クオリア について語ってみましょう。

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1考える名無しさん
 クオリアについて語り合いましょう。
具体的にクオリア研究ってのは、哲学フィールドでどの程度進んでいるんで
しょうか?みなさん、知恵を出し合いませう。

茂木健一郎 やってこないかなぁー?

2考える名無しさん:02/07/01 03:01
茂木健一郎さんのページです。クオリアの概要について書いてあります。
http://www.qualia-manifesto.com/manifesto.j.html#summary
3考える名無しさん:02/07/01 03:54
哲学版の人でクオリア研究してる方いませんかー?
4考える名無しさん:02/07/01 13:43
ここ哲学版だろ?だれもいないのー??助けてー
5考える名無しさん:02/07/01 20:21
...........
6考える名無しさん:02/07/01 20:30
つうか、クオリアの問題を主張する人は、
みんなクオリア批判すると一撃でぶちキレるんで、
話をする気になれんのだけど。
7オッカム:02/07/01 22:50
クオリアとクリオネ。
8ナショナル仮面:02/07/01 22:58

エオリア なら、いま順調に稼動してるよ。   アア スズシ フー

9考える名無しさん:02/07/01 23:45
>>2

今見てきました。いきなりスピルチャルな結論にもっていっくと、
脳の研究解明も進まないないので、それは避けるべきだと思いますが、
かといって、人の感覚、質感をニューロンの発火に還元して考えるのって、
無理があると思います。
10考える名無しさん:02/07/01 23:49
来月末に信原さんのクオリアの本が出るよ.
11考える名無しさん:02/07/01 23:50
くおりぁ 楽しみだな

12考える名無しさん:02/07/01 23:50
ごめんもう今月だった.出版社は岩波.
139:02/07/01 23:53
例えば、体全体が蒸し暑いという感覚一つとってみても、
皮膚のところに汗がべとついて、
体全体で質感を体感するものです。
そのときの複雑な質感は、発火パターンでは表現
できない、複雑でバリエーション多すぎて。
このような質感が無数にあり、それらに対応した
回路の組み合わせがあるって、無理があるような。
149:02/07/02 00:00
ハードウェアが表現できる状態の組み合わせパターンは
有限で、無数にある質感を表現するのは、困難。
仮に表現できたとしても、パターンの違いによる
質感の違いを、どのように学習経験するのか?
また質感の個人差のばらつきが少ないと思われ、
それは、後天的学習による組み合わせパターン形成
に個体差がほとんどないという、おかしな制約条件を
必要とするのでは?と思います。
15:02/07/02 00:07
まあ要素論は全体論を全体するからな.心的現象をニューロンに還元したって
意味ないように思うけどな.
16:02/07/02 00:08
>>14
もっと原理的に無理なような気がする.
179:02/07/02 00:25
>>16

同意

意識というブラックボックスを前提に考えれば、
意識が発火パターンを評価することで、
クオリアが生まれる、であるのならば、まだぴんときます。

意識の存在なくしてはクオリアは生じないと思うし、
結局、意識とは何か?という最大の難問にたどり着くわけです。

もし、意識も脳の活動に拠って生じるという仮説ならば、
まず意識が発生するメカニズムを探る方が先のような。
クオリアだけを考えるのは、問題の先送りで、結局、
糸口が見えず、先に進まないのでは?

好き勝手なことを書いてすみません。
18:02/07/02 00:47
>>17
だいたい考えてることは同じなんだろうな.
機能主義でも何でも,基本的には意識を脳の働きなり,ニューロンのこれこれの発火パターン
に還元するわけだよね.だけど「いま僕の脳の中でこれこれのニューロンの発火パターンが発生している」
から,「いま僕はこれこれの心的現象をもっている(これこれに感じている)」と説明するのは,まるっきり
説明の順序がさかさまにになってるからね.
あまり詳しくないけど,クオリアを物理主義的に説明することのどこに魅力があるんだろう? 
19Kurihara:02/07/02 00:57
>>18
別に魅力はないと思いますよ。
209:02/07/02 01:24
>>18

>「いま僕の脳の中でこれこれのニューロンの発火パターンが発生している」
>から,「いま僕はこれこれの心的現象をもっている(これこれに感じている)」と説明するのは,まるっきり
>説明の順序がさかさまにになってるからね.

その通りですよね。
少なくとも、まず確固たる意識があって、それは知覚、思考活動が停止
しても、「在る」ものであって、
身体全体で知覚した情報を時間遅延感覚を伴いつつ、
特定のところにフォーカスしながら取り込んでいき、
心象が形成される。脳内活動も含めた身体で起こる全出来事を、
体から少し離れた視点で冷静に収集している感覚。

>クオリアを物理主義的に説明することのどこに魅力があるんだろう? 

唯脳論を前提、質感をニューロン活動に還元できれば、
脳による意識発生メカニズムを解明できるかもしれない、
ということではないでしょうか?

こちらは、唯脳論は支持していませんが。
21考える名無しさん:02/07/02 11:46
>>18
>クオリアを物理主義的に説明することのどこに魅力があるんだろう?

同感。あるクオリアを主観的に体験している時に、
脳内で発生しているニューロン発火パターンを物理的に客観的に特定できたからといって、
主観的に体験するクオリアそのものを解明したことにはならないと思う。
科学的な唯物信仰を無前提に受け入れるなら、それで満足なのかも知れないが。
22考える名無しさん:02/07/02 21:02
というか、
唯脳論=「クオリアを物理主義的に説明すること」
ではないと思うけれど。

任意のクオリアと特定の脳細胞の活動が直接対応している
などと考えている人はあんまりいないと思うけれど。
そういった解釈は、科学の現場がいまだに古典的機械論を
そのまま引きずってると誤解しているから生まれるんじゃないの?

23考える名無しさん:02/07/02 23:05
>>22
ハメロフさんですか(w
意識を量子論的な現象として解釈する人の方が少数派じゃないのかな。
それに現代の脳科学は、古典論的だろうが量子論的だろうが、
クオリアを「物質」に還元して説明しようとしている事に変わりは無いと思うが。
24考える名無しさん:02/07/02 23:38
>>23
なんで量子論が出てくるのかよくわからないな。
ある意味、量子論に依存しなければならないということは、
古典的機械論から抜け出してない証拠なんだが。

クオリアが物質に起因するということと、還元できるということは同じではないよ。
大体において、自然界の現象で、原因に直接還元できる現象は、
非常に単純な現象に限られる。
にもかかわらず、そういった現象の多様性、多層性を無視して、
「物質に起因する」=「物質に還元できる」と解釈してしまうような考え方を、
古典的機械論だといっているんだよ。

25あちょー:02/07/02 23:41
脳のニューラルネットを電気回路で再現したら、脳みたいな働きをするでしょうか。
26あちょー:02/07/02 23:44
茂木センセは2ちゃんのノリが理解できないと言っていたような。
スレたてて荒らされたのかな。
27考える名無しさん:02/07/03 00:08
>>24
現象がいかに多様性、多層性を持っているとしても、
最終的にそれらを記述するのは、唯物論の枠内で考える場合には、
結局は何らかの「物理量」になると思うんだけど。

「物質に起因する」=「物質に還元できる」という解釈は妥当でない、
という考え方は、とても奇妙に思える。
物質をいかに複雑に多様に組み合わせても、結局は物質しか得られない。
そこから物質に「還元」できないクオリアが生成するという考え方は、
いもしない脳の中の幽霊を追いまわしている様にしか思えない。

クオリアは物質なの?それとも物質ではないの?
28考える名無しさん:02/07/03 01:06
>>27
>物質をいかに複雑に多様に組み合わせても、結局は物質しか得られない。
だから、その発想が古典的機械論だっていうことをいってるんだが。

>クオリアは物質なの?それとも物質ではないの?
クオリアは現象だ。
29考える名無しさん:02/07/03 01:27
>>28
物質を複雑に多様に組み合わせた結果、物質以外の何物かが得られるという発想は、
確固たる古典的機械論と比較するまでも無い、単なる空想だと思えるのですが。

>クオリアは現象だ。

「物質」と「現象」との違いのニュアンスは、何らかの静的な物理的存在を実体と見なすか、
あるいは動的状態を物理的実体と見なすかといった程度の、
ちょっとした表現の差異に過ぎないように思えるのですが。

では、クオリアは「物理的」現象でしょうか?それとも「非物理的」現象でしょうか?
30考える名無しさん:02/07/03 01:49
>>29
>物質を複雑に多様に組み合わせた結果、物質以外の何物かが得られるという発想は、
>確固たる古典的機械論と比較するまでも無い、単なる空想だと思えるのですが。
違うよ、「クオリアが物質に起因する」を
「物質を複雑に多様に組み合わせた結果、物質以外の何物かが得られる」と解釈することが、
古典的機械論だといっているのだ。

>ちょっとした表現の差異に過ぎないように思えるのですが。
「状態」という言葉は物理的実体を指す言葉では無いよ。

>では、クオリアは「物理的」現象でしょうか?それとも「非物理的」現象でしょうか?
あなたのいう「物理的」現象と「非物理的」現象の違いって何だね?
31考える名無しさん:02/07/03 02:12
>>30
>違うよ、「クオリアが物質に起因する」を
>「物質を複雑に多様に組み合わせた結果、物質以外の何物かが得られる」と解釈することが、
>古典的機械論だといっているのだ。

私が何を言っても「古典的機械論」として退けられてしまいますね(w
正直なところ、「古典的機械論」以外に論理的に妥当な思考方法が存在することを、
私は知りませんでした。
宜しければ、あなたの古典的機械論ではない考え方で、
「クオリアが物質に起因する」という事の意味や、
「物質に起因する」=「物質に還元できる」という解釈は妥当でないということの意味を、
かいつまんで説明して頂ければ有り難いと思います。
32考える名無しさん:02/07/03 02:31
>>31
>私が何を言っても「古典的機械論」として退けられてしまいますね(w
というか、あなたが何を聞いても、物質由来を物質イコールと解釈しようとするから、
しょうがないだろう。

>正直なところ、「古典的機械論」以外に論理的に妥当な思考方法が存在することを、
>私は知りませんでした。
なんと!
ならば、少なくとも、機械論的解釈による(あなたの)唯脳論に疑問を抱く必要は、
全く無いんじゃないかね?

>かいつまんで説明して頂ければ有り難いと思います。
波は水(と風)に起因するが水では無いし、
波の形状は個々の水分子の性質からは導き出すことが出来ない。
自然界にはこういった現象がいくらでもある。
クオリアもそのあまたある現象の一つということだが。
33考える名無しさん:02/07/03 02:48
>>32
>波は水(と風)に起因するが水では無いし、
>波の形状は個々の水分子の性質からは導き出すことが出来ない。
>自然界にはこういった現象がいくらでもある。
>クオリアもそのあまたある現象の一つということだが。

そうすると、クオリアとは個々のニューロン発火の集団としての振る舞いということでしょうか?
3433:02/07/03 03:20
>>33にレスが付かないので追加しておきます。
>>32の内容から、あなたのクオリアの定義は、
「クオリアとは、個々のニューロン発火の集団としての振る舞いである」
という事で、多分良いのではないかと思います。

さて、水分子の集団的な振る舞いが様々な「波の形状」です。
同様に、個々のニューロン発火の集団的な振る舞いは、
脳内に発生する複雑な「電磁波の形状」です。

そこで質問なのですが、客観的な物理的存在に過ぎない脳内の「電磁波の形状」が、
私達が主観的に経験するクオリアそのものだと、なぜ、言えるのでしょうか?
35あちょー:02/07/03 16:28
>>34
なんで電磁波が出てくるのかよくわからないな。
36あちょー:02/07/03 16:37
ニューロンの発火が質感とどのように対応するかということから
考えればいいというのが大抵のクオリア論者の主張なのだけれど、
言うだけなら簡単だと思うんだよね。
37考える名無しさん:02/07/03 21:46
>>33
>>34
あなたは、現象を無理に物質に還元しようとしてるだけのように思うけれど。

>さて、水分子の集団的な振る舞いが様々な「波の形状」です。
「波の形状」は、波という現象におけるある時点での水分子の配置だね。
でも、水分子の配置そのものは、波ではない。

>同様に、個々のニューロン発火の集団的な振る舞いは、
>脳内に発生する複雑な「電磁波の形状」です。
「発火」とか「電磁波の形状」とかいう言葉の意味がどうもよくわからないのだが、
それらは、医学や電子工学の正式な用語なのかね?
少なくとも、「電磁波の形状」なんて概念は聞いたことが無いが。

とりあえず、個々のニューロンの活動を観測して、
その分布を調べることは可能だろうけれど、
おそらく、特定の分布パターンが、特定のクオリアに対応するといったような、
単純な仕組みにはおそらくなっていない。
そのことは、知られている範囲の脳の機能から演繹的に考えても、
明白なはずだ。脳には新しいことを学習する機能がある。
例えば、赤に対するクオリアといっても、人によって違うはずだし、
同じ個人でも、過去の経験、周囲の状況によっても微妙に違うものになるはずだ。
これらは経験による記憶がクオリアの形成に関与していることを示している。
つまり、後天的な学習による記憶が関係する以上、
唯脳論的な立場をとった場合であっても、ある外部刺激に対する
ある特定の脳の活動パターンと直結するなどということはありえないことは明白だ。
極端な話、ある状況で赤い色を見たという経験そのものが、
赤のクオリアを変化させる場合があることを考えれば、
クオリアの発生という現象自体が、そのクオリアを変化させうる。
つまり、クオリアは「進行するプロセス=現象」であって、
何らかの物理的実体に直接還元されうる性質のものではない。

>そこで質問なのですが、客観的な物理的存在に過ぎない脳内の「電磁波の形状」が、
>私達が主観的に経験するクオリアそのものだと、なぜ、言えるのでしょうか?
客観、主観以前の問題として、脳内の現象を、あなたが、
物質の機械的構造として理解しようとする限り、議論はかみ合わないと思う。
3833:02/07/03 23:52
>>37
>つまり、クオリアは「進行するプロセス=現象」であって、

クオリアは、脳内で「何が」進行するプロセスなのですか?
脳内で進行しているのは、単なる物理的プロセスに過ぎませんよ。

文章を読むと、「クオリア=脳内で進行するプロセス」という命題が、
何のためらいも無く無前提に正しいものとして用いられている事に、まず、驚きを覚えます。
確かに、脳内では様々なプロセスが進行しているでしょう。
でもそれは単なる物理的なプロセスに過ぎません。
なぜそれがクオリアなのですか?
クオリアは、突然、どこからやってきたのですか?

「クオリア=脳内で進行するプロセス」
「クオリア=特定のニューロンの活動分布パターン」

あなたは上記の2つの命題のイコールの右側の違いにこだわっている様ですが、
クオリアの理解にとって、それはささいな違いに過ぎないと思います。
重要なのは、「クオリア」と「脳内で進行するプロセス」ないしは
「特定のニューロンの活動分布パターン」とを、「イコール」で結ぶことが
本当に妥当なのかという事だと思います。
399:02/07/04 03:42
論理回路に例えて表現すると、
外部条件に応じて変化するステートマシーンがあって、
外部条件に応じて逐一現在のステートが変化し、
現在どのステートにいるかで、クオリアが決定される、
仕組みだったとします。

ステートを表現する記憶回路は逐一変化しますが、
外部条件に応じてステートを演算する回路部分の状態
はドントケアであって、本質的に現在のステートとは
関係がない。
つまり、クオリアとはステートマシーン全体の挙動で決定されるが、
肝心のクオリアは現在のステートで一義的に決定され、
クオリアを評価する機能部(意識)は、
現在のステートのみを評価してクオリアを得る、モデルが
すっきりして分かりやすいと思います。

いずれにしても、クオリアを
評価する機能部(意識)と、クオリアそのものを決定する機能部は、
分離して考えないと、混乱して訳がわからなくなりそうです。
409:02/07/04 06:05
>>39
は取り下げます。読み返すと、内容が変だ(笑)。
評価すべきクオリアが得られるまでの、途中のニューロンの情報処理等の諸挙動は
本質的にクオリアそのものと無関係では?というのが
言いたかったことです。
寝よう。
41考える名無しさん:02/07/04 12:12
>>38
あんたの主張は、
コンピュータの内部は電荷の有/無で説明されるのだから、
ソフトウエアの働き、その構造など、無いのだ、
と言っているに等しい。
42:02/07/04 14:42
>>41>>33
僕も33の意見に賛成だな.41の主張は結局のところ機能主義と同じだと思うけど.
たしかに機能主義が唯物論ないし古典的機械論から手を切ったということは正しいかも
しれないが,33はその機能主義も妥当だとは思えないと主張してると思うけど.
43:02/07/04 18:14
>>36
>ニューロンの発火が質感とどのように対応するかということから
>考えればいいというのが大抵のクオリア論者の主張なのだけれど、
>言うだけなら簡単だと思うんだよね。

そりゃそうだ,言ってるだけなんだから.
44考える名無しさん:02/07/05 00:08
>>38
>脳内で進行しているのは、単なる物理的プロセスに過ぎませんよ。
一度聞いたはずだが、あなたはまだ説明してくれていないね。
あなたいう「単なる物理的プロセス」の定義はどういったものなのだね?
「単なる物理的プロセスでないプロセス」というものは存在するのかね?

>なぜそれがクオリアなのですか?
正直にいって、経験則でしかない。
我々が主観的に「クオリア」と呼んでいる事柄に、
現在知られている知識を演繹的に対応付けた一つの仮説だ。
私が主張しているのはそれが、
「クオリアはなんらかの物理的実体」
あるいは、
「脳以外、あるいは物質以外のなんらかの実体」
と考えるよりは、妥当であるということだ。

>クオリアは、突然、どこからやってきたのですか?
私は、突然やってきたとも、どこかからやってきたとも言っていないが。
そもそも、現象というのは突然起きるものでも
(外部から観察される範囲においては突然であったとしても)
どこかからやってくるものでもない。

>本当に妥当なのかという事だと思います。
もちろん、直接結びつけることには問題があると思う。
しかし、「脳の機能かクオリアを考えること=クオリアをなんらかの物理的実体と考えること」
という発想では、その問題の本質を考えることはできない。
4533:02/07/05 00:53
>>44
>一度聞いたはずだが、あなたはまだ説明してくれていないね。
>あなたいう「単なる物理的プロセス」の定義はどういったものなのだね?

そもそも、「クオリアは「(脳内で)進行するプロセス=現象」」だという、
わたしが思ってもいなかった事を言い出したのはあなたなのだから、
「(脳内で)進行するプロセス」とは何なのかを具体的に説明するべきなのはあなたの方でしょ?
それが何なのか私にはサッパリ分からないから、「電磁波の形状」という変な造語をひねり出した訳ですから(w

>我々が主観的に「クオリア」と呼んでいる事柄に、
>現在知られている知識を演繹的に対応付けた一つの仮説だ。

「対応付け」してるだけなら、何ら問題はありません。
しかしあなたがこれまでに主張したクオリアの定義、すなわち、
「クオリアは「(脳内で)進行するプロセス=現象」」
という定義は、明らかに「クオリア」と「(脳内で)進行するプロセス=現象」とを「同一」と見なしています。
「同一」とみなす事には異論があったので、>>38の様に主張しただけです。
「対応付ける」ことと「同一」とみなす事では、全く意味合いが異なります。
本当はどちらだと考えているのですか?

>>クオリアは、突然、どこからやってきたのですか?
>私は、突然やってきたとも、どこかからやってきたとも言っていないが。
>そもそも、現象というのは突然起きるものでも
>(外部から観察される範囲においては突然であったとしても)
>どこかからやってくるものでもない。

この主張を見ると、あなたは今度はクオリアと「現象」とを「同一」と見なしています。
クオリアの定義に関して、あなたは混乱している様ですね(w
46考える名無しさん:02/07/05 02:26
>>45
>それが何なのか私にはサッパリ分からないから、「電磁波の形状」という変な造語をひねり出した訳ですから(w
なんと!!
あなたは「サッパリ分からない」ことを、「単なる物理的プロセス」と断言していたのいうのかね?

>「対応付ける」ことと「同一」とみなす事では、全く意味合いが異なります。
>本当はどちらだと考えているのですか?

>この主張を見ると、あなたは今度はクオリアと「現象」とを「同一」と見なしています。
>クオリアの定義に関して、あなたは混乱している様ですね(w
対応づけているのは「現在知られている知識と主観」であって、
「クオリア」と「現象」では無いよ。
それと、「カローラは車だ」といったときに、「車とカローラを同一とみなしている」とは言わないだろう。
クオリアは現象だが、現象であればクオリアであるわけでは無い。






4733:02/07/05 03:12
>>46
>>それが何なのか私にはサッパリ分からないから、「電磁波の形状」という変な造語をひねり出した訳ですから(w
>なんと!!
>あなたは「サッパリ分からない」ことを、「単なる物理的プロセス」と断言していたのいうのかね?

「単なる物理的プロセス」でなかったら、「(脳内で)進行するプロセス=現象」とは一体何なのですか?
先程も言った様に、きちんと具体的に説明してください。
言い出したあなた自身が、あなたの主張の核心部分をきちんと説明しないと、全然話が進まないのですが。
もしかして、あなた自身も説明できない空理空論なのですか?

>対応づけているのは「現在知られている知識と主観」であって、
>「クオリア」と「現象」では無いよ。

要するに、あなたは「クオリア」と「現象(の一部)」とを「同一」と見なしてる訳ですね。

>それと、「カローラは車だ」といったときに、「車とカローラを同一とみなしている」とは言わないだろう。
>クオリアは現象だが、現象であればクオリアであるわけでは無い。

現象の全てではなくても、現象の一部をクオリアと「同一」であると、
あなたが考えている事に変わりは無い。
48考える名無しさん:02/07/05 22:54
>>47
>「単なる物理的プロセス」でなかったら
だから、何度も聞くように、あなたのいう「単なる物理的プロセス」というのは、
具体的にはどういったことを指してるのだね?

>要するに、あなたは「クオリア」と「現象(の一部)」とを「同一」と見なしてる訳ですね。
というか、この文脈における「現象」を、何かと「同一とみなす」という日本語が意味不明だ。
「クオリアは現象だ」における「現象」は「馬は動物だ」における、
「現象」は、「カローラは車だ」といった場合の「車」と同様の意味だよ。
「カローラと車を同一とみなしているかどうか」なんてことは問題にしないだろう。
なぜ、「クオリアは現象だ」という論述においてのみ、
そんな不自然な日本語がでてくるんだね?

>現象の全てではなくても、現象の一部をクオリアと「同一」であると、
>あなたが考えている事に変わりは無い。
まあ、クオリアが現象である以上、クオリアは現象の部分集合であるとはいえるね。
でも、上述したとおり、その場合に、
「現象とクオリアを同一と考える」というようなことは普通言わない。
あえて、そのような捻じ曲げた日本語の表記を行う必然が理解できない。






49考える名無しさん:02/07/05 22:55
訂正

×「クオリアは現象だ」における「現象」は「馬は動物だ」における、
○「クオリアは現象だ」における
5033:02/07/05 23:45
>>48
>だから、何度も聞くように、あなたのいう「単なる物理的プロセス」というのは、
>具体的にはどういったことを指してるのだね?

「単なる物理的プロセス」という表現は、あなたの言う「(脳内で)進行するプロセス=現象」
を理解するためには不適切な表現なのかもしれませんね。お気に召さない様なので、撤回します。
ですから、どうぞ、今度こそ、あなたの主張の核心である「(脳内で)進行するプロセス=現象」とは
一体何なのかを、まずはきちんと具体的に説明して下さい。ホントにお願いしますよ(w
ただし、説明次第では、撤回を取り消すかもしれませんが(w

>なぜ、「クオリアは現象だ」という論述においてのみ、
>そんな不自然な日本語がでてくるんだね?

「クオリアは現象だ」という命題が正しいという事を、
もう、天地開闢以来の真理だと信じきって疑うことすら忘れた人にとっては、
確かに「同一」という表現は極めて不自然に感じる事でしょう。
しかしながら、一般的には、その命題が正しいという事は、
客観的な真実として認められている訳ではないと思います。
つまり、「クオリアは現象だ」というあなたの主張は、
「チューリップは車だ」と言っているに等しいかも知れないという事です。
51考える名無しさん:02/07/06 00:22
>>50
>ですから、どうぞ、今度こそ、あなたの主張の核心である「(脳内で)進行するプロセス=現象」とは
>一体何なのかを、まずはきちんと具体的に説明して下さい。ホントにお願いしますよ(w
一体何なのかって、「(脳内で)進行するプロセス=現象」では何が不足なのかね?
それを言ってくれないと何を説明したらいいのかわからないよ。

>クオリアは現象だ」という命題が正しいという事を、
>もう、天地開闢以来の真理だと信じきって疑うことすら忘れた人にとっては、
>確かに「同一」という表現は極めて不自然に感じる事でしょう。
もし、そんな人がいたとしたら、随分変わった人だね。
私は「仮説」であると明言したはずだが。

>しかしながら、一般的には、その命題が正しいという事は、
>客観的な真実として認められている訳ではないと思います。
というか、一般的に認められているかどうか検討する以前に、
あなたが、命題の意味を捻じ曲げて解釈しようとするから話にならないんだが。

>つまり、「クオリアは現象だ」というあなたの主張は、
>「チューリップは車だ」と言っているに等しいかも知れないという事です。
その可能性はもちろんあるよ。(つまり、現象というカテゴライズが適切でない可能性はある。)
どちらにしても、「チューリップは車だ」という論述であっても、
「チューリップと車を同一とみなしている」というとらえかたはしないはずだ。

「チューリップは車だ」という論述の是非を検討するのに、
この命題をそのように誤解していたら、およそとんちんかんな議論にしかならないだろう。

「チューリップは車か?」という問題は、「チューリップは車と同一か?」という問題ではない。

「クオリアは現象か?」は考える余地が大きく残るテーマだが、
(一度いったように、私は妥当性の高い仮説として示しているに過ぎない)
この命題の意味をあなたのように誤解していては、そのテーマについてまもとに考えようがない。
5233:02/07/06 01:07
>>51
>一体何なのかって、「(脳内で)進行するプロセス=現象」では何が不足なのかね?
>それを言ってくれないと何を説明したらいいのかわからないよ。

水分子の集団的振る舞いが「波の形状」ですね。
では、ニューロン活動の集団的振る舞いとは、具体的に「何」なのかを知りたいのです。
例えば、野球観戦の観客がやる「ウェーブ」の様に、ニューロン活動を脳全体で観察すると、
活動パターンが脳内で波打っている、といったイメージでいいのでしょうか?

>どちらにしても、「チューリップは車だ」という論述であっても、
>「チューリップと車を同一とみなしている」というとらえかたはしないはずだ。

「同一」という言葉の捉え方に微妙な行き違いがあった様ですね。私の場合、
「クオリアを、現象というカテゴリーに属する元の一部と「同一」と見なす」
といった意味合いで「同一」という言葉を使用しています。
「元」と「カテゴリー」を「同一」と見なすという斬新な発想は、
そもそも私にはありませんでした(w
53考える名無しさん:02/07/06 01:33
>>52
>水分子の集団的振る舞いが「波の形状」ですね。
違うといったはずだが。

>「クオリアを、現象というカテゴリーに属する元の一部と「同一」と見なす」
>といった意味合いで「同一」という言葉を使用しています。
なら、違うね。
「現象というカテゴリーに属する元の一部」には、波も嵐も燃焼もある、
それらとクオリアは同一ではない。
5433:02/07/06 01:46
>>53
>>水分子の集団的振る舞いが「波の形状」ですね。
>違うといったはずだが。

ということは、例えば、野球観戦の観客がやる「ウェーブ」の様に、
ニューロン活動を脳全体で観察すると、活動パターンが脳内で波打っている、
といったイメージも誤りだという事ですか?

>「現象というカテゴリーに属する元の一部」には、波も嵐も燃焼もある、
>それらとクオリアは同一ではない。

私が敢えて「元の『一部』」と断ったのは、現象というカテゴリーを構成する元の中から、
「波」や「嵐」や「燃焼」といった、クオリアと無関係な元を除外するためです。
では、そういったクオリアと無関係な元を除外した後に残る、
「クオリアと同一の元」とは一体何だと、あなたはお考えですか?
55あちょー:02/07/06 05:26
脳を持たない単細胞生物にも心があると思います。
脳は心に従っているに過ぎないと思います。
56あちょー:02/07/06 05:31
何かが想起されることは現象と言えるだろうね。これがニューロンの発火という現象とどう対応するのか
ということですね。
57考える名無しさん:02/07/06 13:08
>>54
>といったイメージも誤りだという事ですか?
観察した結果、そのように見えたのなら、それは一つの事実だろう。
私は、進行する過程である「振る舞い」と、
ある一瞬の状態を指す「形状」は同じものでは無い、
といっているだけだが。

>私が敢えて「元の『一部』」と断ったのは、現象というカテゴリーを構成する元の中から、
>「波」や「嵐」や「燃焼」といった、クオリアと無関係な元を除外するためです。
「関係無いもの」を除外しても「同一なものだけ」が残るわけじゃないんだが。

>「クオリアと同一の元」とは一体何だと、あなたはお考えですか?
質問自体が無意味だ。
「クオリアと同一なもの」というのは「クオリア」じゃないのかね?
あなたが既に結論を出している問題に、私が何を答えろというんだい?
「クオリアは現象である」を、
「現象の中にはクオリアと同一のものがあって、それがクオリアだ」
と言い換えることは不可能では無いけれど、
こんなくだらない言葉遊びに何の意味があるんだね?
5833:02/07/06 17:07
>>57
>私は、進行する過程である「振る舞い」と、
>ある一瞬の状態を指す「形状」は同じものでは無い、
>といっているだけだが。

進行する過程である「波の振る舞い」を正確に把握するためには、
まずは毎瞬毎瞬の状態である「波の形状」を正確に測定する必要があります。
では、脳内で進行する過程である「クオリア」を正確に把握するためには、
一体全体、「『何』の形状」を正確に測定すれば良いのですか?
という事なんです。
あるいは、次の様に言った方が分かりやすいかも知れません。
「クオリア」とは、毎瞬毎瞬の「『○○』の形状」の測定結果に基づいて決定される、
進行する過程としての「『○○』の振る舞い」である。
この『○○』とは一体何なのかを知りたい訳です。

それとも、現時点では『○○』が何なのかは不明だが、クオリアが脳内の何らかの進行プロセスである
ことは確からしい、という段階の話なのでしょうか?
もしかして、あなたの「クオリア=進行プロセス仮説」は、「仮説」とはいっても、
客観的に検証可能な予測がある訳ではないのですか?

>こんなくだらない言葉遊びに何の意味があるんだね?

上記の質問の意味を理解してもらえれば、
単なる言葉遊びでないことを分かってもらえると思います。
59考える名無しさん:02/07/06 19:10
>>58
>客観的に検証可能な予測がある訳ではないのですか?
ちゃんと議論の流れを掌握して欲しいのだが。
「クオリアは現象だ」は「クオリアに直接する器官ないしは物質がある」というあなたの主張に対する
反論として示したものであって、その現象が具体的にどのような現象であるかについて、
わかっているなどということは一言も言っていないが。

つまり、「クオリアは何か」という議論において、
「クオリアは物質か否か」という議論にはあまり意味が無い、
主観的な観察においても、クオリアは遷移変遷するものであるし、
その多様さ、そして、新しいクオリアが生じうるという点からいっても、
個々のクオリアに対応する個々の器官が存在するなどという発想は
合理性を欠いている。
むしろ、クオリアは、現象と考えるほうが、それらに主観的観察事実に符合するし、
解剖学的な観察事実とも整合する。
それゆえに、「クオリアはどういった現象なのか」という点が問題なのだということを言っているのだ。

6033:02/07/06 20:27
>>59
>主観的な観察においても、クオリアは遷移変遷するものであるし、
>その多様さ、そして、新しいクオリアが生じうるという点からいっても、
>個々のクオリアに対応する個々の器官が存在するなどという発想は
>合理性を欠いている。
>むしろ、クオリアは、現象と考えるほうが、それらに主観的観察事実に符合するし、
>解剖学的な観察事実とも整合する。

例えば、ニューロン活動の組み合わせがクオリアに対応していると考えた場合は、
必ずしも合理性を欠いているとは言えないのではないでしょうか。
ニューロン活動の組み合わせは「多様」で「遷移変遷」しますし、
新しい組み合わせが「新しいクオリア」に対応していると考えることも可能だと思います。
また、ニューロン活動の組み合わせですから、クオリアに対応する個々の器官の存在を必要せず、
見た目に大差ないニューロンが多数あれば良い訳ですから、解剖学的な観察事実を損ねません。

以上のように、クオリアは現象でなければならないという、
あなたの主張に対する反例は、容易に挙げる事が可能です。
「クオリア=現象説」が唯一正しい事を証明する客観的な証拠が存在しない以上、
他の説に対する「クオリア=現象説」の優位性を保証するものは特に無いと思います。
61考える名無しさん:02/07/06 21:26
>>60
>他の説に対する「クオリア=現象説」の優位性を保証するものは特に無いと思います。
私が、他のどんな説に対して、
「クオリアは現象である」という主張の優位性を主張したというのだね?







6233:02/07/06 22:25
>>61
>私が、他のどんな説に対して、
>「クオリアは現象である」という主張の優位性を主張したというのだね?

優位性を『保証』するものは特に無い、とは言いましたが、
あなたが優位性を『主張』したなんて一言も言ってないでしょ(w

>>60の論旨に反論が無い様なので、議論は終了で宜しいですか?
63あちょー:02/07/07 03:32
森羅万象はどれも現象と言えますが、クオリアは質感をあらわす脳内言語ということで、
現象ということにこだわらなくてよいのではないでしょうか。
64考える名無しさん:02/07/07 03:56
>>62
というか、 >>60 の論述ではあなたが、

>正直なところ、「古典的機械論」以外に論理的に妥当な思考方法が存在することを、
>私は知りませんでした。

とまで言って固執した、古典的機械論とクオリアの関係について何も述べられていないのだが。
いったい、 >>60 の内容でどういった「議論」が終了するというんだね?
65考える名無しさん:02/07/07 05:42
唯脳論ですか
66考える名無しさん:02/07/07 06:14
遅い?

信原幸弘の本
たのすいみ
「心の現代哲学」はよかった
6733:02/07/07 07:35
>>64
「知らない」ということは、「固執する」ということではないでしょ(w

議論の当初、あなたは「クオリア=現象説」の妥当性を断定的に語っていたので、
あなたとの議論での私の関心は、何故、あなたがそれほどまでに「自信たっぷり」なのか、
その理由を知りたいという点にありました。
その理由が特に無さそうだという事が判明したので、
私の中では議論は「終了」しちゃいました(w
68aaaaa:02/07/07 08:53
山鳥重氏が次のような事を言っています。
「ところで神経心理学を研究するにあたってはいくつかの事を心得ておかなけれは
 ならない。まず、心理現象は形あるものでないという当然すぎる事実がある。客
 体をつかむようには心をつかまえることは出来ない。心はいわば影であって、わ
 れわれの研究対象は物理学や化学が対象とする実体的なものとは違うのである。
  次に、神経心理学では脳の構造と心の働きの相関を知ろうとする。しかしこの
 二者の間には大きなへだたりがある。われわれはこの二者の間にある相関関係を
 想定できるだけであり、それ以上のことを知ることは出来ない。心の背景に脳が
 あることを忘れてはならないが、それはあくまで背景にぎない。
 また脳の生理学的あるいは化学的な働きと心の相関についても知ろうとする。 
 しかしこのような機能的な神経活動と心の間にも大きな溝がある。この二つの
 ものを因果関係でつなぐわけにはゆかないのである。あくまで対応関係が存在
 するにすぎないのである。」
(神経心理学入門1985年)
69aaaaa:02/07/07 08:55
「解剖的理解とはあくまで形態の認識である。脳を徹底に分析して、その微
細構造まで知るに至っても、形はあくまで形であって、けっしてそれ以外の
ものに転化することはない。形をいくらにらんでも、そこから心理現象を取
り出すわけにはゆかない。つまり、客体としての脳はあくまで客体にとどま
る。一方心理学的な理解は、心理現象をわれわれの体験と照応させることに
よってしか成立しないものであって、あくまでも主観的な性質のものである。
心理現塚をいくら掘り下げても、そこから物理対象たる脳の形態をひねり出
すことはできない。
 客体である脳と、主観である心理現象との相関関係は、したがって、普通
の科学的方法をもってしては料理できないものである。つまり、ある特定の
部位の脳損傷とある特定の心理症状がよく対応するとして、前者を後者の「
原因」とみなすことはできない。ある特定の血管の閉塞はその脳損傷の「原
因」でありうる。なぜなら、それは同じ客体世界の現象であり、両者は因果
関係で結ばれうるものであるからである。しかし、ある脳損傷と、ある心理
症状は現象の次元が異なるものであって、両者を因果の鎖で繋ぐことはでき
ない。二つの間にはせいぜい「対応」関係がつけられるだけである。」
(山鳥「脳からみた心」1985年)
70如是我聞:02/07/07 08:59
>>66
自分もあれで相当勉強させてもらいました。ただあの文章力は・・ね。
719:02/07/08 12:49
729:02/07/08 12:52
賛成
73入不二基義:02/07/08 18:00
俺を忘れるなや
74考える名無しさん:02/07/09 01:13
>>67
結局感情論でしかなかったわけだね。

やっぱ、クオリアの話をする奴って、すぐ感情的になって、まともな議論がなりたたないよ。
本で読んだことの反復がしたいなら、そういう人だけで集まってやれば?
本で読んだ事の無い意見ということだけでキレられてたら、
真面目につきあうきになれないよ。
75考える名無しさん:02/07/09 01:44
>>68
>>69
というか、そういうことを、「相手はわかっていないだろうから教えてやろう」
という発想で話すから話がかみ合わなくなる。
76茂木健一郎 :02/07/10 21:36
よっこらしょっ、と。
それで?
77茂木健一郎:02/07/10 21:40
おらおら、
それで?
78茂木健一郎:02/07/10 21:42
寝るぞ
79考える名無しさん:02/07/10 23:33
茂木先生、クオリアって、弁証法的に形成されるのでしょうか?
80考える名無しさん:02/07/12 01:12
わーい、知らない間に書き込み増えてた。三日間くらい放置されてたのにさ。
81考える名無しさん:02/07/13 05:52
書き込み復活しないかなぁー
82考える名無しさん:02/07/13 06:01
新潮社の雑誌「考える人」創刊号で茂木氏は、
クオリアをめぐって小林秀雄のこと「同志」とかいってるね
「仮想の系譜代1回 小林秀雄と心脳問題」
おれの頭じゃあんまわからん
だれかおせーて
83考える名無しさん
「小林がこれほど真剣に、そして徹底的に考えていたとは知らなかった。」

とか

「一気に、小林秀雄は、私にとって最も近しい人となった。」