222 :
考える名無しさん:02/10/20 13:59
てってー ほーーち!
223 :
考える名無しさん:02/10/20 14:01
トリニティィィィィー
224 :
考える名無しさん:02/10/20 20:03
脳障害 確定!!!
225 :
考える名無しさん:02/10/20 22:32
>>1 君の人生が終末に近づいたとき、
君の精神が宗教を見い出していたなら、君は、安らかにこの世を去り行くだろう。
君の知性が哲学を見い出していたなら、君は、初めて自律的に生き得るだろう。
いずれでもなければ、君という存在は、無意味に朽ち果てるであろう。
自分の経験を重んじる者なら、Bad Edingさえも
よき経験として受け入れるだろう
宗教や哲学なんて知らなくても
>>1 哲学は、読むモノじゃないよ、経験から受け取るものさ
ただ、他人の経験を盗み取るのは、
かなり役に立つ事だと思わないかい?
>>1san
>>226san
純粋に経験だけを集積するなら、それは単にヒトの形をしたモノ。
仮によき経験として受け入れるに至ったなら、
当事者に自律性があることを示し、それこそが広い意味での哲学の種子となる。
ところでそれは逆で、原初的な自律性がなければ、存在し経験することすらできないのであり、
つまり、誰もが原初的な哲学の種子を持ち、経験をつむことで熟成させているということ。
225の「無意味」は厳密には有り得ず、煽る為の罠。
個人的な差異については五十歩百歩で、気取った者が哲学を自称しているにすぎない。
宗教については、退行的な哲学遺棄に過ぎないが、モルヒネの代わりにはなろう。
いずれにしても、人間であることは、広く哲学そのものといってよい。
だから、そう目くじらを立てず、素直になろう。その反発も、哲学の手のひらなのだから。
ちなみに、経験を積まない哲学も、哲学のための哲学も、ただの哀れなオナニィ。
228 :
考える名無しさん:02/10/21 08:44
オ〜 ナ〜 ニイ
229 :
考える名無しさん:02/10/21 16:42
帰ってきました
は逃げやがったな。
晒し上げ。
230 :
帰ってきました:02/10/21 21:34
バリ島まで逃げてきました。「哲学は爆発だ〜」と、いうのを身をもって体験し、
帰ってきました。
232 :
帰ってきました:02/10/22 04:38
駄目でした。 指を飛ばされたので、7までしか数える事、出来ませんでした。
233 :
考える名無しさん:02/10/22 04:39
3・5ほんづつですか
234 :
帰ってきました:02/10/22 04:46
いや、となりに日本人の夫婦いたんですよ。でも、「デスコ ヤバイよ」と、言ってるのに。二十日の朝刊に載ってました。
夢をみたんですね
___
/ \
/ ∧ ∧ \ / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
| ・ ・ | <
>>202 200は別パソだがやっぱ
>>1はわけわかんねーよおめー
| )●( | \ 「いいこと」があるからテツガクすんのか?いいことっていう結果は求めるもんなのか?
\ ー ノ このスレ全体を フカヨミすると、なんかテツガクに即効性を求めてるような輩が
\____/ 相当いるような気すんだよな テツガクの知識や経験って、それでいいんだろうか
/\/| ̄ ̄ ̄| ̄ ̄|
( Y⌒) O | (_)
|\∠_ノパソ史 | |
/<__,|___|__|
238 :
帰ってきました:02/10/22 13:21
「しょうがないです。」と、吉野家で叫んできマシュタ。
239 :
考える名無しさん:02/10/22 13:36
吉野屋じゃねぇ!そこにあるのか?そこで叫べ!
Hic Rhodus, hic saltus.
知らないの?
240 :
考える名無しさん:02/10/22 14:09
ナイノ?
意見の判断、、とは
意見の判断、つまり、その意見の現実に対する整合性の検証とは
その論拠、根拠を検証して明らかにするものです
また、意見者はその意見の正当性を主張するべく
その意見に根拠を付随しなければなりません
少なくとも、理性と、論理を用いる人間は、議論において、こうするものです
なぜならば少なくとも、その意見に根拠がかかれていない場合
この時点で、その意見の検証は相手側で行われえません、ゆえに、それは意見ではなく
ただその人間の「こうあったらいいなぁ」という希望でしかなく
取るに足らないものであるのです、いえ、結果的に「希望」と代わりが無いのです
我輩は先に断定系を多用し、一行、二行レスのみの文は放置すべしと
述べましたが、それはこれらの理由によるものであります
続く
「意見」とは、検証するべき価値あるものであります、つまり
検証するべき条件が整っているものであります
「主張」、特に、彼の希望を述べた、説得にも値しない、プロパガンダに見られるような
小手先の根拠の無い断定は、以下にその人間が論理を理解していないかという
その証明となりえます
「意見」の判断には、その論拠の検証を行うわけでして
その論拠が、如何にその意見の正当性を主張しているかがどうかが
判断の鍵となるわけですが、そこに、既存のカテゴリーを用いるか、といえば
大抵の場合、用いていないというのが現実でしょうし、また、用いるべきでもないでしょう
続く
たとえば「雪男がいる」という意見、があったとして
その論拠が、無ければ(ここの
>>1とおなじですね)、、、先ほど言ったとおりですがw
「雪男と見られる足跡と、そこから体毛を発見した」というものであったとしましょう
また「DNA分析の結果、現存の確認しているどの生物にも当てはまらない」というものだった場合
それが、その意見の正当性を主張するのか?、、、さて、論拠を検証いたしましょう
ここで、たとえば、それが先ず虚実の証言であるか、とか
そういったもろもろの検証をしていきますね、そこにおいて
カテゴリーを用いるか、、、、「発言者は一流大学の教授で専門家である」、、これらの
「カテゴリーによる連想」は「すべきではないもの」であります
現実にはするでしょう、しかし、もし、貴方がほんの少しでも
「自ら判断しようとする」意思を持つのであれば、これらの思考停止のための
手段は用いるべきではありません
少なくとも、「社会的立場ある人」だから→「信用できる」のではなく!
「社会的立場ある人」で→「この発言が虚実であれば、その立場を失い」
→「彼が、そのリスクを負ってまでその発言をするメリットの検証」を行い
初めて「彼は信用にたるという判断が現実的妥当性である」という結論、自らの、「根拠ある思考」
を行うべきであるのです
なぜならば、発言者は自らの意見の意味を、真に理解していなければならず(当たり前)
その、自らの行った思考の中に、カテゴリーによる連想という「思考停止」部分が
あるべきではないからであります
以上
age
245 :
考える名無しさん:02/10/23 22:12
水ぶくれのブタのような長文は読まない。
247 :
考える名無しさん:02/10/23 22:14
水ぶくれのブタはダメ。
ソクラテスの対話を読むと、こんな気持ちにおそわれる。
なんとおそるべき時間の無駄! なにも証明せず、なにも明らかにしない
これらの議論は、なんの役に立つのか?
249 :
考える名無しさん:02/10/24 03:05
なるほど。
>>241 根拠無き「意見」は「希望」である。
>>242 根拠が正当性を主張しているか検証せよ。
>>243 発言者が負っているリスクとリターンから信用性を判断せよ。
といったところですか。
>>241 根拠の無い「意見」は「不安」である場合もある。(お化けが出るなど)
>>242 根拠が正当性を主張しなくても不当性もまた主張しない場合もある。(同じく)
>>243 リスクを負うスリルがたまらない(リターン)人間もいる。(愉快犯など)
そういう人間の発言は、信用できませんよね?(狼少年など)
しかし、人間は誰も皆そういう要素を持っているのではないですか?
あなたは人を説得する時に少しもスリル(リターン)を感じませんか?
その時のスリルと狼少年のスリルでは何が違うのでしょう?
あなたの動機とは何でしょう?正しさとは何でしょう?
250 :
考える名無しさん:02/10/24 03:53
>>248 貴方は時間の無駄だと思った。
でもソクラテスのおいさんはどう思ってたんだろう。
またそれを書いた人物も。
251 :
考える名無しさん:02/10/24 05:02
ぶつも
252 :
考える名無しさん:02/10/24 11:36
哲学って役立つとかなんとかって気持ちで
考えるもんなんですかねえ、本来…。
っていうか、あれですね。
一見それっぽい雰囲気の語彙を使って、
自慢大会してるだけの方が目立ちますね。
物知りなら誉められるとでも思ってんのかな。
なんか、前近代から脱皮してない感じがして…
やれやれ…
253 :
考える名無しさん:02/10/24 12:31
>>252 ∧_∧
( ,,゚Д゚)おまえもな。Λ
( )
| | |
(__)_)
お前達は大きく見誤っている!
>>1は、読むだけの哲学を嘲笑しているのだ(と思う)
>>227がやっと本来の話題にもっていこうとした時に
不自然な反応を示すな
オナニィってのは本来ひとりでヤルもんだろう?
255 :
考える名無しさん:02/10/25 11:07
「みんなでやるオナニーこそが哲学である。」と、言うのは
真でしょうか? 偽でしょうか?
256 :
考える名無しさん:02/10/25 11:10
人間の存在自体に意味がないんだからそれに勝手に意味をこじつけたのが哲学
257 :
考える名無しさん:02/10/25 11:17
>>256 意味は人間に由来する概念ですから、
つまり、意味に意味はないということですか?
258 :
考える名無しさん:02/10/25 11:24
そうです。ナイナイ バ〜
意味が無いから昔から人間は神話とか宗教でこじつけてたんだよ。
哲学は神話とか宗教みたいに物語るんじゃなくて思考で意味をこじつけてるだけ。
手段が違うだけで目的は相変わらず。つまり相変わらず不可思議な存在なんだよ、人間は。
260 :
考える名無しさん:02/10/25 13:11
「こじつけは失敗の母である。」と、言うのは
真であるか? 偽であるか?
統計的に見て、真である場合が多いと思うが、
常にそうでは無い
262 :
考える名無しさん:02/10/26 02:44
ご明察!
263 :
考える名無しさん:02/10/26 03:19
>>259 こじつけなくても自然に意味はつくし、259の言うことも平凡な意味があるし、
不可思議ではないな。
264 :
考える名無しさん:02/10/26 03:31
>>263 哲学は”意味付けの論理”を体系に含むね。確かに。
265 :
考える名無しさん:02/10/26 11:00
確かに
たまに哲学の副産物が他の領域の学問に役立ったりする。
267 :
考える名無しさん:02/10/26 11:44
副産物 ください。
自分で探せ!
269 :
考える名無しさん:02/10/27 07:48
>>263 自然に意味がつくというのは具体的にはどういうことですか?
少なくともある程度の思考に
言葉を与える事ができるようになった程度
世界を言葉に置き換える
その明察を求めて哲学する