>>42 キミの言う通りさ、みんな「わかって」なんかいないよ。
それは筋書きであれ、思想であれ、みんな本を読んだら
どっかしらの部分を「???」と思うさ。
おれだって、荒野のおおかみの中の「悪魔は精神だ」とか、
デミアンの中で言われた「アブラクサスは神であり悪魔である」の
意味を捉えかねているし。
哲学を学んだり文学を読んだりそれ以外の実生活を送ったり・・・の中で、
なんかしら自分なりの結論なり疑問をみんな抱えているもんだと思われ。
だからさ、「ラストがわかんない」って言われたときに、おれは
「そんなの解説してどうする」って書いたってわけ。
あぁ、雨だ・・・(´・ω・`)
ただ僕はもうこの小説を「駄作」だと考えることにした。あの結末は破綻しているのだ!
と考えることにした。残念ながら、『荒野のおおかみ』は僕を惹きつけなかった。
わからない=僕には何も訴えなかったのだ。もちろん『荒野のおおかみ』がおもしろいと
いう人を否定する気はない。
「わからない」っていう解釈にも二通りあると思うんだ。たとえばハイデガーの『存在と時間』
なんかはかなりわかりづらいけれども、それを考えたくなる魅力がある。でも『荒野のおおかみ』
にはそれがなかった。そのわからなさというのは狐につままれた感じ、推理小説の最後に犯人が
透明人間だったという落ちだった感じなんだ。さようなら、ヘッセ。
>>44 オトコだねー イイねー それこそ文学w
また読みたくなったとしたら、その時に考えりゃいいじゃんね。
英断でごわす(・∀・)
また会うその日まで。
47 :
アルプスの少女:02/11/24 01:38
>>21のお陰でもう一度『荒野のおおかみ』を初めて読むかのように読んでみようという気になったよ。
ありがとうね。
この作品を最初から読み返してからレスします。
ホント
>>21の意見は実にリアルです。嘘が無い。
俺、実際にはアルプスに住んでないし、ましてや少女でもないのに、騙し続けてる・・・。
いつから俺はこんな人間になったのだろう・・・。
その答えを探し、俺は『荒野のおおかみ』(新潮文庫)のP258を開いた。
ところで『罪と罰』は長いから読む気しなくて未だに読んでないんですけど、読んだほうがいいですか?
高橋さんの翻訳って大丈夫?
49 :
考える名無しさん:02/11/24 04:05
「さん」付けで呼べるのは同レベルの業界人だけ。
気をつけろや。
>>47 『罪と罰』はドストエフスキーの良い面と悪い面が全部出ているので、ほかに読んだ
ことがないなら、後まわしにしたほうがいいかもね。僕は『白痴』がもっとも好きだけど、
アルプスくんは『地下室の手記』なんか読むといいかもしれない。あれこそ荒野のおおかみ
といえるからね。
>>50 Σ(゚Д゚;≡;゚д゚) ドストエフスキーのスレになってる・・・
好きだからイイんだけどw
>ドストエフスキーの良い面と悪い面
よかったらでいいんだけど、良い面と悪い面について説明きぼん。
>>51 ドストエフスキー的というのは、M・バフチンのいうポリフォニー(登場人物の対立関係が
最後まで解消されない)ということだと僕は思っていて、特にそれは『罪と罰』において
きわめて特徴的に現れている。さらにラスコリーニコフ自身もポリフォニックに、ハムレット
的に描かれているので、作品に亀裂のようなものを感じるかもしれないということ。
『白痴』におけるポリフォニーはまるで協奏曲のように美しいが、『罪と罰』における
ポリフォニーはそれがいきすぎてしまっていて、それは音楽というよりも、切片的な音の集合
のようなものに聞こえるかもしれない。
>>52 つまり21君は、協奏曲の様なハーモニーの文学が好きで、
亀裂だとか断片的なものの集合は好まない、と解していいのかしら?
>>53 書いた後にそう誤解されるだろうなあとは思ったらやっぱりね。そうじゃないよ。
たとえば僕は萩原朔太郎が「多元的な宇宙」と評したニーチェがもっとも好きな哲学者
だしね。ただドストエフスキーをはじめて読むものがいきなり『罪と罰』では、つらい
かもしれないと思ったんだ。そして『白痴』の方が好きなのはたんに好みだよ。あの
繊細につくりあげたガラスの城を最後に作者みずからが破壊し、それこそが完成形である
という、あの感じがたまらない。
なんかsage会話ってメールみたいだね。僕は基本的にage会話好きだけど、こういうの
もいいかもしれない。
>>54 なるほどねぇ。
おれは「地下室の手記」が好きだな。
短いって点で初心者向けw
もちろんベストは「カラマーゾフの兄弟」、これやね。
>>56 じつは『カラマーゾフの兄弟』はまだ未読。おいしいものは最後まで残しておくタイプ
だしね。いまはまだ自分にとって読む時期ではないとも思っている。ただそれ以外の主要
著作はほとんど読んだ。ドストエフスキーってどれも凄いよね。こういう作家はあまりいない。
『貧しき人々』と『未成年』があまり楽しめなかったぐらい。『地下室の手記』は
僕もとても好き。ドストエフスキーは100年以上も前に現代の引きこもりを書いてしまうんだ
から、恐れいるよね。あの娼婦とのやりとりもすごく残酷でエロティックだった。
>>57 うん、ドストエフスキーの書くものは大体好きだな、おれも。
ただ、ちょっと話が長すぎるのが鬱陶しい。
もう少し短くも出来るだろう、と思う。
Bildungsromanが好きなおれとしては、
ドストエフスキーよりはヘッセの方が良い。
デミアンや荒野のおおかみのように、
自我を如何に世界に関わらせるか、というテーマまんせー
結局は地下室の手記のように、自我を推し進めて
みるしかないじゃん、と思うおれはアフォかしら?
そこを出発点にしてみないと、罪と罰は書けないだろうな。
だって自我まんせーなら、罰はいらないはずだもん。
難しいこと書くと、頭がイタくなるよね。
(´・ω・`)
遅レスになっちゃったな。ヘッセは『荒野のおおかみ』『デミアン』『春の嵐』
『車輪の下』『クヌルプ』しか読んでいないのだけど、ヘッセって少数の感性の
持ち主だといつも思うんだ。たとえばクラスにかならずひとりいるようなちょっと
変わった生徒というのかな…集団行動が苦手で。だから僕なんかはどっちかというと
大多数にいつも属してしまう方なのでヘッセがよくわからなかったりもする。
『車輪の下』なんかはまさにそうだった。『デミアン』や『春の嵐』はおもしろく
読めたんだけども。
ヘッセといえば、1年ぐらい前にNHKのドキュメンタリーで、ヘッセ、カミュ、
カポーティの特集をやっていて、そのなかでヘッセの小説(名前は失念)、
主人公が最後に海に進んでいくというのがあって、まさに自我追求の物語で、
さっそく図書館で借りてきたのだけど、途中であまりの退屈さと、私生活が
いろいろと大変だったせいもあり、読むのをやめてしまった。僕はどんなに
つまらなくても最後まで読むほうなので、印象に残ってる。
それをもう一度借りてこようかな、と考えている。題名も図書館に行けば
わかると思うんだ。たしか二人の人物の名前だったと思う。読んだことあるかな?
>>59 それはたぶん「知と愛」だと思われ。
ナルツィスとゴルトムントのお話でしょ?
原題はNarziss und Goldmund
違ったらスマソ
ちがうんだ。『知と愛』ではない。新潮文庫からは出ていなくて、全集に
しか収められていなかった。中篇小説だったしね。
まあ、でもヘッセにおいて、ふたりの対照的な人物、主人公は模範的で、もう
ひとり奔放な登場人物がいて、主人公を啓蒙するという手法はほとんどの小説で
見出されるよね。それはたぶんユングのいうアニマ・アニムスにとても近いんだ
と思う。むろんヘッセは主人公の側にいる。
>>61 おれはユングに詳しくないので何とも言えないんだけど、
登場人物の対比ってのは、デミアンで「2つの世界」と
名指されたことだろうね。
これは、ニーチェがプラトン的とディオニュソス的と
評したこともヘッセは踏まえていたんじゃないかな、
もちろんそれだけじゃないんだろうけどw
大まかには、神と世界、の2つの世界だろうね。
カラマーゾフの兄弟にはこの点が詳しく描かれているんだけど、
キミ未読なんだよね・・・惜しい。
んでさ、おれが思うに、ヘッセはキミの言う「奔放な」登場人物に、
彼自身の救いなり、脱出口を探していたんじゃないかと思う。
主人公の側にいるのなら、Bildungsromanを書く意味がなくなっちゃうと思われ。
ヘッセは「奔放な」登場人物に彼自身の救いや脱出口をもとめていたというのは
同意見。でもだから主人公の側にいるんじゃない? つまり他者として、そういう
奔放な人物と相対してるんじゃない? ありていに言うと、憧れの対象として。
あと揚げ足とりになってしまうんだけど指摘しないのも悪いので…
プラトン的というのは、アポロン的のかんちがいだと思う。まあ意味としては
同じようなものだけども。
それと提案です。一度このスレあげて、またsageでの話し相手を探しませんか?
煽りなんかは放置すればいいし。いろんな人と話してみたい、見識を広めたい
というのがあります。
>>63 ぶわっはっは、いや失礼、プラトン的って何だよw
手がすべりますた。
おれ哲学修士号をニーチェで取ったのになぁ・・・
これも年か ┐(´ー`)┌
うーん 立場はどうなんだろうねぇ
デミアンに導かれたエミールを最終的に戦争に
駆り出したのは、ヘッセなりの跳躍なんだろうな。
車輪の下的なノリで行くと、自殺してる罠w
あ、進行方法はキミの自由にしてちょ( ´ー`)y-~~
65 :
アルプスの少女:02/11/29 03:48
>>63 >デミアンに導かれたエミールを最終的に戦争に
>駆り出したのは、ヘッセなりの跳躍なんだろうな。
一個人には左右し難い浮世の流れの風刺でしょう。
---------------
>>21には適当なレスするのは失礼なので少し時間下さいm(_ _)m
66 :
アルプスの少女:02/11/30 00:10
>>65 えーおれはそう思わないね。
浮世の風刺なんて安っぽい動機で、ヘッセがエミールを
戦争へ向かわせ、戦場で傷つかせ、殺すとは思えないょ。
だって浮世が一個人に左右しがたいなんて分りきっているから、
じゃぁ、そこで一個人は何を考え、どう行動するのか、というのが
ヘッセの生涯通してのテーマだったと思われ。
浮世の風刺なら、これはBildungsromanではないね。(´・ω・`)
68 :
アルプスの少女:02/12/02 08:27
>そこで一個人は何を考え、どう行動するのか
デミアンは手元に無くてうら覚えですけど、
作品の後半、音楽家と決裂したジンクレールがデミアンと再会した時の会話に詳しく書かれてます。
自分たちも大量虐殺に遭うかもしれないが、僕達の思想はそれだけでは終わらない。
こんなような事、書いてあったような。
69 :
アルプスの少女:02/12/02 08:33
少々話はそれますが。
================================================
ゲーテとベートーベンは帰り道にルドルフ大公一家に出合った。
ゲーテはベートーベンの手を離して、道の脇に身をよけた。
ベートーベンが何と言ってもゲーテは一歩も前に進もうとしない。
そこでベートーベンは腕を背中に組んで行列の中に突入した。
廷臣達は列を作って並び、ルドルフ大公はベートーベンに向かって帽子を取り、
公妃もベートーベンより先に挨拶した。一行がゲーテの前を通り過ぎる時、ゲーテは道の脇に帽子を手にしたまま、うやうやしく屈みこんでいた。
ベートーベンはゲーテを非難した。
「私とゲーテのような人間が二人一緒にいれば、どんなお偉い方々だって私達の偉大さを感ずるに違いない。」と。
だが、ゲーテはベートーベンを許さなかった
================================================
ハイジはゲーテに賛成だわ!反論待ってるわ!
>>68,69
ぶっちゃけ、何が仰りたいのか分からないw
論点はなに?( ・ω・)モニュ?
71 :
アルプスの少女:02/12/03 12:18
>>68 え〜、正直、68は何が仰りたいのか理解できないでしw
もちっとアフォにも分り易く書いて( ゚д゚)ホスィ…
>>69 おれベートーベン大好き。
態度がデカかろうとゲーテが何だろうと、ベートーベンまんせー
ヴァイオリンコンチェルトの高みに登った作曲家は他にいないね。
>>72 >もちっとアフォにも分り易く書いて
つか、自分で読み返してみたらよく意味が読み取れないような書き込みする俺ほうがアフォです。
スマソm(_ _)m
>>67は俺が言いたいことを詳しく書いてくれた(俺が説明力に欠ける書き込みしかできないからだけど・・・)
>じゃぁ、そこで一個人は何を考え、どう行動するのか、というのが
>ヘッセの生涯通してのテーマだったと思われ。
ヘッセは文学者が世間に与える影響/洗脳を良く理解し、
ナチス批判も適当だし、大戦後の世界平和運動にも、俺の知ったことじゃないとの立場をとったよね。
ヘッセと野坂昭如って似てるよね。
75 :
アルプスの少女:02/12/10 00:18
age
>>74 お。 久々にageたねw
危く潜水艦スッドレになるとこだった・・・
>野坂
野坂は最近、つとに左翼的な言説が目立つね。
別に左派を左派であるという理由で非難するつもりはサラサラないけど。
なんだか確信犯的な物言いをしているあたり、
ヘッセのような「知ったことじゃない」的な態度がないよね。
ヘッセが、野坂やサルトルなんかと「社会への関わり方」が根本的に
異なるのは、究極的に言うと、
ヘッセは社会・集団への関心よりも、個人の内に篭ったよね。
それなのに社会を無視できる訳もないから、
戦争だとか女だとかの項目でもって誤魔化した気もする。
その辺を、ドイツ的だ、と表現するのはダメでつか?そうでつか(´・ω・`)
77 :
考える名無しさん:02/12/29 01:33
age
78 :
ヘッセとドストエフスキーは文庫全部読みました。:02/12/29 02:14
覚えてはいないけど
79 :
考える名無しさん:02/12/29 02:48
>>9 そもそもなぜ内面と外面を分ける必要があるのだ?
なぜ内面だけに耳を傾けようとする?
80 :
考える名無しさん:02/12/29 02:58
>そもそもなぜ内面と外面を分ける必要があるのだ?
内面と外面は別だからなー。
それを分けない、と頑張るひとは現代の西洋哲学に毒されてる。
>なぜ内面だけに耳を傾けようとする?
やってみたら何かあるかもね。
少なくとも精神分析的な意味くらいはある。
(^^)
『世界改良家』という小説読んだ。
内面追求の前ののほほんとした時期の中篇。
世界救済の思想を抱いて俗塵を離れた主人公が、
疲れ果てて俗塵に戻ってゆくという話しで、『郷愁』と似通った内容。
注目したいのは、主人公の遁世ぶりが後期の隠者然とした作者と重なる部分があるということ
無政府主義、菜食主義、グノーチス教義、狂気じみた社会主義、『春の嵐』でも登場する接神術などを
はじめとした神秘的な精神生活を、明らかな暴走としてばっさりと否定しているようだ。
20世紀初頭に既にこうしたヒッピー的生活様式が存在したというのも驚きだったが、
後期のヘッセは、自分がいったんは切り捨てた思想を再分析して傾倒していたんだな、と思いますた
(^^)
84 :
アルプスの少女:03/01/25 05:59
西尾幹二は(・∀・)カコイイ!!
85 :
アルプスの少女:03/01/25 06:14
>>82の書き込みを呼んで思い出したんだけとど、デミアンではニーチェというカードを出してるが、
晩年のヘッセはニーチェを殆んど無視している。
俺(現在27歳)もニーチェはもう読まないし、自分にとってニーチェは思い出っていうニュアンスです。
読む時は「部分的に」読む。特にツァラトストラなんかね。
ニーチェが自分の読者に対し断固として許さなかった読み方だけどね。
86 :
アルプスの少女:03/01/25 06:18
>>76 「神経症は個人の場合は稀であるが、集団の場合は通例である」(ニーチェ)
87 :
アルプスの少女:03/01/27 03:17
デミアンとシッダールタ読みましたが、ニーチェの影響が色濃いですな。
でもニーチェよりも陰湿で軟弱なのが魅力でもあり限界でもある、という印象。
89 :
アルプスの少女:03/02/09 01:55
荒野のおおかみでは、突如ニーチェの影が薄くなり、代わりに、モーツァルトが出てきた。
興味深い
90 :
アルプスの少女:03/02/25 22:58
91 :
考える名無しさん:03/03/04 21:34
保守
(^^)