時は■  大森荘蔵2  ■流れず

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264zion-ad
>>222
>あなたの前スレでのカキコは、前スレで一番の内容だと思います。
>そんな優秀なあなたが、どうしてわたしをからかうのでしょうか

ありがとさんです。私の精神の維持のため、書き込めるだけの精神エネルギー、
覚悟の確保ができるまでスレを見ないのが、まだ不安定な私の状態です。

からかうというのは、よくわかりませんが、点と面積の関係。
これをまず処理して、クラインの壺が3次元座標空間でどのように見えるかを
説明しようとしているのです。これは大森荘蔵で言えば、知覚正面という
面積のあるスクリーンと、それを理解する無脳仮説に於ける、脳の在処。原点O。
そして、ペンローズのツイスタースペースと、ゲーデルに推薦状を書いてもらったことが
あるらしい竹内外史の説明する集合の最初。ジャック・ラカンの原抑圧に繋がるのです。
意識が描く座標が原点Oに収束する前の・・・ 全体の地図を理解してもらわんことには。
265zion-ad:02/11/17 04:05
精神分析に興味はありません。ただ、ラカンの象徴界がわからないと、
今世紀の物理学の座標が導入できません。たぶん、東晃史はそこらへんについては
不案内なのだと思います。

で、なにがいいたいか。x^2+y^2=1の円という形が見えるのは、なぜか。
この原抑圧のシステムを、碁盤と将棋盤で説明するところからやろうとしてるんですが、
それは、このスレとは関係ないんで。とにかく、半年掛かって、やっと東晃史を乗り越え
たんではないかと妄想しております。(ただし、その一部分、座標に関してだけ。)
266zion-ad:02/11/17 04:06
ハッタリとしては量子力学を知らないのに、観測者問題とEPR問題を重ねた実験で、
その中途半端な実験。まるで導体と不導体の中間、半導体のような観測者(観測器)を
設定すれば、東晃史の”等時”という概念を立証できるのではないか。超空間、虚数の
ガウス座標みたいなものを作れるんではないかと。(観測者問題=スリット実験。)

まだ、自分の中で思考実験としても完成してないんですが、なにせ物理学も数学も素人。
とにかく、その前に数学(幾何)の束縛から思考を逃がさないと。
静態の幾何から、動態の幾何へ。このとき、幾何対象の形あるものをいままでの方法じゃ
認識できなくなることを知ってもらわないとで大変。
267zion-ad:02/11/17 04:07
それができる物理学者を、オバサンを口説くのに俺は必要としている。

<女を殺せ>クラインの壺★東晃史☆ラカン
http://academy.2ch.net/test/read.cgi/philo/1035664290/l50
3次元で「クラインの壺」を作る!?(その2)
http://tv.2ch.net/test/read.cgi/nhk/1035757676/l50
前スレ、その1は読まんでも結構です。なにせ自分の妄想を維持するのが精一杯で、
説明できておりません。
268zion-ad:02/11/17 04:08
>>251
>わたしの身体が動きだす瞬間、赤ん坊は、わたし自身になっているのですが、

見たものに同一化する。咄嗟(とっさ)の瞬間。我を忘れる。しかし、これじゃ
戦場では生き残れないし、アニメ「ラーゼフォン 第19楽章 ブルーフレンド」になる。
あなたの想いが、その赤ん坊を殺すことになる。あなたが視覚映像に反応するだけなら、
イメージに囚われているだけなら。

>余りにも身近にあって気のつかないような、それでいながら、わたしの「感じる、
>信じる」の実感を陰から支えてくれている、象徴としての言語の存在指示性です。
ママの贈り物の力を、直接、イメージ(意味が裏返った表象)で指示対象と同一化
させるなら、似非左翼が言葉(意味)に溺れるのと変わりない。自分を愛しているだけ。
行為を反応に捧げてはならない。

踊るものにとって、対象を観るには心眼を必要とする。世阿弥の「離見の見」を。
それを物理学に導入するのが東晃史。座標を思い描いたこと自体を座標に繰り込む。
朝永振一郎の繰り込み理論による電荷の求め方。発散してしまう値を抑えるやり方。
相対の相対が絶対(波束が収束する過去)になる日常の風景(未来)を選ぶために。
269zion-ad:02/11/17 04:10
>>229
>じゃあ、死について語れるなら語るってくれ。
それについては、”慈恩公国の合従連衡−闇の旗保険”で取り扱っております。

赤ん坊を助ける行為の瞬間。生物的な己の生死を問わない状態。我を忘れる。
シュレディンガーの猫になる。しかし、戦場で我を忘れるのはお勧めしない。
そんな状態になる前に、操作を。世界の創造を。

明日、生きていればなにをしようかなの日常の持続。自分は死ぬまで自分。生の概念。
この瞬間死んだとして、やり残した心残りとなるもの、娘を想う。死の概念。
自己の不在の明日。操作ができるかできないかの違い。生と死。

操作がもうできない、己の死後の世界への操作。
それをこの今に繰り込むのが保険屋の商売。