1 :
movie ◆cE1UBsKI :
よく人には『自由の裏には責任がある』と言われますが、
裏に責任が降りかかってくる自由は【自由】ではないでしょう。
ホッブズが言った『万人による闘争状態』こそが【本当の自由】なのではないでしょうか?
なんでもありで、その行為による責任を一切負う必要の無いことが『自由』だと思うけど
どうでしょうか?
自由=無法地帯かよ(><)
やっとたどり着いた民主主義はどうなんねん!
3 :
考える名無しさん:02/09/17 22:43
でも、そういう自由というのは理性や自制心が全くないようですが?
けだものみたい。
生命は生まれたときから共存を武器としてるのに。
そんな自由ありえへん(><)
5 :
movie ◆cE1UBsKI :02/09/17 22:46
本当の自由ってのは非常に生きにくいものだから
今ある自由の概念はある程度社会に適応させた
概念なんじゃないかと思います。
6 :
考える名無しさん:02/09/17 22:46
仏教徒には自由の上に自在が在る。
7 :
考える名無しさん:02/09/17 23:09
本当の自由とは
何にも拘らない事です。
8 :
考える名無しさん:02/09/17 23:15
自らの心の命ずるままに生きるのが自由だよ。
ただ、自分の心が本当に何を命じているのか、
そして、どうすればそれに沿うことになるのか、
理解してる人は少ないけれど。
9 :
考える名無しさん:02/09/17 23:16
自由=死
だと今は思っている。
1 0
自由
自分の能力を思う存分発揮できるのが自由だよ
12 :
movie ◆cE1UBsKI :02/09/18 01:56
では1で言っていることが自由の定義でいいようですね
いくないよ
右手が不自由なとき、左手も不自由。
15 :
考える名無しさん:02/09/18 02:27
「責任」という言葉をもう少し考えるべきかなと思う
飯を食わない自由は、その後に腹が減るという責任があるから自由でない?
「責任」じゃなくて、
「義務(=責務・拘束性)」だろ、自由と一体なのは。
自由と責任という対は、なんかクサイクサイ!!
義務と責任って何が違うの?
18 :
考える名無しさん:02/09/18 19:52
>>16 責務・拘束性が付いてくる自由なんて
本当の自由じゃないって言ってるだろ
お前ヴァカ?
つまり、自由に車を走らせて、人を何人撥ねようが、
他の人が後始末をしてくれて、当人には何の義務も責任も無い、
これが本当の自由だと?
20 :
考える名無しさん:02/09/18 20:53
>1の論理には半分の真実しかない。
>19のように復讐や闘争もありうるのがホッブス。それではうまくいかないと
考えるのが「夜警国家論」なり、「国家・社会主義」なりで、
うまくいくかも?いや、いくに違いない!というのが「神の見えざる手論」とか「無政府主義」。
国家や社会の体制や階級秩序も最後には無に帰す、というのが「マルクス主義」。
さあ、政治学板へGO。
つうか、社会の存在を是認するかどうかで、
この議論の方向性は根本的に変わると思うんだが、
カントでも読めば?
自由と言うのは束縛されてはじめて自由を感じる。
ただなんの制約も無い中では自由など感じないはず。
つまり自由とは不自由なもの。
24 :
考える名無しさん:02/09/18 21:13
うん。政治学はSMっぽくてちょっとエロス。
25 :
考える名無しさん:02/09/19 22:52
オナーニする自由があればいいじゃない?
ちょっと足りない
自由てなによ、どんな意味なの。
それを明確にしないと哲学にふさわしくない。
いろいろな意味があると思うけど、自由は行為や意志のありように関わっていて、
自分がなしたいことをなせる、できることと思うけどね。
そこから派生して、自分だけ自由にするやつをわがままと呼ぶんだろうけど
わがままと自由の意味を取り違えては行けない
集団全体の自由を増やすことがそのまんま個人の自由
freeもlibertyも”制限に関する概念”だよ。
libertyは制限から”免れて”いること。
freeは制限が”解除”されていること。
(free=只の、気前のいい、暇な)
つーか、ホッブズは『万人による(万人に対する)闘争状態』から脱却する
ための方法論として、当時の絶体王政を擁護した人じゃなかったっけか?
1はホッブズの思想を誤解してる。
『万人による(万人に対する)闘争状態』的な自由は、少数の強者がのさばる
世界にほかならず、大多数の人間にとっては不自由な世界である、とされる。
自由=自らを由とすること、というわけで孔子の仁と同じですね。
自らが主体となって事をするのが自由。周りに流されるのは自由でない。
ごめん、ちょっと上の補足。
つまり、一見不自由に見えても、『北斗の拳』や『マッドマックス』
みたいな世界に住みたいか? っていうこと。
33 :
考える名無しさん:02/09/20 02:35
>31みたいな精神の平穏っぽいのが哲学的な自由だと思う。
一方、政治学では自由意志というのは権力の行使に他ならない。
あ、権力というのは、誰かに何かの行為を強制できることだから、単なる暴力だけじゃない。魅力や才能も、知識や技術も権力だ。
34 :
movie ◆cE1UBsKI :02/09/20 04:26
つまり、北斗の拳のような無政府状態を、
自由と呼ぶのかどうかが問題なんだな。
知識があいまいで申し訳ないんだけど、
政治学・哲学では、確か「自由」っていうのは所有権とか生存権とか、
そういう概念と不可分なもののはず。
1の言ってるのは、かなり形而上学的な、政治理論とは全然関係ない次元
だと思うんだけど、
たとえばテロリストを国家権力で取り締まるっていうのも、自由の権利の
行使の一つだからね。
義務や責任のないところに自由があるっていうのは、最初から論理として
破綻してるんだよ。
おなかが空くのがいやだからって、食べ物があるのに餓死を選ぶようなもん。
>>1 >よく人には『自由の裏には責任がある』と言われますが、
>裏に責任が降りかかってくる自由は【自由】ではないでしょう。
それは「自由」ではなく「権利」だと思うんだよね。
もし何の責任も無い自由があるなら、そこには秩序や理性は無いだろうね。
その「自由」の定義は僕たちの社会には当てはめられないと思う。
39 :
考える名無しさん:02/09/22 19:09
歴史的に「自由」は勝ち取って得たという経緯がある
責任のない自由なんてありえるとしたら「やるかやられるか」の世界
自由ってのはいわば、なんら外的圧力・束縛が働かない状況。(と俺は解釈。)
自由は無所属概念だと思う。
平和的自由もあれば、逆に略奪的自由もある。
単一的というか、一者限定則といった感じがする。
結果、二者間で相互衝突も在り得る世界だ。
良くも悪くも「無秩序」な世界だろう。
権利ってのはいわば、社会的圧力・束縛により異自由間の調節を働かせる物。(と俺は解釈。)
社会的善により行使されるモノ、一般善に所属する概念だと思う。
良くも悪くも「秩序的」な世界だろう。
但し、権利は二者間での調整則だから、権利判断にはその判断責任が同時に生じる。
というか、生じてくれなければ、二者間の均衡を崩す事になり、無秩序に発展する。
これは権利原義の秩序性に反する事だから絶対条件だ。
と、思うなぁ。
『銃夢』という漫画を読むと、
自由とは無所属であることではなくて、
自分で自分の舵をとる(とれる)ことだ、とある。
(旧シリーズ第6巻参照)
いきなり、自由とはと考えず
まず、不自由なこととは何か、から
考えていくほうが、いいとおもう
不自由の捕集合が必ず自由になると仮定すればそうかもしれない。
44 :
movie ◆cE1UBsKI :02/09/27 17:01
したいことができれば自由
ほんとに「したいこと」であればの話だけど
自由と対なのは普通に不自由じゃない?責任も義務も不自由じゃないかな?
ちなみに>>9の自由=死っていうのはなんとなくある。
でも死んだらどうなるか分からないから保留。
死や生すら無いのは自由か、
現実社会のみに考えるのなら俺は場違い。
でも哲学って現実社会とはあんま関係ないと思う。
ちなみにわたくし哲学に関しちゃド素人。ごめんあそばせ。
1に戻るよ
現実社会と哲学は関係ないってどういう意味?
>でも哲学って現実社会とはあんま関係ないと思う。
>ちなみにわたくし哲学に関しちゃド素人。ごめんあそばせ。
後の行の認識があって、前の行の判断がなぜできるのか。
責任というと、ママに怒られるとか。おまわりさんに捕まるとか。
そんなことしか考えないんでしょ。
コンビニで立ち読みするのは自由だと思って何時間でも床に座ってエロ本読んでるんでしょ。
それに対して誰も怒らないから責任をおってないつもり?
コンビニの店員さんはアンタのこと「うぜ〜」と思ってるのよ。
うぜ〜って思うのも自由だからね。
立ち読みの自由は店員さんにうざがられるとという責任を負ってるわけ。
気付いて欲しいのは、
自由に何かする。→誰かに影響が出る。→責任が生じる
という事。
関係ね〜なんて言えるのは社会性のないどきゅんさんだよ?
関係ね〜なんて言っても積り積れば誰からも相手にされなくなるしね
自由と責任の関係を否定するつもりはないが、
「自由は店員さんにうざがられるとという責任」
ってなんか変なような。
53 :
考える名無しさん:02/10/27 02:03
自由って自律じゃない?自己立法。
オナーニしたいけど、それをやめられる精神を持つ人が本当の自由をもつ。
本能のまま生きてるヤシは、オナーニしたくなったらせざるを得ないけど、
自律ができてる人間は、オナーニするかしないかという二つの状態を選ぶことができる。
前者より後者の方が人生における選択肢が多い、すなわち、より自由である。
したいからといってなんでもする奴は欲望の奴隷。
56 :
考える名無しさん:02/10/27 02:43
自分が自由である事は他人の自由を認められないと
生きている間の自由がどんなものなのか自分なりに解釈出来ない気がするね。
死はある意味自分のみの自由が得られるかもね。無だから。
でも死んだ事がないからわからないけど。
誰もが自由を求めている。
楽に成りたいという気持ちが在るはず。(疲れたら寝るでしょう?)
本当の自由は「意識が無い状態」のことでは?無意識?
58 :
考える名無しさん:02/10/27 02:55
束縛からの解放。
よく人には『自由の裏には責任がある』と言われますが、
裏に責任が降りかかってくる自由は【自由】ではないでしょう。
ホッブズが言った『万人による闘争状態』こそが【本当の自由】なのではないでしょうか?
なんでもありで、その行為による責任を一切負う必要の無いことが『自由』だと思うけど
どうでしょうか?
俺が言いたいのはこの『自由』こそが本当の自由であって、君たちの言っている自由
(この裏には責任がある)というのは、『僕のいう自由』を認めると社会が混乱するから
認めているだけである、といいたいのです。
そして、俺は『僕のいう自由』を今の社会に適用することは考えていません。
しかし、『本当の自由』は俺の言っている「ホッブズが言った『万人による闘争状態』こそ
が【本当の自由】なのではないでしょうか?
なんでもありで、その行為による責任を一切負う必要の無いことが『自由』だと思うけど
どうでしょうか? 」
という自由がやっぱり本物の自由なんじゃないか?ということです。
どうでしょうか?
責任が裏にくっ付いてくる自由ってのは本当に自由でしょうか?
(この問いはあくまでも観念の中ですよ)
60 :
考える名無しさん:02/10/27 04:22
>>59 たとえば、
>>53(
>>55もかな?カントっぽい自由)は社会なんて考えてないけど、
自分自身に対して責任を負ってるよね。
「自分を律しなければ自由でなくなる」という形で。
こういうのは
>>1の定義的にも自由に入っちゃうのかな?
ぱっと見
>>1と対立しそうで、かつ、説得力はあると思うんだが。
61 :
考える名無しさん:02/10/27 04:22
では、“何でもありでその行為による責任を一切負う必要がない”と
いう観念で生きている人の“自由”とは?
それも知りたい。
62 :
考える名無しさん:02/10/27 04:31
律するか、欺いてるだけ。
63 :
考える名無しさん:02/10/27 05:43
死
>>59 「その行為による責任を負うことが一切無い」というのは、
例えば、時速二百キロで車を飛ばしてガードレールにぶつかっても死なないとか、
ビルから飛び降りても死なないとか、そういうことですか?
65 :
考える名無しさん:02/10/27 20:31
問題の整理中
俺の言ってる責任とかの定義が曖昧だってことに気づいたよ
・・自由を二項対立で考えると
@ある枠内においての自由(こちらが制度内における自由)・・責任を伴う自由
Aある枠外においての自由(こちらが制度外における自由)・・責任を伴わない自由
となると思う
そして、ここで問題なのは制度という言葉だと思われ
制度、枠などというのは種類が存在するから
例えば、国家という制度の枠内・枠外、生きているという枠内(生)・枠外(死)
集団における枠内・枠外、個人における枠内・枠外などとたくさんあることがわかる。
また、集団における枠内と個人における枠内は対立する
よって、どの観点(国家という観点、生きているという観点など)において
自由について論じているかによって自由の定義も変わると考えることができる
また、包括的な観点からの自由についても
何をもってして(どの観点から、例えば人類、地球、他の生命体など)、包括的なものとするかによって定義もかわってくる。
まとめとして
@ある枠内においての自由(こちらが制度内における自由)は存在するが
Aある枠外においての自由(こちらが制度外における自由)は存在しないことになる
簡単に述べると
自由というのは、先に規制が存在し、その後に規制の中における自由が存在する
と考えている
さてどうか?
その規制(規律)を自ら決め、それに従う、
自らに由する(従う)というのが自由なんでないの。
69 :
考える名無しさん:02/10/28 01:08
1さんが言ってるのは、自然状態下での何でもありの自由が、
言ってみれば最善の自由であり、
他の自由は最善ではない、まぁそれなりの自由であるってことですよね。
ここで問題になるのは、なぜ
責任を負わないで済む=最善
という図式が成り立つのか、ということだと思います。
もし実際に自然状態下にあって、泥沼化した私讐の交換を経験した人がいたとすれば、
その人は間違いなく国家という強制秩序の中での制約された(=責任を負う)自由を欲するでしょう。
欲する自由の形態が人それぞれである以上、
絶対的な「本当の」自由というものは規定し得ないと思ってしまうのですが。
なにをもって自由とするか?
「公園内で自由に遊んでな〜」
これは自由か?
71 :
考える名無しさん:02/10/28 15:52
範囲や時間や規定その他もろもろの囲いのなかでのみ
自由が意識されるのでは?
元々なーにもない場合自由の事すらわからない。
上記の公園の話もしかり。
公園の中という範囲の中のみ自由だから。
72 :
サッカー選手:02/10/28 21:24
手ぇ使えないのは不自由だなー。よし!ゴールまで抱えて持ってっちゃお。
焼肉
それは、ジュ〜
ミックス
それは、
自由酢
おまいら俺を馬鹿にしてるだろ
79 :
考える名無しさん:02/10/29 01:49
『本当の自由とは』というテーマで大学のレポート出すことに
しました。
その先生は講義で『カルト宗教設立マニュアル』というテーマで
怪しい講義をしてる変人です。
いつも半袖短パンでサンダル。
のくせに実は医者という理解不能な人物です。
この怪しい教授に出すレポートに協力したい人はいますか?
[email protected] 当方20の法学部生です
みんなの意見を繋ぎ合わせて怪しいレポートを書きたいですw
教授からのコメントもここにアップする予定ですw
自由ありません
ここに、産み落とされたのは、自分の意思では、ありません
根からの自由はありません
自由というものが、あればそれを自由だと呼ぶ事さえなくなるでしょう
自由がないから、欲望的に、それがほしいと自由という言葉を叫んでいるだけです
自由を感じることのできる方法を
ひとつ知っております
マラソンでございます
ただただ走るのでございます
折り返しをすぎたあたりで脳内翼が
背中に生えます
自由をかんじるのであります
マラソンをする理由は?
自由を感じるためにマラソンするの?
やっぱり自由はないよ
だって、マラソンする足は2本、目は2つ
だいたい、なんで人は複雑なの?
私は、生きている。ではなくて生かされている。
複雑だからこそ、幸があるんだろうとは思うけれど、一緒に苦もついてくるなら
こんな、肉体の塊など、いらない。
でも、すべてを、終わりにする勇気もない。
本当に、ただ、生かされているだけ
やることが無くて、何をしようか迷っている状態。
86 :
考える名無しさん:02/10/29 05:22
幻冬舎
>>84 ヒューマンさまは脳が劣化されているようです
右脳と小脳が大変なことになっております
病院へいくことをおすすめします
88 :
考える名無しさん:02/10/29 07:48
なにも考えずに生きる事が自由だ。
あれこれ、考えた時点で自由ではなくなる。
そもそも、生物には生きる自由は与えられていない。
89 :
考える名無しさん:02/10/29 07:50
生まれてくる自由もな
91 :
考える名無しさん:02/10/29 13:12
すべての行動が自由、でも全ての行為の結果の責任をとることも含む。
92 :
考える名無しさん:02/10/29 14:23
自由っていう概念が生まれたとき不自由って概念も生まれちゃったんだなー。
93 :
考える名無しさん:02/10/29 15:05
自由学園の生徒たちは、本当に自由なのか ききたい・・・
>>93 無視することが当人にとって意味があるのならば、それは一つの自由だろうね。
何の意味も無いのに、責任をとるのが気に食わないという
反抗心だけで無視するとしたら、その人は、感情の奴隷だね。
96 :
考える名無しさん:02/10/30 01:16
だから・・・冪(べき)を読めるヤシ、哲学板にはほとんどいないってば。
冪(おおい)を埋めるってどういうことだ?
100 :
考える名無しさん:02/10/30 21:18
冪って累乗の事?
^
102 :
考える名無しさん:02/11/01 23:40
自由とは不自由を意識しながらも
無責任にできる範囲で行動する事だと思うです。
不自由だと思ってるときが一番自由じゃないのかなあ。。
「不自由」と意識しない時が自由なのでは?
104 :
考える名無しさん:02/11/01 23:51
>>104 奴隷になりたいと言う意思があっるのなら、
あるいは、「奴隷になること」が最終的な目的ならば、
「奴隷になること」自体は、一つの「自由」だろうね。
>>99 まず、現実が与えられたとして、
それを包む可能性の冪(おおい)を考える。
そしてそれを再び現実に埋め込もうとがんばるのだ。
冪を埋め込めるDomainは規定され得ないので、
この埋め込みはDomainを生み出す。これこそが、自由。
検証する暇など無いのだ。
逃げる行為。
>>106 こういうのも、弁証法に入るのかな?
対立はしてないよな・・・
109 :
考える名無しさん:02/11/03 00:18
自分が自由かどうか分からない=自由は自分とは関係ない
>>80 >『本当の自由とは』というテーマで大学のレポート出すことに
>しました。
題だけ先生に伝えて、レポートを出さない。
完璧じゃないか!!
それで単位がもらえればいいし、もらえなくても、それも「自由」だ。
俺、なにか変なこと言ってる?
本当にしたいことができたらもう自由でいいよ
>>80 110だけど。まじめな話。
『本当の自由とは』という題のレポートで、
>『万人による闘争状態』こそが【本当の自由】
って、マジ?
日本の戦後はなんだったんだ......
闘争しない自由は?
114 :
考える名無しさん:02/11/03 23:27
>>112 69が言っている通り、「本当の」自由というものを規定しない限りは、
【本当の自由】はなにか、という根元的な議論は成立し得ない。
自然状態=「万人の万人に対する闘争」といったのはホッブズだが、
同じ自然状態でもロックはもう少し性善説的な状態をイメージしている。
結局は思想家の数だけ自由観があるのであり、
>『万人による闘争状態』こそが【本当の自由】
というのは、せいぜい
>『万人による闘争状態』こそが【本当の自由】、 という人もいる。
くらいにしか言えないのではないか。
もちろん日本の戦後民主主義こそ真の自由の体現だ、と言う人もいるだろうね。
115 :
考える名無しさん:02/11/04 00:17
>114
つまるところ、
・「本当の自由」が存在しない以上、これについての根本的な議論をしても無駄。
・人の数だけ真実はある。
ということでしょうか?
選択の自由って嘘臭いよね
制限をなくせば自由になるっていうのは、小学生レベルの発想だな。
一部のコストを負担することで、より多くの幸福を得ること、
一時的な不自由に耐えることで、継続的な自由を得ること。
社会っていうのは、そういうもんだろ。
>>117 いや、処世術としてはそれでいいのかも知らんが、
それを真の自由とは呼べないだろう。
実践的には、それでいいんだけどね。
自由は、やはり実践を超えねば。
周りがどうあろうと自分を確立できてること
「外部的な制約が無いこと」は「与えられた環境としての自由」ではあるけれど、
「精神の自由」はそういった外因と無関係に存在するのでは?
自由という言葉は、自らを由とする。だと理解してます。
「由とする」とは拠り所とする。つまり、自分自身を拠り所とするのが自由です。
神でも、親でも社会でもなく、自分自身を拠り所として行動する。
ですから、基本的には人間はみな自由なのだと思います。
しかし、自分自身を拠り所とする以上、なにかをした結果もまた自分自身が拠り所になります。
自分自身の食欲を拠り所にして大食いすれば、当然に太る。
太ったという結果の拠り所は、やはり自分自身であり、その責任は自分自身以外に無いわけです。
自由とは「なにをしてもいい」では決して無いと思います。
「なにをしてもいい」というのは「自らを由とする」に対する第三者の見解であって
行動を起こす主体である「自ら」は当然にその結果に対して責任が生じるものだと思います。
結果を自分が負わなければならないから、「してはいけない」ということにはならないだろう。
「結果を自分が負う」というのは、「結果が自分に及ぶ」という意味しかない。
泥臭い社会規約は、「真の自由」が何であるかわかる前には、
際持ち込むな。
「自由」は、接地したら死ぬ。
では、一つ錨を降ろしておこう。
自由も、ランダムも、そのインスタンスは、もはや自由ではないし、
ランダムではない。
自由(や、ランダム)を論ずるとき、この点を決して忘れてはならない。
126 :
考える名無しさん:02/11/06 23:10
確かハイエクが自由の概念分析をしていた
そこでハイエクは「外的強制のない状態」を自由と定義していたと思う
何が本物で何が偽物かを正しく判断する基準が絶対的なものとして存在するのでなければ
要は定義の問題だろう
127 :
考える名無しさん:02/11/06 23:22
金があって頭が良ければ、基本的に自由だろう。
128 :
考える名無しさん:02/11/06 23:24
行為する原因に対して無意識であれば、その人は
自由ではない。しかし行為する原因に対して意識を
持てば、それを行わない事も出来る故に自由である。
つまり完全に意識出来る対象に対してのみ、自由意志
は完全に肯定される。その対象とは唯一、自らの思考
である。
129 :
考える名無しさん:02/11/06 23:30
「のみ」「唯一」という表現に、不自由を感じる。
130 :
考える名無しさん:02/11/06 23:33
×原因
○衝動、動機
131 :
考える名無しさん:02/11/06 23:34
>>129 そう。それ以外の領域では完全に自由では
ありえない。
132 :
考える名無しさん:02/11/06 23:38
>>128 >しかし行為する原因に対して意識を
>持てば、それを行わない事も出来る故に自由である。
一つの行為の原因は一つではなく、無数にある。
その無数の原因を全て意識することは不可能である。
故に自由は無い、という結論でいいの?
133 :
考える名無しさん:02/11/06 23:39
>>129 例えば身体の不自由は避けられない。
それと、
>>129氏は不自由を「感じている」
時点で、氏の発言に対して自由ではあり得ない。
つまり何故不自由であるかの原因を突き止める
為に思考しなければならない。
134 :
考える名無しさん:02/11/06 23:40
「完全な自由」「本当の自由」って矛盾してますよね
135 :
考える名無しさん:02/11/06 23:40
>>132 そう。自分の思考以外に対してはそうなる。
136 :
考える名無しさん:02/11/06 23:43
>>135 自分の思考(なぜ自分がそう考えるようになったのか)の原因も
無数にあると思うけど、違うの?
137 :
考える名無しさん:02/11/06 23:49
もう一度訂正する。
×原因
○動機、衝動
138 :
考える名無しさん:02/11/06 23:53
>>137 あなたは自分の思考の全てが意識的な領域で形作られていると思うの?
俺は無意識的衝動が思考に与える影響は大きいと思うのだが。
死
140 :
考える名無しさん:02/11/07 00:05
確かに思考が主観的な感情などから束縛されると
良く言われるが、例えばピタゴラスの定理等の概念が、
思考の中で感情によって束縛されうるだろうか?
ごめん明日仕事早いので寝ます。
141 :
考える名無しさん:02/11/07 00:08
142 :
考える名無しさん:02/11/07 00:23
>>1 「自由」の定義だね。
「自由」を「好き勝手」としたら、ホッブスの定義になるね。
社会というのを頭に入れて考えれば、違う定義になる。
>>134 そう。たとえば、自由からも自由であろうとすると・・・
だから、「自由」には「拘束が無いこと」と「自分に従って行動すること」の
二種類の意味があるんであって、二つを混同するとわけがわからなくなるのでは?
>>144 その二つの自由を別け隔てるには、
させられていることと、そうでないこととの区別ができることが
前提となりますが、それをアプリオリとするなら、
端からこの問題自体が生じなくなってしまいます。
146 :
考える名無しさん:02/11/08 01:30
そもそも思考さえも自由でないのだとしたら、
我々は自由な立場で自由について問いかける
事が出来てるいるのかも疑問になる。
147 :
考える名無しさん:02/11/08 01:34
つまり、やはりこの問題もデカルトの
あの有名な定理に繋がる。
>>146 その逆の方が、はるかに面白い。
すなわち、
思考が自由でないのだとしたら、
我々は「われわれの思考は運命付けられている」
と結論できないように運命付けられているかもしれない。
螺旋蒼月って哲学板の住人だったのか。
>>145 「させられている」ことに絶対に気づかないとしたら、
それは、「させられてる」ことになるのでしょうか?
151 :
考える名無しさん:02/11/09 01:41
>>148 つまり「自由を欲する事からは自由になれない」って
結論にしたいのかな?
しかしそれに気付くことによって、自由の欲求そのものは
無軌道で際限が無く、他の欲求、例えば食欲等と変わる事がない
事にも気付く。
我々は食欲という欲求を意識する事によって、食欲を満たす為に
生きているのではなく、生きるために食欲が我々に食べる事を欲求
させてくれている事を理解し始める。
そしてより良く生きるためには、いざと成ればその食欲さえも
抑えなければならない事も理解し始める。
しかし感覚だけで生きている人間は、自分は食うために生きている
と感じ、ひたすら食う。食欲を満たす事=絶対だと思っている故だ。
自由の欲求も、我々が真理を認識する為に仕えている。
しかし自由の欲求もほったらかしにすると無軌道で際限がない。
故に自由がただの欲求だと気付かない人は究極の自由=真理だと
勘違いする。
それに気付けば我々の思考は自由を欲する事からも自由になる
事が出来る。
そういやスピノザの主張にあったね
世界は全て神の手によって決定されている
ただその決定された中の我々人間の自由の解釈だけが自由なのである
間違ってたらゴメソ
153 :
考える名無しさん:02/11/09 05:53
自由は気の持ちようというのが
今のところ俺の結論
サルトルがなんか言ってたよね
自由は爆発
>>151 そうではない。自由とは、経験的に把握できるものではない、ということだ。
経験を超えて自己の同一性を確信し、それにより何かを名指すのならば、
どれほど神や法則に縛られようとも、自由でしかいられない。
この離断が無ければ、責任は局在しない。
離断があることにより、責任が局在し得るし、それは、継承されたり、
放棄されたりする。
彼方の苦痛の責任は私にあり、
私の苦痛の責任が、過去の自分にある。
自由とは束縛から解放された状態をさす。
自由に本当も嘘もないと思うが。
例えば、人間は煩う意識から解放されるために哲学をする。
自由になるために哲学をする。
159 :
考える名無しさん:02/12/04 04:16
どうして手足が2本なんだって、それが自分なんだから当たり前だろ?
嫌なら自力で手足を生やせ。
160 :
カナダの人:02/12/04 04:23
自由という言葉定義がいつ生まれたかがこの答えを導くのではないだろうか?
みんなの言う自由の定義はすばらしいものだと思う。しかし、「自由」と
いう人類歴史上に浮かぶ生成された時点当時の叫びを通り越し、本来の「自由」
の示すものよりもはるかに理想的ですばらしいものをみんな想像しているとも
感じる。それはいいことだと思う。ただ、進化をするためには里程標が必要だ。
「自由」の意味を制限された内容に定義し、そこから先を別の言葉で広げて行っては
どうだろう?
161 :
サンザンクロス:02/12/04 17:00
自由という言葉の起源は、人はやがて死ぬという事実からだと思われる。
死とは束縛である。人間は有限ではなく無限でありたいと本能的に望む。
その無限でありたいとする願望が、理想として「自由」という言葉を生み出した。
ここでいう自由は「本来的(真)な自由」という意味である。つまり形而上学的な自由。
眠いから寝る、食べたいから食べる。これは煩悩に支配されている状態であって、
自由とは勿論違う。レスで多数の方がすでに語られている通り「束縛のない状態」、
これをひとまず自由として、「ではそのような自由とはどういう状態か(人間にとって)」
又は「どうあるべきか」などと問い始めるのであったはずである。
必要最小限の前置きで、結論。
1は正しい。1に「その通り!おめでとう」と言っておく。
自由が、どういう状態か?などと問いただしても、無駄である。
人から束縛が外れるのは「死」しかない。死を肯定する立場に立てば(又は到達するとすれば)
答えは単純に「自由とは死」であるとできるが、もともとが死は束縛なはずである、
という所から全ては発生しているため(悟りによって死を肯定し得るという結論の存在の有無はここでは問わないとして)
1と同様、その見地からいくと、自由は、人が「理想として創り出したまではいいが、
あれこれ探して、結局存在しなかった」そのようなもの、とでも言えようか。
つまりここれ1の言葉を借りるとポッブスの『万人による闘争状態』が自由である条件を満たしていて、
人間が求める(目指す)形では「自由」という状態は、無かった。ということになる。
なので自由を目指すのではなく、道徳的・倫理的に価値のある束縛(責任)があってこそ
ひとまず最高の状態として(仕方なく)、自由という言葉の追求は姿を変化して、
本来的に人間の目指した方向性をこのまま継承して問うことをしていくべきである。
ご意見があればどうぞ。(初レス)
162 :
考える名無しさん:02/12/04 17:09
163 :
名無しのルサンチマン:02/12/04 18:17
>>30 30よ、言わせてもらうが、お主のホッブズ解釈も間違ってるぞ。
別にホッブズは絶対王政を擁護しようとは思っていない。
ホッブズの目的は絶対王政であれ、民主主義であれ、
どんな政体でも国家が国民を支配するロジックを作ったことにある。
自然状態は、ホッブズが想定した【自由】の解釈が含まれている。
何をしても咎められないことでは
>>1のいっている通りである。
さらに、自然状態の中では、みんな平等で、常に殺される可能性がある。
ケンシロウみたいな人物も自然状態の中では、
いつでも、寝ているときでも、よってたかって嬲り殺される可能性は常にある。
そういう意味では、強者も弱者もない。
164 :
考える名無しさん:02/12/05 03:54
「責任を伴わない行動の自由」というものは、この世には存在しない。
因果律に縛られたこの世では、何か行動を起こせば、その結果が良かろうと
悪かろうと、また行動者が結果を気にしようと気にしまいと、結果に対する責任が発生する。
存在するのは「どのような行動を選択するかの自由」のみである。
選択した行動の結果発生した責任は、実行した行動に対するものであり、
「選択の自由」という行為に対するものではない。
また「選択の自由」は如何なる外的要因にも制約を受けることはないので、
(外的要因に反応して自らの心が制約を作り出すことはあり得るが)
これこそが「本当の自由」と呼ぶに値するのではないだろうか。
自由の概念には二つある。
ひとつはホッブズ的な『拘束が無いことこそが自由である』という立場。
もうひとつはロック的な『理性的意思で自らを律することこそが自由』という立場。
167 :
考える名無しさん:02/12/13 21:19
内心の自由というが、大多数の人間は社会に気兼ねして思索しているもんだ。
我々が住んでいる世界は本当に自由な発想で物事を考えられるような社会にはなっていない。
ポップズのような偉大な思想家が生まれたのも、徐々に教会の権威が崩壊して、自由に物事を考えられる隙間が生まれたからだろう。
(といっても、同時代のデカルトや後のカントも社会的圧力に負けて結構変節しているが)
168 :
考える名無しさん:02/12/14 18:04
>>166 ホッブズとロックはそんなこと言ってるように思えんが。
169 :
考える名無しさん:02/12/15 22:28
自然状態では人間は「万人の万人に対する戦い」に陥る。>ホッブズ
自由な状態でも、人間は理性的で自然法に従う。>ロック
「あいつらはバカだから縛り付けろ」=ホッブズ
「別に大丈夫だから解放しよう」=ロック
1はある意味、自分がバカだと言ってるような物。
170 :
名無しのルサンチマン:02/12/17 15:11
>>166 ホッブズの自由の定義
「外的障害の不在」
『リヴァイアサン』13章参照
『拘束が無いことこそが自由である』と言ってもよい。
171 :
考える名無しさん:02/12/17 15:15
自由そのものは相当恐ろしい。漏らしそうになる。
172 :
名無しのルサンチマン:02/12/17 15:15
『拘束が無いことこそが自由である』>選択の自由
『理性的意思で自らを律することこそが自由』>意志の自由
173 :
考える名無しさん:02/12/17 15:17
そう考えると、自由に生きてない人をみても、そうやすやす非難できるものでもない。
174 :
考える名無しさん:02/12/17 15:20
自由そのものはウロボトス的なものをくぐり抜けなくてはならない。
漏らしそうになる。172はポスト・ウロボトスの話である。
だから、怖くない。
175 :
名無しのルサンチマン:02/12/17 15:25
「ウロボトス的」て何?
176 :
考える名無しさん:02/12/17 15:32
蛇が自分のしっぽをくわえている状況。
はらむものとはらまれるものが一体化している未分化な状況のこと。
177 :
考える名無しさん:02/12/17 15:38
>176
そりゃウロボロス
178 :
名無しのルサンチマン:02/12/17 15:40
まあ、「選択の自由」とか「意志の自由」とか言うが、実際のところ無意味な定義に過ぎない。
「自由」の本質はいまだ分からない。
179 :
考える名無しさん:02/12/17 15:41
それは失礼
180 :
考える名無しさん:02/12/17 15:47
177さん失礼しました。
176に関しては同感です。だいたい「自由」の本質は「わけわからん」と
思ったのです。「わけわからん」から恐怖のアホになる、よってチビル
を導いたのです。
181 :
考える名無しさん:02/12/17 15:58
なるほど。自由はわけわかんない。パラドクスもあるだろうし。
「選択の自由」とか「意志の自由」は、「自由の定義」じゃなくて、
「自由」概念を「選択」「意志」といった特定の事柄について、
適用しようとしてるだけなんじゃないの?
183 :
名無しのルサンチマン:02/12/17 16:04
「自由の定義」というのは確かに言いすぎだ。
184 :
考える名無しさん:02/12/17 16:15
>182でも、自由の恐ろしさを自覚したというポーズだけでもとっておかないと、
攻撃されると思う。「私は自由とやらで、お漏らししました。でも、諦めず
に、「自由」概念をわかりやすいところに絞って、がんばってます。よろし
く。」という態度をうかがわせないと、倫理的にやられると思ったのです。
自由に関してチビラないのは、どこか自由についての対決を避けている
と攻撃されると思われる。
185 :
考える名無しさん:02/12/17 16:22
いやいや、実はビショビショにちびったことはある。
未だに、ブリーフのシミがとれないんだ。
186 :
考える名無しさん:02/12/17 16:24
でも、2ちゃんねるごときでマジになりすぎだよ184さん。
つうか、攻撃されることに怯えながらしゃべるなら、
わざわざ2chでしゃべらなくても、普段の会話と同じじゃん。
188 :
考える名無しさん:02/12/17 16:27
189 :
タイラー ・ダーデン ◆SUnyJ4w7Rc :02/12/17 20:32
【名前】タイラー ・ダーデン
【年齢】20
【生別】男
【電話】09060790465(ジェイフォン)
[email protected] 【病名】鬱、神経症、醜形恐怖症、対人恐怖、視線恐怖 、ひきこもり気味、パニック、分裂病、夢遊病、不
眠症
【会話OKな時間帯】いつでもOK!
【お決まりのURL】
http://www9.plala.or.jp/xyzxyz/ 【生息地】岡山県
【備考】ワンギリ以外OK、俺のホムペを見て自分と気が合うかどうか判断してくれ。
【メールアドレス】俺のホムペ参考。
【趣味】映画、読書、漫画、ネット、オフ会、タバコ、絵を書く、文を書く、音楽、爪を集める(吉良吉影を
敬愛)等
【薬】アモキサン、アナフラニール、ドクマチール、抗不安剤
【写真】
http://www9.plala.or.jp/xyzxyz/kannrininn.jpg 白いシャツの方。
くだらない講義を受けるくらいなら1冊でも多く自分の好きな本を読むべきである。
共感できる人は電話かメイルを。
ある程度集まったらオフやるぜ
これからこのスレの内容をレポートにするためにまとめに入るぞぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉ!!!!!!!!
もう言うことはないかぁぁぁぁ??!?!?!??!???!?!?!?!?
(^^)
(^^)
192 :
世直し一揆:
<血液型A型の一般的な特徴>(見せかけの優しさ・もっともらしさ(偽善)に騙されるな!)
●とにかく気が小さい(神経質、臆病、二言目には「世間」、了見が狭い)
●他人に異常に干渉する(しかも好戦的・ファイト満々でキモイ、自己中心)
●自尊心が異常に強く、自分が馬鹿にされると怒るくせに平気で他人を馬鹿にしようとする
(ただし、相手を表面的・形式的にしか判断できず(早合点・誤解の名人)、実際にはたいてい、内面的・実質的に負けている)
●「常識、常識」と口うるさいが、実はA型の常識はピントがズレまくっている(日本の常識は世界の非常識)
●権力、強者(警察、暴走族…etc)に弱く、弱者には威張り散らす(強い者に弱く、弱い者には強い)
●あら探しだけは名人級(例え10の長所があってもほめることをせず、たった1つの短所を見つけてはけなす)
●基本的に悲観主義でマイナス思考に支配されているため、性格がうっとうしい(根暗)
●一人では何もできない(群れでしか行動できないヘタレ)
●少数派の異質、異文化を排斥する(差別主義者、狭量)
●集団によるいじめのパイオニア&天才(陰湿&陰険)
●悪口、陰口が大好き(A型が3人寄れば他人の悪口、裏表が激しい)
●他人からどう見られているか、人の目・体裁をいつも気にしている(「世間体命」、「〜みたい」とよく言う)
●自分の感情をうまく表現できず、コミュニケーション能力に乏しい(同じことを何度も言う、知障)
●表面上意気投合しているようでも、腹は各自バラバラで融通が利かず、頑固(本当は個性・アク強い)
●人を信じられず、疑い深い(自分自身裏表が激しいため、他人に対してもそう思う)
●自ら好んでストイックな生活をし、ストレスを溜めておきながら、他人に猛烈に嫉妬する(不合理な馬鹿)
●執念深く、粘着でしつこい(「一生恨みます」タイプ)
●自分に甘く他人に厳しい(自分のことは棚に上げてまず他人を責める。しかも冷酷)
●男は、女々しいあるいは女の腐ったみたいな考えのやつが多い(他人をけなして相対的に自分の立場を引き上げようとする等)
それと、O♀はエコヒイキきつくて、冷酷だからな。
A♂の異質排除×O♀の冷酷=差別・いじめ とあいなる。