1 :
考える名無しさん :
02/10/20 02:25 正義とはなんでしょう?何を基準とするのでしょうか?
2 :
考える名無しさん :02/10/20 02:28
洩れ
3 :
考える名無しさん :02/10/20 02:29
手続き
4 :
考える名無しさん :02/10/20 02:39
伝統的には正義は「公正な配分」。 アリストテレス(自信ない)が言い始めた。 「彼のものは彼に与えよ」だったっけ?
5 :
考える名無しさん :02/10/20 02:41
富多きものは貧しきものに与えよ これは不正?
6 :
考える名無しさん :02/10/20 02:44
正義の基準は「公平さ」。 英語でいうと同語反復だよ。正義も公正もJusticeだもんな。 漢字で考えると混乱しやすい。
7 :
考える名無しさん :02/10/20 02:49
>>5 貧しいものが金持ちからモノ・カネを与えられるに十分な根拠があるのなら公正。
8 :
考える名無しさん :02/10/20 02:51
神様の愛の力に従う事が正義
9 :
考える名無しさん :02/10/20 03:04
>>8 「神の名のもとで公正に扱う」ってことだろ。
ただそれだと特定の宗教を信仰するもの以外は不正義になってしまうし、実生活で普通につかう「正義」の意味とぶつかることはほとんどないので漠然と「正義」という言葉のもつ意味を考える時には除外していいんじゃなかろうか。
どちらにしても正義の意味に「公正さ」という以上のものを
>>9 は持たせられないと思う。
あなたは、神の愛の力をご存知ではない。 神様は、人間がつくった宗教という枠に収まりきるものではない。 信仰していようが、していまいが、無意識のうちにも力は働いている
あがってしまった。
12 :
考える名無しさん :02/10/20 18:30
正義とは「何かを基準にしてそれに適っていること」じゃないの。 基準自体は恣意的なもの。 神の名のもとの正義=その宗教の教義を基準にした正義
13 :
考える名無しさん :02/10/20 18:32
http://www.yomiuri.co.jp/entertainment/zipzap/main01.htm [聞かせて]窪塚 洋介さん
「自分が変われば、世界が変わる」
Q 愛読書は、世界の成り立ちや真実を神と問答する「神との対話」(ニール・ドナルド・ウォルシュ著)だと聞きましたが。
A 「凶気の桜」で共演している須藤元気って格闘家に薦められて、読んだらはまった。ぼくが今まで信じてきたこととか、伝えたいと思ってきたことの、すごく完成された形のものがそこにあったんですよ。
例えば、目に見えるものだけを信じるのは、目に見えないものだけを信じるのと変わらない。
「神様」っていっても、それは自分の心であったり、自然の流れであったり。「良い」も「悪い」も元は一つというか、「良い」があるから「悪い」があるわけで、それで自分はどこにいるかって話だと思うんですよ。
結局みんなつながっている。レゲエの「ワンラブ」ってこと。地球は一つだし、為(な)すだけ為したら、もう、あるがままでいて、みんな一つでいいじゃんって。線が引いてあるのは地図だけですよって。自分が変われば、世界が変わる。
そういうことだから、ミサイル握って正義だってわめいているヤツらに対して、おれたちがやっていけることはある。ていうか、おれたちが変われば、そいつらも変わるはずだから。と、信じている次第でございます。
14 :
考える名無しさん :02/10/20 18:34
「唯一神」は「神の愛」云々以前に、存在した時点で正義。
15 :
考える名無しさん :02/10/20 18:40
だーかーらー、 テッペンに創造神(万物の所有権を持った者)なんかいたら それが全ての基準になるってーの。
「例えば、目に見えるものだけを信じるのは、目に見えないものだけを信じるのと変わらない」 まあ受け売りであろうが、言いきってるね。 窪塚クン、これから何処へ行くのか? 意外と冷静なのか? それとも…?
強い者が正義です。基準も強い者が決めます。
20 :
考える名無しさん :02/10/20 18:52
18が正解 −−−−−−−−−−−−−−終了−−−−−−−−−−−−−−−−−
21 :
考える名無しさん :02/10/20 18:55
===================== 再開 ====================== じゃ、強い者はだれよ。
22 :
考える名無しさん :02/10/20 18:56
23 :
考える名無しさん :02/10/20 19:01
>>14 あんまり意味のある正義じゃないよね。
神の正義の内容をいかにして知るのか?
神の正義のないようであろう経典や福音が神の意志であるといかにして知るのか?
そもそも神の唯一性や絶対性をいかにして知るのか、証明するのか?
ってな感じで神学的な議論をはさまなくっちゃーなんなくなる。
24 :
考える名無しさん :02/10/20 19:03
>>18 強いものが為す配分は公正なのか?
強いものが基準を定めることができるというその根拠は?
絶対的正義や絶対的価値は、絶対神が存在してはじめて存在できる?
26 :
考える名無しさん :02/10/20 19:07
道徳が善悪を決めるんだ
28 :
考える名無しさん :02/10/20 19:19
>>25 神についての議論はうまくいかないことが多い。
絶対的な正義や価値というものが絶対神を仮定せねば存在し得ないのならば、絶対的な正義や価値は正しいか正しくないかは別としてとりあえずは脇においといた方がいい。
正義は4が言ったアリストテレスの定義にとどめておく方が良いとおもう。
その基準は、多くの人が納得するぐらいでいいんじゃなかろうか。
常識的な配分や価値判断は、正義と価値をもつと広く考えられているような宗教が唱えるものとほとんど合致するだろうし。
29 :
考える名無しさん :02/10/20 19:24
アリストテレスの定義だと自然権ということ?
法のもとでの権利。所有権とか。
31 :
考える名無しさん :02/10/20 19:31
32 :
考える名無しさん :02/10/20 19:35
>>31 アリストテレスの「彼のものは彼に与えよ」ってことで言えば
権利の保証が正義となるのでかないかと。
33 :
考える名無しさん :02/10/20 19:42
>>28-32 アリストテレスの正義は、分配的正義、是正的正義、応報的正義の三つだよ。ぐぐってごらん。
>>32 分配的正義はたしかに所有権に関る。
34 :
考える名無しさん :02/10/20 20:14
35 :
考える名無しさん :02/10/20 20:15
>>18 だからそれは「強いものが決めた基準についての正義」でしかない。
36 :
考える名無しさん :02/10/20 20:20
>22 それも問題あり、 今ブッシュと父ブッシュで、ときどき意見の衝突があるらしい。 そして、父ブッシュが好きなことして成功させるときもあるらしい。
一般的に不愉快な事柄を解決してくれる道義的にのっとった行為
38 :
考える名無しさん :02/10/20 20:39
正義の反対語は何ですか?
39 :
考える名無しさん :02/10/20 20:43
>一般的 はズルイな。なんか問題つつけそう。 かりに、どっかの開発途上国の、α貧民街でのことを想定。 地球的規模の核戦争がβという悪意をもった独裁国家元首によって 引き起こされ、その貧民街のみ、より悲惨な状態で残ったとする。 そのとき、αにとって存在の知られないβには正義があるか? (あまりうまい イチャモンではないね)
40 :
考える名無しさん :02/10/20 21:27
悪
41 :
考える名無しさん :02/10/20 21:41
>40 一言ってのはちょっと。 次がつづかないダロ。
42 :
考える名無しさん :02/10/20 21:45
英雄が踏み台にするもの
43 :
考える名無しさん :02/10/20 22:00
正義のための必要悪。 人はとかく、悪者をつくって団結しようとする。 人類みな兄弟になるためには、地球的規模の悪が存在しないとダメなのかな?
44 :
考える名無しさん :02/10/20 22:12
大抵の人間は自分が「正しい」と思ってること、自分にとって「正しい」と思ってる てることを「正義」とするが。それだと他人と衝突するから上位の「正義」 を作るが、また衝突が起こりまた上位の「正義」が・・・延々と続く。
45 :
考える名無しさん :02/10/20 22:19
>>43 それだと、地球的規模の悪が存在し続けないとだめじゃん。
>>1 >正義とはなんでしょう?
自分が自分又は外部(他人・組織等)の思考・行為等を判断する時、
それを、「正義」と判断すること
自我を形成する社会の規範的価値により左右される場合が多い
>何を基準とするのでしょうか?
1 その時、その場所の自分
2 自分が帰属する社会(組織等)の決定(大儀)
3 1・2を使い分ける(ダブルスタンダード)
47 :
考える名無しさん :02/10/20 22:43
んなぁこたぁ〜小学生でもわかっとるとよ ほんなごつあんた馬鹿ばい その先にあるもんばきいちょるとよ
48 :
考える名無しさん :02/10/20 22:55
「正義と判断すること」が「正義」なの? つまり、 正義とは「正義と判断すること」で、 「正義と判断すること」とは「「正義と判断すること」と判断すること」で、 「「正義と判断すること」と判断すること」は「「「正義と判断すること」と判断すること」と判断すること」で・・・ つうわけ?
49 :
考える名無しさん :02/10/20 23:07
世の中、正義しかなかったら、正義の意味がなくなる
>>48 「正義」という概念を「正義」と自分が
>>46 の判断で
「言ってみる」ことだが
最近、「人を殺す云々」というスレで「価値判断」について
書いみたので参照していただければ幸いかな?
51 :
考える名無しさん :02/10/20 23:47
正義って独善が周囲を巻き込んだものだと思う。
52 :
考える名無しさん :02/10/20 23:48
53 :
考える名無しさん :02/10/20 23:49
米帝国のことである。
54 :
考える名無しさん :02/10/20 23:55
「正」と「義」の漢字の語源からの説明はどう?
55 :
考える名無しさん :02/10/20 23:58
正義なんか簡単に作れるから正義じゃない。 したがって正義はつくらないといってみるテスト
56 :
考える名無しさん :02/10/20 23:59
誰もが正義のヒーロ(糞)
>>52 君がそう判断するのであれば・・・・
私が書いた文章が読み取れないのであれば素直に言って下さい。
58 :
考える名無しさん :02/10/21 00:23
>>57 >君がそう判断するのであれば・・・・
私の判断によって「あなた」の「正義の定義」は変わるの?
>私が書いた文章が読み取れないのであれば素直に言って下さい。
私は、「あなたが書いた文章」をそのまま解釈してるだけだが。
間違っているところがあれば、ちゃんと指摘してください。
59 :
考える名無しさん :02/10/21 00:26
関係ない話だが、ロールズの『正義論』の新しい邦訳はいつでるんだ? 川本隆史は『ロールズ―正義の原理』で邦訳に取りかかると書いてたのに。 川村は正義に反してる。
60 :
考える名無しさん :02/10/21 00:54
>>54 正義はJusticeの訳語だからあんまり意味はないと思われ。
(どういう意図で正と義を翻訳者があてたのかというのを考えるのはおもしろいかもしれないが)
61 :
考える名無しさん :02/10/21 00:55
62 :
考える名無しさん :02/10/21 01:02
>>33 のアリストテレスの正義の定義はいまでも有効で、
とりわけ分配の正義が哲学者にとっては重要視されてきたように思う。
ロールズの正義の二原理も公平な分配のための装置だろう?
63 :
考える名無しさん :02/10/21 01:03
正義の為の戦争こそ正義ではないかと
64 :
考える名無しさん :02/10/21 01:11
何で戦争を持ち出す必要がある >正義のための ここだけが重要なのだ 正義のために何かするということは是正されるべき不正が行われたということなのだ 不正の解決手段は戦争だけではない
65 :
考える名無しさん :02/10/21 01:30
まさよしスレ!!
66 :
考える名無しさん :02/10/21 01:33
>不正の解決手段は戦争だけではない いつもこういう発想にいきついちゃうよなあ。何言ってもわかんねーやつが 長期的にもしくは恒常的に不正してるからやるんでしょうが
67 :
考える名無しさん :02/10/21 01:38
まさよしは恥ずかしい教授でした。
68 :
考える名無しさん :02/10/21 01:49
>>64 誤解されてるな
戦争によって是正されるべき不正とは何だ
>正義の為の戦争こそ正義ではないかと
>>63 正義のための戦争でなくては正義がなされないかのような謂いではないか
正義の実現はそんな大げさのものではない
不正の存在も大げさなものではない
>長期的にもしくは恒常的に不正
政治のレベルの話に見えるが
>>1 のいう正義は正義一般の話に見えるが?
正義の特徴は戦争によってしか説明されないものではないだろう
長期的もしくは恒常的にジャンケンで遅だしするガキの不正を是正するのには、そいつから給食のプリンを供出させるので十分ではなかろうか
と>いった矮小化した話にしてはどうかと
>>64 はいいたかった(舌足らずでしたが)
69 :
考える名無しさん :02/10/21 02:00
>>68 おそだしじゃんけんのようなわかりやすい不正になら正義を語れるが、
今現在世界を動かしているのは強国の正義だ。
アメリカがイラクに
「俺は核もつがお前は持つな」
がとうるのが今の強国の正義だ
正と義は本来ドウいう意味を持つのか、 ワカットルのかね?? フォフォフォフォ
71 :
考える名無しさん :02/10/21 02:02
オマエの正義は俺の正義じゃないが 俺の正義はオマエの正義で在らねばならない
72 :
考える名無しさん :02/10/21 02:08
正義なんてもんない。 正義がないんだから悪もない。 つまりこの世は「無」。
>>1「正義とはなんでしょう?何を基準とするのでしょうか?」 社会を維持するための秩序、なので一般的に基準はその社会の常識。 そして最終的に判断するのはあなた。 「正義」が価値観である限りその数は人の数だけある事になる。 これじゃダメ?
74 :
考える名無しさん :02/10/21 02:26
>>69 「アメリカの言い分が不公平だ」という考えを持つ人がいるかもしれない。
そのひとがとても合理的な根拠で不公平さを示しえたならば、
アメリカの言う正義はもはや不正である、と言えるかもしれない。
正義の特徴は、強者のいつも正義がまかり通るとはいえないところにあると思います。
(現実がどうであるかはともかくとしても、冷静な判断ができる人には分かるといった程度で。)
「強者の正義が正義である」と強者が言った場合には、まさにそのように強者は信じているのでしょうが、
強者でないものがその言明を口に出す時には「強者の正義は不正であり得る」という考えを暗に含んでいると思います。
また、強者自身も自分が強者でなくなったときのことを想像できるならば、自分の言明が正義の本質を捉えていないことに気付くと思います。
(自分が弱者ならば、その同じ言明をそのまま受け入れられるかということです)。
「いつも強者の言うとおり物事が進む」と「強者のすることはいつも正義である」の違いです。
「強者の正義が正義である」はあくまでもレトリックであって、さもそれが正義であるかのように語るのはよろしくないと思います。
人生哲学と哲学の違いのようなものだと思います。
75 :
考える名無しさん :02/10/21 02:28
>>72 だから悪の対立概念は善だと逝ってんだろ!!ボケェ
76 :
考える名無しさん :02/10/21 02:35
>>74 微妙に同感
77 :
考える名無しさん :02/10/21 02:40
正義は軍事力、政治力、経済力、文化力など 力によって裏付けされる。 裏付けのない正義は恨み言に過ぎない。
78 :
考える名無しさん :02/10/21 02:42
わかりやすい例をひとつ 家畜を屠殺して食っているのは悪でないと誰がきめましたか? ちなみに稲や麦だって刈られる前は生きてます。 「正義」なんてものは本来存在しません。 「正義」という妄想の基準についてあえて語るなら (妄想なので明確な基準なんてあるわけないのですが) 強者の論理で・・あるいは偽善者のその時々の感情で・・・ ということになるでしょう。
79 :
考える名無しさん :02/10/21 02:43
>>74 完璧に誤読してますね。
今現在世界を動かしているのが強国の正義だと言ったのですよ。
強国の正義=真の正義ではないと書いてるでしょ?
1行めの正義で「あるが」から続いてるでしょ?
80 :
考える名無しさん :02/10/21 02:56
81 :
考える名無しさん :02/10/21 03:05
>>80 対立・対峙があるところに正義は生まれる。しかも両者に。
82 :
考える名無しさん :02/10/21 03:08
どうして正義を善(価値判断の基準)と同一視する人が多いんだろう?
>>78 の例のどこに正義(あるいは不正)の話が出てくるのかさっぱり分からない。
「正義=公正さ・公平さ、不正=公正でないこと・公平でないこと」というのが日常的にも哲学的にも正義のもっともゆるい定義として通用してるんじゃないのか。
>>80 どうなんでしょうね。基本的に「正義」なんて存在しないと
考えている点は同じなのかもしれません。しかし、
その上で存在しない架空のもの(正義)について基準をもと
ること事自体無理というのが私の考えですからそこは異なる
ようです。
架空のものについて基準をもとめるのなら、78でした書き込
み以外にも宗教、倫理、団体での利益・・・いくらでもでて
きそうです。
>>82 >「正義=公正さ・公平さ、不正=公正でないこと・公平でないこと」
だそうですが・・・・・
では、家畜からみて屠殺されることは公正であり、公平なのでしょうか?
生命を終える前に刈られる穀物からみてどうですか?
人間はあなたのいう不正を犯さなくては生きていけない動物です。
正義の基準なんてものが存在しないことがおわかりいただけましたか?
86 :
考える名無しさん :02/10/21 03:27
それ言うなら哲学板こないほうがいいのでは・・ 答えのないものをグダグダ言いたいんじゃないの?
78の人に同意するのは気が引けるが・・・ 確かに「公正・公平」で正義か否かを決めるのはどうかと思う。 辞書にはそう載っていたのかな?
>>83 私は正義は「謳われる・語られる」ものだと認識してます。
寝ます。レスついてたら後日レスします。
>>78 、
>>79 架空のもの、対立があるところに生まれるものと抽象的な表現をなさってますが、
正義という言葉についてお二方とも具体的な定義や説明をなさってないように思えます。
しばらくROMって考えたのですが、私は
>>6 の辞書的な用法が最も適当だと考えています。
「公平さ」には基準が必要ですが、その基準は社会が決めるものとさしあたって考えてよいと思います。
正義そのものには基準はなく、それは公正な手続きであるべきだと考えます。
法のもとで、皆同様に扱われるという基本的な意味での正義(公正さ、公平さ)です。
強者の正義が批判されるべきなのは、例えばジャンケンおそだしにおいてですが、これは
手は同時に出すという基本的なルールにおいて公正さにかけるという意味で非難されるべきものです。
おそだしした方が圧倒的にケンカが強かった場合にもなお非難されます。
かった方負けたほうどちらにとって正義か不正かという問題ではありません。
ジャンケンのルールという基準に照らして正義か不正かを判断するのです。
基準が絶対的な根拠を持つものではないことを認めたとしても、正義は為されなければならない性質のものなのです。
>>88 >正義は「謳われる・語られる」ものだと認識してます。
そういう見方もできますが、主体が変われば語られる正義が
変わるというのであれば、正義は存在しないということですね。
あるいは100人に100人の正義が存在するということになります。
いずれにしろ、正義の基準は存在しないということになります。
>>89 「公平・公正」について認識が改まりました。
なるほど、確かに。
正義が「善悪」を基準としない時点で、もっと表層の次元で考えるべきでした。
87の発言を撤回します。
>>89 あなたのいうように公正さの基準を社会が決定すると仮決めしてみましょう。
宗教間で基準が変わっては困るので全世界の統一された基準が必要となります。
その際にイスラム・ユダヤ間でどう基準が設定されるというのでしょうか?
どちらか一方の価値観をとうせば必ずやもう一方の価値観は全否定されてしま
います。
その基準設定は神(宗教上の神とは異なる。真理と置き換えてもよい)しか成
し得ません。
神(真理)からみて、人間は基準の中心に存在するでしょうか?
決してそうでないことは自明の理でしょう。
立ち戻って、あなたのいった「公正さの基準を社会が決定する」事自体が矛盾
しているのです。
>>90 絶対的な正義が存在しないだけであって無数の正義は存在し、
絶対的な基準が存在しないだけであって無数の基準が存在しているのですよね?
>>1 はその変化しうる「基準」の、そう成る条件、理由なんかを聞きたかったんじゃないかな?
とりあえず、私は「基準」の元となる価値観は
「信仰(律法)」「道徳(善悪)」「権利(法律)」。
そして表層で国際社会をカバーしているのが「権利(法律)」なんだと思います。
何度も言いますが、
一般的に基準は、その社会の常識。そして最終的に判断するのはあなた。
>>89 の書き込みの意図は、
>>1 の問いに答えることでした。
「正義は為されなければならない性質のもの。たとえその基準に絶対的な根拠がないことを認めたとしても。」
>>92 全世界で統一した公正さの基準について。
その基準が必ず宗教に求められねばならないということはありません。
どのようなものに全世界で統一した基準が求められるでしょうか。
おそらく政治や経済の分野での国家間の取り決めに関ってくると思います。
どういう仕方で為された取引が公正か不正かとか、国連の予算の何%はこの国が持つのがよいかとか。
こういう場では、国際法や条約が公正さの基準になります。
国際慣習や条約に反すれば、不正な国として国際的な非難の的になります。
公正さの基準となるのは法(ルール)だろうと思います。
各国家においては各国家の法が、国家間においては国際法がルールとなります。
それぞれのルールは各国家で、また国家間で決定されます。
そのルールの正当性については
>>89 にも書いたように絶対的な根拠は見出せないかもしれません。
しかし、それでも法は一定の効力を持ち正義・不正の基準となりまえす。
95 :
考える名無しさん :02/10/21 08:56
なりまえす。
96 :
考える名無しさん :02/10/21 09:12
>94 田舎臭い。
97 :
考える名無しさん :02/10/21 09:26
シテイボ〜イです。 何か?
>>89 きつい表現になりますが、私はあなたに根本的な認識の欠落を感じます。
あなたは正義は存在し基準が公平・公正さだとしています。
1つ目。私達は資本主義社会に生きています。
資本主義社会はシステム上必ず貧富の差を産み出します。必要悪の枠の中にいるのです。
貧富の差は公平ですか?必要悪の中での正義は「語られる」だけです。
2つ目。じゃんけんのルールという基準に照らして正義か不正か判断するのは、ルールを守った側が「語れる」正義です。
アメリカの「俺は核を持つがお前は持つな」は核拡散防止条約に基づくjusticeです。
そこに公平は存在しません。あるのはエゴからくるjusticeです。
同様におそだしじゃんけんしたものにも認められないがエゴからくる「正義」があるのです。
3つ目。正義が公平が基準というならば、あなたがいう正義は為さればならない性質のものであるなら、
あなたがいうじゃんけんのルールという基準に照らすことは公平とは言えません。
あなたの論理ではじゃんけんは2度続けて勝ってはいけません。
正義が公平・公正が基準でその正義は為さればならない性質のものであるならじゃんけんのルールは超越されなければなりません。
一番重要なのは1つ目に書いたことです。
>>90 正義は「謳われる・語られる」存在として存在します。
そこにある基準は「謳う・語る」側の在り様です。
>>98 「そこに公平は存在しません。あるのはエゴからくるjusticeです。」
「そこに正義は存在しません。あるのはエゴからくる正義です。」
と言っているようなものです
自分で読んでみて、「変だ」と、・・・気付かないんですかね。
「そこに平等は存在しません。あるのはエゴイズムからくる正義です。」
と言いたかったんでしょうか?
基準は、「法」の上での公平だ、といってるでしょう、ちゃんと読みましょう。
いったいドコの法律に反しているのでしょうか?
「あなたの論理ではじゃんけんは2度続けて勝ってはいけません。」
・・・あなたの発言にはビックリさせられます。
資本主義、じゃんけん、核拡散防止条約が「不公平」?
「不平等」の間違いですか?
この世は平等ではありません(どうしようもないくらい当たり前の話ですね)。
「法(ルール)」の上での公平、公正、それが「正義」だと言っているのです。
101 :
考える名無しさん :02/10/21 15:29
その時点における法律。
102 :
考える名無しさん :02/10/21 15:36
フセインの正義は何ですか? ついでに 不正は何ですか?
103 :
考える名無しさん :02/10/21 15:39
全部見てみましたが政治的次元、経済的次元、道徳的次元、宗教的次元の 「正義」がごっちゃになってるように見えますが。
>>103 正義は次元の問題ではなくて、
社会で認められるかどうかが問題なのだと思うが。
105 :
考える名無しさん :02/10/21 15:56
>>104 正義に関する議論の中の次元がごちゃまぜになってると思ったんだよ。
それぞれの項目は別次元であると・・・???
107 :
考える名無しさん :02/10/21 16:13
宇宙論のように 4次元ですか?
108 :
考える名無しさん :02/10/21 16:14
別次元としでもあるが、違う次元がそれぞれからみ合うこともあると。 ややこしいけど。
109 :
考える名無しさん :02/10/21 16:23
ワ〜イ 互いに独立していない 多元宇宙論だ。
110 :
考える名無しさん :02/10/21 16:26
正義の追求が、戦争や暴力を伴わなかった例は少ないだろう。
というか、ありえません。
112 :
考える名無しさん :02/10/21 16:31
ですよね。
当たり前です、力無くして何を守れるって言うんです・・・
114 :
考える名無しさん :02/10/21 16:46
たとえば、「世の中金じゃない」という言葉を否定的に捉える時、 その発言者がルサンチマン的であると「疑う」ことがイデオロギー的なのでは。 実際この発言者が、我慢を美徳とする人間だったとしても、疑う行為とは別のような気がします。 「正義」という言葉と「軍事力をもつこと」に無理やり接点を 持たせるから、矛盾が存在する、ことになってしまうのでは…。
>>58 >私の判断によって「あなた」の「正義の定義」は変わるの?
ですから「正義」とは「価値判断」と云っているのですが
あなたは↑に賛成ですか?反対ですか?
反対意見があるのならどうぞ述べてみて下さい。
因みに「価値判断」について意味が判らなければそうおしゃっていただけませんか?
>>98 私は正義が公平・公正で、基準はルールだと言ってるのですが。
3つ目について、正義=公平という私の立場からはその批判は全く理解できません。
正義の基準は別個に用意されるといっているのですが。
ジャンケンの例でいえば、ジャンケンのルールにきちんと従った結果はすべて公正なものです。
つまりルールに従っていれば何度連続で勝っても公正ですし、おそだしは一回きりであっても不正です。
2つ目について、アメリカの行為が条約(ルール)にきちんと基づいているのならJusticeといえます。
ルールに基づいていないのならば、公正とはいえません。強国のわがまま(不正)です。
1つ目について、貧富の差が公平でない(不正である)と考えるということは、それを公平でないと考える基準
(資本主義でない別のルール、あるいは資本主義を修正したルール)をあなたが持っているからです。
しかし、現実の資本主義社会のルールに従えば貧富の差は公正なものである(=正義である)といえます。
あなたの基準と現実の資本主義社会の基準が違うだけなのです。
それぞれの基準が、正当かどうかについては別の原理によって判断するしかありません。
具体的には、功利主義なら功利原理から、ロールズ正義論なら正義の二原理といったところでしょうか。
(最後の一行は詳しくないのでつっこまれても答えられないかもしれません)
117 :
考える名無しさん :02/10/21 18:01
正義が、真、善、美などの他の徳目と比べて、力(権力)と密接な関係を持ってい るものとして語られるのは何故?
118 :
考える名無しさん :02/10/21 18:10
>>117 真・善・美も実は力(権力)と関係あるけど、正義ほど力との関係が
密接に見えないということではないかな。
>>117 力(権力)が、
正義(法)を生み出す役割を負うという「必然」があるからではないかと。
120 :
考える名無しさん :02/10/21 18:22
>>119 つまり、力は正義の母であるということ?
母か父かは知りませんが・・・、 正義(社会秩序、ルール)を作る「権利」には同時に 正義(社会秩序、ルール)を護る「義務」が生まれますよね、 ですから必然的に力と結びつくのでしょう、「力無き正義は無力なり」と言いますからね。 誰も力の無い者にそれ(権利&義務)を任せようとはしないし、 当然、力の無い者が自分で得る事は出来ませんよね。
122 :
( ´Д`)関係ない人 ◆fbX68HQoC2 :02/10/21 18:38
ガンジーの「非暴力・不服従」は正義とはいえないのでつか?
123 :
考える名無しさん :02/10/21 18:46
>>117 真善美はそれぞれ究極の真、究極の善、究極の美が想定されうる。翻って究極の正義は考えられない。
あるとすれば、究極の基準(例えば究極善)に従った公正さにすぎない。
悪法に対して不正だとけちをつけることができるのは究極の基準(またはより良い基準)を想定しているから。
正義がなされているかのチェック機構に権力が必要となる。
行政が不正を働けば、司法がチェックを入れるという風に。
正義に強制力がなくては(司法に権力がなくては)ルールがまもられない(悪政になり得る)。
#例えば、三権が分かれていない政体だと(我々の基準に照らしての)悪政が正義になりえます。
#きちんとした手続きにのっとって、ルールを作りそれを行えば正義であるから。
#権力が分離していないことを不正だとする我々の別の基準に照らせば、不正だとしか言い様がありません。
124 :
考える名無しさん :02/10/21 18:52
>123 >真善美はそれぞれ究極の真、究極の善、究極の美が想定されうる。 それは誰が何によってどのように想定するのですか? 力のないものに究極の真、究極の善、究極の美の想定などできないでしょう?
>116 公準は行為を正当か不当化かのいずれかに振り分けるように生成する。 公準がありそれについての公準がありそれについての・・・・・ではない。 フィードバックループ。
126 :
考える名無しさん :02/10/21 18:54
力なんてあるのかね。
127 :
考える名無しさん :02/10/21 18:58
>>122 非暴力・非服従が違法であれば不正です。
合法的な活動であれば、正義といえます。
また、非暴力であれば良いことであるという信念(という基準)を持つ人から見れば、
非暴力でありながら服従しないことが正義をなしているように見えると思います。
>>121 は力がなければ正義がきちんとなされないかもしれないといっているだけで、
すぐさま正義でなくなるわけではありません。
#実際には、ガンジー達がやったことは相当な圧迫感があった(力を持っていた)と思いますが。
128 :
考える名無しさん :02/10/21 19:15
>>124 何が真善美かについては人それぞれ違うと思います。なにが究極の〜であるかについても。
力がなくても考えられると思いますが。
それらが人に受け入れられるかどうかは別の問題です。
合理的で説得力がありさえすれば究極〜はあるといえます。
(私の立場ではないですが、プラトンなんかは力なしに想定し、説得力をもって受け入れられていたのでは?)
(私自身は究極〜については懐疑的ですが。)
>>123 は、究極〜に「私の」とか「私が信仰する宗教では」とかつけてもらったほうが分かりよいかと思います。
一段落目の論点は、正義は単に正義であって究極の正義というものは考えられない。
(あるとすれば、それは究極の基準にもとづいた正義であるということです。)
129 :
( ´Д`)関係ない人 ◆fbX68HQoC2 :02/10/21 19:16
127さん、ありがとうございます。 なるほどナー。「非暴力」でも、「(圧迫)力」はあったと言う訳ですね。。。 逆に考えてみて 「正義さえあれば、それは いずれは力と成る」みたいな考え方は可能でしょうか・・・
130 :
( ´Д`)関係ない人 ◆fbX68HQoC2 :02/10/21 19:20
あ、「究極の正義」なんて存在しないのでしたね。。。 では、今の質問は愚問でした。取り下げまーす。
>>125 >公準は行為を正当か不当化かのいずれかに振り分けるように生成する。
禿同です。
>公準がありそれについての公準がありそれについての・・・・・ではない。
基準の選択はどういった基準でなされるのでしょうか?その基準(基準の選定基準)は
功利主義者なら功利原理、ロールズなら正義の二原理に行き着くのではないか、ということです。
「公準がありそれについての公準がありそれについての・・・・・」となるのではなく、
「基準がありそれの選定基準として功利原理or正義の二原理がある」、ここで終わりです。
もちろんこの2つの立場のほかにもいろいろあるでしょうが、倫理学の議論としてはいづれにしろこういう結果になると思います。
>>125 さんは基準の選定についてはどのようななされるべきとお考えですか?
>>116 私がいってるのは正義は「謳われる・語られる」存在だと言ってるのです。
例えば2つ目の問題で、アメリカが「核拡散防止条約」に従ってるなら正義である。とあなたは述べてますがその条約自体が
強国及び先進国側のエゴで作られたものですよ。ルールに従うものが正義であるというならなら、強国はいくらでもルールを作れます。
極論をいうならば先進国が集まり、発展途上国を開発の名のもとに植民地化することも先進国で条約を作れば正義ということになりますが?
1つ目の問題はあなたは資本主義の貧富の差はルールに基づくから正義と言ってますが、貧富の差自体が「必要悪」なのですからそれは真の正義たりえません。
だから正義は語ることができるだけの存在と言ってるのです。
私は対立・対峙があるところに両者に正義はうまれる。といってます。
133 :
考える名無しさん :02/10/21 20:10
まだ先がみえないな・・。
134 :
考える名無しさん :02/10/21 20:13
>>132 正義=善ではない
正義=必要悪、である可能性は十分にある。
それぞれ正義を持っているんだろう?
それでいいじゃん。
135 :
考える名無しさん :02/10/21 20:46
いいじゃん
>>132 >強国及び先進国側のエゴで作られたものですよ。
>ルールに従うものが正義であるというならなら、強国はいくらでもルールを作れます。
同意します。
>極論をいうならば先進国が集まり、発展途上国を開発の名のもとに植民地化することも
>先進国で条約を作れば正義ということになりますが?
そのとうりです。ルールに従っているので正義といえます。
>1つ目の問題はあなたは資本主義の貧富の差はルールに基づくから正義と言ってますが、
>貧富の差自体が「必要悪」なのですからそれは真の正義たりえません。
正義と善(価値判断)を同一視してはいけません。正義とルールも同一視してはいけません。
「貧富の差は悪である」という価値判断が既に79さんには前提されています。
79さんはその価値判断に従ったルールこそが「真の正義」だとおっしゃいっているのです。
79さんのいう「真の正義」は「79が真だと考えるルール」に過ぎません。
例えば、社会主義のルールに従えば、貧富の差が発生するの不正となります。
また、「人間としての最低限の生活は保障されるべし」という信念を導入すれば、
資本主義社会においても極端な貧乏に陥るのは不公平だ、ということになります。
私は「ルールの運用の公正さが正義」と考えています。ルールの正しさが正義ではありません。
「貧富の差を無くすためのルール」があってもそれが公正に運用されなければ不正です。
多くの共産主義国家は素晴らしい信念に基づいたルールを作り出しましたが、
公正な運用がなされなかった結果、不正義になってしまったのだと考えています。
>>136 共産主義のくだりはあやしいですね。撤回します。
138 :
考える名無しさん :02/10/21 21:44
回します。
>>136 だから正義は対立する両者に互いが語るものとして存在しませんか?
アメリカとイラクの例でいえば、アメリカは(エゴによる)核拡散防止条約により履行しないイラクに対して正義をふりかざします。
イラクは中東に利権目的で覇権を及ぼすアメリカに対し防衛・攻撃という正義をふりかざします。
あなたはアメリカの正義だけを語るのですか?対立する両者に互いの正義はないというのですか?
お、
141 :
考える名無しさん :02/10/21 22:00
「互いの正義は常に存在する。」と、言う事ですか?
142 :
考える名無しさん :02/10/21 22:11
ヤベ ageちまった。
>>139 互いに異なる基準があるということです。
その基準を正義と混同するのが危険だといっているのです。
互いの基準に従った公正なやり方というのは当然互いに違います。
その結果、片方の正義だけを主張している、という主張が出てきますが、
これは単に片方の正義のよりどころとなる片方の基準を採用したということです。
「互いに正義がある」という言い方は「互いをそれぞれ正義たらしめるようなルールが互いにある」と言っているすぎません。
実際にどちらが正義かを判断するのは、当人たちのルールではなく、両者を扱うことができるような別のルールです。(国内には国内法、国家間では国際法)
アメリカの行動が、国際法上何の問題もなければ正義といえます。
これを例えば宗教などの別の基準でもって不正義と非難することは当然ありえますし、
国際法に照らしても問題があるのであれば当然に不正です。
アメリカにとって有利なルールが存在するということと、
アメリカの行為が正義であるということは違います。
そのルールが不公平だとあなたがいうとき、それはアメリカに正義がないということを意味するのではなく、
(別の視点から考えて)アメリカが則っているルールに問題があるということを意味しているのです。
私は二国家を「公正に扱うこと」が正義だと言っています。
扱い方のルールは国際法や条約にあるのではないかと述べたまでです。
「おれがルールだ」と「おれが正義だ」は違います。
145 :
考える名無しさん :02/10/21 22:16
>144 だれがルールをつくり。だれが正義ですか?
79と74のどちらかが教導者のような気がする
147 :
考える名無しさん :02/10/21 22:18
えびな
148 :
考える名無しさん :02/10/21 22:19
ル−ルに従うのが正義。しかし、様々なルールが存在しあい、衝突が起こる。 互いのルールに乗っ取った正義がぶつかり合い、その結果、最終的にルール を最強者が決め、正義が決定する。 そういうことですか?
>>144 発言にスライドがありますよ?
先のレスでは、先進国で条約を作れば植民地かも正義と発言してますが?
混同してますよ。
>>145 >だれがルールをつくり。だれが正義ですか?
日本であれば国会が法を作ります。
その法に反した行為は不正であるといわれますし、
きちんと則っていれば公正だといわれます。つまり正義であります。
正義という言葉のもつ性質は至るところで、たとえば子供同士のジャンケンだとか、
あるいは国際間のやりとりにおいても、一定していると思います。
ルールを作るものと、行為し判定するものが同一であった場合、
一見不正に見える行為が正義とされ、我々には受け入れがたく見えます。これは、
「ルールを作るものと、行為し判定するものは別であったほうが良い」という価値観に従っている、
つまり、別のルールからみて正不正を判断しているのだと思います。
151 :
考える名無しさん :02/10/21 22:39
覇権とはルールを押し付けることですか?
>>148 ルールをだれが決めるかは、場合によって違うと思いますが。
いつのまにか決まっているルールもありますし。(ルールの根拠を問うのはまた別の問題です)
>正義がぶつかり合い、その結果、最終的にルールを最強者が決め
最強者でなくとも良いでしょう。
国会においてはどの一票も(少なくとも形式的には)同じ扱いなのでは?
>>149 植民地も条約・国際慣習に則っているなら正義だと考えますが?
そもそもその条約が無効であれば、当然に不正です。
154 :
考える名無しさん :02/10/21 22:48
不正です
>>153 それがスライドしていると言ってるのです。
自分のレスを2つよく読みくらべればわかります。
私はエゴからくる条約について書きましたが、あなたはそれを正義と発言してます。
それを別のルールからみると正義でないというのはあなた自身が正義を混同しているということです。
ルールに対して公正かで正義を判断してるからではないですか?
私の正義は対立・対峙する両者に互いに「語れる」ものとして存在する。という意見のどこがあなたからみて
納得いきませんか?そこを知りたいです。
156 :
考える名無しさん :02/10/21 22:57
鯛です
>>155 >私はエゴからくる条約について書きましたが、あなたはそれを正義と発言してます。
再三申し上げたように条約(ルール)が正義なのではありません。
>それを別のルールからみると正義でないというのは
私の用語法が曖昧でした。
条約はルールです。条約を別のルールで見るというのは、ルールの選定基準に照らしてみるということです。
正義の基準はルールですがルールの選定基準は別個に用意されねばならない。
>正義は対立・対峙する両者に互いに「語れる」ものとして存在する。
正直よく分かってません。
ジャンケンでおそだししたかしてないかを言い合うということですか?
両者が語るのは、ルールに照らして正義か否かということだけだとおもいます。)
何が正義であるか不正義であるかはルールが決定します。
158 :
考える名無しさん :02/10/21 23:23
不正義=不正ですか? 何か違うような気がするのですが?
>>157 スライドのスライドはとてもよくないですよ。
>>136 のレスをよくよみました?
エゴからくる条約(ルール)に基づいた「行為」自体をあなたは正義と言ってますよ?
あなたの主張してる正義の定義をあなた自身が混同して発言してることもわかりませんか?
160 :
考える名無しさん :02/10/21 23:30
Justice 正義、公正、公平 Injustice 不公平、不正 なのでいいと思います。もともと翻訳後ですし。
>>136 の
>ルールに従っているので正義といえます。
これと
>>144 の
>アメリカの行動が、国際法上何の問題もなければ正義といえます。
これですか?
条約に基づいた行動は、ルールに則った公正な扱い(正義)だと思うのですが。
正義=公正さ・公平さという定義に矛盾しているようには見えません。
生物は、自然環境に適応し、同一性を維持することが強さ。 社会も同様に、自然環境に適応し、存続していくことが、その社会の 強さ。 そして、その為の方法論が正義になる。社会は社会の存続に不必要な ことを排除するためのチカラを持ち、それを使った脅しが法だと思う。
>>161 いえいえ。
条約に基づいた行動はルールに則った公正な扱い(正義)といえる。
とあなたはいいます。その条約が先進国のエゴからきてることも
>>136 に書かれてます。
一方であなたは
>>144 で「2国を公正に扱うのが正義」と述べてるのです。
この点であなたの正義の定義をあなた自身が都合よく操作してますよと言ってるのです。
>>164 その部分は改めて読むと言葉が足りないですね。
「国際法に基づいて」二国家を公正に扱う、と言葉を補うと意味が通ると思いますが、
文脈から補えというにはあまりにも不適切でしたね。
加えて、その国際法や条約が先進国のエゴからくることを認めても矛盾にはなりません。
先進国のエゴからうまれた国際慣習・条約に基づき二国家を公正に扱う、ことは正義といえると思います。
「先進国のエゴからうまれた国際慣習・条約」が無効であるから不正だというのには賛成しますが、
それはすでにルール(法や条約)の選定基準の話になっており正義の本質的な問題ではありません。
(正義の基準たる)ルールを我々が選択する基準が、
社会・道徳・宗教によって左右されることは十分考えられますが、正義はそこまで関知しません。
166 :
考える名無しさん :02/10/22 01:27
話がずれて申し訳ないんですが、後世になって正義だったと認められる ことがありますね。例として(ナチスに抵抗して殺された人々は英雄だ。 南アフリカのネルソン・マンデラなど) 歴史が決める正義というのはありえますか?
>>165 あなたの意見よくわかりますし納得できます。
でもそこでルールに基づき正義を唱える側の相手にも通る、通らないは別にして、
相手側が掲げる正義も存在するとはおもいませんか?
ルールに基づき唱えられる正義と同様ルールを履行しない側が唱える正義も
「正義」という言葉で語られるものなのです。あなたがいう「基準」の違いですが。
それがもしもどちらかの正義がエゴからきているものだとしても、正義は「互い」が「唱える」ものです。
すいません。レスついてたら後日レスします。
>>167 たしかに争っている両者は互いに「正義は自分にある」というと思います。
しかしそれは、「ルールに従って公平に判断すれば私の側に分がある」と言いたくて「私が正義だ」と言っているに過ぎないのだと思います。
#ルールに反することを知っていてなおそう主張することもあるかもしれませんが。
#心の中では起訴事実を認めていたとしても無罪を主張する容疑者もいるとは思います。
法廷で争う二人も互いに「正義は自分にある」というと思いますが、
実際には法に基づいた公正な審理をへて勝訴になったものに正義はあります。
敗訴になったものも確かに正義を主張するでしょうがその事実を認めたとしても、
それが正義の本質を語っているとは思えません。
よく見てみれば、
>>6 は私の考えとは違いますね。
>>6 は
>英語でいうと同語反復だよ。正義も公正もJusticeだもんな。
と言っておきながら
>正義の基準は「公平さ」。
とも言ってる。なんで単純にイコールにしなかったんだろう?
(どうでもいいのでsage)
171 :
考える名無しさん :02/10/22 04:31
さげ
172 :
考える名無しさん :02/10/22 04:49
まだやってんの?
173 :
考える名無しさん :02/10/22 04:53
自分に正義はないといっている人には打つ手ないってことですか。
174 :
( ´Д`)関係する人 ◆fbX68HQoC2 :02/10/22 12:53
読んでて思ったんですが 79さんが言っているのは「子供の正義」(自分以外を律する正義)で、 74さんが言っているのは「大人の正義」(自分も含めて律する正義)なのではないでしょうか。 果たして、今の世界を牛耳っているのは どちらの正義なのでしょう・・・
175 :
考える名無しさん :02/10/22 13:00
でしょう
>>169 どうやら根本的なところであなたと私とでは見解が違うようですね。
私は「語られるもの」としてしか正義は存在しないという見方です。
公正・公平なことは実際に存在します。それはルールというものが存在するからです。
しかし「正義」は不正なものにだけ対抗するものではなく、公正なものに対しても対抗できうるものです。
真の完璧なルールが存在するならば、「正義」は「語られるもの」としてではなく「実際の存在」になりうるでしょう。
でも現実問題として完全無欠の公平なルールというのは存在しえません。
だから「正義」というのは「公平・公正」と違い「謳われる・語られる」だけの存在なのです。
177 :
考える名無しさん :02/10/22 18:47
なのです
178 :
考える名無しさん :02/10/22 19:26
でもさ、いまのアメリカが、主張してる「正義」って、まったく説得力ない。 正義を主張できてしまうようなやからは、正義には、自分の本音(例えば、米国の正義は 、正義=国益になっているという部分を、きれいさっぱり無視してる)を見せないことによって、主張できるという部分がある。 そういう、うしろめたさがまったく存在しないかのごとく無視できる根性のやつが、正義をふりかざす。
179 :
( ´Д`)関係する人 ◆fbX68HQoC2 :02/10/22 19:46
その昔、「世界大戦」なんてものをやっていた頃は、どの国も無邪気に「子供の正義」を振りかざしていました。 しかし、「核兵器」などという物が発明されてしまった為に、世界は「大人」にならざるを得なくなってしまったのだと思います。 大国の支配者達は、恐らくこう言いたいのではないでしょうか。 「本当は大人になんかなりたくなかったんだ!!!!!!」
180 :
考える名無しさん :02/10/22 19:53
真の正義とは何で在りましょうか?
181 :
考える名無しさん :02/10/22 20:00
きっと、真の悪が現れたときに、真の正義が。。。
182 :
考える名無しさん :02/10/22 20:03
「真の正義は爆発だ〜」って、かっこ良いですか?
>>176 79さんの言いたい
>「公平・公正」と違い「謳われる・語られる」だけの存在
には同意しかねるな。
>しかし「正義」は不正なものにだけ対抗するものではなく、公正なものに対しても対抗できうるものです。
というのはつまり片方は正義(公正)でない。
つまり「謳われる・語られるだけ」でない正義があるということだろう。
誰もが正義を「語れる」が>>74さんは、公正な一方だけが正義だと言っていませんか?
実際の国際情勢では「両者共に不正」と言う場合が多いためか
>>79は「社会に認められた正義」と「語れるだけの正義」をごちゃまぜにしているように見える。
184 :
考える名無しさん :02/10/22 21:39
いや〜。 >181って、ちょっとまじめに答えたつもりなんだけど、 >1の答えの、仮の答えになってない?みんな正義!正義!って言うきりで。 181も明確にしておく必要があるのではないの。
正義って結局、強いものが作る定義のような気がする。 弱者の正義って、あってないようなものに見える。
186 :
考える名無しさん :02/10/22 22:08
では、正義とは、「力の強いものが言ったこと」という意味かね。
>>183 >つまり「謳われる・語られるだけ」でない正義があるということだろう。
違います。さきのレスでいってる公正・不正というのは74の言う「あるルールに基づいて」それに対して「公正」な正義と
そのルールに対して「不正」といえる側の正義であり、「不正」といわれる側もそちら側からの別の基準に基づく正義を語れるのです。
あなたが言う「社会にみとめられた正義」というのも、その社会側が「語る」だけのものですよ。
別の社会からみるとその正義は正義たりえないことは十分にあります。
アメリカのエゴからくる「正義」はその最たるものでしょう。
188 :
考える名無しさん :02/10/22 23:00
ロールズスレのやつらがバシッと言ってくれればいいのにな あいつら何のために正義論読んでるんだ
>>187 アンタ何言ってんだ?
二者間に共通のルールが無きゃ「正義」なんて、そもそもあるわけねーじゃん。
無いものを「語るだけ」とか言って、 一緒くたにしちゃってんだ・・・・
190 :
考える名無しさん :02/10/23 05:02
いろんな正義があるんだ。
191 :
考える名無しさん :02/10/23 08:02
終了」
>>185-186 弱いものいじめはいけないってルールも確かにあるよね。
法律のレベルじゃなくても。
そういうルールってのは、根拠はともかくとして弱者の(ための)ルールと言えると思う。
193 :
考える名無しさん :02/10/23 08:35
おもう
194 :
考える名無しさん :02/10/23 10:38
>弱いものいじめはいけないってルール ルールかな? 道徳じゃない?
195 :
わからないわからない :02/10/23 11:07
氏自身の脇が甘く、トリマキ寄せ付けた―― 淋しがり屋なのかもしれませんね。 えっと、私事忙しくなってきたので、 しばらくPC閉じます。 (モバイル携帯の必要のない単なる出張です。 まあ、半分遊びです。おいしいものでも食べてきます(^^ゞ)
196 :
考える名無しさん :02/10/23 15:37
きます
>>189 あなたは一面的なものの見方しかできない気の毒な人ですね。
それとも夢の中のキレイゴトの世界のおはなしをしたいのですか?
ルールに基づく公正さから語れる正義しか存在しないのですか?
己または己の属するものにとっての利益・不利益から語れる正義も本質的なものですよ。
民族・宗教・思想など、この世界にはあらゆる対峙するものがあるのですよ。
ま、
>>189 とまっとうな議論はできませんね。
198 :
考える名無しさん :02/10/23 16:38
せんね」
199 :
考える名無しさん :02/10/23 19:35
>>197 このスレッドの議論の仕方が正義じゃないってことなんだろうか?
200 :
考える名無しさん :02/10/23 20:09
「正義の定義に不正があるのじゃ!!!!」と、言うのは 真でしょうか? 偽でしょうか?
201 :
考える名無しさん :02/10/23 20:17
定義は恣意的にするもんだから、「矛盾」はありえても、 「不正」は無いでしょ。
202 :
考える名無しさん :02/10/23 20:24
正義って二重の意味を持ってるね 「正義」(建前的な)と「公正の正義」で正義の訳を変えたほうが良くない?
203 :
考える名無しさん :02/10/23 20:27
「建前の正義」と、「公正の正義」は何か違うの?
204 :
考える名無しさん :02/10/23 20:31
うの
>>203 正義は存在しないから正義を考えるための公正の正義を考える必要がある
て誰か言ってなかったっけ?
206 :
考える名無しさん :02/10/23 20:45
たっけ
207 :
リナイ・ンバス :02/10/23 21:32
暴れるモンスターあらば叩きのめし、 かがやくお宝あらばむりやり独り占め。 大胆不敵、電光石火。正義はあたしの為にある!
208 :
考える名無しさん :02/10/23 21:37
あたし
209 :
リナイン・バス :02/10/23 21:47
>>207 実は、「勝利はあたしの・・・」なのでした。ざんねん。
210 :
考える名無しさん :02/10/24 03:03
>>197 上の方で74も言ってたが、「語られる存在」って実質的な意味がないだろ。
そんなことを言い出せば、善悪、真理なんでもかんでも人によって解釈の分かれる概念だったら対抗意見があれば、立場の違うもの同士の両者から「語られる存在」です、と言えてしまうじゃん。
正義だってなかなかはっきり見え難い抽象概念だから79ももっともらしく語ってるけど、
「雲ってなんですか」
A「水蒸気の集まりです」
B「大きい綿飴だよ」
雲は両者から「語られるだけの存在」なのである。
具体的な概念だったらこんな感じだぞ。
「ルールに基づいた公平さ」とより具体的な説明をした74の方がまだ賢いぞ。
211 :
考える名無しさん :02/10/24 04:00
電波召喚するのはやめれ。 と言いつつ期待あげ
212 :
考える名無しさん :02/10/24 05:00
age
>ルールに基づく公正さから語れる正義しか存在しないのですか? しません。 >己または己の属するものにとっての利益・不利益から語れる正義も本質的なものですよ。 ×本質的 ○根源的 この違いがあなたには理解出来ていないのですね。
215 :
考える名無しさん :02/10/24 06:18
216 :
考える名無しさん :02/10/24 10:12
ブラクラ
217 :
考える名無しさん :02/10/24 22:32
>>205 その、「考えた公正の正義」は「正義」ではないの?
218 :
考える名無しさん :02/10/25 02:27
「正義には虚と実がある。」と言うのは 真でしょうか? 偽でしょうか?
>>210 肝心な「両者により」がぬけてます。
>>210 のレスを見る限りあとはあなたの読解力の問題です。
>>213 論理展開のない感想文ですか?
します。
理解してます。
だんだん反論者の質が下がるのは興味深いが、正直つきあいきれないです。
まっとうな反論や他のもっともだと思えるすばらしい定義はでないのかな。
いちゃもんレスはかってにやっててください。
220 :
考える名無しさん :02/10/25 04:27
「正義には素晴らしい定義が必要である。」と、言うのは 真でしょうか? 偽でしょうか?
>>219 私はてっきりあなたが理論上、些細な勘違いを抱えているのかと思っていましたが、自信満々
本気なんですね・・・・・。
誰か79の話に賛成出来る人っているのかな・・・?いないか?(´Д`;)
こういう時、他の人はどうするんだろう?やっぱこういう時に他人を見限ってしまうんかな・・・・?
79の弁護者、希望。
>己または己の属するものにとっての利益・不利益から語れる正義も本質的なものですよ。
誰か、これのどこが「本質」なのか証明・・・いや、説明してみせてくれ・・・・。
(「本質」と「根源」の違いが分かる & 「絶対に」満8歳以上、限定で)
(T-T )・・・・分ってる・・・・いないんだろうけどサ・・・・・。
222 :
考える名無しさん :02/10/25 10:56
「利益・不利益から語れる正義も本質的なものとして定義する必要がある。」と、言うのは 真でしょうか? 偽でしょうか?
223 :
考える名無しさん :02/10/25 11:04
224 :
考える名無しさん :02/10/25 11:27
バカではあるが、リコウではない。
正義とは大局的にみた自己利益
226 :
考える名無しさん :02/10/25 18:01
「いかなる正義でも、それを合理的に説明できる仮説は、無限にある。」と、言うのは 真ですか? 偽ですか?
227 :
考える名無しさん :02/10/25 18:58
>>223 ならば、正義は存在するのでは?
「建前でない」ことが何か関係あるの?
228 :
考える名無しさん :02/10/25 19:39
1.正義とは、無法者が自己正当化する偽善用語といってみる。 2.もうひとつは、私欲以外の動機で他者の不正を暴く人といってみる。←やっぱりこれは正義?嫉妬?余計なお世話?
229 :
考える名無しさん :02/10/25 19:41
偽善って何?
正義とか口にするやつは、物事を単純化してしまって、肝心な問題みえなくしてしまっている。 それに、正義を主張しだすと。そいつの本心が、みえかくれするもんでしょ。かっこわるいから まともな人は、そうそうくちにしないでしょう。ブッシュをみれば一目瞭然いまどきは、 馬鹿しか口にしない言葉。それに、正義って、歴史をふりかえればわかるように、事後的に判断 できるもので、事前には、わからん。時の経過がこたえをだしてくれるもん。警察だって事前に正義 を行使するよか、事後のことが多いし、かならず、事後に裁判でその正義の正当性が検証されるし、 だから、現実には、「事前」にその正当性を主張できるような、正義はない。だから、正義かどうかは、 ホントの所、事後的にしか、かたれないもの。正義が存在するのしないの論じても意味がない。
231 :
考える名無しさん :02/10/25 20:20
絶対に事後的にしか判断できないとすると、 職責として正義を判断しなきゃならん人はどうすりゃいいんでしょう。 裁判官とか、それこそ政治家とか。
232 :
考える名無しさん :02/10/25 20:37
>>230 74とか79とかは恥ずかしいヤシってことだな
233 :
考える名無しさん :02/10/25 20:53
政治家に正義を「言わせてる」のは国民じゃないの?
234 :
考える名無しさん :02/10/25 21:09
>>231 >職責として正義を判断しなきゃならん人はどうすりゃいいんでしょう。
>裁判官とか、それこそ政治家とか。
違法、合法、法改正で通用すると思います。そこに正義の概念を持ち込むと
自己を絶対化して他者排除にやっきになって問題を発生させていると思います。
>>230 正義と善悪を混同させるのはよしな、ボーズ。
「時が判断する」なんてのは、
結局、いつまでも「変化し続ける」ってことだ。
善悪ってのは結局個人の価値観だが、正義はそうじゃない。
解ったような事が口にしたいのなら、ちゃんと自分で考えるこった。
焦るのはよくねえな。
_、
( ,_ノ) y━・~~~
236 :
考える名無しさん :02/10/25 21:21
>>234 というか、「法に適う」のは「法における正義」だけれど。
正義の概念をもちこまずに、どうやって裁判をしろと?
>>236 おっしゃるとおり「法は公正の概念」を用いるべきです。ただ私は「正義」
という言葉を止めて「公正」を使用した方が適切だと言いたかったのです。
正義、善悪で議論すると概念が抽象的である上、排他主義や感情論に陥り易く
冷静な判断ができなくなると思います。そこで、もうすこし事務的かつ理性的に
対処するために、単純に違法・合法で議論した方がスマートだと思ったのです。
理想論かなあ。(不正者は悪でもなく、違法者という考え方です。)
238 :
考える名無しさん :02/10/26 02:35
>>237 >という言葉を止めて「公正」を使用した方が適切だと言いたかったのです。
公正と正義は何が違うんだね?
>正義、善悪で議論すると概念が抽象的である上、排他主義や感情論に陥り易く
正義、善悪は別に抽象的じゃないし、直接的には感情とは無関係だが。
239 :
( ´Д`)関係ない人 ◆fbX68HQoC2 :02/10/26 15:03
僕は正義というのは単に「無矛盾」のことだと思ってますた。 「目的を達成する為に、なされるべき事と矛盾する事」は、すべて「正義ではない」のだと。 つまり、「目的の数だけ正義が存在するのだ」と。 「社会全体の利益」を考えた場合の正義と、 「個人や一国の利益のみ」を考えた場合の正義とでは、矛盾するのは当たり前なのでは。
正義は悪を生む。簡単だ。
241 :
( ´Д`)関係ない人 ◆fbX68HQoC2 :02/10/26 15:33
そうすね。 「正義」すなわち「無矛盾」にとったら 「矛盾」はすなわち「悪」です。 相反する正義と掲げるもの同士は、 「自分の正義と矛盾する対象」を「悪」と認識するわけですね。
242 :
( ´Д`)関係したい人 ◆fbX68HQoC2 :02/10/26 15:37
つまり、「みんなに通用する完全な正義」が欲しかったら、そのまえに 「みんなをひとつ」にしなくちゃなんないんですよね・・・ 宇宙人でも攻めてこない限り、コンナノ ムリ。
243 :
考える名無しさん :02/10/26 21:42
正義はだれにとっても同じだよ。 共通していないのは目的だ。
244 :
考える名無しさん :02/10/27 01:53
なんでみんな正義といったら悪なんだ?戦隊物の見すぎか?
245 :
考える名無しさん :02/10/27 02:24
>>239 目的合理性が正義という定義? 「この目的のためには、この方法が一番正しい」というときの「正しい」のことか。 「正しい」と「正義」って同じなんだろか? この場合の正しいって「理に適った」ぐらいの意味だとおもうんだけど。
246 :
考える名無しさん :02/10/27 02:43
>>241 >相反する正義と掲げるもの同士は、
>「自分の正義と矛盾する対象」を「悪」と認識するわけですね。
>>245 見てなるほろと思ったんですが、そうするとここが少し分かりにくいです。
正義が目的合理性だと解釈すると、それは目的のための手段の適切さですよね。(
>>239 はそういうことを言ってるように見える)
だとすると、「相反する正義と掲げるもの同士」というのは、「相反する手段を掲げるもの同士」で
「自分の正義と矛盾する対象」は、「自分が適切と考える方法と矛盾する対象」と読み替えられると思います。
a)「相反する手段(相反する正義)」とは一つの目的のための二つの手段なのか?
b)「自分が適切と考える方法と矛盾する対象」の「対象」とは何か?目的なのか手段なのか
c)「悪」とはなにか?「対象」なのか「自分の側でない正義」なのか
と疑問が湧きました。
>>241 さんの正義が目的合理性でないのなら意味のない疑問なんですが。
(ある目的のための手段の手段としての無矛盾性ならやっぱり目的合理性に見えますが)
247 :
考える名無しさん :02/10/27 03:07
>>246 に自己レスさせてもらうと、
>>241 の一段落目と二段落目では正義の意味が変わってるとおもうのです。
一段落目は
>>239 を受けての目的のための手段の無矛盾性と理解しますが、
二段落目の正義は手段ではなく目的のほうにスライド(やな言葉ですが)してる気がします。
理由としてはこの正義を手段として捉えると
>>246 に挙げたような疑問が出てくる。
仮に、
>>241 さんには不本意かもしれませんが目的として取ってみると、
>相反する[目的]を掲げるもの同士は、
>「自分の[目的]と矛盾する対象(目的と解釈します)」を「悪」と認識する
これなら意味の通りがよいと思われるのですが、しかし
>>239 にマッチしません。
これが手段なら
>相反する[手段]を掲げるもの同士は、
>「自分の[手段]と矛盾する対象(手段)」を「悪」と認識する
目的に対し最も適切な手段が2つあったとしても悪とまでは言わないのではないかと思います。
>>246 のbとcにも即してやろうかとも思ったんですがそうすると文脈がめちゃくちゃになることに気付きました。
bとcは取り下げます。
私自身は正義を目的合理性ととるのは(
>>239 の発想は)おもしろいと思うのですが、
「
>>241 の文はまずいと思う。それを前提にした
>>242 も未検討ながらあやしいんじゃないか」
を言うために長々と粘着レスしてすいませんでした。
248 :
考える名無しさん :02/10/27 04:14
>>194 道徳って一種のルールじゃない?ルールもいろいろあるでしょ。
自分で自分に課した生活習慣からスポーツやゲームや社会的な規範、法律に至るまで。
実効力がある(ない)、というのと正義がある(ない)ってのは別の問題。
「間食しない」って自分で決めたルールは破っても誰も文句言わない、でも、自慰をしたことですごく気に病む人もいる。これは内的な制裁があるかないかという話なので実効力はほとんどないが、善い人は大体自分を律してる(内的制裁を行ってる)。
道徳なんかだと、「あいつは弱いものいじめだ」って陰口たたかれたりする。これが制裁になるかどうかは感じ方次第になるので効力は人によって違う。
法律だと国家の後ろ盾(警察なんかの法的制裁)があるからかなり強力な実効力がある。
国家間だと国際習慣(国際法って言うのかな)だけど実効力は、国家内の法律に比べたら小さい気がする。
実効力が小さい正義に関しては無視されがちだけど無いとは決していえない。
正義の話で法律がよく出てくるのは、国家という強制力を前提できるから話がわかりやすいからだろう。
んで、国家間の話を国内法に関する話と同じレベルで語ろうとするから(同じ程度の実効力があると思って話そうとするから)
強者の正義云々って話がややこしくなってくる。
249 :
考える名無しさん :02/10/27 04:16
改行してください。
>>249 小さいディスプレイだと改行しない方が見やすかったりするのよ。ごめんね
251 :
( ´Д`)ホントは関係したい人 ◆fbX68HQoC2 :02/10/27 08:33
246さん、レスありがとうございます。 レスさせていただく前に・・・お気付きかと思いますが、241の 「相反する正義と掲げるもの同士は」の部分は 「相反する正義を掲げるもの同士は」の間違いです。 ちゃんと見直さずに書き込んでしまいました。ゴメンナサイ。
孫正義のこと
253 :
( ´Д`)ホントは関係したい人 ◆fbX68HQoC2 :02/10/27 08:57
では、早速レスさせていただきます。 a)「相反する手段(相反する正義)」とは一つの目的のための二つの手段なのか? >「二つの目的の為の二つの手段」です。 「目的」の数だけ「正義」と「手段」は存在します。 これら二本の線が交わらない場合は、「利害が絡まない関係」なので、 お互い 知らん顔です。 b)「自分が適切と考える方法と矛盾する対象」の「対象」とは何か?目的なのか手段なのか c)「悪」とはなにか?「対象」なのか「自分の側でない正義」なのか >bとcには、まとめて答えさせて頂きます。 「自分が適切と考える方法」を運用する際、「邪魔になるものすべて」が「悪」です。 目的だろうが手段だろうが国籍だろうが性別だろうが、 「正義」を掲げる者は、それら全部を「悪」と、ひとくくりに認識し なんとか排除しようと目論むものです。 その際「手段は問いません」。(だって「正義」なんだものw)
254 :
( ´Д`)ホントは関係したい人 ◆fbX68HQoC2 :02/10/27 09:06
などと、シニカルな主張をしつつも、 僕が考える「本当の正義」とはこれらのものとは異なっております。 その気持ちを隠したまま、適当なカキコをしてしまったばかりに いびつな文章になってしまいました。 あらためて後悔し、お詫びさせて頂きます。 (じつは242なんか全然本心じゃありません) 本心についてはナイショにさせてください
255 :
考える名無しさん :02/10/27 09:52
>>245 正義とは「理に適った」ことじゃないの?
正義という言葉が在る限り其処に答えは無い。
何故?
258 :
考える名無しさん :02/10/27 19:12
菜 ぜ?
259 :
考える名無しさん :02/10/27 20:21
>>255 正義justiceという言葉におれが引きずられてる気がする。
justiceとrightはどう違うんだろうか?
rightは正しいとか権利とかいう意味があるけど。
フランス語のdroitやドイツ語のRechtには「法」の意味もあるみたい。
260 :
考える名無しさん :02/10/27 20:24
>>259 >justiceとrightはどう違うんだろうか?
right なことが justice でしょ。
法に従う事が(その法を定めた国家においての) justice だ。
261 :
考える名無しさん :02/10/27 20:27
>>260 英語の感覚ってよくわかんないんで(他の言語ならわかるというわけでもないけど)、
rightとlawとjusticeの関係をわかりやすく解説してもらえます?
262 :
考える名無しさん :02/10/27 20:31
>>261 いや、私も英語は英和辞典程度の知識しかないけど。
right = 正しい
law = 法
justice = 正義
として、日本語で話すことに何か不都合があるんだろうか?
>>262 不都合はないと思うのですが、ごっちゃになると話が見えづらくなるので。。。
日本語で話すときに常に原語を考えてないと漢字としての意味や日本語の日常用語としての意味に引きずられがちになるなあと。
justiceなら公正とかrightなら権利とかの意味がニュアンスとして背景にあるってことを理解しないといけないと思いまして。
264 :
考える名無しさん :02/10/27 21:01
>>263 ここでは共時的な意味だけ考えればいいと思うんだが。
具体的に、ごっちゃになって困っている点が何かあるの?
265 :
考える名無しさん :02/10/28 03:16
或 ノ?
正義他の定義は色々ありますが、まぁロールズの名前もよく出ていることですし、ロールズの定義に従うのが一番 楽かもしれません。ただ、ちょっと特殊で煩雑な定義ですが…というかまぁ哲学者はよく一般的な言葉を好きなよ うに定義し直して使ってたりしますが(笑)。 まず「正義(justice)」とは何か。社会制度の第一の徳(virtue)である、一番大事な資質であるとロールズは 言います。そしてこの正義は「分配の正義(distributive)」のことです。「分配」と言っても富や収入だけでな く、自由や権利、機会なども含みます。こういったものは、国家がなければ皆自然のあるがまま、自由のままです が、国家があるということは、これらの自然の分配に少し手を加えると、言うわけです。何らかの必要から。その 作法に関わる原則が正義であるということです。 正義というのは、社会制度に関わる道徳的価値、規範のことです。だから正義論というのは規範政治理論です。こ れは、より大きなカテゴリである道徳理論のサブカテゴリと言えます。ということで(1)規範「政治」理論、 (2)一般「道徳」理論の2つのタイプの理論がある、ということです。 じゃ、ロールズが唱える規範政治理論、道徳理論はどんな種類のものなのか。ここで「公正(fairness)」が出て きます。ロールズの政治理論、道徳理論の特徴は「公正」です。ロールズは公正こそが正義、道徳の神髄であると 言います。だから、彼の政治理論は「公正としての正義(justice as fairness)」と呼ばれます。道徳理論に関し ては、用語法が少々ややこしいのですが、「morality as fairness」とは呼ばれず「rightness as fairness」と 言います。「道徳」ではなく「正(right)」を使っている。しかし道徳=正ではありません。正もまた道徳の一種 です。道徳的価値を扱う概念には2つ主要なものがあるとロールズは言います。一つは善(good)、もう一つは正 (right)。その違いは、無論、後者が「公正」の概念に基づく、ということです。だから、この正というのは基本 的に「morality as fairness」と同じ意味ですので、「rightness as fairness」はある意味同義反復になってい るわけです。fairでないrightnessはありませんので(fairでないjusticeはあります)。
まず(1)道徳理論と、そのサブカテゴリである(2)正義論(政治理論)という、理論の【研究対象】に関して の分類がある。次に、理論【自体のタイプ】として、(ア)「善」理論、(イ)「公正」理論がある、とすると分 かりやすいかも知れません。1+イでrightness as fairness、2+イでjustice as fairnessです。 社会、政治に関わる「正義(justice)」、より一般的な道徳に関わる「正(right)」。そして「公正」はその理 論の種類を言うもの。「公正としての正義」論のライバルには、功利主義などがあります。で、「公正」とは一体 何なのかと言いますと、ぶっちゃけた話、「原初状態において合理的選択されること」に他なりません…それの何 が一体「公正」なのか?!と一般の人は思うかも知れませんが(笑)。何が公正(フェア)なのかと言えば、多分、 無知のベールの中で理想社会を統べるためのルールを選べば、特定の個人を利することのない「公正」なものが採 択される事だろう、ってな意味なんだと思います。とにかく、ロールズはこのように特殊な定義を「公正」に与え ているということです。 この公正の概念定義は、善、正の違いにも影響してきます。「正しい」道徳ルールというのは、原初状態で選ばれ た公正なもののことです。一方、「善い」は違います。これは逆に無知のベールによってはじき出されてしまう価 値基準一般、と言ってもいいでしょう。例えばキリスト教の価値観だとか、チョコレート好きだとか、そういった 具体的かつ実質的(substantive)な価値です。一方、「正しい」の方は形式的(formal)で手続き的(pricedural) な、よりアブストラクトな価値になっています。例えば格差原理は、基本財(primary)を社会の弱者を利するよ うに再分配すべし、と言うだけで、具体的にどの人に幾ら恵んでやれ、だのといったことは規定しません。
なんで正義を問うのにおいて「公正」が重要なのか?というと、公正であれば皆がそのルールに同意できるとロー ルズは信じるからです。中立な、公平な、偏らない立場から選ばれたのであれば、誰も文句を言うはずはないと。 中立性、不偏性というのは、ロールズだけでなく多くの道徳哲学においても重視される要素です。なぜなら、中立 性、不偏性は、その主張の客観的正しさにも繋がると考えられているからです。つまり、「正義は強者が自分に都 合がいいことを謳っているだけ」じゃないよ、と。 しかしこの「公正」は原初状態という形而上学的な概念に基づく論証であり、そんなものを使っている時点で「公 正」中立じゃないぞ、という批判が出てきます。それでロールズは『政治的自由主義』に移ります。抽象的な無知 のベールによる公正ではなく、今度はより現実的な「重なりあう合意(overlapping consensus)」による政治的 妥協が正義の基礎だと主張します。これもぶちゃけて言うと、みんなが自分勝手な正義をふりかざして戦争してた ら永遠に平和は訪れないので、どっかで妥協して争いごとは止めましょう、というようなことです。キリがないか ら互いに干渉するのはやめて、寛容になりましょう、「自由」にしましょう、と。
269 :
考える名無しさん :02/10/31 14:05
鵜、 ト?
270 :
考える名無しさん :02/11/02 00:34
「スレを読んで」 2年F組 ●峯●朗 日本人の正義観に勧善懲悪モノの影響がけっこうあるような気がしました。 正義と善との同一視、正義の対立概念を悪とすること、 正義の実現を保証するのは「力」であるという考え方、など。 逆に日本人の正義観から勧善懲悪モノが生まれたのかもしれないですけれど。 どうなんでしょうか。
271 :
考える名無しさん :02/11/02 00:39
規律について善であることを正義と言い、 善であるから、力があるんじゃなかろうか。
何年か前に政治資金規正法が改正されて、 政治家個人への企業献金が禁止されました。 ところが某政党の政治家のおっさんたちは、 新たに自分の選挙区に設けた政党支部の代表者となることで、 その政党支部への企業献金をフトコロに入れ続けています。 これは法律に違反していないし、 これに関する慣習的なルールも存在しません。 誰か具体的な被害者がいるわけでもないですし。 でも、正義が行われているとは思えないのです。 これを不正義と考えるとき、その根拠は? あるいは、これは正義である?
>正義と善との同一視、正義の対立概念を悪とすること、 こいつは正義と善の違いをちゃんと把握してるのだろうか?(藁
274 :
考える名無しさん :02/11/02 08:56
だろうか?
275 :
考える名無しさん :02/11/02 11:02
うか?
悪も極めると正義になる。
オルメタはマフィア社会の正義。
278 :
考える名無しさん :02/11/02 17:43
279 :
ゲチェナ ◆dSI3Z2iJLE :02/11/02 17:50
強者の正義がまかりとうる世の中だから正義の定義は強者による。 これを専門家は「ジャイアンの法則」と呼ぶらしい。
善を他者の利益となる行為 悪を自己の利益となる行為 とするなら 悪を極めるという事は、自己の利益の追求とすると 他者との関わりも考えて善に近づき、 他者を含めた自己の利益となり正義となる。
281 :
考える名無しさん :02/11/02 21:26
> 善を他者の利益となる行為 > 悪を自己の利益となる行為 > とするなら するなよ。
>悪を自己の利益となる行為 馬鹿発見。
>>279 「まかり通ること」は必ず「正義」なの?
284 :
ゲチェナ ◆dSI3Z2iJLE :02/11/02 22:25
「ジャイアンの法則」」は正義ではない。強者の正義だ。 まかりとうるから正義であって、まかりとうることが正義ではない。
疑いうる、っていうことだけ追求してもなんにもならんぞ。 哲学的な懐疑はあくまで「方法的」に。 この手の擬似哲学スレが乱立しててウザい。
>>281 すまん、やはりちょっとおかしいか。
性善説と性悪説から持ってくるとこんな感じになると思ったんだけど。
俺はどっちかっつーと性感説だから。
>>287 西洋哲学の伝統では、
自分の利益となる行為をなすことは「自愛の思慮」に適った行為として肯定的に捉えられている。
290 :
考える名無しさん :02/11/03 02:18
>>272 法律というのは、国家によって強制力を持たされています。
どんな法も強制力がなくては効果を期待できません。
ところで、
>>248 にあるように我々はありとあらゆるレベルでのルールを持っています。
どんな行為も「よい、わるい、(どちらでもない)」を判定する時はルールに照らします。
法的に禁止されている行為は不正義と言われ、罰則が伴いますが、
法的に禁止されていない行為でも不正と呼ばれることはあります。
74が盛んに用いていたジャンケンの例がそれですが、
ジャンケンのルールを破ることは法的に禁止されているわけではない(強制力がない)ので、
破ったときの扱いは場合によります。(黙認されたり、非難されたりいろいろあるでしょう)
しかし、「不正を働いた」と言うことが間違いだとは言われないでしょう。
「政治家へ献金する行為」が正義であるか不正義であるか(あるいは判定不能か)は
どういうルールを適用するかによって決まります。
>>272 さんが、「正義が行われているとは思えない」と考えている以上、
そこには何らかの判断基準(ルール)が想定されていると言えます。
また、「政治家個人への企業献金」を禁止する法律があるということは(抜け道があるにしても)、
政治家への献金は世間的にも不当であると考えられているのだと思います。
さて、具体的にどんなルーを適用しているかは、世間・
>>272 さん・私で違ってると思いますが、
「楽をしてお金を手にするのはいけない」「働かずしてお金を得る事は不正である」と私はぱっと思いつきます。
更に、これらのルールの根拠を問うことは、煩雑で本当に哲学的な問いになると思います。
ここでは、
>>272 さんの疑問には「不正であるといい得る」とだけ答えておきます。
291 :
考える名無しさん :02/11/03 02:29
おれが正義だ 文句あるか
292 :
考える名無しさん :02/11/03 02:30
>>284 ここでいう「まかりとること」ってのは「まかりとおるという現象」ではなく、「まかりとおる事柄」だよ。
それは、「正義」なのね。
295 :
考える名無しさん :02/11/03 23:51
スレ最初の方のヤシで正義論を法実証主義であるかのように 書いてるアフォが笑える。
296 :
考える名無しさん :02/11/04 00:25
>>295 74? まぁルールだの何だのと滅茶苦茶な事になっているのは確かだが。
298 :
考える名無しさん :02/11/04 17:53
蚊 ダガ?
301 :
考える名無しさん :02/11/04 20:51
性技だったら、あります。 何か?
>>300 「強者の正義」だ。
そういう世界にあなたも俺も住んでいる。
303 :
考える名無しさん :02/11/05 10:37
禰 ル?
>>290 >さて、具体的にどんなルーを適用しているかは、世間・
>>272 さん・私で違ってると思いますが、
各人固有の基準で適用されるものを「ルール」と呼べるのですか?
ルールとか規則、あるいはもっと広げて規範というのは、
複数の人間によって了解されてはじめて意味をもつのではないでしょうか。というのが1つ目の疑問。
(
>>290 さんの言う「ルール」は「規範」と言い換えても差し支えないですかね?)
そして、適正な手続きによって人為的に作られたルール(法律)は、それなりの根拠があり妥当性があると思いますが、
それ以外に、間主観的なルールというのは存在し得るのでしょうか。
そんなルールがあるような気もするし、無いと言われれば無いような気もします。これが2つ目の疑問です。
あーなんか頭悪そうな質問ですね。
>>304 (自分)
あたりまえすぎて説明するのがめんどくさかったら、
「この本読め」とか教えてくれるとありがたいです。
>305 無いと思うが 強いて言えば手続きの適正さを明文化したルールでないかな?
>各人固有の基準で適用されるものを「ルール」と呼べるのですか? >ルールとか規則、あるいはもっと広げて規範というのは、 >複数の人間によって了解されてはじめて意味をもつのではないでしょうか。というのが1つ目の疑問。 個人が個人的な応対の際に準拠する規範は道徳規範、社会全体に関わるものは政治規範だとして、 個人が道徳的な行為をするための道徳規範には他人の承認はいらないですね。その規範が元々 どこから生まれてきたものなのか、ということまで遡れば少し話も違ってくるかも知れませんが、 個人が個人的な所用で規範を適用する限りは他者はあまり関係無い。 >そして、適正な手続きによって人為的に作られたルール(法律)は、それなりの根拠があり >妥当性があると思いますが、それ以外に、間主観的なルールというのは存在し得るのでしょうか。 宗教などは別に「適正な手続きによって人為的に作られたルール」ではありませんが、信者たちは 皆承認しています。
>>307 さん、
>>308 さん、ありがとうございます。
>個人が道徳的な行為をするための道徳規範には他人の承認はいらないですね。
それは道徳とも規範とも言えないのではないでしょうか。
自分オンリーのローカルルールを認めてしまえば、
よそからそれを「非道徳的だ」とか「不正義だ」と指摘できなくなってしまいますよね?
そんなのは「道徳かどうか」「正義かどうか」の基準にはなりそうにありません。
>宗教などは別に「適正な手続きによって人為的に作られたルール」ではありませんが、信者たちは
>皆承認しています。
では、宗教もルールであるとして、それがルールであることの根拠はなんなのでしょうか。
だれか信者が「こんなルールはおかしくねぇ?」と言ったとき、どうやってルールの正当性を説明するのでしょうか。
やっぱり神様を持ち出すしかないんでしょうかね?
(そんな信者は破門すればいいのかもしれませんが。)
310 :
ぺんぺん草 :02/11/05 23:32
正義とはその人の考え方で違うから断定しにくいよね。
私的言語が不可能なように私的規範も不可能なんじゃないかな
312 :
考える名無しさん :02/11/05 23:36
人の考え方によって「正義」が違うなら、 「正義だからいけない」と主張する人がいてもよさそうなものだが、 そういう人がいないのはなぜなんだろうね?
>312 可能なの? たった一人の規範というものは存在しうるの?
>>314 私的言語が存在しないとされている根拠を理解していれば、
それを直接規範に敷衍できないことはわかりそうなもんだが。
>>315 説明希望。
私的言語のお話を直接規範に敷衍できないとしても、
私的規範が存在するかどうかについてはどちらとも言えない気もしますけどね。
>315 私的言語の不可能性の根拠はかなりウィトゲンシュタインの感情に近いものが強かった気がする それほど明確な根拠には感じなかったな 哲学探究読んだのもだいぶ前だが
>316 すまん、もう落ちるから 後よろしく
いや、僕ももう寝ます(笑
320 :
ぺんぺん草 :02/11/05 23:55
おやすみなさい。(笑
>>309 >それは道徳とも規範とも言えないのではないでしょうか。
西欧哲学で「道徳哲学(moral philosophy)」等という場合の「道徳」とは、行為の善悪、
すべき(ought to)行為/すべきでない(ought not to)行為を説く教義、理論のことで
す。明示的な社会の「承認」は定義に含まれていません(例えば功利論も義務論も斯様な
承認は必要としません)。この最小限の定義を超えて「道徳」に「社会的承認」が必須で
あると言う事は、ある種の理論を提起しているわけですから、それなりの論拠が必要です。
「社会的承認」が何故に必要なのか。(1)日本人が日本語で一般に言う「道徳」という
言葉の定義の問題であれば、それは単なる社会学的な「事実」でしかありませんので、国
語辞典を引くなり言語学者がリサーチして調べれば済む事です。(2)道徳哲学としてこ
れが必須であるというなら、それはある種の「価値」を唱えているわけですから、何らか
の論拠が必要です。(3)恣意的な定義であれば、まあそれだけのものでしかありません。
>では、宗教もルールであるとして、それがルールであることの根拠はなんなのでしょうか。
それは個々の宗教の教義によるでしょう。哲学的な論証があるかも知れないし、神の啓示、
信仰が全てかも知れない。
>自分オンリーのローカルルールを認めてしまえば… まず、ある善悪の基準が(1)ある個人にのみ承認されていることと、(2)その基準が その個人の行為にのみ適用されるのとでは、全く別のことです。仮に自分の信じる善悪の 基準を他の人に承認されていなくとも、それを他人の行為に適用してはならないことには なりません。 例えば、法律で黒人奴隷を認めていて、その社会の白人構成員の大半も人種差別を当然で ある、黒人に市民権を与えるなど言語道断、異人種観結婚など不道徳の極みだ、と考えて いたとします。そして、そういう社会に「人類皆平等」を信じている人が1人いたとする。 この社会における「人類皆平等」の理念は「自分オンリーのローカルルール」でしかあり ません。行為の善悪判断に「社会的承認」が必須であるとするなら、彼は「人種差別はい けない」「奴隷制は廃止されるべきだ」と唱えることができなくなります。(1)「社会 のみんなが言うことが正しい」で思考停止して、自分で判断を下す事を放棄する。つまり 自分も承認することを止めてしまう。あるいは(2)自分で判断は下しても、社会のみん なが反対すればすぐ引っ込める程度の「基準」しかない。つまり、個人的に承認し続けて も、それを他人に適用する事はしない。一種の全体主義、ニヒリズムです。
では、他人の行為に対しては、以下のように言えるわけですよね。 あるいは、以下のようにしか言えないわけですよね。 「あなたの行為が道徳に基づくものだとあなた自身が考えているということは私も認める。 けれども、私の判断基準によれば、それは正義ではない」 ではどちらが道徳的であるのか?という問いは意味をなさないということでしょうか。 逆に「私には私の道徳基準がある。それはあなたにも適用しうる」と主張してもいいわけでしょ? 各人がそれぞれの基準に根拠を置いて道徳をふりかざしていいのなら、 なんだか生きにくい社会になりそうですね・・・・・。 まあ、だからこそ法律っていうものが必要なのでしょうけれども。 いや、ほんとよくわかんないので、アホ丸出しなレスですいません。
>ではどちらが道徳的であるのか?という問いは意味をなさないということでしょうか。 仮に2つの背反する価値基準があったとして、相手に自分が正しいと信じる価値基準を説得して 「承認」させうるには、(1)相手が何かを勘違いしていて、その勘違い(自己矛盾)を指摘す る事でその背反する判断基準を信奉しているのが実は誤りであることを知らしめるか、(2)別 の何らかの互いに承認する基準を持ってきて、それでもって相手の判断基準がおかしいことを証 明するか、くらいのものでしょう。まったく同意する点が存在しないのであれば、どうしようも ありません。教条的なカルト信者には何も言っても無駄なのと同じです。いずれにしろケースバ イケースなんで、議論なり何なりしてみなければ分かりませんし、こうして抽象的な形で論じる 事にはあまり意味はありません。 >各人がそれぞれの基準に根拠を置いて道徳をふりかざしていいのなら、なんだか生きにくい だから「自由」が大事なわけです。自由の根本原則は、「他者を害さない限りにおいては自由」 です。どんな価値基準を信じるのも自由ですが、それによって他人に害悪を与えるようなことは 禁じられています。そうすることで異なる価値基準を持つ人々も同じ社会で平和に共存できるわ けです。
http://www.ethics.bun.kyoto-u.ac.jp/~kodama/ethics/wordbook/harm_principle.html 危害防止原理(きがいぼうしげんり The Harm Principle)
ジョン・ステュアート・ミルが定式化した原理。危害原理、自由原理(The Principle of Liberty)
などとも呼ばれる。この原理によれば、一般に、政府や世論によって禁止することが許されるのは、
他人に危害を与える行為だけである。ミルは『自由論』において、次のように述べている。「人類
が、個人的にまたは集団的に、だれかの行動の自由に正当に干渉しうる唯一の目的は、自己防衛だ
ということである。すなわち、文明社会の成員に対し、彼の意志に反して、正当に権力を行使しう
る唯一の目的は、他者にたいする危害の防止である」(ミル 1979: 224)この引用の直後にミルが
述べているように、「あなたのためなんだから」という理由でまわりの人が強制的に何かをやらせ
たり、やらせなかったりすること(パターナリズム)は、よくないことになる。ただし、強制する
ことはダメでも、説得したり泣いて頼んだりすることはダメなわけではない。
なるほど・・・・・。
このスレの
>>1 の設問自体、「あまり意味はありません」ってことですね。
いや、井上達っちゃんの法哲学は履修したんだけど、
なにがなんだかさっぱりぷーだったんですよ。
彼にちゃんと質問すればよかったなーとときどき後悔。
まさに聞くは一時の恥、ですよね。
>このスレの
>>1 の設問自体、「あまり意味はありません」ってことですね。
いや、意味がないというか、あまり抽象的な道徳/政治規範の一般論みたいな路線に行くと、
正義とは関係ない話になりかねないので。承認とか適用の話を押し進めて行くと価値相対主
義などに絡んで認識論になってしまう。
「正義とは何か?」を問うのには、主に2つのアプローチがあると思います。1つは実証的
な、事実としての正義概念の仕組みや働きを探るようなもの。もう1つは、具体的な正義理
念を積極的に提唱するようなもの。例えばロールズに「正義とは何か?」と聞けば、例の正
義の二論を言うでしょう(後者の例)。一方、ハートに同じ質問をすれば、二次的規則/承
認の規則だので説明するでしょう(前者の例)。
そしてまぁこう問題を二分することに批判的な立場もあるわけですが、やっぱり、いずれの
問題領域に主眼を置いているかを明示しておかないと、話が滅茶苦茶になりがちです。批判
するにしても。
http://www.ethics.bun.kyoto-u.ac.jp/~kodama/ethics/wordbook/concept_of_law.html ハートによれば、 法は社会的規則の一種である。 社会的規則には、法以外にも、道徳や
マナーや言語などが含まれる。これらの規則の重要な共通点は、社会に住む人々の行動を
調整するということと、社会の慣習から生じたということである。これらの規則のうち、
法と道徳は、拘束力を持つ(binding)、すなわちある行為を義務づけるという点で、マナー
などの他の規則からは区別される。さらに、法は、体系的であるという点で、明確な基準
を欠く道徳からは区別される…
かりにある一次的規則が社会の道徳とは異なるものであったとしても、その規則が二次的
規則によって妥当性を認められているかぎり、悪法であろうが何であろうが、立派な法で
あることになる。たとえば社会の大半の人が「死刑制度は存続すべきである」と考えてい
たとしても、死刑制度を廃止する法律が存在することは可能であり、単に道徳に反するか
らという理由だけで法律が無効になることはない(ある法律が有効か無効かは二次的規則
である承認の規則によって決まる)。また逆に、ある行為が法律によって命令されている
からといって、かならずしもそれが道徳的であることにはならない(たとえば奴隷制)。
http://www.ethics.bun.kyoto-u.ac.jp/~kodama/ethics/wordbook/two_principles.html 正義の二原理:ロールズの用語。 原初状態におかれた人々、 すなわち公平無私な見地か
ら望ましい社会のあり方について考えた人々が選ぶとされる原理。第一原理は、原則的に
各人は平等な自由が与えられるべきだと述べ、第二原理は、社会的、経済的な不平等が許
されるべき場合を述べる。
expさん、ありがとうございます。 なんかちょっと視界が明るくなってきました。 ハートを読んでみようかな。そっちのアプローチのほうに近いです、きっと僕は。
例えば「嘘をついてはいけない」とか 「約束を破ってはいけない」という概念は その概念を承認する前に正義として設定されてないと承認そのものが無意味になってしまう気がする これらの言明に「私は承認していない」と言うことは可能なのかな
「嘘をついてはいけない」とか「約束を破ってはいけない」というのは、 「概念」なのか?
いや別に道徳とか規範とか言ってもいいんだけど そうするとこうるさい突っ込みが来そうだから
約束ってのは承認を含む概念では?
>>333 すると自己言及になるね
てことは正義として承認を掲げるものは
言い換えれば「約束を破ってはいけない」という道徳を主張していることになるのかな
335 :
考える名無しさん :02/11/07 20:53
>「約束を破ってはいけない」という概念を承認 が何なのか、 >正義として設定 がいった何なのか、どんな行為なのかが不明。
>335 いやね 例えば「俺は『約束を破ってはいけない』ことを承認していない(誰との間でも同意していない) だから二人が同意したことをもって正義とするのはおかしい」 という主張をする者が現れたら、何て答える?
いや、だからそれは単に、「俺は誰とも何も約束をしない」を小難しく表現しただけじゃないの。
>337 約束をするという見かけの行為はできるんだけど それが本人にとって約束の効果を果たしてないという感じ
結局は言葉で「約束する」と言っても 文字で「約束する」と契約書にサインしても それらを「約束した」と見なす行為に結びつけることはできないのかな 自然主義的誤謬?
やっぱりサールの言語行為論を読まなきゃダメかな
>>338 それは「約束すると偽った」に過ぎないんでは?
>341 確かに外から見るとそうなんだけど 本人からするとどうなるのかな 混乱してきたから今日はこのへんで
>>342 「約束する」という言葉が、「約束事を守ることを承認する」という意味を含んでいる以上、
当人に守る気がなかったのなら、その人は「約束」という行為を行ったことにはならないのでは?
そうそう。その約束したと思われる2者の一方が その行為を「約束」として理解していないのならば、 最初から「約束」は成立していない。一方が思い込んでるだけ。 そこにまた別の独立した概念なのか関連した概念なのか明確に しないで「正義」なんて言葉を持ち出すから意味不明になる。
もしある者が 「私は(いついかなる時でも)約束は守らないくてもよいものであると考える」と主張したならば その者は「約束」という言葉を理解してないということかな 同じく、「私は(いついかなる時でも)嘘をついてもよいものであると考える」と主張するならば それもまた「約束」や「承認」という言葉を理解していないということだね つまり「約束」や「承認」という単語には(少なくともそれを行う際においては) 「守らなければならない」「嘘をついてはいけない」という要素が含まれているということになるのかな
>>345 >「私は(いついかなる時でも)約束は守らないくてもよいものであると考える」と主張したならば
>その者は「約束」という言葉を理解してないということかな
いや、それは、「私は約束という行為を行わない」をややこしく言い換えただけだということだよ。
理解は関係無い。
>同じく、「私は(いついかなる時でも)嘘をついてもよいものであると考える」と主張するならば
>それもまた「約束」や「承認」という言葉を理解していないということだね
そんなことにはまったくならないと思うが。
>つまり「約束」や「承認」という単語には(少なくともそれを行う際においては)
>「守らなければならない」「嘘をついてはいけない」という要素が含まれているということになるのかな
要素と言うか、「約束する」というのは「(約束とした事柄を)守ると承認する」という意味じゃないの?
違うとすれば、「約束する」という動詞は、どういった行為を意味してるとあなたは考えるの?
>346 でも ある人が「私は約束という行為を行うが、約束は守らなくてもよいものであると考える」と主張するなら それは「約束」という語を理解していないということでしょ >「約束する」という動詞は、どういった行為を意味してるとあなたは考えるの? 「約束する」という動詞については良く分かりませんが 「約束」という言葉は「守らなければならないとする規範をつくり(それに同意する)、と考えます つまりあなたと同じです
それは「約束をしたふり」をしただけで、約束をしたのとは違う。
>>347 >ある人が「私は約束という行為を行うが、約束は守らなくてもよいものであると考える」と主張するなら
>それは「約束」という語を理解していないということでしょ
「約束したとしても、守らなくてよい」といった論理からいえば、
「主張したとしても、そのように考えていなくてもよい」ことになるんじゃないの?
そうすると、その主張をもって「理解していない」とはいえないんじゃないの?
>つまりあなたと同じです
であれば、「約束」と「承認」を切り離して考える必要は無いんじゃないの?
>>349 亀レスすまん
>そうすると、その主張をもって「理解していない」とはいえないんじゃないの?
正義の原則の前には「約束は守ってはならない」と同時に「虚偽を真実と偽ってはならない」もあると思うんだよね
>であれば、「約束」と「承認」を切り離して考える必要は無いんじゃないの?
う〜ん、正義として「承認」(同意)を掲げるのには同意できるんだけど
この同意に関して誰もが同意せざるをえないようなものがあるんじゃないかと思って
それが「約束(義務、規則)は破ってはならない」と「嘘をついてはならない」かなと
「俺は何にも同意していない」と主張することは不可能かなと思って
>>350 >正義の原則の前には「約束は守ってはならない」と同時に「虚偽を真実と偽ってはならない」もあると思うんだよね
約束における正義は、約束を守ることだけだと思うが。
それを超越した普遍的な「正義の原則」なんてものが存在するとなぜいえるの?
>う〜ん、正義として「承認」(同意)を掲げるのには同意できるんだけど
正義として「承認」(同意)を掲げた覚えは無いが。
もうなんでも善い事全般=正義になってしまっていて、 それじゃ特に「正義」と呼ぶ意味がない。
>>351 承認は
>>328 から持ってきたもの
別にそれが正義かどうかはおいといて
公共的現実(同意)を前提とした倫理体系を想定すると(同意を前提としない倫理など聞いたこともないけど)
そこからは「約束を破ってはならない」とか「嘘をついてはならない」が言えるんじゃないかと思って問題提起をしてみた
>>352 じゃあ、「善いこと全般」と「正義」の相違点をキミが示せばいいんじゃないの?
>>353 ここで、「公共的現実(同意)を前提とした倫理体系を想定する」という事をする意味がよくわからないが。
それは、正義と何か関係あるのかね?
356 :
考える名無しさん :02/11/12 21:05
>承認は
>>328 から持ってきたもの
>別にそれが正義かどうかはおいといて
>公共的現実(同意)を前提とした倫理体系を想定すると
>(同意を前提としない倫理など聞いたこともないけど)
ハートが言う「承認」なら、これは法の特徴としてあげられてるもので、道徳/倫理一般には特に
適用しません。というか、法から道徳を排除するための概念のようなものです。この「承認」ってのは、
例えば民主的に選ばれた政治家が国会である法律を制定する、といったような手順のことです。何であれ、
ある社会において正当であると認められる手続きに依って制定されたなら、それは法として「承認」された
ことになる。道徳(何が正しい事で、何が悪い事なのかの基準)は、その具体的な承認の過程に関与して
くるものなわけですが、ハートはこれを自体において問う事はしません。それは道徳の問題であるとして、
「承認のルール」という括弧でくくって研究対象から除外してしまう。研究の対象となるのは、既に
「法」として承認されたルールのみとなります。だから、ある法律が正当かどうかというのは、例えば
上位の憲法の関連条文に準拠しているか、論理的に矛盾しないかとか、その法律が実際のケースに
ちゃんと適用されているか、関連する証拠やら何やらを正確に把握しているか、といった問題のみになります。
>>355 この場合の正義の前提にある種の道徳が不可欠というだけ
となるとある種の道徳を正義として承認ではなく押し付けれるかなと思った
それが決して矛盾であるとは思わないし
>>357 >この場合の正義の前提にある種の道徳が不可欠というだけ
だから、それはなぜ?
それは、「その道徳における正義」に過ぎないのではないかね。
>>359 承認するという行為は、その行為に関しては約束を破らない、うそをつかないということも述べているでしょ
>>360 承認という行為は「述べること」ではないんじゃないの。
口にだされない「承認」はいくらでもあるし、
(実際、我々は社会のルールについてある程度承認しているけれど、
必要がなければそれを口にだしたりしないよね。)
承認を「述べる」必要があるのは、その行為の結果を、
他人に知らせる必要がある場合だけでしょ。
この場合の「述べる」は、それは「先んじて行われた」承認という行為ついて、
相手に伝達しているだけじゃないの?
>>361 すると承認というのはナマの事実でなく
規範、すでに倫理の一部としての行為と言えるね
私的道徳においてそれを承認し その旨を言葉に出した瞬間にナマの言葉として「承認」が成立する そんな感じになるのかな
>>362 >すると承認というのはナマの事実でなく
>規範、すでに倫理の一部としての行為と言えるね
私が述べた「承認」の性質のうち、何が、どういった理由で、
承認が、「ナマの事実でなく 規範、すでに倫理の一部としての行為」である、
という結論の根拠となるのかね?
>>364 「承認」という発言、「承認」という署名はともに述べられた事実(確認される事実)というナマの事実であるが
ここで正義として扱われている「承認」はそのようなナマの事実ではなく
自らの意識の中でそれを承認するという行為ということ
規範と言う言葉はナマという言葉を使ったからつい対となるようにポロッと言ってしまった
撤回する
>>365 >ここで正義として扱われている「承認」はそのようなナマの事実ではなく
だれがどこで、どういった文脈で、「承認」を「正義」として
扱ったというのかね?
少なくとも私は(名無しで申し訳ないが)「承認」それ自体を、
無条件で「正義」として扱った覚えは無いが。
>>366 別にあなたがそのように扱ってなくてもいいよ
俺も必ずしもそうとは思わないよ
ただそのような流れだからそう仮定して話をしているだけ
何をどう仮定してもいいからとりあえず考えようよ
368 :
考える名無しさん :02/11/18 00:08
みんな性器が好きなんだね。フェチ。
誰か話をまとめてくれよ。ほとんど何喋ってるのか意味不明。
定義の出来ない言葉。 第三者が付随的につけた自分の所作の結果。
371 :
考える名無しさん :02/11/18 03:03
>368 性器が好きなのはフェチなのか? といらんツッコミを入れてみる・・・
>>367 >ただそのような流れだからそう仮定して話をしているだけ
そのような流れであると主張しているのはあなただけだが。
とりあえず、あなたと私においては、そのような仮定は無いわけだから、
その仮定は除外してよいのではないかね?
その話は、その仮定を導入しようとする人と話せばいいだろう。
>何をどう仮定してもいいからとりあえず考えようよ
私はちゃんと考えているが。
私は、「ある規則についてそれを守ることが、その規則についての正義だ」といっている。
ここで、私もあなたも主張していない、誰が、どういった文脈で主張しているかもわからない
得体の知れない仮定を唐突に導入しなければならない理由が
私にはさっぱりわからないが。
>>372 別にどのような流れでもいいよ
とりあえずこのスレでなんかの形で正義を仮定して
考えていこうよと言っている
どんな形だろうとスレを進めていこうと
>「ある規則についてそれを守ることが、その規則についての正義だ」
と仮定して話を進めよう
では「守る」とはどのような状況において守ると言えるのだろうか
「守る」という決断において言えるのか
それとも結果的に「破られなかった」という事実から言えるのか
前者ならば確認できないとてもあやふやなものに見えるし
後者ならば破られなかったことを確認された後にしか正義としか言えない
ふと思ったが犯罪者が犯罪行為を行い刑法によって裁かれるのは
憲法については不正であるが刑法については正義であるとなるね
正義とはこのような何らかの基準から見て、違反したかしてないか、
その規範が持つ範囲の内か外かについての言及となるね
正義の基準は自分の心です。
>>373 >「守る」という決断において言えるのか
その場合は、正義を行う決断をしたのであって、
決断をしたから正義なのではない。
決断した内容が正義だ。
>それとも結果的に「破られなかった」という事実から言えるのか
それは、「破られなかった」という「事実」が「存在するから」「正義」なのではない、
「破られなかった」という「事実」の「内容」が「正義」だ。
376 :
考える名無しさん :02/11/18 21:09
>>371 フロイトによればフェティシズムですよ。
といらんツッコミを・・・ツッコムってヤらしいなあ!おい!
>>375 なるほど、正義とは「範疇に適す」みたいな意味なわけだ
逆に言えば不正とは「範疇を逸脱する」とも表現できそうだ
378 :
ドゥルシラ・コーネル新刊 :02/11/21 02:24
正義の根源 定価 3200円+税 ISBN4-275-01931-8 著者 Drucilla Cornell ラドガース大学教授 法哲学・政治学・女性学 監訳 仲正昌樹 なかまさ まさき 金沢大学法学部助教授 訳者 川久保文紀 かわくぼ ふみのり 中央大学法学研究科博士課程在学 訳者 小森謙一郎 こもり けんいちろう 東京大学総合文化研究課博士課程在学 訳者 望月清世 もちづき さわよ 九州大学法学研究院助教授 訳者 藤本 亮 ふじもと あきら 活水女子大学健康生活学部助教授 訳者 澤里岳史 さわさと たけし 早稲田大学非常勤講師 訳者 西山雄二 にしやま ゆうじ 一橋大学言語社会研究科博士課程在学 本書の目次 第1部 法と政治における表象と理想 1 ぼさぼさ髪の女たち(ラス・グレニューダス):意識向上運動を振り返って 2 拡散する差異:フェルスキー「差異のドクサ」についての批評 3 反人種主義、多文化主義および同一化の倫理(サラ・マーフィーとの共同執筆論文より) 4 自由の良心 5 啓蒙主義を啓蒙する 第2部 何故権利なのか? 6 労働者の権利と正当事由を求める法律の擁護 7 ヘーゲルと解約任意の雇用契約(リチャード・ボズナー著) 8 スペイン語の権利:自己同一化、自由、そしてイマジナリーな領域 訳者あとがき
379 :
考える名無しさん :02/11/21 03:04
>>376 いわれてみれば、性器だけ見せられても興奮しませんね。
・・・スレタイ違いも甚だしくて、失礼。
「正義」の規準・定義を定めたとして、そしてその内容が何かの「価値」だとして、 どうしてそれを尊重しなきゃならんのでしょう。「倫理」でも「道徳」でも「法律」 でも何でも同じなんですが。 誰かが正義と何か他の価値(たとえば自分の欲望)とを「比較考量」した上で、 正義の方を捨てたら(たとえば「人を殺してはいけない」というのが「正義」 だとして、「正義は大事だけど、でも自分は殺すと気持ちいいから、検討の結果 やっぱり殺すね」と言った場合)、もう正義の側から言えることは何もないように 思うのですが。力ずくで制裁を加える以外は。 「約束を守るのは大事だけど、守るとまずい結果になりそうだから、検討の 結果やっぱり破るね。」でも、同じことのように思えます。
正義って結局、力なのかな。 正義(公正)の基準が法であれ道徳であれ、 社会によって基準が異なれば、異なる正義が存在し、 それが対立する場合には、強者の基準に統一され、 強者の正義が正義となる。 個人レベルから、これが繰り返されて より大きな集団に適用されていくと考えるなら 国家や国際社会レベルまで至ったときの正義が 本来自分(達)の考える正義と一致しない場合が多くなるのも 無理からぬことなのかと。 と、スレを読んで思いますた。
プラトン国家のトレシュマコスとの議論くらい読んでおけyo!
384 :
考える名無しさん :02/12/12 18:49
定言命法が正義の一つの答えじゃないかと思うのだが。
385 :
考える名無しさん :02/12/22 03:35
>>384 定言命法は道徳だろ。
カント『道徳の形而上学』を読め。
386 :
考える名無しさん :02/12/22 05:24
>381 それは道徳哲学の一つの方法に過ぎない。 道徳哲学の方法がそれであるとは言えない。
388 :
考える名無しさん :02/12/22 12:29
>>386 ミルでもカントでもデカルトでも何でもちゃんと読んでから物は言おう。
389 :
考える名無しさん :02/12/22 14:02
「正義の名において我々は…」 などとも言うように、己の信じる信念であろう。
sage
391 :
吾輩は名無しである :02/12/22 19:25
志賀直哉は正しい。『仏語の国語化』。すべし、すべし!!。正義への一里塚だ。
392 :
世直し一揆 :02/12/27 16:25
<血液型A型の一般的な特徴>(見せかけの優しさ(偽善)に騙されるな!) ●とにかく気が小さい(神経質、臆病、二言目には「世間」) ●他人に異常に干渉する(しかも好戦的・ファイト満々でキモイ) ●自尊心が異常に強く、自分が馬鹿にされると怒るくせに平気で他人を馬鹿にしようとする (ただし、相手を表面的・形式的にしか判断できず(早合点・誤解の名人)、実際にはたいてい、内面的・実質的に負けている) ●「常識、常識」と口うるさいが、実はA型の常識はピントがズレまくっている(日本の常識は世界の非常識) ●権力、強者(警察、暴走族…etc)に弱く、弱者には威張り散らす(強い者に弱く、弱い者には強い) ●あら探しだけは名人級(例え10の長所があってもほめることをせず、たった1つの短所を見つけてはけなす) ●基本的に悲観主義でマイナス思考に支配されているため、性格がうっとうしい(根暗) ●一人では何もできない(群れでしか行動できないヘタレ) ●少数派の異質、異文化を排斥する(差別主義者) ●集団によるいじめのパイオニア&天才(陰湿&陰険) ●悪口、陰口が大好き(A型が3人寄れば他人の悪口、裏表が激しい) ●他人からどう見られているか、体裁をいつも気にしている(「世間体命」、「〜みたい」とよく言う) ●自分の感情をうまく表現できず、コミュニケーション能力に乏しい(同じことを何度も言う、知障) ●表面上意気投合しているようでも、腹は各自バラバラで融通が利かず、頑固(本当は個性・アク強い) ●人を信じられず、疑い深い(自分自身裏表が激しいため、他人に対してもそう思う) ●自ら好んでストイックな生活をし、ストレスを溜めておきながら、他人に猛烈に嫉妬する(不合理な馬鹿) ●執念深く、粘着でしつこい(「一生恨みます」タイプ) ●自分に甘く他人に厳しい(自分のことは棚に上げてまず他人を責める。しかも冷酷) ●男は、女々しいあるいは女の腐ったみたいな考えのやつが多い
393 :
炎の東洋思想家 :02/12/30 13:51
己の良心が正しいと直感したもの。それを「義」という。すなわち西洋流に いうとそれが「正義」だ。
(^^)
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