【平蔵もビックリ】NAM-part9【柄谷ショック】

このエントリーをはてなブックマークに追加
18考える名無しさん
898 :柄谷ちゃぶ台返し声名 :02/10/21 19:56
昨年の11月に、私はこのフォーラムで「Qが始まった」というエッセイを書いた。
ちょうど一年後に、私はこう言わなければならない。「Qは終わった」と。
私はこれまでQを推奨してきた誤りを認める。また、それによって、結果的に多く
の人に迷惑をかけたことをお詫びする。そして、そのお詫びは、事実を認識するこ
と、そして、それを公開することによってのみ果たされる、と考える。それゆえ、
私は、NAMの内部においてのみならず、外部にも開かれたこのフォーラムに、これ
を書くことにしたのである。
私はQをいろんな形で宣伝してきた。それは会員が増えたら、取引が具体的に増え
るだろうと考えたからである。しかし、会員が増えても、すこしも取引は増えなか
った。NAMの会員の間のやりとりが増えただけで、具体的な物の取引は、ほとんど
ない。Qがすこしも流通していないことは、取引の実態を調べてみれば明らかであ る。
なぜQは流通しないか。一方で、ある人たちはQを得ても、それで何も買うものが
なく、他方で、ある人たちはQを得る方法がないからだ。もちろん、多くのNAMの
人たちが、取引の場をつくり、Qを実際的に使えるものにしようと努力してきたが、
それは少しもうまくいっていない。それは、今後、どんなに努力しても同じである。
では、何が悪いのか。Qの技術的な欠陥は、いくらでも指摘できる。まず、Qに加
入するのは手続きの点で非常に難しい。入会手続きに時間がかかる。Qでは、取引
内容の記録がすべて公開されるので、入会してから気がついて、やる気がなくなる。
また、それを知っている人は加入しない。
19考える名無しさん:02/10/22 02:46
899 :柄谷ちゃぶ台返し声名 :02/10/21 19:58
しかし、こうした諸欠陥は、西部忠氏の考案したQの理論的な欠陥に由来するもの
である。Winds-qが技術的に欠陥の多いシステムとなり、Q組織が非NAM的な官僚的
組織となってしまったのは、このためである。したがって、この理論を認めるかぎ
り、部分的な改良ではどうにもならない。あらゆる努力が無駄に終わる。
NAMのプロジェクトからQを立ち上げる段階で、Qの基本的な前提の幾つかに反対し
た湯本裕和氏と岡崎乾二郎氏が、それぞれ、NAMを退会してしまった。この二人は、
創設以来NAMにとって重要であり、不可欠な人物であった。だから、Qを強引に推
進したことは、NAMにとって、実は大きな犠牲をはらうことになったわけである
(とはいえ、西部氏がNAMを退会したので、彼らは近くNAMに復帰する)。
その間、私は、Qがもつ欠陥にまったく気づかなかったわけではない。しかし、
私にはそれ以外に妙案がなかったし、このままでやってみるほかないと考えた。
また、西部氏は専門家であり、何か私の知らないような奥の手を密かにもってい
るのかもしれない、と思っていた。しかし、そんなものはなかった。彼は、たん
にLETSを日本に紹介しただけの、創意のない、頭の鈍い学者でしかなかったので
ある。
マイケル・リントンは、LETSを、不況下にある地域経済を守り、活性化するために
考え出した。彼は、われわれのように、LETSを、資本制=ネーション=ステートに
対抗するアソシエーションの運動の基礎としてとらえていたわけではなかった。し
たがって、NAMがLETSを「原理」として採用したとき、他のLETSとは異なる課題をも
つことになった。そうである以上、リントンのいう程度ですまないことは当然であ
った。だから、私は西部氏や鈴木健氏のいうように、LETSをローカルからグローカ
ルにしようとする構想を支持した。しかし、あとで気づいたのは、そのことは、た
んにインターネットを利用すれば実現できるというほど、簡単なものではなかった
ということである。
20考える名無しさん:02/10/22 02:48
900 :柄谷ちゃぶ台返し声名 :02/10/21 19:58
リントンは、LETSを小さな共同体で始めることを前提している。だから、彼にとって
、インターネットは特に必要ではなく、ICカード程度で十分だった。しかし、技術者
である彼が、インターネットでやることを思いつかなかった、あるいは技術的にでき
なかった、ということなどありえない。彼は、それが少しもLETSを広げることには
ならない、と考えただけなのだ(実際、Qは大衆化しないというリントンの予想は
的中している)。
一方、西部氏は、小さなコミュニティで適用されるLETSの原理を、グローバルな
レベルでそのまま適用しようとした。だから、個人に対する規制(身元証明、取引
実績の公開)などが厳しくなり、そのためのソフトも煩雑なものになった。しかし
、全国的な取引の「可能性」がもたらされたとしても、小さなコミュニティではじ
まるような類の取引は、いつまでたっても始まらない。逆に、それは、Qに参加す
る人たちを窮屈な共同体に閉じ込めてしまうだけである。
リントン的なLETSを超えるためには、新たな工夫が必要である。むしろリントンの
発明に匹敵するほどの発明が必要なのだ。たんに、インターネットでやるとか、グ
ローカルな通貨などという言葉をふりまわすだけでは、少しも新しくない。とはい
え、私がそのことに気づいたのは、最近のことである。
それまで、私はQの欠陥を感じるたびに、それはQがまだ十分に広がっていないか
らだと考えた。というより、そう考えるように努めてきた。NAMの会員にQに入る
ことを義務づけてQを広げるようにしようという案に賛成したのも、そのためで
ある。当然ながら、これは、QをNAMの所有物にしようという考えではまったくない。
その反対に、Qがまったく流通していないから、何とかしようとしてきただけである。
しかるに、Q管理委員会の幹部は、NAMがQを牛耳ろうとしていると非難している。
それがいかに思い上がった見当はずれなものであろうと、もう反論する必要さえな
い。たんに、Qに対する(これまでのような)協力をやめればいいのである。Qを
つぶす必要などない。すでに死んでいる、というより、一度も生きたことがないの
だ。
21考える名無しさん:02/10/22 02:49
901 :柄谷ちゃぶ台返し声名 :02/10/21 19:58
事情がどうであれ、私がこれまでQに関してあやまった幻想を与えてきたことは
確かである。したがって、私は私の不明をお詫びする。
とはいえ、それはLETSそれ自体が不毛だということを意味するものではない。
NAMは、その「原理」において、リントンの考案したLETSを採用することを決めて
いる。ただし、LETSをどのように実現するかについては、決まっていない。それは
会員の創意工夫、試行錯誤にもとづくのである。そして、Qは失敗であった。
しかし、Qの失敗の経験は、今後のLETSをやっていく上で役に立つ。NAMは、これ
まで、たえず、失敗の経験を認識としてプラスにしようとしてやってきたが、市民
通貨についても同様である。すでに、NAMの内部で、新たな市民通貨の試みがある。
たとえば、湯本氏やNAM中部の人たちは、地元の経済に根ざした地域通貨を始め
ている(http://www.100watt.jp/)。これは、お札のほかに、簡単な口座決済ソ
フトを使ったものである。これは各地で使える。しかし、技術者出身の湯本氏は、
技術などたいした問題ではないといっている。技術なら、インターネットがそもそ
もそうであるように、資本制企業が開発した最先端の成果を利用すればいいのだ。
湯本氏が強調するのは、むしろ生産者の協同組合を創出することである。
私自身は、原祐人氏らが構想する市民通貨Lに大きな期待を抱いている。これは、
もう私などが宣伝してまわる必要がないような、実現性の高い、画期的な案である。
どんなきびしい商売人でもこれを無視しないだろう。あとは、どのような技術を採
用するかが問題なだけである。
しかし、これらさまざまなLETSは、対立したり相克したりするものではない。
LETSを生活の現場において流通するようにするための工夫は、いくらあっても構わ
ない。また、それらは、いずれも円に対応する以上、互換的であり、いずれ結びつ
く。だから、このような多くのLETSの企てが、NAMの内外から生まれることは歓迎
すべきことである。
私は、新しい市民通貨についての会合が、あちこちで開かれることを希望する。
私はNAMの一会員として、東京、名古屋、京都、神戸、その他、実践的な試み
があるところならどこにでも、話しに行くつもりである。
2002/10/05
22考える名無しさん:02/10/22 02:52
ってわけさっっっ
これがなむのホームページに載ったんだけど
あぼーんされたんだと