563 :
考える名無しさん:02/10/23 20:00
564 :
ハイフェッツ:02/10/23 20:03
偽善とは、やりたくもない善行を
イヤイヤやることである。
それ以上でもそれ以下でもない。
565 :
考える名無しさん:02/10/23 20:09
>>564 つまり、「やりたくない」と思っているという点が違うだけで、
それ以外では完全に「善」なわけだね?
566 :
考える名無しさん:02/10/23 20:14
自治会の役員とか、青年団の団長とか、
大概、しょうがないからいやいややる人が多いと思うんだけど、
真面目にやる人は真面目にやるよね。
これも偽善?
567 :
考える名無しさん:02/10/23 20:16
町内の草刈りに進んで参加するのは善行?
568 :
ハイフェッツ:02/10/23 20:17
>>565 まあそう言うことさ。
やりたいと思った善行は善である。
乞食に恵んでやって、優越感に浸りたい心も総合的には善である。
乞食はそれで喜び助かるのだから。
569 :
考える名無しさん:02/10/23 20:19
じゃあ「偽善」という区別に何の意味がある?
570 :
考える名無しさん:02/10/23 22:09
偽善と善の違いなぞ殆どないように思う。
偽善とは言われるが、そこにだっていくらかの善意は介入しているはずでは?
逆に言えば、純度100%、そこに一切のやましい思いを含まない善意など
生きている内にどれだけお目にかかかれるのか。
他人から偽善者と言われても、自分では正直わからない(極端な例除く)。
不純物を含まないコアな善のみを追い求めるのも良いが、
個々の心理を正確に探って善と偽善の境界線を引くことができない以上、
自分は一般的に言われる「偽善でない善」には辿り着けないだろう。
それならばいっそ偽善者のレッテルを貼られたまま生きていっても
自分は一向に構わない。
とか思った。
571 :
考える名無しさん:02/10/24 22:20
というか、「善意がない」とか、「やましい」とかで区別する必要はなぜあるの?
572 :
考える名無しさん:02/10/24 22:46
>>571 必要ないと思います。
それは他人が状況状況において区別(恣意的に判断)するのではないでしょうか?
それで自らに問いかけてみるとわからなくなる、という始末です。
573 :
考える名無しさん:02/10/24 23:01
>>572 つまり、有為な分類としての「偽善者」は存在しない、「善者」だけで十分であると。
574 :
考える名無しさん:02/10/24 23:27
みなさんにお聞きしたいのですが。善と悪ってどこで分かれるんですか?また、偽悪者ってのはいるんですか?大概の思想には反対語があるはずです。偽悪が何か確かめれば偽善が浮かび上がるかもしれません。ここは違うアプローチで考えてみませんか?
失礼しました。
575 :
考える名無しさん:02/10/24 23:35
偽善者=関係だよね。たしか?
仮に親子関係だとする
客観的にみるとやはり親は偽善者だろう
576 :
考える名無しさん:02/10/24 23:44
偽善者=善者じゃないの?
577 :
考える奈々氏:02/10/25 00:41
偽善者=悪
自分の善意は周りが認めれば善であり、認めないなら悪である
善悪に主観は存在せず、常に客観で構成されるものである
578 :
考える名無しさん:02/10/25 00:46
善意は善じゃないの?
580 :
考える名無しさん:02/10/25 00:53
個人的には、偽善の定義とは
「自分の考えを唯一絶対の正義と決めつけ他人に強制すること」
と思う。
581 :
考える名無しさん:02/10/25 21:29
他人に強制しなければ、何をやっても偽善では無いわけだね。
582 :
考える名無しさん:02/10/25 21:39
>偽善者を定義する。
1:いつも何がオカシイのかニヤニヤ笑ってる
2、「正義」とか「悪」とかを連発して口にする
3.自分の言葉に自分が縛られてる
4、自己矛盾に絶対答えない
5、人の欠点ばかり追及する癖、自分が追及されると開き直る
漏れの経験から言うとこんなとこかな…
583 :
考える名無しさん:02/10/25 21:42
それって定義なのか?
584 :
考える名無しさん:02/10/26 12:10
>それって定義なのか?
定義の基準
585 :
考える名無しさん:02/10/26 12:13
586 :
考える名無しさん:02/10/26 12:15
587 :
考える名無しさん:02/10/26 14:21
588 :
考える名無しさん:02/10/26 14:25
偽善何さ?
偽悪を紹介して。
■[偽悪]の大辞林第二版からの検索結果
ぎあく 【偽悪】
〔「偽善」に対してつくられた語〕わざと悪を装うこと。⇔偽善「―趣味」
590 :
考える名無しさん:02/10/26 15:10
偽善もまた一つの生存哲学。
腐れきった現代社会に適合するので可なり。
いや、だから、その偽善ってのはいったい何よ?
ああ、わざと善を振舞う事が、偽善なのかな・・?
じゃあ、意識せずに良い事をしよう。 自然に・微かに?微少に?
偽善はやっちゃいけないことなの?
594 :
考える名無しさん:02/10/26 15:57
例えば、利他的な行為は道義的に美しい。
しかしながら、そこには多大なリスクが伴う。
とすれば、それを装って信用なり評価なりだけを獲得する、
いわゆる偽善という選択は魅力的である。
595 :
考える名無しさん:02/10/26 16:01
世に絶対的な善悪は、存在しない。偽善や偽悪という観念に絶対的な
意味はない
このスレ笑ったよ。
1が哲学好きのまわりにいる限り、偽善者よばわりされることは避けられない気がした。
>>594 > いわゆる偽善という選択は魅力的である。
実際に利他的な行為をするのなら、かかる手間は同じじゃないの?
なんで魅力的なの?
598 :
考える名無しさん:02/10/29 14:11
ニーチェ君に聞き給え。
まず、善と言う言葉を「事実」に基づき定義せよ。
「偽る」とは主観となる存在が必要であり、
かつ、その主観とは異なる、「情報を認識しうる」存在が必要である。
ある「情報を認識しうる」単一または複数の特定の存在に対し、
「善」ではない対象を、善と認識させうる過程を「偽善」と呼ぼうではないか。
具体的事例を挙げて、その行為を「偽善である」と判断するためには
「善」の定義に基づき判断するしかない。
600 :
考える名無しさん:02/10/29 20:18
『偽善者』は本人が定義するものではない。
601 :
考える名無しさん:02/10/29 20:22
この世の人間は みんな偽善者です。
1さんにとっては自分が「偽善者」であるか否かということが重要な事であるようだが、
「善悪」なんて基準次第でどうとでもとらえられる事だ。
「国家」にとっては「善悪」の基準を「政府」の都合ではっきり定義しなくてはならないが、
私は個人のレベルの「善悪」の価値基準はどうでも良い事だと思う。
603 :
考える名無しさん:02/10/29 21:58
募金してる人を見て、この人偽善者だ、と沸いてくる気持ちはなに?
ただの偏見です
605 :
考える名無しさん:02/11/02 20:37
606 :
考える名無しさん:02/11/12 03:43
わからん
607 :
考える名無しさん:02/11/12 03:49
608 :
考える名無しさん:02/11/12 04:44
>>603 社会的に公認された被害者にしか目を向けない姿勢。
609 :
考える名無しさん:02/11/12 05:03
>>603 募金が本当に届くのかも分からず、被害者に関する情報も乏しいのに、
ほいほい金を箱に入れる行為をなんとなくやっている思考停止ぶり
がバカっぽい
610 :
考える名無しさん:02/11/12 11:45
相手に打算・自己満足がばれなきゃ、相手にとって「善行」。ばれたら「偽善」。
自分で打算・自己満足の意識があるなら、「偽善」と思うべし。
意識がないなら、「善行」。もしくは馬鹿。
純粋な「善人」はいないでしょう。
611 :
考える名無しさん:02/11/12 23:03
おれは思うに、真・善・美というのは絶対的なイデアなんだよね。
それらを相対的な形で示されるときに、違和感を感じるような気がする。
真・善・美がイデアなのではなく、真・善・美のイデアがあるってだけのことじゃないのか。
イデアは絶対的だが、我々が「善と判断した行為」は、その写しに過ぎない。