32 :
白土四平と影一族:02/08/30 03:18
うんちまん楽しいの?
33 :
考える名無しさん:02/08/30 03:19
>>30 超初心者か?
「匿名」は全員「考える名無しさん」。
俺は絶対コテハンにしない。
が、なんかやるなら協力するよ
党派性苦手だしマルクス知らんが興味あるから
34 :
白土四平と影一族:02/08/30 03:20
カント顔ペ−ジの下を見れッテナニ
35 :
白土四平と影一族:02/08/30 03:20
ヤフ−チャットの方が面白いね
36 :
考える名無しさん:02/08/30 03:22
ここは僕のホームページです。
37 :
考える名無しさん:02/08/30 03:41
また随分と勘違いなのが来たな
38 :
考える名無しさん:02/08/30 03:44
2ちゃんねるが知りたけりゃニュー速とかモ板とか
メジャーな板に逝け。
哲板は2ちゃんねるの中でも過疎且つ専門性が低い、
最もつまらない板の一つだよ。
39 :
考える名無しさん:02/09/01 00:37
どうなってるの?
40 :
考える名無しさん:02/09/01 00:38
本当だ。僕も名無しさんになったね。でも、つまらないのは、本当だね
41 :
考える名無しさん:02/09/01 00:42
哲学板より面白いのはどこにあるの?
>>38 素晴らしく馬鹿っぽいね。
専門性が低くてあなたを満足させられない哲学板。
プッ。
是非とも、カントでも講釈して欲しいね。
43 :
考える名無しさん :02/09/01 01:02
>>24 こういう変な奴を見ると、ちんぽ太郎の新コテハンかと思ってしまう。
>>42 24で2ちゃん云々と書いてあるので、
2ちゃんねるの哲板は人も少ないし誰も専門的な話はしていないよ、
という事実を述べたわけです。
>専門性が低くてあなたを満足させられない哲学板。
専門性が低いことは哲学板に対して感じる満足とは関係あるのでしょうか?
>是非とも、カントでも講釈して欲しいね。
専門的であることとカントとは何か関係があるのでしょうか?
それとも読書会でもしたいな、ということでしょうか?
>素晴らしく馬鹿っぽいね
意味不明です。
>プッ。
何が何に対して「プッ」なのか分からないので応えようがありません。
45 :
考える名無しさん:02/09/01 01:08
マルクスって誰かに似てると思ったら、
バシュラールに似てねぇ?
46 :
考える名無しさん:02/09/01 01:09
>>44 素晴らしいレスです。
お見逸れしました。
金輪際、あなたのレスに近づくことを固く自分に戒めたいと思います。
48 :
考える名無しさん:02/09/01 01:13
キター!!!
( ´_ゝ`)ププッ
>>47 どういたしまして。
ドキュン厨房ではございますが、
今後とも当たらず触らずお付き合いのほどを。
50 :
考える名無しさん:02/09/01 01:20
暇つぶしだね
51 :
考える名無しさん:02/09/01 01:21
夏休み終わったのにね。
52 :
考える名無しさん:02/09/01 01:25
退屈だね
経済哲学草稿スレに屯する哲学コンプレックス。
最近よくある光景じゃん。
ちんぽみたいなイベンターが居なくなったから、
まともそうなスレを糞スレ化して網張ってんだよ。
それが唯一の楽しみじゃ、哲学ヲタと五十歩百歩だけど。
馬鹿には馬鹿の楽しみ方があるってことだ。
hageshikuwarotayo
53igai
55 :
考える名無しさん:02/09/01 17:24
何これ
大石高久『マルクス全体像の解明』(八朔社)を読んでみれ。
57 :
考える名無しさん:02/09/02 07:47
私有財産性と疎外労働の間の循環論法ですか?
経済も哲学も勉強したないですが、始めます。
よかったらご教示くださりませ。
第 一 草 稿
〔一〕 労 賃
労働は資本家と労働者との敵対的な闘争を通じて決定される。
〔その闘争で〕資本家が勝つ必然性〔はどこにあるか〕。
資本家は、労働者が資本家なしで生活できるよりも長時間,労働者なしで生活することができる。
資本家たちのあいだの団結は慣習となっており、効果のあるものだが、
労働者たちの団結は禁止されており、労働者たちにとって悪い結果をもたらす。
その上また、地主と資本家とは、彼らの収入に産業上の利益をつけ加えることができるが、
労働者は自分の勤労による所得に、地代も資本利子もつけ加えることができない。
>>59 労働者のあいだの団結は今は認められていますよね。
地代、資本利子ってのは、土地を持っている人や、お金を持ってる人は、それを人に貸したりして、
さらにお金が稼げるってことかな?で、労働者は人に貸せるような土地もお金も持っていないと。
61 :
考える名無しさん:02/10/02 23:07
疎外される人間は表現されているが社会を疎外する私を問題にすることは出来なかった。
良スレの香りにつられてやってきました。
住み着くことにします。よろぴく。
64 :
考える名無しさん:02/10/26 15:51
「貨幣にもとづいた有効な需要と、私の欲求、私の情熱、私の願望等々にもとづいた
無効な需要との区別は、存在と思惟とのあいだの区別、私の内部に実存するたんなる
表象と、現実的な対象として私の外部に私にたいしして存在するような表象とのあい
だの区別である」
貨幣に対する需要は私にとって実態上の切実な需要です。貨幣がないから休日も引き
こもって2ちゃんやってます。
65 :
考える名無しさん:02/11/02 04:25
マルクスはパン党
67 :
考える名無しさん:02/12/19 22:33
あのさ、「経哲」とほぼ同時期に書かれたことになってる「ジェームズ・ミル評注」
ってあるよね。おれの持ってる杉原・重田訳の「経済学ノート」だと88ページに”人
間は社会的な存在として交換にまで進まざるをえないし、また、私的所有を前提と
すれば、交換は価値にまで進まざるをえない・・・」とあって、111ページでは(交
換のない未開で野蛮な状態においては)「交換はかれの労働とかれの労働生産物との
交換にかぎられる。ただこの交換は現実の交換の潜在的な形態(Form)(萌芽(Keim))で
はあるのだが・・・」って言ってる。行為としての労働と、その結果としての労働生
産物(この時期のマルクスは蓄積された労働って言っていたかな)の関係って、外在
化の、それこそ原点って思うんだけどどうよ。資本的生産様式がどうこうって問題じ
ゃないと思うんだけど。
>>67 >行為としての労働と、その結果としての労働生産物・・・の関係って、
>外在化の、それこそ原点って思うんだけどどうよ。資本的生産様式が
>どうこうって問題じゃないと思うんだけど。
それはその通りでしょう。後に「人間と自然との間の永遠の物質代謝」
と呼ばれるものに相当しますね。
問題は、
労働(力)と労働生産物との交換 vs 労働生産物間の交換
原初的な交換 vs 私的所有にもとづく交換価値
外在化(対象化) vs 疎外(他者化)
といった対立関係でしょう。
原文にあたっていないので、どういう文脈での発言か定かではないが、
労働価値説の萌芽が見られる文章ですね。
69 :
考える名無しさん:02/12/20 23:54
>>68 レス、ありがとうございます。
>原文にあたっていないので、どういう文脈での発言か定かではないが、
レクラム文庫だとp.257、p.274。Werke版だとp.446、p.459。
>労働(力)と労働生産物との交換 vs 労働生産物間の交換
「労働生産物間の交換」ってなっちゃうとまた別の登場人物が
必要になるから、これについてはちょっと措いとく。
労働の行為当事者(Traeger)にとって、彼の手元を離れた生産物はその時点
でfremd。で、生産物のTraeger(このあたり微妙。別にヒトでなくてもいい
んだけど)が行為当事者にとってent-だったりすると・・・って、単純すぎ
ますかね(W。ただ、この関係は因果律ふうにに捉えるとおかしな事になって
しまう。実際には、生産物(の世界)が労働の行為当事者を拘束するわけで、
そのこと自体、資本制的生産様式に特有の現象ではない、ってどうでしょ。
>>69(67さん)
>レクラム文庫だとp.257、p.274。Werke版だとp.446、p.459。
ども。ただし、ドイツ語は苦手なり。
>労働の行為当事者(Traeger)にとって、彼の手元を離れた生産物はその
>時点でfremd。
労働とは、自然の一部としての人間がその労働力の支出によって、自己
の生存に必要な財を自然から獲得する活動であり、素材から財を生産す
る生産過程の主体的条件ですね。その限り、生産物自体は人間的本質力
の対象化(外化、顕現)であり、人間の自然からの自立は人間による自
然の占有(自らの下におくこと)として始まるわけです。
<所有>とはまずもって生産手段への関係行為の結果として、労働主体
が生産物を彼(あるいは彼女)の手元に持つ(占有する)権利ですが、
分業社会(その完成が市民社会でしょう)において、私的所有(個人の
排他的占有の権利)が確立すると、交換および譲渡が社会関係として一
般的になり、社会的人間の本質力は、生産者の手元を離れた疎遠な生産
物(つまり商品)に移行(疎外)されて、生産者自身は非本質的なもの
(本質の喪失)に成り下がる。それが近代市民社会における社会関係の
物象化です。「私は一個の他者である。」(商人となったランボー)
そして、労働力商品の登場(つまり労働と所有の分離の完成)と共に、
産業資本主義が現実的な(つまり自己を再生産する)社会的本質力にな
った。資本とは疎外された労働(賃労働)の別名だということですね。
71 :
考える名無しさん:02/12/23 01:51
フォイエルバッハの説明もくれ
>>71 >フォイエルバッハ
マルクスやエンゲルスと同年代の若者は、皆フォイエルバッハの「革命
的影響」(エンゲルス)を受けたそうですが、船山信一氏もいうように、
マルクス主義、と言うよりは唯物論のスピリットを理解する上でも、フ
ォイエルバッハは欠かせない。是非、その解放的な内容に直接触れるこ
とをお勧めします。
「神とは人間の類的本質の疎外である。」とは人類が精神的に自立する
端緒をなす洞察と言えます。それはヘーゲルの絶対的精神(神)を転倒
し、その真理(つまり誤謬の根拠としての真の対象)を明らかにしたも
のであり、ヘーゲルを借りてヘーゲルを打つものです。
確かに、その人間主義的立場は青年ヘーゲル派ヘスによって「人間教」
と批判され、ヘスの<社会的関係総体としての人間>の継承から、マル
クスおよびエンゲルス本来の社会主義的唯物論に発展したわけですが、
<疎外された労働>とは、ヘーゲル疎外論の積極的内容つまり<自己対
象化としての労働(形成)>の意義を、フォイエルバッハの<現実的人
間の立場>において捉え返し、さらに「自己本質の対象化が全き非対象
化として現れる」(マルクス)という賃労働における疎外を摘出した概
念と言えます。
因みに、哲学や認識論にこだわるアルチュセールや廣松渉などは『経哲
手(草)稿』と『資本論』との間に認識論的切断あるいは本質論的切断
を見るが、資本および『資本論』を貫いているものは<疎外(物象化)
された(社会的)労働>そのものです。
73 :
考える名無しさん:03/01/02 18:41
あげ
74 :
考える名無しさん:03/01/07 19:25
えっと、みなさまあけおめです。
>>68,70&72
68のレスはうれしかったす。ずーいぶん昔に67の説を主張した時には、当時のゼミの
教官から「Keim(萌芽)じゃなくてkein(=not at all)の誤読だよ」とか言われて随分
悩んだもん。
>>71 どっかに「我々は火の川(Feuerbach)を渡らねばならない」とか書いてあったよね。
俺的には、フォイエルバッハでおもしろいのは感性論だよな。「そいつが困ったって
感じてたら本人は困ってんだよ。理屈は関係ねえ」ってやつ。「経哲」のちょっと前
に「木材窃盗法」についてのマルクスの論文があって、貧農の権利を「法律的」に擁護
しようとするんだけどボロボロになっちゃう。そのあたりでフォイエルバッハに傾倒
したんじゃないか、っていうのが俺の読みなんだけど。
で、ここは「資本論」スレじゃなくて「経哲」スレだからユッタリさせてもらっていい
んだ、と一方的に思い込むことにする。
次回は、自説「人間の文明・文化=ウンコ」論を展開させてもらっていいでしょうか。
ヂュルケムの考察のほうがはるかに深い。
ゲマインシャフトとゲゼルシャフトを読みなされ。
デュルケーム読めと言っておいてテニエスの著作が出てくるのはなんなんだろう・・・
あ、読めと言っているのはテンニエスの方であって
デュルケームの考察の方が深いという一行目とは別につながりないのか。
それならデュルケームのどんな考察がどう深いのか書いてくれるとうれしい。
78 :
考える名無しさん:03/01/07 22:30
いいなあ。俺もそう思う。教えてくれ。
(^^)
80 :
考える名無しさん:03/01/17 03:40
age
(^^)