1 :
考える名無しさん:
他の人間でも良いが、より明確な例としてヘッセを挙げます。
ユングとの一線を越えない微妙な関係についても。
「デミアン」
「荒野のおおかみ」
この作品を読んでない人は書き込み禁止です。特に「荒野のおおかみ」は必読です。
削除依頼だしておきました。
4 :
考える名無しさん:02/10/31 11:41
ヘッセに思想はありません。
妻子を捨ててスイスに逃げたヒッキ―です。
妻子を捨てたお釈迦様と違います。
手紙だけ貰って育った息子は自己確立するために
苦しみました。
自分の子供を救えないのに人類を救おうとする人
でした。
自分の妻を虐待しながら、女性解放運動をする奴
と同じです。
ヒッキ―は具体的な存在が怖いのです。人類とか
世界とか抽象的なものが好きなのです。
一人の人間の内面的成長について語るスレを立てたかったんだが。
その研究対象としてヘッセを挙げてみた。
※ クララのエロ画像なんてないからな。
>妻子を捨ててスイスに逃げたヒッキ―です。
まあね。ただ、そのような残酷/冷酷な決断をした理由を考えてみませんか。
>自分の子供を救えないのに人類を救おうとする人
>でした。
それは「後期ヘルマン・ヘッセ」でなく「前期(青年期)ヘルマン・ヘッセ」の分岐点の出来事でした。
若き日の自分と決別した、「デミアン」以降のヘッセについて語らうスレです。
※ クララのエロ画像など無いっていってるだろ。
7 :
考える名無しさん:02/11/01 07:55
アルプスの少女ハイジは、ヘッセの長編小説『ペーター・カーメンチント』
に影響を受けているのではないだろうか。
そういえば「教養」文学という点でも共通している。
スイス・アルプスの湖畔の小村に自然を友として成長した主人公ペーターが、
さまざまな体験を経てしだいに自我に目覚め、文学にも目を開くが、やがて勤務地の大都会への幻滅、
アッシジの聖フランチェスコに心ひかれての巡礼行、不幸な身体障害者(クララ?)への愛の献身などが
あったのち、最後に、老父の病気のため故郷に帰り、村のために働く決意をする。
ヘッセをヒッキーと言いながら、ヘッセを無視できない私です。
息子ハイナーへ、共産主義者になるなるならと、書いた手紙。
自分は革命を望み革命を肯定するか、とういう質問に、私は
自分に対して革命への権利を認めることはできるとこたえた。
自分はある人たちがいくらかましな生活ができるようになるた
めに他の人間が殺されることを認めることができるか、という
質問に、私は殺人への権利を認めることはできないとこたえた。
この手紙を書いた翌年にヒットラーが政権を奪取した。
既得権を持っているものに対して、暴力抜きで革命を達成でき
るのだろうか、現在の日本も革命どころか改革もできない。
ヘッセならなんというのだろう、まさか、苦しんでみせたり、
祈ったりするのではないとは思うけど。
1947年、(日本は敗戦2年目の頃、)
敗戦ドイツの読者への返事
「あなた自身の内面から語りかけてくるその声だけに
耳を傾けてごらんなさい。」
これを実践しても、私のきこえる声の8割はエゴ。
10 :
アルプスの少女:02/11/02 10:00
ニーチェの書簡(1889/1/6 ヤーコプ・プルクハルト宛)
「私たち芸術家には人を教化することはできないものです」
利害損得なんて眼中に無いからね。
12 :
アルプスの少女:02/11/06 09:48
フロイトのバカ
13 :
アルプスの少女:02/11/06 09:52
フロイトの唯一の功績は、
精神分析学という当時はまったくの異端として扱われたものを頑固に掘り進め、
若きユングの活動の土台を用意したこと。
14 :
アルプスの少女:02/11/13 19:11
何故レスが付かないのか。
15 :
考える名無しさん:02/11/14 00:15
ヘッセが子どもにかまけていたら、現代に生きる我々こそが、
精神の荒野のうえで途方に暮れることになったろう。
家族という殻すらも破って、鳥は生まれようと欲するんじゃないのか?
その産声が誰に向けられているのかはわからないが!
16 :
アルプスの少女:02/11/14 17:12
>>15 ヘッセが「デミアン」で当時異端であった精神分析学の、
しかもその中でも異端として扱われていたユングの思想を、
誰よりも速く、そして驚くほど明確に表したのは何故か?
>その産声が誰に向けられているのかはわからないが!
同士に向けてだよ。
デミアンの母への慕情を、主人公とデミアンのキスで解決させた。
ヘッセはそれを伝えたかったのでは。
つまり「現実はドーナツの真ん中で空想のステージ」(桑田佳祐)
「古い夢を追い続けてはいけません。どんな夢も新しい夢に支配されるものです」
デミアンの母の言葉、この作品の要です。
ハイジ分からないわ♪
自分としては興味深いテーマなので、
もっと多くの人に集まってもらって議論したい
まず、具体的に後期ヘッセの思想って何なの?と言う人に
上手くまとめたものを紹介しなくちゃ、と思って有名な詩文を記す。
鳥は卵の中からぬけ出ようと戦う。卵は世界だ。
生まれようと欲する者は、ひとつの世界を破壊しなければならない。
鳥は神に向かって飛ぶ。神の名をアプラクサスという。
これなんか、科学が人間の精神から宗教を打ち払い、
経済の発展が人類のすみずみにまで文字と思想
を広めた当時の世相をあらわしていて、代表にふさわしいと思う。
ニーチェも同じようなこと言ってるもんね。
駱駝から生まれ変わった「我意欲す」を背負うライオンが、「汝なすべし」が鱗の一枚一枚
に輝いているという竜に戦いを挑むとか。
「人類は人類を実験することが許される」とか「脱皮することのできない精神は滅びる」とか。
まず、ここまでは異論ありませんか?
「ガラス玉演技」も読んだら?
といっても久しく[40年ほど]遠ざかっているけど(懐)
19 :
アルプスの少女:02/11/19 21:18
>>17 今、「デミアン」手元になくて・・・スマソm(_ _)m
おいおい、話がいきなり大きすぎやしませんか、御毎等。
>デミアンの母への慕情を、主人公とデミアンのキスで解決させた。
>ヘッセはそれを伝えたかったのでは。
なぜそう思うのか理由が聞きたい。
>これなんか、科学が人間の精神から宗教を打ち払い、
>経済の発展が人類のすみずみにまで文字と思想
>を広めた当時の世相をあらわしていて
自分の世界観で話を進められてもねぇ・・・
異論反論不可能でつ
>ニーチェも同じようなこと言ってるもんね。
>駱駝から生まれ変わった「我意欲す」を背負うライオンが、「汝なすべし」が鱗の一枚一枚
>に輝いているという竜に戦いを挑むとか。
どこがどう同じようなことなのかを示してもらえないと、異論のありようがない。
良スレのヤカンなので、もっとゆっくり話をしたいね。
21 :
考える名無しさん:02/11/21 20:48
「荒野のおおかみ」のラストがよくわからない。あれは何だったの? ヘルミーネは
どうなってしまったの?
22 :
考える名無しさん:02/11/22 01:38
>>20 「書き込む」をクリックしてすぐ、特攻服の兄ちゃんと変わらない
ことをした、という気がしていました。
困ってしまってワンワンワワン、でした。
でも、こうして多くのレスが及び腰なのは暗中模索という証拠なんでしょう?
あくまで詩人/作家なんだし、他人の書いた永久保存版級の評論もないし...
豊饒な思想性は一目瞭然なんだけど。
ねえ、ほんとに『荒野のおおかみ』難解だよお。それに遠藤周作の『彼の生き方』
みたいな展開を期待してたのに、ぜんぜん違った。ヘッセの書く少女はなんか嫌だ。
無償の愛、といってみたりする偽のてすと
>>22 みんな及び腰だねw
まず話のどこに意義を見出したかが問題だろうね。
Demianだったら、作中の出来事云々というよりも、
エミールが最後に戦争へ行く、ということが問題だと思う。
あの超越的なものへの憧憬から、戦争への跳躍が興味深い。
車輪の下とは決定的に違うよね。
ルソーの「エミール」は先生による教育という点で、
狭義のBildungsromanには当たらないんだけど、
Demianに導かれる男の名がエミールだったのは偶然か・・・
あ、おれも何も内容のあること言ってない罠w
誰もまだ答えてくれてない。残念。
>>26 それを自分で考えるのが文学だろw
人に聞いて納得するんだったら、教科書を読んでるのと変わらない罠
よくわからないなら、今のところ、「よく分かんない」ということでいいじゃん
でも参考程度に聞きたいよ。たとえば
>>1が必読だって言ったのはどうして
なのか? ぜんぜんわからない。
>>28 正直、必読な文学なんておれはないと思う。
ぶっちゃけ、必読とか言うヤシに限って文学を貶めている。
ヘッセにしたって、どの作品がいいかなんて個人の勝手さ。
何年かしたら変わるだろうし。
問題は、まずキミが、どこがどう分らないのかを書くべきだね。
そしたら誰かが意見をくれるだろうし。
いきなり「わかんねぇ」とか言われても、誰も答えないだろうさ。
文学は哲学書じゃないんすよ、大将。
30 :
アルプスの少女:02/11/23 01:24
ヘルミーネに関するところは深く考えたこと無かったです。
自分の興味を持った箇所しか読まなかった、17歳の俺。
ハブロ(モーツァルトとして)のセリフを今一度読んでみた。
これですこれです。
新潮文庫の『荒野のおおかみ』だけど・・・。
高橋健二の訳は、これは酷い翻訳ですね。
P267 - ラスト に打ちのめされた。
「処世術」も現代人は耳あれば聞けです。
--------------------------------------
*** 人間は永続する統一体ででもあるかのように考える、誤った、不幸をもたらす見解 ***
新潮文庫 P242
>>29 たぶんきみは『荒野のおおかみ』を読んでないんだろうね。
>>30 僕も新潮文庫で読んだ。ヘッセといえば高橋健二訳だという認識があったしね。
でもたしかに所々良いところ、たとえば論文の個所なんかにはあったのだけど、
全体的によいかどうか、現代社会への辛らつな批判になっているかどうかは疑問。
もっと違う、孤高なイメージをいだいてたが、実際は…
実際はそうじゃなかった。
>>31 (´・ω・`)読みますが何か? 思い込みはイカンょ
おれは知ったかぶりはしたくないのさ ┐(´∀`)┌
「あぁヘルミーネね・・・」なんて書くほどおれ賢くないし。破廉恥じゃないし。
そんなこといったらあの本全部を相手取ることになるんだもん。それスレ的に(・A ・)イクナイ!
それともみんなそんなに賢いのかしら?
荒野のおおかみ解説委員降臨待ち? ┐(´ー`)┌
もっとマターリと、話を絞りたいのはおれだけかしら。
「荒野のおおかみ」でおれが興味あるのは、「悪魔は精神だ」という下り。
デミアンにも類似のカキコがあるんだけど。
あ、それとね、このスレはage進行なんでつか?
むしろ僕はageたいよ。読んだのならラストがわからないといえば、通じると
思ったんだけど…
>>34 ラストがわかんない、ってのはさ、
思想として?シナリオ的に?本全体に占める意義?
そこんとこ言ってくんないと何とも言い難し。
あ、おれは、ageたくないのねw
というか意味がわからないんだよね。
意味だけじゃ漠然としてるか…あの唐突なラスト、それまでの流れを全否定
してしまうような終わり方は何なのだろう? なんと言うか全部夢だったみたいな
感じの終わり方。
38 :
考える名無しさん:02/11/23 17:40
>>36 そうだねー
だったら、全否定されてウワァァァンヽ(`Д´)ノ という結論はイヤなの?
筋書きとしてこうこう論理的に辻褄があいますね、っていうことは
文学としては然程大切なこととはおれは思わないね。
話を読んで感じたことをそのまま抱えてイ`
「文学だけで空想ばかりやってると、まさにその文学のいう決意だとか
意志だとかの意味なんてわかんねぇよ」とは小林秀雄。
そのウワァァァンヽ(`Д´)ノを抱えてイ`
ロジックが必要だし不安になるよ、というのならカミュの異邦人(・∀・)嫁!
・・・っと言ってるおれがageてしまった罠
>>38 『異邦人』なら読んだし、おもしろかった。べつに小説に意味をもとめている
わけでもない。ただ…思想的に訴える作品とは思えなかった。たしかにきみのいうことは
もっともなんだが。
ムルソーは殺した!なぜだ!?
(・∀・)太陽のせいさ
ガルマは死んだ!なぜだ!?
( ゚Д゚) 坊やだからさ
荒野のおおかみのラスト、なんで!?
(´・ω・`) あぁいうもんなのさ
うんとさ、『荒野のおおかみ』がわからないのは自分の読解力がないせいで、
みんなはちゃんとわかってるんじゃないかと思ったんだ。少なくともこのスレ
の1は後期ヘッセを知るためのものとして、挙げているわけだから。でも、そう
なことはないのかな? みんな、僕と同じなのかな?
>>42 キミの言う通りさ、みんな「わかって」なんかいないよ。
それは筋書きであれ、思想であれ、みんな本を読んだら
どっかしらの部分を「???」と思うさ。
おれだって、荒野のおおかみの中の「悪魔は精神だ」とか、
デミアンの中で言われた「アブラクサスは神であり悪魔である」の
意味を捉えかねているし。
哲学を学んだり文学を読んだりそれ以外の実生活を送ったり・・・の中で、
なんかしら自分なりの結論なり疑問をみんな抱えているもんだと思われ。
だからさ、「ラストがわかんない」って言われたときに、おれは
「そんなの解説してどうする」って書いたってわけ。
あぁ、雨だ・・・(´・ω・`)
ただ僕はもうこの小説を「駄作」だと考えることにした。あの結末は破綻しているのだ!
と考えることにした。残念ながら、『荒野のおおかみ』は僕を惹きつけなかった。
わからない=僕には何も訴えなかったのだ。もちろん『荒野のおおかみ』がおもしろいと
いう人を否定する気はない。
「わからない」っていう解釈にも二通りあると思うんだ。たとえばハイデガーの『存在と時間』
なんかはかなりわかりづらいけれども、それを考えたくなる魅力がある。でも『荒野のおおかみ』
にはそれがなかった。そのわからなさというのは狐につままれた感じ、推理小説の最後に犯人が
透明人間だったという落ちだった感じなんだ。さようなら、ヘッセ。
>>44 オトコだねー イイねー それこそ文学w
また読みたくなったとしたら、その時に考えりゃいいじゃんね。
英断でごわす(・∀・)
また会うその日まで。
47 :
アルプスの少女:02/11/24 01:38
>>21のお陰でもう一度『荒野のおおかみ』を初めて読むかのように読んでみようという気になったよ。
ありがとうね。
この作品を最初から読み返してからレスします。
ホント
>>21の意見は実にリアルです。嘘が無い。
俺、実際にはアルプスに住んでないし、ましてや少女でもないのに、騙し続けてる・・・。
いつから俺はこんな人間になったのだろう・・・。
その答えを探し、俺は『荒野のおおかみ』(新潮文庫)のP258を開いた。
ところで『罪と罰』は長いから読む気しなくて未だに読んでないんですけど、読んだほうがいいですか?
高橋さんの翻訳って大丈夫?
49 :
考える名無しさん:02/11/24 04:05
「さん」付けで呼べるのは同レベルの業界人だけ。
気をつけろや。
>>47 『罪と罰』はドストエフスキーの良い面と悪い面が全部出ているので、ほかに読んだ
ことがないなら、後まわしにしたほうがいいかもね。僕は『白痴』がもっとも好きだけど、
アルプスくんは『地下室の手記』なんか読むといいかもしれない。あれこそ荒野のおおかみ
といえるからね。
>>50 Σ(゚Д゚;≡;゚д゚) ドストエフスキーのスレになってる・・・
好きだからイイんだけどw
>ドストエフスキーの良い面と悪い面
よかったらでいいんだけど、良い面と悪い面について説明きぼん。
>>51 ドストエフスキー的というのは、M・バフチンのいうポリフォニー(登場人物の対立関係が
最後まで解消されない)ということだと僕は思っていて、特にそれは『罪と罰』において
きわめて特徴的に現れている。さらにラスコリーニコフ自身もポリフォニックに、ハムレット
的に描かれているので、作品に亀裂のようなものを感じるかもしれないということ。
『白痴』におけるポリフォニーはまるで協奏曲のように美しいが、『罪と罰』における
ポリフォニーはそれがいきすぎてしまっていて、それは音楽というよりも、切片的な音の集合
のようなものに聞こえるかもしれない。
>>52 つまり21君は、協奏曲の様なハーモニーの文学が好きで、
亀裂だとか断片的なものの集合は好まない、と解していいのかしら?
>>53 書いた後にそう誤解されるだろうなあとは思ったらやっぱりね。そうじゃないよ。
たとえば僕は萩原朔太郎が「多元的な宇宙」と評したニーチェがもっとも好きな哲学者
だしね。ただドストエフスキーをはじめて読むものがいきなり『罪と罰』では、つらい
かもしれないと思ったんだ。そして『白痴』の方が好きなのはたんに好みだよ。あの
繊細につくりあげたガラスの城を最後に作者みずからが破壊し、それこそが完成形である
という、あの感じがたまらない。
なんかsage会話ってメールみたいだね。僕は基本的にage会話好きだけど、こういうの
もいいかもしれない。
>>54 なるほどねぇ。
おれは「地下室の手記」が好きだな。
短いって点で初心者向けw
もちろんベストは「カラマーゾフの兄弟」、これやね。
>>56 じつは『カラマーゾフの兄弟』はまだ未読。おいしいものは最後まで残しておくタイプ
だしね。いまはまだ自分にとって読む時期ではないとも思っている。ただそれ以外の主要
著作はほとんど読んだ。ドストエフスキーってどれも凄いよね。こういう作家はあまりいない。
『貧しき人々』と『未成年』があまり楽しめなかったぐらい。『地下室の手記』は
僕もとても好き。ドストエフスキーは100年以上も前に現代の引きこもりを書いてしまうんだ
から、恐れいるよね。あの娼婦とのやりとりもすごく残酷でエロティックだった。
>>57 うん、ドストエフスキーの書くものは大体好きだな、おれも。
ただ、ちょっと話が長すぎるのが鬱陶しい。
もう少し短くも出来るだろう、と思う。
Bildungsromanが好きなおれとしては、
ドストエフスキーよりはヘッセの方が良い。
デミアンや荒野のおおかみのように、
自我を如何に世界に関わらせるか、というテーマまんせー
結局は地下室の手記のように、自我を推し進めて
みるしかないじゃん、と思うおれはアフォかしら?
そこを出発点にしてみないと、罪と罰は書けないだろうな。
だって自我まんせーなら、罰はいらないはずだもん。
難しいこと書くと、頭がイタくなるよね。
(´・ω・`)
遅レスになっちゃったな。ヘッセは『荒野のおおかみ』『デミアン』『春の嵐』
『車輪の下』『クヌルプ』しか読んでいないのだけど、ヘッセって少数の感性の
持ち主だといつも思うんだ。たとえばクラスにかならずひとりいるようなちょっと
変わった生徒というのかな…集団行動が苦手で。だから僕なんかはどっちかというと
大多数にいつも属してしまう方なのでヘッセがよくわからなかったりもする。
『車輪の下』なんかはまさにそうだった。『デミアン』や『春の嵐』はおもしろく
読めたんだけども。
ヘッセといえば、1年ぐらい前にNHKのドキュメンタリーで、ヘッセ、カミュ、
カポーティの特集をやっていて、そのなかでヘッセの小説(名前は失念)、
主人公が最後に海に進んでいくというのがあって、まさに自我追求の物語で、
さっそく図書館で借りてきたのだけど、途中であまりの退屈さと、私生活が
いろいろと大変だったせいもあり、読むのをやめてしまった。僕はどんなに
つまらなくても最後まで読むほうなので、印象に残ってる。
それをもう一度借りてこようかな、と考えている。題名も図書館に行けば
わかると思うんだ。たしか二人の人物の名前だったと思う。読んだことあるかな?
>>59 それはたぶん「知と愛」だと思われ。
ナルツィスとゴルトムントのお話でしょ?
原題はNarziss und Goldmund
違ったらスマソ
ちがうんだ。『知と愛』ではない。新潮文庫からは出ていなくて、全集に
しか収められていなかった。中篇小説だったしね。
まあ、でもヘッセにおいて、ふたりの対照的な人物、主人公は模範的で、もう
ひとり奔放な登場人物がいて、主人公を啓蒙するという手法はほとんどの小説で
見出されるよね。それはたぶんユングのいうアニマ・アニムスにとても近いんだ
と思う。むろんヘッセは主人公の側にいる。
>>61 おれはユングに詳しくないので何とも言えないんだけど、
登場人物の対比ってのは、デミアンで「2つの世界」と
名指されたことだろうね。
これは、ニーチェがプラトン的とディオニュソス的と
評したこともヘッセは踏まえていたんじゃないかな、
もちろんそれだけじゃないんだろうけどw
大まかには、神と世界、の2つの世界だろうね。
カラマーゾフの兄弟にはこの点が詳しく描かれているんだけど、
キミ未読なんだよね・・・惜しい。
んでさ、おれが思うに、ヘッセはキミの言う「奔放な」登場人物に、
彼自身の救いなり、脱出口を探していたんじゃないかと思う。
主人公の側にいるのなら、Bildungsromanを書く意味がなくなっちゃうと思われ。
ヘッセは「奔放な」登場人物に彼自身の救いや脱出口をもとめていたというのは
同意見。でもだから主人公の側にいるんじゃない? つまり他者として、そういう
奔放な人物と相対してるんじゃない? ありていに言うと、憧れの対象として。
あと揚げ足とりになってしまうんだけど指摘しないのも悪いので…
プラトン的というのは、アポロン的のかんちがいだと思う。まあ意味としては
同じようなものだけども。
それと提案です。一度このスレあげて、またsageでの話し相手を探しませんか?
煽りなんかは放置すればいいし。いろんな人と話してみたい、見識を広めたい
というのがあります。
>>63 ぶわっはっは、いや失礼、プラトン的って何だよw
手がすべりますた。
おれ哲学修士号をニーチェで取ったのになぁ・・・
これも年か ┐(´ー`)┌
うーん 立場はどうなんだろうねぇ
デミアンに導かれたエミールを最終的に戦争に
駆り出したのは、ヘッセなりの跳躍なんだろうな。
車輪の下的なノリで行くと、自殺してる罠w
あ、進行方法はキミの自由にしてちょ( ´ー`)y-~~
65 :
アルプスの少女:02/11/29 03:48
>>63 >デミアンに導かれたエミールを最終的に戦争に
>駆り出したのは、ヘッセなりの跳躍なんだろうな。
一個人には左右し難い浮世の流れの風刺でしょう。
---------------
>>21には適当なレスするのは失礼なので少し時間下さいm(_ _)m
66 :
アルプスの少女:02/11/30 00:10
>>65 えーおれはそう思わないね。
浮世の風刺なんて安っぽい動機で、ヘッセがエミールを
戦争へ向かわせ、戦場で傷つかせ、殺すとは思えないょ。
だって浮世が一個人に左右しがたいなんて分りきっているから、
じゃぁ、そこで一個人は何を考え、どう行動するのか、というのが
ヘッセの生涯通してのテーマだったと思われ。
浮世の風刺なら、これはBildungsromanではないね。(´・ω・`)
68 :
アルプスの少女:02/12/02 08:27
>そこで一個人は何を考え、どう行動するのか
デミアンは手元に無くてうら覚えですけど、
作品の後半、音楽家と決裂したジンクレールがデミアンと再会した時の会話に詳しく書かれてます。
自分たちも大量虐殺に遭うかもしれないが、僕達の思想はそれだけでは終わらない。
こんなような事、書いてあったような。
69 :
アルプスの少女:02/12/02 08:33
少々話はそれますが。
================================================
ゲーテとベートーベンは帰り道にルドルフ大公一家に出合った。
ゲーテはベートーベンの手を離して、道の脇に身をよけた。
ベートーベンが何と言ってもゲーテは一歩も前に進もうとしない。
そこでベートーベンは腕を背中に組んで行列の中に突入した。
廷臣達は列を作って並び、ルドルフ大公はベートーベンに向かって帽子を取り、
公妃もベートーベンより先に挨拶した。一行がゲーテの前を通り過ぎる時、ゲーテは道の脇に帽子を手にしたまま、うやうやしく屈みこんでいた。
ベートーベンはゲーテを非難した。
「私とゲーテのような人間が二人一緒にいれば、どんなお偉い方々だって私達の偉大さを感ずるに違いない。」と。
だが、ゲーテはベートーベンを許さなかった
================================================
ハイジはゲーテに賛成だわ!反論待ってるわ!
>>68,69
ぶっちゃけ、何が仰りたいのか分からないw
論点はなに?( ・ω・)モニュ?
71 :
アルプスの少女:02/12/03 12:18
>>68 え〜、正直、68は何が仰りたいのか理解できないでしw
もちっとアフォにも分り易く書いて( ゚д゚)ホスィ…
>>69 おれベートーベン大好き。
態度がデカかろうとゲーテが何だろうと、ベートーベンまんせー
ヴァイオリンコンチェルトの高みに登った作曲家は他にいないね。
>>72 >もちっとアフォにも分り易く書いて
つか、自分で読み返してみたらよく意味が読み取れないような書き込みする俺ほうがアフォです。
スマソm(_ _)m
>>67は俺が言いたいことを詳しく書いてくれた(俺が説明力に欠ける書き込みしかできないからだけど・・・)
>じゃぁ、そこで一個人は何を考え、どう行動するのか、というのが
>ヘッセの生涯通してのテーマだったと思われ。
ヘッセは文学者が世間に与える影響/洗脳を良く理解し、
ナチス批判も適当だし、大戦後の世界平和運動にも、俺の知ったことじゃないとの立場をとったよね。
ヘッセと野坂昭如って似てるよね。
75 :
アルプスの少女:02/12/10 00:18
age
>>74 お。 久々にageたねw
危く潜水艦スッドレになるとこだった・・・
>野坂
野坂は最近、つとに左翼的な言説が目立つね。
別に左派を左派であるという理由で非難するつもりはサラサラないけど。
なんだか確信犯的な物言いをしているあたり、
ヘッセのような「知ったことじゃない」的な態度がないよね。
ヘッセが、野坂やサルトルなんかと「社会への関わり方」が根本的に
異なるのは、究極的に言うと、
ヘッセは社会・集団への関心よりも、個人の内に篭ったよね。
それなのに社会を無視できる訳もないから、
戦争だとか女だとかの項目でもって誤魔化した気もする。
その辺を、ドイツ的だ、と表現するのはダメでつか?そうでつか(´・ω・`)
77 :
考える名無しさん:02/12/29 01:33
age
78 :
ヘッセとドストエフスキーは文庫全部読みました。:02/12/29 02:14
覚えてはいないけど
79 :
考える名無しさん:02/12/29 02:48
>>9 そもそもなぜ内面と外面を分ける必要があるのだ?
なぜ内面だけに耳を傾けようとする?
80 :
考える名無しさん:02/12/29 02:58
>そもそもなぜ内面と外面を分ける必要があるのだ?
内面と外面は別だからなー。
それを分けない、と頑張るひとは現代の西洋哲学に毒されてる。
>なぜ内面だけに耳を傾けようとする?
やってみたら何かあるかもね。
少なくとも精神分析的な意味くらいはある。
(^^)
『世界改良家』という小説読んだ。
内面追求の前ののほほんとした時期の中篇。
世界救済の思想を抱いて俗塵を離れた主人公が、
疲れ果てて俗塵に戻ってゆくという話しで、『郷愁』と似通った内容。
注目したいのは、主人公の遁世ぶりが後期の隠者然とした作者と重なる部分があるということ
無政府主義、菜食主義、グノーチス教義、狂気じみた社会主義、『春の嵐』でも登場する接神術などを
はじめとした神秘的な精神生活を、明らかな暴走としてばっさりと否定しているようだ。
20世紀初頭に既にこうしたヒッピー的生活様式が存在したというのも驚きだったが、
後期のヘッセは、自分がいったんは切り捨てた思想を再分析して傾倒していたんだな、と思いますた
(^^)
84 :
アルプスの少女:03/01/25 05:59
西尾幹二は(・∀・)カコイイ!!
85 :
アルプスの少女:03/01/25 06:14
>>82の書き込みを呼んで思い出したんだけとど、デミアンではニーチェというカードを出してるが、
晩年のヘッセはニーチェを殆んど無視している。
俺(現在27歳)もニーチェはもう読まないし、自分にとってニーチェは思い出っていうニュアンスです。
読む時は「部分的に」読む。特にツァラトストラなんかね。
ニーチェが自分の読者に対し断固として許さなかった読み方だけどね。
86 :
アルプスの少女:03/01/25 06:18
>>76 「神経症は個人の場合は稀であるが、集団の場合は通例である」(ニーチェ)
87 :
アルプスの少女:03/01/27 03:17
デミアンとシッダールタ読みましたが、ニーチェの影響が色濃いですな。
でもニーチェよりも陰湿で軟弱なのが魅力でもあり限界でもある、という印象。
89 :
アルプスの少女:03/02/09 01:55
荒野のおおかみでは、突如ニーチェの影が薄くなり、代わりに、モーツァルトが出てきた。
興味深い
90 :
アルプスの少女:03/02/25 22:58
91 :
考える名無しさん:03/03/04 21:34
保守
(^^)