以前、芸術作品の展示販売出版などを行う会社の面接を受けたとき
訳のわからない絵を見せられ、「素晴らしいでしょう!」と
言われたので「芸術とはなんですか?」っと聞いたところ
「わかりません」との答えをもらいました。
最終的に社長が言うには「芸術は評論家が決めるものです。」
「売る方はもちろん買い手・評論家・制作者にいたるまでお金です。」
っと言われ入社を断りました。
また別の会社では「建設業経験者は社会的常識がないので任せられない」
っと電話口で断られました。
哲学板の人に聞きます!。 『芸術(作品)とはなんですか?』
2 :
考える名無しさん:02/10/01 22:43
デュシャンからコンセプチュアル・アートまで。
現代芸術では、作家が「芸術である」と宣言した
ものが芸術、ということになっている。
鍋でも便器でも。
3 :
考える名無しさん:02/10/01 22:53
じゃあ昔は?
美術館に置いてあるものが「芸術」。
それ以外の定義はありえない。
5 :
考える名無しさん:02/10/01 23:06
芸術とは
制作者の立場からしてみれば自分の内面の現れ
金が絡めば別物。・・・だと思いたい。
1のうけた会社はビジネス的だね。売る方は金儲けにうってつけの手段
訂正
>自分の内面の現れ
↓
自分の内面を形に表したもの
内面は関係ない。
美術館(ギャラリーも含めていい)に置かれれば、それが芸術。
「内面云々」というのは、美術館に置かれるための、アリバイ
づくりのための言説にすぎない。
言ったもん勝ち?
9 :
考える名無しさん:02/10/01 23:30
社長の言う通りです。人の弱みに着け込む物です
「美」と「芸術」って
どう違うんですか?
何かレスみると
「金になるのが芸術」
みたいな…。
11 :
考える名無しさん:02/10/01 23:31
一言でいうと、投機の対象になっているのが現実。
しかし、
>> また別の会社では「建設業経験者は社会的常識がないので任せられない」
>> っと電話口で断られました。
この一文、何でこんなことが書かれてあるのか意味不明なんですけど(W
たんなるDQN告白?
>11芸術はそれを見る人を選ぶの?
って聞きたかったの。
13 :
考える名無しさん:02/10/01 23:39
だから、解釈が芸術決めるってことになっちゃったの。
多数が芸術的と言えば芸術性を持つことになっちゃう。
評価は極めて政治的。
>>8 原理的には、1さんがタバコの箱かなんか持ち出して
「私は芸術家です。これは芸術です」と宣言すれば
それは芸術になる。が、実際には「芸術」は
作者たる1さん、観衆、評論家の言説が重層的に
つくりあげていくものだと思います。
その過程で、観衆の欲望を喚起すれば価格が生まれる。
どこぞの社長のように、はじめに値段ありきとは
思えませんね。
では、なにを持ってして芸術と言うの?
より多くの人が「欲しい・素晴らしい」と思わなくても
高額な値段が付き芸術と言われている作品はないの?
また純粋に作品が欲しければ
たとえ作者が死んだところで値段は上がらないのでは?
社会性と密接という意味では確かに十分政治性や商業性を持ちうるね。
世界中同じ考え?
最近は芸術とは「余剰」「余裕」「遊びの部分」ではないか、と思うようにナタ。
社会的余剰、金銭的余裕。
頭脳のアソビ。
19 :
考える名無しさん:02/10/02 00:09
大きいなぁとか、かっこいいなぁとかっていうのと同じかもね。
これって芸術だなぁ、って感じ?
ある一定の感情に対する言葉が芸術。金は関係無い、と思いたいね。
芸術に関するいい書籍を教えて下さい。
つまり必死になるものではないと・・・
ネロはなにを考えているんだと・・・
人によっては一生芸術なんて分からない
人によっては全てが芸術かもしれない
言葉を追いかけてもあんまいいことないよね
>19つまり芸術は「金」だと
センセーショナリズムは圧倒的にエンターテイメントや工学系が追いこしてますからね。
そこは芸術家も頭の痛いところでしょう。
何作っても、誰かが思い付いてたとかやってたことだっりっていうディレンマ。
シミュラークル(byボードリヤール)とか言うらしいけど。
>23芸術はあるってこと?
>25 個性が出ないってこと?
へ?芸術は金では無いと思いたいって言ってるので
私としては芸術派金では無いということにしたいのですが・・・
>>27 うーん、ちょっと違うけどそういう感じかな。
特に20世紀末は「出尽くし感」が漂ってますた。
これから新しいものが生まれいづるのでせうか。
「解釈が芸術を決める」ってのは少しオーバーだよね
実際の実践と解釈の関係はもうすこしデリケート。
土屋賢二『猫とロボットとモーツァルト』はその辺をエレガントに分析した名論文。
英米美学での芸術の定義論をもっとも幅広くフォローしてる日本語の本なら
西村清和『現代アートの哲学』(産業図書)がよい
てめえらが思いつくようなことはみな誰かが既に考えてるよ。
>>1
そりゃあ、あるんじゃないの?
ってか1さんはどう考えているんだ?
芸術の何を知りたいんだ?
芸術が有るか無いか知りたいのか?
芸術が芸術と呼ばれるものを知りたいのか?
それとも私の価値観を知りたいのか?
>30なるほどね〜
芸術作品はそれを作った人の個性であり生きた証で
感情や時代のその瞬間などを表現した作品で多くの人に
理解や賛同などがあるもの
絵や置き物だけではなく文や歌、生き方などジャンルを選ばないもの
っが、芸術だと思ってるんだけど・・・
>>1の社長さんは「芸術は金だ」といっている。
それに対して私は「芸術は言説だ」といいたい。
たとえばゴッホの真作と、まずまずよくできた贋作があったとする。
居間に飾るぶんには、どちらを飾っても大差はない。
ところが、真作は「色が」「タッチが」「やはり内面が」とか
能書きがあって、しまいに「従いましてお値段が」とくる。
その能書きの部分が「言説」。
1さんの
>>33も、従いまして「言説」です。
では、美術館とは何かというと「これは芸術である」という
言説あるいは宣言あるいは命題を指示する記号となります。
芸術は「感性」だ。
感度が低い奴ほど、言葉で表現したがる。
「感性」とか「個性」とか「内面」とか、
それ自体なんの説明になってるかわからない言説を
加えてまで「芸術」を称揚する、切羽つまった理由が
近代社会にはあったようです。
ずばりいえば「芸術」は近代社会の発明品です。
18世紀以前に「芸術」は存在しませんでした。
ちなみにいえば、美術館がヨーロッパで建てられるように
なったのも、18世紀末以降のことです。
37 :
考える名無しさん:02/10/02 02:13
>>芸術は「感性」だ。
「言葉で表現したがる」奴のなかでも、これはもっとも
「感度の低い奴」の例。
>>37 激しく胴衣。
なんとなくわからない大きな概念に逃げているという点に於いて
感覚が極めて鈍い。
社長正しいじゃん
芸術ってブルジョワから金とるために
なんか大層なもの仕立て上げてるだけだろ
ぺらぺらだよあんなもん
>>14 職業芸術家の目的って最終的には金だろ
それ以外は同意だけど
世の中やっぱ金だね
42 :
考える名無しさん:02/10/02 03:00
五郎さんの作る家は芸術?
廃品で作ったやつとか
43 :
考える名無しさん:02/10/02 03:03
五郎って金五郎?
44 :
考える名無しさん:02/10/02 03:11
日本の資産家がめちゃめちゃ高い絵画を落札して
「私が死んだらこの絵と一緒に燃やしてくれ」って頼んだら
世界中からその絵は全人類のものだって怒られたんだってよ。
45 :
考える名無しさん:02/10/02 03:14
>43 黒板
>>44 日本でも骨董品とか自分のものでも
「お預かりしてる」とか言うよ
そのおっさん馬鹿だな
47 :
考える名無しさん:02/10/02 03:19
芸術とは神の模倣ではなく神そのものです。
48 :
考える名無しさん:02/10/02 03:21
芸術は幻か?
49 :
考える名無しさん:02/10/02 03:23
>47 そりゃネロもパトラッシュも死ぬよな。
50 :
考える名無しさん:02/10/02 03:28
芸術=公開オナニー
何か盲信してんじゃねえの?芸術家と呼ばれる(自称含)人達は。
52 :
考える名無しさん:02/10/02 07:07
「芸術作品の展示販売出版」ってのは、シルクスクリーンで大量生産した
版画みたいなもんをキャッチで五十万とか百万で売る悪徳商売だぞ。
それが分かってるなら就職すりゃいいけど、少なくとも芸術は商売じゃない。
『芸術新潮』の最新号では、プラハのルドルフ2世の特集
やってますね。あれは16世紀末ぐらいだと思いますが、当時の
王侯貴族のコレクションのなかでは、絵画彫刻と、玩具やら
光学器械やら蜥蜴の剥製やらが渾然と並べられていました。
つまりは、絵画や彫刻を「芸術」として眺める習慣は、当時は
なかったということです。
19世紀以降、社会において経済合理性が進むなかで、その経済合理性
の陰画として「芸術」が生み出されたのだと思っています。
54 :
考える名無しさん:02/10/03 00:42
それは名称が「芸術」になっただけでは
以前はそれを表わす名称がなく
「素晴らしい作品」としてあったのでは?
55 :
考える名無しさん:02/10/03 02:03
『芸術』は人によって解釈が違うものです。
それがお金の人もいるし素晴らしい作品の人も
全く興味の無い人も・・・
>>54 だいたい「珍しいもの」ってところだと思います。
貴族のステータス・シンボルでもあったので、
高級車とか高級時計と同程度のものではあったかも。
57 :
考える名無しさん:02/10/03 02:26
「珍しい」は無いだろう・・・
あるいは「西麻布の巨匠がおくるオムライス」ぐらいのものでしょうか。
いずれにしろ「感性」やら「内面」やらが問題になるのは、19世紀以降
のことです。
作り手は珍しいものを作りたかったと?
宗教画や風景画や人々の暮らしを描いた絵まで
完成や内面のない
道楽で描いたからっぽの珍しいもの?
>>59 蜥蜴の剥製と同列ってことは「珍しい」ってことですよ。
庶民が所有できないほど「珍しい」。
作品に「内面」がなければ我慢できないのは、57さんが
近代人だからでしょう。
まあ「素晴らしい工芸品」であったとは思います。
18世紀にいたるまで、絵画彫刻は「職人仕事」です。
教会にある絵や彫刻などは
神への信仰や愛はあるけど内面がなかったの?
>>60のつづき
作り手は「ルドルフ2世の気に入るもの」を作りたかったのでしょう。
アルチンボルドの絵なんか見ると、あれはやっぱり「珍しいもの」を
作りたかったとしか思えませんね。
>62 「珍しい」は正直反対はしないけど
全てがそうだって言うなら反対だな
>>61 だから「内面」って何なのですか?
既出の「感性」といっしょで、何の説明にもならない言葉じゃないですか。
礼拝図像は、貴族のコレクションとは多少、事情は異なってくるでしょう。
信仰の厚い画家もいたでしょうし、司教様の気に入るようにホイホイ
描いてたのもいたでしょう。
作る上での意志や意味みたいなもの?
>>64に書いたように、画家によるのでは。
いや、すみません。あまりいい加減なレスはしたくないし、
もうちょっと続けたいとも思うのですが…。
あとのレスは明日になってしまうと思います。
67 :
考える名無しさん:02/10/03 03:15
賛成!
で、つづけます。
職人が仕事を終えたときの充実感みたいなものはあったと想像できますが、
作り手の心のなかを忖度しても、あまり意味がないのではないでしょうか。
というか、心の声を聞きたがることこそ、近代特有の病気ではないか。
私としては「19世紀ロマン主義症候群」とでも呼んでおきたい。
18世紀末以前には、それ以降とまったく異なる知の配置(フーコーいう
ところのエピステーメー)があったと考えております。
こんばんわ。
じつは、余り詳しくはないのですが私はこう思います。
「では、買い手はどうしてその作品を買うのでしょうか?」
シンプルにそれが良いと思ったから買うのではないですか?
「素晴らしい」や確かに「珍しい」っというのも一部には在るとは思いますが
私には「この作品は私にあう」っという気持ちだと思います。
「この作品はあの部屋のあそこに」や「自分の理想の形だ」などの
自分がとても気に入った作品なので買うのではないですか?
自分や周りの人によい風を送るような作品のようなものだと思います。
もちろん作品によっては「自分にだけ」も在るかも知れませんが・・・
こうゆう状況でより多くの人がその作品を必要とするのが
「芸術」っと言われるものではないでしょうか?
>>68 最近コンセプチュアルなのぜんぜん駄目じゃない?
>>69 1さんも、
>>1の社長も芸術がわからないという。
私は、芸術が近代社会の発明品だと思っているので、できるだけ
近代的な言説から身を離すようにして説明を試みました。
そうすれば、芸術とは何かが明らかとなり、ついでに
>>1の
インチキ社長のインチキ性も明らかになるのではないか。
といってる私にも、どうしても「良い」と思ってしまう絵はある。
たとえば、デジデリオ・モンスなんかが好きですね。
>>70 もともとダメですよ。現代芸術は芸術への「反逆」なんてもんじゃ
なく「無反省な継承」です。
確かに金もうけを考える人はいるでしょう。
基準が曖昧で評論家に力が行き過ぎているため
バランスが狂ってるような印象が在ります。
しかし本質はそのものを「良い」っと思う、素直な気持ちでしょうね。
自分の目で観て自分で考えて芸術を決めたほうが
間違いはないでしょう。
っという結論はどうでしょう?
私なり多くの人なりが、ある作品を「良い」と思うことがあるのは当然
として、その「良い」のなかから近代的な夾雑物は取り除きたい。
夾雑物を取り除いたあとに、なおかつ「良い」が残されたとするなら、
その「良い」には、たいへん興味がありますね。
74 :
考える名無しさん:02/10/04 02:21
おっとgoatsong様の降臨か?
75 :
考える名無しさん:02/10/04 02:23
?
>>74 なんか美術鑑賞板のコテハンさんみたいですね。
あっちに行ったこと、あまりないので、よくわかりません。
あっちにふさわしい話題だったのかな。
なるほどね。
78 :
考える名無しさん:02/10/04 03:03
なにが「良い」のか分からないから
いいんですよね。「良い」のが何故なのかなんて分からないだろうし、
その時々、体調、気分、気候、時間、とかいろんな要素で違ったものを「良い」
って思うだろうし、それに金額を付けるのは作家では無くて(決める人もいるんでしょうが)、
売る人だったり、買う人だったりします。そうして相場が決まるのです。
例えば某ギャラリー側が1000万ですって言っても、買われなければ需要と供給が成り立たないだろうし。
>>1の社長がその絵を800万で売ったっという事実があって、
社長自体も「良い」と思う作品じゃないのが
800万で売れる事実を差して芸術は「金」って言ってるのかも知れません。
「良い」と言う評価が金でしか出来ないのなら金=芸術なのかも知れません。
幾ら作家に作品を褒めても作品を作ったりするのにもお金が要るのですから。
なんか脱線しましたがその時々に「良い」と思ったり、するその説明出来るのか分からない感覚が、、、、
う〜んちゃんと言えないですがそういうところに芸術の何たるかってのがある気がする。
評論家は自分のステップアップのために論文を書いて
作家と一緒に出世していったりする事も考えてる気がするので個人的には作品を見に行くための目安出しかないですがね。
79 :
考える名無しさん:02/10/04 03:42
芸術の特権性は失われつつあるのかもしれないけど、「芸術」が担ってると人々に思われている
イメージ(崇高さ、高尚さ)や社会通念は未だに強く残ってるでしょ。
だからそのイメージの部分にだけ貨幣的な価値が発生する。
ところでいくら現代芸術が作家の「宣言」によって成立するといっても、美術館にひたすら靴を並べて
「アートだ!」と宣言され、「現代人の孤独を表している」と解説されても途方にくれてしまうよ。
コミュニティーの感性からと乖離した芸術は恣意と区別できるものなのか?
やっぱり社会との政治的取引ではないのか?
80 :
考える名無しさん:02/10/04 04:01
芸術とは何か、という問いはつまるところその芸術作品を製作した芸術家にしか分からない
(広義で全ての人間がこの世に変化や事物をもたらす表現者であり芸術家だとも言えるがここでいう芸術家とは真の美意識を探求し、表現している者を指す)
一般人の言う芸術作品などえてして偏見やブランド、諸々の既成概念に捕われやすく曖昧なものだ
曖昧さを持たぬ真の価値を正当に評価できるのはその価値に最も近い感性を持つ芸術家だけでありその本質を知りうるのもまた当人ではなかろうか
一般人の言うところの芸術などつきつめれば所詮「なんかしらんけどいいもの」や「ちょっとお気に入りの綺麗なもの」でしかない
81 :
考える名無しさん:02/10/04 04:01
おっやはりgoatsong様だ。
美術板は低脳ストーカーにより厨房化したので哲板は結構いいかもですよ>goatsong様
確かに現代美術はわけわからんけど
それだけ多様な価値観を受け入れられる世の中になったということで
いいじゃんw
折れはアルマ・ダデマが最高だと思うが
83 :
考える名無しさん:02/10/04 04:50
芸術の「脱神秘化」はボードレールの美術批評にあるように
パトロン制度の崩壊によって、芸術の買い取り先が主に
国家(税金)なる19世紀後半以降。同時に解釈共同体としての
サロンがその規範としての力を失う。
以降、デュシャンからコスースの最良の系譜が体現するように
「芸術」とは「自称」(「これは芸術であるがゆえに芸術だ」)
することで、いまだ体臭信仰的な「神秘化」を相対化するものとして
自律の不可能性(<何故なら観客ぬきで成立する作品も無ければ
購買者ぬきで自足可能な芸術家も存在しない)を宣言する言語ゲームになる。
「美術館」の制度性について言及するフーコー文脈の議論も流行。
芸術作品の成立条件を検討する際にお奨めの本
デューブ「カソトアフターデュシャン」
コスース「アートアフターフィロソフィー」
松浦編集「シュポール/シュルファスを巡って」(風の薔薇3号)
84 :
考える名無しさん:02/10/04 04:51
国家なる>国家になる
85 :
考える名無しさん:02/10/04 07:58
>>80 芸術作品の真価は作者にしか分からない、というのは神話だよ。
むしろ作者が盲目だからこそ、偉大な作品は生まれる。
83 の言うような「自称」芸術は、そのもっともアイロニカルな形式だということ
になる。それゆえ、僕なりに83 の補足をしておくと、実際、現代は芸術家を「自称」
するためには、ますます理論的かつ内省的、一言でいうと狡猾でなければならなく
なっている。ちょっと格好つけていうと、イデアを体現できなくなった芸術に終わり
を宣告したヘーゲルの「芸術の終焉」論は、皮肉にも、コンテンポリーアートの芸術
の哲学化によって、「終わり」そのものを「終わらせる」ステージにまで至りついた
というわけだ。
86 :
考える名無しさん:02/10/04 08:03
× コンテンポリーアートの芸術の哲学化
→○ コンテンポラリー・アートにおける芸術の哲学化
>>85 意義無し。それとは独立に所謂「芸術」信仰という
期待の地平で了解される作品も繁茂するわけだし、
支持率も高いわけだ。だから現在、「芸術」に無自覚な
作者であればあるほど作品が量産可能であり、かつ消費される。
(当然、逆の事態が想定されるわけで、恥ずかしい言葉で言えば
芸術の哲学化(=「芸術作品」の成立条件への疑義やら、存在様
態やらへの眼差し)、つまり「芸術作品」のアプリオリな措定の
不可能性、並びに「芸術」概念の脱構築を少なくとも言説レベルでは
志向しているはずのコンテンポラリーアートがむしろより一層「芸術」として
自律(自閉)してゆくという皮肉が呼び寄せられるわけだが)
あと、さっきのお奨めリストにデリダの「絵画の真理」入れ忘れ。
邦訳は最悪なので、英仏比較で読むのがいいのれは。
88 :
考える名無しさん:02/10/04 09:15
>「芸術」に無自覚な作者であればあるほど
作品が量産可能であり、かつ消費される。
ここは意味不明。量産可能ではあるかもしれないけど、「消費」はされない。
>>87 現代芸術が「芸術」の地平で閉塞していくのは、買い手(享受者)が
共有している“芸術”概念が市場を通じて形成されているから。「芸術」と
いう概念が形成時に社会と如何に依存しているかという視点が抜けているのでは?
「芸術作品」のアプリオリな措定が不可能だとしても、その感性的(さらに発展して
批評的)なアプリオリな機能は未だ失われていない。勿論“売れること”が「芸術
作品」の証明とはならないが、購買者は単なる“言語ゲーム”による芸術作品を
欲するとは思えないのだが。大衆はそれほど馬鹿じゃない。
芸術が国家をパトロンとすることで自らの終焉を見せ始めたのはそうかもしれない
けど、それは「芸術」自身の「自称」が「詐称」であるかもしれないと、大衆が
気付き始めたから。哲学的言説による“芸術”の解体が“芸術”を終わらせたの
ではなく“芸術”自身の意識過剰が、自分自身を自滅させたのだ、と考えたい。
芸術の、そもそもの始まりが「言語ゲーム」です。
かつて、絵画彫刻は、蜥蜴の剥製やトンデモ聖遺物と同格の
ものであった。18世紀末、美術館の建設とともに、絵画彫刻
は「自律化」していく。
このとき、絵画彫刻とその他のものを分割したのが「言説」
ないし「言語ゲーム」です。
現代芸術はゲームを手の込んだものにしただけ。その意味で
芸術の「無反省な継承」と書きました。
芸術は、そもそもの始まりから終わっていたのだなぁと思います。
>>「芸術」に無自覚な作者であればあるほど
>> 作品が量産可能であり、かつ消費される。
僕は消費者、つまりマーケットは「芸術」だの「芸術」
の成立可能性だの小難しいことなど考えるわけもなく、
コンテンポラリーアート作家特有の思考の極度の抽象化
と消費者=観客の解離(無関係さ)を「芸術」の「自閉」と言い、
ちゃかして「自律」といったつもり。だから先の引用部分
は「考えるな/作れ/作ったものの価値を決定するのは消費者
だ」と言ってるだけ。故に逆説的ながら「これは芸術であるが故に
芸術だ」という居直りがスムーズに成立するわけでもある。作家の
意図と、消費者の解釈の絶対的な交わらなさ(無関係さ)が反転し、
作家は自身の「芸術」観に居直り自己言及的に制作をつづけ、
消費者も自身の「直観」(当然、共同体で構築された)にまかせて価値判断をする。
そういう意味で「量産可能」「消費される」といってる
91 :
2チャンネルで超有名:02/10/04 10:31
>>続き
制作不能に陥るナイーブな崇高さより大道芸人に徹しうる不感さ
のほうが金をもうける可能性が高いのは当然(単純に単位制作時間あたりの制作数という量的な問題にすぎないが、
当然例外も出るだろうが、一度認知されること、つまり芸術家の署名が
社会的にフェテlイッシュ化されることが売れる条件の一つであるとするならば
量の問題も無視できない.当然認識可能性の量的増大(作品数の多さ)の操作と消費者が認識する確率の問題に相関はないが)。かつ「芸術作品」が共同体に参入し
、承認され、忘却可能性を孕みつつも伝達されてから事後的に価値化
されるのであれば、消費されずに「芸術作品」足りうるわけがないし
消費されない「芸術作品」はただのオブジェ(物体)/または妄想にすぎない。
その意味で
>>88 “芸術”概念が市場を通じて形成されているから
という趣味(価値判断)の形成を巡る解釈共同体の問題がすこぶる重要。
ちなみに社会とのリンケージが抜け落ちているという批判には
>>83 で
パトロン制度の崩壊によって、芸術の買い取り先が主に
国家(税金)なる19世紀後半以降。同時に解釈共同体としての
サロンがその規範としての力を失う。
という発言であらかじめ答えていると思う。「芸術作品」は商品であり、
「芸術家」は賃金労働者という前提から話をスタートしているつもりだが。
映画『サイン』は哲学的で素晴らしいです!!!!
94 :
考える名無しさん:02/10/04 10:43
良スレの予感?少なくとも平野啓一郎が想定しているような「芸術」よりは共感できる内容が語られてるかも。
>>89 芸術=言語ゲームという究極的とも言える定式化
は精神分析にはまる前のコスースも好んだ言い回し
(ってことを知ってて書いてるんでしょ(^^;
それで「家族的類似性」がうんぬんというわけね、
芸術って何かしら?と問われたら。クールだけど
やっぱり抜け落ちるのは時間/歴史(伝達)の問題では?
などと適当に煽りつつ。
ちなみに言えば、言説に回収されない作品なんて存在しないし、
むしろ現代芸術は言説が作品に先行するということを相対化した
という意味でむしろ「反省的な継承」ですね(w
朝から論文書きに集中出来てないので(駄目ジソか俺は。yesyes)いったん落ちまする。
>平野啓一郎が想定しているような「芸術」
あれは。。「芸術」という言葉への萌えでは(w。
反応するな俺(死
25歳。
去年まで金無し君だったけど、オンラインカジノとパチンコで
二年で350万貯めた。一度やってみなよ。
初回のみだけど、1ドル以上のチップを買えば30ドル(4000円くらい)貰える。
もらうだけもらってプレイせずに換金することもできるし、ルーレットで赤か黒に
思い切って賭けてしまえば50パーセントで二倍になる。
金なきゃオフラインでゲームすればいいだけ。暇つぶしになる。
ビデオポーカーとかスロとか色々あるのでマジでお勧め。
http://www.imperialcasino.com/~1hi5/japanese/
何らかのかたちで展示され、美術雑誌にも取り上げられることを
前提にしている、という意味で「無反省」と書きました。
(あの、レスはお暇なときでよいです)
言説に回収されない作品はない、といわれてしまえば、
それまでですね。うーん。
99 :
考える名無しさん:02/10/04 11:46
「美」にまつわる価値空間みたいなのが芸術ではないでしょうか。
当然、その価値観は千差万別、人によって違いますから、批評家だの目利きが
登場して、「作品」に価値基準を添付し、資本の論理と、結びつく。
「芸術」と「資本の論理」を結びつけるのは「権威」ですね。
しかし、個々人の美にたいする感受性と、美に添付される権威とは、本来
何の関係も無いはずです。
美に対する価値基準が成立しないことはカントか証明していますが、同時に
彼は、その価値基準が成立することも証明している。
この意味は、「美」とは徹底して「個人的なもの」だということです。
これ以上でも以下でもないです。
よって「芸術」とは「美を巡る価値空間」であり、とどのつまりそれは
やはり「言語ゲーム」という結論になりますね。
100 :
2チャンネルで超有名:02/10/04 11:48
>>99 千差万別といわれてしまえば、これまた「それまで」なんですが、
クリスチャン・ラッセンの絵を見るたびに「どうにかならねえのか」
と、どうしようもなく溜息をついてしまう私がいる。
ほんと、あれ見るたびに『判断力批判』読み返そうかって気になる。
読み返さないんだけど。
102 :
考える名無しさん:02/10/04 13:59
うわ〜、83 氏が言うべきことほとんど一気に言っちゃってるな……。
手強い。隙がねー。しゃあないから、文献情報の補足でもしておくと、
ド・デューヴ「カソトアフターデュシャン」は
『芸術の名において』青土社、として邦訳がある。
ただし、これはフランス語版からの翻訳で、改訂版として出た英語版の
Kant after Duchamp とはほとんど別物といっていいほどの異同がある
(だから83氏は原書名を挙げたのだろう)。
ちなみに、もうちょっと古くなっているかもしれないけれど、
ハル・フォスター編『反美学』勁草書房
なんかも、基本書だね。
>>102 言い尽くしてますね。くやしいなあ。
「時間/歴史(伝達)の問題」というのが、まだ、ちょっとよく
わかっていないので、煽られてもお答えのしようがない。
お暇なときに、ご説明いただけたら幸いです。
104 :
考える名無しさん:02/10/04 18:51
芸術は詐欺です。
日本を概念の国にしてしまった。
騙されるほうも悪いのです。
83=102
>>89 >何らかのかたちで展示され、美術雑誌にも取り上げられることを
>前提にしている、という意味で「無反省」と書きました
僕の「反省的継承」という言葉はreflective appropriationぐらいの
意味で使ってました。それで、この「反省的」という言葉から再度議論
を勝手に再開しまする。(随時突っ込みキボンヌ。)
作者と作品、並びに観客と作品というペアは一見したところ
作品の成立可能性を握る能動的行為(制作/鑑賞)という観点から
同型であるかのように思われる。(例えば、作者は「意図」なり「目的」
なりのコンセプト下において作品の制作を統御しようとし、観客は「価値判断」
下において作品の解釈を統御しようとする。この種のパターンから芸術作品の
成立の条件を数え上げる方法を仮に「作品(絵画)の私有化」への意思と
名付けてみよう。つまり、作者はまだ見ぬ作品生産の支配者たらんとし、
観衆は既に存在する作品の意味解釈の支配者たらんとする。
両者に共通する点は、端的に言えば「作品」の成立可能性が統御可能であるという信仰下にそれぞれの行為を正当化する点にある。
しかし果たしてそうであるのだろうか?
>>つづき
作者は「作品」の成立を常に市場なり、解釈共同体なりといった制度
(消費者、受容者側)に委ねざるをえない以上「作品」の成立可能性を
握ることは出来ない(「作品」の成立が常に「遅延」されざるをえない)、
つまり作者の制作の能動性なるものは「作者」の神秘化以上のものではないし
作者の「意思」なり「意図」は常に裏切られざるをえない。
一方、観客は美術館やギャラリー、教科書や図版といった制度下で
「作品」を受容する以上(そりゃ、アトリエとかの例外もあるが、これもまた
「現場」なる神話的制度下にあることに代わりはない。)、「作品」は常に既に
成立しており(「作品」の成立に対する決定的な「遅延」)、
「作品」解釈の能動性とは、「作品」の絶対化、または成立の
自明視下において、無限に解釈を反復するゲームにすぎず、その無限性はまた、
「解釈共同体」を自動産出してゆくツール以上のものにはならないであろう。
つまり、「作品」は常に既に存在しないか(成立していない、つまり非ー成立という
言葉は不適当である。なぜならば成立以前に「作品」は存在していない。非ー成立
という言葉は常に「作品」の成立可能性の存在を前提としているがゆえに、あたかも
成立以前という時間軸が存在するかのように思われがちである。)
、成立しているか(そしてこの成立以降、「作品」は忘却可能性を付与される。
ここで始めて、芸術作品の非ー成立という言葉が思考可能となる。)のどちらか
であり、つまり制作者と観衆に対し二重の「遅延」下において成立するのが
「作品」なのである。この遅延とは同時に、制作者と作品、並びに作品と観衆間
における成立の可能性の条件を巡る無関係さに他ならず
(なぜなら「作品」は常に既に成立しているか、存在していないかのどちらかである
以上、成立の可能性の能動的把握という「作品(絵画)の私有化」への意思は常に断念せざるをえないのだから)
この無関係さを回収するための手段として、制作者による言説での回収(コンセプチュアルアート?)、観客
によるあくなき解釈装置(言説)の駆動によるバリアント増やしという偽の「私有化」への意思が現れるわけである。
ただし、言うまでもなくこの意思がトリックであるのは常に事後的回収という
形式をとらざるをえない以上、「成立」の可能性の条件の探求は常にブラインド
にされてしまうという点にあり、「成立」を前提にしか語りえないという点にある。
これは同時にいえば「芸術作品」のブラックボックス化にも他ならない。
そんなわけで最初に僕が「反省的な継承」をreflective appropriation(反省的、間接的な私有化、我有化、剽窃)
と名付けた訳です。
つまり、「成立」の可能性の条件を探求するには、別の回路の導入が必要であるわけで、
それを以前に
>>95で「時間/歴史(伝達)の問題」と言った訳です。
これはまだ、妄想段階にすぎないのだが、
忘却可能性という層と顕在化(成立)の層の二重層の関係を中心に、
切断の反復としての時間軸というラインから、「前衛」「モダニズム」をからめて
これから分析したい点でもあるのです。。
念頭にはフーコーの「汚辱に塗れた人々の生」とか
ベンヤミンの「歴史哲学テーゼ」等があり。。。ムズイ(w
悪い、長々とオナーニみせて(w
短文じゃ書ききれなくてのー。才能(wがないので。
とりあえず突っ込み希望れす。2様とか、102とか。
議論の突破口ないかしら。。(^^;
あと、文章は基本的にかきっぱなしなので
論理が混乱してる点はないと思うけど
読みにくい点とか、飛躍があるかも。。
エクスキュー図
112 :
考える名無しさん:02/10/05 00:07
観念後付けの概念先行型が日本の特性かな?
よって信念が無いという事になってしまう事が多いのかな?
>>112 >観念後付けの概念先行型が日本の特性かな?
例えば?
>信念
もちっと具体的にヨロ。
金曜の夜に必死になってパソを叩き「煎って良し」
とか煎ってる俺って(w
それじゃ議論にならんべ。議論する必要など当然ないが(w
ただ、観念も概念も信念も
定義抜きだと発話の快楽に浸るツールにすぎぬから説明キボンヌ。
嫌ならいいけど。考える限りでは、まず上記の定義がマジックワード、
かつ「日本」という条件付けが訳若芽。挙げ句に「信念の欠如」なる
言葉の意味もそのまま受け取ればただの説教。
事後的回収によってぬくぬくと肥大する自意識のみを
拠所として連帯することで思弁を回避する場こそ
解釈共同体に他ならないし、特に経験科学とかのように
目に見えてすぐペイ可能ではない人文科学における
それはただ醜いだけなんだけど。
>>108 >つまり作者の制作の能動性なるものは「作者」の神秘化以上のものではないし
この「神秘化」とは、その解釈共同体がする作業ですか?
それとも作者が望む行為ですか?
まとまった論述をしはじめると
ややシャープさが鈍りはじめてきましたね、
83氏。まあ、2ちゃんでそういう文章は
場違いな感じがするからかもしれないけれど。
(続き)
作者と鑑賞者による作品の reflective appropriation
(反省的我有化)が問題になっているわけですが、
ポイントは、「制作者と観衆に対し二重の「遅延」下に
おいて成立するのが「作品」」であるというところ、
つまり作品を制御しようとする意味付与が作品そのもの
に対して内在的にズレをはらんでおり、
作品への根本的な盲目性がむしろ作品成立の可能性の条件
になっているというところですね。
要するに、いかなる意味にも回収できない作品の
「ブラックボックス的」物質性が作品形式を構造化している。
これは、たんに作品への関係の不可能性というよりも、
その限りでしかし「制作者による言説での回収
(コンセプチュアルアート?)」や「観客によるあくなき
解釈装置(言説)の駆動によるバリアント増やし」といった
我有化を事後的にいくらでも呼び込むような
万能な生産性の核であって、
このロジックをモダニズムの形式と言い換えても、
それほど目新しくはないように思います。
(続き)
ただ気になるのは、それを reflective appropriation
と言ってしまうともろにヘーゲルになってしまいますね。
客体への関係の内的矛盾こそ、反省的主観が自己のもとに
総合(我有化)を遂げるための前提条件になるわけですから、
その構造の枠内にあるかぎり、「切断の反復」やら
「忘却可能性」やらを強調しても、
すべて反省哲学を強化させるための餌みたいなものに
しかなりませんね。
それだと(弁証法の臨界で思考したはずの)フーコーだの
ベンヤミンだのの参照も生きてこないでしょう。
まあ、ヘーゲルで突っ切るという戦略もありますけれどね、
ジジェクみたいに。
もちろん、他方でこうした弁証法的論理そのものは、
モダニズムの形式としては不可避なわけですから、
問題なのは、いかにして内在的に突破できるかだけなんですが、
「時間/歴史(伝達)の問題」と言われているところの議論が、
こういうロジックとどういう関係にあるのかが分析されないかぎり、
たんなる言い放しに終わるおそれなしとしません。
とはいえ、そんな分析、もはや2ちゃんでやっている場合ではない
でしょうが(w
>まとまった論述をしはじめると
>ややシャープさが鈍りはじめてきましたね、
>83氏。まあ、2ちゃんでそういう文章は
>場違いな感じがするからかもしれないけれど。
つい論文執筆モードでして(^^;
本来は断言口調が好きなのですが、生きてくためには許されませぬ(泣。
などと言い訳しつつ以下レス。
>このロジックをモダニズムの形式と言い換えても、
>それほど目新しくはないように思います。
十二分にモダニズムを意識して書いてました。
要は102さんの簡潔なまとめにあることを
だらだらと整理せずに記述していただけです。
(というよりも、ご承知のように足場がためとして
幾つかの自明性の相対化しているだけです。というよりは
如何にモダニズムという方法論を前提としない方々(前提とする方が異常です(w
に分かりやすく相対化を示せるかという方針で書いてました。)
例えば
>いかなる意味にも回収できない作品の
>「ブラックボックス的」物質性が作品形式を構造化している
と一行ですむ文章も端的に特殊な訓練を踏んでいないかぎり
理解不能であって、そのために「成立する」「存在する」等という
極めて些細な点もロジカルに形式化せずに蛇足とも思える記述をしました。
以上、とりあえずの言い訳。以下、内容について。
>>83 おい!へたれ!
お前は煎って良し!と言われた奴に自分の考えを言う奴でしか?w
解釈共同体?お前はまず組織で働け!w
説教に聞こえたか?ごめんね。w
102さんwroteの要約
83は結局の所、モダニズムの論理形式を聖体拝領よろしく
掲げてるだけじゃん。てゆーか、制作者/作品/観衆の3項を
「無関係性」という名の関係性で結ぶというアリバイ(=弁証法)
を成立させるために、逆に制作者/作品、作品/観衆のカップリングを
逆説的に肯定してるだけだし。挙げ句に「忘却可能性」だの「切断の連続」だの
(オシャレ)モダニズムレトリックをさも新しいものであるかのように配置してまで。
アジテーターとしては及第点だけど、そのアジビラ既出だぞ、ごらあ!
という感じでしょうか(w?
ただ僕は、事後的回収という言葉で上記のアリバイの密輸を否定している
つもりではあったのだが(w。いや、reflective=内省的って訳語が哲学文脈で
前提ということは理解のうえで、
>>95 むしろ現代芸術は言説が作品に先行するということを相対化した
という意味でむしろ「反省的な継承」ですね
という皮肉を言っているつもりでもありました。
だから、reflective appropriationという語は批判的な文脈で使ってるつもり。
(その割には批判されているはずの形式分析が妙に生き生きしている訳だが(w
ここまでも言い訳。
>解釈共同体?お前はまず組織で働け
ワラタよ。至極正論で。
>説教に聞こえたか?ごめんね。
嫌々、こちらも皮肉煎って反りー(と再度皮肉投げるへたれ
83はプロ?
哲学板的には浅田彰が芸術批評しまくりなんだがどうよ?
松浦寿夫を挙げているなら射程内と思うので。
無視かよ。
哲学用語散らして、独りで悦に入ってるのは他ならぬお前だろ。
議論のための議論というか、哲学用語引用するためだけの理論というか、
プラグマチックな感覚がまるで欠落してるなw
まあ、自作自演でうっとりするのもまあ、2chの楽しみでもあるしな。
それもいいだろう。
>つまり作者の制作の能動性なるものは「作者」の神秘化以上のものではないし
はっきり言ってしまえば、全く意味不明なんだけど。w
主体客体の区別すらついてないしねw
心理板でも自作自演でチョムスキイ言語学を頑張ってる香具師いたなあ。。
おそらく本物の研究者か院生だろうね。
自作自演で自説の披露かあ。
でもそういう手段に2chを使ってもいいのかな?
コミュニケーション主体じゃなかったっけか?
83=102=112ってことで。
2氏は別人だな。
語彙が違う。
つーか
2=空耳=goatsong=83=102=112?
奴は男だったか。。
えっとね。プラグマティックって、死ね。
そうやって趣味だ信念だ感覚だと思考 停止決め込んで
最終的に相対的な問題ですからで終了ってことだろ
プラグマティックとやらは(w
あのね、僕?我有化うんぬん語る文脈で別に語りもせずとも
ポンティなりサルトルなりが前提にされてるの。美学語る以上
カソトもモダニズム成立の基礎的な地平に組み込まれてるわなあ。
主客の区別は貴様の脳内だけで常に既に試行してればokayだからね。
あと、作者の制作の能動性という文脈は
モダニズムにおける芸術制作を労働に還元する
(つまり、制作の意図ではなく 制作行為自体に価値を還元する)
トロツキスト= グリーンバーグの ポロック評もふまえてるけど 、
より積極的には 芸術家という本来、署名制度に依存する だけの
無能力者を神秘化する呆け認識 を相対化しただけ。
以上。ちなみに「解釈共同体」に参入せずに
「王様裸」って叫んでも、それこそ批判のための批判。
無視したんではなく、別用が あんたの質問のクオリティに勝っただけ。
あと、もう一つ哲学用語なんか撒き散らしてねーぞ(w
83以外で発言もしてねーし(w
132 :
83より102へ。自演だそうだ(w:02/10/05 04:53
「ブラックボックス」によって構造化されているという形式化
が再度、形式自体の「ブラックボックス」化を要請する以上
「ブラックボックス」の成立条件を画定することによる「芸術作品」の成立
分析は、無限に還元されつづける不毛な言葉遊びに転化する可能性がある。
(モダニズムのデッドエンド、それで分かりやすいとされるインスタレーション
に走るなり、より還元しミニマリズムだの、ポスト。。に自閉する)
ここでそもそもの出発点がミスなのではないかという考えにようやくたどり着き、
そもそも「芸術作品」が小さな固有名の集合から形成されているという点に
着目。むしろ最初の大文字抽象化が。。と考えむしろ[固有名」の伝達を巡る問題にシフトすることで
上記の袋小路を脱しうるのでは?という甘い期待を抱く。そこにおいては
常に起源(作品の成立)が事後的に捏造され、むしろその捏造の系譜という
言説の束(「断絶の反復」という顕在化の層)+伝達が論理的に孕まざるをえない忘却可能性の層の両面が、「固有名」としての「芸術作品」に価値を宿らせている
ように見えるのではないか?などと考えるわけ。
(バトラーならパフォーマティブな言説の束による「主体」の事後的構築と動態的組み替えとかなんとか言いそう)。当然、なんら内在的突破ではない(w。
空耳=goatsong
罵りとは独立に。こいつらって有名なの?電波として。
>主客の区別は貴様の脳内だけで常に既に試行してればokayだからね。
要は誰の理解も必要ないわけだ。
最初から2chには公開オナーニに来たわけね。
付き合わされたのが阿呆らしいなw
早期に判断できなかったこっちのミスだな、スマソ。
>「解釈共同体」に参入せずに
まあ、現代的の芸術論議には当然大前提だろうね。
だが、お前「俺これだけ知ってます」以外、何も言ってないじゃん。
「色々知ってて凄いねぇ、で?(by窪塚)」で終了だけど。
どうかな。
>より積極的には 芸術家という本来、署名制度に依存する だけの
>無能力者を神秘化する呆け認識 を相対化しただけ。
最初からこう書けばいいのにね。
悦楽レトリックってそんなに楽しいの?
とぅーか、解釈共同体も芸術家の神秘化も商業価値、貨幣価値に換算されて終わりで
いいよ。お前はそんぐらいのことしか言っとらん。
それ以上に何があるの?
2氏〜早くレトリック厨の83をけちょんけちょんにしてくれ。
>>125
批評のプロではないよ。批評で生計立てられるヤツって日本で100人いないっしょ。
浅田彰は(1)教養を要求する古き良き「趣味」達への応答/(2)と同時に
その印象批評をコーティングするだけの様態分析の手堅さ(3)並びに時評家としての
サービス精神(放言)が備わってるので良質な批評家だと思う。
松浦寿夫は有能だけど小林康夫や谷川等の天然ともいえる「芸術への愛」告白
には対抗できない(w。
さて、寝ます。休みだし、煽られたし満足。逝ってきます。
83氏の証明したいこと。w
【モダニズム・ポストモダニズム以降の評論家の芸術論は
引用を多用すること・懐疑性で勝ちが決まる公開オナニーである】
良かった。。結論出た。。
相手の理解が必要ないという時点でおまいも十分に電波だぞ。
>>要は誰の理解も必要ないわけだ
んなこと逝ってねーぞ(w。わざわざ語る必要もねえだろ呆けってことだ。
>>だが、お前「俺これだけ知ってます」以外、何も言ってないじゃん。
[色々知ってて凄いねぇ、で?(by窪塚)」で終了だけど
これだけ知ってます」という権威とソースがねーと
誰も相手にしねーべ、そもそも。それよりあんたは
ただの批判坊なわけだが「無知の 無知」でも気取ってるの?カコイイ!!
「しらみつぶしにカードを抜く程度ガキでもできる(by NIIPS)」
>>商業価値、貨幣価値に換算されて終わりでいいよ。
だからね、使用価値零(投棄対象程度だな)な商品にフェティシズム感じる
アホな動物君の愚昧な行為をね、同じアホ動物として眺めてるだけ。
>>それ以上に何があるの?
金が稼げるの。時間潰しながら(w。了解?
>最終的に相対的な問題ですからで終了ってことだろ
>プラグマティックとやらは(w
をいをい、本気か?
芸術界に於いて、何らかの合理化をしたいのじゃないのか?
>「芸術作品」の成立分析は、無限に還元されつづける不毛な言葉遊びに転化する可能性がある。
まさにお前じゃんw
でも83タンが何歳か気になるな。
やっぱオッサンなの?
>>モ ダニズム・ポストモダニズム以降
だからなんでこんな軽率な一文をかけるんだと。
>>引用を多用すること・懐疑性で勝ちが決まる
そんでそれを決定するのがあんたの大好きな市場なわけですね。
>> 公開オナニー
じゃねえ発言なんて存在死ねーよ。
>>相手の理解が必要ないという時点でおまいも十分に電波だぞ
相手の理解という幻想は必要。
83タンは毛深いデブヲタ 川´3`)とみた!(個人攻撃に非ず)
>>モ ダニズム・ポストモダニズム以降
>だからなんでこんな軽率な一文をかけるんだと。
じゃあ83タンはどう書くの?
「軽率」、じゃなくて「物足りない」の間違いだろ?
>> 公開オナニー
>じゃねえ発言なんて存在死ねーよ。
そうなの?
情報交換のための質問や答えは?
馴れ合いは?
漏れのような批判厨の応酬は?
全部公開オナニー?
なんだか、論述が全然緻密じゃねえなあ。
徐々に83タンの低脳性が明らかに・・
>>相手の理解が必要ないという時点でおまいも十分に電波だぞ
>相手の理解という幻想は必要。
ならいちいち幻想、と解釈しなくても良いですよ。
究極の理解が有り得ないのを前提にしていたって、
結局認知段階(顕在意識)では理解しているつもりで話を進めるわけだからなあ。
無駄な台詞すきだねえ。。
>> 最終的に相対的な問題ですからで終了ってことだろ
「貴様の>> 126で語る」
( <<ちゃんと罵倒の文脈なんだから補えよ)
>> プラグマティックとやらは(w
すぐ理論、抽象批判に実践、具象を対比させるなっていう皮肉だろ
どうよんでも、更にその種の批判がすぐに「意味ねーよ、腹一杯にならねえし」
とかいう形式化以前の信仰吐露したうえに、相対化して終了パターンだから
あらかじめ「あんたの言ってることはそのレベル」とわざわざ言ってあげてるの。
>> 「芸術作品」の成立分析は、無限に還元されつづける不毛な言葉遊びに転化する可能性がある。
> まさにお前じゃんw
前後文脈を無視して勝手に一文運のみで ひっぱってきて叩くという
「言葉遊び」を体現してるのね?君は。わざわざご足労ありがと。コピペするだけの
労力だけどな(w
>>Mark set
でも83タンが何歳か気になるな。
やっぱオッサンなの?
25。オッサンだわな(w
>相対化して終了パターンだから
そうか???
それは決めつけがあまりにも過ぎないか?
プラグマティズムの何たるかを知ってる人間とは思えないな。
合理化の手段はそれぞれだろ?
83タソなりの合理化めそっどやぷろせすを追求したいんじゃなくて
やっぱ引用してうっとり【悦】の公開オナニーなんだ。
じゃあモダニズム引用したのもただの引用厨ってことでEですね?
>> 「軽率」、じゃなくて「物足りない」の間違い
物足りないなじゃなくて根本的に過ちなの。
モダニズム/ポストを時系列に並べて更にポストの後ろの以降をつけるのは。
そもそも、モダニズムって別に限定された一時代のムーブメントとか思ってるの?
更に、モダニズム>ポモ>以降ってことであんたの頭は社会進化論的に
まとめられてるのね?教育が悪かったんだろうな。教育のせいってことで
責任転化しとけ。
> 情報交換のための質問や答えは?
> 馴れ合いは?
漏れのような批判厨の応酬は?
全部公開オナニー
そうだろ、そもそも発話者/受信者間に近似的な発話内容
が文脈共有下に 可能になろうとも、それが近似的か否かは問えないし
問う必要もないのがウイトゲン(<またテツオタとかいうだろーな)以降の
言語哲学では常識では?
>> 認知段階(顕在意識)
人文科学切りを経験科学の権威借りる姿勢も嫌いだけど
>> ならいちいち幻想、と解釈しなくても良いですよ。(私の価値判断ではそう思います)
「 「 必要あるかないか」自体各人の選考である」という意味だよね?
でこの数秒後に
>> 無駄な台詞すきだねえ。。
と吐いているのは明らかに自分の前提とする判断を
否定するお言葉なのですが。。何か障害でもお持ち?
(<差別発言ー!)
煽りの楽しさを教えてくれた人、感謝!
>>147 (゚Д゚)ハァ?イミフメヒ。
てゅうか、モダニズムはポストモダニズムにしかと取り込まれてるじゃん。
別に一時のムーブメントとか関係なくね?
今もモダニズムの傾向を継承した流れはあるのはわかるし。
モダニズムあっての→ポストモダンなんだから、時の経過が明らかにあるし、
コンテクストとして出すには、並べていたって何らおかしくないことなんですけれども。
言語ゲームもジジェクもフーコーもデリダもポストモダンなしには語れないじゃん。
ホントはヴァカなの?
>>プラグマティズムの何たるかを知ってる人間とは思えないな
やべっ、デユーイとか普通に分析系のひとなの?あんた。
ローティーとか 大嫌いなの、俺。センチメソタルエデュケーション
とか(笑。そりゃ、「芸術」を功利的観点以外で見なかったり
対話可能な地平の存在必死に擁護したりするわな。プラグマティスト
からすれば、美味しい獲物なわけだ、俺は(w.
ようやく了解。馬鹿ではないのに噛み合わないのはそゆことね?
と勝手に回収しますた。ねる。
>>148 何いってるの?
独りだけのモノローグでうっとり【悦】を公開オナニーって(+めたふぁ〜+)なんですけど。
独白性を問題視して、関係性に着目してねえぞ?っていう時に
ヰトゲン氏の言語ゲームも糞もあるかい。
コミュニケーションの質自体に言及したわけじゃねえんだな、コレが。
読解力ねえなあ、ヲイ。
>>149 本格的にイミ不明だな。
これは言語ゲームどころの話しじゃねえな。
障害者はお前じゃないの?
>「 「 必要あるかないか」自体各人の選考である」という意味だよね?
誤読大好きっ子?
オナニー好き=コミュニーション回避傾向=他者との感覚との乖離、から
読解力すら欠如してしまうのか。。
さては大きな挫折経験あるなお前。
>> 151
別にモダニズム/ポモに時間的、歴史的 区別はねーぞ。
当然、常にプレ/モダニ/ポモは並列してるよ。
というか、 過去の形式やらの並列性
(プライオリティの不在)を自覚したのがモダニズム
で、並んだ形式間の選択の恣意性からそれらの形式の
操作可能性に自覚的になるのがポモ(美学文脈ではな。)。
時系列の問題にあんたがしたように回収すると、モダンのあとにポモが来て
。。。という単線的な物語の捏造なの。端的にその話はコロニアリズムの
正当化(後進国の差別化と、資本参入の正当化以上のものではないの)に
すぎないの。だから間違い。時系列の問題じゃないの。
(大正ロマン派はとっくにモダンでもあり、ポモでもあったのよ。)
>> 言語ゲームもジジェクもフーコーもデリダもポストモダンなしには語れないじゃん
逆。ポモとラベリングして便利に 回収可能なだけ。むしろテクストの形式において
ポモとは関係ねーし、モダニズムとも関係ねーよ。
コミュニケーションは言語ゲームで、相互理解は幻想とかいって、
それって、めっさまるまる相対化作業じゃん。
他人に「相対化して終わりじゃぁん?、レベル低ッ!」とか断罪しておいて、
人には同じ応酬してんヨ?
明らかなる欺瞞だな。
83タソ!姿勢が邪(よこしま)であるヨ。(゚Д゚)ゴルア!
不毛。
>> 独りだけのモノローグでうっとり【悦】を公開オナニーって(+めたふぁ〜+)
分かってるって。だから 関係性が成立するか否かを問えないし、
問う必要もねえ。と書いてあるよね??目は悪くないよな?
というのを前期と後期にわけて彼に登場してもらっただけ。
>>155 単線的な物語
でもさ、賢い83タソなら、わかると思うけど、
「以降」というのは解釈次第だよね?
漏れタンの解釈は違うの。
別に今にケイゾクしてる事象だとか関係なく
押さえるべきの歴史上勃興した思想的流れでありますて、
だから【モダニズム・ポストモダニズム以降】っていう書き込みを
したのは、会話の流れ上出すべき事象であっただけのことでありますて。
モダニズム以降、ポストモダニズム以降、という並立の意味であれば、
時間の経過に着目してないことが明白になるわけでありますです。
>単線的な物語
なんて単純な時間の経過とする脳内電波をわざわざ言語化しなくてもいいわけです。
アナタ、カシコイふりして決めつけが過ぎますよ!
思考内容が緻密じゃないですよ!
( `∀´) <ゼンゼンカシコクナイ!
> 関係性が成立するか否かを問えないし、問う必要もねえ。
をを!そういえば、哲学を盲信している厨、という見方も可能だ。
>> >「 「 必要あるかないか」自体各人の選考である」という意味だよね?
あんたの発言は何ですか?「ならいちいち幻想と解釈しなくてけっこうですよ」ですよね?
その前の段の俺の発言。「相手の理解という幻想は必要」 に対する反論において、
あなたは幻想と解釈する必要はないと述べている訳ですね?
私は必要といい、あなたは別にその必要はありませんよと切り返したのですよね?
つまり「「必要あるかないか」自体各人の選好(<漢字ミスってた(wである」という
かちはんだんを表明しているのですよね?それであなたの俺の解釈に対する解答が
> 誤読大好きっ子?
> オナニー好き=コミュニーション回避傾向=他者との感覚との乖離、から
> 読解力すら欠如してしまうのか。。
えっと、誤読以前にあんた文意とれてないし。挙げ句にそれを棚にあげ煽り
> =コミュニケーション回避傾向=他者との解離
すさまじい偏見だな(w。別におまえみたいなコミュニケーション回避傾向にある
タイプのきしょいヤツもキショイ奴同士で傷なめあってたじゃん。恥ずかしがらなくても良い
心を開け(w
読解力の欠如?誤読という言葉と両立しうるのですか?欠如は?
誤読は読解力の欠如という量の問題に回収されるのね?(w
ねみい。
どんどん脂肪ブヨブヨの論述になってきたなw
御菓子ばっかり食べてるからそうなるのだ。
漏れたんも寝ますぃ。
その解釈が違うという不毛な (確認できないし(w
逃げは ずるいよ(w
>> モダニズム・ポストモダニズム以降の評論家の芸術論は
と最初に発言し 挙げ句に>>151で
>> モダニズムあっての→ポストモダンなんだから、時の経過が明らかにあるし、
といってその上で
>>158で
>> だから【モダニズム・ポストモダニズム以降】っていう書き込みを
> > したのは、会話の流れ上出すべき事象であっただけのことでありますて。
>> モダニズム以降、ポストモダニズム以降、という並立の意味であれば、
>> 時間の経過に着目してないことが明白になるわけでありますです。
そして
>>なんて単純な時間の経過とする脳内電波をわざわざ言語化しなくてもいいわけです。
アナタ、カシコイふりして決めつけが過ぎますよ!
思考内容が緻密じゃないですよ!
というのね。
テキトーにかこいい放言>つっこまれの意味わからず墓穴>逃げ(解釈の問題かい?(w
>虚勢。議論の弱者。
oyasumi.
164 :
考える名無しさん:02/10/05 07:24
まったくすんばらしい議論だ
言葉が現実の上をつるりと滑っていくような気がする今日この頃。
166 :
考える名無しさん:02/10/05 08:32
>>165 それはちと素朴すぎる批判だと思う
それより俺は83と廓の語彙がほぼ一緒なのが気になるよ
>>166 いや、それは薄々気付いてたよ。reflexive appropriation とかね。
この短時間にこれだけ矢継ぎ早やに議論が出てくるとは思えない
恐るべき脳内一人対話だな。
168 :
考える名無しさん:02/10/05 08:48
ええ?自作自演でつか?そりゃまた壮大な・・・。
対話形式で自分の考えを纏めてみるてすとだったのかな。
一晩明けたらすごいことになってますね。
自作自演? どこをどう読んだらそんなことが言えるのか(w
あ、これも自作自演になるのか(w
ちなみに136 以降のやり取りは、読んでないので、
ご容赦ください。(しかし83氏も厨房相手によくやるなあ(w)
(続き)
僕の書いたものを2ちゃん語を織り交ぜておもしろおかしく
書き換えてくださったので僕自身にも議論のポイントがよく
分かりましたよ。要するに、僕が異議を申し立てていたのは、
83 氏の言う reflective appropriation が自称するほどには
問題化されておらず(というのも107-110は reflective
appropriation の説明のみにほとんど終始していたので)、
その批判の身ぶりにおいて結果的に密輸入しているのではないか
という点でした。で、83氏の言われるように最終的にはこういう
身ぶりは「「ブラックボックス」の成立条件を画定すること
による「芸術作品」の成立分析が、無限に還元されつづける
不毛な言葉遊びに転化する可能性」へと自閉していく。
そこでどうするのか。83 氏は、その対抗案として
「「固有名」の伝達を巡る問題にシフト」すべく、
「芸術作品」が一つ一つの小さな固有名の集合であることに
こだわろうとする。そして問題の一文。
「常に起源(作品の成立)が事後的に捏造され、むしろその
捏造の系譜という言説の束(「断絶の反復」という顕在化の層)
+伝達が論理的に孕まざるをえない忘却可能性の層の両面が、
「固有名」としての「芸術作品」に価値を宿らせている」。
(続き)
実はこれ、毎度哲学版を賑わわせているある人物の書物が
不完全な仕方で提示しているアイディアと酷似していて、
正直戸惑いを覚えますけれども、それはともかく、こう言った
からといって reflective appropriation の袋小路から
どう脱出できることになるのか、僕には理解できない。
クリプキの言うような意味内容をもたぬ「固定指示子」としての
固有名が、パフォーマティヴに名指されることによって
芸術作品をフレーミングするという議論はよく分かりますが
(ド・デューヴの唯名論)、それとて、盲目の一撃(「命がけの
飛躍」)としてのパフォーマティヴを介した「ブラックボックス」性
を作品の成立条件として見出すという議論には何ら変わりはないし、
これがどう reflective appropriation の閉域を打ち破ること
になるのか(少なくとも打ち破ろうとしているのか)は、
依然として不明です。結局アイロニー抜きで「当然、なんら内在的
突破ではない(w」ということでしかないのならば、これ以上は
追及しようとは思いませんが。
172 :
考える名無しさん:02/10/05 09:13
どうでもいいけどあんたらこのネタでデビューしろよ
173 :
考える名無しさん:02/10/05 09:15
もう何も信じられない・・・。どんなレス見ても自作自演に見える。
174 :
考える名無しさん:02/10/05 09:17
>>173 少なくともここの書き込み人が東スレにいることを確認した
175 :
考える名無しさん:02/10/05 09:23
だから芸術論で論文書いているんでしょ?
固有名詞の出し方とか割りと的確だし。
しかしここで見る限り、読む価値あるのか(w
176 :
考える名無しさん:02/10/05 09:29
浅田スレで岡崎とかをさくっと論じちゃって欲しい
177 :
考える名無しさん:02/10/05 10:15
人間の脳には、言語、概念、論理的思考などをつかさどる左脳と、
イメージ、絵画、図形、空間パターン認識力や音楽、直観(ひらめき)など
をつかさどる右脳とがあり、全く違った働きを持っていると言われている。
芸術的作品を観賞する時には右脳を使うらしい。
我々のような論理的思考を必要とする者が普段使っているのは左脳。
つまり、右脳→左脳に情報を伝達させなければならないって事ですか?
それが視覚情報を言語に置き換える作業だと。
それとも左脳人間に芸術の鑑賞は向かないと?
179 :
考える名無しさん:02/10/05 16:52
他はわからんが102は自作自演だろ。
本人じゃない他人であれば、この手の修辞を散らした文章の言葉遣いや言い回しに
疑問が生まれても不思議はないのに、ただただ肯定して話を進めるのはおかしい。
>>166 氏は83氏と廓氏の自作自演ではないかと言ってるが?
83=102?
83=廓?
83=102=廓?
いくらなんでもそりゃねえな。
伸びすぎだよ! いま読み返しています。
83タソとは別人ですよ。
これが全部自作自演でパラドクスとか2面性を表現した作品なら
ちょっとそいつのこと尊敬しちゃうかも。。
83と語彙が同じ?
そんなはずはないと思う。。
しっ!自作自演のほうが面白いんだから黙ってて!
184 :
考える名無しさん:02/10/06 11:43
の「存在論的、郵便的」で曖昧に提示されていた
アイディアを限りなく誤読すると
>「常に起源(作品の成立)が事後的に捏造され、むしろその
> 捏造の系譜という言説の束(「断絶の反復」という顕在化の層)
> +伝達が論理的に孕まざるをえない忘却可能性の層の両面が、
> 「固有名」としての「芸術作品」に価値を宿らせている」。
になるのかねえ?でも上の言葉語ったからって
「語りのための語り」以上のものではないけど。。
まあ。論文しっかり書け!2chにウキウキと出入りすんな(藁!
と教育的指導を与えとく。テスト
今日は伸びていなくて、ホッとしました。
「固有名の伝達をめぐる問題」についていえば、これは83さんの
戦略であるので、私としてはケチのつけようがない。
正直まだ、よくわからない部分がある。
個人的には、まえまえから「天才」のロマン主義的解釈といった
問題に興味があるのですが、そんなこととかかわってくるのか、
こないのか。
「作品のブラックボックス化」の方は、その通りと申し上げます。
ただし、19世紀以降の様相についていったならば、です。
83さんの示した作者と観衆の関係(というより無関係)は、
たとえばルネサンス時代にも成り立っていたのか?
あるいはバロックの時代には?
私の考えはこうです。
古代ギリシャの諸作品もバロック絵画も、制作された当時は「芸術」
ではなかった。しかし、あるとき、おそらくは19世紀のはじめに
「芸術」と呼ばれる解釈装置が生まれた。この解釈装置は古代ギリシャ
もバロックもみずからに回収しつつ、それが「事後的回収」であった
事実を隠蔽した。この詐術が蔓延するうちに、作品のブラックボックス化
がすすんだ、と。
この詐術には、美術館の設立が密接にかかわってくる。私が「展示される
ことを前提にしている」云々にこだわったのは、このためです。
いかがでしょうか?
187 :
考える名無しさん:02/10/07 21:13
どうした?このスレ面白いぞ。
>>83まで遡ると「パトロン制度の崩壊によって」とありましたね。
すみません。となると、ますます83さんの戦略がわからないな。
私はプレ・モダンをぶつけることによって、充分とはいえないまでも
モダンを相対化したつもりです。
「人間の解剖は猿の解剖に役立つ」いったお立場でしょうか?
もとい。
「人間の解剖は猿の解剖に役立つ」といったお立場でしょうか?
190 :
考える名無しさん:02/10/07 23:32
ちょっと今、まとまった議論する時間ないんだが(<なら書き込むな(w
少なくとも同じ哲学板の岡崎スレみたいな「芸術への嫉妬」を
論理的に不明晰なレトリックで装飾することで正当化しうるかの
ような絶望的な勘違いカキコ(<僕のもそーみえてんだろーけど)
にだけは断固として反発すべきだわな。また、後程。
(今はプラグマティズム美学理論を食わず嫌いだったことに反省しつつ
勉強の日々)
ふふ、やっぱりね。
プラグマティズムとはあらゆる学問や思想の総括、整地作業だろう。
本棚を系統立てて整理するような感じだよ。
単なる相対化って全く意味不明。
否定することと言えば、「無知を肯定すること」かもね。
あれだけ引用するならプラグマティズム嫌いなんて言えないはずなんですけど。w
プラグマティズム嫌いではないよ。
少なくとも行けるところまでは(<どこまでやねん(w
プラグマティックに語ることからしか何も始まらない
って認識は常日頃してるし。
ただ基本的にプラグマティズムだと、
「いいか、悪いか、決めるのは市場での合意形成」
「商品じゃない芸術作品は存在しない」
「芸術家は労働者」
という3本でまとめられる訳だけど(<つっこめー)
で、どうした?だから?ってことになってしまい、
「芸術」に寄生して飯食ってる(まんま私有化への意思だけど)
人々はお手上げ(でいいんだけど(w。
まあ、だからって思想ターム(高級贖罪)をパラフレーズして
悦にill、海原雄山的な日々を羨望してるわけではないぞ。
とりあえず、どーするべといった感じ。ちなみに僕自身
出自が哲学なので(もう放棄したが(w、「芸術」考えるツールに
哲オタ垂涎(言語ゲームだの。。)のタームが乱発されるのです。反省。
195 :
考える名無しさん:02/10/09 04:38
102降臨きぼーん。
「降臨」とか言われると引くけど(w、
実はね、僕は哲学版にいるくらいだから、現代の芸術作品のことや業界事情は
ほとんど知らないの。だからどっかで誰かが書かれてたけど、ここでは絵を見ない
で言えるような一般的な議論しか応答できない、残念ながら。美学はやってるけどね。
83 氏は哲学やってきただけあって、明快かつ一貫したこと言ってるよ。
もっとどんどん語って頂戴。
それをレトリックちりばめてるようにしか読めないヤツらこそ逝ってヨシであって。
(まあ、敷居を高くしたくはないけど、誤解は解いとこう)
プラグマティズム云々について言えば、要するに芸術作品を金持ちと学者の専有物
にしないためにはどうするか、ってことを考えたときにプラグマティズムだけでは
彼らの都合のよい論理に翻弄されるしかなくなるってことだよね。つまるところ
業界ゴロみたいになって、コネとおべっかとローカルなヘゲモニー争いだけの世界で
作品が判断されるがままになるのを指をくわえてみているなんてのはやはり許し難い。
とはいえ、金持ちと学者は一方は、資本の、他方は学問の論理っていう大義名分も
もっている。これは強力な普遍的効果がある(要するに市場と大学という近代的
制度)わけで、そっから独立したどこかに芸術作品がありうるとは思えない。
しかし芸術そのものの可能性があるとしたら、それらから相対的に独立した
余白、資本と学とがディスジャンクティヴに接し合う境界線上にしかないわけ。
それは批評そのものの可能性でもあるわけだが……、でもこんな可能性を
それ自体として追求できると信じるのは妄想なのか。
実際には一部の金持ちと業界人たちのせまーいサークル内の確執とか、耄碌
した美術館館長やそこに金を給付したりする官僚たちの恣意なんかで、芸術の
価値や保存が決まっていたりするのかなあ、やっぱり。絶望的なプラグマティ
ズム。83 氏じゃないけど、ホント、どーすんべ(w
誰かもっと具体的な話ふってくれい。もう限界(w
197 :
ぺん(ぺん):02/10/09 08:49
漏れも美術に興味があるので、まぜて下さい。
日本の現代美術業界についてはほとんど知らないのですが
作家志望の知り合いが何人かいるので、間接的に話は聞きます。
まじめにモノを考えている人が芽を出しにくい環境があるようです。
まずは、現代美術の市場が皆無に等しいこと。
これは、特定のパトロンを見つけるか、とにかく有名になってしまうかしか
選択肢がないことになります。
次に、優れた批評家や、優れた見識を持ち且つ政治力のある学芸員も
皆無なことです。
優れた見識を持つ学芸員ならば少なからずいるようですが
いかんせん欧米の「curator」と「学芸員」は
美術館における地位が違うのです。
そんな現状で、作家を目指すならば
駒場の超域あたりで知識を入手して
Bゼミ・Aゼミあたりで技術を身につけて
海外のワークショップあたりで見聞を広めると。
でも、これを実践するのは、ちょっと大変でしょうね。
198 :
考える名無しさん:02/10/09 08:53
美学 哲学に現代の美術の知識は必要ないの?
本で読んだ知識じゃなく。
すまそ、素朴な疑問。
199 :
考える名無しさん:02/10/09 11:31
>>197 要はサワラギクラスの論者やキュレーター
がごろごろしてなければいけないということですな。
200 :
ぺん(ぺん):02/10/09 12:08
>>199 椹木氏クラスの実行力に岡田温司氏クラスの教養
それに浅田氏クラスの根回しのよさ(笑)を併せ持つキュレーターが
4,5人いれば、だいぶ状況が変わってくると思います。
岡崎氏も、日本に優秀な論者が数多くいれば
自分で美術理論にのめり込むことはなかったかもしれません。
(その場合、好きなマンガに没頭してたかも。
むー、岡崎氏がマンガを量産してた可能世界を考えると
なんだか残念だなあ・・・笑)
201 :
考える名無しさん:02/10/09 12:15
ナショナリズムとかどうこう抜きにすれば、
「日本ゼロ年」は面白い企画だったと思う。
203 :
考える名無しさん:02/10/09 13:16
>>198 教授に現代美術嫌いが多いから、
興味ないままでも問題なく過ごせてしまう。
普段読むのは美学文献だし。
なんかネタ的話題しかふれなくて悪いんだけど、
分析のデッドエンドでいつも再度妙なやる気を
与えてくれるアジ文(僕にとっては)。
美術史や美術館の力を過剰に受け取ってはいけない。美術館に
回収されてしまったものは、セザンヌやマティスがそうしたように
美術館へ行きさえすれば、奪回できる。だが容易にではない。美術館は
チャンスは与えるが能力を試す。ピカソの言葉
「新しい創造を理解する人間はごく少数で、
あとで万人に認められるようになっても、本当に理解する人は認められる以前
とちょうど同じ、依然として少数なのだ」
奪回する能力、認めることなく理解する能力とは何か。
それは幻想を打ち破る妄想力である。
岡崎「現実について」の註より。
これは邪推ですが、83さんには、現代芸術を救い出したいという
気持ちがどこかにあるんじゃないですか?
他の方々にもお尋ねしたいけど、現代芸術を「素晴らしいもの」
と思っているんですか?
206 :
考える名無しさん:02/10/10 00:07
>>205 現代美術を褒めちぎるのも下らないもの扱いするのも思考停止
>>206 『一枚の○』や『○○の窓』に載ってる画家さんたちも、思考停止せず
丹念に論じれば、それなりに面白いものができるかもしれませんね。
208 :
考える名無しさん:02/10/10 03:49
>>207 あなたはどちらかというと功罪の罪に目が向いているとみた
209 :
考える名無しさん:02/10/10 04:09
現代美術は妄想力のたくましい人のほうがのめり込めるとか言ってみたり・・・。
210 :
考える名無しさん:02/10/10 04:17
単線的なヒストリシズムを真に受ける必要はないが、
だからといって永遠不易の「芸術性」なるものに飛躍することも短絡だと思う。
211 :
考える名無しさん:02/10/10 05:15
ただ、言語に回収出来ないものを追っかけてるだけだったりしてな。
頭使わねーと神秘主義の僕になっちまう。
>>210>>211 既出だよ。モダニズムのデッドエンド議論文脈で。
あと、
>>204は
好意的に解釈すれば市場だの制度だのからの議論は
既にされ尽くしてるし不毛だって認識を前提に
「妄想力」(102の語る「批評」と同じ文脈で)の可能性に
自棄糞の希望を見出そうって程度のもの(語る快楽)でしょ?
なんでこの期におよんで>>永遠不易の「芸術性」だの
>>言語に回収出来ないものだのへのネガティブな信仰を再度
土台にあげようとするかね。。
少なくとも83と102の分析はおもろいし廓や2の突っ込みも
正当なだけに今後に期待。良スレだけに。
>>212 すまねえ。
210だけ読んで脊髄反射で書き込んじまったYO!
罪滅ぼしにage
214 :
考える名無しさん:02/10/10 10:18
215 :
考える名無しさん:02/10/10 18:21
↑ ↑ ↑
宣伝のコピペ、バイトって本当か?
どこかに能力と腕力をもったキュレーターがいたとして、
彼らに何をさせたいの?
というのが
>>197〜
>>200を読んだ感想でした。
現代芸術を継続させたいのか? 思考停止せずに?
だったら「思考停止」って何だろう?
217 :
考える名無しさん:02/10/11 16:54
「多様性」だろ。
多様性のないところ豊かさはない。
詐術にとって多様性とは何か。
いや、すみません。
単なる思いつきのキャッチコピーです。
219 :
考える名無しさん:02/10/13 13:40
今までに存在しなかったタイプの作品を、真に理解できる者はごく少数であろう。
商業ギャラリー(ほとんど全ての画廊はそうであるが)は、ギャラリー維持のため、比較的優れていると思える物を展示し、販売し続ける。
現代美術と呼ばれている物の多くは、このような市場側の理由によって、暫定的に、現代美術作品として売買されているだけなのである。
次々に生み出される作品群を見る者(観者であれ、製作者であれ)が、作品の質を判断する力を持たなければ、レベルの低い物を現代美術として意識し、見たり・考えたり・作ったりする事になる。
(例えば、ジュリアン・シュナーベルの様なレベルの者を現代美術として意識し、製作する村上隆のレベルを想定すると解りやすいと思う)
優秀な作品を作っている者(その分野が何であれ)は、彼の仕事における様々な判断力をもって、現代美術を見るので、現代美術に対しても、優れた判断力を持っている事が多い。
「私は理解できる」と言う事は容易い。
理論であれ、作品であれ、自らの仕事が秀でていない者が、真の質の判断等できるのであろうか?
(例外は存在するであろうが)
204に、こう書かれているいる様に、
「新しい創造を理解する人間はごく少数で、あとで万人に認められるようになっても、本当に理解する人は認められる以前とちょうど同じ、依然として少数なのだ」
美術品の面白さには、「判断力のレベルを問う真剣勝負」という意味も含まれているのだ。
220 :
考える名無しさん:02/10/13 13:51
だとすると、むしろ現代美術に対してこそ、
判断力を鍛えていく必要があるね
作品の優劣を云々するのも不毛な言葉遊びに転化する、というのが
このスレッドの今までの議論ではなかったの?
死んだねー、このスレも。
初期のてんぱった感じもなくなり、
まさに絶望的なプラグマティズム(スレ消費のための語り)ってか?
223 :
考える名無しさん:02/10/14 01:24
>>222=83
お前が無気力になってしまっただけじゃねえの。
別にプラグマティズムのせいじゃねえだろ。
言葉遊びの無力さに気付いて無いお前の負け。
224 :
考える名無しさん:02/10/14 02:13
元が販社系のネタなんだから贅沢言うな
225 :
考える名無しさん:02/10/14 02:16
やっぱ83はかの低脳GSストーカーだったんだ。
結局頭脳はこの程度。
御愁傷さまでした・・・チーン
226 :
考える名無しさん:02/10/14 02:18
227 :
考える名無しさん:02/10/14 02:36
224=83
このスレは83の妄想で構成されています。
228 :
考える名無しさん:
荒れたよ