●○● Aquirax: 浅田彰 part8●○●

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752piko ◆FlwTom66rU
ポリーニとポリーニ  02*11*26

「ポリーニ・プロジェクト2002」を締めくくる11月22日のリサイタルは、ショパン
の前奏曲集とドビュッシーの前奏曲集第2巻という充実したプログラムだったが、さ
らに、ショパンの夜想曲第9番と第10番が冒頭に加えられ、ドビュッシーの前奏曲集
第1巻の第10曲「沈める寺」と第7曲「西風の見たもの」、ショパンのバラード第1番
、夜想曲第8番、練習曲「革命」op.10-12がアンコールされるという、きわめて贅沢
な(そしてポリーニ好みのシンメトリーをもった)構成となった。
最初に言っておくと、この夜のポリーニも、若き日の完全主義に比べてみれば、い
くつかの問題を感じさせたには違いない。
かつてほどの音量はなく、ミスも散見される。
コントロールが緩み、せかせかと前のめりになるきらいがある。
それでも、これほど多彩な曲目をライヴでこれほど見事に弾いてのけられるピアニ
ストが、他にどれくらいいるだろうか。
特に、信じがたく美しい音色と豊かな響き、そして「ベル・カント」と言うほか
ない歌。
それらは欠点を補って余りある感動を聴衆に与えてくれた。
決して完璧とは言えない、しかし、だからこそライヴならではの醍醐味に溢れた、
これは得がたい音楽体験だったと思う。
実のところ、ポリーニはショパンの前奏曲集を1974年に録音しており、淡々と
しているかに見えて完璧に統御された見事な演奏ではあるものの、どうも教科
書的で、あまり面白いとは言えなかった(練習曲集に関する限りポリーニの19
71年の録音を凌駕するものはないのに対し、前奏曲集に関しては同世代ならさ
しずめアルゲリッチの録音の方が生彩に満ちていると言えよう)。
ところが、この夜の演奏は、むしろしばしば前のめりになるのが気になるほど
生動感に溢れるものだったのである。
753piko ◆FlwTom66rU :02/12/03 18:08
それにしても、なんと美しい音色だろう。
ほんの一例を挙げるだけでも、第13番や第17番の立体的な響きなどは、
かつて聴いたことのないものだ。
そしてもちろん第24番の凄絶なダイナミズム。
だが、それよりさらに素晴らしかったのがドビュッシーの前奏曲集第2巻
である。
ポリーニが1998年に録音した第1巻のディスクはまさしくブリリアントな
ものだったが、この夜の第2巻の演奏はそれに勝るとも劣らぬものだ。
そもそも、これほど美しい音色は、とても録音でとらえられるものではない。
第1曲の音の霧に始まって、第12曲の音の閃光に至るまで、ありとあら
ゆる色彩を帯びた音たちが魔法のように立ち昇って空間を満たす。
特に後半が見事で、第8曲の燦然たる水の戯れや第10曲のアラバスターの
ような冷たい質感はまさに完璧だった。
そう、これほど美しい音をもってすれば、つねに前方に駆動しなくても音楽
が場力を失うことはないので、ポリーニの師でもあるミケランジェリが非情
なダンディズムをもってそうしていたように、ゆっくりしたテンポを平然と
維持していればいいのではないか。
だが、アンコールで弾かれた「西風の見たもの」の凄まじいダイナミズムな
どは他のピアニストには求められないもので、この駆動力こそがポリーニの
魅力のひとつであることもまた認めなければならないだろう。
754piko ◆FlwTom66rU :02/12/03 18:09
それにしても、「ポリーニ・プロジェクト」全体の最後ということもあって、
この夜のピアニストは疲れも知らず次々とアンコールに応じた。
ドビュッシーの次はショパンに戻る。
特に夜想曲第8番は玲瓏そのもので、冒頭の夜想曲が多少ぎごちなさを
感じさせたのを補って余りある見事な演奏だった。
だが、それよりも感動的だったのはバラード第1番である。
ポリーニが1999年に録音したバラード集は、特に多声的な構造を精密に
浮き彫りにした充実した出来栄えだった。
この夜の演奏もそのような精度を備えていたが、ライヴらしくいっそう
ダイナミックになっている。
巨大なスケール、豊麗な響き、そして、あくまで「ベル・カント」で歌
われる歌。
安易なロマンティシズムを排して美しく磨き上げられた、しかし、圧倒的な
情熱をもって疾走するその音楽を聴いて、私は泣いた。
最後の方では多少のミスもあったものの、そんなことを一体誰が気にする
だろう。
繰り返すが、現在のポリーニにもはやかつてのような完全主義は求めら
れないかもしれない。
しかし、このピアニストは、ライヴならではの感動をわれわれに与えて
くれる一人の演奏家となって、われわれの前に立っているのだ。