した側に話を聞いてみる
必要がありますよね。「いけないこと」ってなんだと思ってるの?って
あ、あとついでなんですけど、そんな感じで「殺人」の定義を聞いて
「強制的に死をもたらす事」的なことを答えたら
人を生む母親は殺人者になりますよね
生まれた時から本人の意思に関係無く強制的に死がくることがきまってますから(ワラ
言葉遊びっておもしれーなー。
毎度タンも大変だな、コリャ。
>>523 母親が子を産むことで、子に死の可能性をもたらす点は、その通りです。
しかし、死の可能性をもたらす原因をつくることは、殺人という言葉で
言い表される内容ではありません。例えば、普通に人生を送ることを、
自分を殺すことである、とは言いません。自分を殺すこととは、
死期を今にすることを言います。
>>525 よくわからないけど
事実に反してはいないんじゃない?「いけない」というのが客観的な物質
ではなくて純文学と大衆文学とのジャンル分けの概念みたいなものでしょう?
>>526 まぁそうなんだろうけど、殺人という言葉の意味かどうかは、あなた
が判断するのではなく、その個人が判断じゃないのかな?
>>532 あのさ、今書いていて思ったんだけどさ
言葉の意味ってのは誰が決めるんだろうね?
やっぱりその誰かが使うときの意図でしかないのかな?
それともそれを読む側、受け取る側の主観?
535 :
考える名無し:02/12/21 16:53
ってか、こんなん法律で決まってるからとしか答えようがないじゃん。
実際は、言葉はコミニュケーションをする両者の間での
了解事項としてしか意味を持たないから、
「個人の判断」とはならないけれど、
一部の当事者間(恋人同士の合言葉とか、仲間内の隠語とか)で意味が決まっていて、
その意味で使っているのならば、それを脇から、
「一般にはこのような意味で了解されているのだかから、そのような意味で
とらえてはならない」
と強制することはできないね。
それは、論文や議論において、「○○はこれこれの意味で使う」と前置きした場合も同じことで、
ちゃんと前もって示しておくのならば、「○○はこれこれの意味で使う」という
議論をする当事者間の了解を、「○○の一般的な意味」をもって、否定ないし、禁止する権利はだれにもないはず。
ああでも誰かが決めるといってもそれに納得して従うかといえば違うんだろうなあ。
ミカンを指してこれからこれをリンゴと呼び。そう考えなさい。と言われても
やっぱりミカンだしね。
すいません分けが解らなくなりました、助けてください。
がんばれー「毎度」さん。
結論からすると、個人的な「いけない」という定義次第ってことでいいですね?
>>550 説明しようよ、煽りじゃないんだから。←勘違いしてそうだから
556 :
考える名無しさん:02/12/21 17:07
がんばれ!毎度
>>552-553 それは「個人的な定義次第」という話についてですよね?
ついでで質問するけど、結論からすると個人的な定義次第でOKですか?
>>555 馬鹿にもわかるように説明しなさい
「いけない」ってのは個人的な観念じゃないの?
観念じゃなくてカテゴリだよね
あ、定義が
早くレスしなさい、こっちはあんまり時間が無いんだから!
OK多分そうなんだな、っていうかそういうことにしておこう。
じゃ、暇が出来たらまた来るから。こんどは初心者用のQ&A作っといてね!