1 :
考える名無しさん:
あまりにも重大なことなのでスレを立てさせていただきます。
人間の意味意識は文字=理想概念による因果関係の把握によって成立した。
だいたい5000〜6000年前のことだ。その後、紀元前500年あたりで哲学の成立とか
西暦1600年あたりで科学が成立するとかの展開はあったが、基本的な意識の状態自体に
ちがいはなかった。しかしテレビの登場で事情は変わってくる。テレビは人間の意識の
基本状態自体を変えてしまうのだ。
言葉が内面化することで人間の意識は成立したが、テレビが内面化することで
意識は新しい段階へ移行する。文字以降、活字や写真、電信、レコード、
ラジオ、映画等いろいろ新しいメディアは登場したが、すべて意識外部の存在に
とどまった。しかしテレビはちがう。同時に地球の隅々まで映し出すテレビの映像は
やがて意識のもっとも深い部分にまで入り込み、自分自身と区別できなくなるのだ。
2 :
考える名無しさん:02/10/02 03:18
乳タイプ。
ニュー速にたってたやつじゃねーか
エビルだろオカルトいけよ
4 :
考える名無しさん:02/10/02 03:21
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄」
―――――――――――――‐┬┘
|
____.____ | テレビを
| | | | 窓
| | ∧_∧ | | から
| |( ´∀`)つ ミ | 投げ捨てろ
| |/ ⊃ ノ | |
 ̄ ̄ ̄ ̄' ̄ ̄ ̄ ̄ | ┏━━━━━━━━━┓
┃┌──────┐□┃
┃│=-_~-=-._=~ 10│◎┃
┃│~~_-= =~- =~ -│○┃
┃│_~_=~_=--~_=~._│ ┃
┃└──────┘■┃
┗━━━━━━━━━┛
6 :
考える名無しさん:02/10/02 03:34
>1
そう、カッカしないでセックスでもしてろ。
1に書いてあるようなことが、心底アホらしくなってくるから。
7 :
考える名無しさん:02/10/02 03:54
日本でテレビ放送が始まったのは1953年。1960年代はテレビの黄金時代だった。
ドラマも歌番組もクイズ番組もニュースもすべてが新鮮だった。
しかし70年代の移行期を経て1980年、テレビ意識に革命が起きる。
それはマンザイブームという形をとって現れた。つまり物事すべてをお笑いとして
解釈するようなメタレベルの視線の獲得だ。その後1983年にはドラマ(「スチュワーデス物語」)も
お笑いとして解釈されたし、「ものまね王座決定戦」もこの年あたりからお笑いに
走るようになる。またドラマなどの本編よりNG集のほうが面白がられるようにもなった。
また松田聖子に始まるアイドルブームも70年代アイドル(当時は「スター」)の
パロディとして始まったものだった。すべてはパロディになった。裏が見え、先が読める
ようになった。意識が世界の外に出た。あらゆる意味が死んだ。
80年代前半はこのまま意識が進化するのではないかと思われた(ニューアカブーム)が
80年代後半は一転して沈滞ムードに覆われた。90年代前半は流行歌も壊滅状態だった。
この時期、日本は言葉狩りや従軍慰安婦問題、アメリカではPCと偽りの性的虐待告発運動と、
似たような形で思想的に狂ったが、何とか新しい展開を得ようという悪あがきだった。
90年代後半に文化的逆流が起き、70年代の文化水準に後戻りした。
オウムは自滅、と学会はオカルト批判で活躍、ポストモダン哲学への厳しい批判(「知の欺瞞」)
も出るなど、意識の進化なんて妄想だというムードが広がった。
しかしここに来て、確かに80年代の進化の予感は大げさだったが、意識の進化は
もう少し穏やかな形で実現するんじゃないかという理解が出てきたように思う。
8 :
考える名無しさん:02/10/02 03:59
9 :
考える名無しさん:02/10/02 04:27
意識が世界の外に出た。「神の視点を獲得した」とも言われる。
これはテレビの視点に自己同一化した結果起きた現象だ。
人間の意識や意味はものを見る視点が特定の身体の内部に固定されていたから
成立していたのだ。しかしテレビカメラは身体を越えてどこえでも行く。それに
自己同一化すると視点がどこか異次元の客観的な場所へ移動してしまい、意味が
成立しなくなるのだ。80〜90年代はこの無意味をどんどん推し進めることで
新しい意識へ到達しようとしていたが、どうもこれ以上意味を削る努力を続けても
無駄のようだ。新しい段階といっても物質はあるし言語もある。べつにテレパシーが
使えるようになるわけじゃない。つまり行き過ぎていたのだ。無茶な努力を続けるから
ここ4〜5年自殺者が激増したのだ(まじめな理想主義者がたくさん死んだらしい)。
無駄に力むのをやめることでいい状態は実現するかもしれない。
受け入れるべき意味は受け入れて、新たな視点で社会を構築し直していけばよい。
ただし新しい状態に移行するのは全員ではない。
共通の祖先からヒトとチンパンジーが分かれたように、
新たな状態を実現するのはごく一部だろう。
そんなのカルト思想だ、差別だと非難するかもしれないが、
事実は受け入れなければならない。
10 :
考える名無しさん:02/10/02 04:29
1さん、ガンガレ。ちょっと面白そう。
11 :
考える名無しさん:02/10/02 04:32
1950年代生まれはネアンデルタール人だ。
1970年代生まれはサルだ。
人間と呼べるのは1960年代生まれだけだ。
>>8 ごめニュー速のとはなんか違うわ
>>1 どうしようもなく馬鹿だな
そんな独善的排他的なのが本気で進化だと思ってるのか?
まあネタだとは思うが
>>10 どうも。ニュー議の3月23日スレでぼちぼち書いてる者です。
どうして「テレビが人間の世界認知の構造を根本的に変えた」と言う人が
誰もいないのか。たぶんそれはこういう理由による。いま、文化批評を活発に
書いているのは1960年以前に生まれた人が多いが、彼らが生まれた時まだ家庭には
ほとんどテレビはなかったので彼らの意識にはテレビの認知構造が内面化されていない。
それでは1960年代生まれがこの問題に積極的に発言すればよさそうなものだが、
なんとテレビが内面化されると関心が現在にのみ限定されて本が読めなくなるのだ。
本が読めないから知識がない。知識がないからものを書くことができない。
60年代生まれでも、ものを書く人はいるが、それはテレビの内面化を免れた、
同世代のなかでは二流の人間ばかりなのだ。60年代生まれで一流の感度のいい人間は
感度がいいゆえにテレビと完全に一体化して社会的不適応になってしまうのだ。
何を隠そうこの私、80年代はホントにひどい状態で、生きてるだけで精一杯ですた。
>>13 そのニュー議の3月23日スレを貼ってくだされ。
ある所の部分的な情報を得ただけでそこに意識が飛んで行く。
テレビカメラの経験=自分の経験ですか。
実に想像力豊かというか、幸せな思考回路ですな。
16 :
考える名無しさん:02/10/02 07:13
1はいいこと言った!
だがメディア論では二番煎じ以下だ。マクルーハンでも読んだ上で、
自分が何か新しい事を言ってるかどうか考え直せ。
TVに限らず技術革新とともに人類の意識に少しづつ変化をもたらしてるけど、
なんでTVだけ特別なのかが今ひとつ説得力がないなあ。
TVよりネットの影響の方が大きいと思うんだけど、
そして将来ネットとバーチャルリアリティーの融合は
人類の意識を飛躍的に進歩させると思うんだけどなあ。
ネットなんて、結局部屋の中でモニタと向き合ってるだけじゃん。大抵1人でさ。
社会なんて、結局体の中から視覚機構を通して外界をのぞいてるだけじゃん。大抵1人でさ。
あまりにも重大なことなのでレスをさせていただきます。
人間の意味意識は文字=理想概念による因果関係の把握によって成立した。
だいたい5000〜6000万年前のことだ。その後、10万年前あたりでネアンデルタール人の
出現とかクロマニヨン人の出現とかの展開はあったが、基本的な意識の状態自体に
ちがいはなかった。しかし哲学の登場で事情は変わってくる。哲学は人間の意識の
基本状態自体を変えてしまうのだ。
言葉が内面化することで人間の意識は成立したが、哲学が内面化することで
意識は新しい段階へ移行する。文字以降、呪文、波動、電波等いろいろ新しいメディアは
登場したが、すべて意識外部の存在にとどまった。しかし哲学はちがう。同時に地球の
隅々まで分析する哲学の登場はやがて意識のもっとも深い部分にまで入り込み、
自分自身と区別できなくなったのだ。
21 :
考える名無しさん:02/10/02 11:11
テレビベイビー(テレビっ子)がついに逆ギレするスレは、ここですか?
>>20 いいっすね。で、現在はまだ哲学的思想の大衆化の最中ってことですか、
世界的にみて。
で、マスメディアの登場で大衆化のスピードが加速され、世界的な画一化が
進んでいる。その最先端がネットであり、よりスピードが加速され、
そして人類は。。。つづく
っていうか、テレビほとんど見ないんですけど。
>>14 貼るのは宣伝行為すぎるので控えます。スレ一覧の一番下のほうです。
>>17 テレビ以降もビデオ、テレビゲーム、コンピュータネット、ケータイなどいろいろ
新しいメディアは登場したが、これらはすべてテレビを相対化する形で意識に作用した。
ビデオはテレビの同時性を相対化したし、ファミコンはテレビ画面の物語空間に自分自身が
入り込むことで外部からの普遍的視線を相対化した。ネットは文字回帰だし、ケータイも
パーソナルな文化であり電波の普遍性を相対化した。
60年以前や70年以降生まれの人は、よくこれらのメディアで世界の変容が進んだというが、
まったく何もわかってない。80年代にテレビ意識は世界の中心に達し究極の状態を実現したのだが、
85年以降ビデオやファミコンによる相対化で意識状況は現実的レベルまで押し戻されたのだ。
70年以降生まれは確かに生まれた時からテレビがありテレビが内面化してはいるのだが、
最初からそれが当たり前の状態なのでそれ以前とどう変わったかわからないし、
わからないからその意味について考えようともしない。そういう意味で「サル」と言ったのだが、
彼らが60年以前世代と比べて進化した存在であることには違いない。60年代生まれはテレビ構造を
自明のものとして受け入れるのに抵抗があったからいろいろ考えてきたが、そろそろその意味も
はっきりしてきたので抵抗の力を抜こうかといったところなのだ。
たぶん半年以内に社会全体レベルで意識の脱力革命が起きる。
1996年10月あたりにも似たような脱力はあったが、今回の脱力と合わせてやっと一人前の革命になるのだ。
今進行している金融システムや戦争の危機はその兆しだろう。
80年代感覚の奴って、なんかいましんどそうだね。ご愁傷様・・・。
>ネットは文字回帰だし、ケータイもパーソナルな文化であり電波の普遍性を相対化した。
まあ、世代間で感じ方は様々しれないけど、これはあまりに安直すぎない。
ネットの窓の開け方はもっと衝撃的で社会に与えている影響もTVに負けず劣らないものがありまっせ。
特に世界レベルではネットの方が上ちゃいまっか。というか、ネットの影響はまだまだこれからが
本番やねんけどな。
>80年代にテレビ意識は世界の中心に達し究極の状態を実現したのだが、
まあたしかにTVのなかった世界中ちゅうは今となっては想像できへんほどに社会への衝撃は大きかったよな。
ライフスタイルから思想から多大なる影響を与えた。特に80年代にTV文化は明らかに日本社会を
一掃したけどやな。正直そこで止まってるちゅうのもあるで。
>たぶん半年以内に社会全体レベルで意識の脱力革命が起きる。
>1996年10月あたりにも似たような脱力はあったが、今回の脱力と合わせてやっと一人前の革命になるのだ。
>今進行している金融システムや戦争の危機はその兆しだろう。
なんで最後劇的口調やねん。TVの見過ぎちゃうか。
>80年代感覚の奴って、なんかいましんどそうだね。ご愁傷様・・・。
ちゅうか、この方は60年代感覚ちゃいまっか。
ようは、ちょっと前までTVなかってんぞ。おまえらTVがあるのが
当たり前とオモってんちゃうかちゅうことをいいたいんでっしゃろな。
>>20 >人間の意味意識は文字=理想概念による因果関係の把握によって成立した。
>だいたい5000〜6000万年前のことだ。
5000〜6000万年前は恐竜が絶滅して哺乳類が進化を始めた時期だよ。
ちなみに木の枝をつかむ「手」を獲得することでサルは他の哺乳類から区別される
ようになるが、それは3000万年くらい前のことだ。そしてその「手」で道具(棍棒や石)を
使用し始めるのがおよそ500万年前で、これがヒトの誕生だ。さらに10万年前あたりで
概念革命が起きる。それ以前の言語はすべて固有名であり何の関係もなくバラバラ
だったが、概念の獲得によって言語全体が階層的に構造化される。これがクロマニヨン人だ。
言語機能が効率的になったので脳の容積はネアンデルタール人より小さくなった。
また哲学は小アジアのミレトスで発生したが、これは隣国リュディアで造られた世界最初の
鋳造貨幣(硬貨)が初めて本格的に流通した港町だったからだ。
硬貨の登場によって商品を選択する主体が立ち上がり、どの商品を選ぶかの根拠を考えることが
世界の根源(アルケー)の探求に直結したのだ。それ以前は神学的段階で根拠もなく直観で因果関係を
とらえていた(例:神様が怒るからカミナリが鳴る)が、哲学以降は一応論理的に
根拠を追求するようになる。しかし神学的とはいえ5000〜6000年前に因果関係を考え始めることで
意味意識を獲得した進歩は巨大で、哲学の開始とは比較にもならない。
じゃあテレビの内面化は哲学の開始より大きな進化なのかと言われそうだが、私が言いたいのは
世界の認知構造が質的に異なるということだ。2500年前の形而上学革命で
学問や芸術が爆発的に花開いたようなことにはならないだろう。
外見的には何が変わったのかよくわからない。しかし何かが決定的に違うのだ。
時間が経てば大きな違いが形をとって現れるかもしれない。
29 :
考える名無しさん:02/10/02 15:26
僕の耳は尖ってる。
とでも言えばいいのか?
ちゅうかさ、60年代に言及するんなら、やっぱTVもすごいが、
世界的にポピュラーミュージックちゃいまっか。
ポピュラーミュージックが世界に与えた思想的衝撃ははかりしれまへんで。
まあ、ソ連を崩壊させ、ベルリンの壁をぶつ壊したのも、基本的には
ポピュラーミュージックでっしゃろ。
地獄も黙示録のドアーズの使われかたは秀逸でしたな。
ポピュラーミュージックがいかに世界を変えるか如実に表しとったで。
>たぶん半年以内に社会全体レベルで意識の脱力革命が起きる。
>1996年10月あたりにも似たような脱力はあったが、今回の脱力と合わせてやっと一人前の革命になるのだ。
>今進行している金融システムや戦争の危機はその兆しだろう。
むしろ脱力とか悠長なこといってられなくなりそうなのが、
いまの感じなのでは?
なんか4,5年前の宮台の社会論・メディア論とかを
おもっきり頭悪く書いてみたという文だな。
32 :
考える名無しさん:02/10/02 15:43
そろそろ、意識って何?
っていうむつかしくもありがたい話が出てきて、
段々盛り下がってくるんですか?
>また哲学は小アジアのミレトスで発生したが、これは隣国リュディアで造られた世界最初の
>鋳造貨幣(硬貨)が初めて本格的に流通した港町だったからだ。
>硬貨の登場によって商品を選択する主体が立ち上がり、どの商品を選ぶかの根拠を考えることが
>世界の根源(アルケー)の探求に直結したのだ。それ以前は神学的段階で根拠もなく直観で因果関係を
>とらえていた(例:神様が怒るからカミナリが鳴る)が、哲学以降は一応論理的に
>根拠を追求するようになる。
これってほんまなん?ちゅかどっかの受け売りちゃうの?
それに感銘をうけて、その先を自分で自作たくて、TVを持ち出してきたんちゃうの?
TVだけ異様に歴史的スパンが短いんちゃいます。強引でっせ。
>>27 ニューエイジかぶれってこといいたいんじゃない
>>34 そそ、ニューエイジとかニューサイエンスとか、
あの頃の感覚を忘れられない人が
いまだにこういうことを言いたがる罠。
あなたの文章を見れば、あなたが哲学など見たこともない
ことは激しく露呈されているけれども、なぜ哲学板に
立てようとお思いになったのでしょうか?
これは哲板分割の必要を検討するための純粋な調査です。
あなたを傷つけようと思ってるわけではありません。>1
ネタとしてもつまらん。
文章も内容もスカスカ。かつ電波。
とりあえずマクルーハンでも読んで出直してこい!
バ カ 臭 い > ぴ か ぁ 〜
>>31 たとえば必死で金融危機を起こさないよう努力している今のほうが精神的緊張感は高い。
この先どうなるんだ、どうすればいいんだという緊迫感。
しかしいったんガラガラポンが起きてしまえばそういう緊張感はなくなる。
もちろん社会経済的にはたいへんなことになるでしょうが。
「脱力」とはそういうことです。
>>33 素人考えかもしれませんが私のオリジナルです。
>TVだけ異様に歴史的スパンが短いんちゃいます。強引でっせ。
文明(=文字)5000年、近代(=活字)500年、テレビ50年。
変化は加速していますよ。
>>34>>35 俺はニューエイジ思想の正体は乳嬰児思想だと思っている。
この思想によれば近いうち人類は物質も言語も歴史も超越した存在になるという。
その世界では勉強も仕事もしなくてよく、必要なものはすべてタダで手に入るので
おカネも存在しない。争いごとも病気もない。心に思っただけですべて実現する。
これは実は乳嬰児時代の母親に守られた状態のことで、万能感に満ちたその時の
至福の状態に戻りたいという無意識の願望が未来の理想という形をとって現れたというわけだ。
共産主義幻想も一種のニューエイジ思想で、実は単なる退行なのだ。
>素人考えかもしれませんが私のオリジナルです。
マジで。おもしろいね。でもTVっ子だね。
>>36 >あなたの文章を見れば、あなたが哲学など見たこともない
>ことは激しく露呈されているけれども、なぜ哲学板に
>立てようとお思いになったのでしょうか?
純粋な調査としては主観的判断が入って失格の文章だとは思うが一応答える。
ここに立てたのは参加者数が少なくても、物事を突き詰めて考えるタイプの人間が多いと思ったから。
45 :
考える名無しさん:02/10/02 19:11
↑それがどうしたのですか?私の中では自明ですが…
>ここに立てたのは参加者数が少なくても、物事を突き詰めて考えるタイプの人間が多いと思ったから。
うんうん、なかなかいい姿勢だなあ。
>>16>>37 マクルーハンを要約しておせーて。
あるいはマクルーハンを引用しておせーて。
超貧乏中卒塗装工より。
歴史の60年周期説というのがある。
俺は1980年代こそ空前絶後の大変革だと思っていたが、1920年代や1860年代も
変化の割合という意味では同等かそれ以上だったかもしれない。
1800年代=印刷・馬車
1860年代=電信・写真、鉄道
1920年代=ラジオ・映画、自動車
1980年代=テレビ、スペースシャトル
一番変化が大きかったのは1920年代だろう。
だからコミュニズムやファシズムが盛り上がって大戦争にまでなった。
やはり太平洋戦争の衝撃は60年代や80年代の比じゃないな。
今だに天皇制にこだわっている人も多いし、久米や筑紫があれだけ狂うのも無理はない。
80年世代にとって戦前の歴史を知るのはサイコセラピーなのだった。
「人間の意味意識は文字=理想概念による因果関係の把握によって成立した」
と私は書いた。つまりクロマニヨン人にはまだ意識はなかったのだ。
クロマニヨン段階の概念は、概念は概念でも「固有概念」だったからだ。
例えば「ネコ」という言葉は概念であるが、目の前にいる特定の物質的存在のネコを
指している限りにおいてそれはまだ固有概念にすぎない。目に見える対象だけでなく、
「寒い」「暗い」「痛い」「甘い」などの主観的感情についても同じことが言える。
固有概念を使う段階ではまだ世界に意味はない。よく人間は言葉で世界を分節すると
言われる。例えば目の前の茶碗は「茶碗」という言葉がなければ茶碗ではないとか。
では言葉がない状態で世界はどう見えているのか。実は何も見えていないのだ。
何も見えてないし、何も聞こえてない。なにしろ意識というものがない。
言語以前の人間はただ組み込まれたプログラムに従って機械的に周りの環境に反応
しているにすぎない。
ところが文字以降はちがう。文字は言葉が時空を越えて伝達されたものであり、
個別具体的状況から離れ、その意味内容はひとつの理想イメージとして自立するのだ。
そして自立したとたんに精神はその理想概念間に関係を見出した。因果関係だ。
「海水を舐めたから塩辛い」「雲が出たから雨が降る」「太陽が照るから明るい」などだ。
こうして理想概念全体が因果関係のネットワークとしてつながることによって「世界」が現出した。
ユダヤ暦によれば天地創造は紀元前3762年だそうだが、文字=理想概念が成立するのは
たしかにそのあたりなのである。
これも私のオリジナルだが、誰も言ったことなかったらこれだけでノーベル賞10個分だな。
いやー、レスがつかなくなったなー。
でもいいのだ。半年以内に脱力革命は必ず起きる。
それさえ伝えれば私は自分の役割を果たしたことになるのだ。
51 :
マジレスしちゃった・・・。:02/10/04 07:21
>>49 よく言われてることだよ。
大学受験の小論文の本にさえ載っている。
たとえば虹の色は日本では七色とされているので我々にもそう見えるが、
外国で色の区別が違う国は八色とか九色に見える、
文化は人間の意識を規定している、そういうことは言われている。
そういうことを人類の進化という視点で言っているだけじゃないのかな。
つまりあなたはまったく目新しいことは言っていません。
たしかに漫才ブームがどうとか、80年代こういうブームの反動で何々が起きたとか、
そういう「知識」は凄い。確かに凄い。
でもそれは単に歴史をまとめなおしただけって言うか。
新聞記者とか目指している奴だったら誰でも言える。
それと、ここが一番聞きたいところなんだけど、
「半年後」に脱力革命が起こるという根拠は?
一年後かもしれないし、二年後かもしれない。
なんとなく、というのなら、それは
(近年の北朝鮮とかの絡みから)国粋主義的な逆脱力革命が起こるかも知れん、
という論と同じだよ。
外れるかも知れんし、当たるかも知れん。半年後何とでも言える。
もう少し具体性が無いと、はっきりいえば、オウムと変わらないよ。
>>51 >たとえば虹の色は日本では七色とされているので我々にもそう見えるが、
外国で色の区別が違う国は八色とか九色に見える、
文化は人間の意識を規定している、そういうことは言われている。
そういうことを人類の進化という視点で言っているだけじゃないのかな。
つまりあなたはまったく目新しいことは言っていません。
サピア=ウォーフの仮説っちゅう奴やね。
ただこのアフォの1が言ってることは、それとも違いそう。
(というかそんなことも知らなさそう・・・)
最近、はじめてデリダでも読んで仕入れた
生半可知識を勝手にオリジナルだと称して
電波文を書いてるだけでしょ。
たんなる厨房かニューアカ残党馬鹿か、
そんな感じやと自分は思います。
以上、ネタにマジレス、カコワルイでした。
>>52 リアル厨房ならまだ見込みもあるが、
たぶん馬鹿オヤジだと思うよ。
たしか自分で60年代生まれとかどっかで言ってたはず。
なんか最近、この板、80年代の回顧がはやってんのかな?
ま、役立つ情報なら教えてほしいんすけどね・・・。
54 :
マジレスしちゃった・・・。:02/10/04 14:04
>>53 一応本当に凄いかもしれないとまじめに読んでみました。
なんというか、小さな部分は知識というか薀蓄が垣間見えるんだけど、
まとめてみると本当に( ´_ゝ`)フーンなことしか言ってないんだよね。
サピア=ウォーフの仮説(名前は知らなかった!)プラス、
複雑系理論かなんかの、創発とかフィードバックか。
そういう既に百万回は言われているようなことを根拠に
勝手にハイになって人類の進化か。おめでてーな。って感じです。
厨房なら見込みがあった。
40過ぎてこんなことわめいてるのなら、単なるバカ親父だな。
>>51 >それと、ここが一番聞きたいところなんだけど、
>「半年後」に脱力革命が起こるという根拠は?
根拠としてはもちろん私自身の実感というのもあるが、実はもっと客観的な歴史の
(逆回転)構造というのもあるのだ。これは私の発見した歴史の縮小反復理論の延長に
あるもので、西暦2000年以降の歴史は1999年までの歴史を逆に辿っているというものだ。
一つ例を挙げると1998年7月の対称点は2001年6月だが、共に無差別殺人事件(毒入りカレー&
池田小事件)が起きている。また1998年はテロとその報復としてアメリカがアフガンを
ミサイル攻撃したが、対称点としての2001年の同時テロとその報復戦争は同じことの反復である。
さて1960年年代の縮小反復が1996年なわけだが、1968年の文化革命に対応する出来事として
1996年10月あたりの「脱力」(宮台氏のいうマターリ革命)は起きた。そしてそれの対称点が
実は2003年3月なのだ。それに照準を合わせて「半年以内」と私は言ったのでした。
×1960年年代
○1960年代
ちなみにまだ40は過ぎてません。
57 :
考える名無しさん:02/10/04 17:11
ずっと夢を見て安心してた
1の独創であることに誰も異論あるまい・・
私の
>>49はサピア-ウォーフの言語相対主義とは次元が違う。
サピア-ウォーフの説は人間の意識が存在するのは無条件の前提とした上で、
その分節形態は一様ではないと言ったものだが、私はそもそも「意識」というものが
どのようにして出現したのかを問題にしているのだ。
ほかにも例えばデカルトは「我思うゆえに我あり」と言ったが、これは追求が甘い。
どうして「我思う」という状況が成立したのかこそが根本的問題だからだ。
私は理想概念による因果関係把握による意識の発生や、硬貨による商品選択主体の
立ち上がり以外にも宇宙開闢以来の認識の進化段階についてすべて解明している。
世界の中心に達したテレビ世代の到達点ともいうべき業績だな。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
50億年前 地球の発生
25億年前 生命の自覚
5億年前 カンブリア大爆発(多細胞生物発生)
2.5億年前 大絶滅(古生代終了)→恐竜の時代(中生代)へ(=闘争の自覚)
5000万年前 恐竜絶滅→哺乳類大爆発
2500万年前 サルの自覚(サル=木の枝をつかむための手が発達した動物)
500万年前 人類誕生(直立・道具使用)
250万年前 ホモ・ハビリス(道具の自覚)
50万年前 原人(固有名言語)
25万年前 ネアンデルタール人(固有物概念)
5万年前 クロマニヨン人(固有状況概念)
2.5万年前 「絵」をかきはじめる(ラスコー&アルタミラ)(理想物概念)
5000年前 都市文明=思考のはじまり(文字=理想状況概念)
2500年前(=BC500)思考の自覚(リュディアの硬貨→ミレトスの哲学)
500年前(AD1500) 実証的思考(活版印刷)
250年前(AD1750) 進歩の自覚(百科全書→フランス革命)
50年前 (AD1950)テレビ(世界の認知構造根本的変化)
25年前 (AD1975)ポストモダン(メタ意識=パロディとしての世界)
5年前 (AD1995)進歩の終焉明確化
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
60 :
考える名無しさん:02/10/04 18:11
>>55 だれか具体例を挙げてこいつの電波を玉砕してください。
個々の事例を挙げればいくらでもぼろは出そうだ。
だいたい一ヶ月レベルで同じことが反復するって言うのが怪しすぎる。
61 :
考える名無しさん:02/10/04 18:13
つーか意外とロジックで崩すのってむずいな。
一瞬(ほんの一瞬だけど)なるほどと思ってしまう自分がいるのが怖い。
.,,,,,,,,iiiiiiiiiiiiiiiilllliiiiiiiiiiiii,,,
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63 :
不在のデリチェ:02/10/04 18:29
テレビによって、イメージが鮮明になった、さらに記録して
物として所有しやすくなった、つまりより自己回収しやすくなった。
意識のあり方はなにも変わっていない、というのが結論だろうな。
言葉を持つ前からイメージとして他者を自己(のシステム)に回収していたのだから。
64 :
くろしろ ◆Mi0a.9Ms2A :02/10/04 19:14
俺はテレビなど見ない。2ちゃんねるのせいだ。
65 :
考える名無しさん:02/10/04 23:10
テレビによって、イメージが鮮明になった、さらに記録して
物として所有しやすくなった、つまりより自己回収しやすくなった。
インターネットによって、個人からの情報の発信が可能になり双方向の
コミュニケーションが可能になった
2チャンネルより、人間の本心が明確に表現されるようになり
今まで見えにくかった人の心が言語情報として明確に認識で
きるようになった。
66 :
「哲学的」者:02/10/05 00:52
ガイアインターネットトラフィックが、天才の頭脳内トラフィックを
超えた瞬間・・・・・!
人類は「ガイアの一細胞」に転落する。
それ以降、銀河系で「実存」する特権を有するのは唯一「ガイア」となる。
と言う仮説は「成立しうる」かもしれない。
67 :
考える名無しさん:02/10/05 07:27
68 :
考える名無しさん:02/10/05 08:22
テレビから送られるイメージは、第三者が考えたすでに造られたイメージ。
素材を見て、本人の持つ経験や知識、考え方、想像力から自力で
つくりあげたものではないですね。
誰かが一方的に流すイメージを、自分のイメージとしていつのまにか
取り入れているだけ。そこから、更に引きのばせるイメージ(というか解釈)も
あるだろうが、オリジナリティや個性はかなり薄まっているのでは。
スリコミみたいだね。
69 :
考える名無しさん:02/10/05 09:37
日本のように情報の集積度や流通速度が異常に高い社会での事象を
人類史一般に転化するのもねぇ。
地域・言語共同体内部で醸成されたイメージ(現実)が映像によって解体―再構成
される現象は確かにあります。
ただ、それが人間精神の類的進化に寄与するのでしょうか?
印・パ核対立で西側メディアの
「核戦争になったらどうするか?」という問いかけに対して
「逃げる」と答えている素朴なインド人を見ると
そんなに楽観的なことは言えないような気が…。
二桁の掛け算が国民的常識であることを勘案すると
それほど知的レベルが低いわけでもないでしょうし…。
まぁ、映像による報道を(真)とした場合の事ですけどね。
70 :
不在のデリチェ:02/10/05 10:05
私はテレビなどのメディアを危険なもの、少なくとも慎重に扱うべきものと考えていますが、
なぜ危険なのかというと、それは人間の認識のあり方が変化していないからでしょう。
71 :
考える名無しさん:02/10/05 10:27
テレビ脳、ゲーム脳
72 :
不在のデリチェ:02/10/05 15:48
人間の認識のあり方が変わらないのに
懇意的に作られた映像などに曝されていくと、
簡単に言えば、無理が出てくる。
おまえもな。>>1
>>55 >さて1960年年代の縮小反復が1996年なわけだが、1968年の文化革命に対応する出来事として
>1996年10月あたりの「脱力」(宮台氏のいうマターリ革命)は起きた。
宮台が「マターリ革命」なんていうわけない。2ちゃん語に毒されてるなあ>俺
>>60 ぼろは出ません。この歴史構造は客観的真理と思われる。なぜならこの構造を発見した時、
空白だった進化段階があとから次々と発見されてきれいに埋まったから。
日本から見れば米英が対イラク戦争を起こすなんて狂気の沙汰としか思えませんが、
私の理論からは、あれは完全に資本主義=進歩主義を終わらせるための儀式として
大きな歴史的意志が米英を衝き動かしていると理解できる。
75 :
考える名無しさん:02/10/05 22:55
ロゴスの中にしか善悪はない。
76 :
考える名無しさん:02/10/05 22:56
テレビとか言ってるところが痛い。
77 :
考える名無しさん:02/10/05 23:02
情報の双方向化とか、接続された意識の共有化とかの論点が
「てれび」という言葉では表現できんだろうよ。
78 :
考える名無しさん:02/10/05 23:46
tele-vision と書けばわかるだろうか。
79 :
考える名無しさん:02/10/06 00:21
2011年までにデジタルテレビのみになるってのは
1にしてみりゃあ、どういう事を意味する?
80 :
「哲学的」者:02/10/06 00:50
televisionが「どこでもdoor」になる日
放送が消滅する日=なにもかもオンデマンド革命
(右項の著作権は私が保有しております)
むかし「イルカが出てきた日」という映画があったな。
ネットで探してHDでダウンロードしよう・・ということができる日
半年後というのはちと早いだろう。
1Tbps、10THDD、世帯普及率70%時代が来れば・・・だな。
NHKで働く俺の親父には、
テレビなんか見るとバカになる
と言われて育ちましたけどね。
|<クラムニク vs ディープ・フリッツ>
|10月4日より、世界チャンピオンとチェスソフトが賞金100万ドルを賭けて激突!
|カスパロフの歴史的敗北から5年、人間のリベンジなるか!?
という対決が今バーレーンで展開中。今年が1997年の逆回転である新たな証拠。
>>79 デジタルテレビも現行アナログテレビと五十歩百歩でしょう。たいした意味はない。
インターネットやケータイが言論や人間関係を変えつつあるようなインパクトはないし、
もう今後そういうインパクトを与えるような技術は出てこないような気がする。
近代は進歩が自己目的化した時代だったが、進歩のためにはいったん現実を否定して
客観的視点に立たなければならない。活字文化の時代は客観的視点といっても仮想的な
もので、ものを考える時だけそういう態度で臨めばよかったから日常生活に支障はなかった。
しかしテレビが内面化した人間が客観的にものを考える習慣をつけるとその客観的視座が
実体化して生物としての人間的意識が死んでしまうのだ。これでは進歩のための努力をする
意味がない。社会の進歩に貢献するためといっても結局は自分が指導的な地位について
物質的に恵まれてこそ努力のしがいもあるというものだが、俺なんかの場合、努力を
続ければ続けるほど人間的感覚から遠ざかってしまい、ついには意味のない世界が固定して
しまって個人的メリットがまったくなくなってしまうのだ。いま社会問題になっている
ひきこもりはこういうメカニズムで発生・固定したものだろう。その証拠にひきこもりは
圧倒的に男が多い。女は客観的にものを考えないからひきこもりにはなりにくいのだ。
さて対イラク戦争は資本主義を終わらせるものになると思うが、当のアメリカは資本主義を
延命させるための戦争だと思っているところが皮肉なところだ。20世紀は世界戦争、共産主義、
ファシズム、高度成長、若者文化、IT革命と歴史の延命企画満載の100年だったが、
どうやらここに来てそのネタも尽きたようだ。何もすることがないと精神のバランスが
崩れるので戦争でもしようということなんだろうけど、こんな世界、意味ないよなあ。
と、現時点では思うものの完全に進歩を放棄してしまえばまた違った世界が見えてくる
かもしれないということに一縷の望みを託しているのだった。
ニュー議の3月23日スレ消えた。5日に一回書けば落ちないのかと思ってたのに。
>テレビが内面化した人間が客観的にものを考える習慣をつけるとその客観的視座が
>実体化して生物としての人間的意識が死んでしまうのだ。
っていうかさ、これってどういう意味?なんかあまりに抽象的すぎない?
具体的な事例でいえる?
>さて対イラク戦争は資本主義を終わらせるものになると思うが、当のアメリカは資本主義を
>延命させるための戦争だと思っているところが皮肉なところだ。20世紀は世界戦争、共産主義、
>ファシズム、高度成長、若者文化、IT革命と歴史の延命企画満載の100年だったが、
>どうやらここに来てそのネタも尽きたようだ。
延命させる?継続させるとどう違うの?
一般的にはITの次は遺伝子工学といわれてて、IT以上の衝撃を与えてるといわれてるけど。
86 :
考える名無しさん:02/10/06 10:50
抽象的、というより「生物としての人間的意識」の意味が解りません。
典型的な、正当な議論を怖がる抽象的文章構成法?
88 :
考える名無しさん:02/10/06 14:23
だから
>>55の論理を崩せば勝手に自滅するんだって。このバカは。
>>85の前半は一応意味が通っているよ。味方するつもりじゃないけど…。
90 :
考える名無しさん:02/10/06 15:12
>>89 要するにテレビにはまると、自分でものを考えるという習慣が無くなる、
ってことだろ。
「その部分は」別に問題ないじゃん。あくまでその部分はね。
つーかおれが
>>1なら自分で自分の首絞めるようなこと言うわけ無いだろ…。
一生テカってろ。
91 :
考える名無しさん:02/10/06 15:14
これ、どこかで同じようなこと読んだな。10年くらい前の社会学の本だった。
1は舞い上がりすぎてるな。
目新しいことを書いてるわけでもないんだから、冷静になればいいのに。
>要するにテレビにはまると、自分でものを考えるという習慣が無くなる、
>ってことだろ。
なるほど、そういうとたいしたこといってないね。
電卓で計算能力が落ちるとか、ワープロで漢字能力が落ちるとか
そういうことか。
でも昔のひとほど物事いろいろ考えてたよな。なんせ情報が少なかったし、
世の中の変化も緩やかだったから、まったり思考できた。
ちゅうか、思考する人自体が少なくて、思考自体が贅沢品だったけど。
これからも
>>1のレスの翻訳たのむよ。
空海は言葉が先にあったといっている。いわゆる観察者なくしてこの世の中はありえない。
あるけれどもない。
テレビ、マスメディアは常にある一部のものが操る。われわれ世論は常に二者択一で選択を迫られる。
右か左か 丸かばつか 共和党か民主党か 自民党か民主党か
我々の価値観はどうしようもなく洗脳されている
多様性のない価値観
自由という名のもとに不自由な脳内構造を刷り込まれた。ロボットのごとくに
価値観をひとつにする必要などさらさらない
すべてのものが違うことを考えればいい
根底には融合という二文字は必要だが
テレビやポピュラーミュージックは確実に我々の脳みそにある一部のものの価値観を植え付ける
洗脳アイテムだ すべての番組がそうだとは言わないが巧みにそして慎重に
我々は一つにされようとしている
それを阻むためには 自らの力で考え 自らの目でみたものしか信じないことだ
世論調査の数字は常にでっち上げであるという価値観で
大衆の意見などないと思うことだ
自問自答と他人との融合 霊的価値観の構築 自分を見つめることによって自然を見
答えは常に我々人間の心の中にあるが見えない
無明からの脱却 自我を捨てることによって見えてくる 空と智慧 慈悲愛の心
相当宗教的になってしまったが
ようは哲学をしろ
TVって情報量の洪水だよな。
見てるだけで多量の情報量がたれ流されてる。
っていっても情報って知識って意味じゃなくて、ただ風景を流してても
そこには膨大な画像データがあってさ。
たとえば良くこの記録メディアは図書館の活字をこれだけの大きさにまとめられますって
あるけど、たとえば1年間でTVから流される情報データってデジタルにするとどれぐらいの
記録容量が必要なんだろう。
まあ、その情報の洪水の前に、ぼくたちはただボーとしてしまうってことか。
92は舞い上がりすぎてるな。
目新しいことを書いてるわけでもないんだから、冷静になればいいのに。
97 :
考える名無しさん:02/10/06 16:22
>>96 1さん、こんにちは。釣られてないで、お話しましょう。
>テレビが内面化した人間が客観的にものを考える習慣をつけるとその客観的視座が
>実体化して生物としての人間的意識が死んでしまうのだ。
この部分ですが、単に自分でものを考えなくなるというレベルではありません。
もっと本能的レベルで生きていることの意味がわからなくなる。例えば、なぜ仕事とか勉強をしなくては
いけないのかとか、なぜ恋愛とか友達づきあいしなければいけないのか、などです。
ここまで行かなくても例えば少子化は社会レベルで本能が低下していると考えられるし、
1985年以降、芸術の死が語られ、音楽はすべて二番煎じにしか聞こえないという発言もあった。
1984年以前の映像や音楽を視聴すれば、あの時代は今よりはるかに濃密な意味に満たされていた
というのは誰しも感じることでしょう。85年以降、世界は別の次元に飛んでしまった。
そういう本能喪失を一部の人間は社会生活が不可能になるようなレベルで体感しているのです。
そういう状況はあったものの、その原因は今まで語られたことはなかった。
私はやはりテレビと一体化することで個体としての存在意義が失われたせいだと思う。
その証拠に常識では考えられないような犯罪を犯す人間が1962年生まれ以降に集中して現れている。
テレビの普及率は1958年=8%、1960年=32%、と推移し1962年=60%と半数を越えている。
ここが分水嶺で、この年以降に誕生した人は世代として生まれながらにテレビの認知構造が
意識に深く刷り込まれているのだ。ちなみに宮崎勤、上祐史浩、佐藤宣行(新潟少女監禁事件)
の三氏はすべて1962年生まれである。ほかにも斉藤環氏もひきこもりはだいたい62年生まれ以降の現象で、
その年齢から小説や評論が読めなくなる人が激増すると言っている。また1986年に新入社員はあまりにも
それ以前の人間と隔絶しているので、「新人類」と呼ばれた。86年入社といえば
順調なら63年生まれ、一浪なら62年生まれも含むという世代だ。
>>85 >延命させる?継続させるとどう違うの?
>一般的にはITの次は遺伝子工学といわれてて、IT以上の衝撃を与えてるといわれてるけど。
延命とは資本主義の右肩上がりの拡大再生産の状態を維持させることです。
「継続」だと何も変わらない定常状態も含まれてしまうのでちょっと違います。
次にIT革命は社会を新しい段階に導くというイメージがありますが、遺伝子工学は
むしろ定常社会を志向するものでしょう。出生前のDNA診断とか、遺伝子治療、
クローン人間、果ては不老不死まで実現してしまうかもしれない。
医学の発展は寿命こそ延ばしたものの、薬づけの半病人状態とか、意識もないのに
無意味な延命などあまり明るい未来をイメージさせるものじゃないし、
進歩を延命させるどころかむしろ破壊するものですね。
というか、自分でもおかしいのわかってて、
おれに挑戦してみろって姿勢がなんか
そそられるような、萎えるようなw
カウンセリングをしてる気分だ。
>この部分ですが、単に自分でものを考えなくなるというレベルではありません。
>もっと本能的レベルで生きていることの意味がわからなくなる。例えば、なぜ仕事とか勉強をしなくては
>いけないのかとか、なぜ恋愛とか友達づきあいしなければいけないのか、などです。
>ここまで行かなくても例えば少子化は社会レベルで本能が低下していると考えられるし、
>1985年以降、芸術の死が語られ、音楽はすべて二番煎じにしか聞こえないという発言もあった。
>1984年以前の映像や音楽を視聴すれば、あの時代は今よりはるかに濃密な意味に満たされていた
>というのは誰しも感じることでしょう。85年以降、世界は別の次元に飛んでしまった。
>そういう本能喪失を一部の人間は社会生活が不可能になるようなレベルで体感しているのです。
この部分はまあ、よしとしよう。いろいろおかしな点があるが、細かいところを
上げると切りがないので。
>私はやはりテレビと一体化することで個体としての存在意義が失われたせいだと思う。
>その証拠に常識では考えられないような犯罪を犯す人間が1962年生まれ以降に集中して現れている。
>テレビの普及率は1958年=8%、1960年=32%、と推移し1962年=60%と半数を越えている。
>ここが分水嶺で、この年以降に誕生した人は世代として生まれながらにテレビの認知構造が
>意識に深く刷り込まれているのだ。
この部分ですが、高度成長以降、普及したのはTVだけでなく、
当然様々なものの普及率が向上し、社会構造として全体的に変化してきた。
それをあたかもTVだけが特出して評価するのがおかしいですね。
TVのみが特別である理由はなんですか?
>延命とは資本主義の右肩上がりの拡大再生産の状態を維持させることです。
>「継続」だと何も変わらない定常状態も含まれてしまうのでちょっと違います。
では資本主義の低迷のあとどこへいくのでしょうか。アメリカ式の資本主義は
確実にいまも世界を席巻しようとしています。単にここ1、2年アメリカ市場が
停滞しているからといって、資本主義の低迷してるというのは早急では?
>次にIT革命は社会を新しい段階に導くというイメージがありますが、遺伝子工学は
>むしろ定常社会を志向するものでしょう。出生前のDNA診断とか、遺伝子治療、
>クローン人間、果ては不老不死まで実現してしまうかもしれない。
>医学の発展は寿命こそ延ばしたものの、薬づけの半病人状態とか、意識もないのに
>無意味な延命などあまり明るい未来をイメージさせるものじゃないし、
>進歩を延命させるどころかむしろ破壊するものですね。
あなたの遺伝子工学のイメージがどのようで、SFチックな破滅なものでも、
すでに遺伝子工学は多くの成果を上げています。というか、品種改良からの
延長であり、今後も成果をかげていくでしょう。
そしてそれは人類史的にみても大きなターニングポイントになる可能性を
秘めています。
人は基本的にすべてを支配し、コントロールしたいという欲求でここまで
きています。遺伝子を操作する方法を手に入れた人間がコントロールできる
領域は飛躍的に広がります。そしてそれだけの影響が定常社会を志向する
だけのものとは考えにくいですね。
>>104 どんなだっけ?というか、結局TVの特別性を議論するスレだろう。
ここが要点なんだから、いいじゃん。
>>107 お話にならない?じゃあ、おまえが反論しろよ。
わかってるんだろう。
>5000年前 都市文明=思考のはじまり(文字=理想状況概念)
>2500年前(=BC500)思考の自覚(リュディアの硬貨→ミレトスの哲学)
>500年前(AD1500) 実証的思考(活版印刷)
>250年前(AD1750) 進歩の自覚(百科全書→フランス革命)
>50年前 (AD1950)テレビ(世界の認知構造根本的変化)
>25年前 (AD1975)ポストモダン(メタ意識=パロディとしての世界)
>5年前 (AD1995)進歩の終焉明確化
わかったよ。書き直すよ。
というか、人間の意識をこのようなメディアでだけで語るのは
どうかっていうことさ。
だから高度成長以降、普及したのはTVだけでなく、
当然様々なものの普及率が向上し、社会構造として全体的に変化してきた。
それをあたかもTVだけが特出して評価するのがおかしいですね。
TVのみが特別である理由はなんですか?
これでええか?
>>107
110 :
katze:02/10/06 20:04
>>109 >>30で同じ質問をしてるみたいだけど、その質問に対する1の答は、
>>1と
>>9の部分に書かれてる。
それでも更に質問しているのは、これだけじゃ納得できないということなんだろうけど、
>>1と
>>30を比較すると、問題意識にズレがあると思う。
1がテレビを問題としているのは、単にテレビが影響力を持った
メディアであるからではなく、一種の仮想現実だからなんじゃないかな。
>>111-112 2chにはこういう行為の需要ってあったかなw
それとも正義のボランティア?
>>111 ん〜よくわからんな。
>>1さんいないし、とりあえず
>>1の良き理解者の
>>104さん
人間の意識をこのようなメディアでだけで語るのは
どうなのかな?
たしかに一面ではあるけど、社会の背景、たとえば市民革命や産業革命として
考えていたんだけど。
たとえばTVの過剰な情報のシャワーは人間の意識に大きな影響を
与えたけど、そのコンテンツは視聴率を獲得するために
日常よりも少し先のかなり保守的で成熟されたものを提供してて、
TVで放送される前に文化自体が確立されてるよね。
その文化がつくる背景はもっと大きな社会で作られてる。
TVが人の意識を先導してるというよりもあくまで広報係で
ほんとうの意識に訴えかける変化は、TVでおこってるんじゃなくて、
現場でおってるんだ!ってことでは?
TVって芸術的にも、教養的にも、エンターテイメント的にも
かなり低いよね。昔は伝達速度や臨場感が売り物だったけど、
ネットにやられてしね。ネットはテキストベースだけど、
バスハイジャック事件のときの2chとかにしても、
伝達速度、臨場感で負けてた。
>>115 この話では、テレビに何が映っているかなんてことに、大した意味は無いんだよ。
>>117 なことはないだろう。w
もしそうなら、それで人の意識を語るなんって、わらっちゃうよ。
なんかおれがいってる意識と意味が違うのかな。
技術の発展とともに、もっと技術的な意味での器官として意識が
発達するみたいな話か。
120 :
Kurihara:02/10/06 22:44
マトリックスとは資本のことです。
G−W−G'のマトリックス的運動の外部が
所謂、現実の世界、労働者が資本に労働力を
売ることでしか生かされない人体再生産の現場
なのです。
映画『マトリックス』はそのことを漫画的に
描いていたわけです。
皆馬鹿ばかりだ
>>103 >この部分ですが、高度成長以降、普及したのはTVだけでなく、
>当然様々なものの普及率が向上し、社会構造として全体的に変化してきた。
>それをあたかもTVだけが特出して評価するのがおかしいですね。
>TVのみが特別である理由はなんですか?
例えば歴史を分析する時に、その社会におけるいろいろな階級の力関係によって
実際の展開を説明するという方法がありますが、この方法について「なんで階級の
力関係だけ特別扱いするんだ」と文句を言っても仕方ないですね。これは方法であり
公理であって、その正当性または有効性は結果を見て判断すべきです。
マクルーハンに向かって「なんでメディアだけ特別なんだ」と文句を言っても仕方ない。
私の動機は「意味を失った意識がどうすればそれを回復することができるか」という治療論
なので具体的な原因が特定されなければなりません。その時もっとも大きな可能性として
浮上してきたのがテレビでありメディアの問題なのです。またこのメディア論はヒトの
進化段階もみごとに解明してくれたので、それを重視することはかなり妥当性の高いことと
思われます。
意味がないのは何もしないからだ、甘えてないで何かしろ、そうすれば意味はあとから
ついて来る、という人がいます。ひきこもりについてはそういう非難がほとんどです。
しかしそういうレベルの話じゃないんだということを主張したいために、テレビが深い部分で
人間の意識を機能不全に陥らせているんだという話を持ってきたという意味もあります。
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄」
―――――――――――――‐┬┘
|
____.____ |
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| | ∧_∧ | | あっ
| |( ´∀`)つ ミ | ゴメソ
| |/ ⊃ ノ | |
 ̄ ̄ ̄ ̄' ̄ ̄ ̄ ̄ | ┏━━━━━━━━━┓
┃┌──────┐□┃
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┃│~~_-= =~- =~ -│○┃
┃│_~_=~_=--~_=~._│ ┃
┃└──────┘■┃
┗━━━━━━━━━┛
>>1 ⊂⌒~⊃。Д。)⊃
124 :
考える名無しさん:02/10/07 08:59
人類の意識の変化とメディアの変化に高い相関性があるのは、同じ社会的背景のもとに
相互に影響を与えながら変化してきたのだから当然だと思います。
メディア論はあくまで人の意識の変化との相関関係を語っている訳で、
メディア論で人の意識の変化すべてを説明しようとしているわけではないですよね。
でもそれをメディアが技術で、技術進歩が延長線上で予測しやすいからって、それのみで
人の意識の変化を予測するのには無理があるということですよ。
テレビが深い部分で人間の意識を機能不全に陥らせているというなどのメディア論は、
かなり一般的じゃないですか。
>>1さんの話で特別おもしろいところは、
「もうすぐ人類の意識は新たな段階へ進化します。」っていうとこで、TVというメディアが
それほどに大きな存在になり、人の意識を新たな段階へ進化させるほどに
人間社会の中心的存在になったのか?そこが議論の論点ですよね。
あとプライベートのことなので、あれですが
>>1さんはひきこもりさんですか。
ひきこもりの自分を正当化するために本スレを立ち上げたとかいうことは
ありませんか。深読みしすぎならごめんなさい。
>ぴかぁー
新しい意見だろうと誰かが先に考えた意見だろうとそんなもんどうでもいいやん
なぜそれにこだわるのかわからん
>>125 それでは近代の確立に活版印刷が決定的な役割を果たしたという説は
「メディア論で人の意識の変化すべてを説明しようと」する誤った考え方なわけ?
これは現代の常識と思いますが。
柄谷行人氏は歴史の60年周期説を唱え、その要因として「主要な世界商品の交代」を
設定していますが、私の縮小反復説の場合はその要因が「支配的メディアの交代」となります。
まあもうすぐ意識の進化が起きるというのは社会体制が成長主義から持続主義へ、
大量消費から節約へ移行した時の中心的価値観が変わり、それまでの進歩のための
緊張感が脱落するということだが、そういう社会は一国だけで築くのは無理かもしれない。
ワークシェアすると人件費が割高になるので国際競争力が落ちてエネルギーや食糧が輸入
できなくなる。だから世界を統一して一斉に体制変革するための手始めとしてイラクに
戦争を仕掛けるのかもしれない。
>>127 まあひきこもりだな(よく外出はするけど)。俺は普通に勉強や仕事ができる人間が信じられない。
テレビが内面化した世代が進歩の努力を続ければ何もかも不可能な状態に陥るはずだ。
そうならないのは享楽的で倫理感が欠如しているからとしか思えない。
130 :
考える名無しさん:02/10/08 04:13
>それでは近代の確立に活版印刷が決定的な役割を果たしたという説は
>「メディア論で人の意識の変化すべてを説明しようと」する誤った考え方なわけ?
>これは現代の常識と思いますが。
メディア論で人の意識の変化すべてを説明できると考えるのが、現代の常識なら
なぜ教科書等の歴史書籍はメディアをもっと中心に扱わないんでしょうねw
権力者をたどる方法が一般的としてももっと大きな扱いをしてもいいと思いますねw
>まあもうすぐ意識の進化が起きるというのは社会体制が成長主義から持続主義へ、
>大量消費から節約へ移行した時の中心的価値観が変わり、それまでの進歩のための
>緊張感が脱落するということだが、そういう社会は一国だけで築くのは無理かもしれない。
>ワークシェアすると人件費が割高になるので国際競争力が落ちてエネルギーや食糧が輸入
>できなくなる。だから世界を統一して一斉に体制変革するための手始めとしてイラクに
>戦争を仕掛けるのかもしれない。
いっていることが矛盾だらけです。あなたはいったいどこの国の話をしているのですか?
日本?先進国?世界中?あちこちから都合のいいところをとってきてつないでいるだけでは?
TV放送はとても国産なものです。それは言語の関係もあるし、放送というバード面もあると思います。
TVの影響が画一的に世界全体に影響をあたえるのですか?
たとえば日本とアメリカでのTV文化はかなりちがうと思いますが。
>まあひきこもりだな(よく外出はするけど)。俺は普通に勉強や仕事ができる人間が信じられない。
>テレビが内面化した世代が進歩の努力を続ければ何もかも不可能な状態に陥るはずだ。
>そうならないのは享楽的で倫理感が欠如しているからとしか思えない。
ひちこもりはTV内面化したからでもなんでもありません。
単純な教育システムの崩壊です。現在も不登校者は増え続けていますが、
もっとも社会の変化を敏感に吸入する先鋭的な子供と
世のかなでもっとも変化への対応が遅い公共システムとのギャップが、この変化の早い世の中では
決定的な差となっているのです。
日本のTV文化でいえば、あなたもいってる80年代のマンザイブームは
一つの基点となっていますが、これは何かを作り出したわけでなく、単に
社会とのずれを修正したにすぎません。
60、70年代にいままでのメディアにはない即時性と視覚との情報は
人に大きな刺激を与えましたが、一般化し大きな価値がなくなっている
と感じる社会といままでのステータスを保ち続けたTV制作側のギャップを
マンザイブームは縮めただけです。
それはTV文化の崩壊でもあり、それ以降その他メディアの反乱で
いまやTVには明日価値はありません。そして若いものほど、
TV離れが増えているのが現状です。
もともとTVは何かを作り出すものでなく、単に情報を伝達するだけの
ものだから、多くのハードが登場すれば、廃れていくのは当然です。
>>1のいっている意識をおれのいっている意識って意味が違うことは
わかってるけど、きみのいう意識も明確ではなくて、
あちこちからいろいろ都合のいい知見を寄せ集めてるだけだと思うぞ。
135 :
考える名無しさん:02/10/08 12:17
一億総白痴化ってテレビ局の偉い人がいってたもんなぁ。
136 :
考える名無しさん:02/10/08 12:43
>>131 以前は歴史といえば政治史ばかりでしたが、最近はメディアや技術、都市、博覧会などに
焦点を当てた社会史の本が増えたし実際面白い。歴史の見方は変わってきています。
意識の変化は世界同時に起きますが、資本主義がテイクオフしてない地域では脱力と
いってもそもそも力が入ってないのだから変化は観察しにくいでしょう。
ワークシェアのための世界統一というのは先進国の都合なので何もしなくても豊かな
中東の産油国や今まさに成長中の中国は抵抗するでしょうね。
日本のバブルが崩壊したのは10年前だが、アメリカは最近だというように経済状況に
差はありますが、人類意識は単一なので、共通の大きな変化に流れ込むようにそれぞれの
国の歴史は進んでいく。日本がバブルの後始末をズルズル先延ばしにしてきたのは
もうすぐ起きる世界資本主義の転換に合わせるためだったと理解できるでしょう。
>>132 単に教育が時代にそぐわなくなったというだけで深刻なひきこもり問題が起きるとは思えない。
新卒者が正規の就職ではなくフリーターを選ぶ、という程度のことで済むはずです。
しかし全員がひきこもったら社会が成り立たないのでテレビが内面化した世代は
あまり倫理感を持つべきじゃないし根源的思考もしないほうがよい。
団塊ジュニア以降の学力低下はこのようにして生じた。正しい防衛反応だ。
あと多重人格というのも防衛反応で、テレビが実体化させたメタ意識を別人格として
分離したものだ。メタ意識に重心が移ると人間的意味が死んでしまうから分離させる
のだが、分離した人格もメタ意識を持つとそれも分離しなければならず、次々と分離
するから20以上もの多重人格になってしまう。しかしそのうち患者は幼少人格というものを
発明する。幼少人格ならメタ意識を持たないので安定するのだ。この幼少人格の登場は
幼いころ性的虐待を受けた年齢に退行したものだという解釈が一般的であるが誤りである。
ただし性的虐待論も自分を客観的に見る意識を別人格として分離するという考え方自体はいい線いっていた。
ほかにも学級崩壊(ADHD)やキレる少年などもテレビが原因である。
これについては「テレビ・ビデオが子供の心を破壊している」という本などですでに
指摘されているし、最近も「ゲーム脳」という言葉が話題になっている。
139 :
考える名無しさん:02/10/09 15:32
1はちょっと、心の病気っぽい。
統合失調症(精神分裂病)の初期には「世界が変わっていく予感」や「正常に物事が認識できない」
といった症状が出るらしいし。
140 :
考える名無しさん:02/10/09 15:43
電子の世界に「意識」が入るんだろう。
溢れた情報が分散するように。
人格も分散。自分が誰だか分からなくなる、まやかされた世界。
でもそれが人類が生き残る道。
臆病になるけど・・・。
142 :
考える名無しさん:02/10/09 16:44
テレビ=管理しやすい媒体
143 :
katze:02/10/09 19:00
人類が進化したのではない
むしろ退化した
文明の力によりあらゆるものが代行された
また人類を取り囲む社会が変化したのだ
これにより進化したと錯覚を起こしてしまう
>以前は歴史といえば政治史ばかりでしたが、最近はメディアや技術、都市、博覧会などに
>焦点を当てた社会史の本が増えたし実際面白い。歴史の見方は変わってきています。
政治史ばかりなのは、それが記述として残っていること。権力者が変わることが、
人に与える影響は明確です。権力者がかわれば、人の生活への影響は
短期間で明確にあらわれます。しかしメディアの人への影響の与えかたが不明確です。
現代ではTVやネットが開発されて、世の中への普及は数十年単位で起こりますが、
それは経済性、社会性に背景にできることで、たとえば何年に印刷技術が開発された。
で、その影響はいつどのようにして起こったのか。階級制があり、教育システムも普及し
ていない世の中でその普及はかなり遅い速度で起こったと考えられます。
例えば、100年前日本でさえ文盲率はかなりのものだったと思います。
もうひとつは進化論の普及以来、人の考え方の基本となっている人は時間とともに進歩するという
記述をしやすいためでしょう。
そういう意味ではメディア史も政治史と大差なく、人が進歩していくという思想で語られます。
実際、人の意識が本当に進んでいるのかかなりあやしい面があります。エジプト文明や
ギリシャ文明の教育を受けた知識人に比べて、現代人の意識はほんとうのそれほど差が
あるのでしょうか。
>意識の変化は世界同時に起きますが、資本主義がテイクオフしてない地域では脱力と
>いってもそもそも力が入ってないのだから変化は観察しにくいでしょう。
>ワークシェアのための世界統一というのは先進国の都合なので何もしなくても豊かな
>中東の産油国や今まさに成長中の中国は抵抗するでしょうね。
>日本のバブルが崩壊したのは10年前だが、アメリカは最近だというように経済状況に
>差はありますが、人類意識は単一なので、共通の大きな変化に流れ込むようにそれぞれの
>国の歴史は進んでいく。日本がバブルの後始末をズルズル先延ばしにしてきたのは
>もうすぐ起きる世界資本主義の転換に合わせるためだったと理解できるでしょう。
共産主義が崩壊して、世界的に資本主義が生き残り、世界を席巻しようしています。
世界資本主義?での価値観は経済性の追求です。
共産主義国家が崩壊したのは、資本主義国家との経済格差が大きくなったためですし、
EUが形成されたのも、単一国家では経済的に弱いために、市場統一のために経済圏として
共同体をくんだのです。ビンラディンのテロも大きく見れば、経済的強者のアメリカへの
弱者の嫉妬と考えています。おそらく100年もしないうちに、中国、韓国、台湾、日本+
東南アジアのいくつかの国でEUのようなアジア共同体が形成されるでしょう。
このようにグローバル化が進んでいますが、これは資本主義という思想で世界が統一され
始め、経済性を追求する姿です。
バブルに言及していますが、資本主義においてバブルは対した問題ではありません。
産業革命時のイギリスでバブルの崩壊が起こって以来、資本主義世界では定期的に
起こる現象です。資本主義経済は投機的側面が多く、昔なら鉄道ブーム、最近なら
ITブームのように過剰な期待のもとに発生する現象です。
まあ、その時代に生きている人にとってはたいへんなことですが。
意識の変化は世界同時に起きます、ワークシェアのための世界統一、人類意識は単一、
世界資本主義などの使い古された共同体幻想がなにを意味するのかよくわかりませんが
それとTVがどう関わるのか今ひとつはっきりしませんが、
たしかに世界は資本主義思想のもと確実にグローバル化、単一化に向かっています。
都市の町並みや服装考え方は地域的な格差は減って来ていますし、そのように進むと
思います。そういう意味では、世界資本主義であり、世界統一なのかもしれません。
その中で同様にフォーマットされた人間は、あなたのいうようにTVやネットで同様な
体験をすることにより意識も似通ったものになっていくことが予想されます。
個人的には、今後の世界のキーワードは、環境問題、ネット社会、遺伝子改良だと思います。
まあ、世間一般的な考え方ですが。
世界資本主義が進む中で、現実的に地球環境は人間すべてを資本主義的に豊かにするだけの
力はありません。その中で闘争がおきるでしょう。先進国はいまの発展途上国への搾取構造を
継続したいと望み、発展途上国はそれを打破しようとする。この闘争がどのような形になるのか、
資本主義的な経済戦争では発展途上国に勝ち目はありませんので、かといって武力闘争に
でればもっと勝ち目はありません。結構、テロ行為で憂さ晴らしすることになるのでしょうか。
この暗い将来像を覆すのが、ネット技術と遺伝子改良です。
遺伝子改良のポイントは人の延命と、食料生産効率の向上です。食料の生産効率の向上は
世界の人口増加対応するだけの食料を確保できる可能性があります。食うものがあれば、
争いは避けられる的な考え方です。
ネット技術は真のグローバル化を達成する可能性が期待されます。本来のすべての人に平等に
機会を与える理想民主主義に近づけます。ネット技術を使えば、たとえ発展途上国に住む
人も才能があれば、経済的に成功する可能性を広げます。
予測が難しいのが、遺伝子改良による人の延命です。生物は定期的に個体の入れ替えを
行うことにより種としての環境への適応性を高めています。人の延命は人類としても
その適応性を弱める可能性があります。
TVについていえば、すでに終わっています。日本においてもTVの多様性のない価値観は
すでに飽きられてきていますし、あなたのいう、テレビが内面化することで移行する意識の
新しい段階は、映画から始まった映像メディアの普及の100年ですでに一般化しています。
今後はむしろネット技術と添溶性の良いゲームの影響が大きくなるでしょう。
ネットゲームのバーチャル性の可能性は人の意識に大きな影響を与え始めています。
リアルな仮想現実は、人に新たな体験を与えます。TVの一方通行で強制的な価値観とは
大違いです。
先ほどのグローバル経済の行き詰まりは、多くの人を仮想現実は向かわせると考えています。
バーチャル社会は、現実社会を覆るグローバル性、経済性を実現すると思います。
そのとき、人は新たな意識を獲得する可能性があります。
仮想現実では人の欲求を満たすことは用意です。自分の理想の女性をSEXをして、
食べたいものをたらふく食べて、空を飛んで、希望すれば、人も殺すこともできます。
今のゲームですでにこのようなことは行われていますが、よりリアルになることによって、
人は仮想現実に依存していくでしょう。
しかしそれが非社会的であるとか、社会の弊害であるというは間違いです。
人はしょせん個体に閉じこめられた意識であり、視覚や聴覚、感触のセンサーで
外界を感じているとすれば、そのセンサーが仮想現実につながっても
大差はないのです。
ふぅ〜暇だったのでたくさん書いてみました。
150 :
考える名無しさん:02/10/09 22:01
今は個人心理が、無意識→潜在意識→感情表現へと順に表に出ている。
週刊誌、テレビ等のメディアは抑圧意識に揺さぶりをかけ上記現象を加速させている。
(最近は感情に訴える手法がより顕著。ガチンコがいい例。)
液体の入ったコップの内部の壁面についた泡(潜在意識)を外から叩いている感じ。
笑いも同じ。
昔のお笑い テーマは恥。(何何してはダメ。という抑圧を刺激して笑いをとる)
↓
ちょっと昔 テーマは毒舌(あいつはなになにだ。という我慢を刺激して笑いをとる)
↓
ちょい昔 テーマは意外性(個人の思考領域をちょっとハズシ笑いをとる)
↓
そして今 テーマは心の叫び(もう笑いというよりダイレクトな感情表現)
過去の社会制度で抑え続けてきた個人の感情が開放されて続けている。
(ここから偏った推測です。あまり深く追求しないでサラッと流してください。)
高校生、中学生、その下の年代の言葉、感情表現はより潜在意識がなくなっている。
そしていつかは無意識と潜在意識はなくなる、と予想する。
まあ健康な人とひきこもりじゃ話はかみ合わないってことだよね。
問題は世界経済の崩壊が人間の根本的変容をもたらすかってことなんだが、
そもそも世界経済が崩壊するかどうかもわからないし、仮に完璧に崩壊したところで
それが人間の変容に結びつくという保証もない。しかしその可能性にしか希望はないと思うから
言ってるんだが、べつに今の状態に不満のない人は戦争や経済危機があっても世界は基本的に
今と変わらずずっと続いて行くと思うんでしょうね。それは健康なことだし社会が正常に機能する
ためには大部分の人がそう信じる必要もある。しかし私にはそれは時代の本質的変化に
目をつぶったものとしか思えないのだが、妄想的終末論だと言われれば反論する気はない。
実際そうかもしれないし。私はもう自分の考えを他人に理解してもらおうと努力するのは
諦めている。どうせ頭がおかしい人扱いされるだけだから。まあ私は私なりに今後の展開を
楽しみながら見物するだけですね。
ニューエイジなんて世紀末によくはやったなぁ!
それと立花隆の『臨死体験上巻』にも
レイモンド・ムーディ
ケネス・リング
エリザベス・キュブラーロス
ルーカネン・キルデ
ついでに立花先生もかなり変です。
153 :
考える名無しさん:02/10/09 23:45
>>150 若い世代に精神の深みがなくなってるよなあ。
ヒットチャートでも5〜6人でわーわー騒いでるようなのばっかりやん。
CDの売り上げが落ちたからああいうインディーズみたいのがどんどんランキング入り
するんだろうな。若手お笑い芸人がどうでもよくなったように、ヒットチャートも
誰も見向きもしなくなるんじゃないか。いろいろな趣味のチャートがいくつも並立する
ようになるのがネット時代の文化の形かもしれない。
154 :
考える名無しさん:02/10/09 23:55
>>152 立花隆はヘンだという論調がありますが、今までの延長で進歩を持続させようと
するとああなるのは当然で、知的誠実な態度だと思う。
立花隆がヘンならIT革命論もヘンだし遺伝子による人間改変を賞揚するのもヘン。
そうだね。
156 :
考える名無しさん:02/10/10 11:47
>>153 こういう、何も考えてなさそうな書込みを読むと、ガッカリするよ。
>まあ健康な人とひきこもりじゃ話はかみ合わないってことだよね。
>問題は世界経済の崩壊が人間の根本的変容をもたらすかってことなんだが、
>そもそも世界経済が崩壊するかどうかもわからないし、仮に完璧に崩壊したところで
>それが人間の変容に結びつくという保証もない。しかしその可能性にしか希望はないと思うから
>言ってるんだが、べつに今の状態に不満のない人は戦争や経済危機があっても世界は基本的に
>今と変わらずずっと続いて行くと思うんでしょうね。それは健康なことだし社会が正常に機能する
>ためには大部分の人がそう信じる必要もある。しかし私にはそれは時代の本質的変化に
>目をつぶったものとしか思えないのだが、妄想的終末論だと言われれば反論する気はない。
>実際そうかもしれないし。私はもう自分の考えを他人に理解してもらおうと努力するのは
>諦めている。どうせ頭がおかしい人扱いされるだけだから。まあ私は私なりに今後の展開を
>楽しみながら見物するだけですね。
引きこもりがそんなにえらいのか?単に一部屋にいるか、一街にいつか程度の違いだろう。
完璧崩壊にしか希望はないって暗いな。
だいたいさ、現状の世界がどうなってるんだ。優遇された一握りの人間がいて、多数の貧困で苦しんでる人たちが
たくさんいて。ほんとの世界の平均で見るいまの世界は決して楽しいものじゃないだろう。
それは人類の歴史でみてもしかり、人は絶えず貧しく辛い歴史なんだよ。
それを意味自分が優遇された富んだ一部の部類に属しているからって、
暇つぶしに終末思想を持ち出してるだけじゃねぇの?
なんとなくだけど、時間あるなら中国でも旅行してみたらどうだ。
中国は物価安いから、おいしいもの食えて、いい女抱けて、
それで小汚い奴多くて、いるだけで優越感に浸れるぞ。
でも異常な活気がある。世界的な日本の特殊性がよくわかるよ。
裕福だけど、閉塞的で、日本人がみんないかに死んだ目をしてるか。
中国人はいまは意味なく?みんな生き生きしてるからな。
まあ、そんなとこだなw
158 :
2チャンネルで超有名:02/10/10 12:02
1がやってるいることは、馬券も買わないのに競馬の予想をして、
「コイツは当たるぜ」ってニヤニヤしてるだけのこと。
160 :
不在のデリチェ:02/10/10 14:25
気付いてるやつも出てくるころだと思うが、
エロ本なんていつまでも見てると、人を愛せなくなるぜ。
マルクスも言ってただろ?
つまりな、これは他者の所有と痕跡の問題だ。
俺達の体は理性なんてものに統合はされていない。
デリダがエクリチュ―ルについて明らかにしたように、
たとえば憎しみを込めてレイプのシーンを見るとしても、その時の意図から逃れさって
視覚的痕跡はより強く俺達が一般に意志と呼ぶものに反映されてくる。
打つ手はないのかというと、そうじゃねえよ。痕跡に気をつけるんだ。
他者は過去と未来の相しか帯びていない。
そういう生きかたをするんだ。いや、そうやって死につつあれ。
161 :
不在のデリチェ:02/10/10 14:34
俺達の見るべき映画は、『シンドラーのリスト』ではなく『ショアー』だ。
>160痕跡に気をつけるんだ。
他者は過去と未来の相しか帯びていない。
そういう生きかたをするんだ。いや、そうやって死につつあれ。
も少し噛み砕いてくだされ
>>146 近い将来の脱力革命とテレビとの関係ですが、テレビによって増幅された緊張感が
一気になくなるという関係があります。歴史の進歩が加速するのは情報の流通速度が
早くなるのと同時に物事を客観的に分析する能力が高まるという要因が作用している。
1980年代以降のめまぐるしい時代の変化はテレビによって客観性の高まった意識が
大きく作用している。
さて次なる進歩を求めて客観的意識をキープしたものの文化状況は荒廃する一方なので
1995年に入ると揺り戻し(大震災&オウム事件)が起き、96年10月あたりでガクッと脱力が
起きて、97年以降1970年代に戻ったような安定状態になった。しかしこのとき全員が力を抜いた
わけではなく、Aクラス(完全に理性的であろうとする)、Bクラス(そこそこ理性的であろうとする)、
Cクラス(理性的とかに無頓着)の人間のうち緊張感を放棄したのはBクラスの人だけだ。
その分Aクラスの人は進歩の負担が重くなり、その重圧に耐え切れず98年以降自殺が急増した。
97年の2万4千人が一気に3万2千人に増えた。その後も4年連続3万人台をキープしているので
合計3万人は余計に死んだことになる。重度のうつ状態に陥るほど理性的であろうとする人が
これだけいなくなったことで次なる脱力の準備は整ったとも言える。
なお98年に一部の人が超理性的状態に押し込められたのは1980年のマンザイブームに象徴される
メタ的視線の獲得の反復現象でもあった。
>>157 「自分が優遇された富んだ一部の部類に属しているからって、
暇つぶしに終末思想を持ち出してるだけじゃねぇの?」
と前段では言いつつ後段では、
「裕福だけど、閉塞的で、日本人がみんないかに死んだ目をしてるか。
中国人はいまは意味なく?みんな生き生きしてるからな。」
と豊かさの不幸を認めてるじゃん。
好むと好まざるとに関わらず日本の金融と財政は破綻するし、
どうせ破綻するのならそれに肯定的意味を与えたほうがいい。
心臓がドキドキするのが走って逃げる準備であるように、社会の危機が近いと
思われる時はそのための準備があってもいいでしょう。仮に空振りに終わるとしても。
1999年3月下旬ユーゴ空爆⇔2000年10月上旬ミロシェビッチ失脚
安室奈美恵⇔中島美嘉
COCCO⇔鬼塚ちひろ
キロロ⇔花花
椎名林檎⇔矢井田瞳
鈴木あみ⇔松浦亜弥
広末涼子⇔藤本美貴
スピッツ⇔キンモクセイ
などとここ2〜3年は逆回転でしのいできたわけだが、この歴史の逆回転というのは
そういつまでも続かない。2030年代に1960年代のような高度成長はありえないし、
2008年から再びバブル景気に沸くなんてこともない。モー娘のブームが去っても
再び小室ファミリーのプームが来るはずもない。つまり早ければ半年以内に生命誕生以来
50億年以上世界を支配してきた法則が効かなくなるのだ。そういう意味で私は「人類の進化は
近い」と大きなことを言っているのだが、まあいい変化なら進化だが、悪くすれば人類滅亡だな。
イスラム圏で終末論が流行っているというのもまんざら馬鹿にできない。
【追加】
スピード⇔ゾーン
1997年安室奈美恵結婚⇔2002年安室奈美恵離婚
さて、時間の数直線上を現在という点が移動するという形でイメージされる歴史はすでに
1999年いっぱいで終わっている。2000年以降、歴史的時間は一秒も前進していない。
世の中の出来事はすべて幅のない「現在」の中で生起しているだけだ。
また進歩がなくなると過去もすべて「現在」に含まれるものと感じられるようになる。
これまで人間はいろいろと工夫して進歩を遂げてきたけれども、進歩が終わった現在から
見るとそれは、まず完成された歴史の姿があって、過去の発展段階はそこへ至るプロセスを
適当に割り振ったものとしか思えないのだ。歴史の縮小反復構造はまさにそれが事実であることを
示している。これからは個人的時間の中で個人的欲望を充たすことのみが生きる目的となるだろう。
これは女子供の世界であり、脱力革命というのは幼形進化のことなのだった。
>>1 まずさ、オナニーしてるわけじゃないんだからおれの
>>144-148にも
コメントくれよ。きみの知ってる、メディア論とTV番組の中でしか
議論できないのか?
きみの世界観の狭さと知識の底は見えたから、もういいよ。
TVタレントの入れ替わりのみで、世界観と人類意識を
語る時点で終わってるじゃん。
とにかく
>>144-148にコメントしてみてくれ。
おれはふかきょんファンだから、恭子もいれてほしかったぞ!w
169 :
考える名無しさん:02/10/11 12:30
コメントする気にさせる芸さえないのではないかと。
170 :
考える名無しさん:02/10/11 15:01
人類の意識は新たな段階へ進化します=ただのニューエイジ系の終末論じゃん。
つまらん。
171 :
考える名無しさん:02/10/11 15:12
ケンウィルパーがもうすぐ流行すると予言しません。
>>148 仮想現実技術が発達すれば理想の女性とHができて、食べたいものがたらふく食べれて、
空もとべるし殺人もできるぞ、という能天気な未来像は実際はありえない。
仮想現実に依存するという意味では近代の人間は小説に依存して生きてきたし、それは
今のコンピュータゲームでも違いはない。しかし仮想現実だけで満足して生きていけるようには
絶対にならない。精神は体を動かしたり社会活動に参加してこそ維持されるもので、
擬似的情報だけでは手ごたえのある意味は消滅してゆくのだ。幼少期にテレビやビデオばっかり
見て育った子は言葉や情緒の発達が遅れ、社会性の持てない子供になってしまう。
これが今問題になっている小学校低学年の学級崩壊だ。ひきこもりは部屋にこもってテレビを見たり
ゲームをしたりしていると言われるが、実社会の活動に参加したくてもできないから
仕方なくそうして時間をつぶしているだけで、べつにそれに満足しているわけではない。
いくら仮想技術が進歩してもひきこもった状態にはけして満足はできないだろう。
むしろテレビという仮想現実と一体化することで精神の機能不全が起きているのであり、
それを正常化するのが急務の課題であるから問題意識が全然逆。
iモードが出会い系サイトを原動力として爆発的ブームになったのは仮想ではない
現実の出会いを求めたからでありすでに仮想文化への反動は顕在化している。
しかし1990年代後半以降の文化現象や社会の趨勢(IT革命など)は俺には冗談としか
思えないのだが、それを真に受けてる人もいるんだなあ。
宇多田ヒカル⇔倉木麻衣
優香⇔乙葉
井川遥⇔吉岡美穂
同じことが二回ずつ起きてるなあ。
深田恭子は97年デビュー、98年ブレイクであのキャラクターだと
薬師丸ひろ子かなあ(70年代デビュー、80年代ブレイクだから)。
>>172 これがきみのおれの意見に対する反論かな。みごとに中心部を避けた返答だな。
いかにも自己正当化のみに生きるきみらしい。話の中心部をみごとに避けて無理矢理の返答だな。
きみの大きな間違いは未来予測はどんなものの否定されることはできないという殻からでてこないことだよ。
来年の今頃は隕石落下で人類は滅亡しているときみが予測したとして、だれがそれを否定できる?
そうかもしれないし、そうじゃないかもしれない。きみの人類の意識は新たな段階へ進化します は、
それと同じ程度に誰も否定できないんだよ。で、きみがただ盲目的にそう言い続ける限り、
そこで話は終わってしまうんだよ。
何か必要か、それはきみもわかっているように、議論が必要なんだろ。でこの仮想現実社会の2chで
スレッドを立てたわけだ。きみは議論をししたくて、そうしたんだろう。さびしくて、みんなの気を引いて
相手がほしくて、そうしたの?議論をしたのなら、もう少し相手の意見を理解しようとする姿勢が
必要だと思うぞ。自分の都合のいいところばかり取り出して、盲目的で、意固地な姿勢はいかがなものかな。
だって未来予測はどんな可能性もあるかなり卑怯な分野な訳だから。逆に議論にしか意味がないわけだよ。
>仮想現実技術が発達すれば理想の女性とHができて、食べたいものがたらふく食べれて、
>空もとべるし殺人もできるぞ、という能天気な未来像は実際はありえない。
>仮想現実に依存するという意味では近代の人間は小説に依存して生きてきたし、それは
>今のコンピュータゲームでも違いはない。しかし仮想現実だけで満足して生きていけるようには
>絶対にならない。精神は体を動かしたり社会活動に参加してこそ維持されるもので、
>擬似的情報だけでは手ごたえのある意味は消滅してゆくのだ。
確かに性欲、食欲のこの満足のさせかたは脳天気だな。人間はもっと高度な欲求をもっているよ。
それに体を動かすこと、社会活動に参加して維持していくことが含まれているとして、高度な仮想現実では
十分これを満たすことが可能になるんだよ。
たとえばこの2chはテキストベースという大きな制約があるが、社会活動への参加、性欲をある程度
みたしている。そしてそれがこのサイトが日本で1、2のアクセス数を誇る魅力だよ。
きみが実社会ではひきこもっているのに、この2chでは擬似社会生活に参加してるんだよ。
これがテキストベースという枠をはずれ、よし実社会に近いかたちでバーチャル化されることを考えれば、
どれだけの影響力を持ち得るか想像できると思う。
小説、TVのような一方通行性と比べると、もともと異質の文化なんだよ。
>幼少期にテレビやビデオばっかり
>見て育った子は言葉や情緒の発達が遅れ、社会性の持てない子供になってしまう。
>これが今問題になっている小学校低学年の学級崩壊だ。ひきこもりは部屋にこもってテレビを見たり
>ゲームをしたりしていると言われるが、実社会の活動に参加したくてもできないから
>仕方なくそうして時間をつぶしているだけで、べつにそれに満足しているわけではない。
>いくら仮想技術が進歩してもひきこもった状態にはけして満足はできないだろう。
>むしろテレビという仮想現実と一体化することで精神の機能不全が起きているのであり、
>それを正常化するのが急務の課題であるから問題意識が全然逆。
>iモードが出会い系サイトを原動力として爆発的ブームになったのは仮想ではない
>現実の出会いを求めたからでありすでに仮想文化への反動は顕在化している。
>しかし1990年代後半以降の文化現象や社会の趨勢(IT革命など)は俺には冗談としか
>思えないのだが、それを真に受けてる人もいるんだなあ。
テレビという仮想現実と一体化することで精神の機能不全が起きてるという意味がよくわからないよ。
たんに、きみが幼少期にテレビやビデオばっかり見て育った子で、言葉や情緒の発達が遅れ、
社会性の持てない子供になったという自分の体験を元にしてるだけだろう。
小学校低学年の学級崩壊は価値観の違いだよ。学校いく前は家庭でいままでの学歴主義が崩壊して
いることから、個性重視の道徳観を教わった子供が、いまだに変化できない官僚的教育システムの
中でもだえている姿だよ。
しかし1990年代後半以降の文化現象や社会の趨勢(IT革命など)は体感的にも、社会的のも顕著で
きみさえそれによってほんとうのひきこもりから他人との対話を可能にして実感しているのに、
それを理解できない人もいるんだなあ。
交換日記
きみさえそれによってほんとうのひきこもりから他人との対話を可能にして実感しているのに、
それを理解できない人もいるんだなあ。
↑これは一概にはいえないと思うがw客観視してるっぽく見せてかなり主観的内容も含まれてるね・・・
相手を論破したいという気持ちと優勢に立ちたいという理由から相手の社会的立場を確定してしまうのはよろしくないと
個人的に思うけど
過去ログ読めよ。彼は自分がひきこもりとカミングアウトしてるよ♪
自己申告か・・・そしたら仕方ないかも。
そもそも、仮想世界ってなに?この世の中自体仮想なのではないのかな?
人が作り出した書物、機械、デジタル機器、そのデジタルという言葉とそれにたいしてのシステムも
テレビにしても人が作り出した物を映してるだけジャン。全部仮想世界ってのはいいすぎだけど
現実なんてあってないようなものだよ。所詮、宇宙の太陽系の第3惑星の有機生命体の多くある地球に存在する
たくさんの生物の中の脳みそが多少多いだけの生命体なんだからさ。
テレビテレビというが、人の存在も今の常識も全て社会から影響を受けてこれは常識だと思い込まされた物じゃん?
その媒体がテレビとか親とか友達とかPCとか新聞とか本とか・・・んでその影響を受けさせてる人ですら他のものによって影響されてるよ
その自分自身を見失うって意味内容すらがパラドックス生んでるよ。
所詮、自分自身なんてものは他社との比較の中でしか存在しないさ・・・しかもその比較している自分すらが他者から影響されてるんだから
ちょっとマクロ化させすぎました。ここまでいくと何のための論議か判らなくなるので
sage
なんでもいいけど、首をつっこむならログを全部読んでからにしてくれ。
既出だよ。
>>174 科学的思考ってわかります? ある現象を説明する原理(原因)を仮説として立てて、
もしその仮説が正しいとすればこういう現象が起きるはずだ、と予想するものです。
俺の未来予測は過去の出来事を仮説を立てて説明した上で、もしそうだとすれば未来は
こうなるというものです。これに反論するためには、その仮説だとこういう矛盾点があるとか、
こっちの仮説のほうがもっと説明能力が高いというものでなければなりません。
ところがぴかぁ〜さんの意見は「俺はとにかくこう思うんだ」というものでしかない。
これだとあまり建設的な議論にはならないよなあ。
184 :
考える名無しさん:02/10/13 10:47
アイドルタレントの衰勢を論拠に出されて建設的な議論も何もなかろうよ。
あほですか?
>>166のつづき
進歩主義者はつねに時代を先回りしてものを考える。
ふつうは2〜3年先かせいぜい10年くらい先で、この程度なら生活に支障はない。
メタ意識とは空間的には自分自身を外から眺めるような意識と表現できるが、
時間的には未来の一時点から現在を眺め返すような意識とも言える。
10年程度の未来からなら現在を眺め返してもそう違和感はない。
ところが徹底的な進歩主義者は最終的な未来に視点を設定しようとするので生命を超越した地点から
現在を眺め返そうとする。ところが生命を超越した世界とは生命の働きがない世界なので、
その時点から現在を眺めると世界が死んで見えるのだ(ニーチェの言う末期の眼)。
これが精神病理としての世界没落体験が発生するメカニズムだが、そもそも進歩(進化)を追い求めて
生命を超越した世界を設定するからおかしくなるのであって(生命を超越した世界なんて誰も
具体的に想像した試しがない)、最終的な進歩の形はもっと現実的に考えなければならない。
そこで出てくるのが歴史の縮小反復説だ。この説によれば1999年いっぱいで進歩の歴史は終わっているので、
それ以上の未来を設定する必要はない。
こうして力を抜くことにより、世界の外に出てしまったメタ意識は再び世界の中へ回収され、
生命の意味は復活するのだ。この「永遠の現在」という感覚や言葉はけっこう昔からある。
ということは徹底的進歩主義者が逃げ込む安全地帯としては定番なのかもしれない。
しかし今回やっとそれが歴史的正当性をもって堂々と主張できる時がきた。
でもこれって「我々はついに理想社会を実現した」と言ってた共産主義者みたいでもあるなあ。
21世紀は「永遠の現在」主義者による大虐殺の時代になるかも。
>>183 オマエモナー
確かに性欲、食欲のこの満足のさせかたは脳天気だな。人間はもっと高度な欲求をもっているよ。
それに体を動かすこと、社会活動に参加して維持していくことが含まれているとして、高度な仮想現実では
十分これを満たすことが可能になるんだよ。
たとえばこの2chはテキストベースという大きな制約があるが、社会活動への参加、性欲をある程度
みたしている。そしてそれがこのサイトが日本で1、2のアクセス数を誇る魅力だよ。
きみが実社会ではひきこもっているのに、この2chでは擬似社会生活に参加してるんだよ。
これがテキストベースという枠をはずれ、よし実社会に近いかたちでバーチャル化されることを考えれば、
どれだけの影響力を持ち得るか想像できると思う。
小説、TVのような一方通行性と比べると、もともと異質の文化なんだよ。
テレビという仮想現実と一体化することで精神の機能不全が起きてるという意味がよくわからないよ。
たんに、きみが幼少期にテレビやビデオばっかり見て育った子で、言葉や情緒の発達が遅れ、
社会性の持てない子供になったという自分の体験を元にしてるだけだろう。
小学校低学年の学級崩壊は価値観の違いだよ。学校いく前は家庭でいままでの学歴主義が崩壊して
いることから、個性重視の道徳観を教わった子供が、いまだに変化できない官僚的教育システムの
中でもだえている姿だよ。
しかし1990年代後半以降の文化現象や社会の趨勢(IT革命など)は体感的にも、社会的のも顕著で
きみさえそれによってほんとうのひきこもりから他人との対話を可能にして実感しているのに、
それを理解できない人もいるんだなあ。
>そこで出てくるのが歴史の縮小反復説だ。この説によれば1999年いっぱいで進歩の歴史は終わっているので、
>それ以上の未来を設定する必要はない。
>この「永遠の現在」という感覚や言葉はけっこう昔からある。
>ということは徹底的進歩主義者が逃げ込む安全地帯としては定番なのかもしれない。
>しかし今回やっとそれが歴史的正当性をもって堂々と主張できる時がきた。
>でもこれって「我々はついに理想社会を実現した」と言ってた共産主義者みたいでもあるなあ。
>21世紀は「永遠の現在」主義者による大虐殺の時代になるかも。
なんで今、縮小反復説がでてくるのかかな。そしてなぜ、この説によれば1999年いっぱいで進歩の歴史は終わっているのかな。
徹底的進歩主義者が逃げ込む安全地帯というより、きみ自信が逃げ込みたい願望だよね。
きみはひきこもりである。ひきこもりは部屋にこもってテレビを見たりゲームをしたりしていると言われるが、
実社会の活動に参加したくてもできないから仕方なくそうして時間をつぶしているだけで、べつにそれに満足しているわけではない。
きみはまわりの人よりも知識豊富で知能も高い。でも社会性がもてない。
なぜだろう。きみは考える。どこで社会性の欠落が起こったのだろう。
そうだTVだ。きみは幼少期にテレビやビデオばっかり見て育った。そのために言葉や情緒の発達が遅れ、
社会性の持てない子供になってしまった。ろテレビという仮想現実と一体化することで精神の機能不全が起きた。、
この身近にあるメディアの現代社会への影響力は絶大である。そしてきみ自信も物心付くまえから、
その影響を得つづけている。テレビはきみの意識の基本状態自体を変えてしまったのだ。
テレビが内面化することで意識は新しい段階へ移行した。同時に地球の隅々まで映し出すテレビの映像は
やがて意識のもっとも深い部分にまで入り込み、きみ自身と区別できなくなったのだ。
そして正常化するのが急務の課題であるときみは考える。
しかしきみがずるがしこいところは、そう簡単に社会批判をしないところだ。
いまの社会が間違っているなんって泣き言をいったところで、一喝されることを知っている。
人類の歴史を少しでも考えればわかることだけど。時間の数直線上を移動してきた現在を否定するのは、
馬鹿のやることだ。そこできみは歴史を肯定しながら、その帰結として現在の終焉を考える。
歴史の縮小反復説により、この社会は1999年いっぱいで終わっているのだ。2000年以降、歴史的時間は一秒も前進していない。
世の中の出来事はすべて幅のない「現在」の中で生起しているだけだ。
また進歩がなくなると過去もすべて「現在」に含まれる。これまで人間はいろいろと工夫して進歩を遂げてきたけれども、
進歩が終わった現在から見るとそれは、まず完成された歴史の姿があって、過去の発展段階はそこへ至るプロセスを
適当に割り振ったものとしか思えないのだ。これからは個人的時間の中で個人的欲望を充たすことのみが生きる目的となるだろう。
これは女子供の世界であり、脱力革命というのは幼形進化のことなのだった。
こうして力を抜くことにより、世界の外に出てしまったメタ意識は再び世界の中へ回収され、生命の意味は復活するのだ。
きみが社会性が欠落し、取り残されているわけではない。社会そのものが停滞し、幼形進化してしまったのだ。
きみだけが幼形進化したわけではないのだ。
あまり面白くないけど、自己の理論武装、意識のひきこもりっていうのが、
妥当なところかな。
まあ、自己の理論武装はだれでもやってることだし、きみのメディアによる意識の変化に
着目したところは結構面白いと思うんだけど。
この理論武装の柔いところは、きみの知識がメディアしかないということだな。
これはやっぱ弱い。人類の歴史を語るなら、メディアの裏の?社会的背景、政治、思想、技術についても
取り込まないとやっぱまずいんじゃないかな。
それともうひとつきみがいくらアイドルヲタでも理論武装にアイドルの変遷を使うのは致命的だろう。
アイドル3年寿命説は有名だし、松浦亜弥で終焉する理由がないよw
>>183 あ、それからさ。科学的思考的未来予測の件だけどさ。
おれの未来予測はきみのものほどおもしろみがないけど、
社会的には一般的な部類だと思うんだ。
きみが独自の未来予測も前に、まずそれを否定してみてよ。
それが社会的思考ってもんじゃないのかな。よくわかんないけどさ。
191 :
考える名無しさん:02/10/14 23:05
これを批判しようとすると「全部読め!」って言われるのかなー。
引いて引いて引きまくりー。
意識の分散化
情報の独立。
TVとは直接関係がないけど、終末に関する記述があったので・・・
終末思想のイメージは自分の中にある死の不安が作り出したイメージだと思う。
不安を持っているから、人々は終末的な物語や映画に惹かれる。
聖書の中にある終末のイメージ
エンドオブザワールド、マトリックスといった映画の中の終末のイメージ
昔は病気、地震、大洪水。ハレー彗星衝突
現在は原子爆弾、環境破壊に形をかえているだけだ。さほどかわらない。
不安は形を変えて、人の前にあらわれる。
過去の一部の人たちも終末の世界を想像していたが、実際には世界の終わりなんてなかった。
一方で、終末に対するイメージは、現実でもあった。
地震、洪水、原子爆弾、環境破壊で大勢亡くなっている。
マインド・オブ・ビューテフルという映画
アメリカの天才数学者が、国家秘密組織の一員として、ソ連に対する
核攻撃を防ぐ仕事をするという内容なのだが、、、、
現実にありえる終末をイメージしてしまったとき、根底にある不安と向き合い、
払拭するために自分なりの方法をみつけることが大事だと考えさせられた。
それから「ぴかぁ〜」 さん、これは現実に起こるかどうかの問題はあまり重要な位置には
ないと思いました。
>>1 まもなく、ロベルト・プッチ神父が、天国へ到達する
段階に入られます。
>>190 まず今の社会で一般的な見解から科学的に否定してみよとのことですが、たとえば
学級崩壊やひきこもりは単に学歴主義から個性重視へのズレだけでは説明できない
部分があるのでそれを説明する要因としてテレビを持ってきたわけです。
先日「テレメンタリー」という番組でひきこもり青年が社会に参加できない理由として
「雲の上を歩いているような感じ」がして地上の活動に参加するのに恐怖感があると言ってましたが、
その感じは俺もよくわかるし、まさにその上空高いところからはるか下方を見おろしているというのが
テレビの視点なのだ。テレビという身体の外の視点が内面化したことで、生物個体としての
地に足のついた感覚がわからなくなってしまうのだ。
>>148 >TVについていえば、すでに終わっています。
>日本においてもTVの多様性のない価値観はすでに飽きられてきていますし、
俺も最近とうとうテレビも終わったなと思う。モーニング娘のパワーダウンがその象徴だろう
(つんくはモー娘を再編ではなく解散しようと思ってたそうだ)。
テレビはバカに占拠されてしまった。SMAP中居とか極楽とんぼとかなんでこんなレベルの
人間がテレビに出てるんだろうと不思議に思っていたが、あれはテレビを終わらせる手段として
大きな意志によって配置されたんだな。
歴史的には1985年にファミコン(スーパーマリオブラザーズ)がブレイクした時点で
テレビは先端的存在ではなくなっていたと思うが、それでも最近までは時代の動きを
代表する存在ではあったと思う。今なにが起きているのか、同時代感覚を確保するため
ある程度テレビをチェックしておく必要があった。しかし最近そういう義務感が全然なくなった。
テレビは世間を代表しないし勝手にやってろって感じ。そう思ってふり返ればここ30年の
テレビ文化というのも全部無価値だったような気がしてきた。1960年代後半の若者文化というのは
対抗文化ではなく退行文化だったようだ。
最近の日本語ブームはナショナリズムと関連づけられることが多いが、実はあれは活字文化の再評価ブーム
だと思う。ここ30年のビジュアル文化はむしろ人間の精神を破壊したという反省の表れだろう。
しかし幻想だったとはいえテレビを先導役とした進歩を人々が信じてきたのも事実だ。
進歩(=進化)がなくなると生物が生殖行為をして世代交代するのも無意味になるという恐怖感も
あったかもしれない。しかし進歩の最後の砦だったテレビは崩壊した。
進歩を失った人間はカブトガニやシーラカンスのように生きていくのだろうか。
しかしカブトガニやシーラカンスの生に意味があったのは人間が生命の最先端で進歩を
続けていたおかげかもしれない。人間が進歩を失うと全生命が死滅するのかも。
197 :
考える名無しさん:02/10/16 18:13
>しかし進歩の最後の砦だったテレビは崩壊した。
>進歩を失った人間はカブトガニやシーラカンスのように生きていくのだろうか。
絶句・・・。アホすぎ。板違いにもほどがある。
ナンシー関が急死したり、平井堅が「いまはもう動かないそのとけい」と歌ったり、
豪華客船(舟=時間の海の中を進む歴史性の象徴)が炎上したりと、人間がこれまでの
時間意識(=進歩意識=テレビ意識)を卒業する前兆はかなり出揃ってきている。
さて多重人格とは意味を回復させるため(テレビが実体化させた)メタ意識を別人格として
分離したものだと私は考えるが(その証拠に1970年代以前に多重人格はほとんど存在しない)、
近いうち人類意識の転換があるとすればこれと似たようなことになるのではないか。
すなわち進歩の拠り所だったテレビを見限ってしまうとテレビだけが意味を失うのではなく、
哲学も科学も経済もすべて意味を失ってしまうので、意識全体を歴史を超越した時空に飛ばして
この世界から分離することで意味の回復を図るのだ。
★多重人格=メタ意識を別人格として分離
☆近未来人格=歴史的現在の意識を現実世界から分離して進歩を超越した超時空異次元世界の視点から
現実世界を眺める(ていうか超時空世界の意識が日常化するので過去の歴史から連続した世界は虚構に思えてくる)
まあそんな異次元時空に意識を飛ばしても安定した意味の回復は難しいだろうな。
>>59の歴史構造を見ればわかるように生命の進化は超時空存在によってプログラムされたものだ。
これまでの50億年の歴史はスーパーコンピュータによって見させられていた夢のようなものだ。
それではそれを発見した俺は世界の本当の姿を一足早く体験できているはずだが、
これが現実が架空の世界に見えて意味も欠落した世界なんだから救いはないよな。
しかしもう救いがないということを知るのも一種の救いだろう。
今月に入って意識の変化が加速しているような気もする。近い将来急激な精神的変化が
表面化するようなら俺の理論がその変化の意味を理解する役に立つだろう。
>>195 >学級崩壊やひきこもりは単に学歴主義から個性重視へのズレだけでは説明できない
ひきこもり、いじめ、学級崩壊がなぜおこるのか。掘り下げてみましょう。
大原則として、生物学的に見て、群れを組む動物には順位付けが起こります。
これは本能的なレベルのもので、たとえば学校のクラスという集団がある場合には、
必ず暗黙のうちに生徒の中で順位付けが意識されています。
これは当然成績の順位づけてはまったく異なります。また流動的なものですが。
現代の富める家庭では、以前のような父親、母親、子供という順位付けが不明なまま、
子供を甘やかしすぎて育てます。その子供が、学校のような集団に入った場合に、その中にできる順位を
素直に受け入れることができません。すなわち集団意識の育たなかった子供は、集団という社会の中で、
自分の居場所を見つけることができず、すごすごと家庭にひきこもることになります。
このためにひきこもる人の特徴は、家庭にある程度の余裕がある、親に甘やかされてそだった、
プライドが高い、長男の場合が多いです。
>>1さん、ぎくっとしました?w
またいじめの発生もすべてではないが、この考え方に当てはめることができます。
いじめは群れを組む動物なら、どこにでもある現象である。
順位付けで下位のものが、上の順位のものに不快な行動をした場合に、それは個人同士の闘争にはならず、
個人対集団になるのは集団の順位付けというルールを破った者への集団からの制裁だからです、
これは、その集団性を守ろうとする群れの防衛本能として起こります。
このように動物的群れの考え方だけだと、いじめられる方だけがわるいようですが、
人間社会と動物の社会を比較した場合には、動物の場合には生きていくために有利になるために集団を形成し、
この集団からはぐれたものは、生きていくことが困難になるという生死にかなわるほどに、集団の拘束力は
強いものになり、そしていじめは集団の拘束力が強い集団において発生しやすい傾向にあります。
人間の集団はもっと多様であり、動物のそれに比べると順位付けをきめる価値観も多様で、
そのような多様な価値観の上でおこるいじめは、価値観の単純化につながり、生命の生き残るという原則にも
反し、いじめられる方が悪いという理屈は否定されます。
現在の社会背景と照らし合わせると、現在の学校のクラスの拘束力が強いのは、日本の企業で協調性、
管理が重要視され、そのような企業戦士を生み出すシステムとして機能していました。
しかし最近はこのような企業システムが崩壊して、実力主義、個人主義へ移行していることは明らかです。
最近の親は、子供のしつけとしても、協調性よりも、個人主義的な道徳観を教えて育てます。
またこの情報化社会ではTVも含めて、協調性の崩壊がPRされ続けています。
そのような子供達が、いまの拘束力の強い教育システムに組み込まれた群れとしての
順位付けの中での集団生活を強制されても、対応できないのは当然といえば、当然です。
ひきこもりの本質は、集団の中で自分の居場所を見つけられない、すなわち順位付けの
中に組み込まれることの拒否反応といえるのです。
このために学校で、ひきこもり、いじめを減らす方法は、現在よりもより結束力が低い組織にすることです。
たとえば、学校の場合には、大学のように、個人個人で受ける科目を選択性にして、
クラスとしての拘束を減らすような方法が有効だと思われます。
しかし、どのような集団においても、動物の本能としての順位付けからは逃れることができません。
そして動物の本能として、より高い順位になると生き残る確率があがり、高い順位を目指そうとする
欲求があり、集団の中の順位づけは流動的なものになり、絶えず闘争が行われています。
そしていくら社会が個人主義になろうと、協調性が希薄になろうと、最適限の順位付けを受け入れられる
集団性や、闘争の仕方は道徳観と身につけさせなければいけません。
ひきこもりの一番の問題は、子供を甘やかせる親の問題にあるというのはこういうことだと思います。
大人になると言うことは、このような順位付けを受け入れ、組み込まれて、その中で闘争をしていくということなのですから。
>>1さんも早く、ひきこもる自己を肯定するための逃避的な理論武装をといて、
社会における自分の順位を受け入れてください。そこからほんとうの闘争が始まるのですよ。
>ぴか〜
淘汰圧による進化、ネヲダーウィニズム(・∀・)イイ!!
イデオロギッシュなのも更に(・∀・)イイ!!
深夜のぴか〜は一味違うNE!
>ナンシー関が急死したり、平井堅が「いまはもう動かないそのとけい」と歌ったり、
豪華客船(舟=時間の海の中を進む歴史性の象徴)が炎上したりと、人間がこれまでの
時間意識(=進歩意識=テレビ意識)を卒業する前兆はかなり出揃ってきている
はあああああああ?
>>200 >すなわち集団意識の育たなかった子供は、集団という社会の中で、
>自分の居場所を見つけることができず、すごすごと家庭にひきこもることになります。
家庭内では絶対君主なのに同年齢集団の中ではバランスをもって自分の順位を維持する
ことができないからひきこもるということですが、この説だと幼稚園段階で最大の数の
ひきこもりが発生しないとおかしいのに実際は中学生段階あたりから始まっている。
これは私の説だと思春期に自己や世界を客観的に思考するようになった時、テレビが
内面化しているとその客観意識に重心が移動して精神のバランスが崩れるからと説明
できる。それに単に社会性が欠如しているだけなら他人に気をつかわない仕事を選んで
社会に参加できるはずだが、実際は10年以上社会との接触を断つケースがザラにある。
これは根本的に生きる力が欠落しているからとしか考えられない。
ところで多重人格の患者は脳の器官の海馬の発達が不十分だという調査結果がある。
海馬が未熟なのは幼いころから動き回ったりせずテレビばかり見ていた証拠で、
これはネズミの実験などで証明されている(糸井重里の対談本「海馬」参照)。
テレビは単なる光の明滅であり、実際の物の操作を伴わない情報摂取だけだと
記憶の選別器官である海馬が正常に育たないのだ。そして記憶の選別ができないから
本当の自分と空想的人格が区別できなくて多重人格になってしまう。
そして多重人格にはならないまでも個体としての自分がテレビの視線で世界を見る
普遍的人格に支配されてしまったのがひきこもりだと私は思う。その証拠にひきこもりは
非常にプライドが高く自分は何でもできるという全能感の持ち主でもあるのだ。
というわけでこの問題でテレビが本質的役割を演じているのは明らかだと思う。
なんかここ2〜3日あたまがふわふわ〜っとして変。
テレビも見る気しなくなったし。俺ヤバイかも。
>家庭内では絶対君主なのに同年齢集団の中ではバランスをもって自分の順位を維持する
>ことができないからひきこもるということですが、この説だと幼稚園段階で最大の数の
>ひきこもりが発生しないとおかしいのに実際は中学生段階あたりから始まっている。
簡単なことだよ。w
たとえば、犬の集団によその犬を入れる場合には、成犬になる前に加える必要がある。
成犬をいれると順付けの闘争がはじまるけど、幼い犬では集団の中で順位付け外の扱いを
され、成長するにつれ、社会性に目覚めるとともに自然と順位付けの中に組み込まれるから。
ひきこもりが中学生あたりから始まるかどうかしらないけど。
社会性が芽生え始めとともに順位付けの意識も目覚め、集団の中の拘束力
が起こってくるからだな。
>>1 >なんかここ2〜3日あたまがふわふわ〜っとして変。
>テレビも見る気しなくなったし。俺ヤバイかも。
煽りとかそういうことでは全然なく、
カウンセリングとか精神系の病院とかいったことある。
分裂病?の疑いがあるような気がするんだけど。
前々から思ってるんだけど、この板には鬱病や分裂病系の
心の病の人多いよね。
まあ、現代では多かれ少なかれそういう面はみんな持ってるんだけど、
重い人もいるよね。生きてる意味がわからないとか。なにかというと
自殺の話するとかか。
ここに来る前にカウンセリング受けるとか、病院いくとかしたほうが
いいと思うんだけどな。
日本人は宗教と精神病には高い拒絶反応があるかなら。
【 懐離性障害のあなたへ 】
インターネットに没頭してるうちに別人格がどんどん頭をもたげてきて・・・
朝日新聞2000.9.22
鑑定書は、事件当時の法的な責任能力を認めながらも、自分が自分でなくなる感覚の
「 懐離性障害 」の状態で精神分裂病が発病する恐れもあるとして、精神科医の観察のもとに
置くのが望ましいとの意見をつけているとされる。
鑑定結果のくわしい内容は明らかにされていないが、自宅に引きこもるようになり
自分の存在を確認できなくなる「自我同一性拡散」の状態とともに
「頭の中の声が聞こえる」などの幻聴も感じるようになったという。
さらにインターネットに没頭して暴力的な映像や情報などに触れ「別の人格」が
反社会性を強めるとともに、自我同一性拡散も進んだことを指摘しているという。
>>208 >たとえば、犬の集団によその犬を入れる場合には、成犬になる前に加える必要がある。
>成犬をいれると順付けの闘争がはじまるけど、幼い犬では集団の中で順位付け外の扱いを
>され、成長するにつれ、社会性に目覚めるとともに自然と順位付けの中に組み込まれるから。
これでは幼稚園段階で最大の数のひきこもりが発生しないことの説明になってないよ。
>>200では、
>現代の富める家庭では、以前のような父親、母親、子供という順位付けが不明なまま、
>子供を甘やかしすぎて育てます。その子供が、学校のような集団に入った場合に、その中にできる順位を
>素直に受け入れることができません。すなわち集団意識の育たなかった子供は、集団という社会の中で、
>自分の居場所を見つけることができず、すごすごと家庭にひきこもることになります。
と言ってたわけだから。ひきこもりが中学生段階から始まるのは例えば週刊SPA最新号の記事を見ても明らか。
それと学級崩壊というのはADHD(注意欠陥・多動性障害)という病気として捉えるレベルの問題で、
教育の自由度を高めればよいなどという意見が一番よくない。明らかにADHDなのに、いいやそれは
わが子の個性ですと言い張る親がいるそうだが、それは学校や医療的取り組みを妨害するものでしかない。
頭がふわふわした感じというのはこれまでも1994年秋とか1998年頭にもあったが、いずれも
直後に大きな時代の変化が発生している(95年地震&オウム、98年自殺激増)ので今回も近いうち
何か大きな変化がありそう。世界がリアリティを失って自分というものが感じられなくなる解離は
病気だとされてるけど問題なのはその状態が「進化した普遍的意識」だと思えることだ。意味とか
感情などという低次元の感覚を脱却して完全に形式だけの純粋理性へ進化したと思っているのだ。
私の数々の発見は高度な形式的理性を実現している証拠だろう。となると元のサルみたいな
状態に戻ろうとは思わないし、実際メタ意識の感覚が一度染みついてしまったら二度となくすことは
できない。たまにアルコールが入ると理性が低下して一時的に意味が回復する程度だ。
メディアが発達すると意識の進化が頂点に達して感情や意味を失うのは人類の運命だったようだ。
もうこれ以上文明を続けても意味があるとは思えないが、続けたいのであればテレビや
インターネットは完全に禁止するべきだろう。
>>214 説明になってると思うよ。
現代の富める家庭では、以前のような父親、母親、子供という順位付けが不明なまま、
子供を甘やかしすぎて育てます。その子供が、学校のような集団に入った場合に、その中にできる順位を
素直に受け入れることができません。「そして集団の社会性が形成され始める時期に、」集団意識の育たなかった子供は、
集団という社会の中で、
自分の居場所を見つけることができず、すごすごと家庭にひきこもることになります。
犬の集団によその犬を入れる場合には、成犬になる前に加える必要がある。
成犬をいれると順付けの闘争がはじまるけど、幼い犬では集団の中で順位付け外の扱いを
され、成長するにつれ、社会性に目覚めるとともに自然と順位付けの中に組み込まれるから。
>>215 >頭がふわふわした感じというのはこれまでも1994年秋とか1998年頭にもあったが、いずれも
>直後に大きな時代の変化が発生している(95年地震&オウム、98年自殺激増)ので今回も近いうち
>何か大きな変化がありそう。世界がリアリティを失って自分というものが感じられなくなる解離は
>病気だとされてるけど問題なのはその状態が「進化した普遍的意識」だと思えることだ。>テレビも見る気しなくなったし。俺ヤバイかも。
煽りとかそういうことでは全然なく、
カウンセリングとか精神系の病院とかいったことある。
分裂病?の疑いがあるような気がするんだけど。
>>216 犬のたとえ話だと小学校低学年だと順付けの闘争はないように思えるが、実際は
同じクラスの子を蹴ったり叩いたり、思い通りに行かないと泣いたりわめいたりする。
学級崩壊は順位は受け入れられないが、その集団内で抵抗を続けている状態と言いたいのかも
しれないが、いま言われたことを覚えてないとか、一貫性のある行動がとれないなど、
これは単に家庭内で甘やかされたからということではなく、深刻な病気ですよ。
カウンセラーや精神科医がその病気の何たるかを理解してないのが問題なのだよ。
例えば離人症の、リアルな世界に直接触れていないという感覚はブラウン管が挟まっているからだし、
世界がつるつるした感じというのはテレビの金属性と一体化したからだ。
古い分裂病の概念では捉えることができないのだ。
>>217 煽りとかそういうことでは全然なく、
カウンセリングとか精神系の病院とかいったことある。
分裂病?の疑いがあるような気がするんだけど。
ぴかぁ〜のいうとおり、1はちとヤバイので病院にいくことを薦める。
220 :
考える名無しさん:02/10/20 18:29
バルトは武装解除の思想家と呼ばれるが。
221 :
katze:02/10/20 19:18
人間が新しい段階へ行くならそれはいいことだ
しかし意識だけが先行しても意味は無い
また意識は進化したのではなく変化したに過ぎない
>>1なんかあったらぞうぞ
>ぴかぁ〜のいうとおり、1はちとヤバイので病院にいくことを薦める。
ヤバイとかいっちゃだめだよ。心の病はやばくないよ。
そういう表現が、日本人の精神病への偏見になってるんだよ。
223 :
考える名無しさん:02/10/20 23:05
今はまだ、外部メディアとの接触が間接的なので、その影響は顕在化されないのかも。
そう遠くない未来に於いて、ネットワークが人間の脳に直接リンクされたり、遺伝子が自由に操作されるようになると、
具体的に様々な事態が発生するように思われるのですが、どうでしょう。
(勿論、ご都合主義の新しい変革があるとはおもえません。)
>ネットワークが人間の脳に直接リンクされたり
その辺に関してイメージしてみた…。
クラッキングのリスクを考えると当然フィルタリングするための
ファイアウォールを脳内に設ける必要がある。
そして安全のため絞り込まれた情報を閲覧するバッファ区域がたぶん必要になる。
そのバッファに対して本体である生の脳が「あれって何だっけ?」といった
疑問を意識として向けると対応する情報がヒット。
生の脳は「そうそう、そうだった!」となる。
ネットワークとのリンクの最初の世代はこんな感じだと思うね。って凡庸すぎたかな。
パーソナリティ(世界観、フレーム)が完全開放されてないレベルって感じ。
ここでポイントになるのはファイアウォールがある程度のインテリジェント
マシーンになる必要があるってとこ。
人が頭蓋内にもう一つの認識機構を持つことになる。
…そんな状況になった本体の脳がどういう世界観を再構築するか、
その辺を追求してみると面白いかもしれない。
…全然哲学じゃなくてスマン
>>1san
僕チン、おつむ弱いからよくわかるように簡潔に説明してくらはい。
僕チンのようなアフォは、どうなってしまうのですた?
>>224san
ありがとうごぜますた。
よろしければ、続きもおねげしますた。
>>1はコンピュータを単純に脳に置き換えてネットワーク論を語っただけ。
サイバーパンクSFの読みすぎだね。
ウィリアム・ギブスンの『クロームの襲撃』を土台にしているのかな?
新しくも何ともない。
メディア論のレポートですかな?
社会問題一般に言及してるけど浅学なことこの上ない。
思想家ごっこはおやめなさい。
ごめんなさい。
本質的にズレたレスしてしまいました。
1さんは境界線に逝ってる視線を言語化していて興味深いです。
その"浮遊した間隔"で日常を独白して下さると個人的にかなり刺激されます。
>>225 ざっと読んだ。ほんといいキャラしてるね。
簡単に質問。
>111 名前: はみゆれを 投稿日: 01/12/19 21:53 ID:0I6Nl1o0
>行動? 起こしたよ。テレビにも出たよ。
>NTTドコモのiモードの急激な拡大は出会い系サイトが原動力と言われているが、
>そのキッカケを与えたのは明らかに俺のアイデアだよ。
>「渋谷のジミー」って知らないか?
>ドコモは俺に少なくとも1億円は払う道義的義務があるね。
これマジ!?渋谷のジミーなん?
>280 名前: はみゆれを 投稿日: 01/12/24 05:18 ID:LoRLshBr
>私は世界史の秘密を知っている。ひとつ予言をしてこう。
>2002年2月下旬、大きな金融機関が複数倒れるだろう。
>そのわけは実は99年と2000年の変わり目を境に歴史が逆回転して
>いるのだ。来年2月は97年11月に相当する(山一、拓銀、三洋証券)。
>318 名前: はみゆれを 投稿日: 01/12/24 21:53 ID:1uG2YNk2
>
>>315 >近い将来の予言としては2月下旬の金融破綻以外だと、
>【1997年12月ポケモンパニック】と似たようなことが近々起こるかもしれません。
>1997年8月末のダイアナ妃事故死のような出来事なら4〜5月。
>酒鬼薔薇事件のような出来事なら7〜8月。ちなみに酒鬼薔薇事件自体は
>1970年の三島事件の反復している意味がある(生首の関係で)。
このへんは当たった?
>煽りとかそういうことでは全然なく、
>カウンセリングとか精神系の病院とかいったことある。
>分裂病?の疑いがあるような気がするんだけど。
あ、あとこれも答えてよ。
232 :
考える名無しさん:02/10/21 23:23
ヲルターオングパクってるのかね
おお、スイングしてる…流石。
>>230 俺はジミーじゃなくて「ジミー新聞」の前身を配ってたほう。
ダイアナ妃の事故死みたいに世界的有名人も死なないし、酒鬼薔薇事件のような首チョンパもない。
これが両方ハズレたのは少々意外だったが、逆に言うと歴史法則の縛りが緩んできたともいえる。
しかしポケモンパニックの対応物が「ゲーム脳」の指摘かもしれないし、
北朝鮮からの拉致被害者一時帰国の対応物がペルー大使公邸人質解放だとも言える。
大手金融機関の破綻については時期は多少ズレるが年内にもありうる。
あとこれは俺の主観だが、1997年から安定した文化状況がいま再び不安定化しようと
しているのは法則通りだと思う。
しかし超時空異次元世界に意識を飛ばすことで新たな安定状態を獲得するなんてことは
あり得ないな、やはり。それだと生物個体としての意識の外に出ることになるから今の
俺のメタ意識に支配された無意味な状態と何も変わらない。結局イマドキの若者のように
進歩とか意識せずに与えられた環境の中を泳ぐだけの生活を送るしかなさそうだな。
べつにテレビやインターネットを廃止する必要はないし、できるはずもない。
テレビが有害なのは社会に進歩の意識が残っている限りのことであって、みんなが脱力すれば
それほど害はないだろう。すでにテレビの魅力は激減しているからこれ以上こだわる意味もない。
しかし20世紀に核戦争が起きなかったのは科学技術文明の完成した姿を見届けたいという
欲望がまさったからだったが、世界貿易センタービルの破壊はもうそれは見届けたから
自由に壊していいという気持ちの表れだよな。だからイラクや北朝鮮もどんどん強硬になってきてる。
じゃあ今度は一度核戦争で大都市が破壊されるのを見てみたいという欲望がまさるかも。
人間は無意味には耐えられない動物だから否応なしにそうなるだろうな。
☆カウンセラーや精神科には行ったことあるけどどこも異常ないというだけですよ。
>>234 きみのいう歴史法則繰り返し論法だけどさ、逆にいうと繰り返して当たり前ということもいえるよね。
前に聞いた話だけど、大都会で犬に噛まれて怪我をする人の数は、200件なら200件で
年にだいたい同じになるらしいよ。犬に噛まれるなんかほんと特殊なケースのみたいに思うけど、
統計的にみると予測されるわけだよ。
やっぱりこの世界はエントロピーが増大しているランダム世界でマクロ的に見ればすべての事象は正規分布に
したがってるんだよ。だから世界的有名人も、酒鬼薔薇事件のような残忍な事件もマクロ的にみれば、
ある程度の周期で起こるのは当然といえる。
だからきみの歴史法則繰り返し論法は、ぱちもんの競馬予想屋みたいなもので、過去の事象のマクロ的な確率論からの
予測をミクロ的な未来予測に展開しようとしてはずれっちゃってるわけだな。
それはきみの意識考察でもいえると思うんだな。
たしかに技術の進化で人の意識にはなんらかの変化を起こしているのかもしれないし、
TVの内面化で意識は変化を受けた面もあるかも知れない。
これを文字の発生する時代からのマクロ的な考察はそれなりに意味があるかも知れないよね。
でもそのなん千年単位のマクロ的考察をいきなり、2、3年スパンの未来予測に展開するのは
無理があると思うんだよ。
そこにはおそらくきみの現状への不満と早急な変化を望む願望が含まれて入るんだと思うんだけど。
まあ、過去を勉強して考察してある程度の知見をもった場合には、その流れを延長して未来を「作りたくなる」という
気持ちとしてはわかるけどね。それで短期的な予測ができないことは今や常識で
この情報化社会ではいまどき恥ずかしくてだれもやらないよね。
まあ、匿名掲示板だしいいちゃいいんだけどさ。
>ここでポイントになるのはファイアウォールがある程度のインテリジェント
>マシーンになる必要があるってとこ。
>人が頭蓋内にもう一つの認識機構を持つことになる。
>…そんな状況になった本体の脳がどういう世界観を再構築するか、
>その辺を追求してみると面白いかもしれない。
やっぱ最初はハードディスクじゃないかな。
いまだに人口知能ができないことを考えると脳の判断能力には
すぐには到達できそうもない。
脳は量子コンピュータって説があるけど、量子コンピュータができて
処理能力が飛躍的にあがっても、概念的なものは心の分析が
できないと難しそう。
単純には蓄積情報につながって検索ができるようになる。
まあ、いまのPCやネットも目という視覚器官とディスプレーの間が
光でつながって、情報を脳に提供してるわけだけど。
もっと先では、人の情報すべてがデジタル化されて、ネットワークに
入ると不老不死が完成するわけだけど。このほうが面白いよね。
238 :
考える名無しさん:02/10/22 20:43
意識が変わるって具体的に何がどうなるのですか?もうちょっと意味を限定しませんか?
意識という言葉は広範囲すぎ。ものに対する認識が変わるのか、価値観が変わり生活が変
わるのか、目の前に見える景色が以前と同じなのに感じ方が変わる・見え方が変わるのか、
新たな概念できるのか、理解度は同じなのにリアクションが変わるのか等。ざっと流して
読んだけど、そこをはっきりしないと単にテレビ・ネットの影響で強制的に人格が変わり
何か重大事件が起こる気がする、と言っているように受け取れます。
>>ぴかぁ〜さん
再現可能情報が汎持続的流動域(グローバルネットワーク)に点在化することで実現する不老不死。
面白いですよね。
以下脱線が続きます。…1さん済みませぬ。
そこに思いを巡らすと、いつも限界に突き当たります(個人的に…)。
人類の進化って何でしょう(このスレのお題ですね)。
知性が認識枠をもって自他の区別を設け、他の刺激に呼応して世界に働きかけている。
これが現生人類ですね。
では、人類が進化したらどうなるんでしょう。
個と言う矮小な認識枠をとりはずして全的なグローバルネットワークに拡大する
というある種妄想チックな解答にたどりつくんでしょうか?
私にはなんだか認識の発散にしか、たどり着かないように思えます。
若い頃は切れ者といわれた人物が恍惚の老人と化すような…。
自意識の獲得と共に限定(有限寿命、基本的に単一人格)
があるがゆえに先鋭化し自称霊長類となった人類。
実は大枠では極限進化してしまったというオチ。
拡大欲求がデフォルト故にそれに気づかないという罠。
そんなことを考える私は多分脳が硬直化してます(新鮮な刺激がほしいのです)。
1さん貴方はなんだかひさびさに新鮮なのです。
もっと弾けると出口ナオ、少しラジカルになると奥崎謙三。
…悪乗りしました。
>>238 もちろん私の言う意識とは結婚に関する意識とか、中国・韓国に対する意識といった
個別的なものではなく、中世的生活意識とか近代的自意識といった包括的なものです。
そして今近づいているのは近代意識の終わりです。近代とは進歩の時代であり人間は
つねに新しいことを追い求めて精神に圧力をかけていた。これは客観的な場所から世界を
眺めようという圧力なのだが、テレビが内面化した世代がこういう圧力をかけつづけると
客観意識が自立してしまって生物個体としての感覚がマヒしてひきこもりになると述べましたが、
テレビ世代でなくとも理性的であろうとする気持ちは生命感覚をある程度マヒさせていると
考えられる。しかし社会の進歩はそういつまでも続くものではなくいつか終わる時が来る。
そのとき理性による抑圧がとけて生命感覚の解放が起きるだろうというのが私の予想なわけです。
爆笑問題の太田は高校時代、食べ物の味までわからなくなったと言っていた。これは私も経験
ありますけど意識を客観領域に押し込め続けると生命としての感覚を失うといういい例です。
この抑圧からの解放はもしかしたら主観的には誰も気づかない程度の変化かもしれないが(客観的には
政治経済的激動は不可避)、あるいは誰もがあっと驚くような変化かもしれない。
テレビが人格に与える影響はすでに相当進行していますが、その呪縛から解放されるような変化なわけです。
私も最近とうとう意識のメタ化圧力解除を決断したようだ。
このスレ立てた時点では全く予期してなかった大事件。
話の腰を折るようだが俺はコンピュータが自意識を獲得するとか、人間の脳を直接
コンピュータに接続するみたいなおとぎ話にはまったく興味ないのよね。
もうすでに人間の意識がテレビと一体化して深刻な事態が起きているわけで、
未来の空想で遊んでる場合じゃないと思うんだな。しかもテレビでさえ意味を失わせると
いうのにインターネットに接続した日にゃあもっと拡散して統一的自己意識なんか保てませんよ。
以前は単細胞生物が群体という生活形態を経て多細胞生物というメタ生命に進化したように
テレビ視聴という生活形態は人間を統一的超意識へと進化させるんじゃないかと夢見てたんだが、
意識が個体を完全に離れることは不可能なことであった。
生命の進化とは新しい環境に適応して形態が変化することだが、人間にとって進化とは
新しい道具を発明して人工的環境を作り出し、その環境に適応することと言えるだろう。
しかしテレビというあまりにも便利な道具は人間から動物の本質である「動く」ことの
必要を奪って自分の部屋でテレビだけ見て過ごすうちに生きていることの意味が失われて
意味がないから外出せずにまたテレビを見るというものすごい事態を生んでしまったのだな。
これは進化どころじゃなくこの事態が進行すれば人類滅亡だ。インターネットにも似たような
弊害があるかもしれないからあまり道具が発達するのも考えものなのだ。進歩の時代はとにかく
便利になりさえすればいい、ものが売れればいいでやって来たけどこれからはどういう環境が
人間にとってもっとも望ましいかを考えねばならないな。
「人間にとって進化とは新しい道具を発明して人工的環境を作り出しその環境に適応すること」
なのだが、この「新しい道具」には「コトバ」も含まれる。
そして新しいコトバを獲得しようとすれば徹底的に客観的に考えねばならない。
ひきこもりとはテレビの内面化で客観的視座が常態化し意識が生命の外に出た状態だと
私は述べたが、この状態はあくまで「コトバ」という道具を生み出すための手段であって
それ自体が進化した意識の状態ではないのだ。俺はこのことに長いあいだ気がつかなかった。
それと誰かが開発した道具(コトバも含む)は社会に普及して初めて進化と言えるのであって、
特定の個人が何か高度な状態を達成したからといってもそれは進化とは呼べない。
進化の単位は社会なのだ。生物の突然変異だってその新しい形質を受け継いだ個体が
増えなければ単なる奇形にすぎないわけで。これに気づくのにも時間かかったなあ。
>>239 おれはもっと楽観的な未来像をいだいてるよ。コンピュータ技術は歴史的みればまだまだ初期の段階で
これから本格的に人工知能も含めて発展するんじゃないかなとか。
人類も猿の毛が抜けた状態でたいしたことない。人類と猿を比べると、変わったところは器用になって
テクノロジーを発展させ得ただけのことで。そのテクノロジーにしてもまだまだ幼稚なもので、
生物の機能と比べると、人の技術はまだまだ幼稚。
人のテクノロジーの基本はこの世界をデジタル化すること。
たとえば、林檎を一つ二つとデジタル化することにより、数学的思考で扱えるようにする。
ほんとうはどれ一つとして同じ林檎なんか存在しないのに。その論法ですべての人の技術は
できている。で、デジタル化に大切なのが分解能。アナログなこの世界をどれぐらいの単位で
分解してデジタルにするかだけど、人のテクノロジーの分解能はあまりに荒すぎる。
だから自然物と人工物はぱっと見わかるわけ。基本的には分解能の低い物が人工物。
今後、この分解能がより細かくできれば、より自然に近い形でものが製造でき、世界を
現実に近い形で表されるのかも。もしかするといまだにテクノロジーが心の問題に触れられないのは、
いまの分解能が荒すぎるからかもしれない。
話がそれたけど、全的なグローバルネットワークに拡大するというある種妄想チックな解答にたどりかな。
まず、死がなくなれば、生命としての進化は起こりにくくなるよね。人類は死という脱皮をできなくなるんだから。
それが一つの意識としてネットーワーク化されれば、それは進化の終焉なのかもしれないね。
面白いのは、個体情報としてネットワークに入た場合に、体という物質はなくても、その意識は腹も減れば、
足先がかゆい。そして時期がくると、死という情報も発動する可能性もあるよね。
想像するとおもしろい。意志が体とネットワークを行き来できるとか。
245 :
katze:02/10/23 13:10
私には議論しているのか荒れているのか
よくわかりません
形而上学に話はきていると思う
>>240-242 >近代とは進歩の時代であり人間はつねに新しいことを追い求めて精神に圧力をかけていた。
>そのとき理性による抑圧がとけて生命感覚の解放が起きるだろうというのが私の予想なわけです。
>生命の進化とは新しい環境に適応して形態が変化することだが、人間にとって進化とは
>新しい道具を発明して人工的環境を作り出し、その環境に適応することと言えるだろう。
>しかしテレビというあまりにも便利な道具は人間から動物の本質である「動く」ことの
>必要を奪って自分の部屋でテレビだけ見て過ごすうちに生きていることの意味が失われて
>意味がないから外出せずにまたテレビを見るというものすごい事態を生んでしまったのだな。
>進歩の時代はとにかく
>便利になりさえすればいい、ものが売れればいいでやって来たけどこれからはどういう環境が
>人間にとってもっとも望ましいかを考えねばならないな。
要約すると、「近代は物質主義によりストレス社会になっている。TVはその最たる物だ。
TVに夢中になると、動くのもおっくうで、ひきこもりになる。
このような物質主義はほんとうに人にとっていいことだろうか。
このストレスが近いうちに解けて、社会全体的として動物的な感覚を取り戻すような気がする。」
ってことだよね。
普通じゃん。非物質主義者、ドロップアウト、ヒッピー、ひきこもりの主張以外の
なにものもないと思う。
意識なんってことばでオブラートしらくても、良くきくコトバの羅列だ。
>>235 歴史の反復にもとづく予測と統計的予測は全然次元がちがうと思いますが。
例えば1990年代は1900年代の反復なので、
1917年ロシア革命→1991年ソ連崩壊
1914年サラエボ事件(第一次大戦へ)→1991年ユーゴ内戦&湾岸戦争
1930年代・近衛新体制→1993年・細川新体制
1947年片山社会党政権→1994年村山社会党政権
1950年〜戦後文化→1995年〜ポストオウム的平成文化
1979年・山口百恵結婚引退→1997年安室奈美恵結婚休業
1973年石油危機→1997年アジア通貨危機
1980年ビートたけし33歳でブレイク→1998年太田光33歳でブレイク
1983年浅田彰27歳でブレイク→1998年東浩紀27歳でブレイク
1985年おニャン子クラブ→1998年モーニング娘
などの現象が起きたわけですが、これと毎年犬に何人噛まれたという話がどう関係するのでしょう。
>>246 大筋その要約のとおりなんだが、俺の場合その根拠に歴史の構造というのが入ってきて、
今まで約50億年つづいてきた進歩が突然終わることの衝撃がとてつもないものになるかも
しれないというのが大きな違いだろう。
しかし最近はどんどん政治的緊迫感が高まっているので脱力どころじゃないと言われるかもしれないが、
むしろ精神的緊張(進歩のための強迫)がゆるんだので社会的緊張が高まってきたと考えられる。
経済や戦争の危機の中で、進歩の呪縛が解けたことにはほとんどの人が気づかないかもしれんな。
まあグーテンベルクが活版印刷を始めた時もその意味に気づく人はほとんどいなかったようなもんかな。
しかし多分いまだにコンピュータや遺伝子の技術発展に未来の夢を見ている人が
竹中大臣らの金融改革の足を引っ張ってるんだろうな。長野県民の選択にも表れてる
ように人々はもうこれ以上の「経済開発」を望んではいないし、それは当然「技術開発」も
もう十分という気持ちを含んでいるだろう。i-modoのサービス開始は1999年だが、それは
まさに進歩の最終年にふさわしい最後の大ヒット商品だった。しかしその後のドコモの
フォーマは売れてないし、テレビのデジタル化もやるかどうかわからなくなってきてる。
まさに俺の理論通りに事態は進行しているわけだが、政界の頭の古い連中の抵抗を押し切って
安定社会を目指した改革を遂行するにはものすごい独裁権力が必要になりそうだなあ。
>>1さんの242
>それと誰かが開発した道具(コトバも含む)は社会に普及して初めて進化と言えるのであって、
>特定の個人が何か高度な状態を達成したからといってもそれは進化とは呼べない。
>進化の単位は社会なのだ。生物の突然変異だってその新しい形質を受け継いだ個体が
>増えなければ単なる奇形にすぎないわけで。これに気づくのにも時間かかったなあ。
もったいない見解ですね。
シェアを取れなければ無意味と断罪してるようです。
進化の体現者と奇形との判定をするのは大勢である。との判断。
文化という巨大アーカイブの獲得により、
敗者(負アイデア)復活が珍しくなくなった昨今と思いますのに…。
…と、いうのは曲解であって、リターンマッチも包括する、より長いスパンで観た歴史的評価。
それをもって"進化"であると言及しておられるのでしょうか
(あるいは私のまったくのミスリード)。
>>ぴかぁ〜さんの243
ネットワークに乗り込む意識は身体間隔、生理欲求を保持あるいは類型の状態を保ったまま。
情報パケットとして、物理移動し、結節点(ノード、システム稼動場)で再構成される。
そこで認識個体は「今日はシャンパンで酔いたい」とか
「そろそろ実体化して女抱きテー」とか思うって感じでしょうか。…これならデジタル化されて
みようかしらと思いますね。
人をデジタル化するということは"全身"かつ"満足できる解像度"での標本化でなければいけない。
ここらへんががポイントでしょうか…。
またしても、"ふと思った"んですが、1さんてちょっと栗本慎一郎っぽいとこありますね。
>>247 だからー!理解力低いなー!犬に噛まれるという一件得意な現象の正規分布にのっとって行われている。
すなわち確率の問題でしかないってこと。
きみのいう大きな事件も、戦争も、政治も、アイドルの変遷もマクロ的にみれば、確率の問題で
周期で起こって当然ってことだよ。
だいたいきみのその反復のそれぞれの相関性はなんなの?
>1917年ロシア革命→1991年ソ連崩壊
たとえばこれは、ロシアでの政治的変動つながり?
>1979年・山口百恵結婚引退→1997年安室奈美恵結婚休業
これは結婚休業つながり?なもの毎年だれかが結婚休業してるだろう。
単なるこじつけ。
そこまでいうなら、2000年代はどこの反復で同じように予測してみてよ。
で、はずれたらなんかしてくれるの?
ちょっと前に聞いた話だけど、ちょっと前にベストセラーになった「聖書の暗号」って本知ってる?
聖書の文字をある規則性で呼ぶとある文章がでてきて、それは未来を予言してるって本。
エジプトのラビン首相の暗殺かなんかを予測してあたったとかいって話題になって、
まあ、当然みんなから馬鹿あつかいにされたんだけど、その作者が切れて、
根拠がないならパールバック?「白鯨」で同じことやってみろよ。できねぇだろう!っていったら、
あるひとが「白鯨」で同じことやったら、そこから文章をよみとれて、みんなで大笑いしたってことなんだけど、
いいたいことわかるよね。きみの妄想だよ。
>>248 >大筋その要約のとおりなんだが、俺の場合その根拠に歴史の構造というのが入ってきて、
>今まで約50億年つづいてきた進歩が突然終わることの衝撃がとてつもないものになるかも
>しれないというのが大きな違いだろう。
やっぱ大筋その通りなんだw で、なんで普通のことから、いきなり進歩が突然終わるなんってトンデモ飛躍しちゃうの?
それじゃ単なるパラノイヤじゃん。
現状認識は普通なんだよ。だから手に負えないんだよな。結局、その来年に進歩が終焉してほしいが、
するにパラノイヤしちゃってるんだな。
>まさに俺の理論通りに事態は進行しているわけだが、政界の頭の古い連中の抵抗を押し切って
>安定社会を目指した改革を遂行するにはものすごい独裁権力が必要になりそうだなあ。
たぶんこれからも確率的に起こることを後付で解説して、俺の理論通りに事態は進行しているわけだ。
って、一人部屋で妄想しつづけるのかな。
進歩はまだ終わらないよ。その兆候すらみえない。資本主義社会へ統一されつつあることがまさに終わらないことを
示しているよ。世界をみろよ。新聞みろよ。この瞬間、どれだけの人間が技術革新にマンパワーを注いでいるか。
きみがひとり部屋で意識の新たな段階へ進化している間に、世界はものすごいスピードで進歩へ邁進している。
きみのいうもうこれ以上の「経済開発」を望んではいない人は多くいるかもしれないが、金銭が価値観の
資本主義ではみんながよりお金持ちを目指して、オールを漕いでいるんだよ。きみはその船にのってるの。
さあ、引きこもっている間にこの船はどこへむかうのでしょうーか。
252 :
考える名無しさん:02/10/24 15:37
商工、将校、書庫、書庫、症候、朝腹昇降。(ワラ
オウム並に馬鹿。
>>249 >ネットワークに乗り込む意識は身体間隔、生理欲求を保持あるいは類型の状態を保ったまま。
>情報パケットとして、物理移動し、結節点(ノード、システム稼動場)で再構成される。
>そこで認識個体は「今日はシャンパンで酔いたい」とか
>「そろそろ実体化して女抱きテー」とか思うって感じでしょうか。…これならデジタル化されて
>みようかしらと思いますね。
足を切断された人でもつま先がかゆくなるという事実から想像してみた。
そして高度なバーチャルとしてリアルに女抱き放題!
>人をデジタル化するということは"全身"かつ"満足できる解像度"での標本化でなければいけない。
>ここらへんががポイントでしょうか…。
解像度もあるけど、はたして人のこころはデジタル化しうるのかってことかな。
心は物理的に脳にあり、電気信号と化学反応であるのか、ないのか。
そのへんの決着もついてないからなあ。
ひきこもりについて再度考察してみました。
>>200-203で集団の順位付けから引きこもりを考察しましたが、それをさらに進めてみます。
生物が集団を形成した場合には、その集団は一つの生物として機能することが生物学的にも
知られています。たとえばミツバチは特性を存在にまで昇華した結果でしょう。
生まれながらにして、集団での役割が決まっているのですから。しかしこれはそれぞれが単一の
個体でも同様のことが起こります。人の場合も集団では同様に一つの生き物のような
たとえば過去から社会を見てもわかります。社会に差別的な階層ができるのは必然なのです。
現在民主主義社会ではよく平等といわれますが、この平等の意味が良くはき違われて使われて
いますが、かつての階層社会ではたとえば貴族の家庭に生まれた人は、その個人の資質には
関係なく、貴族として生きられることが決まり、奴隷階級に生まれた人は死ぬまで奴隷でした。
民主主義ではこの不条理を破棄し、どの家庭に生まれようが、その人の資質等々で
貴族にも奴隷にもなれる権利を平等にするという思想です。
社会の個体がすべて中流階級とする平等ではないのです。社会はいまだ差別的なのです。
少し話がそれましたが、ようは集団では順位付けが決まるとともに、集団という生物の一部分と
して機能することが求められるのです。手のような働きをする人、脳のようは働きをする人、
目のような働きをする人。これは政治的な社会システムとして必要と言うことではなく、
生物学的な行為として起こります。
では現代社会はどのような社会でしょうか。簡単にいうと情報化社会です。
かつてはどうか、例えばステレオタイプな例ですが、インディアンの部落などで良くみられるように
集団のトップには長がいてそれは高齢者でした。なぜでしょうか?
いつの時代にも情報は人が生きていく上でもっとも重要な物でした。そして以前、情報が少なかった
時代は、価値のある情報量と時間は比例関係にある、貴重なものでした。10年いきれば、10年分の情報が得られ、
100年生きれば100年分の情報が得られる。情報が少ないということは、社会の変化も遅い。
そのような社会では長く生きた物ほど多くの情報をもち、優位であり、老人は尊ばれ、部落の長は
高年齢者がなっていたのです。
では現代情報化社会はどうでしょうか。情報あふれています。子供でも十分な情報を得ることができます。
情報と時間の比例関係はくずれ、情報化社会では社会の変化も早く、より新鮮な情報を手に入れることが
価値を持ちます。この場合、価値のある情報量と時間は反比例の関係になります。
老人は以前の古い情報をもっているために新鮮な情報を取り込みにくくなり、より生きる時間が短いもの
ほど、新鮮な情報をもちえます。そうなると老人はただの老朽品化します。それが現状です。
情報が過多になった結果、若者が勝者になりえる社会になっているのです。このような社会では、
若者にどのようなことが起こるでしょうか。自我が形勢される前に家庭内で尊ばれる子供は、
自我の肥大をおこします。甘やかされて育ち、尊大になるということです。
ではこのような生物学的に機能としての働きを求められる集団に、自我が肥大した若者は対面した時に
何が起こるでしょうか?若者の肥大した自我は機能として生きることに耐えられません。集団の一機能に
組み込まれるまでに自我を縮小することができないのです。
現代がストレス社会と呼ばれる理由はいろいろありますが、その一つが現代人の自我は確実に過去の
人よりも肥大しており、一機能に押し込まれた場合には強いストレスを感じるのです。
かつてほとんどの人は農民でした。それも庄屋のような大地主に安い収入で働かされていました。
教育も受けることができずに、ほとんど情報は与えられず、日々畑をたがやかしていました。
彼らは自我を肥大する機会を持たなかったゆえに、そのような単調な機能の一部に組み込まれることが
できたと言えます。
集団の一機能になることができなかったた若者はどこへいくのでしょうか。
ほんらい社会の外では人は生きることが難しいはずです。衣食住を保てないからです。
無理にでも一機能ななられければ、死んでしまんか、ストレスで精神的に破綻します。
しかし現代の社会では社会の外でも生きていくことが可能になったのです。
それは裕福さがもたらした奇跡でしょうか。親が子供に経済支援しつづけることができるようになったのです。
>>1さんのいうところのTVはネットが普及したいまだにおそらくもっとも情報を提供する技術でしょう。
ネットではまだ情報を収集する行動が必要ですし、動画コンテンツが不十分です。
TVはスイッチを入れるだけで、動画を流し続けますし、それは子供にも大量の情報を与え続けます。
情報量ではまだまだTVの方が上でしょう。
そういう意味では情報過多においてTVが果たした役割は大きいです。
TVがひきこもりを増やしている理由と考えることができるかもしれませんね。
・・あれか?
つまり、1は人類としての社会が、インターネットなどメディアにより
崩壊するってこと?
それなら大丈夫、社会は崩壊しないよ、だって俺でさえ
情報がありふれていて、このままじゃ
みんな日本語通じなくなるのかなと心配してるからね
たぶん、これからは世界の認識の観点(観念)と、
根底となる情報の統一が始まるんじゃ
ないかな・・
>>254 情報量が飛躍的に増大したがゆえに年長者がただ年長であるというだけでは尊敬されなくなった。
それは1960年代のカウンターカルチャーの話ですね。
単に知識が豊富になって親の世代の言いなりになる気がしないというだけならむしろ
積極的に社会に進出してそれまでの枠組みを乗り越える活動をすればいいわけだし、
実際全共闘世代はそうすることで昔では考えられないほどリベラルな社会を実現した。
まあそれがリベラルすぎるのがいま問題になっているのだが、それとは別に80年代以降
ひきこもる若者が増えたのはそういう世代間闘争だけでは説明できませんね。
1960年代に全共闘世代がリベラルな社会を夢見たのか、実現したしからいけど、
60年代はまだ情報化影響の低年齢はそれほど進んでいなかった。
せいぜい中高生程度まで。
TVがもっともひきこもりの悪元とするなら、そのころはまだTVには
価値があったということかな。例えばそのころの番組構成を今の構成を
見比べればわかるけど、8時前までが子供の番組、それ以降は大人の
番組。TV番組にもまだ大人のとしても倫理観があった。
それが崩壊したのが80年代のマンザイブームを基点にした、
TV倫理の崩壊なんだけど。その頃から品位が低下し、
それは8時以降の視聴者層が変化したことも大きい。
そのころからトレンディードラマが流行りだしたんだけど。
ゴールデンタイムの視聴者層が低年齢化したんだね。
ひきもこりもとの自我の尊大は、社会性が育つ前の低年齢期が
問題なるわけ。80年代以降ひきこもる若者が増えたのと合致する。
なんか
>>1的TVの価値観になってきたな。
でも進歩は止まらないよw
しかし俺の歴史理論はこのまま永遠に社会に認められないまま埋もれていくのかなあ。
俺の歴史法則が見事に生命進化や歴史的出来事の時期や意味を解明しているのは明らかだと思うが、
それが認められないのはどうも俺みたいなひきこもりの人間が生み出した理論は
一般の普通に働いている社会人にとってはものすごい劇薬のようで、この話をちょっとしただけで
ものすごい拒否反応を起こすんだよな。まあ超能力や予言を受け付けないのと同じレベルの
拒否反応なのかもしれないが、これだけ重大な発見をした人間に対してまったくの
狂人扱いはちょっとひどすぎるよなあ。しかし今この法則の縛りがなくなってきたことで
逆に社会不安が世界的に増大している。ということはその危機への対応に追われる中で
俺の理論なんてなかったことになるじゃん。でもまあ仕方ないのかな。テレビ世代が
進化しすぎたんだよな。1848年以降の近代意識は時空を超越した場所(=歴史の終わり)から
世界を認識する状態を実現したが、1985年以降の実体化したメタ意識はすべてが冗談としか
思えない状態を実現してしまったのだ。こんなの普通の社会人には受け入れられられないよな。
しょうがねえなあ。こきこもりの思想と言っても俺以外のひきこもりは知性がないから
俺の言ってること理解できねえし。でもまあいいか。ワシントンの射殺魔とかモスクワの
劇場ジャックとか、ああいう事件が起きるのも法則が効かなくなったからなんだが、
一般人は理由もわからずに右往左往してろってこった。
TVには価値があったというのは電化製品としてもTVも
高価であったし、TV番組にも高級品だった。
だから子供の視聴には制限があった。
それがTVがただ垂れ流されるものとなり、価値が下がり、
子供にも視聴は解放され、視聴者の低年齢化という背景のもとに
80年代のマンザイブームであり、トレンディードラマの流行が
起こった。
80年代はそういう意味でもいろいろと社会構造の転換期だったよね。
オタク文化の発生、引きこもり。情報の垂れ流しにより、
自我の尊大がおこった現象。
でも社会システムと個人の自我の肥大の関係で、肥大する自我が
悪いように書いたけど、実はそんな単純なもんじゃないんだよな。
オタクや引きこもり、フリーターのような自我の肥大化現象は
実はある種の転換点を表しているんだよ。
それは長くなるので、今度。
でもだんだん
>>1っぽい論調になってきたな。
でも進歩は止まらないよw
>>261 やっと視点の自己への埋没から、外へ向ける傾向が現れてきたね。
カウンセリング効果の現れかな。
じゃあさ、何人かがいってるように、きみのその高度で凡人にはわからない考えも
もっと凡人にもわかるように説明する努力をしてよ。
進歩は終わるとか、社会の縛りが解放されるとか抽象的すぎるよ。
でも出てくるのがアイドルやTVタレントだろう。それじゃただの妄想と思われても仕方がないと
思うぞ。凡人にもイメージできる形で未来予測を具体的に示してよ。
それにしてもワシントンの射殺魔つかまったな。ほんとアメリカはあーいう無差別殺人鬼が
定期的に発生するなあ。オクラホマボンバーとか、ハンニバル・レクター博士とかさ。
>>260 >ひきもこりもとの自我の尊大は、社会性が育つ前の低年齢期が
>問題なるわけ。80年代以降ひきこもる若者が増えたのと合致する。
ホント俺の意見に近い。全共闘世代がものごころつくころはまだ家庭にテレビは
なかったからテレビ的全能感が刷り込まれることはなかった。ところが1962年生まれ
以降のテレビ世代は「社会性」がないから異常な犯罪を起こしたり「新人類」とか言われて
社会に適応できなかったりするわけなのだ。
それと、社会の進歩と技術の進歩は別で、いくら形式的にコンピュータや遺伝子の
技術が進んでも、資本主義の右肩上がりのムードがなくなった状態だと社会が進歩しているとは
言えない。ドコモのフォーマは売れてないし、遺伝子技術に関してはアメリカの
フクヤマという人がその危険性を警告する本も出してるしね。
しかし小泉・竹中の改革路線が社会の進歩の継続を目指すものだとすればそれも
将来問題になってくるかも。創造のための破壊と安定のための破壊は意味がちがうから。
とはいえ社会の進歩を信じることでしか人間精神が維持できないのだとしたらそれも仕方ないか。
しかし俺の法則によれば客観的に進歩は終わっているので、その時は急激な人類滅亡か
大戦争でも起こして緊張感を維持し、死を一日でも先延ばしするだけだろうなあ。
TVの話はおもしろいのでもう少しすると、8時だよ全員集合が
なぜ土曜日だったのか。8時までが子供の視聴が許された時間とすると、
休み前の土曜日だけは、子供が9時までTVを見ることが許されたから。
あと80年代のマンザイブーム以降のバラエティーの反乱の基本は、
むかしの正月番組。
まだ品位のあったTV番組では、正月だけはくだらないことが許された。
結局、マンザイブームがもうTV番組にだれも価値を見いだしてないよ。
適当にみてるんだから、やるほうもくだらないことやろうよ。
ということで正月番組を毎日やりだした。ということだよ。
>>1のいう緊張感がゆるんだのは80年代じゃないのかw
このぴかぁ〜は優秀だな。(w
>オタクや引きこもり、フリーターのような自我の肥大化現象は
>実はある種の転換点を表しているんだよ。
これ、おもしれえぞ。
俺も前から考えてた事あるんだよ。
ここでやるのか?
>>265 まいったない。似てきた?影響されてきたのかなw
資本主義は確実に右肩上がりのムードを継続してるがな。中国いってみ。
国家レベルで言うと、世界史をみればわかるけど、発展は転化していくんだよ。
ある程度の発展すると、相対的に世界から飛び抜けて、為替が優位になると、
今度は賃金の高騰で、右肩上がりできなくなる、まあ抑制効果みたいなものが
働くんだよ。世界はひとつのシステムなんだから。
ドコモのフォーマは売れてないけど、Jフォンの写メールは売れてるw
単純に通信のインフラ能力も発展よりもフォーマが先にいきすぎたんだろう。
動画はまだ重いよ。
遺伝子技術は歴史でもなんでも終焉させたいフクヤマが言う前、その発生から
警告され続けてるよ。だからなに?って感じ。
小泉・竹中の構造改革の意味することろを説明ながくなるから、やめるけど、
日本式民主主義システムをグローバル民主主義システムに転換しないと
日本は衰退するということ。ごく東洋の橋の島国的問題。
資本主義が一人勝ちしちゃったからな。それは進歩が勝利したってこと。
もうだれも止められないよ。それに変わる思想はもうないじゃん。
もう進歩が暴走するのみ、もしそれが破綻するとすれば、地球規模で
環境で危機的状況になるか、隕石が降ってくるかだな。
時間なるんだからもっと意識世界だけでなく、実社会の変化に目をむけようぜ!
>これ、おもしれえぞ。
>俺も前から考えてた事あるんだよ。
>ここでやるのか?
やるやる。ひきこもりを正当化してみせる!
長くなるので、今度だけど。
>>264 >じゃあさ、何人かがいってるように、きみのその高度で凡人にはわからない考えも
>もっと凡人にもわかるように説明する努力をしてよ。
たとえば古生代と中生代を分ける2億5千万年前の史上最大の大絶滅なんか
俺の理論を見事に証明していると思うんだが、これもぴかぁ〜さんはいつでも
起こっていることだと言うだけでしょう? だから詳しく説明しても無駄なんだよ。
ウェーゲナーの大陸移動説だって認められたのはプレートテクトニクス理論が
確立されてからだったしなあ。
まあ誰かに認められるまでガンガン売り込めば認められるかもしれないとは思うけど、
今まである程度広める努力はしてもまったく受け付けないし、社会に有害なものを
無理矢理広めるのもよくないかなと思って積極的に広めようとは思わないんだよね。
このスレだって反応がなければそれ以上何も書く気はなかったし。
そういう意味では今回はけっこう宣伝になったなあ。まあ焼け石に水だろうけど。
俺の説が受け入れられる時が来るとすれば、法則の縛りが切れたあとの社会的混乱が
収まってからだろう。
>>270 大絶滅がどのように理論を証明してるの。
大絶滅こそ確率問題じゃん。いまは大絶滅は隕石衝突説が有力で、定期的に
起こってるけど。巨大隕石の軌道と地球の軌道が重なる確率はほんとに
正規分布にもとずく繰り返しでしかないだろう。
大陸移動説でも地動説でもいいけど、まあそういうこともあるけど、
確率的に言うとその裏には膨大なドキュン説が出てるわけ。
きみの説が正しい確率は、0.00001%ぐらい。
だからもっと具体的な説明、証明が必要なわけだよ。
ぴかぁ〜 やるじゃん
274 :
考える名無しさん:02/10/25 01:58
>272 間違ってる確率も0、00001%ぐらい。
>>ぴかぁ〜さんの253
AI論なんかもいいですよねぇ。
超並列コンピュータや系代進化プログラムなんかも面白いアプローチだと思いますしね。
製造物に魂の火は灯るかって感じでね。
…それにつけても守備範囲が広いですね。ほめても何も出んでしょうけど(w
>>1さん
いよいよエンディングを感じさせる発言。
気になります、スレ主としてオチをつけて下さい。
ビッグサプライズを期待してます。
>>272 >大絶滅がどのように理論を証明してるの。
歴史のワンサイクルを1とした場合、0.5の時点で新しい文化が発生し、0.75の時点で自覚の段階に達する。
5億年前の多細胞生物の大爆発のあと2億5千万年前にいったん大絶滅したのは
「闘争の自覚」という次の段階(恐竜時代)へ移行するための儀式のようなものだった。
また5000年前に文字を獲得して都市文明段階に突入した人類は2500年前に商品経済の発展と
携帯貨幣(硬貨)の導入により自覚的思考(=哲学)を営むようになった。
また500年前の活版印刷の発明ののち、250年前あたりから産業革命(イギリス)や啓蒙思想(フランス)
などの動きが起こって自覚的進歩の時代へ突入することになる。
まあそういうことなんだが、俺の理論が強烈な拒絶にあうのはそこらへんの超能力や予言と違って
きっちりした根拠があるから余計に頭ごなしに丸ごと拒絶しないと世界観が狂わせられるという
恐怖があるからなんだな。ちょうどかつて進歩的文化人が根拠のはっきりした批判をしてくる相手を
「右翼」と決めつけて狂人扱いするしかなかったようなもんだな。今じゃどっちが狂ってたかは
誰の目にも明らかだがな。
たわ言ほざいてないでさっさと就職活動しろよ。
278 :
考える名無しさん:02/10/26 01:56
>>276 アシモフばりの歴史心理学は面白いが、
自覚的思考=哲学(2500年前)ってのはいただけない。
自死を認識したと推定される300,000年前に修正するべき。
いや、それだけ。
279 :
考える名無しさん:02/10/26 02:15
ってか、ぴかぁ〜はどうしたよ。
また、女でも抱いてるのか…。
>5億年前の多細胞生物の大爆発のあと2億5千万年前にいったん大絶滅したのは
>「闘争の自覚」という次の段階(恐竜時代)へ移行するための儀式のようなものだった。
おいおい大絶滅はもっと頻繁に起こってるだろう(w
また5000年前に文字を獲得して都市文明段階に突入した人類は2500年前に商品経済の発展と
携帯貨幣(硬貨)の導入により自覚的思考(=哲学)を営むようになった。
また500年前の活版印刷の発明ののち、250年前あたりから産業革命(イギリス)や啓蒙思想(フランス)
などの動きが起こって自覚的進歩の時代へ突入することになる。
>なにが新しい考え方なのかわかんない。この程度の頃は子供百科事典にのってなかったけ(w
>まあそういうことなんだが、俺の理論が強烈な拒絶にあうのはそこらへんの超能力や予言と違って
>きっちりした根拠があるから余計に頭ごなしに丸ごと拒絶しないと世界観が狂わせられるという
>恐怖があるからなんだな。ちょうどかつて進歩的文化人が根拠のはっきりした批判をしてくる相手を
>「右翼」と決めつけて狂人扱いするしかなかったようなもんだな。今じゃどっちが狂ってたかは
>誰の目にも明らかだがな。
まあそうかもしれないが、おれには数年前に風船で世界を一周するといって、一瞬で行方不明になった
風船おじさんにみえるけどさ(w
>また5000年前に文字を獲得して都市文明段階に突入した人類は2500年前に商品経済の発展と
>携帯貨幣(硬貨)の導入により自覚的思考(=哲学)を営むようになった。
>また500年前の活版印刷の発明ののち、250年前あたりから産業革命(イギリス)や啓蒙思想(フランス)
>などの動きが起こって自覚的進歩の時代へ突入することになる。
なにが新しい考え方なのかわかんない。この程度の頃は子供百科事典にのってなかったけ(w
283 :
考える名無しさん:02/10/27 00:01
>>1 まあ、歴史年表の発散グラフに刺激を受けたって口だろうな。
未来予測ネタはある程度需要があるんで、
1もその気があるならがんばってくれ。
キャッチーなメディア論でつかんで歴史ネタでひっぱる。
方向性はイイと思う。
他メディアでの発言がもっと精密かつ、一般へのプレイクダウンがしかるべきなのは必須。
あれこれたくらんで遊ぶ時間は短い。…良い時を。
>>283 うん、全体から離れた地点にたって、客観視した意見を言うのは
自分がより離れた視点を持っていることを示す優越感の得方だよな。
283もその気があるならがんばってくれ。
っという風に、
>>283よりさらに離れた地点からレスしてみました。
かっちょいい?w
285 :
考える名無しさん:02/10/27 01:14
人間の意識が進化するにはあと十万年はかかるね。プププ。
>>284 そんなセラピストのような返しは大好きだよ。
愛してる。
西洋中心の歴史観。
昔まだ人間の言語に人称代名詞がなかったころの話。
その時代、それぞれの部族の長は自分を呼ぶ時、最も強い鳥になぞらえて「ワシ」と言い、
敵対する部族の長を呼ぶときは軽蔑の意味をこめて汚らしい生き物の代表として「ウジ」と言っていた。
ある時その敵対する長同士で直接討論することになった。
長A「ワシはいくさで百人の敵を倒したがウジならせいぜい2〜3人だろう」
長B「ワシは狩りで百匹のイノシシをつかまえたがウジならせいぜい2〜3匹だろう」
このようにお互い自分をワシと言って譲らなかったため、そのうちワシという言葉は
「自分」という意味を帯びるようになった。
「ウジ」とはたぶん戦争で負けて「ワシ」とは名乗れなくなった部族の長のことだろう。
★1997年4月ペルー大使公邸占拠事件強行突入犯人全員射殺
☆2002年10月モスクワ劇場占拠事件強行突入犯人ほぼ全員射殺
まあひと月ズレたが大当たりだろう。
ワシントンの連続射殺事件は97年のエジプト・ルクソールの観光客射殺事件の逆回転かな。
あと五か月以内に人類の知的大崩落は起きるか。
昔は悪の組織の目的の定番が世界征服だったけど、
最近、いわなくなったよな。
情報化社会で世界の多様性が子供にまで認識されて
リアリティーがなくなったんだろうな。
>>289の世界統一認識ってなんか、そんな昔の悪の組織的感性で
なんかあまずっぱい気持ちになるよな。
1980年代からひきこもっててるタイムカプセルくん
ある意味、癒し系
291 :
考える名無しさん:02/10/29 09:35
>>284 かっちょワル〜
それこそ一昔前の評論家ブームのタイムカプセル君だ・・・
>>291 ばかだねぇ〜。パロディーになってるのもわかんねぇの。
センスねぇな。きみ。
293 :
考える名無しさん:02/10/29 10:36
なるほどね・・・
それが2ch的センスなのか・・・
なくてよかった。
>>293 これは2ch的センスかなあ。
このセンスわからないかなあ。
ある関係性の外側に自分を置くことにより
自分の立場を上位に置くという、古典的優越手法の
パロディーなんだけど。
295 :
考える名無しさん:02/10/29 10:50
そんな手法は不愉快なだけだろ・・・
>>293 不愉快ってあーたね。ある意味2ch的パラダイムシフト発言だな。
ちょい笑った。
297 :
考える名無しさん:02/10/29 10:59
もっと外側に行って、いなくなるというのはどうか?
298 :
考える名無しさん:02/10/29 11:00
そうだね・・・
少なくとも、2chからはいなくなろ・・・俺は。
>もっと外側に行って、いなくなるというのはどうか?
もっともっと外側にいくと、神になっちゃうよ。
神というのは、自分が神と錯覚するということなんだけど。
そうすると当然、社会生活に支障をきたいして、
より2chに依存しちゃう可能性が高い。
まあ、さらに進むと自殺してこの世界の外にでちゃうってこともあるけど。
300 :
考える名無しさん:02/10/29 11:34
>>299 自殺は業が深いからまた戻ってきちゃうよ!
301 :
考える名無しさん:02/10/29 13:43
日本の現状として、
テクノロジーは日常の一部、という「感じ」でしょう。
物語的に言えば、観念、情念のレベルでも金属が入っているのです。
今の水や土には金属が欠かせない、というか。
ネット世界や携帯電話が一つの要素として受け取られる以上、
個人の許容できる情報量は格段に上昇しました。
この状況に伴って、知性それ自体のニュアンスも大きく変わってくるはずです。
具体的に言うと、文系と理系の区別が無くなり、
論理的、数学的思考が可能であることが、学問の初歩的段階になる(なっている)でしょう。
>>301 その1の感染のトーンダウン版みたいな物イイはなんだろう。
天気予報ですか?
世界の目的がなくなって近代社会は新しい伝統社会に移行しつつある。
宇宙ロケット=伝統産業
アイドル=伝統的職業
i-modoケータイ=伝統的生活用具
これからしばらくはいろいろな物事を伝統的なものと読み替える作業が続くだろう。
しかし一般社会はまだまだ進歩を信じているのに、最も徹底的な進歩主義者を自認してきた
俺みたいな人間がいったん諦めると最も徹底的な伝統主義者になるのも皮肉な現象だなあ。
【革命幻想】カクメイ-ゲンソウ
その革命が成就すれば社会のありとあらゆる問題が解決するかのように想像する心的状態。
人間や世界の状態が一気に別の次元に上昇するとイメージされる。
近年では「IT革命」がこのような万能イメージを伴って語られた。
なお、新しい技術が万能の救済をもたらすものとして語られた例としては、
電灯、自動車、家電製品、(工場の)オートメーション、スーパーマーケット、などがある。
また政治革命としての共産主義、意識の進化を標榜するニューエイジ思想などでも
その中心には人間心理の普遍的メカニズムとしての革命幻想が機能している。
生命は単細胞生物から群体という生活形態から多細胞生物へと進化したが、
それと同時に単細胞生物の意識は死滅し、一段レベルの高い多細胞生物の意識へと進化した。
それでは多細胞生物である人間の意識は、次の段階では全人類の意識の統合という形に
進化するのかというと、それはありえない。
単細胞生物も多細胞生物も自然環境の中でふるまう個体という性格は変わらないが、
人類の全体意識は単一であって外敵や競争相手もいないし寿命も性別もないので、
自己意識というものが持てない。また、その意識統合が進化のゴールだとしたら
もうすることがないので到達した瞬間に無用になる。そんなものに到達しても意味はない。
実は生物の多細胞化の次の段階は社会進化で、これはそれまでの個体レベルの(身体の)進化とは次元が違うのだ。
人類の社会進化約1万年前に始まったが、これは社会を一つの生き物と見なしその内部構造を
豊かにしていくというもので、メタレベルの意識の実体化は伴わない。
しかしメタレベルの意識の統合こそないものの、全体意識というものは存在し、しばしばその
全体意識に選ばれた個人が政治や文化の英雄として活躍するという現象が起きる。
その時その個人の内面ではしばしば個を超えた全体意識と接触したと感じられることがあるが、
だからといってその全体意識になるのが進化の目標なのではない、ということには注意しなければならない。
1980年代はテレビを媒介として人々が全体意識の状態を疑似的に体験するということもあったが、
しょせんそれは疑似的体験であり統一的身体を持たない以上、統一意識の実現はありえない。
しかし疑似的とはいえ全体意識の世界をかいま見たのも事実で、その世代の一部はのちに
それ以前の世代では考えられなかった発見をなしとげるだろう。
【新しい政治体制は十数年で崩壊する】
ナポレオン、ヒトラー、スターリン(大粛清)、毛沢東(文化大革命)、あるいは
「20世紀」(第一次大戦)、明治維新、十五年戦争、安保闘争など枚挙にいとまがない。
今の日本の危機も「平成十数年」段階に入ったがゆえの危機だろう。
307 :
考える名無しさん:02/11/04 14:42
この十数年目の危機は人間のライフサイクルにおける思春期危機(自我の確立)と無意識レベルで通底してるかも
人間のライフサイクルと通底してるのは60年周期もそうだろ
意識に目覚める前に、たぶん地球外生命体が発見されるな。
この宇宙中に普通に生命が存在すると言うことは
当然といえば当然だけど。
事実として突きつけられたときにメタレベルの意識に変化が起きるよ。きっと。
なってのはどう?
地球以外に知的生命はいないと思う。
なぜなら縮小反復理論に見られるように、生命や人間の歴史は超越的意志によってプログラム
されたものだが、現実の歴史はあらゆる可能性のうち最善のものが顕現したと考えられるから。
最善の歴史は一つでいいから地球以外に歴史は必要ない。
俺は長い間そう考えていたんだが、最近ちょっと考えが変わった。
最善の歴史をプログラムするとはどういうことかというと、最も単純なケースに次々と
新しい要素を加えて歴史を豊かにしていくことだ。
例えばもっとも単純な宇宙の歴史とは何らかの正物質と反物質が対発生したと思ったら
すぐ対消滅するといったものだ。これだけではあっけないので、陽子と電子で原子という
システムを作ったり、恒星・惑星システムや生命・言語のシステムを加えて内容を最大にした
ものが現実の宇宙の歴史であると考えられる。
さて、そうなるとその歴史を試行錯誤して作り上げる過程においては小説家が物語を作るように
まず結果を設定して、そこに至るプロセスはあとから付け足すという作業が必要になってくる。
となると現在の状態に至る過去というのは現実に記憶されてるものだけでなくていいということだ。
仮に現在の状態が先に設定されて、過去はあとから捏造されたものだとすると、
日本は戦争に負けてなくてもいいし、ヒトラーも存在しなくていい。
それらの仮想的歴史も現実の歴史と同等の権利があると考えられる。
そして実際その仮想世界でしか生まれなかったアイデアが現実の歴史上の人物に時空を
超えて伝達されて実現したケースも多々あると思われる。
そうなると一度はそっちの世界も体験してみたいという気にもなる。
実は歴史は現行のものだけではなく無数に存在し、一つの歴史が終わるとその世界の住人の
意識は超時空的なものに進化し、そこから再び好きな世界へ転生することができるのかもしれない。
そしてその超時空的世界というのが伝統的に霊界と呼ばれてきたものなのかも。
312 :
考える名無しさん:02/11/05 16:18
>>311 反物質が、ほとんど残っていないのはなぜ?
補足
宇宙が誕生した時、物質と反物質は同じ数あった。
(プラスとマイナスが同時に現れる感じ。)
【社会エントロピー増大の法則】
生命は無秩序から秩序を作り出すのでエントロピー増大に逆行していると言われる。
しかし人間の歴史は個人の自由を増大させるという方向性に進んできたので、
そういう意味ではやはりエントロピー増大の法則は社会についても正しいと言える。
ただしこのリベラルな運動には限界があり、例えばあまりにも自由な恋愛は単に
男が女を自由に捨てる口実と化したり、行き過ぎた反差別運動が言葉狩りとなって
精神の自由を奪ったりする。このような現象が起こるに至り、
1990年代に人間社会のエントロピーは極限状態に達したと考えられる。
>>312 宇宙が始まった時点で正物質宇宙と反物質宇宙が反対側へ別れて行ったというのはどうよ。
いつかこの二つの宇宙が再び激突して全体が消滅するかも。
しかし宇宙がビッグバンから始まってどんどん拡大したというのは成長社会のイデオロギー
という意味合いもあるから本当は宇宙の始まりなんて考えなくてもいいことなのかもしれない。
この宇宙の構成要素はそれ以上さかのぼって説明する必要のない公理です、みたいな。
>実は歴史は現行のものだけではなく無数に存在し、一つの歴史が終わるとその世界の住人の
>意識は超時空的なものに進化し、そこから再び好きな世界へ転生することができるのかもしれない。
>そしてその超時空的世界というのが伝統的に霊界と呼ばれてきたものなのかも。
Mr.パラノイア。きたね、きたね。これってやっぱおれのせいでもあるのかな。
微妙に俺の意見取り入れてる感もあるが、著作権は主張しないよ。
ところで、これは物理?哲学?宗教?予言?
ところできみはなにがしたいの?ここまでくると哲学板のだれもどうしようもないと思うんだけど。
地球以外の生命体は近々発見されるだろう。
そのときにメタレベルの意識レベルで変化が起きる。
かつて神がつくりたもうたこの世界は円盤状で宇宙の中心であり、すべては神がつくったままだった。
人は作られたときから人であった。それを人は信じていた。
それが、科学思想により地球は宇宙の中心ではなく、人は猿の進化したものであった。
これらを発見したのが、宗教家であることは歴史の皮肉か。
これは人の意識に与えた衝撃は計り知れない。
封建主義から民主主義への過程は、この事実が人々へのメタレベル意識への衝撃による
ものといってよい。
そして歴史の縮小反復理論的に考えて、地球以外の生命体の発見により、
人々へのメタレベル意識へ想像し得ないほどの衝撃を再び与えるだろう。
この宇宙で人のみが知的生命体であり、そこで掲載された世界観がすべてであると
されたものが、一瞬に崩壊する。
これは歴史の縮小反復理論的に考えて、このミレニアムで起こる可能性はきわめて高いといえる。
>ところできみはなにがしたいの?
そうだよねえ。もうこれ以上の進化はないと言ったり、やっぱりあると言ったりだからなあ。
まあもうしばらくはこの「人類の進化」の問題について考え続けるでしょうね。
最近よく本で「ユートピアを構想する者はそのユートピアにおける独裁者である」という表現を
目にする。ああ、ようやく革命幻想の非現実性が理解されてきたなと思う。
革命幻想とは人類の意識が一つに統合された状態が実現すると考えるものだが、
共産国家では最高権力者以外に自由意志はないのでこれは確かに意識の統合を
狙ったものだろう。そして、意識が進化すると人間は完全に精神的存在となり、
食事も勉強も必要なく、病気もしなくなるというニューエイジの思想は何かというと
現に存在している全体意識の性質を説明したものに過ぎない。ふつう意識はされないが、
社会は全体意識を持つ。例えば常に一定割合の悪人が存在することがその証拠だ。
そして確かにこの全体意識というのは勉強も食事も病気もしないが、物質的身体も
持たないので人格もない。時々この全体意識にアクセスしたと感じた人間が、これは
人間が将来進化した時の状態だと解釈して宣伝したりするが、誤りである。
全体意識とは巨大なデータベースのようなものである。
それは生物の個々の遺伝子は個々の形態(や行動)を発現させるだけの単一機能しか
持たないが、そのいろいろな機能の集合体のパターンによって人間になったり
ネズミになったりするようにものだ。よく遺伝子をラジオ受信機に、遺伝情報を放送局に
なぞらえたりするが、人間という単位の情報は発信されておらず、個々の機能の情報を
人間の遺伝子セットが集大成して人間という存在単位ができあがるのだ。
だから俺は意識が全体意識に統合されるという話にはまったく与しないが、
この全体意識には因果関係を超えて人間意識を別の形に進化させる性質が
隠されているのではないかという気もするのだった。
なんかさ、微妙におれのネタパクッてるぽいんだよな。
それともある種の共鳴があるのかな。
>ふつう意識はされないが、
>社会は全体意識を持つ。例えば常に一定割合の悪人が存在することがその証拠だ。
これ完璧わしのパクリやん。生命体の集団は生命体のように振る舞うちゅうたやろ。
生命は単体で存在することはありえない。よって遺伝子レベルで共生を中心に
形成されている。
やはり地球外生命はいないだろう。
しかし人類の意識が進化して並行する別宇宙へ転生できるようになれば
「地球外生命」とも呼べるが、それは我々自身の過去の可能性にすぎない。
>やはり地球外生命はいないだろう。
残念ながらきみがいくら共同幻想をいだこうが、
大いなる意志をとこうが、この世界はランダムでしかない。
>>322 じゃあ、もっと早くいえよ。
いつも後付なんだよ。
明らかに、意地でも負けたくないくんだろう。
おでバカです。今日気付きました。げへへへへ
うんこ洩らしちゃった〜 でへへ
ここの1さん面白いね。
カウンターカルチャー、集合無意識、宇宙論 といえば’90前半時代だよね。
なつかしさと新鮮さがまじったワクワク感がくるよ。
あの頃のあれは一見スマートなオカルトって感じだったかな。
お二人の掛け合い、イイ感じっすね。
うわ、はやまった。
宇宙論がらみでメディア露出したってことで90年代前半ね。
地球以外の生命体が存在する可能性はきわめて高いね。
まあ、それが一般的な見解だけど。
生命に必要なアミノ酸、タンパク質?が宇宙空間に存在するのは
わかっているし、まあそこからDNAまで持ってくるのが
またたいへんな訳だけど、個人的には生命の存在というのは
この宇宙ではかなり一般的な現象だと思ってる。
地球だけが特別である理由がない。
知的生命体の可能性もあるけど、その発生の確率と宇宙の広さと歴史の長さを
考えると、知的生命体同士が出会う可能性はきわめて小さいからな。
水があればどこでも存在するぐらいの勢いじゃないかな。
だって地球の生命体の生存可能範囲自体がすげーもの。
329 :
考える名無しさん:02/11/06 13:29
ライアル・ワトソンが香具師だとは気付かなかったあのころ・・・・。
ライアル・ワトソン先生をバカにするな!
確かにたまにとんでも発言するが、それもご愛敬だろう。
331 :
考える名無しさん:02/11/06 13:56
百匹目のサルの件で、幸島のサルのフィールドワークをやった当人
今西錦司の、「わしゃ〜そんなことは言っとらん」証言あたりから
化けの皮がはがれはじめた。
たまにはそういうこともあらぁなあ
333 :
考える名無しさん:02/11/06 14:38
確信犯はヤバイと思われ。
テニスボール裏返す女の子もガセ。
2回ぐらいはそういうこともあらぁなあ
335 :
考える名無しさん:02/11/06 15:23
寛容だなあ。ぴかぁ〜らしくないぞ。
ライアル・ワトソン先生はそれ以上に偉大だから許す。
写真」というものは一体何なのかということについて考えてみたい。
後に詳しく論述するように、写真は19世紀初頭に発明された技術である。こ
の写真という技術を中心として大きな視覚世界の変動が人間社会に起こり、
様々な変化が引き起こされた。人間の意識や感覚もその例外ではなかった。
写真は約160年の歴史の中で、多くのものを変化させ、そして自らも変化し
てきた。そして今、現代の私たちにとって、写真はあまりにも当たり前な存在
である。写真は、アルバム、雑誌、本、広告、買い物袋、食料品の缶詰、など
常にいたるところに存在している。その当たり前な存在ゆえに、写真について
多くの人が深く考えないで写真に接しているが、写真は本来様々なトリックや
矛盾をはらんだ複雑なものである。
大衆化した肖像写真、初めて職業・ビジネスとして「写真」を
用いた肖像写真は、肖像画の代役にしかなり得てはいなかった。被
写体の地位や身分を、衣装や室内装飾で決定し、芝居がかったポー
ズや表情で人物を社会的なタイプとして写しだす。また、写された人々
は「写真」がありのままでは、写真を見て失望してしまう(もしくは怒っ
てしまう)ので、肖像写真には修正が加えられるのが常だった。その
ような状況の中で、ナダールことフェリックス・トゥール・ナションという
フランスの職業写真家は他の職業写真家たちとは異なった手法で肖
像写真を撮影していた。ナダールは1854年からスタジオを構え、パ
リの人々を撮影した。ナダールはモデルを自由に動くままにしておい
て、その人の特徴のある表情を発見したときに初めて撮影を行ったと
いう。被写体によって撮影技法やスタイルを使い分け、背景や小道具
を最小限におさえ、その人間の習慣や思想へもはいっていこうとした。
このようなナダールのアプローチには、ビジネスとしての肖像写真ス
タイルのみでなく、当時の「写真」の一般化に伴って、大衆化された
「写真的ものの見方」にも疑問を投じる姿勢が感じられる。
うんこ!
1さん?
絵と写真の違いはなんだろう。と考えたことがある。
たとえば、ありふれた風景画でもあの絵の感情に訴えかける感じはなんなんだろうと。
多くの家に絵は飾られている、ほとんどがコピーだが。写真ではなくて。
写真は絵に比べ写実的である。現実あるものをそのままに切り取る。
しかし、実は絵の方が実際的ではなのか。
写真は、移したフレームの中のものをすべて同一の分解能で記録する。
絵は、そこに重み付けをすることができる。そこに描き手の感情を内在させることができる。
現実は確かに写真だ。そこにはなんの重み付けもない。すべては等しくそこに存在する。
しかし人の感じる現実とは、見えたものを等しく認識するだろうか。
そこには重み付けがあるはず。人は見たいものを見るのである。
そして瞬間にそれは記憶となり、さらに重み付けは増し、見たかったものだけが残る。
すなわち絵が人の感情に訴えかけるのは、それが人の見た「写実的」だからだ。
>写真」というものは一体何なのかということについて考えてみたい。
>後に詳しく論述するように、写真は19世紀初頭に発明された技術である。こ
>の写真という技術を中心として大きな視覚世界の変動が人間社会に起こり、
>様々な変化が引き起こされた。人間の意識や感覚もその例外ではなかった。
産業革命前後に技術は人を相対化することを可能にした。
エッフェル塔をはじめとして、高い建造物が建設された。東京タワーしかり。
これは技術の誇示であるが、もう一つは人々にこの世界を見渡す視点を
与えた。多くの観光客がその視点に衝撃を受けたという。
そのとき、人はいかに自分の存在が小さいかとう相対化の視点をもった。
写真も同様である。客観的に自分を、世界を切り取ってみる行為は、
人に相対化の視点を与えた。
近代社会は、産業社会である。産業社会では、人の自我は画一を強いられた。
設備の一部のように分業作業を繰り返し行う行為に特別な自我は必要はない。
かつての農業社会においても人はひたすら働いた。しかし作物をつくるという
行為は分業ではできない。種を買う人、水をやるひと、とは分けられない。
作物は時間とともに育つからである。そのためにかつての農民達は個性的であった。
自分の自我を持っていた。教育がないぶん、偏狭であってもその自我は
様々であった。
多くの中の一人であるということの認識そのために、このような技術による
相対化は結果論ではあるが、産業革命への道として必要な意識変化であった。
2001年宇宙の旅
猿からヒトへ そして 超越の存在へ。
モノリスって 薄型テレビだったの?
写真は技術的にはもっと前から可能だったのだが1839年ごろいろんな人が同時多発的に
発明したらしい。これは社会の進歩が現在とは違う過去という意識を生み、そのころの情景を
残しておきたかったという気持ちがいずれ過去となる現在の情景を残す技術を発明する動機と
なったものだろう。そして、いったん写真というものが成立すると今度はそれがまた
人々の時間意識を変容させ、過去や未来の世界が現在とは独立して実在するような感覚になる。
そういう感覚から「タイムマシン」というSFも書かれたわけだが、このような実在的時間感覚が
近代意識の本質だろう。しかしテレビはそういう固定的な時間意識を解体する。テレビの映像は
ナマなのか録画なのかが見ているだけでは判断できないからだ。1980年代以降、戦前や古代を舞台にした
小説を書いた作家がその作品を書きながら、あたかも自分が本当にその時代にいるような錯覚に陥ったと
発言するのを複数目撃したが(俺が見たのは荒俣宏と黒岩重吾)、そういう感覚はかなり
広まっていると思う。これは過去は遠く離れたものではなく現在の中に含まれているという感覚であるのと
同時に作家が想像した過去が実際の歴史と同等の価値を持つ並行世界であることも意味している。
すなわち歴史があって歴史小説があるのではなく、現代の作家が歴史小説を書いたから、
それに近い歴史が実際に演じられたという因果関係もありそうなのだ。
そんなぐちゃぐちゃな因果関係で世界が成立するのかと言われそうだが、世界や過去の唯一性は
最近有力になってきた量子力学の多世界解釈によっても否定されている。例の二重スリットの干渉実験は
一粒の光子を発射して右の穴を抜けた世界と左の穴を抜けた世界が重ね合わさって干渉縞が
出来ると理解するのだ。これを敷衍すると我々の現在の状態も、実現しなかった多くの可能世界の歴史の
影響を受けていると理解できる。つまり過去の歴史とされるものは現在を成立させる唯一の原因
ではないのだ。よく新発見によって史実がひっくり返ったりするけど、あれは本当は過去の歴史が
別の歴史世界へジャンプしたのかもしれない。
混乱してきたぞ。俺は誰だ!?ミキティ?
もし世界があと一週間後だか一年後にでも終わってしまったら、それまでの歴史は
それ以降だれにも認識されることなく、すべて無の中に消えてしまうのだろうか。
それだとなんだかさびしすぎるので霊界というものを設定し、世界が終わったあと
すべての人の霊は過去に転生し、その時未来の記憶は失われている、という考え方もある。
しかし私は時空を超えた霊界=全体意識は非人格的なものだと思っているのでこの転生説は採用できない。
それにたとえば社会の成功者はよく自分が成功するのは最初からわかっていたと言うが、
これは転生とは関係なく未来の情報を先取りしたと考えるだけでよい。
となるとやはり世界の終わりによってすべては無に帰すというほかない。
そして完全に無の状態にならなくても最近は進歩も止まってここ30年の歴史はなかったことに
なっているので、すべての歴史が無に帰したような喪失感が世界を覆っている。
この喪失感からいかに抜け出すかが課題なわけだが、「アポロ11号は月に行ってない」と
主張する人がいるように、いっそ今はまだ1970年だということにすればいいのではないか。
幸い最近の若者の精神は70年レベルに戻っているし、社会の雰囲気も70年代プレイを
しているみたいなので、歴史の本も全部書き換えてもう一つ別の80年代をやり直してもいいんじゃないか。
>世界があと一週間後だか一年後にでも終わってしまったら、
>霊界
>霊は過去に転生し
>世界の終わりによってすべては無に帰す
>いっそ今はまだ1970年だということにすればいいのではないか。
>もう一つ別の80年代をやり直してもいいんじゃないか。
じゃあ、きみに問おう。「愛」ってなんだ?
何が「じゃあ」なのかよくわからんが、「愛」とは意味の産出装置だと思う。
かつて大本系の予言者、岡本天明は人類は将来「半霊半物質」状態になると言った。
北一輝の言う「神人類」も同じ意味だと思うが、実はこれはすでに実現している。
つまり「半霊」とは個体としての人間がテレビによって「神の視点」を獲得した状態のことだ。
これは全体意識の視点で世界を眺めた時の意識状態で、その状態では形式だけがあって
恋愛感情も音楽の感動もなくなってしまうのだ。そして固定的な時間感覚もなくなって
「現在」はいつでもないが、いつでもいい時と感じられる。
さて、ここでゲームのルールを定めたい。今は二回目の1972年だ。そして73年74年と進み、
1999年の次は三たび1970年に戻る。まさに永劫回帰、「夏への扉」ゲーム。
理想の状態を求めて難解でもこの30年間を繰り返せばよい。「21世紀」は永遠に来ない。
一回目の30年は70年代後半あたりからおかしな方向(意識のメタ化)へ向かってしまったので、
今回はそういう方向へ進まないように70年代前半の意識状態をキープしたまま90年代を終えなければならない。
今は二回目の1972年なのだが、「1972(2)年」などとは表示しない。我々はあくまでも初めて体験する70年代として
ふるまわなくてはならない。一回目の歴史は消えないのだが、あれは好ましくない並行世界に紛れ込んだ悪夢だった
ことにしよう。悪夢ではあったが実際に年もとってしまったのはそういうものとして受け入れることとする。
実際、一回目の歴史だっていろんな未来の可能世界を織り込んだ上で最善のものとして顕現したものだが、
順調すぎてかえってよくなかったという反省に立ち、もう少し穏やかな状態がつづくものとして
やり直そうというわけだ。
北朝鮮では金正日みたいな人間が国家の洗脳によって偉大な将軍様として崇拝されているくらいだから、
国家が本気で宣伝すればみんな一回目の30年間は仮想世界の悪夢だったと信じるようになるだろう。
×理想の状態を求めて難解でもこの30年間を繰り返せばよい。
○理想の状態を求めて何回でもこの30年間を繰り返せばよい。
何が進歩してないのかさっぱりわからん。物質的にも精神的にも十分進歩しているんじゃないの?
だんだん、文章構成が意味不明になってるよ。。。そろそろまたカウンセリングにいって!
それからでも話は遅くない。
>何が「じゃあ」なのかよくわからんが、「愛」とは意味の産出装置だと思う。
意味がわからん。あとが続いとらん。
>さて、ここでゲームのルールを定めたい。今は二回目の1972年だ。そして73年74年と進み、
で、どんなゲームをしましょうか。
352 :
考える名無しさん:02/11/08 16:18
ジルオールがいいな。
>何が進歩してないのかさっぱりわからん。物質的にも精神的にも十分進歩しているんじゃないの?
これは1さんの精神世界の話なんだよ。彼は1980から行きこもっていた。
最近の物質的、精神的進歩を受け入れたくないんだよ。
引きこもる前の70年代のままなの。
もう40近いと思うんだけど。彼の中ではまだ彼は10代のまま。
そしてこの世界も、そして彼が見続けているTVの世界も。
【過去の不確定性】
たとえば一億年前の今日、どこでなにがあったかなど確定する方法はない。
確定できない以上その日はいろんな可能性の重なり合いでしかない。
【多重史観】
たとえば聖徳太子は実在しなかったという説がある。
では本当のところはどうなのか。
実は本当の歴史などというものは存在しない。
ただし人々が本当と信じる歴史というものはある。
歴史というのは現在の記憶が捏造したものであり、
本当の過去はあらゆる可能性が重なり合った集積体である。
これを多重史観と呼ぶ。
過去とは進歩主義者が捏造した認識形式である。
進歩主義者は過去とは異なる世界として現在を認知し、現在とは異なる未来を目指して努力する。
この思考形態に慣れると時間というものが客観的実在に思えてくる。
あたかも隣の町にでも行くように、タイムマシンがあれば実在する過去の世界へ行けるような気になるのだ。
それは進歩の時代に生きること自体が一種のタイムマシン体験だったからだ。
しかし進歩の歴史は1999年いっぱいで終了した。進歩の時代の人間にとって生きる目的とは
社会の進歩に貢献することだったが、その目的が一瞬にして消滅してしまった。
しかし社会の進歩は終わっても、人間の道徳意識はそう急には変更できない。
しかし負い目を感じることなく人生の目的を個人的楽しみに転換する方法がある。
それは、かつて進歩の時代があったというのはウソで実は最初から社会は現在のように
完成されていたと考えることだ。そしてこれはまんざら間違いとも言えないのだ。
縮小反復史観によれば未来から過去への因果関係も存在するし、
量子力学も人間の観測が対象の過去のふるまいを決定することを教えてくれる。
つまり西暦2000年とは歴史の結果(=完成)というよりむしろ原因なのだ。
そして西暦2000年に達した瞬間、世界は時間の実在性を卒業し、人間の意識の次元は変わった。
最近ようやくそのことが自覚されはじめたようなのだが、私が予感した意識の進化とはこのことだったらしい。
>【過去の不確定性】
>たとえば一億年前の今日、どこでなにがあったかなど確定する方法はない。
>確定できない以上その日はいろんな可能性の重なり合いでしかない。
ほんときみは相変わらず馬鹿だな。
過去を語るのに一億年前の今日なんって持ち出すなよ。
ほら今の瞬間も過去が生産されているだろう。
まあ、きみは今の瞬間の記憶することもおぼつかなそうだけどね(w
>しかし進歩の歴史は1999年いっぱいで終了した。進歩の時代の人間にとって生きる目的とは
>社会の進歩に貢献することだったが、その目的が一瞬にして消滅してしまった。
>しかし負い目を感じることなく人生の目的を個人的楽しみに転換する方法がある。
>それは、かつて進歩の時代があったというのはウソで実は最初から社会は現在のように
>完成されていたと考えることだ。そしてこれはまんざら間違いとも言えないのだ。
ほんときみは相変わらず馬鹿だな。
社会が進歩するなんって思想は、進化論が認知され始めた最近からのもんだろう。
その前は神が世界を作ったという世界観だったんだよ。
>最近ようやくそのことが自覚されはじめたようなのだが、私が予感した意識の進化とはこのことだったらしい。
まあ、予感するのは勝手だが、「わたしは神だぞ。」って死体隠してるおばちゃんと同等だよ(w
遠過去と近過去のちがいは不確定性の程度のちがいでしかない。
一億年前の今日はほぼ100%不確定だが、きのうの出来事についてはほぼ100%確定だ。
そしてきのうの出来事も、いずれほぼ100%不確定になってしまうのだ。
アメリカでは進化論はやめて創造説で教えろという運動が再び盛んになってきた。
それは進歩主義のイデオロギーから脱却したいという願望が強まったからだろう。
今回の運動では歴史を創造したのは神ではなく、抽象的な「知的構想」(インテリジェント・デザイン)とされる。
神なんか持ち出すと無神論者が受け付けないから科学を装うことにしたらしい。
だったら俺の縮小反復理論も採用するべきだな。歴史が本当にデザインされていることが一目でわかるぞ。
はやく進化させてくれ
>遠過去と近過去のちがいは不確定性の程度のちがいでしかない。
>一億年前の今日はほぼ100%不確定だが、きのうの出来事についてはほぼ100%確定だ。
>そしてきのうの出来事も、いずれほぼ100%不確定になってしまうのだ。
ほんときみは相変わらず馬鹿だな。
だから
>過去とは進歩主義者が捏造した認識形式である。
なんかじゃないんだろうw
>アメリカでは進化論はやめて創造説で教えろという運動が再び盛んになってきた。
はじめて聞いたよ。どこでどうもりあがってんだよ!ば〜か!
>今回の運動では歴史を創造したのは神ではなく、抽象的な「知的構想」(インテリジェント・デザイン)とされる。
>神なんか持ち出すと無神論者が受け付けないから科学を装うことにしたらしい。
>だったら俺の縮小反復理論も採用するべきだな。歴史が本当にデザインされていることが一目でわかるぞ。
また縮小反復理論かよ。ほんと都合が頭の構造だな(w
その都合の良さで社会に適応できないのかよ。
まあ、人の話きけねぇからダメか。
近過去の確からしさはほぼ100%といっても完全に100%ではないところがミソで、
過去の実在を認めたことにはならないのだ。
それは物質の存在は巨視的にはほぼ100%確実でも、微視的にはほぼ100%不確実なのと同じ関係だ。
量子力学は物質の客観的実在を否定したが、それを認めるなら固定的過去も否定しないと一貫性がない。
つまり歴史とは全体が無時間的に存在しているのであり合理的因果関係を超えているのだ。
だから縮小反復構造も成立するのだ。だからといって歴史は最初からただ一通りのものが決定されていた、
とも思わない。過去も不確定なら未来も不確定というのがこの考え方の原理だからだ。
今は確実な真理としか思えない縮小反復理論も将来は偽りに見えてくるかもしれないのだ。
この柔軟性は単に人間が無意味に陥ることなく生きていくための方便と言われるかもしれないが、
不確定性原理だって最初は方便と言われたわけだし、みんなが信じればそれが客観的真理になるのだ。
空間的重力を知覚するために三半規管という器官がある。
進歩の時代の変化の加速度は一種の精神的重力として作用したので、脳のどこかにこの
時間的重力を知覚するシステムが成立したにちがいない。このシステムが作用すると人々は
未来にあらゆる否定的要素のないユートピアを幻視するようになる。それによっていろんな
悲劇も起きたわけだが、85年に進歩は崩壊、1990年頃には「精神的無重力状態」が語られる、
という深刻な事態となったわけだが、なんとかこの状況を正面突破しなくてはならない。
95年以降、インターネットとケータイ電話は一時的に疑似的重力を与えたが、今やその効果も
消滅しつつある。人類が根本的に世界観を変更すべき時が来たというべきだろう。
>量子力学は物質の客観的実在を否定したが、それを認めるなら固定的過去も否定しないと一貫性がない。
ほんときみは相変わらず馬鹿だな。量子力学のなんたるかもわかってないくせに、
どこにでも書いてある安直な比喩を最近覚えたのか、繰り返して(w
>つまり歴史とは全体が無時間的に存在しているのであり合理的因果関係を超えているのだ。
>だから縮小反復構造も成立するのだ。
なんで、いいかげん自分のいってることの矛盾に気が付かないの(w
>不確定性原理だって最初は方便と言われたわけだし、みんなが信じればそれが客観的真理になるのだ。
幼稚なたとえ(w
>85年に進歩は崩壊、1990年頃には「精神的無重力状態」が語られる、
>という深刻な事態となったわけだが、なんとかこの状況を正面突破しなくてはならない。
>人類が根本的に世界観を変更すべき時が来たというべきだろう。
きみが85年に崩壊して、90年頃精神的無重力に陥って、いま根本的に世界観を変更すべき時が来てるんだろう。
で、このままずっと引きこもってノイローゼ妄想つづけるつもりか。
そろそろ、妄想世界の話じゃなくて、きみ自身の話が聞きたいな。どうだ、素直になぜひきこもり、妄想しだし、
これからどうすべきと考えているかのか客観的に語ってみないか。
ほんとうは、きみはそれを語りたいんだろう。
だからきみはかまってもらおうとしてるんだろう。
おれがずっとかまっているのはきみの未来感を聞くためではないよ。
きみの未来感には稚拙な知識とありきたりのセンスもなく、
最初に比べて、半分が俺のパクリでしかない。
おれは、君自身にとても興味があるんだよ。
君自身のことから、いまの世界で起こっていること、
これから起こる未来のことが引き出せそうな気がするんだよ。
それは、きみが今日本の社会で起こっている問題の典型的な当事者の一人だと
思うから。
そろそろ、きみ自身に起こったことを語ってくれたまえ。
きみの知識なんか、その当たりの入門書にいくらでも書いてあるし、
未来感ではおれの方がセンスがあるし、現実的である。
ただきみの体験とそのキャラは、本物のきらめきがある。
きみの未来感の陳腐さに対して、きみの存在は哲学板でも十分特異だ。
だからきみ自身について知りたいんだよ。そこにすごく興味があるんだよ。
まあ、きみだからぶっちゃけいうと、おれも哲学板でそこそこ名前がうれて
連戦連勝なわけだけど、それはおれの行っていることがごく常識的だからなんだよ。
それをキャラであたかも非常識に見せてるから、勘違いして食いついてくるやつが
いるわけだけども、ことごとく負けてる。それは馬鹿キャラで非常識を装いながら、
実は言っていることはまともだからなわけだな。
それに比べて、きみのキャラは天然の本物だ。そこに引かれるわけだ。
このスレでおれは、ぴかぁ〜も結構まともなこというじゃんと見直されたわけだけど、
それは天然本物馬鹿に相対化されることにより、おれの作り物の馬鹿キャラは
勝てないわけだよ。きみに相対化されて、ほんとうのまともなおれが露出しちゃうわけ。
だからきみのその天然本物馬鹿キャラについて、知りたいんだよ。
きみは言っていることは三流でしかないが、そのキャラにおいて本物だよ。
ほんと自信をもっていと思うぞ。語れ!
さて過去が現在とは独立した実在と感じられるようになったのは映画の登場によるところが大きい。
その証拠に「タイムマシン」が書かれたのは映画の発明と同じ1895年である。
映画は今ここではない時空間を何度でも再生するので、それに見慣れるとその時空間があたかも
現在とは独立して客観的に存在しているような気になる。そしてもしタイムマシンがあれば
その時空へ行けそうな気がしたからH・G・ウエルズは「タイムマシン」を書いたのだ。
映画は過去の世界が実在する感覚を与えたが、いったん映画というメディアが成立してしまうと、
それ以前のメディアも映画的に解釈されるようになる。すなわち写真、活字、あるいは手書きの写本の
作られた過去の時代も現在とは独立して実在していると感じられるようになるのだ。
さらに1927年には音声も加わって映画のリアリティはさらに高まった。そしてそのリアリティの高まりは
人々に未来世界の実在を感じさせるようになった。というわけでこの年「メトロポリス」は作られた。
トーキーは過去や未来のリアリティを極限にまで高めたが、そのリアリティの高まった未来世界を目指す
社会運動も極限的に盛り上がることとなった。ナチスだ。第二次大戦は監督・脚本・主演アドルフ・ヒトラー
と言われるようにひとつの映画作品として戦われたのだ。
しかし次のテレビは過去も未来もすべて現在のうちに取り込んでしまい、未来を目指す運動はシラケた。
たしかに政治的革命運動はシラケたが、今度はテレビを媒介として意識を超越レベルに進化させようという
運動が始まったのだ。オウム真理教の崩壊でこの意識進化の運動自体が終わったように思われたが、
どっこいここにきて「過去の不確定性」という奥の手が発見されたことにより、この運動はやっと
本格的にスタートすることになったのだ。90年代、デジタル技術は過去の映像を自由に加工できるまでに
進化した。映画が過去を実在化したように、この映像技術も人間に「過去は変えられる」という感覚を与え、
意識のあり方を根本的に変革していくことになるのだ。
俺がひきこもったり意識の進化を目指したりするのは単に個人的病気を克服するという話ではなく、
人類の運命とシンクロしているのだよ。やっとそのことが理解されてきたようで有り難いことだ。
「哲学」とはその時代で最も根本的な課題のことであり「哲学者」とはその課題に全存在をかけて取り組む者のことだ。
アインシュタインは哲学者だったがフォン・ノイマンは技術者だ。
そして哲学者は倫理として自分が発見した最も重要で新しい客観的事実しか語らないので悪しからず。
>俺がひきこもったり意識の進化を目指したりするのは単に個人的病気を克服するという話ではなく、
>人類の運命とシンクロしているのだよ。
ひきこもったり意識の進化を目指してたのか。まあ、20年以上引きこもってたら、もうそこにしかないよな。
想像できないほどのものすごい閉塞感なんだろな。
>新人類 ◆c0xf7D8Z0I 02
とうとう覚醒して、コテハンにしたんだ。
おれに感謝してくれよ。だいぶ貢献してると思うぜ。
きみが、仮面ライダーアギトに見えてきたぜ!かっちょいー!
>>367 うぜーだよ。お前の存在 糞スレひとりであげてんじゃねーよ
>>368 つまんねーーーーーーーーーーーー
せめてsageてやれ、
「新人類 ◆c0xf7D8Z0I 02」って俺じゃないよ(どこのスレ?)
帝王カラヤンは早稲田文学の座談会で、自分の中で中上健次が死んだあとも成長しているのが変だと発言している。
しかし実はこれは変でも何でもない。
中上が死ななかった並行世界というのがあって、その世界の情報がカラヤンの意識に伝わったのだ。
霊媒による「口寄せ」もこのメカニズムによるものだろう。
カラヤン、霊能者としてデビュー間近か?
「新人類」氏は3つもスレ立てて積極的だなあ。俺も「過去は不確定である」とかのタイトルで
宣伝スレ立てまくりたいとこだが人格を疑われるので自粛しているのだ。
>あまりにも重大なことなのでスレを立てさせていただきます。
でさ、人類の中できみは神に選ばれた人間なわけだけど、
神に選ばれるってどういう気持ち?
吉本隆明はこんど生まれ変わったら何になりたいかと問われて、
「もう生きるのはコリゴリだ」と答えている。
その気持ちはよくわかる。人間は自分の生を肯定する限り、もう一度生まれ変わっても、
自分のような人生か、もっとうまくいった自分のような人生を選択せざるをえないからだ。
吉本は彼自身の人生よりもっとうまくいっても、もっと苦しまなければならないことが
わかっているので「もうコリゴリ」と言ったのだ。しかし吉本の業績など俺の業績に比べれば
屁みたいなものだ。俺は吉本の百倍、こんな人生を繰り返すのはコリゴリだと思っている。
☆しかしどうして日本はドイツみたいにアメリカの対イラク戦争には一切協力できないと
言えないかなあ。今のイラクは戦前の日本だよ。アメリカべったりの小泉は暗殺するべきだな。
>俺は吉本の百倍、こんな人生を繰り返すのはコリゴリだと思っている。
あなたは人生をエンジョイする方法をもっと学ばなければならない。
きみは不幸でもなんでもない。ただの不行動者であり、弱虫だ。
一歩踏み出せば、だれもがヒーローだ。
5の平方根は2.2360679だが、これを『富士山麓「に」オウム鳴く』と言う奴がいる。
「に」は余計なのだが、こういう誤解を招かないため俺なら
「富士山麓は『ムー』無く」
と語呂合わせしたい。その心はサリン事件以前、オウムの施設にはいたるところに
オカルト雑誌『ムー』がころがっていたが、事件以後そういう光景はどこかへ行ってしまった
というもの悲しさをうたった語呂合わせなのでした。
★NEWSという単語はぴったり東西南北がそろっている。
★BC(紀元前)とAD(紀元)を合わせるとぴったりABCDだ。
なんだ、この脱力レスは…。
1さん、これってインターミッションなんだろ。
そろそろCM終わりまぁす。
どうぞ。
TV、そしてとどめのネット社会により高度情報化社会は開かれた。
高度情報化社会で、人は老成化する。
かつて人が一生かかって、いや一生かかっても体験できなかった情報を
バーチャルであるが、人は体験する。そして若くして物わかりがよく、保守的な老人となる。
オタク化、ひきこもり、コギャル化も老成化である。
>>1よ見よ。彼が若者と言えるか。
彼は多量な情報のもと老成化し、そして若くして隠遁生活に入っている。
日本人は高齢化社会の以前に老成化し、活力を失っているのである。
中国人を見よ。彼らのみなぎるパワーを、無鉄砲な行動を。
彼らは限定された情報しか得られず、無鉄砲で、無頓着で、がさつで
でもそれらは若さゆえのものである。
日本人はこのままただ年老いて、世界の中で隠遁生活を送るのみなのか。
大体、テレビが出来てたかだか50年程度だろう。
「進化」というのはその程度の期間で起こるものなのか?
生物が二心房一心室から二心房二心室に至るまでにも数億年単位の時間がかかったはずだが。
1が活力を失っているようには見えんが。
383 :
考える名無しさん:02/11/19 21:00
1と「ぴか〜」は似たり寄ったりだと思うが。
384 :
考える名無しさん:02/11/19 21:08
テレビはΤがいいんだよね。
385 :
考える名無しさん:02/11/19 21:23
ガチンコみよっと。
386 :
考える名無しさん:02/11/21 00:06
これらからは液晶の時代。
387 :
考える名無しさん:02/11/21 23:08
テレビ、パソコン、携帯電話は三種の神器であり三位一体である。
これらが、ふゅーじょん!!! したときに、
人類は新たなステージへと足を踏み入れることが出来るのである。
20XX年、ついにタイムマシンが完成した。発明者はさっそく10年前に行ってみた。
すると、そこは既知の10年前とは似ても似つかない世界だった。
国際社会がアメリカの対イラク戦争を容認しているところをみると、
イラクはよほどすごい兵器を開発しているのだろうな。
たとえば空気中の酸素をすべて窒素と結合(NOx)させてしまう爆弾とか。
オウムの上祐が「覚醒新世紀」という本を出した。
帯の宣伝文句は「大いなる時が来た人類の進化が今、ここに始まる!」というものだ。
偶然とは思うがここのスレタイとよく似ている。
上祐は以前にも俺の縮小反復説を無断でパクって自身のホームページに載せていた。
俺はオウムとは何の関係もない人間であることを明言しておく。
"上裕"という生き方か…。
定期観測すると面白いキャラとなりそうだね。
彼は30代くらいかな?
1929年にD・H・ケラーというSF作家が「ロボットの脅威」という小説で面白い予言をしている。
「ケラーの小説は、現代のわれわれの生活にかなり近い未来のヴィジョンを提出している。
電気通信手段が驚くほど発達し、視聴覚機器が、重要な役割を果たすようになり、テレビが
一般的に用いられていて(中略)。この未来社会はいかなる結果をもたらすだろうか。
一日八時間テレビの前に釘付けになった人間は、何をするにももはや身体を移動させる必要が
なくなったために、内向的で反社会的な存在となってしまうだろう。そしてついには、
あらゆる人間的感情を奪われてしまうにちがいない」(「現代SFの歴史」p98)。
おお、まさに今のひきこもりの状況やんけ。しかしこの作者はこういう状態が実現するのは
ずっと先の話と考えてたんじゃないかな。(別の作者だが)なにしろ1930年に書かれた小説で
人類が月に到達するとされたのは2130年なのだ(同書p92)。
中国近代史の大事件13年周期説というのがあるらしい(時に一年ずれる)。
1898年=戊戌政変
1911年=辛亥革命
1924年=国共合作
1937年=日中戦争
1949年=共産革命
1962年=大量餓死
1976年=毛周死去
1989年=天安門事件
ときて2002年がちょうど13年目なんだが、左右の対立は激化してるみたいだし、
胡錦濤体制が本格化する来年は歴史に残る年になりそうだ。
★それとロシアの指導者はハゲとフサが交代に現れるというジンクスもあるそうだ。
たしかにレーニン以来スターリン、フルシチョフ、ブレジネフ、ゴルバチョフ、エリツィンと
当たってる。プーチン政権は頭がハゲ上がるまで続くのかなあ。
394 :
考える名無しさん:02/12/18 12:12
これはなに
人間にとって「意味」とは二重スリット実験における干渉縞のようなものかもしれない。
縞模様が光子の経路(右と左のどっちの穴を通ったか)を確定させると消えてしまうように、
人間も過去の歴史を確定させると現在の「意味」が成立しなくなるのかもしれないのだ。
人間の意味が成立しなくなったのは大体1985年ごろからだが、これは85年以降出生率が
急降下したことでも証明されている。そしてそうなった原因としてまず疑うべきは映画だ。
タイムマシンの正体は実は映画のことだが、映画は人間を過去の世界に連れて行くと同時に
過去を確定させるという作用も持つ。映画が1895年に発明されて、90年間蓄積された時点で
人間の意味が崩壊したとすれば、ちょうどその時点で生きているほとんどすべての人の
歴史的時間が確定したことで意識の相転移が起きたと解釈でき、辻褄は合う。
人類精神に意味を復活させるため、今こそ焚書ならぬ焚フィルムが必要かもしれない。
思えば秦の始皇帝の焚書やアレキサンドリア図書館の焼き討ちは意味を復活させるための
操作だったのかもしれない。
それと、ひきこもりとホームビデオにも因果関係あるかも。1980年以降に生まれた人は
親が撮影した幼少期のビデオが残っている人が多いと思うが、そうやって過去を確定させる
ことが、現在の意味を奪ってひきこもりを作り出しているのかもしれないのだ。
幼少期のホームビデオを焼き捨てることで意味(=生きる意欲)が回復する可能性は十分ある。
【ステレオラブのメアリー・ハンセンが交通事故死】
[ロンドン 14日 ロイター] 英人気グループ「ステレオラブ」のボーカル、メアリー・ハンセンが9日、
ロンドンで交通事故に遭い、死去していたことが明らかになった。36歳だった。
警察が14日明かしたところによると、同市内で自転車に乗っていたハンセンにトラックが衝突、
ハンセンは現場で息を引き取った。ステレオラブは、公式サイトにハンセンの死を悼むメッセージを掲載。
グループのマネジャーはタイムズ紙に対し、誰とでもすぐ友達になれ、ユーモアのセンスや思いやりにあふれた
人物だったと語った。ハンセンはオーストラリア・クイーンズランド出身で、ロンドンで生活していた。(ロイター)
[12月14日13時53分更新]
⇔1997年、ダイアナ元妃交通事故死(享年36)の逆回転
>>394 >これはなに
シークレット・ドクトリン
今すぐテレビ放送を全廃せよ!
1996年10月に人類の意識が一気に収縮したように、
2003年3月も人類の意識は一気に収縮するだろう。
俺が「進歩は終わった」と言うと、
「全然終わってないじゃん。情報や生命の技術はどんどん進歩しているよ」
という反論が返ってくるが、俺の言う「進歩」とは、そういった個別的技術のこと
ではなく科学、芸術、社会が同時並行的に進歩を続けてついには今とは全く隔絶した
超越的世界が実現するという予感のことであり、そのためにあらゆる犠牲を払ってもかまわない
という意識状態のことを指す。つまり「進歩」とは客観的状態のことではなく、主観的状態の
ことなのだ。たとえば「世界」という言葉は客観的存在としての世界と、主観的な世界
(例:ユーミンの世界)の二つの意味で使われるが、「進歩」にも二つの意味があるということだ。
20世紀は超越的価値「進歩」が世界に意味を与えていたが、もはや進歩はない。
しかし世界に意味を与えてくれる超越的対象は「進歩」しかないかというと、そうでもない。
たとえば「貨幣」というメタレベルの成立は商品に価値が内在するという感覚を与えたし、
すべてを代表する独裁者は本来は有権者の下僕なのだが有権者は逆に自分たちのほうが
主人に仕える下僕であると思うようになるという(柄谷理論)。ナチス政権下のドイツでは
「総統はあらゆる意味や価値が崩壊した世界で我々に生きる意味を与えてくれた」と誰かが言っていた。
その理論に従えば、北朝鮮の体制が崩壊しないのは国民が共産主義に洗脳されているからと
言うより、個人崇拝のシステム自体が魅力的だからだと言える。北の国民は共産主義で経済が
破綻したことなどとうにわかっているのだが、金正日体制を倒すと西側の精神的には貧しい
民主主義に移行させられるのがいやでしぶしぶ我慢しているのだ。
となると朝鮮統一の第一歩は南が個人崇拝の国になることかもしれない。
ノ・ムヒョンがあくまで北朝鮮を擁護する独裁体制を築いて統一ということになるかも。
>>350 >何が進歩してないのかさっぱりわからん。物質的にも精神的にも十分進歩しているんじゃないの?
しかしそういえばIT革命というのも一種の革命幻想で、超越的世界を目指すタイプの
ものかもしれないなあ。しかし「IT革命」という言葉が使われるようになったのは
1999年ころのことで、自殺が激増した1998年の一年後であることに注目すべきだ。
つまり超越的価値=進歩がなくなったのに絶望して自殺は激増し、その穴埋めとして
IT革命という幻想が要請されねばならなかったのだ。急増した自殺者とIT革命を
声高に唱えているのが共に50,60代のおじさんであることもその証拠だ。
実は俺も98年に超越的世界の実現が幻想であることを悟った。しかし世界の意味は
20年以上前に失われていたから別にそれで死のうとは思わなかった。98年から増えた
自殺者というのは97年までは意味も安定していた人たちだろう。
今も精神的進歩が続いてると言うのは超越的世界を予感したことがない人だろう。
403 :
考える名無しさん:02/12/29 02:42
なんだよ、今全部読んでみたけど
ぴかぁ〜のネタすれじゃん
俺はぴかぁ〜氏とは別人だよ。
しかし「物質世界は実在しない」ということを実感として理解できるようになるのが
哲学の基本だと思うが俺はまだそこにも到達できてない。
「過去の不確定性」を突破口に早くそういう認識に到達できたらいいなあ。
とりあえず「過去は存在しない」ということは実感として理解できるようになった。
きのうの出来事にしても、記憶が鮮明に残っていても過去自体は存在しないのだ。
今日はある本で「状態変化は客観世界の側にはない」という表現に出くわした。
なるほど、過去がないんだから時間の幅を持った「変化」なんてないわな。
結局「世界とは人間の意識が自分にとって都合のいい環境を外部放出したものだ」
ということがわかればいいんだろう。
しかしそういう「悟り」の状態があると思うこと自体が錯覚かもしれないから怖いのだが、
ここまできたらあると信じて欲望の消去に努めるしかないな。
「過去は存在しない」とは、単に過去の出来事が今となってはどこにも存在してない
(ゆえにタイムマシンで訪れるなんて不可能)ということではない。
過去の出来事そのものが存在しないということだ。
例えば、世界貿易センタービルは今はない。今はないが、かつてあったという事実は
永遠に消せない事実だと普通は思われているが、過去はないのだから消せない事実でも
何でもなく過去そのものがないのだ。これが「過去の不確定性」の考え方だ。
ところで過去が存在しないなら、物質世界も存在しない。
なぜなら例えば光子は網膜に当たって世界を知覚させるが、網膜に当たるまでの
光子は過去に属する。過去は存在しないから人間に達する以前の光子なんて存在しない。
それでは光子は眼球に達したところから存在しはじめるのかというと、それもちがう。
人間の意識に到達する以前のプロセス全体が存在しないのだ。
光子が網膜に当たったあと視覚情報は神経を通って脳中枢に伝わって世界を見ることに
なるわけだが、世界が見えた時点以前はすべて過去のことだ。過去は存在しないので、
人間も存在しない。結局、存在するのは意識の一点のみに凝縮されるのだ。
検証手続きを持たない過去は、過去の事実自体が存在しないということは、
野矢茂樹「哲学の謎」(講談社現代新書、p49)でも述べられているなあ。
ところで世界はすでに終わっているという感覚(いまの世界をもう何万年も前に滅んだ文明
のように感じる)というのは世界を過去として感じるということだが、これは原理的には正しい。
なぜなら目の前の物(例えばパソコン)を見ていてもそれはわずかに過去の映像だから。
何かに触っても脳に伝わるまでには時間がかかるからやはり過去の世界を体験していることになる。
そういう意味で世界を過去として体験するのは厳密には正しいのだが、これは一般に世界没落体験と
呼ばれる。自分が世界の外に出て、すべてが生命を失ったと感じる状態のことだ。
そしてこのように世界を過去化し生命を失わせたのは実はテレビが原因だ。
テレビの映像(と音声)は生と録画が区別できない。区別できないと、意識はすべてを
過去の出来事と解釈するらしいのだ。確かにメタ化した意識は時間の外に出たという感覚を
持つので、すべては過去の(または超時間的にすでに完結した)出来事と感じられる。
うーん、やはりテレビは危険なメディアだ。早く全廃したほうがいい。
今年の連続ドラマで視聴率が15%を超えたのは「おとうさん」だけだというし、
もうみんなテレビなんてそんなに見たくないんだよ。
1996年97年安室奈美恵レコード大賞⇔2001年02年浜崎あゆみレコード大賞
ただし1996年の逆回転は2003年だが、96年の12月31日の逆回転は2003年1月1日なので
(どちらも99/00境界から3年)96年のレコード大賞の逆回転が2002年のレコード大賞でいいのだ。
1997年1月ナホトカ号重油流出⇔2002年12月北朝鮮船重油流出
そのほかにも北朝鮮船事故の直前にスペイン沖でも重油流出事故はあった。
そういう事故が起きる時期だったんだろう。
江沢民は「中国共産党は農民、労働者と共に資本家の利益も代表する」と言った。
これはナポレオン三世やヒトラーが実現した「あらゆる社会集団の利益の擁護者」状態だな。
それと関連するかどうかわからんが、どうも渋谷という街にはもはや先端性はないらしい。
その証拠に数年前から高校生などの若者は池袋へも好んで出かけるようになった。
そもそも80年代に渋谷が先端的たりえたのは60年代の新宿よりさらに新しい街として
認知されたからで、それは池袋みたいな埼玉に近くてダサい街の対極に位置していた。
つまり渋谷のアイデンティティは池袋を否定することで成立していたはずだ。
東京の街は東と北がダサくて西と南がイケテるのだ。
新宿同様、池袋にも超高層ビルがあるが、渋谷にはなかったのもよかったはずだったが、
セルリアンタワーができたおかげでそうとも言えなくなった。
渋谷駅前のスクランブル交差点にあれだけ大量の人間が行き来するのは渋谷が時代の先端の街
だったからだが、今や池袋も新宿も恵比寿も品川も臨海も汐留も銀座も浅草も全部渋谷なのだ。
これは少々さびしいことではあるが時代の流れとしては仕方ないだろう。ていうか、
それとファシズムと何の関係があるかというと、今や先端の街はなくなったが、裏返せば
どの街も平等に魅力的になったとも言える。そして20世紀には銀座的文化を代表するスター、
新宿的スター、渋谷的スターが現れたと思うのだが、21世紀にはあらゆる地域・年齢層を
代表する全体的スターが現れるんじゃないかと思ったのでした。お粗末。
(^^)
>>376 高石友也が「受験生ブルース」で、富士山麓「に」オウム鳴く、
と歌ってたんだなあ。あれでウソが広まった。
大阪というのは横浜くらいの街だな。
兵庫が千葉、京都が茨城とすると、関西圏=首都圏−(東京+埼玉)かな。
413 :
考える名無しさん:03/01/13 03:31
白黒TVはモノクロTVともいう。
しかし白黒=モノクロではない。
赤一色でもモノクロなのだ。
なんか最近2ちゃんで「人生なんて無意味だ」って言う人多くない?
人類が集合意識レベルで人生の無意味性を自覚しつつあるのかもしれない。
北朝鮮の暴走がその意識変化の一つの表れ。
赤一色はモノクロとはいわないだろう。いくらなんでもw
君は一体、なにがいいたいのだ?
415 :
考える名無しさん:03/01/13 04:23
モノクロって何の略?
モノローグ?一元性?
416 :
考える名無しさん:03/01/14 02:09
モノクロ=モノ・クローム=単色、じゃないの?
例えば缶ビール「極生」のパッケージは青一色だけどモノトーンと言えるよね。
417 :
元哲学徒のTVディレクター:03/01/14 05:01
このスレの全体をちゃんと読んで反論するわけで話無いが
TV映像身分け=言分け構造に基づいた編集をして制作する限り
1に云ってるようなことには成らないと思う。
幼児がTVをみたとして、己自身の身体的感覚→言語的・文化的感覚
の成長と照応するかたちでしかその映像を見れないはずで、認識行為の
根本的な在り方は変わらないと思われる。編集された当の映像も脈絡がバラバラなものを
言語的・文法的感覚に基づいて編集するのだから(例:道路を歩く→立ち止まる→店に入る
等・・・・・・・実際にはもっと無意味な映像があったり、撮影の順番が逆だったりするが)。
まあ、編集も糞も無いぐちゃぐちゃな映像ばかり見ていれば確かに別だろう。
そう云う意味では,逆に意識の「構造化」がもっと固定化された人種は登場
しているのかもしれない。思考の短絡化は進むだろうし、人生というものが、
無意味な者や無秩序なもので満たされていることなどに、良くも悪しくも
感じない人は増えているかもしれない。
ん?結局、1を条件付きで肯定してんのかな、コレ?
418 :
考える名無しさん:03/01/15 03:11
>幼児がTVをみたとして、己自身の身体的感覚→言語的・文化的感覚
>の成長と照応するかたちでしかその映像を見れないはずで、
幼い子供は育てるのに手がかかる。ちょっと目を離すと何をするかわからない。
ところがテレビをつけておきさえすれば幼児はテレビに夢中になって母親は自分の
好きなことをしていられる。しかし最近になって新しいタイプの言葉の遅れた子供が
発見され、そういう子はたいてい幼いころテレビ(&ビデオ)漬けになっていたという
ことがわかった。考えてみればこれは当然の話だ。幼児は問題行動を起こし、それを
母親に注意されることの繰り返しによって自分の行動や環境の意味を一つ一つ理解していくのだ。
つまり「手がかかる」こと自体が成長なのであり、ラクだからといってそれなしに済ませたら
コトバや身体感覚の発達障害が起きるのは当たり前、障害が起きないほうがおかしい。
ゆえに幼児の発達に応じてしか映像は見れないはずだから、認識行為に根本的変化は起きない、
という考えは間違い。その発達そのものが阻害されて認識のバランスが崩れるのだから。
419 :
考える名無しさん:03/01/15 03:12
>そう云う意味では,逆に意識の「構造化」がもっと固定化された人種は登場
>しているのかもしれない。
テレビ番組の文法が確立されると人間は二種類に分かれる。
そのお約束を無批判に受け入れて世界はそういうものだと思って生きる人と、
何もかもわざとらしく見えてきてそういう世界からの超越を目指す人とに。
テレビのパターンが客観的に見えてきたのは1977年ごろだが、それは同時に世界全体を
パターン化し、人間行為もすべて演技のように見えてきた。そのパターン化された行為
(をパターンと自覚してない人)を笑うことで1980年のマンザイブームは起きた。
それは世界認識の革命だった。80年代前半はスポ根アニメや青春ドラマ、熱血アイドルなど
70年代文化を笑うことに費やされたわけだが、笑う対象がなくなった時点で意識の相転移が起こり、
世界は死んだのだ。と、長いこと思っていたのだが、どうも意識がメタ化せず、
ほとんどダメージを受けていない人間というのが大量に存在するらしいということが
90年代後半あたりから明らかになってきた。ある意味、彼らこそ救世主かもしれない。
固定化された意識構造をそのまま受け入れるという荒技で伝統芸能としてのテレビを復活させたのだ。
「永遠の70年代」としての世界。やはりこれがゴールだろうなあ。
まあ、いやんなったら消しゃーいいのさ。
みなけりゃみないで、わすれるからさ。
くだらねーと思う反面、どこかでなつかしくなるわけです。
でもそれだけかと言えば、やっぱそんなことはねーな。
無味乾燥な地名の地方都市郊外にだって、
下世話なテレビの映像なんて平気で相対化する風景がそこかしこにあるからな。
初期キリスト教神学の論争に、キリストは神そのものか(単性論)、
あるいは神であり人間でもあるのか(両性論)、というのがある。
結局は三位一体論が採用となり実質的に両性論の勝ちとなったわけだが、
これはとても深い結論だと思う。
というのは、これは人間にもあてはまると思うからだ。
人間は精神的存在であるとともに物質的存在でもある。
よくデカルト的二元論といって批判されたりするけど、
やはりこれは動かぬ真実でしょう。
423 :
元哲学徒のTVディレクター:03/01/16 05:30
>419
>「永遠の70年代」としての世界。やはりこれがゴールだろうなあ。
なるほどー。ニーチェの言うところの「最期の人々」、ラストマン
な世界って訳だ。そーかもしれん。
>>422 きみ両性論の理解も、両性論と三一論のつながりの理解も、デカルトの
物心二元論の理解も、物心二元論とキリスト教神学のつながりの理解も、
ぜーんぶ間違ってるよ。とろい書き込みは人を不快にする。あやまれ!!
(^^)
>>424 「物心二元論とキリスト教神学のつながり」の正しい理解ってあるの?
あるとすれば神学の立場から物質と精神を神の二つの属性として位置づけるくらいでしょう。
そういう根拠のない話はいくらしてもつまらない。それよりもジャンル横断的に、今まで全然別だと
思っていたことが実は同一だったという話をしたほうが面白い。
たとえば共産主義は変形されたキリスト教(的千年王国論)だとか、一神教における「神」の正体は
インド・ヨーロッパ語の主語だ(英語ならI)というニーチェの説とか。
そしてキリスト教があれだけ成功したのはその両性論が真理を衝いていたからで、
それはいろいろ批判されながらもデカルト的二元論が自然科学として爆発的に成功したのと
パラレルであるという見方を今回俺は提案したわけだ。
新しい考え方を提案しているのだから、従来の考えと比べて間違っていると言っても意味はない。
大学入試センター試験の問題を見ていたら、
鎌倉幕府の成立と江戸幕府の成立はその過程が似ていると思った。
最初に京都の支配者となった=木曽義仲/織田信長
全国統一の功労者=源義経/豊臣秀吉
最終的受益者=源頼朝/徳川家康
明治維新だったら、高杉晋作→大久保&西郷→伊藤博文?
【訂正】
×明治維新だったら、高杉晋作→大久保&西郷→伊藤博文?
○明治維新だったら、高杉晋作→西郷隆盛→伊藤博文?
> 451 カルケドン宗教会議
> 東ローマ皇帝マルキアヌスがローマ教皇レオ1世の要請で、コンスタンティノープルの
> 対岸に位置する小アジアのカルケドン市で開催。
> キリストの「神性」と「人性」の完全な結合を主張するカトリック側が勝利を収め、
> キリスト論に於ける「神人二性一位格」が最終的に確認された。
> これによりキリストは神と人が融合した単一の性質を持つとした「キリスト単性論」
> が否定され、アリウス派、ネストリウス派と共に追放された。
確かに俺のキリスト単性論理解はちょっと違うみたいだな。しかしそういう細かい議論はどうでもいいのだ。
問題は俺自身が物質の存在(あるいは自分が人間であること)を認めるか否かで、最近になって俺も
自分が人間であることを受け入れてもいいような気がしてきたということをキリスト教神学を使って
表現しただけだから。
いやー、ニューエイジの呪縛は強力だなあ。といっても「やがて人間は純粋な精神的存在へ進化する」
などということはもう全然信じてないんだが、実体的目標としての精神的進化は信じなくても
世界の根源を究明して新しい言葉を析出するための方法としてはあらゆる物質的制約を拒否しなければ
ならないという信念は固いのだった。
しかしそういう態度を続けると世界の意味が失われて生活困難になるからいつもやめていい理由を
探していたのだが、いま起きている時代変化(天皇手術や貴ノ花引退)と共にやめられそうな気配も
発生しているのだった。
> 本来の人格状態は、二次的人格状態の言動についての記憶がない
>のが通例ですが、二次的人格状態はそれぞれの人格状態間である程度
>の共通記憶を持っていたり、主要な二次的人格は本来の人格状態が
>優勢な時にもある種の共通意識を持っていたりします。たとえばある
>患者は「私(第2人格)は、第1人格が話している時、どこか近くに
>いて聞いています。しかし干渉はできません」と言います。
というのが多重人格の症状らしいが、これは俺の「メタ意識分離説」を裏付けるものだな。
つまり意識がメタ化すると意味がなくなってしまうので、それを別人格として分離すると
いうものだが、その場合主人格はその分離したメタ人格の存在を知っていてはならないのだ。
というのはメタ意識を分離するのは、そんなメタ意識なんか存在しないということにして
主意識の意味を確保するのが目的だからだ。さらに分離した別人格にも階層があって、
(主人格をaとすると)b人格は主人格aは知っていてもc人格は知らないという現象もある。
これこそまさに分離したb人格もメタ意識を持ってしまったがゆえに、そのメタ意識をc人格として
再び分離した証拠である! となるとメタ意識を持たない幼少人格が階層的には最も上(つまり他の
人格すべてを知っている)という仮説が成り立つなあ。誰か専門のかた、確認してください。
WA=ワ、WI=ウィ、WE=ウェ、WO=ウォ、という表記はあるが、
WU=ウゥ、という表記はない。ないから「ウーマン」とか「ウルフ」みたいに
書くしかなくなる。俺はこれを「ワゥマン」「ワゥルフ」と書いて正確に発音したい。
あと「年」の「イヤー」も「ユィー」と書きたいなあ。
431 :
考える名無しさん:03/01/24 23:39
どうも俺自身も一種の多重人格症だったらしい。
「意識のメタ化」というのは一種の多重人格と考えるべきだ。
よく言われるように、人間の言語というのは否定的な認識作用である。
何かものごとが「ある」ということなら動物も認識するが、何かが「ない」ということが
認識できるのは人間だけだ。また人間にとって「ある」とは「ないことはない」という
二重否定の認識である。ものごとのあるがまましか認識できない動物に意識はない。
さて、この否定の契機が進歩主義と結びつくと現在の状態はすべて否定されねばならなくなる。
世界の基本的枠組みは認めたまま、政治革命(=所有制度の変革)を起こせば今とは何もかも
違う理想社会が実現すると考えたのが共産主義だが、俺はそんな考えに魅力を感じたことはない。
しかし、もっと徹底的に歴史も経済も生命も言語もすべて完璧に超越した世界が実現するはずだ、
というニューエイジ(という名前はあとで知った)の考えにはハマッた。というか苦しめられた。
しかし今日、どうやらそれは多重人格の一変形であり明らかな病気であるという認識に到達し、
その呪縛を解くカギを見つけたような気がする。
そして多分これは俺だけの問題ではなく、自覚的人間すべてにとっての福音になるのではないか
と思う。そして人間は最終的にすべての歴史を承知した新しい幼少人格へ進化するのかもしれない。
>>431 >しかし今日、どうやらそれは多重人格の一変形であり明らかな病気であるという認識に到達し、
>その呪縛を解くカギを見つけたような気がする。
>>1?
433 :
考える名無しさん:03/01/25 00:35
>>431=
>>1、正解。
さて、どうして「意識のメタ化」を一種の多重人格と考えるべきなのか。
それはまず第一にメタ化した意識が(世界の)意味を失うという現象をよく説明するし、
その失われた意味を回復する道筋も与えてくれるということもある。
人間は自意識を持ち、自分自身を客観的に見る能力がある。しかし、べつに四六時中
客観的に見るわけではなく、たまにそういう状態になることもあるというのが普通だ。
ところがテレビが内面化した世代は常に世界を客観的に眺める習慣がついてしまい、
ついにはメタ化した意識が長期化してしまうのだ。しかしそのメタ意識が長期に
常態化した間は人間的意味を失うので、多重人格者はこれを別人格として分離した。
ただし大部分の人間は意識のメタ化傾向が強まったもののこれと共存した。
ところが一部の人間はこのメタ化した意識を正当化し、さらに完璧にメタ化することで
高度な認識を獲得できると判断したのでメタ意識だけで生活するようになった。
これが1977年ごろ人間精神に起きた大事件の経過なのだった。
★しかし俺はこの状態で数々の発見を成し遂げてきたという思いもあるから
そう簡単にはやめられないかも(無意識がどう判断するか、自分では制御できない)。
>ところが一部の人間はこのメタ化した意識を正当化し、さらに完璧にメタ化することで
>高度な認識を獲得できると判断したのでメタ意識だけで生活するようになった。
これはメタ意識だけを別人格として分離した状態とも考えられる。
(↑という一行が抜けてました)
>>1!ひさしぶり!
しばらく見ない間に大人になったな。
ひきこもり生活からは抜け出せたか。
まあ、多重人格なんって劇場的もんでもないけどな、きみは。
いよいよニュータイプが投入されるのか。
こういうの宗教の勧誘みたいでイヤ。
>>435 ぴかぁ〜さんこそおひさ。しばらく名無しだったでしょ。
女性アイドルには「さよならソング」というのがある。
天地真理なら「思い出のセレナーデ」南沙織なら「色づく街」
松田聖子なら「ボーイの季節」中森明菜なら「難破船」。
今日ラジオを聴いてたら決定的なさよならソングを発見した。
アグネス・チャン「白い靴下は似合わない」・・・って作ったユーミン、まんますぎるぞ。
>ぴかぁ〜さんこそおひさ。しばらく名無しだったでしょ。
名無しレスしないよ!ちょっと休養してた。
【宣戦布告】
というのも大袈裟な表現だが、
>>431をもって私の思想が最終的に勝利し21世紀を
支配することは確定的になった。これまで私は世間に認めてほしいがためにいつも
した手に出、常に卑屈な態度をとってきた。しかしもうその必要はない。
思えば歴史上、世界帝国が成立する時にその民族は常に世界に先駆けての普遍思想の
体現者だった。ペルシャ帝国におけるゾロアスター、ギリシャ帝国におけるアリストテレス、
大英帝国におけるニュートンなどがその例だが、21世紀世界帝国のイデオロギーとなるのは
私の思想以外にない。しかし私はこれまでさんざん私を迫害してきた日本という国に貢献する
ようなことはしたくない。だからもう認めてくれなくていい。
もし今後私がある程度の力を身につけたら徹底的に日本という国の俗世間の権力者どもに
報復してやることをここに宣言する。
正気か!
444 :
考える名無しさん:03/01/28 23:08
ヴァカじゃねえの
でも、1もぴかぁ〜も同レベル、いいコンビだよ
二人ともこのスレから外に出ないでくれ
445 :
考える名無しさん:03/01/28 23:08
1は在日だった・・・というオチか(w
> 【宣戦布告】
>というのも大袈裟な表現だが、
>>431をもって私の思想が最終的に勝利し21世紀を
>支配することは確定的になった。これまで私は世間に認めてほしいがためにいつも
>した手に出、常に卑屈な態度をとってきた。しかしもうその必要はない。
>思えば歴史上、世界帝国が成立する時にその民族は常に世界に先駆けての普遍思想の
>体現者だった。ペルシャ帝国におけるゾロアスター、ギリシャ帝国におけるアリストテレス、
>大英帝国におけるニュートンなどがその例だが、21世紀世界帝国のイデオロギーとなるのは
>私の思想以外にない。しかし私はこれまでさんざん私を迫害してきた日本という国に貢献する
>ようなことはしたくない。だからもう認めてくれなくていい。
>もし今後私がある程度の力を身につけたら徹底的に日本という国の俗世間の権力者どもに
>報復してやることをここに宣言する。
ってかさ、わしに言い負かされたぐらいで日本を敵にするって。。。
そりゃわしは日本に匹敵するほど強者やけどやなあ。
対象をでかくするすることで、自分の負けを認めないって
まあ、よくやるてやけど。。。
まあ、がんばっていこや♪
447 :
考える名無しさん:03/01/28 23:21
2ちゃんの中だけの強者ぴかぁ〜
ヒキコモリの妄想狂〜♪
「井川遙ってホントは韓国人なんだって」
「チョーヒデエ」
大森君と奈美さんが吉野家へ行きました。
「ぼくはオオモリ」「わたしはナミ」
科学史=科学哲学、数学史=数学哲学、という図式がある。
この両辺をそれぞれ科学、数学で割る。すると歴史=哲学という等式が出現する。
そう、哲学とは歴史について考えることなのである。
今回スペースシャトルが爆発した時マッハ20くらいで飛んでいたので緊急脱出しても
助からないと毛利さんが言ってた。おい、シャトルを二重構造にして後ろのほうで
大爆発が起きてもビクともしないようなカプセルに人間を入れとけよ!
そうすれば1986年の時も乗組員は助かったんじゃないか?
[毎日新聞2月5日より]
◆搭乗員がいるキャビンをカプセル化し、
◆緊急時に切り離す方式もシャトル計画の
◆当初は検討されたが、見送られた。
「女はバカだ」とか「女には理性がない」とはよく聞くセリフだが、
これは元々「女に対した時、男が理性を失う」のが先だろう。
しかし、そういう男の視線に適合した存在になろうとして
女が二次的に非理性的存在になったのも事実ではある。
1さんの思想、信じます。
というか、その通りだとわかります。
来月、戦争が起こると思います。1さんがおっしゃってた脱力革命ですね、まさしく。
またカキコしてください!
私が2000年になったころ、「終わった」と感じたのは偶然じゃなかったのですね。
自分の役割が終わった気がして、もう死んでもいいやとか感じました。
進歩が止まったからだったとは。。このスレに出会って良かった。。
2000年は早々に仕事を辞め、過去にできなかったことを次々とやりました。
しかし、一通りやると、先に進めない状況に常に追いやられました。
今は、毎日が同じように過ぎていきます。過去もなく、未来もない感じがします。
来月に戦争が起こるのは、アメリカが中東の油田の通路を閉鎖に追い込むために
しかける自作自演の戦争です。日本は巻き込まれるでしょう。
イラクは、すでに捏造された証拠にはめられましたね。気の毒に。。
1さん、オイルショックが再び来そうですが、これも時代の反復なんでしょうか?
>455
いやー、ホントに3月に大きな変化が起きそうになってきたなー。しかもイラク問題だけでなく
北朝鮮情勢までこんなに緊迫してくるとはなあ。逆回転予言恐るべし。このまま対イラク戦争
開戦となればたぶん長期化して第二次大戦以前と以後のように世界の体制が変わっちゃいそうだし、
みんなが開戦を覚悟してたとこで「やっぱりやーめた」となればこれがホントの脱力革命だ。
そうなればアメリカの威信はガタ落ちになって世界は混乱しそう。どっちにしても時代の転換は
避けられなそうにない。
しかしどっちに転ぶにしても問題は、そのとき人間は新しい意識の状態(精神的態度)を確立
できるかどうかなのだが、それについて俺は最近楽観的になってきた。
つまり今まで絶望的だったのは分離されたメタ意識だけで生活していたからで、シャットアウト
していた通常意識(生物としての下部構造から上がってくる意識)を解禁すれば意味は回復する
だろうし、しかもその状態は理性と非理性を随意にコントロールできるという意味で一段階進化
したとも言えるのではないか。逆に言うとそういう見通しが立ったからこそ最終戦争を始めても
よくなったともいえる。まあ楽観的になったといっても1%の可能性が10%になったくらいの
ものでホントによくなる確率はまだ圧倒的に低いのではあるが。
逆回転の観点からすると今年は好景気になりそう。1996年がそうだったし、そのワンサイクル前の
1960年代は言わずと知れた高度成長時代で、今年はそういう時代に対応しているから。
北朝鮮はアメリカの核も査察しろと言っているが、世界の変化がわかってないな。
一般人が拳銃を持ってたら有罪だが、警察官なら問題ない。
アメリカ=世界政府。よくも悪くも現在の国際秩序はその方向に進みつつある。
モーニング娘は来たるべきキャバクラ社会の予告である
459 :
考える名無しさん:03/02/23 00:00
Z軸
┃│││││││Y軸
┃││││││/───↑───
┃│││││/────↑──
┃││││/─────↑─
┃│││/──────★
┃││/──────/
┃│/──────/
┃/──────/
┗━→━━→━☆━━━━━X軸
↑ここの原点から人類意識の進化史は始まった。原点=古典古代=約2500年前。
次に☆の地点で次元飛躍が起きた。☆=近代=約250年前。
そして★からさらに意識の進化は新しい次元に移行した。★=現代=1977〜
しかし実は★の移行が自覚されたのはごく最近のことである。
460 :
永久も半ばを過ぎ:03/02/23 01:12
ベゲザンビーグ
461 :
考える名無しさん:03/02/23 01:39
おまんこ
462 :
累々髑髏盃:03/02/23 04:07
「結合の証明」なんていう考古学的ミステリー小説をよむようになる。
たとえば、Y軸=男、X軸=女、と考えてみよう。
男の仕事は無限にあるが、女の仕事は一つしかない。
つまり男の世界は二次元だが女の世界は一次元だということだ。
これをもって男は「女の世界は狭い。女はバカだ」と言ってきた。
しかしZ軸的人間から見ると、ほとんどの男もバカに見える。
二次元の決まりきったルールの中でしか動いてないから。
そしてあらゆるルールを相対化したうえで最適ルールを選択するのが
三次元人間なのだが、超一流の科学者や哲学者の中にはこのレベルに
達した者もいる。しかし彼らは自分の研究対象のことを考えることで精一杯で
三次元的人間のなんたるかは十分自覚できてない。
21世紀はこの三次元認識自体を解明するのが人間の中心テーマとなるだろう。
行為(現実)が一次元で、解釈(シミュレーション)が二次元だと言っても良い。
人間が自分や社会の現実すべてをシミュレートできたとき無限次元への穴があく。
松田聖子の「ピンクのモーツァルト」は犯罪的な歌である。その歌にこういう一節がある。
♪ゲームならルール決めましょう
♪傷ついても傷つけても恨みっこなしよ
こういう自由恋愛思想は実は自分勝手な男が自由に女を捨てる口実となっている。
日本の若い男は性体験の相手の数が多いほどコンドームをつけないという統計もある。
これは欧米とは逆の傾向ということだが、つまり日本において「自由恋愛イデオロギー」は
DQNが好き勝ってにヤリまくるのに利用されてるだけなのだ。
この狂った状況は早急に是正されねばならない。
とりあえずこの歌詞を作った松本隆を社会の敵として実刑にしよう。
グーテンベルクの活版印刷は何が画期的だったかというと、それが史上最初の
規格大量生産される工業製品だったということだ。これが「普遍」の感覚を生んだ。
たとえば国語辞典に出ている言葉の意味は天の声だと思ってなかっただろうか。
また工業製品(例:コンビニ弁当)を人間が手作りしている映像を見て奇異に感じたことはないだろうか。
少なくとも俺は工業製品は一から十まですべてロボットか魔法かなんかで人間の手を
わずらわすことなく生産されているものというイメージが物心ついたころからあった。
またテレビに出る芸能人を生で見た時の奇妙さも同類である。その奇妙さの原因は
テレビの世界は現実世界から切り離された架空の次元に存在しているというイメージだ。
近代的主体の成立には大量に印刷された書物の著者によってさまざまな主張がなされたというのも
確かに大きいのだが(書物の著者=近代的主体。例:エラスムス)その前に規格大量生産による
普遍感覚の発生という条件が今までは認知されてなかったのでないかと思う。
朝日新聞は狂っていると人はいう。いや、朝日だけでなく戦後民主主義が狂っているとも言える。
しかしこれだけ狂っていると言われつづけても、いっこうに朝日も戦後イデオロギーも
なくならない。これはなぜか。俺はそれこそが人類の意識進化の条件なのではないかと思う。
空襲や原爆の洗礼を受けて日本人は現実が受け入れられなくなった。しかしその分、今の現実とは
異なる別の世界を希求する気持ちは強い。戦後民主主義がなくならないのは日本人が民族として
新たな段階への意識進化の可能性に賭けているからではないか。
そして現実主義と理想主義の和解しえない闘争の中から新しい意識は誕生するのだ。
そう考えるようになって朝日新聞には腹が立たなくなった。
対イラク戦争でアメリカに協力することについて、現時点では言うに言われぬ理由があると
自民党の誰かが言ってた。それはナニか? 人類を絶滅させるような超兵器が科学的に
作れることがわかったので、イラクがそれを作る前にフセインを打倒しなければならないってことか?
もしそういう理由だとするとフセインを打倒する必要はない。
なぜなら狂気の独裁者がそういう超兵器を手にした時こそ人類が進化するチャンスだからだ。
つまり、個人の恣意では世界を滅亡させることができない新しい原理が登場するはずだということ。
なんで新聞の社会面はテレビ欄のウラにあるんだろう。
あそこはローカル面にしてほしい。さもないと、一面から順にめくって読んでいくと
ローカル面が先にきて、社会面のニュースを補足するような記事を先に見てしまうことが多くなる。
全国ニュースの社会面はテレビ欄から二枚めくった面にしろ。
英語に「one of 最上級」という表現があるが、これを「最も〜な人の一人」と訳すのは誤訳である。
「最も〜な人」が複数存在するのは日本語としておかしいし、実は英語でもそういうことは言ってない。
この表現は何かについて一位と断言するには甲乙つけがたい人が複数いるという状態のとき使うものであり、
訳すとすれば「〜については一、二を争う存在の○○さん」とでもするべき。
「世界の本質は盲目的な生への意志だ」という考えは間違っている。
生命が発生するためには、その前提として無生物の世界が存在していなければならない。
そして、その無生物(=物質)の世界を支配する原理は生物世界の原理とは違うのだ。
以上は常識的な考え方だが、ショーペンハウエルはこの常識を超越した世界の統一原理を
発見したと言いたいのだろうが、そういう態度こそ実は安易なのである。
物質、生命、言語が世界の三層だが、これらはそれぞれ別々の原理によって動いていて、
それらの原理が一つに統一できないからこそ世界は存在していられるのである。
デカルトやマルクスに比べてショーペンハウエルやニーチェがマイナーな地位にとどまって
いるのは安易に世界を割り切ろうとするからだ。それでは真理に近づけない。
近代国家とは何か。それは「国境の内側はぜんぶ国のもの」という考え方である。
近代以前において国家とは実は一部の支配者だけを意味した。国民は国家に支配されては
いるが国家に属してはいなかった。国土は単なる背景であって、国家の外部に位置した。
つまり国家とは単に国を支配する一族郎党の人的ネットワークにすぎなかったわけで、
こんな状態で国民が一致団結できるわけがない。だから国民軍を率いたナポレオンは
連戦連勝できたのだ。
例えて言えば、前近代の国から近代国家への変化は線的ネットワークの一次元から
面的国土の二次元への次元上昇だったと言える。そして実は今は二次元の国民国家から
三次元(=地球)の世界国家への進化のまっ最中なのである。
世界は一つの原理で割り切れないがゆえに世界として成立しうるというのは
例えば決定論について考えればわかりやすい。
世界の歴史は最善の経路をたどっているように見えるが、すべてがあらかじめ
決定されていたとすると自由意志の入る隙間がない。しかし自由意志がなければ最善の
歴史は作れない。それでは人間は普段は自由意志だけで生活しているのだが、必要な
時だけ歴史意志が介入するという考えはどうか。しかしそれでは歴史のゴールが定まって
ないので、そこから逆算して現在の行為を決定することができないし、少しでも自由な選択が
許されるとなると、ただ一通りの最善の歴史ということにはならない。
いやまてよ、自由意志というのは最善の歴史を作る時、潜在レベルで働いたものにすぎず、
顕在化した歴史においては自由意志はあるように見せかけて本当はないのかもしれない。
あららら、書いてるうちに今までの信念が引っくり返ってしまったぞ。
かりに素粒子の一つ一つの動きまで全部きっちり決定されていたとしても自由意志はある。
なぜならそのような、きっちりした歴史を作るための素材としての、あらゆる可能性を
網羅した全体シミュレーションの段階では何も干渉せず自由に任せているから。
現実に物質化した我々のこの歴史とはそのシミュレーションから適当な部分を取り出して
ツギハギし総合したものなので、その部分部分はどこをとっても自由意志によって動いているのだ。
たとえばアインシュタインはどうして1905年に3つも重要な物理論文を発表できたかというと、
まず全体シミュレーションで同じ発見をした奴がいて、その理論を理想史としての顕在化世界においては
アインシュタインが発見する役割を与えられたわけだが、それはアインシュタインの自由意志を阻害する
ものではない。多少の操られ感はあるかもしれないが、99.99%は自由な選択で生きているのだ。
今回の中川家休養は歴史的事件である。
そもそもツッコミであれ、ひとの頭を平気でたたく奴はDQNであり一般社会から排除されねば
ならない。テレビで漫才師がツッコミと称してパンパン頭をたたくことが世間のDQNを
増長させている。DT浜田などは相方でもないゲストの頭をパンパン叩いてその場の客からも
ブーイングを浴びても「おいしいんやて」と応じてみずからの行為の犯罪性がわからない。
その他、和田アキ子、ヒロミなどひとの頭を平気でたたくタレントは多いが、それは芸能界が
DQN出身者のスクツだからだ。そんな低級な世界の慣行を一般社会に持ち込んでもらっては困る。
DQNには理性がない。DQNの第一の欲望は女とHすることだが、まじめに生活していたのでは
その願いはかなわないと彼らは思うので万引きや恐喝などの非行に走る。それが女と「ワルイコト」
ができるパスポートだと思っているからだ。
DQNの世界にはカネと暴力(含むH)しか存在しない。彼らには歴史の知識もなければ
大人としての社会的責任意識もないし人類の進歩なんて考えたこともない。
彼らの人間関係は暴力(=どちらかの「ツッコミ」に始まりやり返さないとそのあとずっと
叩かれっぱなし)を基盤とし、暴力的力関係を伴わない人間関係というのが想像できない。
それは精神が空洞化した世界に思えるのだが、それは一面真理でもある。
理性や道徳を徹底させると生きる意味や実感がわからなくなるからだ。
しかし、だからといってDQNが理性的人間の頭を叩いていいということにはならない。
今回の事件はひとの頭を叩くということが相手の全人格を否定する犯罪行為であると
いうことを世間に知らしめす画期的な事件であった。
>>471 >物質、生命、言語が世界の三層だが、
宇宙進化の流れは、
【物質→生物→社会(含む道具・言語)】
と言うべきかもしれん
個物/普遍、という対立図式がある。これは、物質/精神、と同じことだろう。
しかし何の役にも立たないことをあれこれ議論することがはたして普遍的なことだろうか。
それより誰にとっても共通の問題である物質にかかわるほうがよっぽど普遍的である。
哲学は物質や経済や肉体といった下世話なことにかかわるのは低級なことと考えてきたふしがあるが、
わけのわからない抽象論よりそっちのほうがよっぽど重要なことなのである。
東京のような大都市に住む人間の意識は中規模以下の都市に住む人の意識とは決定的に異なる。
大都市全体を把握するために人々の意識は中小都市よりはるかに高い所に位置するようになる。
これは意識の巨大化と言ってもよい。
ところがその大都市の中で生きる人間は俯瞰する位置が高いだけに中小都市の時とは反対に
小人化するのだ。つまり人間が精神的巨大化と肉体的小人化に引き裂かれる。
これはテレビの内面化とともに意識がメタ化して意味を失うという現象とパラレルだ。
この2つの要因の相乗作用で意識のメタ化という事態は急激に進行したのかもしれない。
東京という街は原理的に全体を把握できない。
都市を把握するためにはまず都心が把握できていないといけないが、東京の都心は
浅草から品川までビルで埋まって街としての個性がまったくない。それはオフィスに
埋め尽くされた一種の工場街であり、いわば人間的空間の外部である。ブラックホールと言ってもよい。
都心がブラックホール化し、人間味が感じられなくなった時、新宿が台頭した。1960年代の話だ。
副都心・新宿の出現とは大都市が自己の初期の姿を本来の都心とは別の場所に自己複製する
生物の増殖のような過程だったのである。しかし新宿でもまだ都会的すぎたので、70年代には
渋谷が心のふるさとの街として台頭することになる。渋谷は地形的にも起伏に富み、
住宅街も間近に迫ってて、より人間味が感じられる街なのであった。
さて東京の街全体が把握できなくなったのは1960年代後半だが、この時代、社会的に有害なだけの
狂った運動が起きた。全共闘運動だ。あれは実は都市全体が把握できなくなったことで
人間が狂ったのである。同時に世界全体を把握するような「教養」も崩壊した。
教養の崩壊は道徳の崩壊を生み、今の日本の惨状がある。
我々は世界全体を把握できないことを前提に、なおどこまで知的でありうるのかを追求しなくては
ならないのである。
(^^)
482 :
考える名無しさん:03/03/14 10:35
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ぴかスレ?