人殺しは「悪い事」なのか? 私は単なる「社会のルール」だと思う。
マラソンで乗り物を使ったら失格になるのと同じルールだと思う。
ただ重大犯罪の場合は「社会」から退場されるだけである。
しかしこの前の池田小殺傷事件でこの理論は覆された。
精神異常者にはこの「ルール」が適用できないのである。
この事を諸君はどう思われるか?
2 :
考える名無しさん:02/10/28 13:59
悪い。 おわり。
3 :
考える名無しさん:02/10/28 14:13
そんなに好きなのか?このネタ。
4 :
考える名無しさん:02/10/28 14:15
>>1
いつになったら世の中があっとおどろくような面白いことをやらかしてくれるのですか?
井上芳保「現代におけるルサンチマン処理産業の社会的機能」
素直に重複だって言ってやれよ。
>素直に重複だって言ってやれよ。
「人殺し」で検索してた。 でもあっちは解りにくい理論展開だから
こっちの方が教育的には良いね。
>>7 そう、じゃあ向こうのスレと同じ流れに成ら無い様に祈りつつ
書き込ませて貰おう。
>1の持つ疑問は実際の所、至ってありきたりなものです。
ただ、>1の言う「殺人」はあくまでも社会にルールがある事を前提
として行われる「殺人」を指しています。
単純に「人を殺める」という事が悪なのか、或いはそうで無いのか
を問うには、社会という概念は切り離せなければなりません。
上記を踏まえてもう一度考えてみて貰えないでしょうか?
別に、あなたの考えが間違っていると言いたい訳ではありません。
ただ、この問題に対しての解答を求めるなら今より更に俯瞰的に物事
を観る事が必要だと思います。それでは。
-補足-
何と言おうと、(現代)社会に置ける殺人は悪です。
精神異常者にはルールが適用され無いのではなく、適用し無いだけです。
第一問 Yesは3人、7人は動かずNoの判断‥‥!
つまり人殺しは悪い事とはいえないが多数を占める‥‥!
(ざわ‥)
ふむ‥‥! No多数か‥‥。なるほどな‥‥‥‥
お前、どうしてNoなんだ‥‥‥?
>Yesは3人
3人もいるのか?
12 :
考える名無しさん:02/10/28 23:04
age
生命の基本が繁栄だから。
繁栄を前提とした殺人は肯定される。
でもここでむずかしいのは繁栄を全体とした殺人かどうかを
どう判定するか。
ライオンがシマウマを殺すことを否定する人はいない。
これはライオンが繁栄を前提としてシマウマを殺していると
わかりやすいから。
戦争もある集団が自組織の繁栄を前提として殺人を犯している。
正当防衛も同様。
しかし繁栄にはそれぞれの視点がある。
ではツインタワー爆破テロは正しいか、間違いか。
これは視点の問題。アメリカにすれば、間違いであり。
原理主義者にすれば正しい。
それを決めるために人は法をつくった。
もうわかったから
>つまり人殺しは悪い事とはいえないが多数を占める‥‥!
どゆこと?
>ライオンがシマウマを殺すことを否定する人はいない。
これも自然のルール
>戦争もある集団が自組織の繁栄を前提として殺人を犯している。
>正当防衛も同様。
これらはルールとルールの衝突ですよね。
だれか「地球人が居るから宇宙人もいる」みたいに
明快な答えを出してくれ。 高学歴命のヤシ。
私は言った筈だ、ルールと言う概念を切り離し俯瞰的に観ろと。
>つまり人殺しは悪い事とはいえないが多数を占める‥‥!
>どゆこと?
10では無いが答えよう。「が」と「多数」の間に「、」を入れて読むと良い。
>ライオンがシマウマを殺すことを否定する人はいない。
>これも自然のルール
ライオンがシマウマを殺すのは何の為だ?もう一度13のレスを読むと良い。
>だれか「地球人が居るから宇宙人もいる」みたいに
>明快な答えを出してくれ。 高学歴命のヤシ。
私は高学歴命でも高学歴でも無いが明快な答えは出せなくは無い。だがその
答えがいかに核心をついていようと、今日人はその答えを受け入れる事は出来無い。
17 :
考える名無しさん:02/10/29 02:06
人殺しは良いとか悪いとかどっちでもいいと思う。
ただ人を殺すと法で罰せられるってだけ。
罰を受けてでも人を殺したいという人は、殺せばいい。ってことかな?
よく分からんが・・・。
近代社会は理性をもった人間を前提にしてるので
動物(=容姿が人間であれ)や子供が人間を殺した場合
そのまんま通常の法律はあてはまりません。
ルールですよ。文法ですね。
「我々」(=誰が我々なのかが大問題ですが)に対する殺しを
肯定する集団は事実問題として淘汰されます。
今現在残っている集団は殺しを否定する集団です。
ある相互行為が反復されると
慣習、習慣、規則、権利、義務へと発展します。
>>16 今頃訂正
「が」と「多数」の間に→「い」と「が」の間に
20 :
考える名無しさん:02/10/29 14:07
>私は高学歴命でも高学歴でも無いが明快な答えは出せなくは無い。だがその
>答えがいかに核心をついていようと、今日人はその答えを受け入れる事は出来無い。
明快な答えがあるのなら是非聞きたいものだ。
>近代社会は理性をもった人間を前提にしてるので
>動物(=容姿が人間であれ)や子供が人間を殺した場合
>そのまんま通常の法律はあてはまりません。
理性とはなんじゃらほい。
ルール決めより理性の定義のほうがむずかしそう。
22 :
考える名無しさん:02/10/29 14:22
私は人殺しの禁止を単なる「社会のルール」だと思う。
ただ、このルールは他のルールより、相対的に強烈な分、特権視されているだけでしょう。
個物的具体的な倫理が社会に先行することはありません。
だから、人殺しの禁止も、社会に伴って発生するひとつのルールと考えていいでしょう。
>個物的具体的な倫理が社会に先行することはありません。
>だから、人殺しの禁止も、社会に伴って発生するひとつのルールと考えていいでしょう。
ちゃうちゃう、生命の基本として非生産的な殺しは否定されるんだよ。
原始人だろうがおなじこと。二人いれば、そこに殺しのルールは成立してる。
意識する、しないにかかわらず。
じゃないの、生命にとって不利だろうが。
原始人が二人であう。それぞれは生き残りたいと考えている。
それが基本。
で、相手を殺した方が有利か、不利か考える。
ほとんどの場合、殺さない方が有利であり、殺しは否定される。
そこに働いてるのは、個の生き残りたいという意志。
ここで生存以外で殺しが行われることはない。
それが野生動物の姿。だから野生動物の弱肉強食という殺し合いは
人の生理にも受け入れられる。同じ特性をもった動物だからな。
>>23 言いたい事は分かるけど、それは「社会のルール」と同義。
26 :
考える名無しさん:02/10/29 14:35
>生命の基本として非生産的な殺しは否定されるんだよ。
動物は「否定」する意識を持ちませんが。
「ルール」を「見出す」ことが人間的、意識的です。
>>25 ぜんぜん違う。ルールは後天的、おれのは先天的。
生まれもって教育なしにそう考えるように生命はできてる。
>動物は「否定」する意識を持ちませんが。
>「ルール」を「見出す」ことが人間的、意識的です。
人は動物やろうという軽いツッコミ。
で、動物が「否定」する意識をもたないとは、おまえの飼い犬がいっとんのか!
スレと関係無いけど、ぴかぁ〜ってイデア論支持者?
「じゃあ、「否定」する意識をもった時点で猿は人なんか。
で、猿から人への進化過程のどのじてん!」
っとこどもっぽくごねるぴかぁ〜
イデア論支持者ってなに?
>>31 いや、分からないならいい。
説明してるとスレの流れを逸らすだけだし。
33 :
考える名無しさん:02/10/29 14:48
人殺しの禁止が一つのルールである事を認められない、
なんというナイーブさ、それは、その人がテクノロジーを
日常の一部として認められないからなのだ。
生命の基本システムは、自己と種の繁栄。そのために闘争と共生がある。
たとえば、犬、猿、人のように群れをなす生物は、本能的に群れをなす
ための共生のルールなどが組み込まれている。
この中に同種の殺害に関するルールもあるはず。
その中で「繁栄においては群れの中で無意味な殺害はするべからず。」と最低限の
ルールは書いてある。
で、無意味とはなんぞやは、その生まれた環境により学習すること。
考えてみました。
36 :
考える名無しさん:02/10/29 15:02
>>35 群れとはどの団体を指していますか?
家族、政治団体など、地方自治体、民族、国家、宗教、宗派、人類、
哺乳動物、動物全般、植物を含む生物など
各個人がどの所属団体を重視するかで従うべきルールは異なるのでは?
>>34 本当に簡単に(と言うより詰めて)言うけど良い?
つまり、人なり動物なりは予め存在する真なる存在があり、それを根底に形成
されているという考え。
>>35 >「繁栄においては群れの中で無意味な殺害はするべからず。」
言いたい事は分かるんだよ、うん。でもこの考えはいわゆる「社会のルール」
の根底な訳よ。人が先天的に持っていようが、同義である事に違いは無い。
>>36 共生を基本とすると、2個体が存在した時点で群れでしょう。
あと家族も先天的に予測できる群れですし、
動物の場合、みつばちのように群れの数はだいたい決まっていることから
かんがえると、そのような単位でもルールも先天的でしょう。
政治団体など、地方自治体、民族、国家、宗教、宗派などの
区分は明らかに後天的な区分のような気がしますが、
その当たりの境界までははっきりしませんが。
>つまり、人なり動物なりは予め存在する真なる存在があり、それを根底に形成
>されているという考え。
ん〜。。。真なる存在か。宗教チック。おれは違うような。
>言いたい事は分かるんだよ、うん。でもこの考えはいわゆる「社会のルール」
>の根底な訳よ。人が先天的に持っていようが、同義である事に違いは無い。
まあ、そこまでいうなら同意義でもいいよ。
人殺しは悪いことです。
倫理は社会に先行しています。
絶対人殺しはいけません。
向こうのスレと同じ展開になりそなヨカーン。
>各個人がどの所属団体を重視するかで従うべきルールは異なるのでは?
言いたいのは生命は、むやみに同種を殺すことの非生産性行為を
戒めるプログラムは組み込まれているということ。
これは後天的にゆがんだ形で洗脳される可能性はあるけど。
でもどのような殺人集団、オウム、ラディン一派にしても
殺人に対しては理屈付け(洗脳)は行われている。
これは子供に対しても同じ。なぜなら先天的な殺人拒否反応に
があるからでは。
>>42 >先天的な殺人拒否反応
否定する訳では無いが、難しいな。その確固たる証拠を見出せない事には
証明出来ないからなぁ。自分達は既に、外部から既成概念として植え付け
られた「殺人拒否反応」を語っているだけに過ぎない可能性もあるし・・・。
少々馬鹿な発想ではあるが、産まれたばかりの子供に殺人拒否的な意識を
持ってるかどうかを聞ければ(尚且つ子供が理性的に答えられれば)、解決
出来るんだが・・・。
ってホント馬鹿な事考えてんなぁ俺。
>否定する訳では無いが、難しいな。その確固たる証拠を見出せない事には
>証明出来ないからなぁ。自分達は既に、外部から既成概念として植え付け
>られた「殺人拒否反応」を語っているだけに過ぎない可能性もあるし・・・。
>少々馬鹿な発想ではあるが、産まれたばかりの子供に殺人拒否的な意識を
>持ってるかどうかを聞ければ(尚且つ子供が理性的に答えられれば)、解決
>出来るんだが・・・。
この手の問題に証明を求めるとむずかしいよ。
体切り刻んで、先天的殺人拒否反応遺伝子を見つけたーってわけにはいかないから。
で、上でいってるように人から生命への延長で考えたわけ。
世の中とかく、殺しには敏感だけど、共生にはうとい。
それはもう空気みたいなものだから。
人の根元的問題(何で生きているの、なぜ人を殺しちゃいけないの等々)
は個体で語られることが多いけど、基本は群れで考えなければいけない。
個体では生きていけないよ。男女ということだけでなく。
生きることに関する共生の重要性をもっと意識しないといけないと思う。
人の本能についても、共生をもとに語られるべきだな。
わかるかな〜
一人で生きること存在しないと断定してもいいかも。
すべて2人以上の関係性で考えよ!
殺人という概念を考えるている時点で「共生」は既に弁えていると思うが?
それともぴかぁ〜の言っている共生は他の生命との事?文章読む限りでは違うよな?
>殺人という概念を考えるている時点で「共生」は既に弁えていると思うが?
だから過去ログ読まないひとはやねぇ〜
>生命の基本システムは、自己と種の繁栄。そのために闘争と共生がある。
48 :
考える名無しさん:02/10/29 17:24
てゆうか、「人殺しは悪いこと」「人殺しは社会のルール」
・・・どっちでも構わないんだけど。
人殺しはいけません、という脅迫的な倫理観は持っていないから。
社会の均衡が先にありきです。
倫理は偶像崇拝でしかありません。
だけど一度成立した規範はオートノミーをもちますから
変更が難しくなるだけ。
50 :
考える名無しさん:02/10/29 21:21
>>1 精神異常者にも適用したから逮捕されたんだろ?
別に理論は覆されてない。
51 :
考える名無しさん:02/10/29 22:31
熱気デリダ助けて―――――!!!!!!
52 :
考える名無しさん:02/10/29 23:03
どっかに書き込んだレス。このスレのほうがふさわしい気がする。
>殺そうとする人を止めるには説得するしかないよ。
>でもどんなに理路整然と殺してはいけない理由を言い聞かせたところで、
>だからといって、彼が殺さないことを選ぶかどうかは分からないよ。
>彼は全て納得した上で「でも殺すんだ!」というかもしれない。
>
>何で精神病院や刑務所があると思うかい?
>そんなことを言うやつはどこかおかしいと思われてるからなんだよ。
理由はそもそも会話・記述といった、「行為」の上で示されるものであり、
「行為」によって「理由」を述べる「行為」無視することは、常に可能なので
「絶対的な理由」は、原理的にありえません。
理由があるかどうかとは、まず、@形式的な問題であり、次に、A説得性の問題です。
説得性は、「その理由は説得的でない」といった台詞で無視することができるので、
「絶対的な説得性」も、原理的にありえません。 馬鹿には何を言っても通用しないのです。
▼
文章を書いているときに「この文章に理由がない」と言いますね。
こういう場合、@理由のあるなしは、形式的に決定されます。
実質的妥当性は問題とされません。 この意味では理由がない、などということは
ありえません。例えば、
・人(任意のB)を殺してはいけない。なぜなら、秋刀魚を食べられなくなるから。
この文章の理由は、実質的に結論を支えませんが、形式的に理由を述べたことになります。
「理由がない」のではありません。「理由はある」。しかし、説得的でないだけです。
・人(任意のB)を殺してはいけない。なぜなら殺される人は、殺されることで非常に大きな不利益を負うから。
殺す側、殺されない側は、殺されることによって生じる直接的な不利益を受けないが、
そのことは、殺される人が負う不利益を解消する原因・理由にはならない。
付された理由が説得的かどうかは、人によるでしょうが、殺されること一般に付随する不利益を
無視することは、かなり説得的でない立場でしょう。
▼
AがBを殺すときには、
・Bが殺される事実以外の事実を考えているか(利得目的)、
・Bが殺される事実自体を目的としているか(復讐)、
・Bが殺される事実が判断に入っていないか(心神喪失)、
・Bが殺される事実を、何らかの事情で引き起こしてしまった(過失)から、
殺すことになります。
Aにとっての、()内の要因に対する評価(利益)は、
Bが殺される事実に対する評価(不利益)とは、無関係です。
Bが殺される事実に対する評価はそれ自体主張可能である以上、
これを示すことができれば、日常的に問題が生じない程度の意味で
「人を殺してはいけない」理由を答えたことになります。
重要な補足です。
理由は、理論的には矛盾していても、現実的には並立して存在可能です。
主張という行為は並立して存在するからです。
あと、人を殺してはいけない理由と、人を殺すことを抑止できる要因は違います。
これを混同して論じている人が多いですが、きちんと区別しないとまずいです。
社会の均衡とか言ってる人。
社会の均衡とは具体的に何ですか?
殺してはいけない理由について、
>>53 殺す側の理由について、
>>54 補足
>>55 評価を下し表現し合うのに必要な条件は常に社会的ですが、
社会的な条件にのっとった主張は、常に個人によるものです。
>>56 最後から2行目の「表現」を「主張」に訂正します。
生命の基本システムは、自己と種の繁栄。そのために闘争と共生がある。
たとえば、犬、猿、人のように群れをなす生物は、本能的に群れをなす
ための共生のルールなどが組み込まれている。
この中に同種の殺害に関するルールもあるはず。
その中で「繁栄においては群れの中で無意味な殺害はするべからず。」と最低限の
ルールは書いてある。
で、無意味とはなんぞやは、その生まれた環境により学習すること。
考えてみました。
>>58 頭でっかちですね。
「生命」の「基本」「システム」などという観念が形成されるより
何かを嫌だと感じることの方が先です。
60 :
考える名無しさん:02/10/29 23:42
>>53 >理由はそもそも会話・記述といった、「行為」の上で示されるものであり、
>「行為」によって「理由」を無視することは、常に可能なので
ここの部分、日本語として意味不明。
なんらかの行為についての論述という行為において、
「論述する対象となる行為」と「論述するという行為」を故意に混同してるだけに読めるが。
>>60 A○−−−→○B C●→X○D 殺される
行為…ex 論述→記号によって伝達
記号の成立は記号の共有(社会)を前提
論述はAの行為とBの認識の上に示される(ズレ具合は場合による)。
論述の対象となる行為は論述とは無関係に行われる。
例えば右図のC●は左図のA○でありうる。
A○の行為はB○の「無視」「理不尽な反論」「妨害」や
C●「行為」によって無視できる。
私が混同しているのではなくて、
みなさんが、もともと同次元に並べられる側面があるのに
その側面を検討してないだけです。
人間として日本人として社会の一員として生きるなら
ルールは守るのが当然。
社会を必要とせず自分の力だけで生きていけるものが存在すれば
その者には、ルールは無用のものになるだろうけどね。
仮にも哲板で、そんな酷なレスは無いでしょう・・・。
人を騙し社会を敵とし全てを自分の足元にひれ伏す実力があれば
人殺しもOKとなるだろうって言ってるだけ。
そんな人は存在しないから、ご安心を。
すいません。悪いのはあんな(
>>63)書き込みをした私です。
まさか、そんな筋違いのレスが返ってくるとは・・・。
>>62 >人間として日本人として社会の一員として生きるなら
>ルールは守るのが当然。
法律はルールですが、法律が憲法違反である場合はあります。
例えば、尊属殺規定違憲判決とか。
あるルールを守るべきでない個人的な事情が、
Aによって(上の場合は裁判所で)主張され、
主張が他の個人たちにも認められ、
あるルールをAや他の個人たちに、一般的に妥当させることへの
疑義が呈され、ルールが変化する場合はあります。
いずれにしろルールは、常に個人レベルで認識・形成・反論・無視されます。
社会レベルではないです。
>社会を必要とせず自分の力だけで生きていけるものが存在すれば
>その者には、ルールは無用のものになるだろうけどね。
ルールが無用になるのではなくて、社会を必要とする者=正確には、
社会という観念の下での自分と他者の営為を概ね肯定する者
が採用するルールを、その者が無視しているだけです。
殺人が悪いことというルールがあり、それに対する罰則がある。
その罰則を跳ね返す実力があれば・・・・・恐ろしい世界が作れる。
>>66注 憲法違反である=守るべきでないルールである と前提して論じてます
殺してはいけない理由について、
>>53 殺す側の理由について、
>>54 補足
>>55 >>60-61 評価を下し主張し合うのに必要な条件は常に社会的ですが、
社会的な条件にのっとった主張は、常に個人によるものです。
ふと考えたが・・・
人間を牛レベルに見る存在が現れたら
その者にしては人を殺すことなど牛を食べることと何の変わりもないことに
感じるんだろうね。
まぁ架空のお話をしたところで、
当たり前のモラルとして人殺しは駄目でしょう。
71 :
考える名無しさん:02/10/30 00:33
>>69 そのネタ昔、不二子Aフジ夫のSFなんたら言うアニメでやってた。
72 :
考える名無しさん:02/10/30 00:45
>>61 >論述はAの行為とBの認識の上に示される(ズレ具合は場合による)。
論述が、「行為と認識の」「上に」示されるってどういうことだね?
さっぱり意味不明だが。
論述が、何かの「上に」「示される」っていう日本語は、
どうも耳慣れないので、意味をつかみかねるが。
殺してはいけない理由について、
>>53 殺す側の理由について、
>>54 補足
>>55 >>60-61 評価を下し主張し合うのに必要な条件は常に社会的ですが、
社会的な条件にのっとった主張は、常に個人によるものです。
>>72 589ですね。君と議論する気はないです。
74 :
考える名無しさん:02/10/30 01:32
このスレのテーマに興味はあっても、時間を割く余裕が無い人が
ほとんどでしょうから・・
上のリンクの
>>314-318、特に
>>318の最後のあたりと
>>407付近を読んでおけば一応OKです。
589は、こういう人間ですから、相手するのは無駄です。
あえてつっこめるところまでつっこませた上で、常識的な
反問を行うと、彼は逃げます。
あとはこのスレの
>>73に示したリンクを読んでみてください。>このスレを見た人
77 :
考える名無しさん:02/10/30 20:48
>>75 >
>>72にいう部分も、全体の要旨から簡単に解釈可能です。
わたしにはさっぱりわからないが。
というか、
>論述はAの行為とBの認識の上に示される(ズレ具合は場合による)。
という文章は、説明の理解以前に、
日本語として何を意味するのかわかりかねるといっているんだが。
行為と認識の「上に」「論述」が「示される」というのは、いったいどういう意味なんだね?
私は、こんな日本語は見たことがないので、さっぱり意味がわからんのだが。