<厨房による厨房のための哲学教養講座シリーズその1>
[論理形式とは何か]
〜分析哲学はなぜ言語を分析するのか〜
難しいことは分からんけど、まずは2げと
ずさー
3 :
考える名無しさん:02/09/18 19:13
第一章
「言語観の転換はいつ生じたのか」
サナチョバってなんですか?
5 :
考える名無しさん:02/09/19 23:23
1は学ぶものではないな。
下手な騙りは許さないぞ
6 :
謎の覆面仮面 :02/09/30 21:40
>サナチョバってなんですか?
ふふふ
>1は学ぶものではないな。
>下手な騙りは許さないぞ
ふふふ
終了
8 :
Kurihara:02/09/30 22:56
第6章
「真理関数から言語シュピールへ」
あのー、本気で知りたいんですが…
ダメですか?????
10 :
謎の覆面仮面:02/10/01 01:16
>あのー、本気で知りたいんですが…
>ダメですか?????
ひひひ
11 :
謎の覆面仮面:02/10/01 23:02
ひひひ
12 :
考える名無しさん:02/10/04 21:26
ネオ麦きどりかよ…
13 :
謎の覆面仮面:02/10/04 22:41
>ネオ麦きどりかよ…
ひひひ
14 :
謎の覆面仮面 :02/10/12 00:25
さて、みなさまお待たせしました。
厨房による厨房のための哲学教養講座<論理形式とは何か>
の第一回講座のはじまりです。
この講座は、哲学を本格的に学ぶつもりはないけれど、
なんとなく分析哲学系に興味を感じていて、知識として多少の
ことは知っておきたいと思っている哲学初心者さんを対象に、
僕の浅い知識をもとにして、知ったかぶってしまおうという
趣旨のものです。
これから見ていくのはあくまでも分析哲学系の一部ですが、
その主題は、論理形式とはなにかというものです。
分析哲学は言語を分析する。それはなにを目的としたもので、
具体的にはどのようなものなのか。
といったことを学んでいく予定にしています。
ネタ元の中心は飯田隆さんの論文「存在論としての方法としての言語分析」
です。
では学んでいきましょう。
15 :
謎の覆面仮面:02/10/12 00:36
厨房による厨房のための哲学教養講座<論理形式とはなにか>
講義第一回:プラトンの髭
ぱんぱんぱん
とうとつではありますが、
単称名辞(singular term)とは、「フレーゲ」「ラッセル」といった固有名や
「日本の首都」や「アトランタオリンピックグレコノーマン130
キロ銀メダリスト」といった
確定記述句からなる文法的単位のことだそうで、
哲学においては、伝統的に単称名辞は文の主語として、
ある唯一の対象を指し示すと考えられてきた。
つまり、単称名辞の意味とは、その単称名が指し示す対象であるとされて
きた。
例えば、「ボブ・サップ」という固有名の意味を理解するためには、
「ボブ・サップ」という固有名が名指しているものが誰なのか、
を知ればよいということになる。
16 :
謎の覆面仮面:02/10/12 00:39
この考え方はたいへん分かりやすく、またわたしたちの日常的直観にも合致している
のであるりますが、いろいろとやっかいな問題を引き起こす。
というのも、日常的な言語表現では、明らかに存在していないと思われる
<もの>について単称名辞が使われているからである。
では、単称名の意味がその指示対象であるとすると、
単称名が意味をもつなら、かならずその単称名に対応するなんらかの対象が
存在していなければならないということになるのであろうか。
17 :
謎の覆面仮面:02/10/12 00:42
例えば
「ハムレットは実際には存在しない」
という文を考えよう。
この文は有意味でありかつ真であろう。
ハムレットはシュークスピアが書いた小説の登場人物であって、
実際には存在しない。
しかし、ハムレットについて何事かをかたるこの文が有意味であるなら、
この文に登場する固有名「ハムレット」もまた有意味な表現ということに
なるだろう。
とすると固有名の意味がその指示対象であるならば、
固有名「ハムレット」によって名指される何ものかが存在していなければ
ならないことになる。
18 :
謎の覆面仮面:02/10/12 00:43
しかし、この文はハムレットは存在していないと述べているので
ある。
とするとハムレットは存在するのか存在しないのか。
このパズルをクワインはプラトンの髭論法と呼んでいる。
「ないものは、ある意味で、あるのでなければならない。さもなくば、
このないものとは、なんであろうか」
19 :
謎の覆面仮面:02/10/12 00:45
これは一時期のラッセルが主張した論法でもある。
「Aは存在しない」という文についてラッセルは次のように語る。
「『Aは存在しない』は、常に、偽であるかまたは無意味である。なぜならば、
Aが何ものでもないならば、それが存在しないと言うことはできないであろう。
『Aは存在しない』は、その存在が否定されるべき項Aがあることを含意し、
よって、Aは存在する。かくして、『Aは存在しない』が意味のない音声に過ぎないと
言うのでない限り、それは、偽でなければならない。」(飯田隆「言語大全T」)
20 :
謎の覆面仮面:02/10/12 00:48
(ただし、この項Aに含まれるのは、ラッセルの場合単称名に限定されない。
ラッセルの意味での項とは、次のものがすべてが該当する。
「思考の対象となりうるもの、真あるいは偽な命題に出現しうるもの、あるいは
、一つとみなしうるもの」
例えば、ラッセルは「nothing」(無)について次のように悩むことになる。
「空クラス(null-class)、また、一般にnothingという観念には、
重大な困難がつきまとっている。nothingという概念が存在し、
よって、ある意味でnothingがsomethingであること、このことは明らかである。
実際『nothing is not nothing』という命題には、疑いなく、それを
真とするような解釈が可能である」
21 :
謎の覆面仮面:02/10/12 00:50
項の意味はその指示対象であると考えたラッセルは、
その結果クワインが後に「耐えがたいほどの無差別な存在論」
と呼ぶほどの膨大な存在者を背負い込むことになった。
ラッセルは、通常の意味で存在すると考えられている<もの>の他に、
「数、ホメロスに出てくる神々、関係、キマイラ、
四次元空間」などがすべて存在者として含まれる
「極めて充実した宇宙」(ラッセル)
を手にいれることになった。
ちなみに、単称名は、ラッセルのいう項のうちの「一つとみなしうるもの」に
該当する表現になります)
22 :
謎の覆面仮面:02/10/12 00:54
さて話しを単称名辞にもどしましょう。
単称名の意味を、その単称名が名指しているものが、なんであるか
を知ることによって理解しているならば、
わたしたちが知っている単称名はすべて、何らかの意味で
存在しているものを名指していることになる。
このように考えると、
何かあるものについて、それは存在しないと語ることは、
不可避的に、その「何かあるもの」について存在論的にコミットする
ことになる。つまり、その「何かあるもの」が何らかの意味で存在する
ことを認めてしまうことになってしまう。
この問題を論じたクワインの「on what there is」(何が存在するのかについて)
では、ペガサスをめぐる議論が展開されている。
それを次回チョトみていきましょう。
23 :
考える名無しさん:02/10/12 01:00
ていうか、ホームページ作ってリンクだけ示せば?
>>23 おまえ、ウザイな
何か言いたいなら、謎の覆面仮面に絡めよ
出来ない厨房なら黙ってろよ
26 :
謎の覆面仮面 :02/10/13 00:05
>ていうか、ホームページ作ってリンクだけ示せば?
そんな冷たいこというなよ。。(泣
27 :
謎の覆面仮面:02/10/13 00:59
厨房による厨房のための哲学教養講座<論理形式とはなにか>
講義第二回:ペガサスは存在するか マックス篇
ぱんぱんぱん
「ないものは、ある意味で、あるのでなければならない。さもなくば、
このないものとは、なんであろうか」
ああさてさて、
単称名辞の意味を、その指示対象であると考えると、
ある単称名辞について、それが存在しないと語ることができなくなって
しまうように思われるのでした。
28 :
謎の覆面仮面:02/10/13 01:00
この問題を扱ったクワインの「何が存在するのかについて」には、
マックスとワイマンという<架空!>の哲学者たちが登場し、「ペガサス」
(ペガサスは神話上の空を飛ぶ馬のことで、固有名詞。ちなみに外見上似ている
ユニコーンの方は一般名。一般名とは違い、固有名つまり単称名辞は
あるたった一つの個体を指示すると考えられてきた)
という固有名をめぐって奇妙な議論を展開する。
29 :
謎の覆面仮面:02/10/13 01:04
今、あなたが「ペガサスは存在しない」と主張したとしましょう。
さて、そのとき、あなたは、「ペガサスは存在しない」ということにによって、
<なに>について語ったことになるのだろうか。
単純に答えるならば、「ペガサスについて」ということになるだろう。
しかし、あなたは、ペガサスは存在しないと主張しているのである。
どうして、存在しないものについて、何かを語ることができるのだろうか。
もしペガサスが存在しないのならば、ペガサスという固有名は何も指示していない
無意味な表現ということになるのではないだろうか。
しかし「ペガサスは存在しない」という表現は無意味ではない。
よってペガサスは存在すると考えるほかはない。
これがマックスの言い分である。
30 :
謎の覆面仮面:02/10/13 01:07
しかし、そう主張するマックスもペガサスが、血と肉を備えた天馬として、
時空のどこかで飛びまわっているとまではさすがに主張しない。
では、ペガサスは存在すると主張するマックスは、ペガサスがどこに存在
していると考えているのだろうか。
「心の中の観念」とマックスは答える。
しかし、ここには混乱がある。
31 :
謎の覆面仮面:02/10/13 01:11
というのも、ペガサスは存在しないと語る人は、おそらく心の中の観念の話しとして、
ペガサスが存在しないと主張しているのではないだろうからである。
誰かが「ペガサスは存在しない」と主張し、それに対してマックスが
(ペガサスという心の観念について)「ペガサスは存在する」と反論したとして、
表現上では議論が成立しているように見えても、これでは話しがかみ合っているとはい
えないだろう。
32 :
ぺん(ぺん):02/10/13 10:37
>>謎の覆面仮面
面白そうですね、がんばって下さい。
33 :
謎の覆面仮面:02/10/14 03:54
>>>謎の覆面仮面
>面白そうですね、がんばって下さい。
ひひひ
34 :
謎の覆面仮面:02/10/14 04:09
厨房による厨房のための哲学教養講座<論理形式とはなにか>
講義第二回:ペガサスは存在するか マックス篇
ということで前回の続きです。
結局、心の中の観念を持ち出すことによってマックスはいたずらに混乱を招いただけだった
としてクワインはマックスを退場させてしまうのだが、
ペガサスは心の観念として存在するというマックスの主張は単に混乱を引き起こした
だけだろうか。
チョト考えてみましょう。
35 :
謎の覆面仮面:02/10/14 04:15
「ペガサス」という存在しなものの固有名を含む文がなにゆえに意味をも
ちうるのか、という疑問にマックスは一つの解答を与える。
「ペガサスは存在しない」が有意味な文である以上、この文に登場する固有名「ペガサス」
も意味を持つ。
固有名の意味がその指示対象であるとするならば、「ペガサス」は何ものか
を指し示しているのなければならないことになる。
だか「ペガサス」は何を指し示しているのか。
この問いに、心の観念と答えることは、必ずしも不当な回答とはいえないと思う。
それに、「ペガサスは存在しない」と主張する人々と、「ペガサスは存在
する」と主張するマックスの間にある混乱も見かけ上のものであって、
十分調整可能である。
マックスは、あくまでも心の中の観念としてペガサスは存在していると主張
しているのであり、それゆえ、街の中をうろついている猫のように、血と肉
を備えた生物として存在していると主張しているわけではない。
よって「ペガサスは存在しない」と主張する人たちも、マックスの言い分を
受け入れて、
「心の中以外のどこにもペガサスは存在しない」と修正するならば、
マックスもその主張に同意することができるはずである。
36 :
謎の覆面仮面:02/10/14 04:24
マックス説を採用するならば、「ペガサス」は心の中のある観念を指し示している
ということになり、固有名の意味はその指示対象であるという考えに添っているし、
「ペガサスは存在しない」という主張とも(この主張は別に心の中の観念についての主張ではない
のだから)矛盾しない。
このようにマックスは指示対象をもたない固有名がもたらすパズルをうまく解くことが
できたように思われる。
しかし本当にうまい解答になっているだろうか。
37 :
Kurihara:02/10/14 04:53
実在はその概念を保証するが、その逆は成りたたない、
つまり、概念はその実在を必ずしも保証しない、
ということですかね。
机という実在物はそこから、机の概念をつくることを
許容しますが、ペガサスという概念から、その実在を
直接語ることは許容されませんからね。
38 :
謎の覆面仮面:02/10/14 05:12
>実在はその概念を保証するが、その逆は成りたたない、
>つまり、概念はその実在を必ずしも保証しない、
>ということですかね。
そうでしょうね。
しかし、ここで問題になっているのは、実在しないものの名前が
意味をもつのはなぜかということなのでしょう。
>机という実在物はそこから、机の概念をつくることを
>許容しますが、ペガサスという概念から、その実在を
>直接語ることは許容されませんからね。
しかしなぜペガサスは意味をもつのかというのがここでの謎なわけです。
39 :
謎の覆面仮面:02/10/14 05:26
私の心の中にはペガサスの観念が存在し、固有名「ペガサス」は
この観念(イメージ)を指し示しているのである。
私は自分の心をの中をのぞきこむことによって、「ペガサス」の意味をしることが
できる。
でもチョト考えると、この発想はかなり問題のあるものだと分かってくる。
ペガサスは固有名であり、固有名はあるたった一つの個体を指し示すと考えられている。
いま私がある人とペガサスについて会話をしているとしましょう。
そのとき、私の心の中にあるペガサスの観念(イメージ)とあなたの心の中にある
ペガサスの観念は、同じ観念なのだろうか。
しかし困ったことに同じかどうかを比較するすべがない。
相手の心の中を覗き込むことが出来ない上、相手のペガサスの観念がいかなる
ものか確認のしようがない。
とすると、私と相手の人とでは、同じペガサスについて会話をしているのか
別々のペガサスについて会話をしているのか判然としない
40 :
謎の覆面仮面:02/10/14 05:31
それだけではない。私が昨日心の中に抱いたペガサスの観念と
今日抱いているペガサスの観念が同じ観念だったどうかも確認できない。
確認するためには自分の記憶にたよるほかはないが、果たして記憶はどこまで
信頼できるのだろうか。ましてや一年前に心の中に抱いたペガサスの観念と
今日の心の中のペガサスの観念とが同じかどうかなどとても比較などできない
だろう。
すると、私は日ごとに別個のペガサスについて語っていることになるのだろうか。
41 :
謎の覆面仮面:02/10/14 05:34
それだけではない。
単称名辞には固有名と確定記述句が含まれることは前に説明しましたが、
次のような文を考えて見ましょう。
「国会議事堂のあの四角い丸屋根は存在しない」
もちろんそんなものは存在しない。しかしこの文はおそらく有意味な文だと
思われる。とすると、マックス理論によれば、「国会議事堂のあの四角い丸屋根」
という単称名辞が意味をもつのは、それに対応するある心の観念を指し示しているからだとなる。
しかし、四角い丸屋根の観念とはいったどんな観念なんだろうか。
それは四角くかつ丸くなければならないだろう。
そんな屋根をもった国会議事堂を心の中に抱くことができるのだろうか。
私にはとても出来そうにない。
42 :
謎の覆面仮面:02/10/14 05:35
どうも指示対象をもたないと思われる単称名の問題を
心の観念を持ち出すことによって解決しようとするのは、かえって別の問題を
生み出すだけのようですね。
ここはやはりクワインにならって、マックスに退出してもらったほうがよさそう
だ。
ということでマックス君、さようなら。
43 :
Kurihara:02/10/14 05:39
>>38 ペガサスに意味があるのは、それが主に「馬」と家族的類似性の
うちにあるからだと思います。
ペガサスという概念は、馬のからだを持ち、鳥の羽を持もつなにものかを
指示していますが、馬の体や鳥の羽自体は確たる指示対象をもつ普通のものですね。
そこにペガサスが有意味でありうる秘密があると思います。
44 :
Kurihara:02/10/14 05:46
ちなみに、ペガサスとは「固有名」ではなく、
「一般名」ではないでしょうか。
45 :
謎の覆面仮面:02/10/14 06:10
>ペガサスに意味があるのは、それが主に「馬」と家族的類似性の
>うちにあるからだと思います。
>ペガサスという概念は、馬のからだを持ち、鳥の羽を持もつなにものかを
>指示していますが、馬の体や鳥の羽自体は確たる指示対象をもつ普通のものですね。
>そこにペガサスが有意味でありうる秘密があると思います
すでに指示対象をもつもののあつまりがペガサスというもので、
だからペガサスは意味をもちうるということなんですね。
ということはどういうことは、ペガサスは個々の指示対象をもつ
記述に分解できるということですか。
いい線をいっているかもしれません。
46 :
謎の覆面仮面:02/10/14 06:14
>ちなみに、ペガサスとは「固有名」ではなく、
>「一般名」ではないでしょうか。
「ペガサス」は固有名で、「ユニコーン」の方は一般名になります。
ペガサスはギリシャ神話に登場しているらしい。
47 :
謎の覆面仮面:02/10/14 06:23
厨房による厨房のための哲学教養講座<論理形式とはなにか>
講義第三回:ペガサスは存在するか ワイマン篇
ぱんぱんぱん
ここで、混乱をもたらしたマックスにかわって、「より緻密な精神」の持ち主である
ワイマンが登場する。
ワイマンは、マックスとは異なり、ペガサスは存在しないが、
ペガサスは現実化されていない可能者として存立すると主張する。
通常の「存在」という言葉に対して、ワイマンは「存在」と「存立」という
表現を使いわける。
48 :
謎の覆面仮面:02/10/14 06:33
ワイマンの分析によれば、ペガサスは存在しないと主張する人たちがその表現で
言わんとしていることは、
正確にはペガサスは現実性という特殊な性質をもっていない、ということなのだという。
パルテノン神殿が赤くない、つまり「赤い」という性質をもっていないのと同じように
ペガサスは現実化していない、つまり「現実的」という性質をもっていない。
「赤い」という性質をもったり、もたなかったりするものがあるのと同じように、
「現実的」という性質をもったり、もたなかったりするものがあるのだというのが
ワイマン理論である。
49 :
謎の覆面仮面:02/10/14 06:36
ボブ・サップなど「現実性」をもっているもの、つまり現実化されている
ものについてワイマンは「存在する」と表現し、
ペガサスなど「現実性」をもっていない、つまり現実化されていない可能者
については「存立する」と表現する。
こうすることで、ワイマンはペガサスは存在しないと主張する人たちと歩調を合わせる
ことができるようになる。
いかにも、ペガサスは存在しない、しかし存立するのだ、
というわけである。
50 :
謎の覆面仮面:02/10/14 06:40
ワイマン理論の言葉を使えば、普通の人が現実化されたものだけを存在者と認めるのに
対して、ワイマンはそれにプラスして現実化されていない可能者までも認める。
こうすれば、なぜ「ペガサスは存在しない」という表現が意味をもつのかを
説明することができる。
固有名「ペガサス」は現実化されていないある可能者を指示しているのだと
主張するわけである。
51 :
謎の覆面仮面:02/10/14 06:41
現実化されていないある可能者という存在者を認めることによって、
ワイマンは、ペガサスがどこに存在するのかという問いについてもうまく
かわすことができる。
<どこ>と、時空を指定できるのは、現実化しているものに対してだけであって、
27の立方根が存在するというときに、べつに27の立方根が時空のどこに
存在するかについていう必要がないのと似たように、
現実化されていない可能者は、時空的存在者ではないのだから、どこにという問いに
答える必要はないのだと。
52 :
謎の覆面仮面:02/10/14 06:43
このようなワイマン理論に対して、クワインは現実化されていない可能者などを
認めると、現実化されていない不可能者まで認めることにならないだろうかと
問いかける。
53 :
謎の覆面仮面:02/10/14 06:45
よろしいワイマン君。ペガサスは可能者として存在することを認めよう。
だとすると、われわれはまた不可能者というものをも認めることになってしまわない
だろうか。というのは、われわれは「国会議事堂のあの四角い丸屋根は存在しない」
と有意味に語ることができるように思われるからだ。
ワイマン理論によれば、有意味である以上やはり「国会議事堂のあの四角い
丸屋根」という現実化されていない可能者が存在するということになるだろう。
54 :
謎の覆面仮面:02/10/14 06:46
しかし、四角くかつ丸い屋根というものは可能者とはいえまい。
よって、ワイマン宇宙には、現実化されたものと現実化されていない可能者と
ともに現実化されていない不可能者までが住まうことになるだろう。
なんとも贅沢な宇宙ではないか。
55 :
謎の覆面仮面:02/10/14 06:48
四角い丸屋根なるものがなりたつとすると、
それは丸い屋根であるから、
四角い丸屋根は丸い は真である。
またそれは四角い屋根でもあるから、丸くない。よって
四角い丸屋根は丸くない も真である。
とすると、
四角い丸屋根は丸くかつ丸くないが成り立つことになり、
これは矛盾である。
現実者と可能者と不可能者が住まうワイマン宇宙には、矛盾律が
なりたたないのだろうか。
しかし、このようなクワインの追及に対して、ワイマンは次のように応じる。
56 :
謎の覆面仮面:02/10/14 06:51
仰るとおり、四角い丸屋根は矛盾した表現である。そして矛盾した表現は
意味を持たないのだ。よって、「国会議事堂のあの四角い丸屋根は存在しない」
という表現は無意味な表現なのである。
ワイマン宇宙に不可能者なる不埒ものが住まうことはないのだ。
57 :
考える名無しさん:02/10/14 06:52
スマリヤンの本に「四角い丸屋根」を現実化する話が載ってて
すげー、おもしろかったんだけど、一口に言えねー。
58 :
謎の覆面仮面:02/10/14 07:05
>スマリヤンの本に「四角い丸屋根」を現実化する話が載ってて
>すげー、おもしろかったんだけど、一口に言えねー。
面白そう。なんて本なの?
59 :
考える名無しさん:02/10/14 07:14
お話のなかでは「四角い丸」とか「丸い三角」だったと思う。
『哲学ファンタジー』か『タオは笑っている』のどっちか。
たぶん前者。
60 :
謎の覆面仮面:02/10/14 07:19
ありがと。
スマリヤンは
61 :
考える名無しさん:02/10/14 07:20
いきなりすみません。スレ違いかもしれませんが、演繹的に考えるとは
どうゆうことでしょうか?
62 :
考える名無しさん:02/10/14 07:22
他にも「人間に自由意志があるかどうか、神様と議論」するエピソードとか。
たしか元プリンストンの数理論理学教授。一癖も二癖もある。
63 :
Kurihara:02/10/14 20:19
ペガサスではないけど、子供に「火星人」について
のイメージ(概念)を問い、それを絵に書かせるという実験が
かつてあったそうです。その結果子供たちは、十中八九、あの
おなじみの「タコの絵」を書いたそうです。
このことは、未知のあるいは想像の生き物を現実に指示されうる
生き物と全く切り放して思い描くことが、人の知能にとって
いかに難しいかということを示していると思います。
64 :
考える名無しさん:02/10/14 20:37
>>63 子供は出題者の(勝手な)意図を読み切れなかった、
だけではないの?
65 :
Kurihara:02/10/14 21:11
>>64 出題者は子供はおそらくタコみたいな絵を
書くだろうな、と思っていたはずですよ。
実験の意図は「火星人=タコみたいなもの」
という固定観念から、どれだけ子供の想像力が
自由かを測定することにあったわけですから。
66 :
謎の覆面仮面:02/10/15 21:23
>演繹的に考えるとはどうゆうことでしょうか?
すでにわかっている事柄からその中にすでにふくまれていることを
導き出すような考え方のことなんじゃない。
例えば、
人間はすべて死ぬ
俺は人間だ
ということが分かっているときに、
じゃ俺もいつか死ぬんだな、と考えたら
演繹的に考えたということ。
演繹的推論の場合は、
前提が真なら結論もかならず真になっちゃう。
67 :
考える名無しさん:02/10/15 21:28
高橋先生のこと?
68 :
謎の覆面仮面:02/10/15 21:29
火星人といえば、昔オールソン・ウェルズがアメリカのラジオ番組で
火星大戦争だかなんだかの小説を、ドラマとして放送したら、
聞いていた人たちが本当に火星人が攻めて来たとおもって
パニックになったそうな。
69 :
考える名無しさん:02/10/15 21:33
>>65 言いたかったのは、子供たちが「タコみたいなもの」は
想像上の火星人と了解していたのかな?ってことです。
70 :
考える名無しさん:02/10/15 21:54
>>68 それをきっかけに、ニュース番組の放送コードは一般の
番組より厳しくなった。
71 :
謎の覆面仮面:02/10/15 23:31
>それをきっかけに、ニュース番組の放送コードは一般の
>番組より厳しくなった。
マジですか。
そういえば、TBSで筑紫哲也が、エイプリルフールのときに、
宇宙人とアメリカの大統領が会談をしましたみたいなニュースを
流したそうで、それをみた視聴者から放送後電話で文句をいわれていたのを
なんかの番組で見たことがある。
視聴者:「テレビみていてびっくりして、ブランコからおちたじゃないか!」
筑紫:「家の中にブランコがあるんですか?」
みたいなドキュソな会話をしていたような。
72 :
考える名無しさん:02/10/16 01:57
BBCで毎年エイプリルフールにウソドキュメントやるね。
「すでに地球を見限った権力者たちが、極秘で巨大スペースコロニー建造中!」
みたいなの。
それを陰謀史観さんやオカルトさんたちが、ウソってことにほかむりして
ネタにする。
オカ板や宗教板(の一部)では、手堅い科学解説書やまともな哲学書が
トンデモ本あつかいされていて、思わず眼を疑います。
73 :
謎の覆面仮面 :02/10/16 21:44
ひひひ
74 :
謎の覆面仮面:02/10/16 21:51
ということで
厨房による厨房のための哲学教養講座
三章 ペガサスは存在するか ワイマン篇
のつづきです。
ワイマンは矛盾は意味をもたないという説をとることによって、ワイマン宇宙に矛盾を
持ちこむことを防ぐのだが、その代償としてワイマン宇宙では、背理法が無意味な証明法と
なってしまうのである。
背理法は、ある命題を偽と仮定すると、そこから矛盾が導出されることを
示すことによって、その仮定が真であることを証明する証明法で、
数学や論理学においてきわめて重要なものである。
もし矛盾した表現が無意味であるとすると、
背理法の証明プロセスが無意味なものとなってしまう。
一体背理法を禁じてにしてまで、現実化されていない可能者なるものを
守らなければならないメリットがあるのだろうか。
そんなことをするより、別のアイディアを探求すべきであろう。
どうやら、ワイマンにも退場してもらわなければならないようです。
ということでワイマン君、さようなら。
75 :
ぺん(ぺん):02/10/17 11:13
>>謎の覆面仮面さん
背理法を禁じ手にした論理として、直観主義論理がありますが
直観主義論理の意味論的モデルはどのようなものなのでしょうか?
(たしか、ノイマンが量子力学の解釈として直観主義論理を押していたと
聞いていますけど)
そのモデルは、可能世界意味論とは構造的類似性は何かあるのでしょうか、
それとも、全く関係ないものなのでしょうか?
厨房な質問ですみません。
>厨房な質問ですみません。
ぺん(ぺん)さん、いけませんねえ。
質問の内容が難しすぎますよ。
直観主義の意味論的モデルは、戸田さんの「論理学を作る」にのってますが、
チョトみたところ、標準論理の真・偽という意味論的概念のかわりに
証明可能という概念を使うようですね。
例えば
A∨B なら Aが証明可能かBが証明可能 という感じで。
でAが証明されたならば Aを知っていると表現する。
で知識状態σというものを想定して、時間軸にそって知識が
増大していくと考えていく。
初期状態をσ0として、時間にそってσ1、σ2・・・と知識状態が変化していく。
ですでに知った知識は忘れないで次の知識状態に引き継がれるという
理想化をほどこす。
知識状態σi、σjの前後関係を≦で示して、σiの後の知識状態がσjなら、
σi≦σjみたいな感じになる。
σiで知られている命題Aは理想化により、その後の知識状態σjでも知られることになる。
んで、Sにおける各知識状態の順序関係を<で表して、
知識状態の初期状態σ0、知識状態の集合S,Sにおける各知識状態間の順序構造
<をつかって、(σ0、S,<)をモデル構造mとする。
時間進行→
σ1
/
σ0
\
σ2―σ3
みたいのがモデル構造m
で、あるモデル構造mにおける知識状態の集合Sについて、
Sの各知識状態σxで知られている原子式の集合をV(σx)で表す。
その上で、⊥を次のように定義する。
σx⊥A⇔A∈V(σx)
感じとしては、ある時点の知識状態σxで原子式Aが知られているならば、
AはV(σx)の要素であるということ。
で、そのm、V、⊥からなる、(m、v、⊥)をモデルMと呼ぶと。
もうわけわかめになってきたらかやめるね。
厨房による厨房のための哲学教養講座
講義第4回 ペガサスは存在するか マイノング篇
単称名の意味はその指示対象であるとすると
非存在者の名前をどう考えればいいのかという問題に直面する。
「ペガサスは存在しない」は有意味で真な文と考えられる。
しかし、ペガサスが存在しないならば、固有名「ペガサス」はなにものも
指示しない無意味な表現となるはずである。
「ペガサス」が無意味な表現であるならば、
「ペガサスは存在しない」もまた無意味な表現となってしまうだろう。
よって整合的に考えるならば、ペガサスは存在するとせざるをえないはずだ。
こうしてマックスは、「心の中の観念」説を。
ワイマンは、現実化していない可能者説を唱えることになった。
しかし、どの解答も問題を抱え、満足のいくものではなかった。
ところで、マックスもワイマンもクワインが作り出した架空の(しかし、
やはりマックスもワイマンもある意味で存在することになるのだろうか!)
哲学者たちであったが、今度は架空ではなく実在した哲学者に登場してもら
うことにしましよう。
ラッセルと同時代の哲学者 アレクシス・マイノングである。
http://mally.stanford.edu/meinong.html
マイノングは、文法的に正しい指示句はみな、ある対象を指示していると
主張する。
しかし、例えば「ペガサス」という指示句の指示対象などは存在しないでは
ないか、という指摘には、それは存在しないある対象を指示していると答
える。
存在するものも、存在しなものも、みな対象なのだ、というのがマイノングの主張である。
マイノングは「全てのものは存在する」という正統的な存在論を否定し、
「存在しないものがある」という独自の道を切り開く。
このマイノングと激突したのがラッセルであった。
よろしいマイノング君。
一歩譲って、「ペガサス」は存在しない対象を指示することを認めるとしよう。
では、「存在するあの黄金の山」という確定記述句についてはどうだろう。
黄金の山などは現実には存在しない。よって「存在するあの黄金の山」も
存在しない。
しかし文法的に正しい指示句はある対象を指示するという君の説をとるならば、
「存在するあの黄金の山」という確定記述句はある対象を指示せねばなるまい。
それは当然、存在するあの黄金の山を指示することになる。
とすると、「存在するあの黄金の山」は存在しないかつ存在する、ということになる。
これは矛盾である。
君のように、文法的に正しければどんな記述句でも、対象として認めるような無責任な
態度をとるならば、「四角い丸屋根」や「丸い三角」といった無数の矛盾した対象を
作り出してしまうことになるだろう。
私はそんな不当なことを認めるはできない。
このような批判にたいして、マイノングはすすんで矛盾を引きうける。
ワイマンが矛盾した表現は無意味であるといって矛盾した対象を拒否したのに
対し、マイノングは勇敢にも矛盾した対象を認める立場を取る。
矛盾律は存在する対象にのみ当てはまる法則であって、あらゆる
対象に適用できるわけではない、と主張するのである。
しかし、矛盾律を適用できる対象と、適用外の対象からなるワイマン理論が
依拠する論理がいかなるものになるのかはっきりしない。
矛盾律がなりたたない、かつ実用に耐えうる論理を具体的に提示するという
困難な道を歩むよりも、我々は別の道を模索することにしましょう。
厨房による厨房のための哲学教養講座
講義第五回 矛盾
ところでワイマンやマイノングのところで矛盾についての話がでてきまし
たが、そもそも矛盾とは何んなんでしょうか。
日常的には、相手の言い分がおかしいときに、お前の言っていることは
矛盾しているという言い方をしたりするので、世間的には「間違っているこ
と」=「矛盾」ということになっているかもしれませんが、
論理学的には矛盾はきちんと定義されています。
ある命題Aについて、AとAでないがともに成り立つことを矛盾と呼ぶことに
なっています。つまり「AかつAでない」が矛盾になります。
一方矛盾律とは、矛盾がなりたたないことを要求する規則ですから、
「いかなる命題Aについても、AかつAでないということはない」というものになります。
標準論理学では、矛盾律は公理として認められています。
では、矛盾律を破るとどういった問題が起こるのでしょうか。
矛盾がなりたつとするとなにか不都合なことでもあるのでしょうか。
この問いに論理学的には簡単に答えることができます。
論理体系に矛盾が認められると、そこから任意の命題が導出されてしまうから
ということになります。
つまり、矛盾した体系はつかいものにならない。
さて、では具体的にどのように矛盾から任意の命題が導出されるのでしょうか。
チョトみておきましょう。
標準の命題論理では、
次の推論規則が認められています。
∨導入:∨は「または」と通常呼ぶのですが、
これは、ある任意の真な命題pがあるとき、そこに真でも偽でもいいので
すが任意の命題qをもってきて、p∨qをつくってよいというものです
例えば、イチローはメジャーリーガーである、という真な命題から、
例えば、山田君のおじいちゃんは空を飛ぶ、という偽な命題をもってきて
イチローはメジャーリーガーであるかまたは、山田君のおじいちゃんは空を飛ぶ
という真なる命題を作りだすことができる。
これは「∨」(または)の真理条件をみればわかるのですが、
p∨q という命題は、「∨」で結びつけた二つの命題p、qのうちどちらかが
真であれば、全体で真と解釈されます。
両方とも真の場合も、全体で真。
とすると、すでに真と分かっている命題pがある場合、
それに任意の命題qを持ってきて、p∨qをつくればかならずp∨qという
命題は真になることがわかります。
またp∨qが真であるとき、その∨の真理条件から、
pかqの少なくともどちらかが真であるということがわかるので
もしpが真ではない(偽である)ことがわかったときは、
qが真であることが自動的に判明します。
つまり、
p∨qと
〜p(「〜」は否定を表す:〜p=pではない=pは偽である)
から
q(qが真)を導出することができるわけです。
この推論を
選言三段論法と呼びます。
例えば、今太郎か次郎のどちらかが犯人であることがわかっているとき、
つまり、太郎が犯人かまたは次郎が犯人である が真なとき、
次郎が犯人ではないことが分かったとすれば、
自動的に太郎が犯人だとわかます。これが選言三段論法ということになります。
またp∧qから
pを導出することも、あるいは
qを導出することもできます。
こちらは「∧」(「かつ」と呼ぶ)の真理条件を見ればわかります。
p∧qの真理条件は、pとqがともに真である場合にかぎって、真になります。
ということは、p∧qが真であることが分かっているときは、
pとqがともに真であることが分かるので、
p∧qから、それぞれ、pあるいはqを導出ことができるわけです。
こちらを∧除去と呼びます。
具体例としては、
今山田と島田がともにいぼ痔であることが分かっているとすると、
つまり、山田はいぼ痔でありかつ島田はいぼ痔である が真なとき、
そこから、
山田、おまえいぼ痔じゃんということが指摘できるし、
また
島田、おまえもいぼ痔かい!と指摘できる。
これが∧除去になります。
さて、∨導入、∧除去、選言三段論法という推論規則をつかって
矛盾から任意の命題が導出される証明をみておきましょう。
前提p∧〜p(pかつpではない:矛盾)
@p (前提から∧除去)
A〜p (前提から∧除去)
Bp∨q (@と∨導入)
Cq (AとBで選言三段論法)
矛盾した命題p∨〜pから任意の命題qが導出されたわけです。
任意の命題が導出できるということは、その体系からはどんな
命題でも証明できてしまうということですから、その体系は使いものになりません
さて、あと論理学の主な接続詞として、ならば「⊃」があるので、
これも簡単にみておきましょう。
A⊃B(AならばB)の真理条件は次のようになります。
@AとBがともに真なとき、A⊃Bは真
AAが真でBが偽なとき、 A⊃Bは偽
BAが偽でBが真なとき、 A⊃Bは真
CAとBがともに偽なとき A⊃Bは真
「⊃」(ならば)の前にくる命題のことを前件、後ろにくる命題のことを後件と
よぶことになっている。
結局A⊃Bは、前件が偽で、後件が真の場合(Aの場合)に限って全体で偽となる
ことがわかる。
具体的にいうと、
明日晴れるならば運動会がひらかれる・・・A
という命題Aがあったとき、
晴れたにもかかわらず運動会が開かれなかった場合、Aは偽となる。
それ以外の場合は、例えば雨がふっているのに、運動会が開かれた場合も、
Aは真と解釈される。
>>95 訂正
結局A⊃Bは、前件が偽で、後件が真の場合(Aの場合)に限って全体で偽となる
ことがわかる。
↓
結局A⊃Bは、前件が真で、後件が偽の場合(Aの場合)に限って全体で
偽となることがわかる。
さて、A⊃Bの真理条件がそうだとすると、次のことがいえるはずである。
つまり、A⊃Bは、前件が真(Aが真)で後件が真(Bが偽)の場合に
かぎって、全体として偽となる。
それ以外の場合は、A⊃Bは真になる。
ということは、つまり、後件が真なときには、前件が真であろうが偽であろうが
A⊃Bは真となる。
だとすれば、
今真だとわかっている命題Pがあった場合、
それを後件にもってきて、任意の命題Q(真でも儀でもよい)を前件に
おいたQ⊃Pはかならず真になる。
>>98訂正
つまり、A⊃Bは、前件が真(Aが真)で後件が真(Bが偽)の場合に
↓
つまり、A⊃Bは、前件が真(Aが真)で後件が偽(Bが偽)の場合に
具体的には、イチローは日本人である、
という命題が真であると分かっているとすると、
そこから、任意の命題、例えば2+3=9をもってきて、
2+3=9ならばイチローは日本人でである・・・B
という真な命題Bを作りだすことができる。
もちろん、2+3=9は偽である。しかし後件が真なので、Bは真な命題と解釈されるのである。
なんでもよい。
真なる命題Pがあったときに、その命題とは内容上なんの関係のない任意の命題Qを前件に
もってきてQ⊃Pという真な命題を作り出すことが可能である。
あるいは、偽なる命題pがあったとき、それと任意の命題qで
p⊃qという命題をつくればそれはかならず真となる。
このような操作に違和感を感じることを、関連性の違和感の問題と呼ぶ。
その主な理由は、「ならば」の前件と後件には内容的な結びつきがあるべきだと
考えるところからくる。
このような観点から論理を構築しよういうものに、関連論理学という論理がある。
関連論理学によれば、PならばQがなりたつためには、PとQの間に内容的関連が
必要であるということになる。
さらに、
〜pと
p∨qから
qを導きだす選言三段論法についても、
次のような理由から禁じてとする。
真なる命題pから任意の命題qをもってきて
p∨qを作るということは、
p∨qを主張する根拠がpにあるということであるが、
その場合、pが偽であることを知ることは、
そこからqを導出することを可能にするどころか、
そもそも「p∨q」を主張するための保証を切り崩すことに
なる。
さて、このような関連論理学を導入すると、体系に矛盾を認めても、
そこから任意の命題を導出することを防ぐことができる。
前提p∧〜p(pかつpではない:矛盾)
@p (前提から∧除去)
A〜p (前提から∧除去)
Bp∨q (@と∨導入)
Cq (AとBと選言三段論法)
の証明過程のCが成立しなくなるからである。
(関連論理によれば、∨導入は、「∨」を真理関数的(外延的)に解したとき
に妥当であり、
選言三段論法は、「∨」を内包的(内容の関連を要求する)に解した場合
に妥当とということになり、@〜Cの推論は、「∨」の意味を真理関数的
と内包的の多義的に扱っており、多義性の誤謬を犯しているということになる)
ここから、ある命題定項P0に関してP0∧〜P0が定理であるような
ラウトリー、メイヤーの弁証法論理学の体系DLなどが展開されうる(三浦俊彦)という。
(といってもどんなのかさぱーりわかりませんが)
実はこのラウトリー、メイヤーはともにマイノング主義者なのである。
このラウトリーらの弁証論理学の体系について三浦は次のように指摘している
(ラウトリーら弁証論理学者が仮定するP0∧〜P0のような具体例が現実に
成り立っているという証拠をわれわれはこれまでに一つも見出していないと
いうことだ。むしろわれわれは、何が起ころうとも、それを論理的矛盾の
具体例とはみなすまいとする強い傾向、というより定義を持っている。
とくに日常生活のレベルにおける巨視的出来事においてはそうである。
矛盾は事実に起こる現象の性質ではなく、言葉の形態である。とすれば、
矛盾が現実に生起しない以上(中略)そこからの破滅的帰結を避けようとする関連論理の
動機はうしなわれてもよい・・・・・)
さて、チョト脱線してしまいましたが、ふたたびプラトンの髭問題に戻ることにしましょう。
単称名(固有名と確定記述句からなる)の意味はその指示対象であるとされており、
決まったある一つの対象を指示すると考えられている。
すると非存在者の名前をどう考えればいいのかという問題に直面する。
「ペガサスは存在しない」は有意味で真な文である。
であるなら、「ペガサス」は何ものかを指示していることになるだろう。
だとするならば、ペガサスは存在するのか存在しないのか。
「ないものは、ある意味で、あるのでなければならない。さもなくば、
このないものとは、なんであろうか」
というプラトンの髭論法にはまった、マックス、ワイマン、マイノングらは
その結果、現実化されない可能者や矛盾した対象といった奇妙な存在者を
認めることとなった。
プラトンの髭は存在者を増加させるのである。
さて、そろそろ伸びきった髭をスパットそり落とす番ですね。
エレガンスとはいえないプラトンの髭をオッカムの剃刀で綺麗にそりおとす
ことにしましょう。
108 :
謎の厨房仮面:02/10/18 23:44
ということで、
厨房による厨房のための哲学教養講座
第一部 「プラトンの髭」 終了です。
つかれますた。
109 :
謎の厨房仮面:02/10/18 23:49
一応参考文献(ネタもと)
ペガサスの話しはクワインの「何があるのかについて」(「論理的観点から」
に収録)
クワインの解説書としては丹治春信の「クワイン」、
(ペガサス問題もわかりやすくのってる。)
ラッセルについては飯田隆の「言語大全T」
マイノングに関して、「言語大全T」には次の記述がある。
「ひょっとすると、マイノングに関して、「丸い四角が存在するなどという、
ばかげたことを唱えた一種の変人哲学者」といったイメージを持っている人
がいまでもいるかもしれないが、
110 :
謎の厨房仮面:02/10/18 23:51
これは大間違いである。ラッセルは、「表示について」でマイノングの理論
を批判した後でもかれの仕事を高く評価している。また、そこでのラッセル
による批判が最終的なものではないことも付け加えておかねればならない。
このことは、最近の哲学の中でのマイノング復興の動きからも明らかである」
この現代のマイノング主義者の中でも最も洗練された議論を展開していると
いうパーソンズの理論については、
関連論理学の話しとともに、三浦俊彦の「虚構世界の存在論」
ただし厨房的にいって難しい。
111 :
Kurihara:02/10/19 02:11
弁証論理学って弁証法のことですかね。
弁証法とはその発生の動機に、「死の問題」を
抱えています。生の現実性が死の可能性をはらむ
という存在構造を人はもってますよね。
つまり、「人間存在=生の現実性+死の可能性」として、
人は疑似的矛盾存在を抱えていて、そこに弁証法は
実質的に準拠しています。弁証法がその論理的破綻にも
かかわらず根強く生きつづけるのは、人間が不老不死
ではないからだと思いますね。
112 :
ぺん(ぺん):02/10/19 22:32
>>謎の厨房仮面さん
面白い講義、ご苦労様です。
ところで、直観主義論理の意味論モデルとしては
クリプキ・モデルというのが定番のようですね。
いやー、こんな初歩的なことも知らなかったです(汗
可能世界意味論において、
到達可能世界の個体領域は常に増加するという条件を付加したものと、
構造的に類似していると言えそうですね。
113 :
謎の厨房仮面:02/10/20 11:18
>弁証論理学って弁証法のことですかね。
ええそうです。弁証法論理学の書き間違いで。。
>弁証法とはその発生の動機に、「死の問題」を
>抱えています。生の現実性が死の可能性をはらむ
>という存在構造を人はもってますよね。
>つまり、「人間存在=生の現実性+死の可能性」として、
>人は疑似的矛盾存在を抱えていて、そこに弁証法は
>実質的に準拠しています。
そうなんですか。
弁証法論理学って確かヘーゲルが考案したんですよね。
ヘーゲルをチョト読んだことありますけど、
あれは駄目ですね。
もう難解というかなんというか。
さっぱり頭にはいってきませんでしたよ。
114 :
謎の厨房仮面:02/10/20 11:28
>面白い講義、ご苦労様です。
ひひひ。
>ところで、直観主義論理の意味論モデルとしては
>クリプキ・モデルというのが定番のようですね。
クリプキは高校生のときに可能世界の意味論モデルもつくってるんです
よねえ。いやはや。
>可能世界意味論において、
>到達可能世界の個体領域は常に増加するという条件を付加したものと、
>構造的に類似していると言えそうですね。
なるほど。
一つの知識状態を、一つの可能世界と見るということですか。
115 :
考える名無しさん:02/10/20 20:08
ひとりでよく出来ました。
よほど孤立した環境にあるんだね
117 :
考える名無しさん:02/10/21 09:21
単なるコピーだし、受け売り。
118 :
考える名無しさん:02/10/21 15:49
ウリウリ
終了だな
120 :
謎の厨房仮面:02/10/27 04:19
厨房による厨房のための哲学教養講座
第2部 オッカムの剃刀編
ひひひ
>>112 >到達可能世界の個体領域は常に増加するという条件を付加したものと、
>構造的に類似していると言えそうですね。
っていうか、S4 のモデルに、個体領域は常に増加するという条件を付加したもの
そのものなんですが(笑)
ゲーデルの続きやろうよ。
122 :
考える名無しさん:
直観主義論理のモデルには、可能世界意味論を用いるものの他に
ハイティング代数を使ったものもあるよ。
>>75 >たしか、ノイマンが量子力学の解釈として直観主義論理を押していたと
量子論理ではなくて?