アドルノスレ

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501考える名無しさん:2009/08/29(土) 17:51:27 0
最近このスレの勢いが面白くて、あまり触れてなかったアドルノを読みたくなるから困るっ
502考える名無しさん:2009/08/29(土) 18:27:10 0
「文学ノート」効果だなw
みすず書房、おそるべし。
503考える名無しさん:2009/08/29(土) 18:31:59 0
>>483
ベンヤミンのテクストは本当は超難解なんだけどね。
ま、エッセイとか多いし一見とっつきやすいから、誤解されて読まれてる。

他方、アドルノの屈折しまくったスタイリッシュな文章は、初めから読者を遠ざけてる。

>>484
ドイツ語圏に限らず世界的な現象だと思う。

>>494
>アドルノ的思考から「ユートピア」なんてのは一番遠いもののような気がするんだが。

アウシュヴィッツ以後の文化を徹底批判したような意味で、アドルノの哲学は「暗い」みたい
にしばしば言われるけれど、そういうイメージは、一昔前の紋切り型でしかないだろうな。
504考える名無しさん:2009/08/29(土) 18:45:27 0
>>503
>アウシュヴィッツ以後の文化を徹底批判したような意味で、アドルノの哲学は「暗い」みたい
>にしばしば言われるけれど、そういうイメージは、一昔前の紋切り型でしかないだろうな。

激しく同意する。
505モンキー:2009/08/29(土) 22:45:50 O
馬鹿なガキが哲学すんな!
文献披露して違うとか 正しいとか馬鹿だろ
学とは社会と共に行く訳では無いんだよ
学が社会をリードするモノなんだから
文献には真の答えは無い
文献の先に現在の学がある
506考える名無しさん:2009/08/29(土) 23:40:09 0
>文献の先に現在の学がある

つまり、目の前の文献すら読めない者には、その先を見通すことすらできないわけだ。
507考える名無しさん:2009/08/30(日) 00:38:18 0
>>505
文献学を舐めるなよ。
「パラタクシス」はお前みたいな奴こそが読むためにある。
理解できれば、の話だがw
508考える名無しさん:2009/08/30(日) 00:39:50 0
>>505
>学が社会をリードするモノなんだから

こういうコメント見ると、68年がやり残した仕事は多いなあと思う。
一度でも、社会に出てから言えよ。
509考える名無しさん:2009/08/31(月) 15:47:26 0
小ネタでも書いてageておこう
アドルノの文章は難しい。これは日本人にとってもドイツ人にとっても同じ。
アドルノにちなんで、ドイツでは「わけわからん事を言う」という意味のadornierenという動詞が出来たらしい。
何でわかりにくいのかと言えば答えは単純で、わざとわかりにくく書いているから。
『否定弁証法』を共同で訳した木田元の話によると、毎晩3時間かけても、一日に半ページから
1ページ訳すのがやっとだったそうだw
510考える名無しさん:2009/08/31(月) 18:30:56 0
>>509
書籍が、資本主義社会では「商品」として流通してしまうことへの
反抗だよな。あとまあ、分かる人には分かるというエリート主義も
少なからずあるだろう。

文芸評論に限って言えば、「ゲオルゲとホフマンスタール」とか
「パラタクシス」とか、ベンヤミンにはとても到達できない高みに
達しているのに、真に理解している人は何人いるか?
511考える名無しさん:2009/08/31(月) 20:11:22 0
そういえばパラタクシスって初邦訳じゃないんだな。批評空間に翻訳が載ってた。
アドルノに関してもベンヤミンに関しても研究書やら論文は山のようにあるからなあ。
何か新しい切り口で論じる斬新な研究が見たいわ。
余談だけどドイツ語圏の研究論文は概して難しいね。アドルノ・ベンヤミンの難解な文体が反映して。
英語圏は逆に、難しい思想をいかにわかりやすく伝えるかに命をかけてるような
ところがあるけどw
512考える名無しさん:2009/08/31(月) 20:58:27 0
>>511
>英語圏は逆に、難しい思想をいかにわかりやすく伝えるかに命をかけてるような
>ところがあるけどw

同意w
おれ、院生時代に、英語の文献読んでたら、教授に烈火のごとく怒られたよ。
513考える名無しさん:2009/09/03(木) 16:48:48 0
高等英文解釈という1951年に成田成寿という大学教授が
出した本の29の例題が
T.W. Adorno:Theses upon Art and Religionでした。
ところが解説で「どういう人かよくわからない。この文章は、
アメリカの季刊雑誌Kenyon Reviewから採ったもので、宗教的、
哲学的な言葉が多い。そのために難解に感ぜられる。」と書いてあります。
1951年に日本の人文系の大学教授がアドルノを知らないのは
当然だったのでしょうか?別のアドルノなのかと思ったのですが、
どう考えてもあのアドルノですよね。
ちなみに例題は以下の文章の第一段落です。
http://www.jstor.org/pss/4337447
514考える名無しさん:2009/09/03(木) 21:42:32 0
>>513
へえ。すごいもの見つけてきたねぇ。これはアドルノ自身が書いた英語なのかな?
それとも誰かの英訳? 後になにかの単行本に所収されていないのかなあ。
識者の登場を待つ!
515考える名無しさん:2009/09/04(金) 23:40:06 0
「パラタクシス」、ハイデガーが敵だから、気合の入り方が違うネ申論文だけど、
「喚起された言葉」というテキストもすばらしいぞ。乞うご期待!!
516考える名無しさん:2009/09/05(土) 02:02:49 0
>>513
面白いね。
その英文自体、アドルノが書いたものですよ。アメリカに住んでいた時期だしね。
ズーアカンプの全集では11巻(Noten zur Literatur)に収録されてます。
日本でアドルノの単著が翻訳され始めたのが70年代に入ってから(部分訳は60年代後半から)
なので、51年の段階で日本人がアドルノの名前を知らなくても無理からぬところがあるかも。
517考える名無しさん:2009/09/05(土) 02:43:01 0
アドルノの批評って、文学理論でいうと、マルクス主義批評ってことになるのかね?
518考える名無しさん:2009/09/05(土) 09:36:41 0
>>516
へえそうですか。詳しくどうもありがとう。
アドルノは亡命中にこんな英語を書いていたんだ。なんかちょっと感動したよ。
519考える名無しさん:2009/09/05(土) 10:12:31 0
アドルノは確か、イギリスに亡命したとき、
英語が苦手で引きこもったんだよな。
こんな論文書けるほど、堪能なのに。
自分に要求するものが高いんだろうな。
520考える名無しさん:2009/09/05(土) 12:10:50 0
でもやっぱり英語としてはなんかゴツゴツしてるよね。ドイツ語なまりというか。
アレントの英語もそんな感じだが。
521考える名無しさん:2009/09/06(日) 13:14:44 0
英文解釈の参考書の例題としては
適切だったのだろうか
522考える名無しさん:2009/09/08(火) 00:12:32 0
>>521
どう考えても、適切じゃないだろう。
そもそも、ネイティブがじゃない人間が書いた英文を例題として
採り上げるのが非常識だと思う。
523考える名無しさん:2009/12/14(月) 23:07:22 0
アドルノとアメリカで雑誌特集が組まれてる。

Adorno and America

TELOS 149 (Winter 2009)
http://www.telospress.com/main/index.php?main_page=product_info&products_id=387
524考える名無しさん:2009/12/22(火) 09:57:31 0
>>523
これ、どうやったら、手に入る?
525S.N:2009/12/23(水) 00:39:52 0
アドルノのドイツ語の難解さは周知ですが、
英語圏のアドルノ研究者の英語はどうなのでしょうか。私自身の経験では
ギリアン・ローズなどは比較的読みやすかったですが、例えば
Robert Hullot KentorやJephcott(ミニマ・モラリアの英訳者)は
やはり読みづらく感じます。
526考える名無しさん:2009/12/23(水) 01:44:14 0
日本でも三光先生の訳は、なにげにぎこちないよな。
円子修平は素晴らしい。
527考える名無しさん:2010/03/25(木) 13:19:59 0
sage
528考える名無しさん:2010/03/31(水) 22:40:52 0
age
529考える名無しさん:2010/04/01(木) 08:19:10 0
530考える名無しさん:2010/04/24(土) 23:37:25 0
CD試聴可
THEODOR W. ADORNO : Kompositionen
http://www.amazon.de/gp/product/B000025RRI/ref=olp_product_details?ie=UTF8&me=&seller=
1. Bewegt (1926)
2. Variationen (1925)
3. Bewegt, heftig (1929)
4. Sehr ruhig (1925)
5. Sehr lebhaft (Gigue) (1929)
6. Äußerst langsam (1926)
7. Leicht (Walzer) (1929)
8. Sehr langsam (1920/28)
9. Dämmerung
10. Winter
11. Oft
12. Totenlied auf den Kater
13. Hucks Auftrittslied
14. Frühlingsgesang
15. Lied italienischer Marinari
16. Mai, lieber Mai - Bald bist du wieder da!
17. Erinnerung (4. November 1847: Mendelssohns Todestag)
18. Winterzeit (II)
19. Knecht Ruprecht
531考える名無しさん:2010/05/09(日) 11:37:05 0
>>488
とはいえ、アドルノの否定弁証法は、音楽とのアナロジーでとらえるとわかりやすい。

哲学 カント ヘーゲル  マルクス?    アドルノ   アイスラー?
    |  (弁証法)(唯物論的弁証法)(否定弁証法)
    |____|    |        |
      |       |        |
音楽  ベートーベン   シェーンベルク  マーラー   
   (ソナタ形式)

シェーンベルクについてもアドルノは書いているが(参照『新音楽の哲学』86頁)、マーラ
ー論が秀逸だと思う。新音楽(シェーンベルク等)以前の主観的音楽がアドルノの趣味と合致
するのだろう。
そのマーラー論を読むと、アドルノのヘーゲルに逆らいつつも魅かれている様子がよく分かる。

532考える名無しさん:2010/05/10(月) 01:34:59 0
>>531
興味深い。できたら、続けて。
533531改訂版、音楽=哲学対照表:2010/05/13(木) 14:22:31 P
「哲学は音楽と兄弟のような関係にある」(『否定弁証法』邦訳p135)

     音 楽      |   哲 学
バッハ___        |ライプニッツ(モナド)
|     |       |
|モーツァルト(イタリア的)|         
|   『ドン・ジョバンニ』|       キルケゴール
|             | 
ベートーベン(地方ドイツ的)|カ ン ト
 前/後期 (ソナタ形式) |ヘ ー ゲ ル(弁 証 法)
 |            |
ワーグナー(唯名論的、   |ショーペンハウアー
 |      ロマン主義)|
 |_マーラー     | | フロイト(自我=エス)
 | シェーンベルク__| | マルクス(唯物論的弁証法)
 | 表現主義、後期/ジャズ|
ストラビンスキー      | マッハ/ユング/ニーチェ
(退行、野蛮?、キュビスム)|          (反体系)
         /ジャズ |            |
ドビュッシー(印象派)   |ベルグソン       |
      /ジャズの理念 |            |
アイスラー         |アドルノ(否定弁証法)_|

アドルノのジャズ批判は有名だが、彼はジャズを時間の解離、主体の消去、時間から空間へ
といった支配的要素の変化を形容する言葉として考えている節がある(『新音楽の哲学』p90)。
ドビュッシー(持続時間的作曲家)に関しては、彼がジャズのエキセントリックな描写を先取りして
いたことを指摘しているだけで、こうした形容を当てはめてはいない(『楽興の時』p148)。
534531改訂版、音楽=哲学対照表:2010/05/13(木) 14:28:54 P
>>533
参考:
『新音楽の哲学』p86(シェーンベルク,唯物論),86(ブラームス),87(ワーグナー),90(ジャズ),
 112(シェーンベルク),210(ムソルグスキー317),227(ユング),232(ショーペンハウアー),
 233(マッハ),247(ストラビンスキー,ニーチェ),267(印象派),276(ソナタ),277(ヘーゲル),
 301(退行),307(シェーンベルク, 表現主義)
『マーラー』p44(ブルックナー),53(フロイト),95(ショーペンハウアー),129(ソナタ形式)
『否定弁証法』p135(音楽,哲学),21,151,204(ライプニッツ=全体,同一性,統一)
『否定弁証法講義』p72(ニーチェ)
『音楽社会学序説』p115(アイスラー),118(モーツァルト),276(イタリア),335(ベルグソン,
 ドビュッシー),357(ヘーゲル,ベートーベン),359(モナド)
『アドルノ伝』p280(ワーグナー),371−2(アイスラー)
『プリズメン』p210(バッハ=融合)
『キルケゴール』p42(モーツァルト,自然の魔力)
『楽興の時』p148(ドビュッシー/ジャズ)
535考える名無しさん:2010/05/14(金) 04:16:39 0
すばらしい。
mixiのアドルノコミュに来ないか?
あなたのような人を待っている。
536533参考:2010/05/15(土) 14:37:31 P
「キルケゴール〜早くも『ドン・ジョバンニ』に、ワーグナーをまってはじめて音楽的に解放される
ことになるむき出しの自然の魔力を聴き取り、、、」(『キルケゴール(1933)』p42)
参考: http://www.youtube.com/watch?v=82uRFtU6JgA

「ベートーヴェンは弁証法的なのだ。その意味がもっとも明瞭なものとなっている作品が、『熱情』
の第一楽章である。」(『ベートーヴェン』p95)
: http://www.youtube.com/watch?v=EEptNFzLpjk

「音楽にもとづく音楽を作るという傾向(略)、これらすべては、『ニュルンベルクのマイスタージ
ンガー』にそのモデルがある。」(『新音楽の哲学』p256-7)
: http://www.youtube.com/watch?v=CBeMGGN-U0c

「フロイト理論における、自我に対するエスと超自我との了解という事柄は、マーラーにぴったりで
ある。(略)第八交響曲の「過ぎ去りゆくものはすべてただ一つの比喩」の第一稿は、何十年もアル
バン・ベルクの家にあったが、トイレットペーパーの上に書かれている。マーラーの隠された衝動は、
上部構造を拒絶し、音楽文化の内在が覆い隠しているものへと迫ろうと欲する。」(『マーラー』p53-4)
: http://www.youtube.com/watch?v=gXM-RnnakxY

「『変わり者のラヴィーヌ将軍』というドビュッシーの前奏曲の表題は、計画的にジャズの理念を先
取りしているように思われる。」(『楽興の時』p148)
: http://www.youtube.com/watch?v=dijAgOJ7Ap
537533参考その二:2010/05/15(土) 14:38:23 P


「この五重奏曲(シェーンベルクop.26)において、ソナタは自らの正体を知り尽くしてしまっている。」
(『楽興の時』p214)
: http://www.youtube.com/watch?v=xHGPYzO634g

「「傑作という観念を馬鹿にしている『兵士の物語』」(『新音楽の哲学』p244)
「ストラヴィンスキーは実際、ニーチェのヴァーグナーに対する敵対関係の過程を最後まで突き詰めた
のである。」(『新音楽の哲学』p247)
: http://www.youtube.com/watch?v=SWQKyek3IGo

「『幸福な手』や『ヴォツェック』においては,部分衝動がはっきり名ざしで音楽によって記録されて
いる。(略)これは、ジャズにおいて、「パロディーめいて」あらわれるのとおなじ音色なのである。」
(『楽興の時』p158)
: http://www.youtube.com/watch?v=1kPdwwvr0qo

「階級的感覚を音楽そのものに、つまり作曲の態度に浸透させるという真に数少ない試み(略)〜ハン
ス・アイスラーの二十年代後半から三十年代前半へかけてのいくつかの作品、、、」
(『音楽社会学序説』p115)
: http://www.youtube.com/watch?v=fz-prEAx4lw
538考える名無しさん:2010/05/16(日) 03:56:39 0
つづけて、つづけて。おれはついていくよー。
539533縮小改訂版:2010/05/20(木) 00:47:37 P
 ホ    メ    ー    ロ    ス | 
(ブルックナー)   |           | プラトン 
 バッハ       | シェークスピア   | ライプニッツ   
 モーツァルト   _|_ゲーテ       | スピノザ
☆ドン・ジョバンニ| |(カフカ)      |(キルケゴール) 
         |_|_イプセン    __|_カント_________
 ベートーベン__|_|________|  |             |
         | |        |__|_ヘーゲル______  |
 シューベルト  | |(ゲーテ)      | ヘルダー      | |
(ブラームス)  |_|_ヘルダーリン    |(ハイデッガー)   | |
 ワーグナー     | ボードレール    | ショーペンハウアー | |
 マーラー      | プルースト_____|_フロイト、ニーチェ | | 
 ドビュッシー    | マラルメ    | | ベルグソン | | | |
 ストラビンスキー  | ドストエフスキー| | ユング___| | | |
 シェーンベルク   | カフカ_____| | マルクス__  | | |
 ベルク       | ボードレール__| |       | | | |
 ヴァーレーズ    |           | A・フロイト| | |_|
 ウェーベルン    | カフカ、クレー___|_ベンヤミン | |_|  
 ワイル       | ブレヒト____| |    |  |_| 
 アイスラー     | ベケット      | アドルノ__|
540539参考::2010/05/20(木) 00:49:09 P
☆は作品名。( )内は大幅に時代が違うので注意。

参考:
『音楽・メディア論集(1927-68)』p20/『楽興の時(1928-62)』p132,148,158/『キルケゴール(1933)』p42
『新音楽の哲学(1949)』p86,87,112(シェーンベルク),183(ベンヤミン"断片的,カフカ,ジョイス,プルースト"),
 203(ドストエフスキー),210(ムソルグスキー317),227(ユング),232(ショーペンハウアー),
 233(マッハ),247(ストラビンスキー,ニーチェ),251(カフカ),267(印象派),276(ソナタ),277(ヘーゲル)
『In search of Wagner(1952)』,p90(ボードレール),第十章(ショーペンハウアー,ニーチェ)
『不協和音(1956)』p284(ヴァーレーズ,アンナ・フロイト)
『マーラー(1960)』p38(ブルックナー,眺望的連関),p44(ブルックナー),53(フロイト),p90(カフカ),95(ショーペンハウアー),
 129(ソナタ形式),189,196(プルースト,ニーチェ)/『音楽社会学序説(1962)』p335(ベルグソン,ドビュッシー),357(ヘーゲル)
『否定弁証法(1966)』p135(音楽,哲学),21,151,204(ライプニッツ=全体,同一性,統一)
『ベルク(1968)』p251(マックス・エルンスト),254(ワイル),256(ボードレール),258(フロイト的)
『ベンヤミン(1970)』p52(ウェーベルン),108(カフカ,キルケゴール)
『Sound figures(Klangfiguren ,1978)』p104(Webern,Klee,Kafka)
『ベートーヴェン(1993)』p51,96(モーツァルト,ゲーテ),67(カント,へーゲル),102(ヘルダーリン),103(ハムレット,ゲーテ),
 159(ブルックナー,プラトン的)/『否定弁証法講義』p72(ニーチェ)
『道徳哲学講義』p132,252(ベートーベン),264(イプセン『野鴨』=定言命令),181(シラー×)
『アドルノ伝(2003)』p280(ワーグナー),371−2(アイスラー)
*シューベルト「野ばら」「魔王」の元ネタはヘルダーと言われる。
541考える名無しさん:2010/06/04(金) 22:05:13 0
<浅田 ただ、ベートーヴェンといい、シェーンベルクやベルクといっても、文学に対応物
を求めることはできるでしょう。第一のピークである後期ベートーヴェンは、アドルノに
とってヘルダーリンとほぼパラレルなんですね。べートーヴェンの中期までの作品は、闘
争を通じての偉大な勝利という正反合の肯定弁証法の図式に則っていて、それがブルジョ
ワ革命と対応する。しかし、後期の作品になると、そのような弁証法が宙吊りにされ、シ
ンボリックな統一が破綻して、アレゴリカルな断片の散乱したような状態になっていくわ
けで、それはナポレオンの敗北以後の状況と対応している。それは、しかし、後期ベート
ーヴェンを通じてでなくとも、ヘルダーリンを通じて捉えられるわけでしょう。そして、
ある意味でそれに対応するもうひとつのピークがシェーンベルクとそれ以後ということに
なるわけだけれども、それは文学で言うとカフカなりベケットなりで代表されるんでしょ
うからね。>

(浅田彰「アドルノのアクチュアリティ」「批評空間」1997.1より。浅田のはモダンジ
ャズの弁証法に関しても触れており、この共同討議は興味深い。)
542考える名無しさん:2010/06/04(金) 22:14:47 O
アドルノって可愛い顔してるね
543考える名無しさん:2010/06/05(土) 01:15:49 0
ニックネームはテディ
544考える名無しさん:2010/06/09(水) 17:19:33 0
アドルノとポパーの対立について
解説されている本ありましたら教えてください
545考える名無しさん:2010/06/09(水) 17:46:28 0
546考える名無しさん:2010/06/10(木) 00:37:26 0
『社会科学の論理――ドイツ社会学における実証主義論争』(河出書房新社, 1979年)↓よりも
『アドルノ伝』の該当箇所の方がわかりやすいとは思いますが、、、、

書名   :社会科学の論理
副書名  :ドイツ社会学における実証主義論争
著者名  :アドルノ,ポパー/他著 , 城塚登,浜井修,遠藤克彦/訳
出版者  :河出書房新社
出版年  :1992.3
原書名  :Der Positivismusstreit in der deuts
chen Soziologie./の翻訳
目次(BOOK):社会学と経験的研究;社会科学の論理;社会科学の論理によせて;カール・R
.ポパーとテオドール・W.アドルノによる報告をめぐる討論への註解;分析
的科学理論と弁証法;全体的理性の神話;実証主義的に二分割された合理主義
への反論;実証主義の背後に立つのは誰か?;ユルゲン・ハバーマスの経験的
に反証可能な歴史哲学;膨大な序論に対する短いあとがき
要旨(BOOK):自然科学的方法の安易な導入により専門化、個別化した現代社会科学への方法
論的反省を基に、科学的厳密性と方法的客観性を目指す「批判的合理主義」と
弁証法と総体性により社会それ自体を批判する「批判理論」との間で闘わされ
た歴史的大論争の集成と総括。
547考える名無しさん:2010/08/25(水) 04:38:54 0
スレ上げ
548どかん:2010/08/27(金) 01:31:26 P
こういうので今更商売しようとしている人たちの知的誠実さを疑うね。
こんなんもう1970年くらいにとっくに終わった流行ですよ。
もっと正確にいえば戦前の思想。
アドルノ自体は、美学評論家みたいなもんで、戦後も知的スノビズムで
いろいろ書き散らかしたけど、今ではユダヤ系の学生以外では読む人いないね。
学生運動の世代の人たちから見てすでに、過去の思想。思想といえるか思潮くらい。
ホルクハイマーの道具的理性くらいは用語として残ってるけどね。

549どかん:2010/08/27(金) 01:48:49 P
案外知られてないけど、アドルノはヘッセン文部省推薦なんですよ。今も昔も。
そこからして、どういう性質の言説かわかるでしょ?

きみたちは、あわれというか、ミーハーというか、無知というか。
岩波が本出したら、価値があると思とる。雑誌が特集したら、意味があると
思とる。関係ないよ、他に売るものがないから。

いくら売るものがないからいうて、こんな40年も50年も昔の流行り思潮を
押し入れから引っ張り出してこんでも。

ドイツが遠くなるにしたがって、消費される時期も5年遅れくらいから、
50年遅れになっとる。50年いうたら、三昔くらい前、時代背景がまったく違う。
時事評論の類いとしては致命的やろう。

550考える名無しさん
>>548,549
浅薄すぎて呆れた。
こういう輩の存在が、いまだアドルノがどれだけ読まれてないかを証明してるよ。